2014/07/19

T-50ってさ

"T-50 Golden Eagle"とは韓国国産超音速ジェット練習機である!
最高速度はマッハ1.4、音速の1.4倍ですよ!
  ぱっと見、T-38とF-16のちゃんぽん、新しい様な古い様な微妙な外観。ジェット練習機としては実績のある競合相手が既にある訳で、当初見込んでいた海外セールスには苦労しているようです。

 不幸にして世界の趨勢は「ジェット練習機に超音速飛行能力は不要」なんですよ。マーケティング的にははっきり言って大失敗。

 ちなみに、日本では三菱T-2(既に退役)で国産超音速練習機(エンジンは残念、米国製ライセンス生産品)は打ち止め。現役のジェット練習機は最高速度マッハ0.9程度ですがエンジン含めて純国産の川崎T-4となってます。 エンジンも2機搭載で、故障で1機止まっても大丈夫。

 畳みかけると、T-50の開発開始が1992年ごろに対してT-4は1982年ご・・・あ、開発開始段階で世界の趨勢から外れていた、顧客が望めないことが約束されていたと言い切っても問題ないでしょう

 で、ちょっと改造すると攻撃機にもできますよ、攻撃機バージョンもありまっせって事なのだが、こちらもセールスはきつそう。

 まず、単発(エンジン1機)なのが致命的、近接地上支援任務なんかに従事したら個人携帯対空ミサイルのいい的で、かつ命中してエンジンが破損すれば即墜落です。小型攻撃機の購入をお考えの方にはこちらではなく、スホーイSu-25を強くお勧めします。エンジンは2機で、現在のバージョンならエンジンの間にチタン装甲板がもれなくついてくるので、個人携帯対空ミサイルぐらいならエンジン被害は1機のみに抑えることができます。コクピット周囲もチタン製装甲が設けられています。パイロットの生存率、帰還率の高さはアフガニスタンで既に実証済みですし。

 これは完全に詰んでますな。ですが、話はこれで終わりではないんですよ。

 公表されているT-50の生産分担の実に55%が米国ロッキード・マーティン社、つまり話半分にしても韓国国産とは言えないのが実態、海外輸出できても売り上げの半分以上が韓国国外に行くんだそうです。 更に追い打ちは続きます。赤字に苦しむ韓国政府はなんと、T-50に輸入関税を遡及的に(過去に遡って)課すに至り、「国産」練習機は一転、晴れて「輸入品」と国から認定されました(ソース元失念)。

 という訳で、現在のT-50の立ち位置は「国産と呼びたい人は国産と呼び、輸入品と呼びたい人は輸入品と呼ぶ」という韓国にありがちなものとなっています。いわゆる平壌運転状態、蝙蝠なのは外交だけじゃないということですね。

 はぁ、これで終わり・・・ではないのが「Kの法則」の凄いところ

 知ってる人は知っている、今T-50と言えば世界的にはスホーイPAK-FA以外はあり得ません。ステルス、アジャイル(高機動)、ヴァーサタイル(多用途)の三拍子が程良くミックスされた機体、という評価がほぼ固まりつつあるようですね。
  お後が宜しいようで。

 (画像ソースはともにWikipedia)


追記:2014/07/20

 実はそれでもまだ終っていなかった!なんとタイムリーな!な!

 中国XINHUA.JP記事、「米軍が100億ドルを拠出して韓国の戦闘機350機を購入する計画―韓国紙」。信じるか信じないかは(以下略)。
中国紙・環球時報は18日、「韓国メディア、『米軍が100億ドルを拠出して韓国の戦闘機350機を購入する計画』」と題した記事を掲載した。

18 日付の韓国紙・釜山日報は、韓国が独自開発・生産したTA-50戦闘機を米海軍が導入する計画だと報じた。韓国航空宇宙産業(KAI)が18日に明かした ところによると、導入計画を主導する米空軍チームが17日午前、韓国空軍第16戦闘航空団を訪れ、韓国国産戦闘機TA-50を実際に体験し、性能を確認し た。

15日には米空軍が派遣したチームが韓国防衛事業庁、第16戦闘航空団、空軍軍需司令部を相次いで訪れ、T-50戦闘機の飛行訓練の成果を考察、運行費用などを確認した。韓国側はT-50戦闘機の優れた性能と先進的な装備を紹介した。

TA-50 はT-50を基に韓国が独自に開発・製造した強撃機。韓国KAIによると、米空軍がTA-50戦闘機を導入した場合、韓国に100億ドルの経済効果がもた らされる。米国は現在使用中のT-38C戦闘機の後継として、韓国の国産機を350機導入する計画だと記事は伝えている。

2014/07/16

自衛隊、フランス革命記念日の軍事パレード参加のニュースでちょっと思ったこと

 本日も止めどなく。

 7/14にパリで開催されたフランス革命記念日の軍事パレードに、陸上自衛隊が初めて参加した。これはフランスに招きによる。日本(当時は大日本帝国)が第一世界大戦で日英同盟に基づいて連合国の一員であったことが理由だそうだが、この種の歴史的事実は国内では十分に周知されているとは言えない。私見だが、歴史的事実を取捨選択した時点で、「歴史観」は「自由に対する絶対悪」である。

 まず、「集団的自衛権の行使容認」が「他国の戦争に巻き込まれる可能性を高める可能性」について。上記の第一次世界大戦の件を踏まえると、確かにその可能性は否定できない。しかし、それは「集団的自衛権の行使容認」とはいったん切り離すのが論理的な姿勢というものだ。むしろ考えなければならないのは、「同盟の有効性」或いは「同盟のメリット・デメリット」である。

 第一次世界大戦というのは発端に関しては不思議な「大」戦争で、 民族主義者によるテロに端を発する。つまり、元々国対国の話ではないのだ。が、「テロ実行勢力が存在する国」に対して「国が宣戦布告して」以降、複雑な同盟のネットワークによって論理的帰結としてドミノ倒しの如く自動的に列強各国は2大勢力に分割されることになった。そして、極東の島国も同盟に基づいて参戦することになったのだ。

 第一次世界大戦前の同盟はいわば平時の同盟、特定の国家群が特定の国家を封じ込めるべく構成されたものである。後で出てくるからもう書いちゃうけど、封じ込めの対象国のひとつはドイツ(当時はドイツ帝国)である。 ドイツは露仏同盟で東西を挟まれていたため、ロシア或いはフランスが戦争準備を始めた時点で軍事行動を開始することを事前に決定していた。その状態で、ロシア(当時はロシア帝国)が参戦した。ドイツは当初の計画通りにベルギー経由でのフランス攻撃を開始、ベルギーと同盟関係にあった英国が参戦、で日本も参戦という具合である。

 同盟というのは戦争勃発の抑止力ともなるが、同時に戦争勃発後は強制力を持つ。だから、「同盟が他国の戦争に巻き込まれる原因となり得る」という言説は正しい。「集団的自衛権の行使容認」と「他国の戦争に巻き込まれる可能性を高める可能性」とが繋がるためには、例えば「同盟」といった別の因子が挟まる必要があると考えるのが妥当だ。

 「論理の飛躍」と「思考停止」は端から見ている限りはほとんど区別できない。が、それ故に相容れない意見の衝突にあたっては、論理的な対話が必要だ。むろん「話せば分かる」なんて言いたい訳じゃない。○○、××、嘘つき、ナルシスト、STAPな人などを選別せよ、ということだ。

 強国を間に挟んだ同盟は危険、これが私の認識だ。結局、軍事的な同盟はNATO(北大西洋条約機構)やかつてのワルシャワ条約機構といった多国間、地域的同盟に移行した。本来は国連がそのような機能を持つことが期待されるのだが、常任理事国の構成や事務総長の無能ぶりから全く期待できない。

  次いで、ドイツ。私の把握している限り、現在のドイツにあっても反日の素地がある半面、親日要因はほとんどない。むしろ、ドイツは歴史的には反日国だろう。近代に限っても、第一次世界大戦で戦火を交えている。第二次世界大戦だって「アーリア人種とは無関係」な日本人なんかナチスから見ればどうでも良い存在だったろう。挙句の果てにはロシア、満州経由の欧州から米国へのユダヤ人脱出を日本は軍、国を挙げて支援している。中道はともかく、右派、左派ともに反日か、親中親朝鮮(結果として反日)だ。

 第一次世界大戦参戦後、日本は東南アジア地域のドイツ領を引き継ぐという密約を他連合国から得た。密約の見返りとしてか、海軍は輸送船団護衛に艦隊を地中海に派遣、潜水艦との戦闘などで戦死者も出している。このとき、海軍は東南シナ海、太平洋南部、インド洋、地中海と非常に広範囲に展開している。一方、陸軍の欧州派兵は「国益に直接関与しない外征に参加させることはできない」と最後まで拒絶した。

 「国益」という言葉は、「国体」と並んで戦後しばらく忘れられていた言葉である。言語に頼らない純粋な非言語による思考、それが可能かを疑う人は新しい哲学用語が次々と現れることの意味を考えて欲しい、は実は結構難しい。これは「非言語による思考ができないのは駄目」と言いたいのではなく、「思考内容が言語によって制限されることがある」と言いたいに過ぎない。つまり「国益」という言葉と、その言葉が指す概念が忘れらた状態では、「国益」に対応する概念の「言語化」に無駄なエネルギーを注ぐことが不可避となる、ということだ。時間が有限な中で、それは極めて効率が悪い。

 おそらく現在の「国益」の大まかなコンセンサスは、「国民の生命、財産を守り、国体を維持する」だろう。前者についてはほとんど異論はないだろうが、後者については色んな考え方があって良い。現在の日本において、思想、信条、さらに心情の自由とその発露は基本的に許されている。

 「集団的自衛権の行使容認」は確かに戦後日本の政治的、軍事的転換点と言えると思う。が、真に実効的(practical)な部分は、それに続く「国益」乃至は「それに対応するもの」と「同盟の意味」を考え、言語化して定義し、実行することにあると思うのだ。

2014/07/15

「ゴジラ(1984)」、やっぱり凄い

 TVで絶賛?放映中。予備知識ゼロで当時劇場で感じたあれらを追体験するのかな、と思うと非常に遺憾、でも取り敢えず流しっぱなしにしておきましょう。

 まずは小六禮次郎さんの音楽。ゴジラ映画としてはキャッチ―さに欠けてもう二つぐらい、凄く残念。

 飛び跳ねる巨大フナムシ・・・スーパーX登場の伏線?!あのフナムシはいかん、凄いばかりにいかんですなぁ。

 実はスーパーX登場にずっこけたクチ、カドニウム弾にもびっくり、なんじゃこのゴジラは・・・って話ですよ。まぁ、登場人物の語りで伏線張りまくりではあるんですが。ちなみに「富士一號」って書いて分かる人はどのくらいいるのかな?

 「爆発!中野」こと特技監督・中野昭慶さんの爆発は健在、つまり爆発し過ぎさせ過ぎ。凄いねぇ。

 ゴジラが海から埠頭の自衛隊を一気に粉砕するシーンは「新ゴジラとは如何なる存在か」を伝える割と出来の良いシーンだとは思うのだが、もうちょっとカメラ位置が低い方が良いんじゃないかなぁ・・・中野さんにはキャメラマン的な感性が乏しかったのだろうか、というのが当時からの思いだ。カット割、アングルだけじゃなく、ライティングやフィルム発色特性にさえ無頓着だったのではないかとすら思う。当時のフィルムはそれ以前のフィルムと較べて青色がちゃんと出るようになっていたから、夜間シーンでも影に青~白色が乗ってしまって全体的に明るくなってしまうのだ。

 シナリオも微妙、散漫な印象だ。「日本沈没」的な登場人物毎のストーリーの並置でほぼいっぱいいっぱいのところに来て、ゴジラが加わる。難しいのは良く分かるんだけどね・・・田所博士、もとい一国の総理ともあろう方がそこで泣いてはいけませぬ。

 如何にも80年代な風俗、光景はご愛嬌。駄作じゃないけど傑作でもない。「もちっとどうにかなったんじゃないか感がハンパない」という意味で凄い一品。あ、カメオ出演ってのはやっぱり素人くさくてウザいですなぁ。

2014/07/13

ドイツのチャレンジは続く

 ウォール・ストリート・ジャーナルの記事、「ドイツ、再生可能エネルギー新法が成立」。

 以前のエントリで触れたことがあるけど、ドイツは再生可能エネルギーの導入促進、脱原発、炭酸ガス排出低減といった政策の結果、電気料金が高い。これに対して企業は自家発電設備の導入が進んだ。高い電気料金の下では工業製品の価格競争力が維持できないからだ。 本当は上手くないのだが、短い記事なので全文引用しよう。

【ベルリン】再生可能エネルギーをめぐるドイツの野心的な法案が11日、連邦参議院(上院)を通過した。ドイツはこれにより、原子力発電や化石燃料を使った火力発電の減少による影響の緩和を目指す。

連邦参議院は数カ月にわたる激しい議論を経て法案を可決した。予定通り8月1日に施行される見通しだ。

欧州委員会は当初、ドイツ政府の目指す改革に反対の立場を表明していた。だが9日にこの件で調査を終え、ドイツ政府が一部の修正に応じたことも考慮して異議を撤回した。

新たな制度の下、再生可能エネルギーへの補助金は引き下げられる。一方でより幅広い企業に賦課金の負担を求め、補助金の資金源を補強する。これまではエネルギー集約型産業や自ら発電して消費電力を賄う企業が賦課金の支払いを免れていた。

欧州委員会の意向を受けたドイツ政府は今週、再生可能エネルギーを輸入する外国企業に、国内で発電する事業者と同じ条件を適用することを決めた。

今後は自家発電する企業が賦課金の支払いを通じ、再生可能エネルギー支援基金に貢献することになる。また欧州委員会が2013年から14年にかけての補助金が不公平だったと指摘したことを踏まえ、350社がいったんは受け取った総額3000万ユーロ(約41億円)を基金へ払い戻す。

 記事のトーンはポジティブだが、ドイツ国内に製造基盤を持つ企業にとってこの法律は後出しじゃんけん以外の何物でもないだろう。企業の自家発電設備所有はいわば従来の法の抜け穴を利用した価格競争力維持の努力であった訳だが、新法によってその努力は基本的に無効となる公算が高い。再生可能エネルギーの価格も上がり、一般家庭向け電気料金も上がることはあっても下がることはない。で、これらは明確な政府による市場介入だ。

 政府による市場介入自体は否定しない。が、本法は企業にとっては二重、三重に悪夢だ。

 まず、先に触れたように自家発電設備への投資が100%ではないものの無駄になること、次いで本法の成立で「将来政策の不可実性の高さ」がリスクとして明確になったことである。後者は実はマインドとして重要で、「無駄になるかも、政策変更でご破算にされるかも」という可能性がある、「不安」があると、企業としては投資を躊躇せざるを得なくなる。この種のリスクを低減、或いは払拭する一つの方法は、生産拠点をドイツ国外に移すことである。企業人に対しては置いておくとしても、純然たる企業活動に利益より倫理を求めることはフェア(公正)ではない。

 何度でも繰り返すが、ドイツの現在のエネルギー政策は完全に無理筋、常識的には上手くいくはずがないものである。それ故に私はそれを「チャレンジ」と呼ぶ。その思いは以前として変わらず、報道された新法の内容はその思いを更に強くさせる。

2014/07/12

本日の旭日旗

 サムスン製ケータイ用のカバーらしいです。それが本当なら全く意味不明、韓国製ならこれは親日罪認定確実、韓国外ならばGJ!綴りも2種類あるしね、ちょっとパチもんっぽい。

「報道特集」で技術実証機「心神」報道

 エントリタイトルの通り、自衛隊の技術実証機「心神」に関するTV報道があった。紹介は「ステルス技術」と「高機動技術」にフォーカス、他の技術には触れられなかった。分かり易さ、時間の制限からは仕方無かったのか、自衛隊側からの制限があったのか、それとも報道する側に何らかの意図があってのことなのか、こういう分野に多少なりとも興味がある人達となら常識として共有されているだろう幾つかの事項に全く言及がなかった。

 まぁ、報道する側もされる側も意図がある筈だ。その辺りを推定するのも楽しいっちゃ楽しい。これは推定すること自体が楽しいのではなくて、「1年後、3年後にこういう事が起こる筈」を積み上げておいて実際その通りになるかを見守るところに面白さがある。ぶっちゃけ、「技術実証機に関する踏みこんだ一般向け報道はNHKが最初、今年8月辺り」と読んでいた身としては、「何故そうならなかったのか」と言う点に関する「一人反省会」が必要だ。

 報道では「心神」という呼称はついに登場しなかった。ここ半年程は朝鮮半島と米、中の情報トレースにフォーカスしてきたから、実は「心神」周りの情報は積極的には漁ってこなかった。この辺りをなんとか説明できるようなコンテクスト(文脈)が自分の中に無いのは気持ち悪い。技術実証機でも命名式みたいなものをやります、なんて話なら分かり易いのだが。

 報道VTRでは「ゼロからの独自開発は技術者の悲願」というような視点がかなり強調されていて、ケレン味のない「プロジェクトX]の前半部だけみたいな雰囲気があった。正直、観ていて「変な報道内容だな」という思いに囚われ続けた。要は「何故、今、技術実証機なのか」という「何故」の部分に全く踏み込まないのだ。つまり「心神」の流れを組み込んだビッグピクチャー(全体像)に繋がる部分に全く触れなかったのだ。本来の報道、というものは良くも悪くもそこに踏み込まなければならないんじゃないだろうか。

 上記の点の裏返しのように、VTR後のスタジオで次のように語られる。

 「技術者の悲願、といったまるで美談のように認識することは危険。『何故、そのような技術を開発する必要があるのか』という国民的議論も無いまま税金が投入されている状態はおかしい」

 でも、報道VTRを放送したのも、スタジオでのそういう発言を放送したのも同一の報道機関だ。このような第三者的な発言が出ることは、まず結論ありきの偏向、或いは提灯報道ではあり得ない。真っ当な報道であれば尚更あり得ない。可能性は幾つでも考えられる。
  • 自衛隊は取材は許可したが、報道VTRにも口を出した。自衛隊の意図が強く反映されたVTRに対して、嫌味が口をついて出た。たとえそうであっても、自衛隊側の意図は、情報統制の視点、報道機関の反応調査の視点など見方によって幾らでも考えられる。対中メッセージの可能性だってある。
  • 最後の発言を電波に乗せたいため、報道VTRをわざと「技術者の悲願」路線にした。これは誘導のための偏向報道のそしりを免れない。
  • 原因部分が上記2点のミックス、つまり、大人の事情による制限から自衛隊と報道機関が同床異夢状態となった。つまり、たまたま。
  • 報道VTRの編集が実は「実質的に」自衛隊によるものだった。報道VTRが報道機関局外の会社、組織によって編集され、報道機関は内容に口を出せなかった。情報管制の観点からは、報道機関本体より、資本規模が小さくて目立たない下請け業者に手を回した方が費用対効果が大きいように思われる。実際のところ、下請け会社(製作専門会社)無くして現在のような番組の増産体制は維持できないだろう。極端な話、自衛隊、政府による報道管制のテストケースであった可能性。
  • 報道機関内が様々な外圧により分裂状態にある、陽的に分裂工作が行われている。自衛隊や政府がその報道機関の分裂状態を図るために観測気球を上げた、或いは報道機関を使ってカウンターインテリジェンスを仕掛けた。それとも…怖ぇぇっ
実際はどうだったのかなぁ…

2014/07/10

New Order/Bizarre Love Triangleのビデオクリップ

 "New Order"の楽曲"Bizarre Love Triangle"はマイエバーグリーン。ちなみに、これ以外で"New Order"の好きな楽曲は無い(笑)まぁこの手のパターンは、"Public Image Limited"の"This Is Not A Love Song"とか、"The Flying Lizards"の"Money"とか、"M"の"Pop Musik"とか、実は少なくないと言う(笑)
 
 ひょんな拍子からオフィシャルのビデオクリップをYoutubeで発見、自分の為に貼っておこう 。このビデオクリップに関しては、当時ピーター・バラカンさんが絶賛していたことが印象深かったなぁ・・・
 で、 ビデオクリップでは楽曲には無い男女の会話シーンが挿入されてます。雰囲気と不真面目具合を優先するとこんな感じの会話ですよということで、興味を持った奇特な方は2:48辺りだけ聞いて下され。女性の言葉をより正確に訳せば「私は生まれ変わり(リインカーネーション)なんて信じない。何故って虫(バグ)や兎なんかとしてこの世に戻って来るなんてご免だわ!」って感じかなぁ。

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 関連エントリ:SynthMasterの買い方

2014/07/08

「ゴジラ」、やっぱり上手い

 映画「ゴジラ(昭和29年)」を初めて観たのはかれこれ30年近く前、自宅近くの小さな映画館(おそらく20席以下)を貸し切り状態(つまり客は私だけ)でのことだ。当時もとっても感心したのだが、今TVで観ながらそれを追体験している。

 何が感心するって、まずカットのつなぎ方が出色だ。単に画をつなぐという話ではなく、つなぎ部分の音響効果や音楽も計算されたものだろう。暗転、ゴジラの鳴き声、着陸した飛行機のカットへといったつなぎ方は実に見事だ。ワイプかフェードか、カットのつなぎ方の選択にも文脈、明確な意図が感じられる。とにかくワイプ、というジョージ・ルーカス氏の作風と全く違う。モンタージュによるカットの切り替えタイミングは総じて早めで、人や乗り物の移動感を殺さず、極めてリズミカルである。その代わり、時間の経過はカットの切り替えを使って効率良く(?)省略されている。

 カット自体も、静止画的なものか登場人物などの移動を追うものかなどの区別が明確で、よく吟味されていると思う。移動や撮像対象の配置には左右だけでなく奥行き方向も使う。このようなカット構成は結果として「カメラの存在」を観ている側に強く意識させる。本多猪四郎監督のタッチはドキュメンタリーのそれに近いと言われるが、「カメラの存在」とドキュメンタリーは不可分だ。ただし、カメラそのものの動きは限定的というか、おそらく最小限に抑えられている。「如何にも手持ちカメラ風」のぶれが加われば、10年程前に流行った私が大嫌いな「ドキュメンタリー風の絵作り」に極めて近い風合いになるだろう。

 それをやらないのが「品格」というものだ。

 特殊撮影を担当した円谷英二氏がキャメラマン出身というのもポイントだ。特殊撮影カットも本編と類似した「品格」を備えている。これは本作品にとってとても幸せなことだ。

 伊福部昭氏の音楽自体、音楽作品に対する評価を近年良く耳にするようになったのは嬉しい限り。同時期の劇音作家の中では突出してリズム重視の作風と言える。メインタイトルの楽譜にゴジラの足音や鳴き声のタイミングまで書かれていたのは有名な話だが、映画が総合芸術たらんとすればこの種のこだわりは必須だろう。映画「日本誕生」や「わんぱく王子の大蛇退治」に見られる画と音楽の見事な同期、それらが産み出す相乗効果は圧巻だ。

 さて、「ゴジラ」の放送も終ろうとしている。

 最後に原作の香山滋氏に少し触れておきたい。香山滋氏は今ならばホラーとミステリの境界領域、かつて変格探偵物と呼ばれた分野の作家だ。80年代後半にこの分野の再評価ムーブメントがあり、復刻版の発売や古本屋周りの甲斐あって彼の作品はほぼ全作読んでいる。

 劇中、古生物学者の山根博士が「200万年前のジュラ紀」と発言する。が、実際のジュラ紀は約1億5000万年前であり、200万年前は石器時代である。このようなケアレスミスを香山氏が犯すとは考えにくい、むしろ意図的と見做すべきだろう。比較的受け入れられている解釈は、「ゴジラは人類そのもの、核兵器を作り自らの生存すら脅かす特異な生き物のメタファー」というものだ。香山氏の作風は良く言えばロマンチック、時に過剰なまでに感傷的、悲観的だ。「ゴジラが核兵器ではなく人類そのもののメタファー」という視点に立つと、ラストの山根博士のセリフの意味合いも違って聞こえないかな?

2014/07/07

米国の「失望」、キャンペーンが始まってるかも:||???

 ウォール・ストリート・ジャーナルの記事、「【オピニオン】なぜ日本の軍事シフトは韓国にとって必要か」。

 大した事は書かれていない。タイトルから予測できる常識的な普通の内容だ。だが、知っている人なら、執筆者がランド研究所(米国のシンクタンクのひとつ)のアナリストだというだけで直ぐに記事の意図を察することもできよう。

 米国は世論誘導にシンクタンクの「見解」を良く使う。と言うより、世論誘導もシンクタンクに求められる役割なのだろう。米国ないしは米軍の意図がどの辺りにあるか推定するのも一興かと思う。書かれていないこと(記事中で触れられていない国とか)も重要、かもね。