2013/06/16

2013/06/15 CBCラジオ×U-strip夜用スーパー「電磁マシマシ」

 ゲストは松武秀樹氏。

 「4人目YMO」として知られているが、YMOを細野晴臣氏のソロの延長で仕方なく聞き始めた身としては、"Logic System"、"Akihabara Electric Circus"の人だ。

つまり、私は
ってことですよ、20年以上前からね。

 "Akihabara Electric Circus"の"TV(1989)"は米国TVシリーズのテーマ曲カバー集で、今日チェックしたところでは日本のiTunesで購入できるようになっていた。残念ながら"Logic System"の全てのアルバムはiTunesではまだ購入できるようにはなっていない。「音色は"TV"がカラフルな感じ、"Logic System"の『東方快車』がモノトーン気味とかなり対照的」というのが個人的な印象だ。「Tansu(Moogモジュラーシンセの愛称)だけに(音色の)引き出しが多い!」なんつって。

 松武氏のお話の多くは田中雄二著「電子音楽 in JAPAN」などでも触れられていた内容だが、やはりディテールのレベルが上がっているし、文章では伝えにくいが故に書籍では涙を飲んで割愛したに違いない本人の感覚に根ざした言葉が伝えるニュアンスは豊潤だ。

 印象深かったのは、やはりMoogIII-Pシンセに関する冨田勲氏がらみのエピソード。音色を作っている過程を(身体で隠すようにして)見せてくれなかったとか、その日の仕事を終えるとパッチ(シンセモジュール間の結線)を外すのみならずツマミも全て0にしてしまうとか、冨田氏の有り様を伝えるエピソードかと思う。特に後者はデキる人の机上にありがちな光景、仕事中は結構散らかっているように見えて、帰宅時には奇麗に片付いているみたいな。

 シンセサイザーポリッシャー(本人談)として重要な曲、アルバムとして、ガーション・キングスレイの"Popcorn"とウェンディ・カルロス(当時は男性だったのでウォルター・カルロス)の"Switched-On Bach"を挙げたのは普通過ぎて意外なぐらいなのだが、「徹頭徹尾王道を貫いた」ということなのだろう、少なくともここまでは。なんたって「シンセの音を変えなきゃいけない!」って言っちゃったんだから、ワクワク。


 まぁ、観てつかぁさい。

 あ、松武氏が編曲した上坂すみれさんの「テトリアシトリ」のイントロが猛烈に刺さりましたよ(2:07:00辺りから)、これは発売されたら買っちゃうなぁ。


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2013/06/15

「ボラリティ」ってなんぞや

 !今回は軽い下ネタを含んでいます!

 職場の昼休みにとあるニュースサイトをチェックしていて、最近TVでも使われることのある「ボラリティ」とい言葉に出会う。化学の世界だと、「揮発性の高い」ことを「ヴォラタイル、ヴォラティル(Volatile)」と表現する。それもあって、これまでは「消えちゃう」とか「すぐ変わる」のぐらいのニュアンスで捉えてきたのだが、一度真面目に意味を調べておこうと。が、なんてことなさそうで、そこそこ笑劇的(変換ミスに非ず)な展開となった。

 そもそも、英語に「ボラリティ」なんて単語はない。おそらく「ヴォラティリティ、ヴォラティラティ(volatility)」が正解で、別のニュースサイトでは「ボラタリティ」を使っていた。この単語、経済学では株式や為替の変動率、つまり時間当たりの変動幅を指すらしい。つまり「ボラタリティが高い」というのは「乱高下する状態」と言い換え可能で、別に新たな単語を導入するまでもなかろうと思うのだ。

 想像力を逞しくすると、「個人的な株取引の過程で、なんかカッコ良さげな"volatility"という言葉に出会い、他人に対して使いたくて使いたくてたまらなくかった。ところが、いざ使う段で『ボラリティ』とう具合に間違って使ってしまった。」とか、発端としては有りそうじゃないですか。気取ったつもりが赤っ恥。若いころにありがちな「痛いパターン」ってヤツですよ。

 「シミュレーション(simulation)」ではなくて「シュミレーション」とか、おそらく日本語としての発音のし易さが原因で変なことになっちゃうってのは分からなくもない。かといって英語としても発音しにくい単語とは思えないから、発音がおかしいところは「カタカナ表記した際に違うところ以外」にあるとも考えられる。どーも、というかやっぱり「L」の発音が鬼門なんだろうじゃないかと思う。つまり、「L」をちゃんと「L」で発音すれば、「シミュレーション」の方が発音し易いのではないかということだ。

 "english.com"じゃなくて"engrish.com"というサイトがある。英語ネイティブが奇異に感じたり、苦笑せざるを得ない英語の誤用や上手くない使い方を紹介するサイトだ。アドレスは「L」を「R」にしか聞こえない音で発音する様を揶揄していて、当然ながら日本はネタの宝庫である。

 カレル・チャペックの小説「山椒魚戦争」では、人語を解する山椒魚が突如東洋に現れ、人類(実際には米、欧~露と言って過言ではないが)相手に戦争を仕掛ける。山椒魚達は英語をしゃべるも、「L」と「R」の発音を区別しないのが特徴だ。あれ? 中学生時代の英語の授業でやたら「R」の発音を練習させられたのだが、日本語のラ行の発音が英語ネイティブには「R」と聞こえるならば、むしろ「L」の発音の練習をすべきではなかったのでは?ん~?

 ついさっき久しぶりに"engrish.com"を覗いてみたら、いきなり袋詰めナッツ"My Nuts"の写真で苦笑。"Nuts"にはスラングとして「イカれたヤツ」みたいな意味もあるが、ここでは「オレのキ○タマ」が妥当な訳だろう。「ついつい手が出る」、「カリッと香ばしい」といったパッケージ記載のコピーとも併せると、「オレのキンタ○」では二重三重に痛いよな、痛そう。ちなみに「ポケットモンスター」は海外では"Pokemon"だ。"Pocket monster"は普段はズボンに隠れているモンスター、「男性のイ○モツ」の意味があるからだ、いや~ん。

 はい、軌道修正。

 とは言え単語の中の音の入れ替えは別に日本語固有ではないようだ。「イスカンダル」は「アレキサンダー(大王)」がアラブ語圏でなまったものとされる。良く使われる説明は、アラブ語の定冠詞(英語なら"the")である"al"が頭に付いていると誤解され、その部分がまず取り去られたというものだ。つまり「イキサンダー」とか「イキサンダル」になる。次いで「キ」と「サ」の順番がなんかの拍子で入れ替わると「イサキンダル」、かなり「イスカンダル」に近付いたよね。このような音の入れ換えの原因は「言い間違いの発生頻度が高い」せいと考えることもでき、それぞれの言語における発音のし難さ/し易さと無関係とは思えないのだ。

 "volatility"は「V」と「L」という日本語に無い音を含んでいて、発音が化け易い単語とは言えそうだ。確かに、「ボラリティ」という発音は余りにも「英語的では無さ過ぎる」気もするんだなぁ。

2013/06/14

クロスオーバーってつまらない

 ここで言う「クロスオーバー」とは、本来別々の物語を組み合わせて新しいストーリーを作ること。映画で言えば「アヴェンジャーズ」が典型的な例で、製作側が版権を持つヒーロー総出演みたいな様相を呈するに至っている。

 個人的には、このクロスオーバーってのは罵り言葉の5つぐらいはすぐに思いつけるほど嫌いでつまらない。理由は簡単で、そもそも相互に一貫性が取れる筈もない複数の物語や世界観を一本の物語に押し込めてしまえば、全体として「一貫性のある物語、世界観」なんて獲得できないのが道理だからだ。「夢オチの方がまだ潔い」と思うことすらある。

 片や、ジャンプアニメコラボは面白がったりする。この場合は作り手の技量、懐の深さ具合をみることになる。「真面目にやったら破綻する」という前提にどう挑むか、実際のところ真面目にやるには極めて難度の高い話なのだ。大抵の「クロスオーバー」のつまらなさは、「真面目にやったら破綻する」という点に製作側が挑みもしないところにある。プロでもそんな塩梅だから、アマチュアとなれば本当に節操がない。

 3DCGアプリなどのコモディティ化が進み、TVシリーズ級のVFXは個人レベルで達成可能となってきている。だが、一定以上の技量を持つアマチュアモデラーはまだ限られているのが実態らしく、海外のアマチュアフィルムメーカーから良く声がかかる。が、その半分はスタートレックと何かのクロスオーバーだ。昨日もまさにそういうプロジェクトへの参加依頼があったばかりなのだが、もちろん丁重にお断りするしかない。さっぱり興味ないんだからどうしようもない。

 守秘義務があるから具体的なプロジェクト名は挙げられないけど、商業プロジェクトへの勧誘も二度ほどあった。もちろん報酬はあるのだが、私にとってモデリングは純然たる趣味、自分が作りたいと思わないものなんかにかかずらわってる時間なんてない。

 でも個人的な信条をうっちゃれば、こうも言える。

 もしあなたが3DCGがらみのキャリアを望んでいるのなら、プロも参加している海外の3DCGコミュニティに積極的に参加しよう。武者修行みたいなもので、本気で挑む限りは無駄になることなんてない。ムービーは「ニコ動」ではなくて"Vimeo"に上げよう。世界中のプロの声を聞こう。世界中のプロを唸らせてやろう。

 世界は広い、が、分野を絞れば「これは!」という人材は決して多くない。これは真面目な話だ。

2013/06/11

ギガバイ子ちゃんってのがいたよね。

 職場の喫煙室でバカ話。

 昔、PCクラスタを職場で組んだ際、Gigabyte社製マザーボードを使った。グラフィックチップにはオンボードのIntel Graphicsを使ったのだが、まだLinuxのどのディストリビューションもドライバをサポートしていなくて苦労した…という話をしていたらふと思い出したのが…

「昔、ギガバイ子ちゃんってのがいたよね?」

と。で、帰宅後に早速ググッてみて分かったことは、私が知っているギガバイ子ちゃんは「新ギガバイ子ちゃん」であること、「旧ギガバイ子ちゃん」もいたということだ。

 残念ながらギガバイ子ちゃんはもう使われていないが、ニュースサイトのアーカイブから拾った新旧のギガバイ子ちゃんの画像を転載しておこう。

 二人ともデザインはるかぽん(瑠沢るか)さんだ。
旧ギガバイ子ちゃん (C)るかぽん

新ギガバイ子ちゃん (C)るかぽん

 ちなみにグラフィックスドライバ問題は、Intelのウェブサイトの奥底から非公式のソースコードをサルベージ、configure一発で解決した。OpenPBSとかMauiとかの設定ファイルを嬉々としてviで書きまくってたなんて、まだ若かったのな、オレ。

2013/06/09

"Pacific Rim"オフィシャルメイントレーラー

 先月のうちに公開されてました。壮大などつき合い、としか言いようがないよ。

近況、五度。:補足

 書き忘れていたのでここで追加。

 本ブログにたまに出てくる遠方の友人より「なんで『遺憾ですとも』なん?」との質問あり。

 引用元は、荒川弘氏のマンガ「鋼の錬金術師」第1巻(の筈)の表紙カバー折り返し部記載の著者コメント。加えて、英語としてどうなのよという点では心もとないのだが、"It can (be) death tomorrow."とも掛けてある。ここで"it"が指す内容は「今日の思考停止」であり、「今日の思考停止は、明日には死にも比すべき致命傷となるよ。」という自分への戒めを込めている。

 真面目な話でスマぬ。

2013/06/08 U-strip夜用スーパー「電磁マシマシ」

 遠山明孝氏をゲストに、特別講座「あなたも1時間でサイケデリックトランスが作れる」を開催。前番組の野球中継が延びたので、結局ラジオ放送は無しとなり、U-stripのみという展開。

 CBCラジオでは「放送無し」となった場合はお酒とおつまみが出る決まりらしく、シャンパンと紙コップがスタジオに登場。シャンパンは瓶を完全に空けてしまい、パーソナリティの佐野電磁氏の挙動、言動には途中からアルコールの影響が露わ。まぁ、面白かったからイイヨイイヨ~、ということで。

 1曲目は佐野氏が約20年前に「ハウスってなんだろ?」などと考えながら作ったという曲「ソード・ダンス」。ハチャトリアンの「剣の舞」を素材にした本人曰く「勢いネタ一発」。だいたい18:00~23:00。



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 1990年ごろは、私もほぼ同じ疑問を持ちながらやたらめったらにCDを買って聞いていたころで、今になってみれば現在の主要なダンスミュージックの主要ジャンルのご先祖様はだいたい出揃っている。実際、「ソードダンス」のドラムパターンには、一瞬とはいえドラムンビートや他ジャンルの典型的なパターンが度々現れる。後半の特別講座「あなたも1時間でサイケデリックトランスが作れる」の良い前振りにもなってたんじゃないかなぁ。

 で、「あなたも1時間でサイケデリックトランスが作れる」。(過去ライブに収録なし)

 スタジオでFL Studioを使いつつ、まずいわゆるリズム隊(キック(バスドラム)、ベース、ハイハット、スネア、ベースと同時に鳴るようなシーケンス)の遠山流骨格作り法を具体的に説明。具体的さという意味では伝授に近く、サイケデリックトランスに取り組みつつ「なんかイマイチ」って感じで悩んでいる人には絶対突破口に成り得る内容。

 個人的にはトランス系は聞かないし作りもしないけど、キックなどのリリースを削ったり裏拍を積極的に使ったりキックの位置でベースを抜いたりすることは日常的にやっている。これは、トランスなどのジャンルが確立される直前の「なんでもあり時代の楽曲の記憶」から、おそらく無意識にピックアップした「自分にとって気持ち良い音」なのだろうと思う。

 現在の自分が聞かないジャンルに若いころの自分が「気持ち良い音」と感じた要素が強く引き継がれている、というのは何とも奇妙な感じ。じゃあ今後トランス系の曲を聞こうと思うかと問われれば答えは「ノー」だ。「リズムがしっかりしていれば上モノは最小限で良し。」というのが立ち位置だからだ。「トランスを、スーパーソゥ(有名な音色)とリバーブ抜きで。」というオーダーは実際問題として現在では成立しないだろうと。

 ひとつ「えっ?!」と思ったのは、紹介された遠山流ではベースに類似の音色でシーケンスを二音重ね、一音目はセンター、二音目は左右に振るという点。二音目相当の音を一音目のディレイで作るという方法を良く使う身としてはちょっと意外な感じがしたのだが、空間の広がり感の表現には「二つの音色が似てるがちょっと違うことが重要」という考え方には説得力がある。もちろん、左右に振る二音目に深めリバーブを利かせるという点も忘れちゃいけない。ちょっと人力ディレイ(ディレイ成分も打ちこんじゃう)っぽいと言えばぽいけど、本質は違う。

 結局、曲は「FLMASK」の名で完成(?)。仔細は省くけど、「(会社で)佐野さん!取れましたぁ!」に大爆笑。ちなみに「QなんとかMASKとかFLMASK」が分かる人は現在どのくらいいるのかなぁ…現在のインターネットは(ほぼ)国境無き実質的な無法状態だからね。若い人はきょと~んだろうねぇ。

 来週のゲストは松武秀樹氏。分かる人には直ぐ分かる、何なのこの一連の凄い展開は!来週も逃せませんよ。

「宇宙戦艦ヤマト2199」Vol.5でましたね。:補足の補足

 「宇宙戦艦ヤマト2199」の出来についてネガティブな態度を取ると、ごくたまに「オリジナル原理主義者」なるレッテルをすぐ貼る人がいる。実に困ったものだ。

 私は少なくとも「オリジナル原理主義者」ではないし、そういう態度に出る人に限って「宇宙戦艦ヤマト2199」の良さや好きなところを「自分の言葉」では語ってくれない。引用を用いて権威主義的な態度に出てくる場合もある。「オリジナル原理主義」なんて曖昧な言葉を使うのは独裁政権のスローガンを鵜呑みにするようなもので、思考停止を正当化する誤魔化しにしか思えない。「オリジナル原理主義者」と「そうでない者」との二分法、相対化は分かり易さにおいては究極的なのだが、ほぼ例外なく間違いであるため、それを選択的に用いる場合は確信犯でない限り嘲笑の対象にしかならない。

 「宇宙戦艦ヤマト2199」の出来については、ちゃんと追っかけてる人でも結構もやもやしてるんじゃないかなぁ。私は最初っから最後まで見届ける覚悟だから、声無き途中脱落者の思いの一部なりとも言葉にして代弁できれば本望なのだ。

 敢えて私の立場を表明すれば「物語至上主義」。ヤマトのファンでもアニメ好きでもないから視点はかなり客観的なつもりだし、作品の好き嫌いで言えば「宇宙戦艦ヤマト2199」は好きなのである、個人的にはイマイチ面白くないとか光るところもトンと見かけないとか思いは複雑なのだが。「好き嫌い」、「良し悪し」、「好みとかツボ」はそれぞれ別次元の話であり、私の中ではこれらは完全に切り離されている。

 私の視点は、全ての設定や考証は「一貫性のある物語性の獲得」の観点から選択されるべきであり、逆に影響がないなら別の観点からの選択で良いということにすぎない。以前に「三式弾」への引っかかりについて触れたことがあったけど、これは上げ足取りのつもりは全く無く、作品タイトルにも冠されている西暦2199年との整合性があまりに取りにくいからだ。同様の観点から、「コスモゼロ」という呼称を単なるペットネーム(宇宙零戦)とするのか、まさに零年(2200年)採用の機体故とするのかは、作り手側の態度や立ち位置を考察する上での重要な手掛かりなのである。

 「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」は基本的に誉めまくるけど、他の映画やTVシリーズにはヤマトであろうが苦言を呈せざるを得ない。オリジナルTVシリーズは、「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」を成立させるためのプロローグに過ぎなかったのではとすら思うぐらいだ。

 私の意見は、「一貫性のある物語の構築」という「一種の知的作業の完成度」という尺度で較べた場合、「宇宙戦艦ヤマト2199」はオリジナルの「宇宙戦艦ヤマト」やヤマト以外の他の作品と較べても低い部類に入りませんか、ということだ。ちなみに、私は「駄作」という表現はよっぽどのことがない限り使わない。自分の中に「駄作」の明確な定義が無いからだ。まぁ「金返せ」「時間返せ」と言わずにいられない場合は、個人的な尺度では「駄作」ということになるのだろう。

 プロフェッショナル「の」仕事というのは基本的に結果の世界だ。私はプロフェッショナル「な」仕事と呼べる結果を極めて尊ぶことを基本としているだけで、「全てのプロフェッショナル『の』仕事」が「プロフェッショナル『な』仕事」とはなっていないのではないか、という極個人的な問題提起を出発点としている。

 じゃ、近いところで高評価のTVアニメとかあるの?と問われれば…「天元突破グレンラガン」かなぁ。最終話の最後にふらっと出てくるオッサンのセリフの重みとその重み自体をひらりとかわす距離感の取り方ってのは、第一話から積み重ねてきた物語があってこそ合点がいくし、説得力を持つことになるんじゃないかなぁ。あ、全然最近の作品じゃないですね。

2013/06/08

近況、五度。

  • 現在の抗うつ薬は合っているみたいで日中はかなり好調。一方、睡眠導入剤はなんか効き目が無くなってきたみたいで早朝覚醒が再発、毎日昼間が眠い。酷くなるようなら来週は病院に行こう。
  • 昨日は人間ドック。身長は1cm伸びた(笑)。血中のコレステロール値がやはり高いが、体脂肪率は昨年より低下して20%を切る。まぁ、昨年が酷過ぎたといえば酷過ぎた。
  • 職場の課内会議で課長曰く、
    「分からないことを分からないままとする人が多い、『~的』という表現を使う人はきっと分かってない。
    さすが、分かってらっしゃる。
  • 同僚の一人がいつまで経っても「誤差」の本質的なところを理解してくれない。まだ若いのに頭が固いのか、頭の良い人にありがちな一種のグズなのか。早く一皮剥けないと今の職場には居られないよ、マジで。同世代のデキる人間にはもうプロフェッショナル×プロフェッショナルという立ち位置で接しているんだけど、そこら辺は気付いてるかな?あせらず、慌てず、単純に自分を変えていこうよ。
    俺はまだまだ変わるよ。
  • 愛用のDAWアプリ Cubaseをバージョン6から7へ発売から半年遅れでアップグレード。遅れた理由は「勘違い」。競合製品Sonar X2のX1からの変更点をネットで調べた際、とにかく使いにくそうとの印象を持ったのだが、何時の間にやらCubaseの変更点と頭の中でごっちゃにしていたのだ。
    アップグレード後の最初の起動でカラースキームの変更に愕然、お世辞に見易い配色とは言えない。だが、新しいミキサーは良い、というか私の使い方なら絶対こちらの方が便利だ。イコライザーにリアルタイムにスペクトラムが表示されるのも便利。
    ちなみにバージョン7.0.4にアップデートするとカラースキームは穏当なところに変更される。やはりバージョン7のカラースキームは評判が悪かったんだろうなぁ。
    Win 64bitでまだバージョン6を使ってるなら、バージョン7へのアップグレードを真面目にお勧めする。チャンネル読み込みや動作全般はむしろ軽くなってるよ。

2013/06/07

奥さん、論文査読お願いします。:アフターサービス

 さて、査読したうえで私が「掲載不可」と回答した論文が、某学会の論文誌に最近になって掲載された。何処をどう直したのか気になって、面白くないことは知りつつも内容をチェックした。というか、タイトルが査読時と同じで馬鹿丸出しのままだったので、何が起きたのかを確認する必要があったというのが正しい。

 結論から言うと、論旨破綻は解決されておらず、論文としては失格だ。このような論文が掲載されたという事実は、論文の出来を遥かに超えた高いレベルの問題を浮き彫りにしたと言える。

 論文では、ある現象をモデル化する際に、「パレメータAの影響は無視できる」と仮定した上で独自のモデルパラメータを決めている。まぁ、ここまでは良い。実際にパラメータAの効果が小さいのは40年以上にわたる試験データの積み重ねから明確だ。問題は、「開発したモデルは、パラメータAの影響を*%以内で予測できる。」と結論に誇らしげに書いていること。はい~(↑)?

 百歩譲っても、執筆者は技術的或いは科学的な見地からは「馬鹿」である。

 纏めると、
  • この論文の主筆者は(自粛)だ。名前は覚えたぞ。
  • この論文の連名者は(自粛)だ。良く知ってるぞ。(自粛)先生、あなたの名前を連名にして、酷い論文が出されましたよ、知ってますか?
  • この論文誌の担当編集委員は(自粛)だ。そんなんじゃだめだよ、ちゃんと査読手順に従わなきゃ。査読時の著者への質問の回答を、私は見せてもらってないぞ。
  • この論文を掲載した論文誌は、日本のごく一部でではあるが大きく信頼を下げた。今後、商売上の価値がない限り、私はこの論文誌には論文を投稿しないだろう。
って辺りだ。
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 このブログを読んでる人は、私を「直ぐに他人を馬鹿扱いする」人間と思うかもしれない。しかし、とある女性に「人の悪口をほとんど言わない珍しい人、人の良いところを見つけるのが上手いよね。」とまで言われたことがある、という事実は明記しておこう。私が「馬鹿」と呼ぶ相手は、本当にどこに出しても「恥ずかしいぐらい底抜けの」馬鹿だと思ってもらっていい。

 とはいえ「馬鹿、馬鹿言う奴が馬鹿。」というのも世の理の一端を上手く捉えている。「馬鹿」という表現を使うことで楽しちゃいかん、と言うことだ。ここはきっちり反省した上で、今後の姿勢を明確にしておこう。

 本エントリでの文脈における「馬鹿」は、「研究者失格」や「技術屋失格」とでも言い換え可能で、「プロフェッショナルでなければならない人間がプロフェッショナルではない行動、言動を取ることで良しとしており、かつ、それを当人が自覚できていないとしか見えない」状態を指す。個人的には「自覚の有無」がとても重要で、多少なりとも自覚があればそれだけで将来に期待して良いし、「馬鹿」と呼ぼうなんて思いもしない。

 また、今後書かれるブログエントリでは、「馬鹿」という表現は「馬鹿としか表現できない」場合しか使わないことにしよう。これまでのブログエントリにおける大部分の「馬鹿」は、「プロ作家失格」「プロクリエーター失格」などのように、文脈に沿っての上記の考え方に従う解釈をお願いしたい。もちろん、これまでも、これからも本ブログで個人の人格を攻撃することは有り得ない。この点、明言するとともにご理解を重ねてお願いしたい。