近況です。
年度末進行で仕事がエラいことになっているところに、名のある先生の研究室の学生がエラく困った内容のペーパーを国際会議にサブミット、とばっちりでこっちまでさらにエラいことになってます。引用文献ぐらいちゃんと全部書け!他人の論文のグラフに間違いがないか位は自分で確認しろ(電卓と時間が10分もあれば横軸の数値が間違ってることは定量的に確認できる、専門家なら縦軸か横軸の少なくとも一方がおかしいことは一目で分かる)!!査読者は何やってんだ!!!
ま、結論はオレの考えと同じではあるのだが、ものには言い方というものがあるし、学究の場にだってそれなりに仁義の切り方というものもある。
もはや何周遅れか?「水曜どうでしょう」の未見エピソードを友人の協力あって視聴中。面白いのだが、観て笑っているだけというのは休日の過ごし方としても余りに非生産的。とは言え、未だ投薬で気分を持ちあげている状態では、豪快に疲れる3DCGモデリングは無理。今後もしばらくは封印。
1年ほどちまちま一から組んでいた"Bizarre Love Triangle/New Order"のオケが80%ぐらいの完成度、取り合えずVocaloid Editorを立ち上げてみよう。
2013/03/20
2013/03/09
GyaoでTVシリーズ「うる星やつら」の第一話を観る
タイトルの通りです。映画監督になる遥か前の押井守氏がチーフディレクターを務めた作品ですね。
デジタルリマスター版とかいう話なので、第一話に関しては「乳首」が残されているかを気にしつつ視聴しました。はい、残ってました。
TVシリーズ初期の「うる星やつら」と言えば、OPとED、小林泉美氏の曲と南家講二氏のアニメとのコラボの半端ない素晴らしさが光ります。タイトルロゴの後にまずピンク色を持ってくる南家氏のセンスには今観てもシビレます。キャラ達の動きも小林氏の曲のリズムを上手く活かしていて、相乗効果の良い見本じゃないかと思いますよ、ええ。
小林氏の曲はリズムにクセがあるものが多く(時に変態的)、ビートはジャストを基本をしつつも「やっぱちょっと跳ねてないかい?」といった感じを曲全体で出すのが上手い印象があります。作曲家として、キーボディストとして、そしてシンガーとして、間違いなく私の中のエバーグリーンの一人。小林氏はキティフィルム繋がりで鶴見辰吾氏主演の映画「翔んだカップル」の音楽も担当、サントラ盤は良質のインストテクノポップアルバムの感すらあります。
まぁ、ザラつき感も無いけど芯も無い「如何にもフェアライトCMIって音が好き」っていうのもあるんですが。敢えて名づけるなら「8ビットチップチューン」(ファミコンは実は4ビットだったらしいが)ならぬ「擬似16ビットチップチューン」(モトローラ6800/8ビットCPU×2台)みたいな。
「翔んだカップル」と「フェアライトCMI」、どっちも分かる人って今の日本にどれくらいいるのかなぁ(笑)
デジタルリマスター版とかいう話なので、第一話に関しては「乳首」が残されているかを気にしつつ視聴しました。はい、残ってました。
TVシリーズ初期の「うる星やつら」と言えば、OPとED、小林泉美氏の曲と南家講二氏のアニメとのコラボの半端ない素晴らしさが光ります。タイトルロゴの後にまずピンク色を持ってくる南家氏のセンスには今観てもシビレます。キャラ達の動きも小林氏の曲のリズムを上手く活かしていて、相乗効果の良い見本じゃないかと思いますよ、ええ。
小林氏の曲はリズムにクセがあるものが多く(時に変態的)、ビートはジャストを基本をしつつも「やっぱちょっと跳ねてないかい?」といった感じを曲全体で出すのが上手い印象があります。作曲家として、キーボディストとして、そしてシンガーとして、間違いなく私の中のエバーグリーンの一人。小林氏はキティフィルム繋がりで鶴見辰吾氏主演の映画「翔んだカップル」の音楽も担当、サントラ盤は良質のインストテクノポップアルバムの感すらあります。
まぁ、ザラつき感も無いけど芯も無い「如何にもフェアライトCMIって音が好き」っていうのもあるんですが。敢えて名づけるなら「8ビットチップチューン」(ファミコンは実は4ビットだったらしいが)ならぬ「擬似16ビットチップチューン」(モトローラ6800/8ビットCPU×2台)みたいな。
「翔んだカップル」と「フェアライトCMI」、どっちも分かる人って今の日本にどれくらいいるのかなぁ(笑)
2013/01/07
NHK大河ドラマ「八重の桜」、初回観ましたよ。
冒頭の一連のシーケンス、銃発砲時の反動感の無さは特筆モノ。CGの外し感も半端無く、演出不在感があってかなりマズい感じ。
銃の描写にフェティッシュ感が必要とは言わないが、それが皆無にすら見えるという辺りは意図ある演出なのだろうか。衣装にそれなりに凝っていて奇麗でもあるため、登場人物がどうしても人形然としてしまう。せめて「当たりそうに見える」銃の構え方ぐらいはさせるべきだ。弾丸が当たる側の描写もおざなりになりそうで、ちょっとばっかり今後が怖い。銃は相手を殺し得る武器であるものの物語上の重要アイテムでもあるわけで、銃(や人の生き死に)の描写の演出上の取り扱いは作品の品位にも関わると思うのだが今後は如何に。
オープニング曲の最後のフレーズで映画「王立宇宙軍」をふと思い出す。ググッてみると「テーマ音楽:坂本龍一」、成程。
銃の描写にフェティッシュ感が必要とは言わないが、それが皆無にすら見えるという辺りは意図ある演出なのだろうか。衣装にそれなりに凝っていて奇麗でもあるため、登場人物がどうしても人形然としてしまう。せめて「当たりそうに見える」銃の構え方ぐらいはさせるべきだ。弾丸が当たる側の描写もおざなりになりそうで、ちょっとばっかり今後が怖い。銃は相手を殺し得る武器であるものの物語上の重要アイテムでもあるわけで、銃(や人の生き死に)の描写の演出上の取り扱いは作品の品位にも関わると思うのだが今後は如何に。
オープニング曲の最後のフレーズで映画「王立宇宙軍」をふと思い出す。ググッてみると「テーマ音楽:坂本龍一」、成程。
2012/09/04
結局「SHERLOCK」の何処が好きなの?、という話
さて、日本でもシリーズ1、2がTV放映された「SHERLOCK」ですが、結局のところ何処が好きなの?、という友人からの質問への回答が以下。たまたまココに来てしまった奇特な方にはただただすいません。
「SHERLOCK」は観る側に緊張を要求する。伏線自体や伏線の回収に関わる「情報」、ストーリーの根幹に関わる「情報」など、とにかく「情報」を明確にカット内やセリフで示す。ただし、「情報」を含むカットは特別扱いされることなく、それまで通りのペースで次のカットへと繋がれる。セリフも一言二言で、当然劇中の人物がしゃべるはずの無い説明的なセリフは使われない。さらに恐ろしいことに、伏線にもストーリーにも関係ない、ノイズとでも言うべき余分な「情報」までが散りばめられる。いったん「情報」の埋め込みを意識するようになると、1カットも見逃せない、さりげないセリフも聞き逃したくない、と画面に集中せざるを得なくなる。カットは登場人物の主観的視点、第三者的視点の間を飄々と行き来し、時として視聴者は(少なくとも僕は)登場人物といっしょにノイズにころっと騙される。騙されたと気付いた時には否応なく一瞬緊張が緩む。が、待て々々、本当に騙されたのか?緩んでる場合か?カットは相変わらずのペースで積み重ねられ続ける。
劇展開の時間軸上で「情報」の密度が瞬間的に跳ねあがり、時に先の「情報」へとリンクする。僕の感じるところ、少なくとも「情報」を提示する順番は極めて計算されている。「ストーリー展開を破綻させることなく視聴者も謎解きに参加させるが如く有りのままの「情報」を何気に次々と提示する構成」が、僕にとっての「SHERLOCK」の大きな魅力だ。
実はシリーズ1の第1話は、何の予備知識もなくただチャンネルを合わせ、しかもVF-1Aのメッシュを編集しながら観たものだ。それでも第1話が面白くて次回の放送を楽しみに待った。第2話を観て、上記のような緊張感を持って観るという観方もあるぞ、と気付いた。で第3話なんだけど、「クリフハンガー状態でシリーズ1終了です。」の衝撃が大き過ぎた。おい、僕はまだちゃんと観てないよ!
結局、僕は制作側の意図するところに上手く転がされ続けた有難い視聴者、ということになるのかも知れない。でもそれは一視聴者としては幸せということでもあり得る。シリーズ2だけでなく、先行したシリーズ1の再放送もとにかく楽しめた。「深い」などと言うつもりは全くないけど、ながらで観てもじっくり観ても面白かったというTV番組はそうそう無い。
I'm SHERLocked.ってことで、取り合えずこの場は。
シリーズ2第3話の最後にシャーロックが使ったトリックに関して、制作側から「視聴者の多くが重要な伏線を見落としている」といった発言が有ったとか。個人的にはアレかな、と思うところも有るけれど果たして…。
最後に音楽が良い! って言うか、特定の曲で何故だか凄く心安らぐ。就寝時に聞くと病院で処方してもらった「気持ちを落ち着かせる薬」よりも効いてるんじゃないかと思うぐらいスッと寝付けるんですよ、これが。
「SHERLOCK」は観る側に緊張を要求する。伏線自体や伏線の回収に関わる「情報」、ストーリーの根幹に関わる「情報」など、とにかく「情報」を明確にカット内やセリフで示す。ただし、「情報」を含むカットは特別扱いされることなく、それまで通りのペースで次のカットへと繋がれる。セリフも一言二言で、当然劇中の人物がしゃべるはずの無い説明的なセリフは使われない。さらに恐ろしいことに、伏線にもストーリーにも関係ない、ノイズとでも言うべき余分な「情報」までが散りばめられる。いったん「情報」の埋め込みを意識するようになると、1カットも見逃せない、さりげないセリフも聞き逃したくない、と画面に集中せざるを得なくなる。カットは登場人物の主観的視点、第三者的視点の間を飄々と行き来し、時として視聴者は(少なくとも僕は)登場人物といっしょにノイズにころっと騙される。騙されたと気付いた時には否応なく一瞬緊張が緩む。が、待て々々、本当に騙されたのか?緩んでる場合か?カットは相変わらずのペースで積み重ねられ続ける。
劇展開の時間軸上で「情報」の密度が瞬間的に跳ねあがり、時に先の「情報」へとリンクする。僕の感じるところ、少なくとも「情報」を提示する順番は極めて計算されている。「ストーリー展開を破綻させることなく視聴者も謎解きに参加させるが如く有りのままの「情報」を何気に次々と提示する構成」が、僕にとっての「SHERLOCK」の大きな魅力だ。
実はシリーズ1の第1話は、何の予備知識もなくただチャンネルを合わせ、しかもVF-1Aのメッシュを編集しながら観たものだ。それでも第1話が面白くて次回の放送を楽しみに待った。第2話を観て、上記のような緊張感を持って観るという観方もあるぞ、と気付いた。で第3話なんだけど、「クリフハンガー状態でシリーズ1終了です。」の衝撃が大き過ぎた。おい、僕はまだちゃんと観てないよ!
結局、僕は制作側の意図するところに上手く転がされ続けた有難い視聴者、ということになるのかも知れない。でもそれは一視聴者としては幸せということでもあり得る。シリーズ2だけでなく、先行したシリーズ1の再放送もとにかく楽しめた。「深い」などと言うつもりは全くないけど、ながらで観てもじっくり観ても面白かったというTV番組はそうそう無い。
I'm SHERLocked.ってことで、取り合えずこの場は。
シリーズ2第3話の最後にシャーロックが使ったトリックに関して、制作側から「視聴者の多くが重要な伏線を見落としている」といった発言が有ったとか。個人的にはアレかな、と思うところも有るけれど果たして…。
最後に音楽が良い! って言うか、特定の曲で何故だか凄く心安らぐ。就寝時に聞くと病院で処方してもらった「気持ちを落ち着かせる薬」よりも効いてるんじゃないかと思うぐらいスッと寝付けるんですよ、これが。
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