2012/09/04

結局「SHERLOCK」の何処が好きなの?、という話

 さて、日本でもシリーズ1、2がTV放映された「SHERLOCK」ですが、結局のところ何処が好きなの?、という友人からの質問への回答が以下たまたまココに来てしまった奇特な方にはただただすいません。

 「SHERLOCK」は観る側に緊張を要求する。伏線自体や伏線の回収に関わる「情報」、ストーリーの根幹に関わる「情報」など、とにかく「情報」を明確にカット内やセリフで示す。ただし、「情報」を含むカットは特別扱いされることなく、それまで通りのペースで次のカットへと繋がれる。セリフも一言二言で、当然劇中の人物がしゃべるはずの無い説明的なセリフは使われない。さらに恐ろしいことに、伏線にもストーリーにも関係ない、ノイズとでも言うべき余分な「情報」までが散りばめられる。いったん「情報」の埋め込みを意識するようになると、1カットも見逃せない、さりげないセリフも聞き逃したくない、と画面に集中せざるを得なくなる。カットは登場人物の主観的視点、第三者的視点の間を飄々と行き来し、時として視聴者は(少なくとも僕は)登場人物といっしょにノイズにころっと騙される。騙されたと気付いた時には否応なく一瞬緊張が緩む。が、待て々々、本当に騙されたのか?緩んでる場合か?カットは相変わらずのペースで積み重ねられ続ける。

 劇展開の時間軸上で「情報」の密度が瞬間的に跳ねあがり、時に先の「情報」へとリンクする。僕の感じるところ、少なくとも「情報」を提示する順番は極めて計算されている。「ストーリー展開を破綻させることなく視聴者も謎解きに参加させるが如く有りのままの「情報」を何気に次々と提示する構成」が、僕にとっての「SHERLOCK」の大きな魅力だ。

 実はシリーズ1の第1話は、何の予備知識もなくただチャンネルを合わせ、しかもVF-1Aのメッシュを編集しながら観たものだ。それでも第1話が面白くて次回の放送を楽しみに待った。第2話を観て、上記のような緊張感を持って観るという観方もあるぞ、と気付いた。で第3話なんだけど、「クリフハンガー状態でシリーズ1終了です。」の衝撃が大き過ぎた。おい、僕はまだちゃんと観てないよ!

 結局、僕は制作側の意図するところに上手く転がされ続けた有難い視聴者、ということになるのかも知れない。でもそれは一視聴者としては幸せということでもあり得る。シリーズ2だけでなく、先行したシリーズ1の再放送もとにかく楽しめた。「深い」などと言うつもりは全くないけど、ながらで観てもじっくり観ても面白かったというTV番組はそうそう無い。

 I'm SHERLocked.ってことで、取り合えずこの場は。

 シリーズ2第3話の最後にシャーロックが使ったトリックに関して、制作側から「視聴者の多くが重要な伏線を見落としている」といった発言が有ったとか。個人的にはアレかな、と思うところも有るけれど果たして…。

 最後に音楽が良い! って言うか、特定の曲で何故だか凄く心安らぐ。就寝時に聞くと病院で処方してもらった「気持ちを落ち着かせる薬」よりも効いてるんじゃないかと思うぐらいスッと寝付けるんですよ、これが。

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