2018/12/05

Midnight, Stars and You

 さて入院していた件は先のエントリに書いた通りだが、入院中昼間はずっと「キューブリック全書」(フィルムアート社)という本を読んでいた。入院時にたまたまカバンの中にあった唯一の本だったためで、文字通り十回以上読み返すことになる。ちなみにカバンの中の本は「中国文化大革命の大宣伝(上・下)」(芸術新聞社)となっていた可能性もあった。となると、このエントリは書かれなかっただろう・・・まぁ、別に感慨深くもないけど。

 あ、キューブリックとは映画監督のスタンリー・キューブリック氏のことです。おそらく「2001年宇宙の旅」が最も有名でしょうが、個人的には「博士の異常な愛情」「フルメタル・ジャケット」「現金に体を張れ」を推しますよ。

 一方、「シャイニング」は未だに個人的評価に困ってしまう一作です。まぁ、原作(もちろん日本語訳)を全く面白いと思えないのも影響しているでしょう。そんな中、映画中で(古の)ダンスミュージック"Midnight, Stars and You"が使われたのには当時劇場でにんまりしたものです。小学校高学年のころはスイングジャズから入って、古いダンスミュージックをラジオでたくさん聞いていました。 "Midnight, Stars and You"はそんな時代からのお気に入りだったんですね。

 オリジナル楽曲に映画「シャイニング」からのカットなど使った動画。"All work and no play makes Jack a dull boy." (働いてばかりで遊ばないからジャックはつまらない奴(ダルい奴)になる。)という文字列が延々繰り返されるカットの意味が分からない人は是非映画を観て、どうぞ。知ってる人も「タイプミスが無い!」とか言わないように。
 Youtube上で見つけたオリジナル以外ではこれが良かった(ちゃんと踊れそう)っすね。要は
がちゃんとできてるかなんですけどね。
 

2018/12/02

生きるだけでも結構大変

 先月中旬、ついに倒れて入院した。原因は睡眠不足、突然1日2時間の浅い睡眠しかとれなくなって5日でダウン、たまたま病院の診療日だったので私の状態を見かねた主治医の判断で急遽入院となった。結局ほぼ半月入院していたことになる。

 前回のエントリの日付は8月初旬、それから色々あった。まず睡眠時間が6時間以上取れなくなり、耐性と身体依存性ができたのか特定の薬が効かなくなってきた。薬に耐性ができてしまうと同じ効果を期待するためには使用量を増やすしかないが、短いとは言え睡眠時間自体は安定(一定)だったのでむしろ減らすこととした。薬を減らすのは変だと思うかもしれないが、これら特定の薬は寝付きは良くするものの、睡眠の質(深さ)は下げてしまう。つまり、睡眠時間が制限されているならば、寝付きが悪くならない範囲ではむしろ減らした方が睡眠の質を向上できる可能性がある訳だ。

 が、これらの薬の使用量を下げること自体が極めて困難なことが分かった。それを知り、身をもって体験し始めたのがお盆のころである。もはやブログどころではなくなった。具体的な話は省略するが、キーワードとしてベンゾジアゼピン離脱症候群を挙げておく。その離脱(使用中止、使用量低減)の難しさや耐性形成後の副作用の多さなどから、英国などでは90年代に既に使用期間の制限が導入された薬に対して、未だにその種の制限が設けられていない日本の薬事行政には明らかに問題がある(昨年度に注意喚起が出、それら薬から他の薬に変更することに対する制度上のインセンティブはあるが・・・)。

 さて、急激な睡眠時間の減少は特定の薬の量を約1/2まで低減できた時期に発生した。2ヵ月以上にわたって減薬に伴う様々な不調と戦ってきたが、急激な睡眠時間の減少は一種のちゃぶ台返しとなり、薬の使用量はむしろ増えて減薬は元の木阿弥となった。「正直、命に係わる」と思った状況下では致し方ない結果とは言える。

 減薬や耐性形成による副作用は多様だ。光や音の刺激に対して過敏になった。耳鳴りがする。目はかすむ。頭は回らない・集中できない。記憶がおかしくなる。という訳で車は運転できない、音楽すら聴くのが苦痛、ネット上の動画やTVも観るのが苦痛、PCでゲームなんて無理、そして仕事にも色々と問題を生じている。

  現在の私の脳、身体は「眠気」を完全に忘れている。「眠気」を感じないので睡眠不足で身体に様々な変調が出ていようが眠ろうとしないのだ。「遺伝性のアレだったら余命一カ月だわな」「体内時計が変になっているだけだとは思うけどね」とは主治医の弁であるが、どこまで本当なのやら。
 
 この約3ヵ月で生活は全く別物になってしまった。生きているだけでもめっけもの、少なくとも暫くは「薬による睡眠頼み」で命を繋ぐこととなる。

 とは言え家族、職場の一部の人間などは私の病状を気にかけ、回復を願ってくれている。有り難い事だ。

 人生、明るい面だけ常に見ていこう!"Always Look On The Bright Side Of Life"・・・てか


これはかの地震後、電気復旧と同時に作り始めたもの。あれもね、結構大変でした・・・

2018/08/09

さすがにクスってなった

 下の曲を聴いていて、さすがにクスってなりました。

  まぁ、音色の種類を絞っていけば似たフレーズが現れるのはプロの作品でも不可避だし、30年以上色々な音楽を聴いてきた人なら失笑不可避なパクリをプロだって堂々とやっちゃうことがある時代になっちゃいましたしね・・・

 どっちが先なんだっけ?

 あ、体調はですね、当然言葉のあやなんですが「健康だったらほかに何もいらない」ってくらいきついです、とにかくちゃんと眠りたいなぁ・・・

 さて完全な別件で、かつ何を今更なのですが、「ポプテピピック」のアニメ化にあたり制作のキングレコードの収益モデルが全く分かりませんでした。どうやら「~風(なになにふう)」の楽曲を多数制作・販売するという収益モデルだった、というのが現状の理解です。

 「ちゃんと分かってる人達」が楽曲制作したとみえ、パクリ感とはほぼ無縁の見事なまでの高品質「~風」楽曲を取りそろえられていたと思います。正直、完成度には唸らされました(←何様?)。が、見事に「~風」であるが故の宿命として、それら楽曲には悲しいかなオリジナリティが宿ることがありません。と言うか、オリジナリティを与えないことが高品質「~風」を得る方法なのです。これはとても難しく、技術、知識、素養が求められる作業でしょう。「ちゃんと分かってる」とは、それら要求事項をきっちり備え、かつ作業を遂行できる能力も持つ、という意味です。

 「~風」極振りはオリジナルとの対比においてのみ面白味などの何かを生み出すことができます。が、オリジナリティを与えないことに成功してしまった楽曲は、そもそもオリジナルを知っている人間は1回聴けば、出来が良ければそれこそ出だしの8小節ぐらい聴けば、もう十分お腹いっぱいになってしまいます。消費し尽くしたことになるので自らの意思で2回目を聴くことはありませんし、楽曲単体にお金を払うこともありません。聴くならオリジナルなのです。私にとって高品質「~風」楽曲は単体では無価値です。実際、「再放送」で同じ楽曲を聴かされることにウンザリしたことは二度や三度ではありませんでした。時間の無駄です。

  それら高品質「~風」楽曲群、オリジナルを知らない人達にとってはどんな位置付けになっているんでしょうか、或いはどんな聴かれ方をしたんでしょうねぇ・・・

2018/07/22

今月の体調(2)

 体調が悪いと言うべきか、薬との相性が悪いと言うべきか。

 不眠症は継続中だ。「あと1時間寝られれば・・・」という状況は2、3日なら体が疲れるだけだが、3ヵ月も続けば精神活動や思考への影響は計り知れない。休日も大半は横になって動かず過ごす(文字通り不眠症なので昼寝はできないが、目を瞑ってじっとしていれば多少はね・・・)ようになってしまう。

 なので、薬。「あと1時間寝られれば・・・」という状況まで持っていけるベースの投薬メニューが確立できてから約1ヵ月、後は微調整で済むかとも思えばさにあらず、むしろその後の方が身体や精神へのダメージが大きい。そもそも担当医の意中の薬(これで済めば筋は良かったと私も思う)が合わず、異様に長時間寝てしまうので使えない、というのが躓きの始まりだ。

 先週新たに試した薬は「昼間の眠気を払う」ものの筈だったが、実際には夜の眠気を払い、昼間には耐え難い眠気をもたらした。空腹感を感じることも無く、食欲も感じなくなり、一睡もせずに丸3日間を水だけで過ごしてしまった。3日目の夜に眠れないまま水でも飲もうと冷蔵庫のドアを開けると目の前に3日分の食材が・・・状況を理解するのに数秒考えこんでしまった。試した薬の最初の投薬は食材購入も含めた買い物を済ませた後で、以降は時刻をきっちり守って投薬を続けていたようだ・・・食事すら取らずにね。

 幸い薬の効果時間が9時間と短めだったので、投薬中止で翌日夕刻にはまたもな思考ができるようにまでなったが、身体はすっかり参っていて5分も散歩すると息が切れる有様。あと、薬を飲むとまるで禁煙直後のように煙草が吸いたくてたまらなくなった。調べてみると、喫煙で誘導される化学物質と同じ物質が、薬の代謝過程で脳内で生成されるらしい。脳が喫煙後と勘違いしてしまったようだ。

 今週新たに試した薬は「眠りを深くする」もの。効果てきめんで3ケ月以上ぶりに「寝た!そして気持ち良く起きた!」を実感したのもつかの間、「起きた!」のは意識だけ、脳の大部分?と身体は眠ったままで水を飲んだりトイレに行くのにも一苦労。しかもそんな状態が投薬後から丸1日(以上)続く。今こうしてこの文章を書いているのは夜8時過ぎだが、これは昨晩の投薬量を半分にしたから可能になったと言って良い。ちなみに投薬量を半分にすると、「寝た!」感はもう全く無くなってしまい、その癖夕方6時頃まで実質動けなかった。という訳で、今回の薬も投薬中止にせざるを得ない様だ。

 うつの症状は本当に出なくなったのになぁ・・・うーん・・・

2018/07/13

今月の体調

 輪をかけて酷い。

 症状だけ見れば、不眠、ホルモンバランス不全、自律神経失調が依存関係不明のまま平行進行しているみたいだ。いみじくも会社の上長が「まるで実験場」と呼んだ如く、脳内はどう贔屓目に見ても薬品漬けと言って良い。特定の薬の服用は汗に混じる香りからすら分るほどだ。現在文章が書けるのも、新たに今日昼間用の薬を処方してもらったせいなのは間違いない。医者曰く、「まぁ、眠気を取るための覚醒剤だわな」。今晩はともかく、明日以降の生活が全くイメージできない。

 この2カ月以上は、精神的に身体的にもうつの症状はない。

 ではさきの薬が無いとどうなるかと言うと、治まらない頭痛と眠いけど一瞬として絶対眠れない半端状態が続く。短期記憶に頼った論理的思考は高速で回せるが、記憶は実質的に使えない。故に高速で回して得た複数の論理的思考結果が統合できないどころか、新しい思考を始めるとその前の思考結果の詳細は消える。もうオフィスの机上はメモ書きだらけである。

 初見の論文は続けて10回は読む(2回目以降は速読だが)。仕事の打合せ時は記憶だけではしゃべれないので、メモ片手に以前と同じ(と思われる)思考を改めて回しながらリアルアイムで思考結果を口にする。他人の発言内容は記憶できないので、自分の思考内に組み込んで回し続けるしかない。忘れる前に、0.5秒に一回ごとぐらいのペースで意識して記憶し直すのだ(バッファーから読み出し、同じバッファーに書き込むイメージ)。実際のところ、エクセルでのセル2つ移動に要する時間(当然アニメなどの全視覚効果はオフだ)でも記憶的には危ない。なお重要故に繰り返し記憶され続けられた内容は、どこかの段階で別の記憶域に記憶されるようだ。あと、他の人の記憶も利用するためにとにかく結論を先に口にする。思考内容がうっかり途中で失われても、「結論なんだったっけ」と周囲に聞けば高確率でリジュームできる。

 そんなことできるの?と思う方もあろうが、訓練し、おそらく必要な犠牲を払えばできる、としか言えない。うつ病をやった経験も個人的には無視できない。うつ病をやると、どうも論理的或いは厳密な思考になりがちだ。これは私だけの体験ではなく、同じ病を患った2人の知り合いも同じだ。個人的に意見だが、「いなし上手」「いいかげん」な上司は部下をうつ病などで潰しやすい。それらこそがうつを引き起こす原因となり得るが故、うつ克服後にそれらを嫌うのだ(アニメ「ひそねとまそたん」は哀れ歴史や智への理解も論理性も欠くため、このような尺度からは適当過ぎる内容故に評価の対象にすらなれないのである)。「直観的な人だなぁ、感覚的な人だなぁ」と新たな職場に行くたびに言われ続けた私が今や「論理的な人」と言われるようなるとはね。

 さて、メモを見ながらながら思考し、同時にしゃべっている時は、メモ記載の図や文字群以外の視覚情報をおそらく脳は処理していない。ある人によると、「目から光が失われ、どこを見ているのか分からなくなって不気味、眼球周りの筋肉が一切動かない」のだそうだ(トイレの鏡などで片目からすっと光が消える瞬間は自分でも見るようになった。片目だけ痙攣をおこしているだけかも知れないが、昨日は右目の光景だけ数分間サイケデリックな配色になった)。結論を先出ししているので、結論自体に問題が無ければ話は中断されずに聞いてもらえる。そもそも短い文章を積み上げていくしゃべり方だし、しゃべる量自体が少ない。

 喋りには日本語しか使えない。英論文を読んでる途中で日本語を口にすると、英論文の内容の記憶は失われる(英語は読めるものの所謂学者英語なので、使っている脳の部分は後天的に割当てたところだろう、つまり日本語とは全く別の部分を使っている)。そのせいか、英論文を読んでいる間やしゃべる気が無さそうな時は空いている手で口きっちり塞いでいるらしい。また論文を読んでいる途中なのに視線がしょっちゅう派手に泳ぐらしい。おそらく思考中なのだろう。視線が泳いでいる間、特に何かを見ているちう意識はない。つまり、実際には何も見ておらず、記憶の中の空間内に分散配置した文章(概念)を読み直すといった脳内の視覚情報処理にでも合わせて動いている可能性が高い。

 と、なんか格好良いことを書いているように見えるかもしれないが、違う。むしろ、「皆さんが意識せずに難なくこなしている様々な思考」を「意識的にやらないとできない状態である」と考えて欲しい。

 単一の思考ループのみを回すから早いのは当たり前、皆さんは相互に依存関係がある複数の思考ループを常に回しているのだ。単一ループしか回せないということは、損得勘定や駆け引きができないし、発展的な会話もできない。概念や情報の統合、整理やまとめができないので資料作成は非効率的、分析の深さにも限界がある。細部を組み立てて全体を作ることは非効率とは言えできるが、逆は無理だ。全体は理解できるが、記憶の支援無しでは相互依存関係を維持したまま構成要素への分解はできない。たいていのゲームもできないだろうが、そもそもやろうとすら思わない。

 だから現在の私単独は、会社では役に立たない。かろうじて出番があるのは、同僚皆が忙しくて、回せる思考ループが1つか2つ不足しているからだ。このような状況は「なんかもやもやして釈然としないところが残る」という感覚の原因になりがちだ。だから、そんなもやもやを吹き飛ばせるような「提案」のために思考を回す。そういうところこそ相談してもらう。様々な人からの相談を受けた結果、一種の情報ハブとしても機能する。同僚間で話を通してみたりする。レベルがそれなりに高い同技術分野では悩み所のバリエーションはあまり多くない。結果、私が書いた単一のメモ、時に同僚の机を一周したりするわけである。

 ただこんな(ある意味恵まれた)状況が続けられるにも限界はある。なんとかしたいのだが、薬にぶん回されている状況ではなかなか能動的に手が打てない。オカルト小僧崩れで柔道もやっていたから整体、気功、鍼灸、漢方もある程度の理解の上で取り入れているけれど、ね。新しい事ができないと企業の開発エンジニアに価値はないし、そこに自らの価値を見出してきた自分自身が辛い。

 睡眠薬に対する反応が極端らしく、医者からは「めんどくさいなぁ」とか「面白いなぁ」とか言われるものの、当人には何も面白くない。まぁ、通常の睡眠効果が7時間とされる薬が18時間以上効いてしまったり(ほぼ20時間寝っぱなし)、翌日には同じ薬が1秒も効かなかったり(一睡もできず)、副作用が原理上無いとされる薬で副作用ライクなわやくちゃな反応が出たりするようでは仕方がない。なお現在使っている薬の場合、11時就寝(スイッチオフ、または気絶という感覚だ)で、約3時または約5時に覚醒(瞬間的に覚醒し、まさにスイッチオンの感覚だ)という状態で安定(?)しているものの、その後は夜11時のスイッチオフまで寝られず、昼間の状態は前述の通りである。夢を見た記憶は皆無、寝たという感覚すらも正直持てない。蕁麻疹も酷く、両手とも膨れ上がってしまってちゃんと手が握れない。もちろん車の運転なんてできない。

 さて、どうなることやら。

2018/07/02

ひそねとまそたん、終わり

 らしいっちゃらしいが、もう何も説明はしないまま終わりにしちゃうんですか。なるほど分らん。そういう方向では面白くなかった・・・のか、何か大事なものを見逃しているのか。すとんと落ちる、またはコペルニクス的転回、というカタルシスは皆無、嗚呼。

 「当たり前」を「価値観を伴うもの」ではなく「個人の単なる認識、形式的な解釈、思い込み」というレベルでしか描いていないので、人物像が薄っぺらくなるし、ひそねによる「『当たり前』の破壊」もカタルシスが無い。「価値観の破壊」なら大インパクトだが、単に「誤解が訂正された」みたいな展開ではねぇ。実際のところ、ひそねとまそたんの周りで「運命の転回」や「再生(=Re-birth、個の死の初の意識的な拒絶)」が多数発生した訳なんだけど、描き方が淡白と言うか、もったいないと言うか。

 映画や小説の「帝都物語」や「陰陽師」をご存知の方なら直ぐにお分かりの通り、こういう儀式上の「贄」は1000年以上前に「式(式神)」や「ヒトガタ」で十分に置き換えられ得る訳で、現代においてもあの形態、儀式化の進んで無さというのは1000年以上ぶりとかならともかくもやっぱり良く分らん、と言うか納得いかんと言うか。

 結局肝は鈴やんけ、誰でもええんやで、龍といっしょなら何も失うことなく帰還できるんやで(なぜか三カ月必要だが)、では尚更「生贄」が必要との説得力が無く、なんとも筋が通っていない、一貫した思想が見えない。これでは「ひそねの機能」は「神(超越者)」か「英雄」になってしまっている・・・あ、「英雄」ならアリなのか、ルーク・スカイウォーカーとアーキタイプを共有するような西洋的な英雄ではあるのだが。

 まぁ、古神道と陰陽五行思想は別物だから、道教とかも交じってるから、とか思いつつも、陰陽五行思想的・正方形+中心点のシンボル(龍達の配置)、五芒星的シンボル(祭壇、これも陰陽五行思想的?)、六芒星的シンボル(楔女銭選定儀式で用いた図版、加茂家ではなく安倍家系?)ともに使われるとか、これは何らかの混乱や適当なだけなのか意図されたものなのかどうか・・・真面目に考えたら負けっぽいですけどね。

 ひそねの帰還がイザナミの黄泉がえりとはなってなかった?(画では見せてくれてないからね)かのようなので、まずはめでたし。後はジミーとキングダム(汗)になんかあるかな、ぐらい。

2018/06/26

ミラージュGのこの手の映像は珍しい?

 さて、先のエントリでネタ的に取り扱った仏TVシリーズ?"les chevaliers du ciel"ですが、つらつらと幾つかのエピソードを眺めていたら珍しい機体を発見。試作で終わった可変後退翼戦闘機ミラージュGです。単発のせいなのか、角度によってはシルエットがミグ23に似てますね。オープニングの後、いきなり登場します。

 操縦翼面周りのアップのカットやコクピット内のカットがあったりして、下手な公開の公式記録映像よりも資料性は高いかも。なおフランス語はからっきしなので、エピソードの内容は不明です。

2018/06/25

"BEST GUY"っつーおしい奴

 映画"Best Guy"の一部シーンの動画が、なぜかYoutubeでレコメンドされました。

 "Best Guy"とは航空自衛隊を舞台とした映画です。所謂"Top Gun"もどきに分類されるでしょう。製作は東映で、大泉撮影所の壁に製作中作品としてタイトルが表示されたりして(当時、練馬区民でした)、明らかに大作扱いでした。F-15やF-1といった自衛隊の実機映像が結構てんこ盛り、領空侵犯したソ連機に対してロシア語で警告を出すシーンあり、登場するソ連戦闘機も配備開始後間もないSu-27と、シチュエーションに対する誤魔化しが少なくていろいろと説得力がありました。

 でも、合成がどーもいけなかった。ここばかりは劇場でも失笑が起きていたのを思い出します。当時は映画にもビデオ合成が使われ始めた時期で、本先でも多く使われていたと記憶しています。 精細度が足らないというのもあるのですが、当時の手法ではどうも撮影素材のスケール感が出てしまう、模型が模型に見えてしまうのです。スクリーンで見ると違和感が半端なく凄いですよ。このため、F-15の空撮シーンはとても良いのですが、ソ連機、特に大型機のカットはお世辞にも・・・ね。

 同じく模型を使った合成でも、Su-27戦闘機の画面奥行方向の動きなどはスピーディで良い味出てるし、空撮カットとの合成も意欲的だと思うのです。そして個人的には、Su-27をちゃんと出したことも高く評価しているのです。HUDの表示も良いしね。とは言え、シナリオと時折見られるセット内撮影カットの光量不足、お前らは駄目、コクピット内カットが特にダメすぎますね。

 映画"Top Gun"では「F-5戦闘機にミグなんとかを演じさせる」ことで空撮による戦闘シーンを実現しましたが、それなりに軍事に詳しい人間にとっては残念な誤魔化し、興ざめです。また、ミサイルでミグなんとかが撃墜されるカットは当時の典型的な低予算VFXの画で更に興ざめしました。屋外で撮るんですよ、まずガラス板に模型を張り付けてですね・・・安く、それなりにリアルなんですが、意欲の欠片もないつまらない画にしかならない、と言うね。

 さてCG全盛な昨今、更に兵器の無人化も進み、この種の映画が撮られる可能性は下がる一方です。下手をすると、仏映画の"Les Chevaliers du Ciel"が空撮を駆使して作られた最後の戦闘機パイロットを描いた映画になるのでは、とすら思ったりします。監督はもちろん飛行免許持ちです。流石に撃墜シーンやパリ上空のシーンはCGや合成が多用されていますが、ミラージュ2000を中心に実際のフランス空軍機が多数でてきますよ。

 あ、これは1967年ごろに制作された同名作でした、ミラージュ違いですね。こっちが、ミラージュ2000です。

 あとオマケ。8年ぐらい前に制作されたトルコ映画"Anadolu Kartalları"の予告編です。トルコ空軍の戦闘機パイロット候補生の青春群像?を描いた映画です。

 国際演習への参加が劇中最後のイベントなので撃墜シーンはありませんが、主人公がF-16でアグレッサー(仮想敵機)を担当しての模擬空戦シーンなど、逆に実機映像を使わんでなんとするか!って内容です。また劇中では、主人公ら憧れのトルコ空軍のアクロバットチーム"Türk Yıldızları"やソロアクロバット機"Solo Türk"の飛行シーンも登場します。

2018/06/24

あ、結構ふつー(続)

 アニメ「ひそねとまそたん」11話を観ていない方にとってはネタバレを含みます。

 うん、少なくとも11話終了までの描写では、「マツリゴト」が 「ゴジラ」でも引用された「禍神の鎮めの儀式の変遷過程」ともまた違った、なんか訳の分からないものと神道儀礼っぽいものとの混交物であることが分かった。「ガメラ3」が近いのかもしれないが、あれもさる筋との牽連性は思わせぶりなだけだったし、矛盾だらけだったし。何れにしても「華夷思想に合わせた日本の歴史、皇室解釈」みたいな居心地の悪さ、適当さは辛い(あれだ、欧米研究者の歴史学関係書籍で頻出する「・・・と中国の研究者は主張しているが、全ての研究者が賛同している訳ではない」ってやつに近い)。

 「ゴジラ」の場合、最初の舞台となる孤島・大戸島では、映画でも描かれているように禍神を鎮めるために雅楽の奉納が行われる。この儀式形態はかなり神道的である。一方、土俗的な鎮めの手順として、若い娘を筏に乗せて海に放つ、という風習が以前は為されたとされる。これはまごうことなく生贄の儀式であり、神道とも関連しない。

 一般的に両者がどちらも行われることは無い。理由は簡単、目的を同一としつつも、上述した通りに儀式と風習の起源が全く違うためである。生贄を伴う土俗的風習が(後からやってきた)神道的儀式に置き換えられたというのが、ありがちな歴史的流れだろう。ゴジラを作った世代の人、特に原案を担当した作家・香山滋さんなどはこの辺りがちゃんと分かっていた筈だ。もっと言えば観客の多くも分かっていた筈だ。「大魔神」シリーズでも神(大魔神)はそれが生贄は求めない(生贄の代替である兵士型の埴輪の形をした御神体が生贄を求めるとか、なんという有り得ないシチュエーションか)。

 そもそも、生贄を伴う土俗的風習にも発生起源がある筈だ。時代の推移とともに数を減らしつつも、大戸島の周辺には以前から後にゴジラとなる生物群が生息していた。生物群の食料は回遊魚だが、回遊量が少ない年には漁師の船が襲われたり、大戸島へ上陸して家畜や住民すら襲うこともあったかもしれない。そんな状況下で漁獲量が少ない年に筏で生贄を海へ送り出すことを繰り返したところ、生物群による被害の低減や根絶といった実効がみられたため、生贄は土俗風習化した。その後も風習は続くが、おそらく件の生物数の更なる減少を原因として、風習の実行性は実は失われていた(不要になっていた)。この段階まで至れば、生贄を伴う風習を「生物群を禍神と見做し(宗教普及のためにそういうことにして)、それらを鎮めるための雅楽の奉納」に置き換えてもなんら実害は生じない・・・実益は土俗宗教の神道化、神道の勢力拡大くらいである。そして生贄の風習が失われて幾星霜、「ゴジラ」登場直前までの日常が形成された訳だ。生物群はひっそりと絶滅していた、或いは絶滅する筈だった。が、核兵器開発競争が全てを変える。それが「ゴジラ」という物語のスタートラインだ。

 劇中、ジョアおばさんは「生贄」という表現を使う、「人柱ですらなかったのか」と正直驚かされた。「柱」は神の数を数える時の単位でもあることから分るように、神扱いとして祀る対象ともなる。個人的理解では神道的には人柱もアウト、生贄は論外。まぁ、「楔女が人柱である必然性すら否定した」先行するエントリの妄想内容は壊滅的に大外ししたということになる。

 いやはや、「マツリゴト」にこれほど神道色が無いとは思わなかった。「龍が出てくるんだからしょうがない」と言ってもね、宮内庁の名前を引っ張り出してまでこれはどうなのかな。宮内庁の登場は「生贄」や「人柱」の封印宣言と解釈していたのでどう持っていくのか楽しみでね(生贄は安易すぎるでしょ?)、どちらも神道とはなじまないので・・・と12話で大逆転ですか!?(まだ諦めていない)

2018/06/20

音楽と香りの好みは誰だって激しい

 Snail's House さんの ".-。:+*mal d'amour.。:+*"という楽曲が昨日Youtubeにアップされていた。聴いてみたけど残念、"Pixel Galaxy”みたいにお気に入りにはならなかった。基本アップされれば必ずチェックするので、プロモーション込みであろうがなかろうがアップ自体は有り難い。一応収入もある大人なので、気に入った楽曲が商品として販売されていればちゃんと買うしね。
  ホント、音楽の好みってのは激しい癖に、自分自身でもどういう判断基準に基づいているのか全く分からない。ビル・エバンズトリオの"Waltz for Debby"は"Take2”は大好きなのだが、"Take1"は12~13秒間のある区間を除くと退屈で退屈で聴いていられない。音の響きやタイミングの違いは明らかに分かるのだが、一方は好きになり、他方は退屈で聴いてられない理由との関連なんて全く分からない。

 私はアーティスト聴きは基本的にしない。アーティストの作風は変わるものだし、そもそも好きな曲が2曲以上のアーティスト自体が少ない。

 例えば坂本龍一さんの"Thatness and Thereness"はもう個人的エバーグリーン以外の何物でもなく、「感情すら揺さぶられることがある」と言っても過言ではないぐらい好きな楽曲なのだが・・・他に好きだと言える坂本さんの楽曲は無い。ボーカルのイギー・ポップが良くて聴く"Risky"や(別エントリで触れた)カバー曲の"Free Trading"、映画「ラストエンペラー」のタイトル曲などを聴くことがあるが、それはあくまで「良い」と思う楽曲であって好きな楽曲と言う訳ではない。斯くの如く、好きなのは1人1曲なんてざらで、このままではSnail's House さんもそうなってしまいそうだ。

 とは言え例外が無い訳ではない。まず完全な例外は東海林修さん、次いで変にオカルトがかっていた時期を除く細野晴臣さん 、00年代前半のCAPSULE/中田ヤスタカさん(最近そのまんまのスタイルの海外アーティストを発見して笑う・・・CAPSULEの再現を意識したものなのか、それともスタイル自体がそのアーチストに再発見されてしまったのかは不明ですけどね。)、リプリーズ(レーベル)時代のフランク・シナトラさん・・・約3万曲のiTunesのライブラリや手元にあるレコードを眺めてもこんなもん。

  加えて、「聴きたい曲を聴きたい時に聞く」ことしかできないという面倒なタイプでもある。こんな調子なので、「定額聴き放題サービス」なんてものとの相性は最悪そうで、全然利用したいと思わない・・・そういうサービスでしか音楽が聴けなくなるとしたら、もう音楽を聴くという行為自体を止めることになるのかなぁ・・・

2018/06/18

[隣のDivisionさんがつぅ] あの男が帰ってきた(補足)

 公式に"The Division2"の情報がRedditに投稿されていた。サマリ(まとめ)はここ(英文)だが所詮サマリはサマリ、具体的な情報はリンク先のここ(英文)に書かれている・・・具体”性”は乏しいけどね。

  • "The Division"とは独立したゲームである
  • 初期キャンペーンのレベル上げは30まで、コンテンツ分量或いはプレイ時間は"The Division"と同等である
  • 初年度の無料アドオンは3回提供される
  • 有料アドオンもあり、そのためのプレミアムパス(シーズンパス相当?)も用意される
  • ダークゾーン2.0
  • エンドゲームでは、スキルツリーによるシグネチャーウェポンのアンロック機能が導入される。ツリーは敵勢力及び各勢力の支配地域とリンクされる
  • シャープシューターなどプレイヤーキャラの専門性の選択はレベル30到達後(以前のエントリの記述は不正確でした、でもあの男はそんな制限について何も言・・・)
  • チート対策、バレットスポンジー(敵を倒すのに弾薬がいっぱい必要)対策についてはふにゃふにゃとした意味の無い戯言だけが書かれている。なんとかしようと考えているらしい、と好意的に解釈できなくもないが、別に新しい事は一つも書かれていない。グーグル先生も翻訳に苦労しておられる 
  • ネットコード、クラフト要素に関わる言及は無し
  • ギアの取り扱いに大きな変化はないが、 プレイヤーキャラもアーマーを持つようになる(実際、E3のゲームプレイトレーラー内でプレイヤーキャラのヘルスバーにアーマーを表す白い長方形が確認できる)
  • 銃器のアップグレード方法はアンロック方式に代わる
  • バニティグッズ(見ため用グッズ)を対象としたマイクロトランザクション(ゲーム内販売)を導入する

 プレミアムパスの話、つまり有料アドオン/DLCの話は初耳でした。まぁ、それぐらいかな。

2018/06/17

Emoji、分からなすぎ

 とあるYoutube動画に海外の方から
なるEmojiをコメント頂いたのですが、意味が分からなくて困ったなぁ・・・と。

 80~90年代(The Second Summer Of LoveムーブメントとE(MDMA)の話が音楽雑誌などで同列に紹介されていた時代)が遊び盛りだった世代にとっては、「ドクロ+注射器」は「安楽死」や「死に至るような薬物乱用」のシンボルですから・・・いや、やっぱり分らん。良い意味なんですか?悪い意味なんですか?

大妄想、「ひそねとまそたん」

 今回はただの妄想。ちなみに9話段階です(追記(2018/6/19):やっと10話が見れました。ジョアおばさんの口から「想い人」という言葉が出てきてビビり、予告も一見微妙・・・さて?)。

 五行、四神がらみになるともはや宮内庁管轄になり得ない、手順が分からないからである、とオカルト好きの間では80年代には既に言われていました。

 これは、「皇室の五行関係、特に風水に関わる秘術書類を江戸幕府が江戸整備時に借り出し、そのまま返さなかった。いわんや、それら秘術書類はその後行方不明となっている」なる話があったからです。もちろん、真偽のほどは定かではありません。なお、最終的に日光東照宮に家康公を祀ったのが、上記の秘儀書類の内容に基づく最後の祀りごととも言われていました。

 秘儀書類は皇室秘伝、かつそれらに含まれる智こそ皇室の力の源泉と見做す向きには、
  • 秘儀書類を返さなかったことにより、皇室の力(特殊性)を削ぐことに成功
  • 秘術書類中の智に基づき、風水的にも治水などに優れた都市を構築
  • 秘術書類中の智に基づき、家康公による江戸幕府、都市としての江戸の守護体制を構築
という具合に、江戸幕府の皇室に対する陰湿な仕打ちと解釈する人達もいます。ちなみに中華起源でオリジナルに近い風水では火山(そもそも中華には無い)、大地震(そもそも中華には無い、広州や四川は別地域)が考慮される筈もないので、江戸同様に東京も当然これらの災害への風水的な備えは著しく貧弱なのです。そもそも湿地帯と海浜埋め立て地ですからね、河川をいじっても地震や火山噴火後の降灰、更には大量降雨に対しても脆弱です。これらもあり、個人的には香港、台湾、沖縄経由の風水/家相学が好きです。海洋、台風、地震も考慮されていますので。

 と言う背景も更にあったため、例え「まそたんが青龍に見えようとも」(嗚呼、認めるとまるで平成ガメラシリーズになってしまう・・・)、「マツリゴトが宮内庁管轄とはなり得ない」旨を以前のエントリでは述べました。うんまぁ、うまく誤魔化されていたのか、こっちが真面目に考え過ぎていたのか、とか色々あるんでしょうが。ちなみに防衛省内や自衛隊内では「防衛事務次官」を「事務次官」と省略して呼んでいるのでしょうかね?(学生、学者、チーフエンジニア・・・秘密の陰には色々な呼び名が使われますからね、再軍備宣言前のナチスドイツ、ロケット開発競争時のソビエト連邦・・・)

 で、それでもなお宮内庁管轄と言うならば、マツリゴトの起源を中華に求めず、日本で咀嚼した五行の考えに基づく手順を加えた日本起源の「祀りごと」とでも解釈するしかありません。

 ならば古事記などの国生み神話にでも起源を求めましょうか。例えば、既に劇中に登場した孤島こそが「オノゴロ島」だった・・・とかね。

 国生み神話をベースとすると、一組の男女神、イザナギノミコトとイザナミノミコト、が祀りごとに必要となりそうですね。劇中での候補は、イザナギノミコト(男神)役はほぼ決定(順当に考えれば。が、本エントリ最後まで読むと2人になります)、イザナミノミコト(女神)役は2人(順当に考えれば。が、本エントリ最後まで読むと3人になります)って感じですか。

 「祀りごと」において「男女間」の恋愛感情が「一時的にでも」許容されるのはイザナギノミコト役とイザナミノミコト役だけになります。彼らは依り代である必要はあっても、人柱となる必然性はありません。ただし「楔女」という表現はおどろおどろしいので、「楔女」の帰還は次回の「祀りごと」となる(つまり70年以上後)ぐらいのことは覚悟しないといけないかもしれません。ジョアおばさんの生きがいは「かつての想い人であった『楔女』との再会」かもしれないのです。

  対して、イザナギノミコト(男神)役は「家」が受け持ちます。つまり「祀りごと」において帰還することが前提の可能性が高いと考えられます。これはいわゆる「イザナギノミコトとイザナミノミコトとの結婚(汗」が起きないということであり、換言すれば「国生み」失敗以外の何物でもありません。イザナミノミコトは儀式として失恋を強制され、最後の最後で「黄龍/麒麟のための作られたDパイ」とでも言うべきものになります。

  ならば「祀りごと」の手順として、
  • 新たな位置にオノゴロ島、またはオノゴロ島と成り得る存在を置く
  • オノゴロ島、またはオノゴロ島と成り得る存在の上で、イザナギノミコト役とイザナミノミコト役は天御柱巡りまでの「国生み」の過程を演ずる/舞う
  • イザナギノミコト役とイザナミノミコト役は「結婚」せず、オノゴロ島、またはオノゴロ島と成り得る存在イザナミノミコト役(楔女)のみが残る
  • 文字通り「楔女」を楔とし、オノゴロ島を固定する
 という可能性が考えられます。

 「国生み」の「失敗」により、「すでに現存する日本」は破壊されたり消滅したりすることも無く安泰となります。 まぁ、自国消滅の可能性があるのなら、「祀りごと」の予算がどうのこうのという議論になる筈も無いので、そこまでラジカルな話では無いのでしょうけどね。それでもなおリスクはあります。その一つは、楔女が「儀式における自分の役割」を全うしない、むしろ拒絶する場合です。このとき黄龍/麒麟は楔女を受け入れず、望まない形での「国生み」の「失敗」するのか、逆に黄龍/麒麟は楔女を受け入れて「国生み」のプロセスが再現されたことになるのか。

 再確認。ここで言う「祀りごと」とは、「国生み」のプロセスを模して儀式化された、「国生み」とは別の、或いは全く無関係な一種の祈祷儀礼であるということ。中華から輸入した龍を用いているものの歴史的に日本で為されてきた祈祷儀礼故に「国生み」と関連付けられているが、オリジナルの(中華での)祈祷儀礼の視点からは劇中の孤島は北極星(天)の地上への転写(例えば遷都や都作りの一手順に対応するかの如き手順と言うことに過ぎず、当然儀式上の意味は全く違う)と見るべきかもしれない。まるで彗星を見ながらの占星術や、川のある古都の発掘となると必ず北斗七星や北極星に相当する地形や建築物を見つけてしまう/見つかってしまう某大陸国みたいですけどね。

 では、上記の「国生みごっこ」を前提とした場合のこの先の物語展開として、どんなことが考えられるでしょうか。まず大事なのは「ひそねとまそたん」という作品が、「今回の祀りごとが終わる」までの話なのか「最後の祀りごと」の話なのかです。

 前者については、今回の楔女の暴走によって「国生みごっこ」が成功しそうになるなど、様々にクライシスな状態が想像できますね。でも可能性が多すぎてここで書いたところでねぇ・・・と言う訳で、超妄想版の後者のケースの一例のみを書いておきましょう。
  • 「国生み」プロセスの再現は手順として完遂され、「祀りごと」は失敗する
  • 「国生み」のプロセスは完遂されるも、「国生み」自体は進行しない(=「祀りごと」失敗のペナルティは発生しない、と言うか文字取り進行しないのでペナルティ発生がペンディング状態となる)
  •  ペンディング状態におけるイザナギノミコト役とイザナミノミコト役は、ジョアおばさんと先の祀りごとにおける楔女である
 まぁ、「結婚」の意味を広く捉えましょう、最後は愛が勝つ!ってね。

 でも我ながら全然こんな感じになる気がしないのは、どこか前提が間違っているし、考えていない足りない要素もあるからでしょうね。

2018/06/12

大阪-攻殻機動隊-Cyberpunk2077

 約30年前、士郎正宗さんの大部分の漫画作品の舞台は大阪、または大阪のシミュラクラにしか見えませんでした。「攻殻機動隊」も例外ではありません。

 今回は、いつにも増して「おっさんの感想」。

 後年、押井守さんは映画「攻殻機動隊 Ghost in the Shell」の舞台のモデルに香港を選び、雑多な感じはそのままに、全く肌合いの異なる背景世界を与えました。ウィリアム・ギブスンさんのSF小説で登場したチバシティ以降、アジアンテイストを導入した近未来都市は多くの小説、漫画、はてはMPV(ゴア描写が気にならなければ、Ken IshiiさんのExtraのアニメによるMPVが良い例)で描かれましたが、それらの多くは流行のように東南アジア方面へと移動していきました。21世紀にはなりますが、例えばパオロ・バチガルピさんのSF小説「ねじまき少女」の舞台はタイですね。
 
 なお、80年代後半はアラビックSFなんて呼ばれた作品群が多数現れた時代でもあります。士郎正宗作品は言うまでも無く日本の漫画でイスラームへの言及が出始めるのもこの時期ですし、チャールズ・ストロスさんのSF小説「アッチェレランド」を読んだ時もこの時代の影響は無視できないなと思いました。

 ゲーム"Cybepunk 2077"のかなり前に公開されたティーザートレーラーはある意味スタイリッシュな出来ですが、個人的に感じたのは「どこをどう回ってなのか分からないが、銃器や武装集団の装備、車両類のデザインが'80年代後半の士郎正宗的」という点でした。いやいや、青みが買った灰色の服飾で、上半身逆三角形の体格の武装集団が出てくればOKって訳ではありませんよ。一方、背景に大阪感はほぼありません。
 そして今年のE3で公開されたストーリートレーラー、街並みや建物の構造、いかにも雑多な感じにちょっと士郎正宗さんが描いた大阪のシミュラクラにた風合いを感じてしまいました。また「ワイヤードで電脳を焼かれる」かのような描写は「攻殻機動隊」を代表するビジュアルであり、そのコピーや発展型の描写はアマチュアの小説や漫画作品の多くで目にすることができたものでした。そう、まるで30年ほど前の日本の様です。

 あ、あれは映画「ウエストワールド」へのオマージュかな?

[隣のDivisionさんがつぅ] あの男が帰ってきた

 クラス(職業、専門)は不要、アンダーグラウンドは無限のエリアバリエーション、ダークゾーンは一生遊べ、ストーリーは拡張不要、レイドなんてつまらないよインカージョンだよ、モデファイア最高・・・

そう言ってきた男がE3の舞台に帰ってきました!キャー!ジュリアーーン!!
 つたない英語力を駆使して理解した"The Division 2"の内容はと言うと、
  • ストーリーベースのキャンペーンをコアとする。
  • メインキャンペーン(「メインキャンペーン」自体の意味は不明)で、3つの専門性(シャープシューター、デモリッシオニスト(重火力?)、サバイバリスト)のいずれかをプレイヤーは選ぶ。それぞれの専門性に対して特殊武器(シグネチャーウェポン)がある。アビリティ、特殊スキルのアンロックなど専門性は発展要素を持ち、独自のプレイヤーキャラの育成や他プレイヤーとのシナジー発揮が期待できるだろう。
  • 8人のパートナー構成で挑めるレイドを導入する。 
  • 我々(開発者達)はThe Divisionの経験から多くを、とても多くを学んだ。イヤーワンではコンテンツのメジャーアップデート実施を複数回計画している。エピソード1~3の3つのDLCはそれぞれが新しいストーリー、新しいエリア、新しいアクティビティを提供する。最も重要な点は、これらDLCは完全に無料で全てのプレイヤーに提供されることだ。
という感じで、まさに"The Division"とこれまでの自分の発言の(全面に近い)否定、これまでdisってきたものも含む他作品のパクリっぽい機能の導入宣言に聞こえます。会場にも同じ思いの人が多くいたんじゃないかな?個々の内容は"FarCry"シリーズ、"Ghost Recon Wildlands"、"Destiny"シリーズ、"Assassin's Creed"シリーズ、"Rainbow Six Siege"などのゲームストラクチャー、サービス形態で既におなじみのものにしか見えません。

 まぁ、臆面があろうがなかろうが「変わることを恐れない人」には一目置きたい・・・ところですが、彼が触れていないところの方がまだまだ多いのは確実で、実はこちらの方がよっぽど爆弾っぽい気がしてなりません。DLCも規模次第で印象は変わりますし、ダークゾーンは導入されてるっぽいし。

2018/06/11

diakko・・・

 今回はアニメ「リトルウィッチアカデミア(LWA)」の登場キャラクターを知らないと分からないネタ。LWAはですね、こんな感じのアニメです(嘘ではない)。
 Youtubeがレコメンドしてきた動画のタイトル中に

diakko

なる謎の単語が。

 LWAの主人公のニックネームがアッコ/Akkoなので・・・大アッコ?いやいや 、

ダイアナ×アッコ
(Diana vs. Akko)

が正解でした。ダイアナもLWAの登場人物で、成績優秀・容姿端麗の取り巻き付き名門出身枠のキャラです。もちろん魔法対決なんかじゃありませんよ!もーそこの海外の人、何やってんですか!

 えーと、「× (vs.)」の意味が分からない人はですね、ここから先には進まないように・・・まぁ、英語が分からないこと前提の緩めなところで・・・

[隣のDivisionさんがつぅ] The Division 2 トレーラー映像来る

 E3開催も迫り、"The Division 2"のトレーラーも公開され始めました。(追記:E3でのプレゼンテーションについてはこちら

 舞台はワシントンDC、季節は初夏、プレイ動画では敵のステイタスバーの色として赤、紫、黄が確認できます。現時点でネットコードなどのバックグラウンド処理に関する技術的な情報は無く、ネットワーク経由のPvPゲームとして一皮むけるのかどうかはまだ不明です。ネットコード周りについては"Rainbow Six Siege"や過去のBFシリーズでの対応なども参考に、「3~5年前の常識的な実装」を最低限とし、よりモダンな(笑)、可能であれば20年前の"Quake"を越えるレベルのセキュアな実装をより低いレイテンシで実現して頂きたい。

 まず、ゲームプレイトレイラー。冒頭の

"Actual in-game footage, work in progress"
(開発中の実際のゲームでの映像です)

の一文が泣かせます。

 "The Division"のゲームプレイトレーラーとされたもののほぼ全ては、ゲームとは別のソフト群で作成した言わば「イメージ映像」でした。このため発売された実際のゲームの画面がトレーラーよりしょぼく、プレイヤーから非常にネガティブな評価を受けました。以降、それまで「イメージ映像」路線主体だったUbisoftのトレーラーは「開発中の実際のゲーム画面」を使う方向に一気に舵を切ります。
 プレイヤー主観のUIを極力別画面としない(通常のプレイ画面にオーバーレイ表示する)手法は「イメージ映像」で使われていた"The Division"時代からのコンセプトですが、より実装される方向ということでしょうか?ただ、地図のUIはむしろ初期コンセプトから離れましたね。

 ゲームエンジンの"Snowdrop"は相変わらず出来は良さそうです。NPCの動きはより自然になり、"Farcry5"、"Ghost Recon Wildlands"、"Assassin's Creed Origins"のNPC挙動に感じられる不自然さは感じられません。植生の処理もきれいです。

 いい意味で気になったのは水面の処理、少なくとも味方キャラクターの影がきっちり落ちており、かつ鏡面反射も取り扱っています。静的な背景("The Division"ではリリース以降も開発は動的と主張していましたが、「ヘリコプターがビルの窓に映らない」点を指摘されて以降は「沈黙」しました)だけでなく、動的なプレイヤーキャラやNPCなどの鏡面反射が処理されているとすると、これはちょいと凄いですよ。ゲーム性やプレイスタイルへの影響は大きいと思います。

 "The Division"の「イメージ映像」ではプレイヤーキャラの姿がガラスや水たまりに高頻度で映っていましたが、実際のゲームでは全く映らないというドラキュラ状態でした。反射を利用して角の先の敵の数や向き、待ち伏せの有無を調べる・・・なんてプレイへの期待は完全に裏切られました。更に"The Division"の「イメージ映像」では描かれつつ実装されなかった「壁越しの射撃によるダメージっぽいもの?」の描写も今回のトレイラーにはあります。まさか銃弾で窓のシェードとガラスが壊れる描写で終わり?

 ビルなどの角の向こうで待ち伏せている敵の姿を対面のビルのショーウィンドウの反射で確認し、角の壁越しの銃撃で倒す・・・一緒に戦ってきたエージェントが背後でプレイヤーキャラの頭に急に銃口を向ける姿が車のウィンドウに映っていて、全てプレイヤーに見えている・・・こんなゲーム、ありましたか?

 あくまで開発版の画面ですから、リリース版とは違っていても問題は無い訳ですけどね。でもリリース版にそれら機能が含まれなかった場合は「またダウングレードか!」と言われることが分かり切っている状況下、トレーラーに「そういう描写がある」のは事実で、「それら描写が見られる場所をトレーラー内の戦闘場所に意図的に選んだ」可能性も高いと見做さざるを得ません。また絵面としてはそれら以外に見るべき点は無かったことですし、鏡面反射や壁抜き射撃の機能の実装の有無はワッチしていくべき重要なポイントですよ。

 まぁ"Snowdrop"ですので、車の運転などは相変わらず出来なさそうです。あと、パッチの度に直ったり再発生したりしていたオーディオ処理周りの不具合もつぶしておいてくださいね。

 こちらは作品紹介のトレーラー。約1:30のところに
 
"but how do you save a nation, when its enemies come from within?"
(国の敵が身内(ディビジョン内)から現れた時、どうやって国を救う?)

とあります。今度も「ローグエージェント」って呼ぶのかなぁ・・・ってことですかね。

2018/06/09

ONKYOとかPioneerとか、結構実はエラいことになってた

 タイトルの話をする前にちょっとCakewalkという会社のお話。

 以前のエントリで触れたDAW、Project5や大好きソフトシンセZ3TA+2の開発、販売はCakewalk社でした。その後日本のRoland社がCakewalk社を買収、次いで米国Gibson社がRoland社からCakewalk社を買収します。この時期のGibson社の経営姿勢は割と攻撃的で、日本のONKYO(オンキヨー)社とも資本・業務提携し、同社の筆頭株主となった時期もあったようです。ところが、現在Gibson社はチャプター11適用中で、会社更生を前提として法的保護下で破産状態となってしまいました。そしてCakewalk社資産(明確な範囲は不勉強にして不明です)は現在シンガポールBandLab社が所有するに至りました。

 そんなこともあってZ3TA+2の先行きは更に暗くなってしまい、「Z3TA+2離れ」加速は喫緊の課題となってしまいました。とは言え自作音色の他ソフトシンセでの再現は、余りの数の多さとシンセ毎の特性の違い故に頓挫しつつあります・・・っつーか、今後もきっちり生き残るソフトシンセってあるんですか!って話ですよ。

 続いて、前振りです。

 ほぼうつ症状が現れなくなると同時に「音楽を聴く」ことができるようになりました。携帯音楽プレーヤーも持ち歩くようになり、この2週間程はインナーヘッドホンの新調、壊した場合のバックアップ品の購入などをやっていました。

 なお、ブログ主は如何なる分野においても「性能や作品の良し悪し」を判断できる能力を持っていないことを自負しており、実際に本ブログ中でも「良し悪し」には実質的に触れません。その代わり、「客観的事実や分析に基づく問題の有無」には煩く、「好き嫌い」は激しいとかなり面倒くさい性格であることを今回も明記しておきます。

 さて、今回のインナータイプヘッドホン(以下のヘッドホン)の新調では、経験則に基づく理由も含めて以下の項目を考慮しました。
  1. 価格は¥12,000級とする
  2. 低音ブーストを売りとする品は対象としない
  3. 価格¥12,000級ならSONY社製品は対象としない
  4. audio-technica社製品は対象としない
 まず2.は好みと聞く楽曲との関係からの制限ですね。Futureなんとか類、D&B、アシッドからクラシカル、日本民謡まで聴くような状況下では、ヘッドホン自体に明確な向き不向きがあっては困ります。

 価格帯の主な選定理由は、消耗品との割り切り、地方の量販店でも購入可能であることがまず大きいです。そして、「同一設計に基づく製品の場合、さすがの私でも¥8,000級と¥12,000級との音の違いは判り、後者の方が好みであることが多い」という経験則によります。正直、上記の音の違いの原因の多くは「音場の作り」「音の広がり感の付加と調整」であり、味付け、誤魔化し(音源が携帯音楽プレーヤーなら必要悪かもしれません)に近いものです。ただ「音場の作り」がフラットで奥行方向への広がりが感じられないと、それが原音に忠実であったとしても直ぐに耳が疲れてしまうのです。

 3.は、「同一設計に基づくSONY製品に限っては、¥8,000級と¥12,000級との音の違いが判らず、好みでもない。しかし¥12,000級と¥23,000級との音の違いは判り、後者の方が好みであることが多い。」という経験則に基づきます。最近は違うかもしれませんが、かつてのSONY社製品では意図的な音場は作らない方向性だったと思います。ですから、¥12,000級如きの製品で「本来のものに近い、作ったものではない音場の形成」を期待してはいけないということだったのかもしれません。実のところ、¥12,000級のSONY社製品でも300時間程度の慣らしで好みの音にできた場合もあるのですが、とにかく慣らしが失敗したり効果が無かったりしたケースが多すぎました。あ~、Walkmanで使えば¥12,000級でも良い感じになるんだろうか・・・これは確認要だなぁ。

 4.についてはaudio-technica社には何らの落ち度もありません。まず量販店ではSOLID BASSシリーズの取り扱いが主で2.に抵触すること、そして「audio-technicaはレコード針メーカーである」との刷り込みに私が未だ支配されており、「え?audio-technicaがヘッドホン?」となってしまうことが原因です。業務用も含め、ヘッドホン開発・製造の歴史は長く、以前に使っていた「視聴結果だけで選んだモニターヘッドホン」がaudio-technica社製だったりしたこともあるのですが、あの"○A"のロゴマークを見るとですね・・・

 結局、新調したヘッドホンはPioneer社の¥12,000級製品でした。Pioneer社製品とは我ながら驚きですが、これまで愛用してきたWoodシリーズ前の¥12,000級JVC製品に「音場の作り」が近いんですよ。Woodシリーズは¥20,000級最初期モデルに突撃したのの、余りの音の硬さにびっくり、慣らしにも失敗?した経験から今回は視聴もしませんでした。SONY社製品の¥12,000級は、現行世代もカンカンとやっぱり私の耳にはきつい音でした。

 で、やっと本題です。

 Pioneer社製品を買ったものの、パッケージボックスの文字表記が実に米国製っぽいのです。まぁ、製造は中国だよね・・・で、調べてみると・・・Pioneerブランドのヘッドホンの製造・販売は既にONKYOグループに移管、自社製造製品ラインナップから消えていたんですね、全然知りませんでした。なるほど、ONKYO社のウェブページのホームにはしっかりPioneerのロゴもあります。

 念願のマイホームを購入した際に父が最初導入したのがPioneer社のオーディオコンポーネントシステムでした。値の張るPioneer社製システムはちょっとしたステイタスでもあったのです。しかし、そんなオーディオシステムもヘッドホン同様にONKYOグループに移管済み。

 一方、ONKYO社も 結構経営が厳しいようです。東洋経済の記事「音響機器の名門「オンキヨー」が直面する危機 5期連続最終赤字で債務超過が迫りつつある」によれば、本エントリ冒頭近くで触れたGibson社のチャプター11適用が間接的にONKYO社の経営悪化に影響しているようです。ONKYO社は 相手先ブランド供給(OEM)事業を強化するとのことですが、自社ブランドが十分に確立できずにOEMにのみ頼ると三洋電機社の二の舞になる可能性もあり、楽観はできないでしょう。一方、純OEMメーカーがブランド力とそれを支えてきた技術力を強く欲し、手に入れたら・・・シャープ社の復活劇はそんな成功例に見えます。

 買収したPioneer社事業の欧州での不振は力あるブランド導入の失敗(一時的ではあるかもしれなくとも)、Gibson社倒産の影響はマイナスイメージを持たれたブランドによるまるで風評被害です。自らのブランド力を高めるか、既に手に入れたブランドの力を向上するか、それとも新たな外部ブランドを手に入れるか・・・ONKYO社はOEM戦略の拡大にもつながるようなブランド力を(再)獲得できるでしょうか。しばらくワッチしてみたいと思います。

 OEM界にはすでに巨人が何人もおり、一部はシャープ社を復活させたようにブランド力も獲得、それを確かなものとしています。ライバル達は強力ですよね。

2018/06/08

オーディオカセットテープ現る!

 仁義なき部屋大掃除を継続実施中なのですが、過日にオーディオカセットテープ2本が出てきました。今回は初老のおっさんの昔語りです。
 で、下のカセットのラベルに「亜細亜的恋」って曲名が書いてありますね。

 「アジアの恋」は「おしゃれテレビ」というユニットの楽曲で、坂本龍一さんがアルバム「Neo Geo」で「Free Trading」のタイトルでカバーしています。作曲は野見祐二さんで、アニメ「日常」の音楽を担当されてました(当時20年ぶりくらいにお名前を拝見した記憶が・・・)。
 さて、オーディオカセットテープの中身はというと、1992~93年ごろに録音した「アジアの恋」のインストカバー版です。そのころの機器構成はと言うと・・・今や一つとして手元には無いんですけどね。大学生時代のバイトは最小限にしていたのですが、音楽機器関連だけは例外的に頑張ったな~ってちょっと懐かしくなりました。

 まず録音はTASCAM PORTA ONE MTR (マルチトラックレコーダー)。
MIDIデータの再生にはYAMAHA QX5FDとKORG SQ8を同期して使いました。バイト頑張りました!
音源はまずKAWAI K1シンセ。私の大好きな丸みのある「カワイのアップライトピアノの音」が再現できる世界唯一のシンセでしょう。
次いでYAMAHA FB-1シンセユニット。FM音源丸出しの音が魅力的で、ベース音に重宝しました。
更にCASIO HT-700ポップキーボード。「芯の無い」へなちょこな音が特徴で、「芯が強すぎる」FB-01の音に被せると良い塩梅の音になりしました。バイト頑張りました!
加えてKAWAI S2000サンプラー。今回の大掃除では、サンプル音源のフロッピーディスクも多数発見されました。就職2年目の夏ボーナスで買いました。
最期はCASIO SK-1ポップサンプラー。
 残念ながらカセットテープの中身は実家に帰らないと聞けそうもありません。聴けたとしてもきっとがっかりするばかりでしょう。今やスマホレベルのハードがあれば、当時の音源よりもリッチな音が出せますし、DAWアプリも充実してますしね。

あ、結構ふつー(のぞみはまだ捨てない)

 「ひそねとまそたん」、「龍」ねぇ・・・ということで当初予測していた展開に明らかに近づいていって、う~ん、どんどん意外性の無いふつーな展開になっていくという・・・。

 私の世代は「帝都物語」が流行った時代なども経た関係で、東洋史(というか中国史という変な構造)や五経、 陰陽道に詳しかったり影響を受けた人間が、他の世代に比べれば多いのではないかと思います。私は天文(=陰陽道)、および易経と風水と神道系の祈祷(「神道祈祷体全」なる本もあったりしましてね・・・)を中心に兎に角書籍を収集し、読破し続けた過去があり、龍神信仰周りも守備範囲となります。その代わり、密教とか仏教系は全然知識がありませんし、「国家神道」などと呼ばれる意味の分からない存在は「私にとっては神道とは無関係」なので歴史・社会的な意味でしか知識はありません。あ、古事記、日本書紀、宇治拾遺などの怪異譚集、更に朝鮮半島を経由していない(つまり本来のままに近く、意図的に曲解に曲解を重ねたような変形を伴っていない)儒学もお忘れなく。

 ですので、思うにこの種の同じような(オカルティックな?)知識バックボーンを持ち、同じようなアニメ含む映像、文章作品に触れていると、似たようなアイディアに行きつく可能性は否定できないと思います。

 伝説中の巨獣の胎内に取り込まれた少女による操縦(と、服は解けちゃう♡または服着てちゃ駄目♡)までは約30年前に同人誌の漫画で私もやりましたが、(これは面白いと思った)自衛隊機への偽装とか思いつく筈も無く、当然ながら「龍」を宮内庁管轄の神事の対象とすることも考えませんでした。これは、「龍神」は禍つ神に含めずに神道外の存在とし、「神道系祈祷」の力(または礼)によって神として祀り上げると同時に、その力を封じたものとの当時の私の解釈に基づきます(所謂「国学」は学問でも無く、神道本体とも関係無いので無視)。またこの構造、実は「ゴジラ」を「禍つ神」、或いは「璽の守護神」として神道、と言うより日本の国体に関わる枠組み(ここは意図的に曖昧な表現とします)に取り込もうとした(プロのアニメ制作者を含む)とある人らのアイディアを余りに不快に思ったため、アンチテーゼとしてのアマチュアなりの抵抗の意味合いもありました。

 まぁ、「ひそねとまそたん」では「禍つ神」の存在に関する伏線が最初から張られまくっていたので、「どんどん意外性の無いふつーな展開になっていく」こと自体は十分に予想できていた訳ですが・・・ですからね、逆にそうじゃないって信じたかったんですよ・・・あ~あ、巫女まで出てきちゃいましたよ・・・

 ですので、宮内庁の登場で上記のようなかつての「ゴジラ再解釈」に近いニュアンスが「ひそねとまそたん」に加わったのは、個人的には実は結構不愉快だったりします・・・単純でつまらなく、もしかすると知が欠如しているかもしれないからです。

 映画「ゴジラ」では、最初の舞台となる大戸島でゴジラを神とみなしての雅楽や舞が行われるシーンがあります。しかし、神事として雅楽や舞の奉納と、禍封じの神道系祈祷としての雅楽や舞の奉納は全くの別物ですので注意が必要です。私の父方の実家は基本的に神道ですが、土俗宗教との混交があるため一部の祭事は変形しています。変形された祭事自体は未だ「神道の枠内」ではありますが、手順などが違う訳ですから「宮内庁の管轄」にはなり得ませんよね。

 この期に及んでは、

「ひそねとまそたん」が「ゴジラ」になりませんように

ひそねとまそたん」が「ゴジラのリメイク」と作り手が言い出しませんように

「ひそねとまそたん」が「平成ガメラ3」になりませんように

「ひそねとまそたん」が「大魔神(土俗信仰との混交、人身御供の要求)」になりませんように  

とお祈りすることぐらいしかできません・・・かの存在が「実は禍つ神では無かった、故に・・・」という展開の可能性もまだ残っている・・・きっと・・・きっと・・・ まだ・・・せめて封ずると奉ずるの違いを正しく・・・あ、「マツリゴト」に祖語が出ないとドラマにならないということは ・・・「トップをねらえ2」もやめてねお願い・・・

2018/06/02

「黒い恋人」ったぁ穏やかじゃぁねぇよなぁ

 「銀河英雄伝説 Die Neue These」はすぱーん!と切ったので、リアルタイムで追いかけているアニメシリーズは「ひぞねとまそたん」だけになりました。

 もう折り返しですか。最新回は、小ネタはともかく、本筋からみのネタはちょっと盛り込過ぎかも・・・今後急ぎ足感が出ないと良いのですが。莉々子の行動描写のケレン味具合は最新回ぐらいが好みで、無人島回の雨乞いの祈り?踊り?未満で抑え続けていただきたい。

 さてこの楽曲、「テヘペロ!」とかやっても違和感の無い声質、演技の方向性のキャラ程向いているという思いが個人的にありました。予測は、名緒(セクスィーーーーージャガー!)はそのままテンションでOK、ひそねは照れを振りきるようなひと頑張りが要(か、頑張り切れないままという方向性を意図的に狙う)、真弓は如何にものそのままのテンションで真弓流の出来(良い意味でのやってみました~やり切ってしまいました感を狙う)、という感じでした。では莉々子と絵瑠は・・・想像はできたのですが商売上はどうかなぁ・・・といった微妙なものに。

 で、最新回のED曲 Le temps de la rentrée~恋の家路(新学期)は「莉々子ver.」・・・「いやぁ、莉々子単独だとやっぱりこうなるか(こうするか)」って感じで100%良い意味でのたうち回りながら聞かせていただきました。ピンポイントで良いトコ直撃。

 一方、少なくともiTunesで購入できるCDシングル(という電子データのパッケージ)には「絵瑠ver.」がありません。これは物理的実体としてCDシングルでも変わらない様です。で、私がここで言いたいことは 、「絵瑠『単独』ver.」が欲しいっとか無いのがおかしいってことではなくて、

 この楽曲に(劇中のキャラとしての)絵瑠の声質は合わない!合わなすぎる!

という確信が私には端からあったので、もしや・・・と思ってしまったということです。すべてが善意に基づく行動や頑張りの結果であろうと、誰も幸せにならない結果が生まれ得るのがこの世界です、嗚呼。

 ちなみにパッケージはインスト込み11曲収録予定との事前情報もあった中、リリース版の収録曲数が10曲と1曲少ない事実はあるんですよ・・・誰か理由知りませんか?

p.s.
 さて、日本発紹介時には”la rentrée”を「新学期」ではなくて「帰り道」と誤訳、タイトルに”(新学期)”が付いていなかったという話は本当ですか?この辺りの真偽も誰か知りませんかねぇ?

 この話の面白いところは、「タイトルの間違いを正さず、”(新学期)”を付け加えることで間違いを誤魔化そうとした結果、エラく不自然なタイトルになった」可能性があるってところ。恥の上塗りを2回やった上で未だ、そしてこれからも恥ずかしい状態な訳です・・・ちなみにブログ主が歌詞の訳に挑んだところ「今はバカンスで会えない彼と、新学期にはいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃしちゃうんだからね!」って感じの結果を得たのですが、真相は一体・・・

2018/05/26

「ヤクルトおばちゃん」じゃなくて・・・

「ジョアおばさん」でした。あ、アニメ「ひそねとまそたん」でのことです。このエントリ中でDパイの可能性ありと触れた際に「ヤクルトおばちゃん」と呼んでます。

 ドラゴンが5匹になったら(陸軍新司偵?追加?!)空中にスモークで五輪描けますね、おばさん抜きでもDパイは既に5人いる訳ですし・・・「白い恋人たち」説、実はまだいける?

 ・・・まぁ、「あの夢」はかってはジョアおばさんの心の一部であって、ドラゴンを介してあの無人島に封じられたもの・・みたいなところではないかと解釈してますけどね。

使用DAW、見直し機会到来か?

 DAWソフトのFL Studioが20周年ということで、バージョン13~19をとばしてバージョン20となるらしい。Youtubeでも既にレビュー、新機能紹介の動画を多数見つけられる、つまり新規機能の振る舞いも含め、実際に動いている様を既に確認できるのだ。正直なところかなりにポジティブな印象を受けている。他DAWが先行して取り入れた機能を良いと思えば衒いも無く積極的に取り込む姿勢も今まで通り、バージョン20でついにMacにも対応するので更に普及が進む可能性が高い。

 FL Studioのライセンス形態は特殊だ。一度購入すればバージョンアップは無料、個人での使用である限り複数のPC/Macに同時にインストールしてよい。このようなビジネスモデルが成立するためにはFL Studioは常にユーザーを増やし続けなければならない。が、既に20周年を迎えていると言うことは、程度は不明だがそのビジネスモデルは成功しているということなのだろう。

 FL Studioはプロも含めてユーザーは多く、ネット上に蓄えられたノウハウも膨大、既にライセンスは所有済なので今後使い続けても追加費用発生は無い、なのに未だ使っているDAWはCubase・・・だからと言ってCubaseが好きだと言う訳ではないのだ。また別途、Bitwig Studioも評価中だ。

 と言う訳で、FL Studio20の登場は期せずして使用DAWの見直し機会を招いてしまった形となっている。

 さて、突然ながらここでかつて存在したDAWであるCakewalk Project5にご登場を願おう。私にとってProject5はいわば初恋のDAWとでも呼ぶべきものだ。そしてこのProject5のワークフローこそ、未だに私の理想とするワークフローに最も近いのだ。ちなみに下の動画の音声トラックはProject5による。ソフトシンセとオーディオを同時に使える私にとっては初のソフトで、Vocaloidの使用には便利だった。
 さて、Project5について多少詳しい仕様が気になる方はこのページで確認いただくとして、同ページから(勝手ながら)2枚の画像を転載させていただく。
 1枚目の画像はCubaseなどでおなじみのレイアウトに見えるが、それは見かけだけの話だ。MIDIデータやオーディオの素材は「クリップ」という単位で管理され、各トラック中の同じ色の帯状要素は同一のクリップと理解してもらって構わない。例えば1小節の長さのMIDIシーケンスを16回繰り返す場合、1小節のクリップを作成してそれを16個並べれば良い。この状態で16個中の1個のクリップを編集するとどうなるか・・・16個のクリップは「同一」のものなので編集内容は残り15個全てのクリップに反映される。またオートメーションも基本的にクリップに含める。

 2枚目の図は「グループマトリックス」と呼ばれたクリップの管理やクリップのトラック間での組み合わせの検討(アレンジの検討)のためのインターフェースで、Bitwig Studioのクリップランチャーは機能的にはこのグループマトリックスの正常進化版と言って良い。

 このような「クリップ」とそれに基づくワークフローの概念はCubaseには全く無い。そもそもCakewalkがProject5のクローズ後にリリースしたSONARにもクリップの概念が無く、更に操作性もProject5と全く変わってしまった(Project5のワークフローは多くのユーザーからは好評では無かったようだ)。このため「MIDIノートエディタの操作性がProject5に相対的に近い」という一点を実質的な理由として、私はあっさりとSONARからCubaseに乗り換えてしまったのである。

 FL Studio、Bitwig Studioともクリップの概念を持ち、特にBitwig StudioではProject5とほぼ同じワークフローも実現できるワークフローの選択幅を持つ。「ならばBitwig Studio一択ではないか」となるのが自然な流れなのだが、ここでは具体的には書かないとある2つの機能をBitwig Studioが未だ備えていないのが障害となっている、う~ん、早く導入してくれないだろうか(とか言いつつ、障害の一つはOzoneなどのマスタリング用プラグインなどでなんとかなるっちゃなる。ほぼ同じ障害を持つFL Studioでも、公開されているアマチュアのデータを見るとOzoneが刺さっていることが多く・・・っつーかOzoneを抜くと楽曲自体がふにゃふにゃで聞くに堪えられなくなるくらいにOzoneに頼り切っていることが少なく無い。Cubaseならミックスコンソールだけで・・・時間はかかるが・・・Ozone Elementが自動でやってくれるぐらいまでのことはできる)。

 他方FL Studioのクリップの概念はProject5やBitwig Studioのそれとは違う。ただし、おそらく「トラックの概念が違う」せいで「クリップの概念の範囲が違って見える」と理解するほうが妥当だろう。Project5のグループマトリックス、Bitwig Studioのクリップランチャーともに縦軸はトラックだが、FL Studioの同様のインターフェースの縦軸は音源(例えばソフトシンセ)である。

 FL Studioにおいて(実はBitwig Studioも)「クリップに含める範囲」は、「クリップが元々MIDIデータだろうがオーディオデータだろうが、クリップ中でオーディオデータに変換される。オーディオ変換後はクリップ内では処理を区別しない(そもそも区別する理由が無い)」という考えに基づいていると個人的には見る。故に、FL Studioのクリップにはエフェクターなどのオーディオデータ変換後の処理も含めることになる。

 この考え方は「素材を組み合わせる」という形のワークフローにおいてのみならず、プログラム内での処理としても極めて論理的、合理的だ。しかし、ミキサーのインターフェースが旧来のミキサー卓、つまり「Project5、Cubase、Bitwig Studioらにおけるトラックの基本概念のまさに実体、元ネタ」をただ模しているため、クリップ出力後のシグナルフロー(結線状態みたいなもの、チャンネル番号のような数字だけみせられてもねぇ・・・)が一望できず、慣れない私には物凄いストレス源となる。特に音量バランスや定位の調整のためにクリップまで戻る必要があるのは、「そうしなくても良いワークフローを使用者(私)が確立」できない限り非効率とならざるを得ない。ミキサー部だけは、他の部分の持つ論旨性、合理性とマッチングしていないのは明らかで、私にとってFL Studioが一番の選択肢とならない理由となっている。

 個人的な考えとしては、FL Studioのアーキテクチャーはノード編集型のインターフェースに向いている気がする。良い例ではないが、例えば下図は典型的なノード編集型のインターフェースである。ノードと呼ばれる各要素の入力、出力の有無、数、内容だけでなく、ノードの入出力端子間を線で接続することでノード間のシグナルフローの全てが明示化可能であるとともに、シグナルフロー自体をGUIにより編集もできる。FL Studioのワークフローの持つ論理性、合理性は、マルチトラックテープなどを使っていたデジタル化以前のワークフローと多くの点で整合しないどころか、むしろアンチテーゼと見える部分も多い。そのため、「トラックの概念そのものと言って良い旧来からのミキサー」を模したインターフェースが、他の要素とめちゃくちゃ相性が悪いのは致し方ない。失敗などとは思わ無いが、どうしようもなく中途半端なところであり、「この中途半端さが受け入れられない(私のような・・・ただし私はもう購入済なのでセールス的には貢献した側)タイプの人間」には拒絶され続けられるだろうと思う。「トラックの概念」自体は残そうが壊そうが変形しようがどうでも良いのだ。ワークフロー全体の整合性、見通しの良さの問題なのである。
  ミックスを施した後の出力を起点に出来上がり(最終出力)の調整を考える方法をトップダウン方式、ある程度作り込んだ素材を組み立てて得られた出力を起点に素材の微調整を考える方法をボトムアップ方式とするならば、Cubaseは前者、FL Studioは後者であろう。ではProject5やBitwig Studioはと言うと、実のところ「両者の良いところ取りのポテンシャルを持つが、完全な域には未だ至らず 」といった感じじゃなかろうか。

 なお私見ながら、FL Studioのワークフローにおけるノウハウは初心者でも導入し易いため、出来上がりのレベルの底上げが期待できる。が、同時に似たり寄ったりの楽曲が量産され易く(つまりFL Studioというジャンルの出現だ)、また他楽曲との差をクリップレベルだけで出そうとするために、楽曲全体のバランスが悪くなったりこけおどしの音に頼ったりと劣化版コピーも生まれがちだ。

 FL Studioのむき出しのワークフローをそのまま使うということは、出来上がりのイメージが明確にある場合に限るべきだ。センスの良し悪しが出来上がりに露骨に反映されると言いかえても良い。そういう意味で、自分のセンスに賭けることに自信の無いユーザーは、敢えてFL Studioを使わないという選択肢もあると思う。とは言え、私の見たところFL Studioのインターフェースなどが暗黙の裡に示す(だが頭空っぽにして見ればむしろむき出しに見える)ワークフロー自体は論理的故に硬直的ですらあるが、同時に頑丈で破綻しにくく無茶が効きそうだ・・・FL Studioの一つのミキサーチャンネルには最大幾つのソースの出力を送りこめるのかなぁ・・・何か起きないかなぁ。

 繰り返すが、FL Studio20の登場予告により期せずして使用DAWの見直しを意識せざるを得なくなっている。困った事に、この見直しでは対象である複数のDAWの優劣を判断する訳ではない・・・(FL Studioの持つ圧倒的なコスト優位性を無視しても)文字通り、どのDAWの良さ、特徴を選びますか、という選択の問題なのだ。


追記(2018/6/11):

 Project5(バージョン2)はWindows10でも動き、実は現在のPCにもインストールしてました(汗)。昔作ったプロジェクトファイルも発見したので、動作している状態の動画を上げておきましょう。曲はウズベクの有名な(汗)ポップス、"Yalla habibi(Ялла Хабиби)"のカバーです。なお、当時使用していたオーディオループやワンショットオーディオデータが全くインストールされていないため、アラブ系パーカッションは全滅しています。またプラグイン画面がキャプチャされていないので、マウスカーソルの挙動が不審ですね。
 なお、楽曲のオリジナルはこちら。
 さらにオマーケ。

2018/05/23

「銀河英雄伝説 Die Neue These」への不安・おそらく最終回

 カストロプ動乱、ここまでは観ておかなければならないと思っていた。キルヒアイスが艦隊指揮官として艦隊旗艦艦橋に立つからだ。キルヒアイスと言うキャラの描写に要求される(多彩なパブリックイメージを持たれつつ、どれひとつとして実態とマッチしないといった)幅、作り手は果たして見せることができただろうか。どちらかというと(実態と意図的に作られた又は作ったパブリックイメージとのギャップといった)奥行方向でのキャラ描写が要求されるヤンやラインハルトとはちょっと違うのだ。

 艦橋での第一声、張った感じの声にキルヒアイスの別の面を意識した声の演技の意図を感じ、少しばかり画面に向かって前のめりになった。が、そこまで。画作りなどの他の要素にはまるでそんな意図は感じられず、声優さんがかわいそうではないかと思ってしまった。

 動かぬキャラ、動かぬカメラアングル、旧作アニメなら1カットぐらいは歩きながらの会話もあったろうね。巨大さを出すでもなく意図が不明な戦闘艦や艦隊のCGIのライティングは相変わらず。とにかく色々とちぐはぐ、熱は無く、スタイリッシュさもなく、画作りに手間がかかりそうなカットやシーンは手も付けないというぐらいしか伝わってくる意図は無い。

 あ、艦橋での戦況表示は三次元的でしたね。原作を無視してでも、今後は三次元でお願いしたい。少なくとも私はもう21世紀を生きてるんでね。作り手の皆さんもそうでしょう?どうせ宙域によっては2次元的にならざる得ない理由(=設定)の説明なんて今まで通りしないんでしょ?80年代にだって、原作ファンはThirdyなどの初期の3Dソフトを使って、小説の描写や元ネタの先頭に基づいて艦隊状況を可視化したりしてたんですからね、別に高いハードルでもないと思いますよ。

2018/05/22

[隣のDivisionさん] いったんさらば、Ubisoft作品

 いやはや、ディビジョンテックから見たゲーム内経済の評価結果は自分でもショックを受けるほど酷いもので、The Divisionはもう冷やかすこともなかろうと再アンインストールした次第。グローバルイベントで何か得したという記憶は無いし、何より(Steam DBの数字を信じれば)ピーク時の1/10以下の数のプレイヤーも接続できないほど低性能化されたサーバー環境にはとっくの昔に萎えてしまっている。

 現状、ゲームとしてのThe Division2には一切興味は無いが、ネットコードがどうなるのかはワッチすることになろう。The Division2への取り組み方は、R6S: Operation Health(説明例、当然のようにティックレート(通信頻度)上昇への言及もある)と直に比較されることになるのは間違いない。R6Sはグラフィックよりもプレイヤーのゲーム体験の向上に気を使っている印象が強く、実際、Operation Healthとはプレイ環境やゲーム体験の改善を予定していたコンテンツ追加を延期してまで実施したものである。対してThe Division2について最初に出てきた公式情報は「グラフィックエンジンのアップデート」・・・私に言わせれば優先順位が明らかに間違っている。Steam DBの数字を信じれば、R6Sの「昨日のピークプレイヤー数」はThe Divisionの「リリース以降のピークプレイヤー数」を上回っている。そしてこの状態は既に3ケ月程続いているのだ。

 ついでに
  • FARCRY5
    感心した点が無かった昨今では稀有なゲーム、当然プレイしていて面白くもない
  • Assassin's Creed Origins
    ジャンプ距離の短縮など操作していてのそう快感が無さすぎ。3Dエンジンは最適化不足っぽい。ストーリーは無いに等しく、それでもなお「ストーリーを終わらせる」ことを放棄したことをスタッフは恥じ入るべきだ。個人的には、エジプトが場(シアター)でしかなく、文化的にエジプト独自色が薄められきったプトレマイオス朝時代を選択したのは、「エジプト時代」を押し出したいのなら失敗だと思う。プトレマイオス朝時代は、もうピラミッドに代表されるようなエジプト文化の分かりやすい部分がエジプトの人間にとっても既にエキゾチックな領域に入ってしまっている。いつもの頭でっかちぽい開発者がまたいつものように「歴史的な正確さ云々」と言うんだろうけど(プトレマイオス朝時代の記録は実質的な統治の主体であったローマ、ギリシャに多く残り、それより古い王朝に比べれば歴史研究は進み、明らかにされていることも多い)、架空のゲームキャラとクレオパトラを絡めた時点ですでに歴史改変ですからねぇ。
  • Ghost Recon Wildlands
    シナリオが緩すぎ、上級幹部キャラに「麻薬取引に関わることを余儀なくされた理由がある」なんて話を用意してもその内容は安っぽくありふれたものばかりでどうでも良い。そんな話なんて話す間も与えず額に1発、で十分な世界観のゲームではないか?実際、下級幹部以下のキャラはそういう扱いだもんね。
もアンインストールし、Ubisoft勢はPCから消えた。

 FARCRY3とGhost Recon Future Soldierは、ともに95%チャレンジング、5%理不尽ぐらいのバランスで面白かったですなぁ。

2018/05/20

さて、最近の健康状態はと言うと・・・

悪くはない、が、問題はある。

 本ブログを定期的にチェックしてくれているような有り難く奇特な方ならお気づきの通り、この1ヵ月程は明らかに投稿数が増えている。「文体のバラツキなどはあるけれど、ブログを定期的に投稿できる」ぐらいは健康状態が良いのだ。だが、投稿数の増加には別の理由もある。良いとは言っても「ブログを定期的に投稿できる」レベルなのだ。つまり、ブログを書き、投稿するのが今の限界、という訳で、趣味の再開などがあれば投稿も減ることになる(筈)。

 健康に関する現状の問題は「不眠症」、とにかく毎日あと+1時間眠りたい。ネット上で調べると、禁煙から200~300日ごろに自律神経失調と似た症状を発症する場合があり、不眠症の形で現れる人もあるとのことだった。不眠症の症状とされるのは、ざっくり以下の4つだ。
  1. 寝付けない
  2. 眠りが浅い、睡眠時間の割に寝た感じがしない
  3. 何度も目が覚める
  4. 早くに身が覚め、以降は眠れない
投薬治療内容の変更もあるが、たった2カ月程の間に主要な症状が

 1.→1.+4.→3.→2.

と変化しており、症状総なめ状態となっている。あと加えると、「どんなに眠気があっても日中は寝れない」という症状が常にある。夜間の睡眠時間の不足を昼寝などの他の手段で補えないのは実際辛く・・・いやはや、「不眠症に悩まされて続けて**年、毎日1時間ほど昼寝をすることで・・・」といった文章をネットで目にするたびに「昼寝ができて何が不眠症だぁ!」とキレてますよ、実際。休日だった昨日、今日と昼寝を試みたが結局駄目・・・これらの時間こそ、本来は掃除や趣味に使いたい時間なのだけれどね。

 あと、2.兼4.対策の薬は原理上副作用がほぼ無いのが売りなのだが、私に限っては副作用が強くて使いこなせていない。具体的には眠気が1日中抜けないのだ。ちなみに米国FDAの臨床レポートには日本の公開されている臨床報告とは異なり私と同様、同程度の副作用の報告があり、投与「翌日」の自動車運転への影響にすら言及がある。つまり、私に現れている副作用は「日本では異常、米国では普通」の範囲内にある。薬の作用時間も私の体感は米国FDAレポートの値とほぼ一致しており、日本国内で良く使われる作用時間よりも3時間程度長い。

 副作用を避けるには減薬が明らかに有効なのだが、副作用が無視できるほど減薬すると(1/4以下なのでかなりの減薬量だ)本来の効果がほとんど出なくて寝不足でやっぱり眠気が1日中抜けない有様だ。焦りは禁物ながら、あとここさえうまくやれれば、という思いがぬぐえない。

 4.の解消により体はかなり楽になったが、こなしている仕事の量や質には不本意なものがあるし、趣味の時間も作れていない。ただし、暫く放置していた趣味に関わるソフトウェアなどのメンテナンスも再開し、アイディアも色々湧くようになってきた。不調はほぼ身体に限られているためうつ症状は感じず、むしろ躁状態の行き過ぎを現在は警戒している。

[隣のDivisionさん] 2018年度初頭のゲーム内経済(補足の補足、または「げに非情なり、最適化ステーション」)

 以前のエントリで「装備性能とスコアの関係性は低いため、スコアが上がるからと言って最適化ステーションの利用が『ゲーム体験を変え得る』訳ではない」旨を述べた。感覚的に判断した部分も少なくなかったその認識の真偽を改めて確認すべく、スコア268のノマドバックパックのみを最適化ステーションで限界まで最適化し、プレイヤーキャラクターの能力上昇幅を調べてみた。

 なおこのキャラ、最初のプレイヤーキャラながらこの4月ごろまで長期放置されていたもの。放置開始はPvP用調整とされる特殊弾やファイアクレストギアセットのナーフ後なので、サバイバルDLCかラストスタンドDLCどちらかのリリース前ということになる。ワールドティアも無かった。厳選を重ねたファイアクレスト×4+セントリーコール×2でアンダーグラウンドDLCを最高ランクまでクリアした多少思い入れもあったキャラだが、その後のファイアクレストのナーフで存在価値を失ったのである。またプレイヤー間の装備のやり取りは放置後には無く、調整された装備はおそらく含むだろうが、武器、装備ともに最適化されたものは装備していない。

 ディビジョンテック400個を使った8回の最適化の結果、それ以上の最適化は不可能となり、スコアは+18の286となった。このスコア変化幅は決して小さくない。また286というスコアは、最適化時の上限値として良く見られる。

 限界までの最適化で得られた実効的な効果は、
  • 武器+0.77%
    (サブウェポンのLMGに対して281,784→284,001)
  • タフネス+1.11%(401,507→405,958)
であった。そして、この場合のディビジョンテックの能力向上への影響は
  • 武器に対して+0.0019%/1ディビジョンテック
  • タフネスに対して+0.0028%/1ディビジョンテック
  • スコアに対して+0.045/1ディビジョンテック、キャラのギアスコアに対しては1/9の+0.005/1ディビジョンテック
と評価される。旧オープンワールドしかプレイしないのっソロプレイヤーの場合、各キャラは戦闘任務及びクラフト任務のクリアで1日当たり50ディビジョンテックが入手できる。これは最適化1回に必要なディビジョンテック数だ(おそらく偶然ではない)。この場合の最適化による1日当たりの能力向上の期待値は
  • 武器に対して+0.095%
  • タフネスに対して+0.140%
  • スコアに対して+2.25、キャラのギアスコアに対しては+0.250
となる。(線形変化を仮定した上で)これら数字から計算すると、武器+10%に必要なスコア上昇幅は+47、47日かけて集めた2350個のディビジョンテックを消費することになる。

 と、ここまでやってしまった以上はさらに色々書きたいこともあるのだが、皆それぞれでこれら結果をよく味わった上で、内容は察して欲しい・・・

 とにかく、これが最適化と呼ばれるものの実体。で、以下は私の考察だ。

 ディビジョンテックに明確的に通貨の性格を付与、装備スコアが経済指標であるかのように誘導した上で、超インフレ政策(ディビジョンテックの大量供給だ)を実施しているのが現在の状態だ。もはや詐欺的行為に基づく状態と言って良い。

 そしてこんな状況が成立できる理由は「(私も含めて多くのプレイヤーなら分っている通り)そもそも装備スコアが意味の無い数字だったから」であろう。故に、詐欺的行為自体は装備スコア導入時点で始まったと言えるが、さすがにこのレベルの詐欺では上りが期待できなくなってきたのだろう。

 詐欺的行為の主要な被害者はPvE主体のカジュアルプレイヤーと言うことになろう。つまり「上り」とは、カジュアルプレイヤー数の維持や拡大である。

 インカージョンなどのアクティビティは高性能の装備の直接入手機会そのものだから、これらに挑むようなコアプレイヤーにとってシコシコとディビジョンテックを集める行為は効率が悪過ぎてプレイ内容の選択肢となり得ない。対して高性能の装備の直接入手機会が実質的に無いカジュアルプレイヤーは、入手したそこそこの性能の装備のアップグレードパスが欲しい。この要求はパブリックベータ時からあるもので、本来はクラフトが担うべき機能と言える。が、クラフト機能は「ディビジョンテックのデフレ(現状とは逆の供給不足)」というゲーム自体の設計ミスも一つの原因として、早期に運営からも打ち捨てられる。

 最適化ステーションはこのアップグレードパスを「装ったもの」だ。

 最適化には上限があるが、これこそ最適化機能にとって無視できない制限を反映したものと考えて良いと思う。それは「最適化された装備の性能は、インカージョンなどで直接入手できる装備の性能以下または未満に制限されなければならない」というものだ。そうしないと、高難度アクティビティに挑んだコアプレイヤーを今度は蔑ろにすることになってしまう。このため最適化ステーションのアップグレードパスは途中で途絶えており、「アップグレードパスを装ったもの」にしかなれないのだ。

 しかもその「装い方が悪辣」に感じられる。パスが途絶えているのは「装備の性能の上昇」に関わる部分であり、「スコアの上昇」に関わる部分は途絶えていないか、途絶えていないように見えるように手が加えられている公算が高いからだ。

 実のところ、最適化ステーションが「アップグレードパスを装ったもの」であっても構わない・・・そういうものである、と明言されている限りにおいては。

2018/05/19

白い恋人「たち」にならず

 アニメ「ひそねとまそたん」、まぁ赤塚不二夫チックな部分は作品上必要なんだと納得することとし・・・が本題ではなくて、「白い恋人」ネタ→ED曲がフレンチポップ曲のカバー→フランス繋がりでフランス映画「白い恋人たち」ネタといった流れを予測していたら全くの大外し、あっさり別のお菓子が出てきてしまって完全に別方向・・・残念。

 映画「白い恋人たち」は冬のオリンピックの記録映画で、原題の日本語訳は「フランスの13日(13日間)」。オリンピックも一種の祭りじゃん、とか考えてたんですがねぇ・・・無念。

 まかり間違って「鉄雄」とか「28号」とか出てきたらどうしよう、とも不安になっていたので・・・一安心。

 防衛事務次官は特別職であり単純に事務次官と呼ばれることは無い(「特別」が不要な人の前で付け忘れたら、「キミ、防衛、を付け忘れてるよ」なんて下衆顔でご指導されちゃいそうですなぁ)・・・とちょっと古めの記憶が警報発令中・・・う~ん、宮内庁に事務次官はいないしなぁ・・・ええっ!総省って国防総省!?ぐらいの実は別世界?

[隣のDivisionさん] 2018年度初頭のゲーム内経済(補足)

 以前のエントリ、[隣のDivisionさん] 2018年度初頭のゲーム内経済には誤解を招き易い表現が多々あったので、補足しておこう。

 件のエントリの趣旨と言うかエントリ内での私の主張は、「運営が、ディビジョンテックに実質的なゲーム内通貨機能を与えたようだ」という1点のみである。デイビジョンテックと他のゲーム内通貨もどきとの「交換レート」にはやや定量的に触れたが、ディビジョンテックの「実質的な価値」には一切触れていないということを明言しておこう(後述する通り、「実質的な価値」についてはそもそも語るべき意味が無いが故に語る意思も無かったのである)。

 10円は比率で言えば1円の10倍の価値がある(これが交換レートの話)ことには触れたが、10円で何が買えるか(これが実質的な価値の話)には一切触れていない・・・例えればこういう感じだ。

 前者は相対的な話、後者はかなり定量的な話と言えばそれまでなのだが、後者における「価値」とは「プレイヤーにとってゲーム体験が変わるかどうか」といった実質性、実効性を伴うものなので、うかつには触れられない。加えて、後者に関する私の判断が「一切の実質性、実効性無く、『プレイヤー』にとっては無価値も同然」といったものであったので、なおさら触れる気にならなかった、触れる価値を感じなかったと言うことだ。
 さて、このキャプチャイメージは私のプレイヤーキャラの一人のバックパックの所有・装備状況だ。最もスコアの低い品を装備している点に注目頂きたい。これを装備する理由は簡単で、他の品を装備するよりもウェポン、タフネスの値が圧倒的に大きいからである。これは装備品からMod(厳選品である)を外しても変わらない。そして現行の最適化でのパラメータ上昇範囲では 、使用していない品の性能を現在使用している品の性能より高くすることは不可能と言って良い。

 先のエントリで「ゲームチェンジャー」という表現を使ったが、ここで「ゲームチェンジ」の指すものは、ゲーム新規販売市場におけるThe Divisionのセールス手法または「セールス上の『売り』とする要素」の変更である。つまり、マーケティング上のみの話であり、上述したように現在のアクティブプレイヤーには特にチェンジはもたらさない。そしてこれも先のエントリでも別の表現で述べたように、「ゲームチェンジ」の理由は「『The Division』の『The Division2の販売促進ツール』化」である。

 The Division単体の新規購入層への商品価値はほぼ失われてしまって久しい。だから「現行のThe DivisionのアクティブプレイヤーがThe Division2を購入したくなるような要素」や、「The Division2を購入するなら先行してthe Divisionを購入、プレイしておくと色々あるメリット」のThe Divisionへの導入はコストが折り合う限り悪くない商売のやり方だ。特に後者は「The Division = 本体よりも先行して発売されたThe Division2のDLC」という扱いにほぼ相当し、倫理的にはともかく、思い切った商売上のアイディアとは言える。

 知ってる人には言わずもがな、装備品や武器の「価値」=「プレイヤーにとってゲーム体験が変わるかどうか」にとってギアスコアは実質的に関係無い。各装備の特性や武器のタレントの方がよっぽど重要なのだ。

 上述した例ではスコア268の装備はスコア284の装備に総合で勝っている。ただし、それは私のプレイスタイルがスキルパワーを要求しない点が影響しているのは明らかだ。現行の、装備の3つの主要パラメータのうちのどれか一つのみが高い、というパラメータの割り振り方は、実のところ「装備単体の厳選」を不可能、或いは実質的に無意味にしている。プレイヤーキャラの総合的な力は「パラメータの観点から一点豪華主義の装備」の組み合わせで決まりことになる以上、特定の装備の性能のみに注目していてはプレイヤーキャラの総合的な力を高められることは全く保証されないのである。プレイヤーキャラの総合的な力が高めるに必要な能力は「ドロップ品に対する引きの強さ」でしかない。この辺りが見えてくると、The Divisionをプレイする面白さはかなり失われる。特にRPG要素を楽しみ、ギャンブルに一切の魅力を感じない私には「糞面白くも無い」代物となった。

 ちなみに私のカオス理論や実際のカオス挙動特性ののつたない知識が正しければ、3つの主要パラメータに均等にパラメータが割り振られた装備が、3~4種のギアセット限定で数的に1/4ぐらい混入されると、所謂メタがいったんカオス化しそうに感じられる。「3つの主要パラメータに均等にパラメータが割り振られた装備」は、導入先の装備種や装備セットの限定の仕方次第でプレイヤーのゲーム体験にラジカルに影響するかも・・・という夢をみたのさ・・・ってことです。ここでパラメータ配分は完全に均等が必須ですぞ、乱数で微調整なぞしたら元の木阿弥。と言うのも「3つの主要パラメータに均等にパラメータが割り振られた装備」はカオス化の要因ではなく、カオス化される側であるというのが基本的なアイディアですからね。新しい要素の追加で既存要素の挙動をカオス化するのではなく、新しい追加要素からのみからなる平凡なシステム(ここでは装備の組み合わせがシステムに相当)を用意し、その挙動を既存要素のパラメータの持つランダム性や偏向を使ってカオス化できないか、ということですので。あ、ホルスターだけは逆ね。

 ディビジョンテックの限られた使い先である最適化ステーションは、スコア、特性、タレントの数値を上昇させるけれども、特性もタレントも変更しない。もちろんプレイヤーキャラの総合的な力を高められる能力は、「ドロップ品に対する引きの強さ」の足元にも及ばない。つまり、 「価値」=「プレイヤーにとってゲーム体験が変わるかどうか」に影響するだけ力を最適化ステーションは持たないのだ。先のエントリに書いた通り、最適化ステーションの機能とは、「実質的に『価値』の変化が起きない範囲に制限しつつ数値の上昇する様を見せることにより、最適化が『価値』を変え得るものとプレイヤーに思わせ、最適化に必要なディビジョンテック収集のモチベーションを上昇、プレイさせ続ける」ことにあるとしか思えない。

 さらに限界まで最適化した装備や武器のスコアに一定の上限値があることから、装備のスコアは単に装備のレベルを再分割しただけの値でしかないという以前からの印象がより強まった。つまり最適化とは文字通り同一装備レベル内での最適化に限られており、例えばレベル29の武器はレベル29の範囲内で何か変わることはあっても、レベル30の武器にはなり得ないのである。こんなものに「価値」はあるだろうか?プレイヤー側には基本的に無いか、余りに限定的すぎる。

 運営側はどうか。「発生させた乱数値を装備のパラメータ値に加えるという簡単な機能を最適化ステーションというの名前で安価に実装」することで、「使い道も無く存在価値すら失っていたディビジョンテックなるものに価値がある」とプレイヤーに思わせようとしてみただけなのである。アクティブプレイヤー数が増えたり、それこそ維持できるだけでも御の字なのだろうと思う。損が出にくい割に当たるとデカい。

 最適化に賛成?反対?

 私にとっての「最適化」とは、「ディビジョンテックを収集し、それらを最適化ステーションで使えば、ゲーム体験が変わる」という幻想をプレイヤーに与えるための手段に過ぎない。詐欺とまで呼ばない理由は「最適化という表現自体には嘘も誤魔化しも無い」からである。散々使ってみた経験も踏まえれば「賛成、反対を論ずる価値も無い」と言うのが正直な思いだが、まぁ、スコアや特性パラメータが上がることには別に問題は無いので反対はしないよって感じかな。

 「プレイヤーにとってゲーム体験が変わり得る」装備や武器は最適化からは得られない・・・The Divisionは本質的に以前と何ら変わっていないのである。繰り返しになるが、ディビジョンテックと最適化ステーションの組み合わせを思いついた人間は、確信犯なら相当頭が良いか、人間心理に関する造詣が深い感じだ。そうでなければ(自粛)。

 さて最適化ステーションの登場により、ギアスコアの意味は輪をかけて失われた。ギアスコアの大小とプレイヤーの力の関係がより不明確になったからである。もしギアスコアが低いことを理由としたキックがプレイヤーマッチング時に減ったのであれば多少は良い効果もあったのかなとも思えるが、その結果としてミッションエンド直前でのキックが増えているだろうから害悪の方が多そうだね。

 なーんてことを書いているせいだろうか、一昨日は作戦基地に入れてもらえなかったんですよ・・・寒いので入れてくださーい!!ドアあけてくださーい!!簡体中国語は分りませーん!!

2018/05/18

現行3Dゲームエンジンで起こりがちな事(ピンポイント過ぎ)

 Steam版PCゲーム「リトルウィッチアカデミア 時の魔法と七不思議」のネット上のレビューに目を通していて、やはり・・・という記述を目にした。ゲームは3Dゲームエンジンunityを使用しており、キャラクターは当然3Dモデルで処理されている。やはり・・・と言ったのは、手描きと3Dモデルによる表現との違和感に対するネガティブな反応である。海外では、何もそこまで・・・とすら思うような激しい反応もある。

 まぁ、「リトルウィッチアカデミア」の作劇作法は、それまでの日本アニメの作法をいったん吸収消化してみた後の「パワーパフガールズ」辺りカートゥーンでの作劇作法に近い印象が強い(チビの市長、すらも既に定型表現と見なされかねないレベルだ)。加えて、魔法周りのお約束描写は(恐らく意図的に)英国のオリジナルに近いまま導入している。この点は、「魔法使いプリキュア」がハリーポッター作品などで近代化加工など変形した形で使われた「お約束」描写を再加工、再使用したのとは対照的である。この見立てに従えば、海外の多くの視聴者にとって「日本アニメの作画技法」が他作品との無視できない差別因子、目新らしさ、ひいては無二の魅力となる可能性を秘める。もちろんこれら因子は作品の拒絶要因ともなるがそれはそれ、むしろコアなファンを獲得できる可能性があるとも見るべきだ。「日本アニメの作画技法」に魅力を感じたコアな作品ファンがいたら・・・そりゃその魅力の再現に限界のあるゲームでのキャラ描写にはちょっと煩くなるかもね。そもそもカット割りの概念が別物過ぎる。

 閑話休題。

 この類の手描きと3Dモデルとによるキャラ表現の違和感はunityかどいうかを問わず現行の3Dゲームエンジンでは避けられず、かつその発生はとっくの昔から予測されていた筈だ。絵が描けて、3Dモデリングをやったことがある人なら直ぐに分るのではないかと思う。

 現行の3Dゲームエンジンのカメラのパース(パースペクティブ)は基本的に画面内のどの位置でも同じである。これは「現実のカメラにとっては当たり前」だが、現実のカメラの特性の制限なんぞ無関係な手描きアニメの絵では、パースが画面内に複数存在することも珍しくない。顔だけ煽られているようなカットや頭部が相対的に大きめに描かれた手描きアニメの絵は、少なくとも顔とそれ以外の部分でパースなどが違う状態と言って良い。背景とキャラのパースやカメラの位置。向きが違うって?いや、ふつーふつー。

 厄介なのは、ゲーム「リトルウィッチアカデミア 時の魔法と七不思議」のキャラクター絵のリファレンスが、複数のパースが存在する手描きの絵・・・単に歪んでいるのではなく、その多くは特定の演出意図や作画者の快感則を反映している・・・であることだ。従って、このようなリファレンスの絵の3Dエンジンでの再現またはシミュレートは演出の対象とする価値があるものと個人的には信じるが、それを実現する具体的な手段がエンジン側に用意されていないため、実現が困難なのだ。さらに言えば、米国のカートゥーン製作業界に同等または類似なニーズが見られないため、他者が実現手段を用意してくれる見込みも無い。

 ピクサー作品ではエンディングクレジットのみ2Dとなっていることがある(例えば、「レミーのおいしいレストラン」)。これらを観れば分ることは、2D部と3D部(本編)では見た目の風合いや動きのタイミングが全く違うこと、つまり2Dと3Dは端から別物であり、一方が他方をシミュレートするなんて考えは製作者たちの頭の中に完全に無さそうということだ。この状況は、セルシェーディング(3DCGでセル塗りのシミュレートと輪郭線の付加を行う、すなわち自動的にセルアニメ調の絵を作る)が多用されている日本の状況とは完全に異なる。3D部を如何に2D部に近づけていくか・・・その涙ぐましいまでの努力の結果及び進化の過程は、ある作品以降のプリキュアシリーズ作品のエンディングにいい塩梅に凝縮されている気がする。個人的にキモと思っているのはやはり顔の扱いで、表情、視線の動きをちゃんとつけ「続ける」ことと、カメラの位置と向きに対する顔の向き(特に顎の向き)/首の角度は「現実の無視は辺り前」の調整が必須だ。これらを怠ると「プラスチックのお面を付けたダンサー達によるプリキュア舞台ショー風(すげーな!「風」!)」な動画になってしまう。

・・・なーんて感じの話に最初に思い至ったのは2010年ごろに遡る。なお「3Dゲームエンジン&パース」の議論に限れば、その始まりは90年代のゲームQuakeの登場まで遡る・・・より広い範囲が見えるようにするパースの変更はチートにならないの?って話だ。当時の結論はノー、人間の実視界よりも広い範囲の画像は「実際に見ている光景と脳が錯覚しにくく」、かつ「画像内の歪が大きいと認知段階での歪補正に必要な脳の負荷が激増」してしまい、プレイヤーの反応がむしろ遅くなる可能性が高いからだ。ただし人間の脳のことである、訓練でどうなるかは分かったもんじゃない。

 さて2010年ごろ、3DCGプログラムであるLightwave3Dには既に「アドバンストカメラ」なる不思議な(そして他人が使った例を未だほぼ知らない)カメラが実装されていた。このカメラの特徴は、パースなどのカメラ/レンズ特性の画面内の分布を制御できる点にある。つまり、同一画面内の位置ごとに複数のパースを与えられるということだ。

 適用例は例えばコレ、 画面内の物体(宇宙船)が瞬間移動する直前に歪む効果を、レンズ表面に二次元的な凹凸分布を与えることで実現したものだ。右下のイメージ内のDisplacement mapという絵で、画面内各位置に対応したレンズ表面の凹凸を与えている。白いほどレンズ表面は局所的に出っ張り、黒いほど引っ込んでいる。Displacement map自体もアニメーションで与えられるので、イメージの歪みも時間変化させられる。実際の動画はこんな感じだ。なお、歪み効果以外の部分は気にせずに・・・音楽については元Modファイル使いだったところを鑑みて察して欲しい・・・
  なおこの種の歪みの効果は、歪み無しのCG画像に後処理で加えるのが普通であり、動画はいわばアイディアのプレゼンのようなものだ・・・高額の後処理用プログラムを持っていなくともこれぐらいはできるんだぜ、ってね。

 本題に戻ろう。個人的には、unityのような3DゲームエンジンにもLightwave3Dのアドバンストカメラのような機能を実装して欲しい。奥行方向で適用/不適用を制御した上でキャラクターなどの前景と背景を合成する必要があるなどリアルタイム性との両立には技術的に厳しいところもありそうだが、その部分以外は割と現実的ではないかと思う。

 ニーズが小さい、或いはニーズを感じる人が居ないという可能性も否定できないのが残念なところだが(ゲーム制作者たちがこの種の可能性に気付いていないのでは、と思わざるを得ないことが多々あるということ)、この機能さえあれば、日本の手描きアニメで当たり前に、或いは時に無意識に行われている作画上の演出の再現やシミュレートがかなり可能になる筈だ。
 こんな画が3Dゲームエンジンで簡単に作れるようになれば、コスト的にも手描きアニメ終了のカウントダウン開始だ。ぱっと見、右側のアッコの首~口~鼻、紙の生え際付近の領域のアウトラインのシミュレートだけでカメラが20個ぐらい必要で、かつそれらカメラの画をシームレスに合成しなければならない大変な作業が控えている・・・「冴えたやり方」が必要なのだろう。

 アドバンストカメラは原理上、「20個ほどの位置も向きもパースも異なるカメラの画をシームレスに繋いだ画」を単一の三次元曲面を適切に定義するだけで作成できるポテンシャルを持つ。数学、特に座標変換に強い人、その辺りをちゃんと数式で示してくれないものか・・・UVマッピングの逆向きの操作が一つの例となる筈だ。考えても見て欲しい。全てのポリゴンをそれらの法線方向から撮影した画がマッピングされた画像があるとする(それはUVマップ画像のように見えるだろう)。この画像があれば、カメラの位置や向きがどうであろうと、その瞬間のあらゆるカットは「画像の座標変換だけで」作成できる筈だ。この場合に求められる「冴えたやり方」とは、例えば、最初に用意すべき画像に含めなければならない情報を画像作成前に特定するとともに、特定結果に基づいて使用計算リソースを最小限にする方法である。

 カット内でのパースの時間変化なんて、日本の手描きアニメではかなり日常的だよね?あ、「銀河英雄伝説 Die Neue These」は使ってねぇなぁ・・・

2018/05/17

「銀河英雄伝説 Die Neue These」への不安・続

 最新話で某要塞攻略が描かれる。不安通りと言うか、おそらく「私がちゃんと描くべきではないかと考える要素」に今回の作り手は興味が無いのだろう。例えば、

某大佐の軽口を如何にカッコよく聞こえるようにするか

とか・・・つまり

某大佐の軽口(特に異性に関わるもの)をダサく聞こえるようなものにしないこと

とかだ。キャラクターデザインはとても助けになるものではないから、脚本や演出、画が頑張らなければならない。声優さんの頑張りにも限界がある(と言うか、頑張り代が声優さんに与えられていない)。あと、最新話のフレデリカの描き方での「可愛さなどキャラの個性に関わるような要素の欠如」も同様に異常。扱えないなら、今後女性キャラは出さない方が良いのではないかと思う。作り手の人生経験やカメラやレンズに関する知識ってどの程度なんだろうね。

 I.G.にはレイアウトシステム(画角と画角内の描画対象の位置を決めるプロセス。手描き絵のパースも実質的に決める。CGIとの合成が前提の場合、CGIで使うカメラやレンズの特性やカメラの位置、向きを決めるプロセスと等価だ)に長けた人材が多くいたはずなのだが、それらが使われている感じが全くしないのも違和感が大きい。つまり、パースがヘンに感じたりするとか、あるべきパースが無いと感じることがあるという事だ。

 2000年代、米国のTVドラマシリーズには宇宙を舞台としたSF作品が多かった。この時期、宇宙船飛翔シーンなどのVFXシーンの製作方法は模型ベース の特殊撮影からCGにほぼ移行していた。そして、無数の大小の宇宙船が乱れ飛ぶ戦闘シーンまでもが当たり前に使られるようになると、その種の仕事が任せられるCGI制作会社は極めて短時間のうちに淘汰された。これは、制作予算やスケジュールの管理能力があることは当然として、必要な演出ができる人材を確保できていたかどうかが大きい。

 当時生き残った代表的な会社にZoicがある。当時Zoicが制作したCGIでは、宇宙船の相対的大きさの表現が上手いと感じたものが多い。巨大戦艦に大量に群がる小型戦闘艇、巨大戦艦に単騎で戦闘を挑むボロ旧式戦闘艇といったシーンが非常に魅力的に仕上げられていた。

 この時期の作品に「Battlestar Galactica」がある。Zoicはこの作品のミニシリーズ(パイロット版相当で、DVDではシーズン1の1、2話に割り当てられた)~シーズン2のVFXを担当し、シーズン2では所謂「The Adama Maneuver」も描く。この機動、長さ1400m級の大型宇宙船が惑星大気中を自由落下しながら艦載機を発進させたのち、地上激突前に瞬間移動(FTLジャンプ)で惑星大気外へ退避するという「アイディアは新しくないが、良くぞ具体的な画に仕上げ切った!ついにここまでできる時代になったんだ!」と多くの視聴者から評価されたもの。某日本映画が劣化した形でモロパクリし、分かってる国内の筋からのみならず、動画サイトで違法視聴した海外の多くの人々からも映画や監督らは今でもバカにされ続けている。余りの作りに、私は1回観てから中古購入したこの日本映画のDVDを躊躇なく割ることになる・・・ちょ、待てよ・・・なんて言われても割るよ!。
 で、その「Battlestar Galactica」だが、シーズン3に入って主に予算の制限から以下のように制作体制が変わった。
  • CGI制作が番組制作会社Universalのインハウスチーム担当となる。
  • 監督/演出家のキャリアが2レベルは下がる。
  • 脚本家は複数の一流作家からほぼ一人の新人に代わる。プロデューサーは「才能ある新人」と呼んでいたが、「プロ意識はしっかりと持った(スケジュールは守るという意味)アマチュア」との印象しかない。
 結果、VFXは輝きを完全に失い、特に宇宙船の巨大感は完全に失われてしまう。おそらく、Zoicの担当者とは違ってインハウススチームのスタッフはカメラやレンズに関する知識に著しく欠けたのだろう、画角をちゃんとコントロールしたカットやシーンがあった記憶が無い(使用ソフトのデフォルト値のまま?)。ライティングも下手だった(使用ソフトのデフォルト値のまま?)。カッコ良い宇宙艦隊シーンなんて、作れと言われても作れなかっただろう。加えて、脚本、演出共に酷い出来で、2回目観る気がついぞ起こらなかった。でもね、そんな中、俳優陣は結構頑張ってましたよ・・・。

 うん、少なくともここまでの「銀河英雄伝説 Die Neue These」は、まるでシーズン3以降の「Battlestar Galactica」の様なのだ。会話含む脚本、CGI含む画作り、音楽などなど、個々の要素のレベルで意図が分からない。相互に整合していないし、揃えたように平凡以下だ。プロの作ったレベルのものではあるが、省エネ具合の酷さと言うか安全運転するばかりというか熱の無さと言うか、まるで飯のためだけに作ってると言わんばかりに見える。でも声優さんたちは頑張ってるよね。

 で、某大佐のセリフ絡みで補足しておくと、旧アニメは「時に外連味もある舞台的なセリフ回しや演技を、舞台ではなくより現実的な空間内で見せる」という、そもそもアニメ以外でやりようがなさそうな手法を選び、挑んだものだったと思います。日本の当時のアニメって総じてそんなものでしょう、という意見には同意します。が、「舞台的な」といった部分を高いレベルで意識化していたのは間違いないと思います。ある種の重厚さや品を作品に感じたならば、このようなアプローチの貢献度は低くないでしょう。キャラからローゼンリッター、帝国軍の装甲服(どう考えても機能よりキャラ付けとリンクした見栄えが優先)まで大部分のデザインはその手法にきっちり従属し、当然ながら手法自体を支えます。また舞台的な描写は、帝国内社交界などの形式化が進んだイベント類の描写との親和性も高そうです。形式化が進んだものを形式化が進んだものとして見えるように描く・・・それが出来てこそ、帝国の様々な要素を「行き過ぎた形式化どころか硬直化したもの」と見做す劇中人物の認識を視聴者は疑似的に共有できるんじゃないかなぁ・・・

 一方、新アニメには独自とも敢えて選択したとも思われる方法論を未だ見出せません。見た目は「書割に立ち絵」なので、動き、外連味、キャラの物体の裏表や割りばしの無い「ミニパト」と実は変わりません。「ミニパト」の方法論でもちゃんと動きのある社交ダンス描写は難しそうな(と言うか向いていない)なところにきて、その超絶劣化版です。作られるだろう社交ダンスシーンの画は容易に想像できます・・・それぐらいしかやりようが無いですからね(ただし、社交ダンスシーンは明らかに面倒くさいので、これまでの流儀からの類推として、止め画すら作らず、画面上では触れない可能性が高いです)。「ミニパト」の方法論は「用意さたセリフ」に従属すべく研ぎ澄まされています。「ミニパト」の画面内要素は、セリフのためだけに、セリフに合うように、過不足なく用意、配置、移動、除去され続けるのです。作品の出来や良し悪しは別にして、なんと贅沢な、何と純粋な。

 「某大佐のセリフが徹頭徹尾ダサかった」のは当たり前、それはピエロの格好で営業運転終了後の千代田線列車の運転席内でヒンズースクワット風の意味の無い運動を繰り返しながら古典落語を演じるが如く、セリフの周囲に用意された何もかもがセリフに対してちぐはぐだからなのです。

2018/05/12

LightWave 2018.0.4アップデート

 アップデートが出るのが早いのは良いのだが、もちっと落ち着いた方が良い様に思う。

 具体的には、「もっとちゃんとした、不具合と不具合個々への対応予定のリスト」を出した上で、アップロードのロードマップの提示、アップデートのリリース、リスト更新を繰り返した方が良い。現在の対応はまだ場当たり的に見える。リリースノートを読む(つまりアップデートのリリース後になる)までアップデート内容が部分的にしか分からないという状況は、時間に追われている身には手の打ちようが無くて途轍もなく辛い時がある。

 と言うのも、Blenderの躍進などもあり、低価格寄り製品とは言えLightwave3Dユーザーの人口もさすがに以前よりプロ側にシフトしたと思うからだ。つまり、「業界(の人間)相手」を前提とした対応方法に明確に舵を切った方が良い。「暇な業界人」・・・希少種だと思いますよ。

 リリースノートを見る限り既に不具合はナンバリングされており、不具合のデータベース化の仕組みは既に存在している筈である。ならば、後は外部への見せ方だけの問題だと思うのだが。まぁ、それにいったん手を付けたものの、余りに不具合リストの拡大が早くて「対応時期未定」の項目だけみたいなリストしか出せなくなってしまったゲーム会社がありましてね・・・

 さて、個人的に既にメリットのあったアップデート0.4での改善点は以下の2点。2点目はアップデートで発生した不具合(激怒した人も、脱力した人もあろう)のアップデートによる解決という間抜けたものだが、みんな!今は単純に喜んでおこうよ。
  • 異常に遅くなっていたモデラーの起動時間が、2015以前と同等まで早くなった(2015と何度も比べたので確実)。
    だからどうしたレベルの話と思う人もいるだろうが、機能は変わらず、メモリ使用方法変更のアナウンスも無いままの体感30倍以上の低速化は「他の不具合が有る兆候の可能性大」と見るべきだろう。
  • アップデート0.2で動作だ不安定化した「モデラーのメニューへのcfgファイルの読み込みによるブランチ追加」がちゃんと動作するようになった。
    この機能が動作しないと、私の環境でも20個以上の追加プラグインを一つ一つ手動でメニューに登録しなけらばならず、面倒臭いし複数のライセンス認証も含めると20分ぐらいの作業になる。機能が動作すればメニュー登録もライセンス認証もそれぞれ10秒以内、全作業でも1分ぐらいしかかからない。

Steam版PCゲーム「リトルウィッチアカデミア 時の魔法と七不思議」発売!・・・らしい

 5/16ですか、公式にも情報出てますね。
 元となるアニメ作品は劇場版も含めて大好きです。でもですね、作画的話法上大嫌いなところがあって・・・時折使われる容積や質量の変化に無理が過ぎる変形が駄目なのです。同じ理由でFLCLも苦手だし、エヴァ:Qはロケット機構の生成まで変形に含む余りのご都合主義ぶりに生理的レベルで拒絶反応が発生、まだ冒頭部だったのに作品自体への興味を失いました。要は程度問題ですね。ちなみに、少なくともハンナバーバラ(ハンナバーベラ)作品であそこまでの変形をやっていた記憶はないんですが、実際のところはどうだったんでしょう?

 ゲームは買っちゃいますよ、きっと・・・Farcry5なんて難易度ハード一周だけでもう一片の興味もないし

 あと敢えてこれも貼っておきましょうか。著作権的には×ですけどね、前半の編集のはまりっぷりに対して、後半の編集が加速度的にグダグダになっていく辺りはご愛敬。うん、後半はカット割りが短かったりで使える元ネタが少ないのは分ります。ダイアナを出さなくて済ませられていれば「割と奇麗に閉じた1本」だったかもと、ちょっと残念な感じもします。ダイアナの登場は唐突過ぎる上、オリジナル作品との縁切りができませんでしたからね。

2018/05/09

「銀河英雄伝説 Die Neue These」への不安

 Gyao!で観てます。私と「銀河英雄伝説」という作品との関係はと言うと、原作、旧アニメシリーズともにリアルタイム、ビデオ化以前から地域のSF好きが作った無名の「銀河英雄伝説」同人誌に短編小説を寄せたり、その表紙を描いたりしてました。まぁそういう距離感を持つ身ということです。

 キャラデザインに関わる話は余りするつもりはありませんが、女性キャラのデザインで使っている要素幅が狭い感じがあり、今後キャラごとの描き分けが十分にできるのかちょっと不安になりました。以前のエントリではキルヒアイスについて似た懸念を持つことに触れています。対して、声優さん方は本当に良い仕事をしていると感じます。声による「キャラごと、キャラの状態/気分の描き分け」への支援は期待できそうです。

 ちなみに某アニメの女性キャラ群「Dパイ(フォレスト、可能性としてヤクルトおばちゃんも含めておこう。ただしヤクルトおばちゃんは全盛期ならば暗殺者枠でも有り得、おっさんまたは超美少女の変装の可能性が・・・)」個々のキャラの立て方、描き方は、教科書的ですらあります。が、「分かりやすくてかつ(少なくとも初見では)面白い」というその一点をきっちり抑えていて、観ていて実に上手いものだと思いました。ただし、赤塚不二夫原作アニメチックな演出は抑える方向が良いと思います。業務内容ごとや勤務内外で髪型を変えたり(変える人と変えない人、または変えたように見えない人が居る事も含みますよ)とか、芸が細かいと言うよりはリアルな印象を受けてます。今回のフレデリカは髪が長めのデザインなので、髪型も演出上で上手く使って欲しく思います。

 まぁ、旧アニメ版の声から推定される演出意図だと、常にきちっとしているせいで結果として髪型が変わらない・・・という事だったのかもという可能性はあるのですが。普段から「可愛い可愛い扱いしていたり」とさらに演出の幅を狭めてしまうと、作品的に「本当に可愛く見えるべきとき」にそう描けなくなる可能性がありますからね。「頬を赤く染めて視線を下に外し」ではうっかりすると60年代の演出ですし、端正なキャラデザインでそれではギャグにしかなりません。部下、恋人、新妻、未亡人、国家元首・・・さぁ、それぞれの演出プランや如何に(個人的には、眼鏡、コンタクトレンズネタは封印をお願いしたい)?

 で、本エントリにおける「本当の不安」はここからです。

 「製作者は劇中で視聴者に最小限の説明しかしない方針」のように見受けられます。現時点までの「脚本の淡白さ」は、世界観の説明すらほぼせず、時間経過の描写もかなり曖昧です。従って私の印象、見立てが妥当であれば、原作や旧アニメを知らない視聴者は、周辺情報を漁ること無しに「銀河英雄伝説 Die Neue These」が描いている内容を理解できるとは思えません。

 なるほど、現実世界には「説明的なセリフ」が存在できる余地はほとんどありません。ですから、そういう状況下で如何に上手く「説明的なセリフ」やそれを代替する画や描写を作品に盛り込むかという部分に物語の語り手の腕が問われるのです。「全ての説明を冒頭のナレーションまたはテロップで済ませる」という荒業もありますが、その使用が許される本編のレベルは「世界中から桁違いの収益を上げられる出来」である必要があるでしょう。

 実のところ、「作品単体だけでは作品自体が理解できない」小説や映画などは以前から存在しますし、理由も様々です。ただし、たいてい失敗作扱いされています。

 「銀河英雄伝説 Die Neue These」についても、最初は「脚本家が原作や旧アニメが好きすぎて、それらを知らない視聴者が居ることにまで気が回っていない」とすら思いました。が、作画されたものやキャラの劇中の発言は「脚本の淡白さ」を補うどころか、情報や意味の有無という意味では脚本に劣らず淡白(説明的な要素が皆無)なのです。

 「某回廊」や「某要塞」は「中学校」ではありません。つまり、誰もが知っていたり、そこに所属したことがあるような想像可能な場所ではありません。そんな状況下、「某回廊」や「某要塞」がどういうものかについての説明をほぼ省いたまま、「銀河英雄伝説 Die Neue These」は要塞攻略戦を描き始めようとしています。これでは攻略の困難さすら視聴者には伝わらず、それを反映したキャラのセリフの意味も理解されないでしょう。これは大いなるコミュニケーションの欠落ではありませんか?

 利点と言えば、「物理的に核爆発が起こり得ない条件下で核爆発を発生させた方法を説明せずに済むかも」ぐらいでしょうか。

 さて、同様の不安について、より直接的に本ブログで触れた作品が既にあります。

 「自分と他人は考え方や意見が、解釈が違う」というのは対人間コミュニケーションの基本です。ですから「合意形成」が必要であり、作り手は必要に応じて言葉を尽くすべきなのです。如何に効率良く、分かりやすく、確実に言葉や画で視聴者に必要な情報を伝えるか・・・それも可能な限り視聴者には自然に受け入れられるように・・・プロの仕事足らんとすればここは問われます。「他者が自分と同じように考える、解釈することを前提とし、加えて前提の理由を当人の個人的な感覚や気分に置く」ととあるアニメ作品のようになりかねません。また、「個人的な感覚や気分」を「思い込み」や「思い入れ」に置き換えれば分るように、この種の悲劇はリメイクの方が発生しやすそうです。

 かつて私は、とあるアニメ作品に対する一種の批判のために「物語至上主義」という言葉を本ブログ内で使いました。別の表現をすれば、物語を語るに必要なことは全て触れる(=コンテクスト/文脈の明確化)、物語を語るに不必要なことは「物語を語ること以外の意図」が無い限り触れない(=ノイズの低減、ミスリードのためのミスリードの排除など)、個人的感覚や気分に基づく判断は実行内容から完全に排除(=自慰行為、過剰な自画自賛や非論理的物語展開の隠蔽、回避など)となります。

 「銀河英雄伝説 Die Neue These」、果たしてどう仕上がっていくでしょうか?・・・不安でしかない(饅頭的に・・・んですがねぇ。