2018/06/17

大妄想、「ひそねとまそたん」

 今回はただの妄想。ちなみに9話段階です(追記(2018/6/19):やっと10話が見れました。ジョアおばさんの口から「想い人」という言葉が出てきてビビり、予告も一見微妙・・・さて?)。

 五行、四神がらみになるともはや宮内庁管轄になり得ない、手順が分からないからである、とオカルト好きの間では80年代には既に言われていました。

 これは、「皇室の五行関係、特に風水に関わる秘術書類を江戸幕府が江戸整備時に借り出し、そのまま返さなかった。いわんや、それら秘術書類はその後行方不明となっている」なる話があったからです。もちろん、真偽のほどは定かではありません。なお、最終的に日光東照宮に家康公を祀ったのが、上記の秘儀書類の内容に基づく最後の祀りごととも言われていました。

 秘儀書類は皇室秘伝、かつそれらに含まれる智こそ皇室の力の源泉と見做す向きには、
  • 秘儀書類を返さなかったことにより、皇室の力(特殊性)を削ぐことに成功
  • 秘術書類中の智に基づき、風水的にも治水などに優れた都市を構築
  • 秘術書類中の智に基づき、家康公による江戸幕府、都市としての江戸の守護体制を構築
という具合に、江戸幕府の皇室に対する陰湿な仕打ちと解釈する人達もいます。ちなみに中華起源でオリジナルに近い風水では火山(そもそも中華には無い)、大地震(そもそも中華には無い、広州や四川は別地域)が考慮される筈もないので、江戸同様に東京も当然これらの災害への風水的な備えは著しく貧弱なのです。そもそも湿地帯と海浜埋め立て地ですからね、河川をいじっても地震や火山噴火後の降灰、更には大量降雨に対しても脆弱です。これらもあり、個人的には香港、台湾、沖縄経由の風水/家相学が好きです。海洋、台風、地震も考慮されていますので。

 と言う背景も更にあったため、例え「まそたんが青龍に見えようとも」(嗚呼、認めるとまるで平成ガメラシリーズになってしまう・・・)、「マツリゴトが宮内庁管轄とはなり得ない」旨を以前のエントリでは述べました。うんまぁ、うまく誤魔化されていたのか、こっちが真面目に考え過ぎていたのか、とか色々あるんでしょうが。ちなみに防衛省内や自衛隊内では「防衛事務次官」を「事務次官」と省略して呼んでいるのでしょうかね?(学生、学者、チーフエンジニア・・・秘密の陰には色々な呼び名が使われますからね、再軍備宣言前のナチスドイツ、ロケット開発競争時のソビエト連邦・・・)

 で、それでもなお宮内庁管轄と言うならば、マツリゴトの起源を中華に求めず、日本で咀嚼した五行の考えに基づく手順を加えた日本起源の「祀りごと」とでも解釈するしかありません。

 ならば古事記などの国生み神話にでも起源を求めましょうか。例えば、既に劇中に登場した孤島こそが「オノゴロ島」だった・・・とかね。

 国生み神話をベースとすると、一組の男女神、イザナギノミコトとイザナミノミコト、が祀りごとに必要となりそうですね。劇中での候補は、イザナギノミコト(男神)役はほぼ決定(順当に考えれば。が、本エントリ最後まで読むと2人になります)、イザナミノミコト(女神)役は2人(順当に考えれば。が、本エントリ最後まで読むと3人になります)って感じですか。

 「祀りごと」において「男女間」の恋愛感情が「一時的にでも」許容されるのはイザナギノミコト役とイザナミノミコト役だけになります。彼らは依り代である必要はあっても、人柱となる必然性はありません。ただし「楔女」という表現はおどろおどろしいので、「楔女」の帰還は次回の「祀りごと」となる(つまり70年以上後)ぐらいのことは覚悟しないといけないかもしれません。ジョアおばさんの生きがいは「かつての想い人であった『楔女』との再会」かもしれないのです。

  対して、イザナギノミコト(男神)役は「家」が受け持ちます。つまり「祀りごと」において帰還することが前提の可能性が高いと考えられます。これはいわゆる「イザナギノミコトとイザナミノミコトとの結婚(汗」が起きないということであり、換言すれば「国生み」失敗以外の何物でもありません。イザナミノミコトは儀式として失恋を強制され、最後の最後で「黄龍/麒麟のための作られたDパイ」とでも言うべきものになります。

  ならば「祀りごと」の手順として、
  • 新たな位置にオノゴロ島、またはオノゴロ島と成り得る存在を置く
  • オノゴロ島、またはオノゴロ島と成り得る存在の上で、イザナギノミコト役とイザナミノミコト役は天御柱巡りまでの「国生み」の過程を演ずる/舞う
  • イザナギノミコト役とイザナミノミコト役は「結婚」せず、オノゴロ島、またはオノゴロ島と成り得る存在イザナミノミコト役(楔女)のみが残る
  • 文字通り「楔女」を楔とし、オノゴロ島を固定する
 という可能性が考えられます。

 「国生み」の「失敗」により、「すでに現存する日本」は破壊されたり消滅したりすることも無く安泰となります。 まぁ、自国消滅の可能性があるのなら、「祀りごと」の予算がどうのこうのという議論になる筈も無いので、そこまでラジカルな話では無いのでしょうけどね。それでもなおリスクはあります。その一つは、楔女が「儀式における自分の役割」を全うしない、むしろ拒絶する場合です。このとき黄龍/麒麟は楔女を受け入れず、望まない形での「国生み」の「失敗」するのか、逆に黄龍/麒麟は楔女を受け入れて「国生み」のプロセスが再現されたことになるのか。

 再確認。ここで言う「祀りごと」とは、「国生み」のプロセスを模して儀式化された、「国生み」とは別の、或いは全く無関係な一種の祈祷儀礼であるということ。中華から輸入した龍を用いているものの歴史的に日本で為されてきた祈祷儀礼故に「国生み」と関連付けられているが、オリジナルの(中華での)祈祷儀礼の視点からは劇中の孤島は北極星(天)の地上への転写(例えば遷都や都作りの一手順に対応するかの如き手順と言うことに過ぎず、当然儀式上の意味は全く違う)と見るべきかもしれない。まるで彗星を見ながらの占星術や、川のある古都の発掘となると必ず北斗七星や北極星に相当する地形や建築物を見つけてしまう/見つかってしまう某大陸国みたいですけどね。

 では、上記の「国生みごっこ」を前提とした場合のこの先の物語展開として、どんなことが考えられるでしょうか。まず大事なのは「ひそねとまそたん」という作品が、「今回の祀りごとが終わる」までの話なのか「最後の祀りごと」の話なのかです。

 前者については、今回の楔女の暴走によって「国生みごっこ」が成功しそうになるなど、様々にクライシスな状態が想像できますね。でも可能性が多すぎてここで書いたところでねぇ・・・と言う訳で、超妄想版の後者のケースの一例のみを書いておきましょう。
  • 「国生み」プロセスの再現は手順として完遂され、「祀りごと」は失敗する
  • 「国生み」のプロセスは完遂されるも、「国生み」自体は進行しない(=「祀りごと」失敗のペナルティは発生しない、と言うか文字取り進行しないのでペナルティ発生がペンディング状態となる)
  •  ペンディング状態におけるイザナギノミコト役とイザナミノミコト役は、ジョアおばさんと先の祀りごとにおける楔女である
 まぁ、「結婚」の意味を広く捉えましょう、最後は愛が勝つ!ってね。

 でも我ながら全然こんな感じになる気がしないのは、どこか前提が間違っているし、考えていない足りない要素もあるからでしょうね。

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