らしいっちゃらしいが、もう何も説明はしないまま終わりにしちゃうんですか。なるほど分らん。そういう方向では面白くなかった・・・のか、何か大事なものを見逃しているのか。すとんと落ちる、またはコペルニクス的転回、というカタルシスは皆無、嗚呼。
「当たり前」を「価値観を伴うもの」ではなく「個人の単なる認識、形式的な解釈、思い込み」というレベルでしか描いていないので、人物像が薄っぺらくなるし、ひそねによる「『当たり前』の破壊」もカタルシスが無い。「価値観の破壊」なら大インパクトだが、単に「誤解が訂正された」みたいな展開ではねぇ。実際のところ、ひそねとまそたんの周りで「運命の転回」や「再生(=Re-birth、個の死の初の意識的な拒絶)」が多数発生した訳なんだけど、描き方が淡白と言うか、もったいないと言うか。
「当たり前」を「価値観を伴うもの」ではなく「個人の単なる認識、形式的な解釈、思い込み」というレベルでしか描いていないので、人物像が薄っぺらくなるし、ひそねによる「『当たり前』の破壊」もカタルシスが無い。「価値観の破壊」なら大インパクトだが、単に「誤解が訂正された」みたいな展開ではねぇ。実際のところ、ひそねとまそたんの周りで「運命の転回」や「再生(=Re-birth、個の死の初の意識的な拒絶)」が多数発生した訳なんだけど、描き方が淡白と言うか、もったいないと言うか。
映画や小説の「帝都物語」や「陰陽師」をご存知の方なら直ぐにお分かりの通り、こういう儀式上の「贄」は1000年以上前に「式(式神)」や「ヒトガタ」で十分に置き換えられ得る訳で、現代においてもあの形態、儀式化の進んで無さというのは1000年以上ぶりとかならともかくもやっぱり良く分らん、と言うか納得いかんと言うか。
結局肝は鈴やんけ、誰でもええんやで、龍といっしょなら何も失うことなく帰還できるんやで(なぜか三カ月必要だが)、では尚更「生贄」が必要との説得力が無く、なんとも筋が通っていない、一貫した思想が見えない。これでは「ひそねの機能」は「神(超越者)」か「英雄」になってしまっている・・・あ、「英雄」ならアリなのか、ルーク・スカイウォーカーとアーキタイプを共有するような西洋的な英雄ではあるのだが。
結局肝は鈴やんけ、誰でもええんやで、龍といっしょなら何も失うことなく帰還できるんやで(なぜか三カ月必要だが)、では尚更「生贄」が必要との説得力が無く、なんとも筋が通っていない、一貫した思想が見えない。これでは「ひそねの機能」は「神(超越者)」か「英雄」になってしまっている・・・あ、「英雄」ならアリなのか、ルーク・スカイウォーカーとアーキタイプを共有するような西洋的な英雄ではあるのだが。
まぁ、古神道と陰陽五行思想は別物だから、道教とかも交じってるから、とか思いつつも、陰陽五行思想的・正方形+中心点のシンボル(龍達の配置)、五芒星的シンボル(祭壇、これも陰陽五行思想的?)、六芒星的シンボル(楔女銭選定儀式で用いた図版、加茂家ではなく安倍家系?)ともに使われるとか、これは何らかの混乱や適当なだけなのか意図されたものなのかどうか・・・真面目に考えたら負けっぽいですけどね。
ひそねの帰還がイザナミの黄泉がえりとはなってなかった?(画では見せてくれてないからね)かのようなので、まずはめでたし。後はジミーとキングダム(汗)になんかあるかな、ぐらい。
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