エントリタイトル通り、とにかくギブアップ、今はこれが精一杯。
クリプトンがボーカロイドエディタ"Piapro Studio"を開発しているけど、ま、これは本家エディタの使いにくさ、より正確には編集・調整という手間に関するコストパフォーマンスの悪さ、へのひとつの回答だろうと思う。
フォルマント調整にどこまで踏み込むのかは注目点、ここは本家エディタの鬼門のひとつだ。「ジェンダーファクター」とかもっともらしい呼び方をしているけれども、それは「フォルマントの自動調整技術が無いからパラメータにして誤魔化しただけだろう」というのが従来からの個人的見解だ。
2013/07/28
2013/07/27 CBCラジオ×U-strip夜用スーパー「電磁マシマシ」
アクセスログを確認すると、タグ「電磁マシマシ」を定期的にチェックされている方が若干1名ほどおられるようです。有難うございます。ただ、感想の投稿は日曜日の午前中となりますので、午後からチェックされるのが吉かと思いますデス。
さて。
最初のゲストは電子楽器博物館の原田直樹さんと楽器屋さんでは入手できないシンセの数々、貴重回ですよ。「もうシンセはソフトシンセ(つまりPC上)だけにしよう」とのかつての決意がグラつくに十分な内容。ちなみに私の半田付の腕は4級ぐらいかなぁ…一応職業的実験屋だから。
まず紹介されたシンセはフランス(らしい)のMutable InstrumentsのAnushri、Shruthi、Ambika。これらは基本的に組立キット(基盤、部品だけ。ケースはオプション)での販売で、購入したのはいいものの部品が足りなかったり壊れていたりとなかなか大変だったとのこと。半田付の腕だけじゃ挑めないってことですな。サイトを確認して頂ければ分かる通り、これらシンセの名前はインド由来っぽい。実際、"sh"、"ri"なんかのアルファベット綴りは、ヒンドゥー教の神々や神話での登場人物の名前で良く使われます、"Krishna"とか"Vishnu"とかね。音についてはしっかり太くて良い意味で「普通」だが、フィルタの効き具合などからは「こだわり感」がビシビシ。スペック表から想像できる最高のシンセを期待してもハズさないのでは?、と思わずにはいられない。
最大の衝撃はチェコ共和国Standuinoのπ(パイ)。残念がらもはや売れ切れなのだが、その振る舞いを知ってしまうとどうしても欲しくなる。ドローン(単音で変化の無い長い音)系シンセは個人的には範疇外なのだが、ランダマイザーとパッチとの組み合わせから生み出される音はおそらく予測不可能、音自体よりも有り様が素晴らしい一品。触っていれば「π」という名前の意味も分かるのでは、という淡い期待もしてみたくなる。昔同じ「π」というタイトルの映画があって、ユダヤ数秘術と円周率との組み合わせにトンデモない秘密が隠されているという内容だったが、一脈通じるところもあるような。
後半のゲストは「ゆかどち」。いやぁ、アレで良いですよ、前のめったまま行けるところまで行って欲しいと心から思いますよ。次の展開を期待してマス。
さて。
最初のゲストは電子楽器博物館の原田直樹さんと楽器屋さんでは入手できないシンセの数々、貴重回ですよ。「もうシンセはソフトシンセ(つまりPC上)だけにしよう」とのかつての決意がグラつくに十分な内容。ちなみに私の半田付の腕は4級ぐらいかなぁ…一応職業的実験屋だから。
まず紹介されたシンセはフランス(らしい)のMutable InstrumentsのAnushri、Shruthi、Ambika。これらは基本的に組立キット(基盤、部品だけ。ケースはオプション)での販売で、購入したのはいいものの部品が足りなかったり壊れていたりとなかなか大変だったとのこと。半田付の腕だけじゃ挑めないってことですな。サイトを確認して頂ければ分かる通り、これらシンセの名前はインド由来っぽい。実際、"sh"、"ri"なんかのアルファベット綴りは、ヒンドゥー教の神々や神話での登場人物の名前で良く使われます、"Krishna"とか"Vishnu"とかね。音についてはしっかり太くて良い意味で「普通」だが、フィルタの効き具合などからは「こだわり感」がビシビシ。スペック表から想像できる最高のシンセを期待してもハズさないのでは?、と思わずにはいられない。
最大の衝撃はチェコ共和国Standuinoのπ(パイ)。残念がらもはや売れ切れなのだが、その振る舞いを知ってしまうとどうしても欲しくなる。ドローン(単音で変化の無い長い音)系シンセは個人的には範疇外なのだが、ランダマイザーとパッチとの組み合わせから生み出される音はおそらく予測不可能、音自体よりも有り様が素晴らしい一品。触っていれば「π」という名前の意味も分かるのでは、という淡い期待もしてみたくなる。昔同じ「π」というタイトルの映画があって、ユダヤ数秘術と円周率との組み合わせにトンデモない秘密が隠されているという内容だったが、一脈通じるところもあるような。
後半のゲストは「ゆかどち」。いやぁ、アレで良いですよ、前のめったまま行けるところまで行って欲しいと心から思いますよ。次の展開を期待してマス。
「宇宙戦艦ヤマト2199」Vol.6まで来ましたな
流通量の大幅減は明らか、TV放送も始めてしまった今となっては映像ソフトパッケージなんて売れないだろうという判断はおそらく妥当。TV放映開始も当初の想定よりも早かったのではないかとも思う。送り手側が賞味期限切れと判断したとなればコンテンツが余りに哀れだ。もしそうなら、「送り手側にも賞味期限切れ、乃至はそもそも作品作りに取り組む能力が無かった、という認識も同時に持てよ」と声を大にして言いたい。
当ブログのアクセスログに残る検索キーワードも、最近は「ヤマト2199 おもしろくない」「ヤマト2199 つまらない」「ヤマト2199 ひどい」となかなか容赦ない。
さて、まずは訂正。ガミラス帝国にとって「バラン」は豪快に辺境だったことが判明。あはは、ゲシュタムジャンプでも本星まで30日とか。「ゲシュタムの門」ネットワークは弾力性が低いようですなぁ…あと「コスモなんとか」が有るようです、名前からは波動砲よりもヤバそうな代物に思えます。
で、Vol.5までは結構真面目に観てたんだけど、本ヴォリュームの4話は心底キツくて、ツッこむ気も完全に失せてしまったのよ、実際んとこ。こんな展開だと最初から分かってたらトレースなんてしなかった、この期におよんで自分に腹が立ってしまう。
ご都合主義を超えて、本4話はもはや「全く面白くないコメディ」だ。これは演出とか表層的なレベルの話じゃない、物語の論理的構造と作品の有様の問題だ。各話のタイトルの選択も元ネタの手垢の付き具合が半端じゃなくてうまくない感じ。また作画レベルが時折下がるのも悪い兆候、作品がもはや作り手に愛されていない可能性を感じさせてしまいます。
本ヴォリュームは充分に事故、いや事件ですよ。
当ブログのアクセスログに残る検索キーワードも、最近は「ヤマト2199 おもしろくない」「ヤマト2199 つまらない」「ヤマト2199 ひどい」となかなか容赦ない。
さて、まずは訂正。ガミラス帝国にとって「バラン」は豪快に辺境だったことが判明。あはは、ゲシュタムジャンプでも本星まで30日とか。「ゲシュタムの門」ネットワークは弾力性が低いようですなぁ…あと「コスモなんとか」が有るようです、名前からは波動砲よりもヤバそうな代物に思えます。
で、Vol.5までは結構真面目に観てたんだけど、本ヴォリュームの4話は心底キツくて、ツッこむ気も完全に失せてしまったのよ、実際んとこ。こんな展開だと最初から分かってたらトレースなんてしなかった、この期におよんで自分に腹が立ってしまう。
ご都合主義を超えて、本4話はもはや「全く面白くないコメディ」だ。これは演出とか表層的なレベルの話じゃない、物語の論理的構造と作品の有様の問題だ。各話のタイトルの選択も元ネタの手垢の付き具合が半端じゃなくてうまくない感じ。また作画レベルが時折下がるのも悪い兆候、作品がもはや作り手に愛されていない可能性を感じさせてしまいます。
本ヴォリュームは充分に事故、いや事件ですよ。
2013/07/21
2013/07/20 CBCラジオ×U-strip夜用スーパー「電磁マシマシ」
KORGの商品企画・坂巻匡彦さん、開発・高橋達也さん、KORG特集ではお約束の山口愛実さんを迎えての「KORG Volca特集」。
"Volca"はシーケンサ機能を持ったアナログシンセ(一部PCMサンプリング音源搭載)で、ベースシンセの"Volca Bass"、ドラムマシーンの"Volca Beats"及びコードやメロディ演奏用の"Volca Keys"の3種類。スタジオには4セット、合計12台が用意され、全台同期演奏可能状態という事前情報もあって色々と期待していたのですが…
坂巻さん、高橋さんのやり取りからは、"Volca"シリーズ開発時の状況の大変さだけでなく一種のユルさも覗えて面白かったのだが(「喫煙所始まり」とか良いじゃないですか)、後半に進むにつれて…なんとも期待していたのとは全く違う展開に。「ユルさの中にちらちら見えるプロの凄さ」みたいところが覗えることが多いのが 私にとっての「電磁マシマシ」という番組の面白さであり期待しているところ。今回ばかりは展開上そういうものが欠けてしまって不完全燃焼感が残っちゃったねぇ…ゲストの坂巻さん、高橋さん、そして"Volca"シリーズには全く非が無いだけに困っちゃうなぁ。
"Volca"はシーケンサ機能を持ったアナログシンセ(一部PCMサンプリング音源搭載)で、ベースシンセの"Volca Bass"、ドラムマシーンの"Volca Beats"及びコードやメロディ演奏用の"Volca Keys"の3種類。スタジオには4セット、合計12台が用意され、全台同期演奏可能状態という事前情報もあって色々と期待していたのですが…
坂巻さん、高橋さんのやり取りからは、"Volca"シリーズ開発時の状況の大変さだけでなく一種のユルさも覗えて面白かったのだが(「喫煙所始まり」とか良いじゃないですか)、後半に進むにつれて…なんとも期待していたのとは全く違う展開に。「ユルさの中にちらちら見えるプロの凄さ」みたいところが覗えることが多いのが 私にとっての「電磁マシマシ」という番組の面白さであり期待しているところ。今回ばかりは展開上そういうものが欠けてしまって不完全燃焼感が残っちゃったねぇ…ゲストの坂巻さん、高橋さん、そして"Volca"シリーズには全く非が無いだけに困っちゃうなぁ。
Gyaoで映画「WINDS OF GOD」(1995)を改めて観る
やはり個々人の「映画の観方、読み方」が何気に露わになりそうな映画。
明らかに舞台上のセットでの撮影、窓外があからさまに書き割りなセットでの撮影、ラストの漫才シーンに代表されるロケーション撮影などと、冒頭の「WINDS OF GOD」を上演しているという劇場のカットとの関連性をどう捉えるか…解釈は解釈に過ぎないし、語られる物語自体の価値には影響しないものの、元々舞台劇であったものを映画にすることの意味合いには個人差が出てしまうだろう。
何かが変わってしまったことの映像表現には少なくと二つ方法がある。ひとつは、変わったものを変えてしまうこと、もう一つは変わったもの以外を全て変えてしまうこと。カメラが切り取った映像の主体を誰とするかが一つのキーだ。
『映画「WINDS OF GOD」』は「構造」だけでもけっこう味わい深く、他人の「読み方」がどうしようもなく気になるのだ。
零戦の色が地上と空中で違うとか、特攻機なのにドロップタンク付けてるとかは「それらをちゃんとできない(そういう事に感度が無い、他人が同じことをやっても気づかないか気にしない)人達」が作ったんだから、と納得しましょう。決して笑いどころではありません。出来ん人は出来んのですよ。
明らかに舞台上のセットでの撮影、窓外があからさまに書き割りなセットでの撮影、ラストの漫才シーンに代表されるロケーション撮影などと、冒頭の「WINDS OF GOD」を上演しているという劇場のカットとの関連性をどう捉えるか…解釈は解釈に過ぎないし、語られる物語自体の価値には影響しないものの、元々舞台劇であったものを映画にすることの意味合いには個人差が出てしまうだろう。
何かが変わってしまったことの映像表現には少なくと二つ方法がある。ひとつは、変わったものを変えてしまうこと、もう一つは変わったもの以外を全て変えてしまうこと。カメラが切り取った映像の主体を誰とするかが一つのキーだ。
『映画「WINDS OF GOD」』は「構造」だけでもけっこう味わい深く、他人の「読み方」がどうしようもなく気になるのだ。
零戦の色が地上と空中で違うとか、特攻機なのにドロップタンク付けてるとかは「それらをちゃんとできない(そういう事に感度が無い、他人が同じことをやっても気づかないか気にしない)人達」が作ったんだから、と納得しましょう。決して笑いどころではありません。出来ん人は出来んのですよ。
2013/07/20
すまんがそいつは腹が立つ
スパムメールなんて無視すれば良いだけなのだが、仕事で疲れきった状態ではスパムメールのつまらんタイトルに異様に腹が立つことがある。もちろん内容なんて見ない。
タイトル:ニートやってて悪いですか!?
腹立ちポイントは"!"が付けてあること、疑問の文体で末尾を"?"だけにしないという姿勢だけで十分カチンとくる。良いとか悪いとかそんな高尚なレベルの話じゃないよ、ニートやってる暇があるなら働け。
で、いわゆる"Night Crawlers"。何時観てもなごむねぇ…癒しのUMA。
タイトル:ニートやってて悪いですか!?
腹立ちポイントは"!"が付けてあること、疑問の文体で末尾を"?"だけにしないという姿勢だけで十分カチンとくる。良いとか悪いとかそんな高尚なレベルの話じゃないよ、ニートやってる暇があるなら働け。
で、いわゆる"Night Crawlers"。何時観てもなごむねぇ…癒しのUMA。
2013/07/19
近況、六度。
- 病状は安定でしばらく出社拒否なし、投薬も変更なし。来週は気の重い出張が2件入っていて、ちょっとばかりブルー、気の重さの原因は自分にはないんだけどね。
- 頭部のMRI検査。脳は20歳代前半並みということで、医者も唸っちゃう「脳が実年齢より20歳ばかり若い」という事実。自分の経験から「人間、歳を取ると逆に無邪気になるもんだ」という感想を持っていたが、辺りを見回すと他人はそうそうそういう訳でもないみたい。どうも脳年齢の影響は無視できないやな感じ。無邪気になるためのポイントは「自分の無能さ加減の直視」かと思う。不要なプライドやこだわりを積極的に抽出、意図的に捨てることで身も心も思考も軽くなる。考えたことは人に話すのが間違いなく吉だが、話すときこそ頭をフル回転させよう。
- フランク・ウィルチェックの「物質のすべては光」を再読中。いよいよ「質量の起源」に関する記述に突入。今度こそ内容をちゃんと「理解」せねば!頑張れ、俺の脳。
- とある報道によると、ここ3年間(訂正:2005年以降、が正しいそうです。)の中露軍合同演習の費用は全て中国が出してるとか。また、国内向けに「ロシアからスホーイ35(ロシア軍ですら配備機数が限られている最新鋭戦闘機)を100機購入を契約」と報道しながら、この件に関するネット上の一般人による言及は完全に検閲中とか、もちろんロシアは公式に否定。輸出したスホーイ27がコピーされた上にコピー品を「中国開発機」と主張されてしまった件もあり、ロシアが中国を警戒するのも最もな話。中国(と言うか中国共産党)の意図が全く見えない恐ろしさ、「でっかい北朝鮮化」なんて上手いのかどうか分からない陰口もあったりする。
- 暴動が頻発している新疆ウィグル自治区には人民解放軍と武装警察隊を合わせて10万人投入したという報道もあり、「中国という国を喰い物にする中国共産党」のイメージがいや増す展開。新華社通信がこの辺りについて何も報道しないってことが何気に凄い。地方政府から「自殺禁止令」が出されたってあたりに「どうしようない感」を禁じえない。単純に思うのは、「今日的に中国共産党は充分にイスラムの敵」なんじゃないの?、と。
- 余り報道されていないみたいだけど、イスラエルは国費を投入して国内のパレスチナ人の教育レベルの向上を目指すとともに、人材と呼べるパレスチナ人は積極的に国立研究機関で採用している事実。政治参加にはまだ敷居が高いとは言え、パレスチナ人の社会進出と国力向上は切り離せないとする方向性(加えて国防費が圧縮できればなお良し)は政府閣僚の発言でも裏打ちされている。
- ちなみにイスラエル国内で製作されたアニメーション映画は3本だけなそうな。1本目はストップモーションの人形アニメ(らしい)、2本目はFlashを使った「戦場でワルツを」。
- 遠方のいつもの友人から「3DCGはもうやらないの?」の問い。これまではモデリングプロジェクトしかやってこなかったが、今後はムービー作成まで含めたプロジェクトへと軸足を移すのが基本的スタンスだ。いったんとりかかれば2~3年はかかるやもしれぬ故、始めるとなるとそれなりに覚悟が要るのよ。今は、「複数あるプロジェクト案を絞り込むための試作」を色々やっている段階。
- 塩漬け状態だったVocaloid3 Megpoid Wisperの初テスト。まだ曲中のセリフというか語りはありません。歌詞の「トゥインクルスター」と「エンディングスタート」は鬼門で、「ス」の音が上手く出ないか、「ス」の音が出る代わりにその前の音が出ないかの二者択一状態。どうでもよいところは良い塩梅にどうでもよく処理してしまうのがボーカロイドの仕様のミソだが、局所的に突き詰めようとするとUTAUの方が上だったりするのは如何なものか。Vocaloid Editorは何回使っても使い勝手の悪さばかり目立つ。音程によるフォルマント変化が激しいのも辛い。
バックトラックは耳コピ60%ぐらいで残りは印象で組んだ3種類、チップチューン風に落とす前の適当なやつ、CASIO HT-700ポップキーボード(の私の記憶における音)をシミュレートしたやつ、及びYAMAHA FB-01音源モジュール(の私の記憶における音)をシミュレートしたやつといったところ。適当なやつが一番音の切れが良い気がするのは気のせいですか?こと音楽に関してはとことん突き放した方が後で聞いても耐えられる方向に寄り易い感じ、きっとセンスが無いのな。あ、楽曲の"Dear Radio"は「電磁マシマシ」のエンディングテーマ曲でやんす。
2013/07/16
"Bizarre Love Triangle / feat. Megpoid Eng."の顛末:補足
言わば正調版。邪道を先にやってしまうことで、逆に正調版の座りどころが自分の中に見つかると言う変な展開。フォルマントが変に変わるところを直しきれていないことと、ミックス時にバスドラ入れ忘れてる(自分でも訳分からんよ)のでVer. 0.8。ボーカルのレベルが高めのままなのもVer. 0.8。さすがに"KORG M1"(もちろんVSTi)の"Hit"を剥き身のままでは使えませんなぁ…やっぱ今では恥しい音色ですね。
2013/07/14
2013/07/13 CBCラジオ×U-strip夜用スーパー「電磁マシマシ」
ゲストはSEGAのHiro氏とmaimaiちゃん(の中の人こと、SEAG広報の方。もちろん女性ですよ) 。もう近所のゲーセンは全て壊滅して久しいのでゲーム"maimai"なんてプレイするどころか見る機会もないのだが、チップチューンユニットYMCKの楽曲はチェックしているので「maimaiちゃんのテーマ」は既に購入していたりする。
ゲーム音楽にはとんと疎いのでHiro氏と聞いてもピンとこなかったのだが、「ゲーム"After Burner"の音楽も担当した人ですよ。」と分かってしまっては「私にも是非『Hiro師匠』と呼ばせて下さい!」という感じ(苦笑)。家庭用ゲームコンソールを購入したのは就職後で機種は"SEGA MegaDrive"。もちろん"After Burner"を自宅でプレイしたかったから。
今回のポイントは、何といってもHiro氏のSEGA入社直後の音源の紹介(いわゆる「バナナパフェ」)。時期的には1985~88年ごろということで、音源はオーディオカセットテープ、しかも4トラックMTR(マルチトラックレコーダー)で録音したものも混じっているという説得力の高さ。
内容は、いわば楽曲スケッチ~チーム内検討用デモといったところとのことで、没になった"After Burner"用楽曲のスケッチ(メロディの一部は採用)も飛び出す貴重さ加減。初期のスケッチはポップキーボードの伴奏機能(数小節のドラム、ベース、コードの基本パターンは編集できて、再生中にキーボードでコードを左手で押さえるとベースやコードがリアルタイムに変化する機能)+メロディのリアルタイム演奏なので、勢いがビシビシ。スケッチということで録音のし直しなんてしていないということなので、メロディ演奏に時折躊躇してるようなニュアンスも乗っかっていたりして、ライブ感?いや「息遣い感」がとても良い。特にMTRでリアルタイム演奏のギターを重ねているスケッチでは「勢い」も「息遣い感」も気持ち良い。
また、ラジオでは分からないHiro氏が「MTRの各トラック出力のレベル、イコライザー、定位を再生中にちゃっちゃっといじる姿」は当然のことながらとても様になっているとか、「20年以上前の自分の演奏するギターのチューニングのずれ」にダメ出しするとか、とにかく貴重回。
番組最後の20分はHiro氏による"KORG M01D"楽曲製作ライブ状態。初めて触るということで、佐野氏の説明を受けつつも「成程。」を連発しながら4小節(だったかな?)の楽曲を製作してしまう。「(NINTENDO 3DSソフトなので画面は3Dで表示されるのを指して)無駄な機能だよね、音は3Dにしないの?」と当然と言えば当然のインプレッションで佐野氏を慌てさせ、「キーボード画面とスタイラスペンを使ってリアルタイムMIDIレコーディングは出来ないの?」という想定外質問でさらに佐野氏を一瞬凍りつかせるといった飽きない展開。幸い、後者はリピート再生を止めて単音なら(スタイラスペンでは一度に一つの鍵盤しか押せないから)できちゃうことが実証されました。良かった良かった。
MTR(既にSEGA社内には無いらしい)を今時用意しちゃう番組スタッフも実は凄い。
一点だけちょっとびっくりしたのは、佐野氏もHiro氏もYMCK製作のチップチューン用VSTiプラグイン "Magical 8bit Plug"のことは余り知らない様子で、プラグイン名称が出てこなかったこと。シンセサイザーで楽曲製作する人にも、ざっくり楽曲製作寄りの人と音色作り寄りの人がいるけれども、お二人とも基本的に前者ということなのかなぁ…。
ちなみにこ1980年代後半は私は大学生で、CASIOのポップキーボードやMTR(TASCAM PortaOne)を使って友人達とワイワイガヤガヤ多重録音をやっていたころ。Hiro氏は「最初のころはまだMIDIシーケンサーが無くて…」と発言していたのでネット上で確認したところ、確かにMIDIシーケンサーの普及開始時期は1987年付近。当時バイトして買った"KORG SQ-8"が1986年発売(約3万円)、とても手が出なかった"Roland MC-500"も同年発売…あぁ、懐かしい。
ネットで拾った"KORG SQ-8"の写真、けっこう小さいことが分かるでしょ?厚みはあるけど、MIDI端子の大きさ、電池の内蔵を考えるとこれ以上は薄くできないのだ。8トラックで最大6400音ってぇのは当時の私には十分すぎる機能。ただ基本的にデータ保存メディアは無かったから、再生後の音しか残せなかったのよ。
ゲーム音楽にはとんと疎いのでHiro氏と聞いてもピンとこなかったのだが、「ゲーム"After Burner"の音楽も担当した人ですよ。」と分かってしまっては「私にも是非『Hiro師匠』と呼ばせて下さい!」という感じ(苦笑)。家庭用ゲームコンソールを購入したのは就職後で機種は"SEGA MegaDrive"。もちろん"After Burner"を自宅でプレイしたかったから。
今回のポイントは、何といってもHiro氏のSEGA入社直後の音源の紹介(いわゆる「バナナパフェ」)。時期的には1985~88年ごろということで、音源はオーディオカセットテープ、しかも4トラックMTR(マルチトラックレコーダー)で録音したものも混じっているという説得力の高さ。
内容は、いわば楽曲スケッチ~チーム内検討用デモといったところとのことで、没になった"After Burner"用楽曲のスケッチ(メロディの一部は採用)も飛び出す貴重さ加減。初期のスケッチはポップキーボードの伴奏機能(数小節のドラム、ベース、コードの基本パターンは編集できて、再生中にキーボードでコードを左手で押さえるとベースやコードがリアルタイムに変化する機能)+メロディのリアルタイム演奏なので、勢いがビシビシ。スケッチということで録音のし直しなんてしていないということなので、メロディ演奏に時折躊躇してるようなニュアンスも乗っかっていたりして、ライブ感?いや「息遣い感」がとても良い。特にMTRでリアルタイム演奏のギターを重ねているスケッチでは「勢い」も「息遣い感」も気持ち良い。
また、ラジオでは分からないHiro氏が「MTRの各トラック出力のレベル、イコライザー、定位を再生中にちゃっちゃっといじる姿」は当然のことながらとても様になっているとか、「20年以上前の自分の演奏するギターのチューニングのずれ」にダメ出しするとか、とにかく貴重回。
番組最後の20分はHiro氏による"KORG M01D"楽曲製作ライブ状態。初めて触るということで、佐野氏の説明を受けつつも「成程。」を連発しながら4小節(だったかな?)の楽曲を製作してしまう。「(NINTENDO 3DSソフトなので画面は3Dで表示されるのを指して)無駄な機能だよね、音は3Dにしないの?」と当然と言えば当然のインプレッションで佐野氏を慌てさせ、「キーボード画面とスタイラスペンを使ってリアルタイムMIDIレコーディングは出来ないの?」という想定外質問でさらに佐野氏を一瞬凍りつかせるといった飽きない展開。幸い、後者はリピート再生を止めて単音なら(スタイラスペンでは一度に一つの鍵盤しか押せないから)できちゃうことが実証されました。良かった良かった。
MTR(既にSEGA社内には無いらしい)を今時用意しちゃう番組スタッフも実は凄い。
一点だけちょっとびっくりしたのは、佐野氏もHiro氏もYMCK製作のチップチューン用VSTiプラグイン "Magical 8bit Plug"のことは余り知らない様子で、プラグイン名称が出てこなかったこと。シンセサイザーで楽曲製作する人にも、ざっくり楽曲製作寄りの人と音色作り寄りの人がいるけれども、お二人とも基本的に前者ということなのかなぁ…。
ちなみにこ1980年代後半は私は大学生で、CASIOのポップキーボードやMTR(TASCAM PortaOne)を使って友人達とワイワイガヤガヤ多重録音をやっていたころ。Hiro氏は「最初のころはまだMIDIシーケンサーが無くて…」と発言していたのでネット上で確認したところ、確かにMIDIシーケンサーの普及開始時期は1987年付近。当時バイトして買った"KORG SQ-8"が1986年発売(約3万円)、とても手が出なかった"Roland MC-500"も同年発売…あぁ、懐かしい。
ネットで拾った"KORG SQ-8"の写真、けっこう小さいことが分かるでしょ?厚みはあるけど、MIDI端子の大きさ、電池の内蔵を考えるとこれ以上は薄くできないのだ。8トラックで最大6400音ってぇのは当時の私には十分すぎる機能。ただ基本的にデータ保存メディアは無かったから、再生後の音しか残せなかったのよ。
3DCGにおけるカメラの回転軸についてのメモ
Youtubeなどにアップロードされているアマチュア製作の3DCGムービーを観てしばしば感じるのは、「カメラの動き」への意識が低いこと。善し悪しではなくて、勿体ないという話である。
今回はカメラの回転軸についてだけ、思うところを書いておこう。
まず以下の話で必要なカメラの要素をはっきりさせておこう。カメラにはフィルムなりCCDなり、レンズを通して入射してきた光を受ける部分がある。これを便宜上「受光面」と呼ぼう。受光面の中心からレンズの中心に向かう直線の向きを同様に「カメラの向き」と呼ぼう。これら二つがあれば事足りる。
さて、私が使っている3DCGアプリLightwave3D(以下、LW3D)のカメラのデフォルトの回転中心は受光面の中心に相当する位置にある。他のアプリでも同様かと思う。だが、実際にそんなカメラセッティングは可能なのだろうか。上述の「勿体なさ」の原因はデフォルトの回転軸をそのまま使うところにある。
例を挙げよう。砂漠の中の直線道路を車が疾走しているカットを作ることを考える。より具体的に言うと、カメラマンが道の脇でカメラを構えている設定で、「遠方から高速で迫って来る車→目の前を通過する車→高速で遠ざかっていく車」をカメラの向きを車の位置に合わせてを回転させながら、いわゆるパンさせながら、撮影したようなカットを作ることを考える。さらに、車や背景のモデル、ライティングは完璧、静止画で見る限りはリアルそのものという条件、車の動きもリアルそのものという条件を加えよう。
LW3Dでは、カメラが特定のオブジェクト(ここでは、車のモデルで良い)の中心位置に常に向くように設定できる。こうしておくと、カメラは車の動きに合わせて自動的に回転する、つまりカメラの向きは常に車の方向に向く。このような設定で作られたカットでは、意外と違和感は出ない。別の言い方をすると、意外にCGっぽくはならない。
出来上がったカットを観た製作者は、例えばこんなことを考える。
「カメラマンは家庭用ビデオカメラを使っているのだ。カメラの手ぶれの効果でカットに臨場感を加えよう。」
「手ぶれ」のシミュレート方法はここでは問わないこととして、とにかくカメラの位置は変えずに、カメラの向きが良い塩梅に揺れるように設定できたとしよう。が、その結果得られたカットは逆に「リアリティ」を失ってCGっぽさを獲得し、勿体ない状態となる。それは何故か?
ここで「家庭用ビデオカメラ」はカメラマンの右手で構えられており、さらにカメラマンは「家庭用ビデオカメラ」の左側面から立ちあがっている液晶画面を正面から見ているとする。このとき、カメラの受光面はカメラマンの腰の回転軸(軸の向きが上下方向)に対して右前にあることになる。このような状況下では下記のように「リアリティ」が失われる。
対して、「手ぶれ」効果を加える前のカットには、「あり得ないカメラセッティング」を視聴者が認識するような情報が基本的に含まれていない。もっと言えば、「カメラという物理的な存在が無くても」成立する、或いは「カメラという存在があってはならない神の視点」とでも呼ぶべきカットなのである。「手ぶれ」効果は「カメラという物理的な存在」無くしては成立しないし、パンの回転軸が受光面中心を通るような精巧なカメラセッティングと「手ぶれ」の発生は「リアリティ」として相容れない(想定が実質的に困難という意味)。
昔の8mmカメラによるホームメイドムービーのパンなどの回転軸は、基本的に受光面の後方にある。これはカメラマンがファインダーを覗いており、左右・上下方向への回転軸は首及び腰にあるためである。回転軸が受光面の後方にあるため、パン操作時には回転に合わせて「受光面の向きだけでなく位置も動く」。カメラの動きにリアリティを与えるためには回転軸の設定に心を砕く必要があるということ、逆に言えば、例えば「8mmカメラによるホームメイドムービー」風のカットにするひとつの方法論は、カメラの回転軸の位置と向きを「リアリティ」としての8mmカメラにまず合わせて設定することである。
"Battlester Galactica"の初期エピソードのVFXカットでは、カメラ回転軸設定に「リアリティ」を感じさせるカットが多々あった。このような「専門のカメラマンではない人間によって撮影されたドキュメンタリー」風の絵作りはその後流行り、相当の時間遅れを伴ってNHK大河ドラマでも見られるまでになる。しかし、実際に多く見られたのは「『専門のカメラマンではない人間によって撮影されたドキュメンタリー』風」風の映像に過ぎず、国内外のプロにあっても本質的なところを外しちゃうんだという状況が露わになっただけのようだ。本家"Battlester Galactica"もVFX製作体制の変更(予算縮小により、VFX専門会社へ外注できなくなったのが原因とされる。)などを経るうちにカメラ回転軸の「リアリティ」は完全に失われる。"Blood & Chrome"のVFXカットの酷さ(神の視点か、カメラの存在という「リアリティ」を備えた映像か、といった意味での明確な方向性の無さ)は、過剰なレンズフレアの使用も相まって、心有る人ほどがっかりさせたようだ。
8mmカメラには8mmカメラの、映画カメラには映画カメラの「リアリティ」がある。ここで「リアリティ」とは、受光面と回転軸の向きや位置の相対関係が映像に与える効果である。更に言えばレンズ焦点距離(或いは画角)の設定もカメラやカメラセッティングの「リアリティ」に関わる重要な要素だろう。
アニメなどで、フレームが固定された状態では極めて映画的な絵(映画鑑賞体験の記憶と一致する絵という意味)なのに、フレームが動いた途端に映像が映画的でなくなるという経験をしたことがないだろうか。個人的には上述の「リアリティ」の欠如が原因である場合が多いように思うのだ。
TVドラマや日本の旧来のセルアニメの方法論は、「神の視点」に寄っている。まずフレームがあり、その中に登場人物をどのように配置するかというアプローチ寄りということである。片や少なくとも「私の記憶における映画」の方法論は、出演者の演技する空間の一部をどのようにカメラのフレームで切り取るかというアプローチに寄っている。いわゆる「カメラ固定の長回し」でも映画にあってはアプローチは同様である。
TVドラマはカメラに合わせるが故に映像にカメラの存在感が希薄となり、「私の記憶における映画」ではカメラが合わせるが故に映像におけるカメラの存在感が増す、とも言える。これは、相対的に短時間でカット数をこなさなければいけなかったTVドラマと、出演者の演技と相互作用しながらのカメラセッティング調整を当たり前としていた映画との如実な違いかと思う。映像というアウトプットに影響しないならば、カメラセッティングに時間をかける必然性はないよね。
まぁ、黒澤明氏や岡本喜八氏などはちょっと例外ではあるんだけどね。
今回はカメラの回転軸についてだけ、思うところを書いておこう。
まず以下の話で必要なカメラの要素をはっきりさせておこう。カメラにはフィルムなりCCDなり、レンズを通して入射してきた光を受ける部分がある。これを便宜上「受光面」と呼ぼう。受光面の中心からレンズの中心に向かう直線の向きを同様に「カメラの向き」と呼ぼう。これら二つがあれば事足りる。
さて、私が使っている3DCGアプリLightwave3D(以下、LW3D)のカメラのデフォルトの回転中心は受光面の中心に相当する位置にある。他のアプリでも同様かと思う。だが、実際にそんなカメラセッティングは可能なのだろうか。上述の「勿体なさ」の原因はデフォルトの回転軸をそのまま使うところにある。
例を挙げよう。砂漠の中の直線道路を車が疾走しているカットを作ることを考える。より具体的に言うと、カメラマンが道の脇でカメラを構えている設定で、「遠方から高速で迫って来る車→目の前を通過する車→高速で遠ざかっていく車」をカメラの向きを車の位置に合わせてを回転させながら、いわゆるパンさせながら、撮影したようなカットを作ることを考える。さらに、車や背景のモデル、ライティングは完璧、静止画で見る限りはリアルそのものという条件、車の動きもリアルそのものという条件を加えよう。
LW3Dでは、カメラが特定のオブジェクト(ここでは、車のモデルで良い)の中心位置に常に向くように設定できる。こうしておくと、カメラは車の動きに合わせて自動的に回転する、つまりカメラの向きは常に車の方向に向く。このような設定で作られたカットでは、意外と違和感は出ない。別の言い方をすると、意外にCGっぽくはならない。
出来上がったカットを観た製作者は、例えばこんなことを考える。
「カメラマンは家庭用ビデオカメラを使っているのだ。カメラの手ぶれの効果でカットに臨場感を加えよう。」
「手ぶれ」のシミュレート方法はここでは問わないこととして、とにかくカメラの位置は変えずに、カメラの向きが良い塩梅に揺れるように設定できたとしよう。が、その結果得られたカットは逆に「リアリティ」を失ってCGっぽさを獲得し、勿体ない状態となる。それは何故か?
ここで「家庭用ビデオカメラ」はカメラマンの右手で構えられており、さらにカメラマンは「家庭用ビデオカメラ」の左側面から立ちあがっている液晶画面を正面から見ているとする。このとき、カメラの受光面はカメラマンの腰の回転軸(軸の向きが上下方向)に対して右前にあることになる。このような状況下では下記のように「リアリティ」が失われる。
- 「手ぶれ」があるならば、ぶれの回転軸は手首、肘、肩などとなるが、いずれにしてもぶれの「回転軸」は受光面中心をまず通らない。つまり、「手ぶれ」によって受光面の中心位置が変わらなければならない。
- 「手ぶれ」があるならば、カメラはカメラマンの手で構えられている。この場合、車の通過に合わせてカメラの向きが変わる際の回転軸は腰の回転軸でなければならず、パン時の「回転軸」は受光面中心を通らない。
対して、「手ぶれ」効果を加える前のカットには、「あり得ないカメラセッティング」を視聴者が認識するような情報が基本的に含まれていない。もっと言えば、「カメラという物理的な存在が無くても」成立する、或いは「カメラという存在があってはならない神の視点」とでも呼ぶべきカットなのである。「手ぶれ」効果は「カメラという物理的な存在」無くしては成立しないし、パンの回転軸が受光面中心を通るような精巧なカメラセッティングと「手ぶれ」の発生は「リアリティ」として相容れない(想定が実質的に困難という意味)。
昔の8mmカメラによるホームメイドムービーのパンなどの回転軸は、基本的に受光面の後方にある。これはカメラマンがファインダーを覗いており、左右・上下方向への回転軸は首及び腰にあるためである。回転軸が受光面の後方にあるため、パン操作時には回転に合わせて「受光面の向きだけでなく位置も動く」。カメラの動きにリアリティを与えるためには回転軸の設定に心を砕く必要があるということ、逆に言えば、例えば「8mmカメラによるホームメイドムービー」風のカットにするひとつの方法論は、カメラの回転軸の位置と向きを「リアリティ」としての8mmカメラにまず合わせて設定することである。
"Battlester Galactica"の初期エピソードのVFXカットでは、カメラ回転軸設定に「リアリティ」を感じさせるカットが多々あった。このような「専門のカメラマンではない人間によって撮影されたドキュメンタリー」風の絵作りはその後流行り、相当の時間遅れを伴ってNHK大河ドラマでも見られるまでになる。しかし、実際に多く見られたのは「『専門のカメラマンではない人間によって撮影されたドキュメンタリー』風」風の映像に過ぎず、国内外のプロにあっても本質的なところを外しちゃうんだという状況が露わになっただけのようだ。本家"Battlester Galactica"もVFX製作体制の変更(予算縮小により、VFX専門会社へ外注できなくなったのが原因とされる。)などを経るうちにカメラ回転軸の「リアリティ」は完全に失われる。"Blood & Chrome"のVFXカットの酷さ(神の視点か、カメラの存在という「リアリティ」を備えた映像か、といった意味での明確な方向性の無さ)は、過剰なレンズフレアの使用も相まって、心有る人ほどがっかりさせたようだ。
8mmカメラには8mmカメラの、映画カメラには映画カメラの「リアリティ」がある。ここで「リアリティ」とは、受光面と回転軸の向きや位置の相対関係が映像に与える効果である。更に言えばレンズ焦点距離(或いは画角)の設定もカメラやカメラセッティングの「リアリティ」に関わる重要な要素だろう。
アニメなどで、フレームが固定された状態では極めて映画的な絵(映画鑑賞体験の記憶と一致する絵という意味)なのに、フレームが動いた途端に映像が映画的でなくなるという経験をしたことがないだろうか。個人的には上述の「リアリティ」の欠如が原因である場合が多いように思うのだ。
TVドラマや日本の旧来のセルアニメの方法論は、「神の視点」に寄っている。まずフレームがあり、その中に登場人物をどのように配置するかというアプローチ寄りということである。片や少なくとも「私の記憶における映画」の方法論は、出演者の演技する空間の一部をどのようにカメラのフレームで切り取るかというアプローチに寄っている。いわゆる「カメラ固定の長回し」でも映画にあってはアプローチは同様である。
TVドラマはカメラに合わせるが故に映像にカメラの存在感が希薄となり、「私の記憶における映画」ではカメラが合わせるが故に映像におけるカメラの存在感が増す、とも言える。これは、相対的に短時間でカット数をこなさなければいけなかったTVドラマと、出演者の演技と相互作用しながらのカメラセッティング調整を当たり前としていた映画との如実な違いかと思う。映像というアウトプットに影響しないならば、カメラセッティングに時間をかける必然性はないよね。
まぁ、黒澤明氏や岡本喜八氏などはちょっと例外ではあるんだけどね。
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