さて、勤務先の定年も見え始め、会社員としても一種の終活なんかも始めてみている。具体的にどんな活動をしているかはさておいて、改めて意を強くしたことがある。
現在までの工学畑の職歴において、幸いにして社内外でそれなりの評価を得ることができている。もちろん、多くの方々との共同作業やお力添えあってのものだが、コアには「やはりこの分野、この業務に私は向いている」という強い思いがある。これは自らの選択の結果だが、大学三年生時の企業夏季実習(今時なら、夏季インターシップとでも呼ばれるのだろう)のテーマとその実習での経験が起点にある。
実習で人生初めての技術分野に向かい合ったとき、奇妙なことに気が付いた。レポートや論文の内容が「すいすいと分かった、内容が頭に入ってきた」のだ。「私はこの分野に向いている」との確信は続く在学中にも強化され続け、就職先も業務も「私自身が向いていると信じるところ」に従って選択し続けた。
と言う訳でエントリタイトルの回収はおしまいだ。まさに「向いてることで生きていく、食っていく」を地で行く形の生活を長く続けて来た訳だ。
就職先の先輩にして同技術分野の師匠筋、上司でもあったとある方には「お前は(技術分野)オタクだ」とまで面と向かって言われた私だが、それでもなおその技術分野やそれに関わることが好きな訳ではない。つまり「好きなことで生きてきた、食ってきた」訳ではないということだ。向いていることなら面白い、事がスムースに進みやすい、人からも認められやすい・・・要は低ストレス高アウトカム(成果)が期待できる。「好きなこと」は別腹だ。
自ら生活の糧を得るようになってからの人生は長い。もしあなたが就職前で、かつ「やりたいこと」を探している最中なら、複眼視的に「向いていること」にもアンテナを立てておいてはいかがだろうか。
ちなみに現在にも増して出不精で面倒臭がりで他者の行動に影響されることを潔しとしない当時の私が、好きなことに漬かり続ける時間を捨ててまで何故「企業夏季実習」なんかに申し込んだのかは、我ながら未だに謎だ。ご先祖様のお導きでもあったのか、少なくとも論理的だったり合理的だったりする説明は不可能だ。一種の巡り合わせとしか言いようがない。
あくまで主観だが、「好きなことで生きていく、食っていく」は生活のすべてをそれに注ぎ込む覚悟が無いと飛び込めない修羅の道だ。日々の糧を得る活動と人生全てが不可分となった状態で、あなたはそれでも「好きなこと」を好きでいられるだろうか?私にはムリだ。
「向いていること」で生活の糧と(やりたいことを探すまでもなく)「やりがい」を得、休日や平日の仕事明けには「好きなこと」に取り組む・・・案外悪くない人生じゃないかな。
「努力は夢中に勝てない?」
「うん、どんなに一生懸命努力しても、努力してるかぎり、夢中になってる人
には絶対かなわない」
「それってどういうこと?」
「ハッキリ言うと、努力している時点で向いてないってことなんだ」
仰木日向,まつだひかり(マンガ・イラスト): 作曲少女 平凡な私が14日間で曲を作れるようになった話,株式会社ヤマハミュージックメディア, 初版、pp.64 (2016).
これら文章を引用して私が言いたいことは簡単だ。向いている人がその方面で努力し続けたらどうなるかな?