Amazonプライムビデオで2話まで観る。何故"The Witch from Mercury"ではなく"the Witch from Mercury"だったりするのかはかなり謎だが、特に意味が有るとは考えていない。
まとめサイトをチラ見していたら、本作について「これはガンダムなのか?」とか「ポリコレがどーのこーの」みたいな話もあったようなのだが、私個人は「最初のエウレカセブン+トップ2やん」としかならなかった。まぁ、エンドテロップのスタッフ名を眺めていれば、さもありなんとなる要素には事欠かない。要は、そういう描写や演出をやるのはやっぱりお前(ら)かよ、ってこと。変わらないねぇ。
少なくとも現時点ではliliumな要素はあくまで要素に過ぎず、ほのめかしの類も感じない。エンディングで使われているイメージ群も特に何らかの機能を果たしているようには見えない(まぁ、本当にliliってもらってもかまわんけど、ファッションでやると作品を毀損する可能性はある。"witch"自体にはlilium絡みのシンボルはないから、タイトルに偽りがなければ作品の出来不出来への影響は無い筈だけどね。なお、私は「声(声優や声の持つ特徴そのもののキャラへの割り当て)」から何かを読むことはできない)。特に何か新しいとか、一線を越えたとか、そういう感じも全くない。要は、私みたいなアニメに肯定的でも否定的でもなく、面白ければ観る、という人間の快感則にそうやって沿わせて来られるのはやっぱりお前(ら)かよ、ってこと。でも15年前と同じやり方、な。
つまらなくないレベルより更にちょっと上のレベルで堅実にまとまっている感じはあるが、第2話にして2、3か所作画に不安を感じさせられたところが有ったことには触れておきたい。演出も合わせてがたついた。ここで言いたいことは作画崩壊がどうのこうのといったものではない。作画の問題は目立つ(質の良し悪しが誰にでも分かる)故に、作画の問題への対策に作り手のエネルギーが注がれがちな面は否定し難いと思う。作画のクオリティへのエネルギー投入が原因で、作品としてのクオリティが下がることが無いことを本気で祈る。「うる星やつら」の第1話なんて作画的には全く見るべきところがなかったけど、第2話以降も同じ感じでやっていくんでしょ?(ラムの髪の色の処理は、作画マターではなく演出マターというのが私の認識だ)とは言え、最終話までラムが髪をかき上げる動作を入れられ続けられるかには多少の興味はある。ちなみに音楽は終始つまらなかったな。
話戻って水星の魔女、第3話がめっちゃ楽しみです、と二心なくここに書けるくらいには面白い。セクシュアリティを押し出してこないこの種のキャラデザ(主人公はタヌキだよなぁ)も大好きですよ。思わせぶり要素はタイトル中の「魔女」だけでもうお腹いっぱいだが、同時にこの部分の処理を誤ると駄作に落ちるよ、きっと。