昨夜TVで放送していた映画「聯合艦隊司令長官 山本五十六」は、映画としての出来はともかく、日本映画での3DCGの習熟度を計る上でひとつのマイルストーンだったと思う。
日本の特撮映画において水、ひいては海は鬼門だった。水は表面張力という曲者のせいで代表的な物理的スケールがあり、そのスケール単独での縮小が不可能故にミニチュア特撮の敵と言える。ここで物理的スケールとは液滴や液塊、気泡の大きさや波の大きさと速度との関係などである。私達は水の挙動を経験的に知っているため、例えば球形で存在できる水の塊の大きさなどを基準に、画面の中の物体の大きさを無意識に測っている。ミニチュアがミニチュアに急に見えるようになる瞬間は、往々にして水がらみであることが多い。裏返せば、水側のスケールをコントロールしてやれば画面内の物体の大きさを錯覚させられると言うことであり、3DCGによる水表現によるトリックの肝中の肝と言える。 「聯合艦隊司令長官 山本五十六」は、この部分に関しては成功作と言え、感心もしたものだ。
一方、煙とライティング(すなわち影)はかなり不味く、特にライティングはプロの不在を思わせる。水と同様に煙も物理的スケールを持っているが、物理シミュレーションで作成されているだろうから水同様にスケールの問題はほぼ発生していない。しかし、煙が自分自身に落とす影や透過度の表現はゲーム画面レベルの低次元のものだ。画作りのワークフロー上は合成(コンポジット)作業過程の不手際と言えるだろうか、本質はライティングのディレクション不在にあると思う。
終盤の山本五十六搭乗機の撃墜CGシーンは完全にライティングで失敗している。影の不在は援護の零戦をミニチュア然と見せるばかりだし、そもそもライブアクションシーンのライティングともマッチしていない。山本五十六搭乗機の撃墜は、ブーゲンビル島上空、4月18日の午前8時ごろである。ライブアクションシーンのライティングは日の出直後乃至は日の入り近くと思われるオレンジがかった低い太陽のものである。
ところが、CGカットのライティングは方向が不明確で照度が均一、白色光である。このような状況は、現実には晴天時に存在しない。朝とは言え太陽光は強く、機体の反射光や照り返し光が飽和して画面上で白く抜けるような状態が現れもおかしくないのが現実だ。強い太陽光に照らされた機体があの明るさならば、空中から見えるジャングルは黒く見えなければならない。だが、画面上のジャングルは青々としていた。
山本五十六搭乗機の撃墜シーンは本映画のクライマックスのはずだが、ライティングに関わる2つの問題のせいでそれがスポイルされている。一つ目はCGカットとライブアクションカットのライティングが一致していないこと、二つ目が上述のCGカットのライティングの不自然さである。欧米のCGインダストリーではライティングはクレジットされる専門職であり、プロフェッショナルな仕事が求められると言える。 映画「聯合艦隊司令長官 山本五十六」はライティングの出来にムラが大きすぎ、一貫性が無いのは返す返すも残念だ。
さて、 ブーゲンビル島上空、4月18日午前8時の晴天時の状態をシミュレートすると下の図の如くなる。太陽光が強いので、手前主翼端付近はほとんど輪郭が見えないぐらい一部が明るくとんでしまっている。また、光はややオレンジがかっている。ライブアクションカットのライティングは、やや照度不足と言う気はするけど、かなり正確と言えよう。ならばCGカットのライティングは出鱈目と言う事になる、残念ながら。