鬱症状を呈してからできなくなったことに「音楽を聴く」があった。
それこそ3,000枚を超えるCDを所有していた時期もあり、某有名コピー"No music, no life"を地で行っていたと言って良いと思う。ただ、音質よりも「聴きたい曲が直ぐに聴けるかどうか」を優先する方向に早くから走ってしまい、ノートpc+mp3形式全盛時代(ipodが現れるまでは、音楽データ管理と再生のみを目的としたノートPCを所有していたということだ)を経て、今は完全にiTunesのエコシステムに取り込まれてしまっている。加えて某地震の被害を受けてからは「物理的実体がある物を所有すること」への思いも激変、別の言い方をすれば所有欲や収集欲が著しく失われ、所有している300枚弱のCDは今や供養(CD実体の破棄)が徐々に進んでいるのが実態だ。
鬱症状を発症する直前の時期は「音楽を聴くこと」をほぼ唯一のストレス解消手段とし、完全に頼っていた。4台のipodを使い、就業中と睡眠中以外はipodが稼働していたと言って良い。就業時間中でも喫煙室にはipodを携帯した。就寝前に必ずやっていた事と言えば、翌朝の通勤時に車中で聞く楽曲のプレイリストの編集だった。
で、精神的、体力的にとある限界を超えたところでipodの電源を一切入れなくなった。音楽を聴くことはあっても、「聴きたい曲を聴く」のではなく「Youtubeとかでたまたま見つけた曲をそのときだけ聴く」といった感じになってしまった。「来るものは拒まず」だが、探しはしないし繰り返しては聴かない。
「今聴きたいとは思わない曲を聴く」ことが途轍もない苦痛になってしまったのだ。こんな状態では「新たな楽曲を探す」という行動なんかできる筈もない。
そんな中、3週間ほど前に埃をかぶっていた複数のipod touchをPCに接続した。バッテリーは当然空っぽで、まず充電からという有様だったが、幸い2台はまだ使える状態だった。それ以降、ちょっとずつではあるが「新たな楽曲を探す」という作業、つまり「音楽漁り」を始めた。
とは言え、とてもキツイ点がある。例えばエレクトロ/ダンス(ざっくり!)ではダブステップより後に現れたジーン/スタイルが全く分からない。新しい要素があるようには思えないところが尚更ツライのだ。
"Nightcore"は何とかなったものの、"EDM"すら未だ意味不明なんですが。
だが同時に「ジーン/スタイル」という固定的かつ「マーケティング向き」な枠組みでは理解できそうもない気もしている。ジーン/スタイルまたはそれに類する何かを決める主体が「聴き手ではなく作り手」である傾向が更に強くなったように思われるからだ。「ジーン/スタイル」はまずは売り手のための枠組みと言える。
更に「楽曲との出会い方」も複雑怪奇化しつつある。
例えば今日購入したSnail's HouseのPixel Galaxy。Snail's Houseの楽曲内では突出して、と言うか現時点では唯一のお気に入り(私の音楽の好き嫌いは激しい)。"Kawaii Future Bass"というジーン/スタイルらしいのだが、個人的な印象は"Chiptune meets 1998な感じ"、"ChiptuneではないがオリジンにはChiptuneも含む"といったところだ。氏の楽曲のChiptune感は総じて低いので、Chiptune要素が高い(ように感じた、或いは作り手がChiptuneに寄せた)本楽曲のみが刺さったといったところなのだろう。本楽曲に関してはKawaiiではなくSetsunaiってのがアリではないかい?
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が、きっかけと言うかこの楽曲との出会いはDylan Tallchief氏によるRemake(教育目的かつオリジナルからのサンプリングは使用していないので米国 著作権法的には大丈夫(笑 という理屈)だ。そう、オリジナル楽曲をアップロードしたものではない。
問題と言うか個人的に重要なポイントは、こちらのバージョンにはChiptuneオリジン感を全く感じない、つまりオリジナル楽曲とジーン/スタイルの認識が一致していないという事だ。Chiptuneの形式が多用されていることは認めるがそれはあくまで形式だけの話、エフェクトや音色の考え方がかなり違うので"波形が違う(としか表現できないな)"。だから、Chiptuneを求めてオリジナル楽曲に触れたわけではない、ん~。
ま、いらんお世話ですわなぁ。
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で、おまけ。Casman氏によるRemake。
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