東宝ゴジラがリブートされた80年代には、当然80年代の空気ってものがあった。要はアニメやら特撮の製作を多少なりとも意識した人間達の間で、どういう訳か共有されていた素材や方向性である。とある映像制作者達の持つ方向性にも同じ空気がときたま感じられる。
最近公開された「シン・ゴジラ」の「ゴジラのバストショット」を見て、その空気、と言うか当時の中学生~高校生世代の私や仲間達が考えていたことを思い出した。
空気その1は「テクノロジーの生み出した巨人を主軸とした物語」である。
私の場合は大学生時代に同人誌向けに書いた小説もどきのネタとした。その漫画での巨人は、世界中に次々と現れる竜やグリフォンといった「神話上の存在とされていた超常的能力を持つ巨大怪物」への最後の対抗兵器だ。この巨人の設定は仲間達との「ジャイアントロボ・リメイク企画ごっこ」の結果の変形だった。当初は「不思議な宝石(勾玉じゃない、残念)」持った少女(この辺りが実に80年的)の口頭での指令に従って巨大怪物と戦っていた巨人は、最後に少女の命を守るために自らの意志で巨大怪物を倒す。何故なら巨人の正体はその少女の母親だからである。
おっ?
空気その2は「ゴジラの身体は核兵器のために傷だらけ」である。
東宝リブート2作目の「ゴジラ対ビオランテ」の製作段階では原案が一般公募された。ストーリーがさっぱり思い浮かばなかったので応募なんてできなかったが、作った設定はこんな感じだった。
- 仮タイトル「ゴジラの逆襲」、怪獣対決路線
- ゴジラは2匹出てくるが、最後にゴジラ同士の対決となるまで「ゴジラは1匹」と思っている登場人物達は翻弄され続ける
- 主人公は、唯一「ゴジラが2匹」との事実に肉薄する人物
- 2匹のゴジラA、Bはともに身体に少なからず核兵器による傷を負っている.
- ゴジラAは核兵器によって右目を失っており、残る左目は狂気の光をたたえている
- ゴジラAが暴れた場合のみゴジラによる直接の人的被害が発生(つまり明らかに人間を襲っている)、ゴジラBが暴れた場合は直接の人的被害無し
- 自衛隊はゴジラBとしか結局交戦しない
- 最後はゴジラA対ゴジラBの対決、人間達は為す術なし
- ゴジラBがゴジラAの首筋に喰い付き、そのまま白熱光を吐いてゴジラAを屠る
- 劇終直前、アップとなったゴジラBの目はそれまでと違ってゴジラAの左目と同じ光をたたえている
こんにちに至っては「傷」「目を失っている」などと多少穏やかな表現を選ばざるをえないが、元々のアイディアが核兵器絡みだし、元ネタのひとつが「墓場鬼太郎」の鬼太郎登場シーンなので具体的なビジュアルは押して知るべしだ。
身体の傷以外にも被らないかなぁ・・・