2013/09/03

リビジョンアップ:時をかける少女 feat. Vocaloid3 Megpoid Native

 エントリタイトルの通りリビジョンを0から1へアップ、ステップバイステップでおそらく3までぐらいは行くと思われますデス。

 Megpoidユーザーで「あら、聞いてみたら意外に良いんじゃない」と思ったレベルの方は1ヶ月に一度くらいはここを覗いてみてくださいな、私のMegpoid理解はまだまだ道半ばだし、Tipsみたいなものはのっそり上げてくつもりだから。あと、私と同様に「うっかり/腹をくくってCubase買っちゃったけど使い方が良く分かんねぇ」って方もご一考下さいな。

 自分と同じ苦労を他人がするかも、という状況はつまんないもんね、少なくとも私にとっては。

で、

てな感じ。あはは、一日寝かせて聞き返してみるとアラだらけで自分でも笑っちゃう。聞いてみて、「けっ」と思ったり実際に口にしてしまった方は、以降は読まなくて無問題。もっとレベルの高いところを読みに行こう。

 実のところ、私は他人のボーカロイド曲はほぼ聞かないし、聞くにしてもまず真ん中あたりしか聞かない。理由は三つあって、①音程とかボーカロイドエディターの外でいじり過ぎていて、どれも同じにしか聞こえなくて面白くない場合が多々ある、②おそらく製作者の完成イメージにボーカロイド歌唱(?)が追いついていないせいで、オケに埋もれちゃうぐらいボーカロイドの音量が小さいか、リバーブ(エコー効果みたいなもの)を利かせ過ぎてやはり面白くない場合がある、③言わぬが華、だ。さらに加えると、少なくとも使用楽曲を聞く限り、メジャーどころの「初音ミク」の声にさっぱり魅力を感じない、ということも大きい。

 何れにしても、自作においては基本的に①②は禁じ手としている。もちろん「リバーブ必須」というジャンルの楽曲の場合は別だ。

 「でも上の楽曲ではボーカロイド音声にリバーブかかってるじゃないか!」と思った方は正しい。じゃぁ何処で自分の中で折り合いを付けているかというと、「中央のボーカロイド音声自体にはリバーブを全く利かせない」というところだ。

 ボーカロイド音声に関わる具体的なリバーブの使い方は以下の通りだ。Cubase固有かも知れない用語も含むとは思うけど、まぁ許して欲しい。繰り返しになるけど、下記の内容が用語も含めてスッと頭に入ってこない方は、今後このブログを「たま~に」チェックすると良いことがあるかもしれない。と言うか、私自身が大したレベルじゃないから初心者相手が精一杯ですよ。

  • ボーカロイド音声は中央に配置。これ自体にはイコライザーとコンプレッサーしか利かせていない。

  • 中央のボーカロイド音声を二つのFXトラックに送る。これらFXトラックではリバーブを利かせ、かつ出力はリバーブ成分だけとする。これはMixパラメータが100%ということで、あくまで原音は中央からしか出さないということだ。
    さらにFXトラックの定位をそれぞれ左右100%とした上で、10ms(ミリ秒)程度の時間差が左右で出る設定でシンプルなディレイを利かせる。上の楽曲でのディレイ時間は左右で530msと545msだ。

  • ミックスダウン(最終的な音声データのエクスポート)時に、出力全体にほんのちょっとだけリバーブを利かせる。オケとボーカロイド音声の馴染みを意図したもので、上の楽曲ではプレートリバーブ(というハードウェア)をシミュレートした設定で、Mixパラメータは2%とした。つまり98%は原音のままということだ。ここでMixパラメータはを4%以上とすると②に抵触してしまい、誤魔化し感が出て面白くない楽曲となっちゃう。

ちなみにCubaseにはボーカロイド音声の音程やタイミングなどを調整できるツール群がある。便利なツール達だが現時点ではまだ使わず、ボーカロイドエディター上で何処まで詰められるかがあくまで主眼だ。とは言え、タイミングは1ヶ所(ボーカロイドエディターにまで戻るのが面倒臭いから)、フォルマントも1ヶ所調整せざるを得なかった。この辺りの具体的な内容はそのうち書く予定なので、気になる方は2週間後ぐらいにまた来てね。

 今回はここまで。

2013/09/01

2013/08/31 CBCラジオ×U-strip夜用スーパー「電磁マシマシ」

 「第2回ビジネス教習所」講師は「バカでも年収1000万円」が16万部突破のバカリーマン日本代表(らしい)伊藤喜之さん。

 言うことが面白いっつーか、正しい。言うだけでなくてその通り振る舞うという一点だけでも十分凄いが、当然当人はもっと凄い。お話のポイントは、
  • 「っぽい」ことが大事。同じことを言っても、やっても、「っぽい」方が、っつかーか「っぽい」ことで説得力が増しちゃう。「っぽく」なければ相手にされないとか、ゼロになり得る訳だ。
  • 「異端児である」こととか、「ズラす」ことが大事。要は、比較対象がなければ収入は当人が決められるし、既存のカテゴリーからズレた(当てはまらない)商品の値段も売る側で決められる。
  • 「フェラーリ理論」は正しい。まず自分から騙そう。夢は持つんじゃなくて、夢がかなったらのifで行動しちゃおう。ちなみに伊藤さんはランボルギーニ買っちゃたそうだ、「奇跡」に出会ったらGOしかない。
とか。個人的には、
  • 成功の糸は木曜日に降りてくる。
はかなり正しい。おそらく、水曜日までで脳が疲れちゃって、木曜日辺りで変な脳内配線が発生し始めちゃう気がする。途中すっ飛ばしてスタートがゴールと直接繋がっちゃうとか、しかもそれが正しかったとか。金曜日はもう脳がもう休んじゃってるんで、とにかく手を動かすことが多いんだわさ。

 ゲストお二人目は声優、諏訪彩花さん。まぁ内容は良い意味でぐだぐだだけど面白い雑談だったのだが、最後の最後で「やっぱり声のプロだなぁ」という展開、うむむ。

 と、いったんエントリを上げたんだけどエンディング直前に衝撃展開。

 inktransさん版Dear Radio没テイク!


時をかける少女 feat. Vocaloid3 Megpoid Native

 いわゆる「時かけ」、あらためて歌詞を噛みしめながら聞くと実に切ない。映画自体は監督が大林宣彦氏だとか一部の俳優の演技に難ありだとか、まぁ色々あるのだが、捨て置けない作品ではある。原田知世さんのセリフ、

 「んも~、意地悪ゴロちゃん!」

は最高なのである。「ゴロちゃん」ではない自分だって言われたいのである。さらに「桃栗三年、柿八年、柚子は九年で成り下がる、梨の馬鹿めは十八年」というフレーズは未だ覚えているのである。とは言え、

 「土曜日の実験室~!」

というセリフは、やはり大林作品「ねらわれた学園」の

 「私は宇宙!」

には破壊力で及ばない。が、破壊する対象が映画自体だからこれは良いことだ。

 さて、オケであるが、もともとのコンセプトはカイリー・ミノーグの「ロコーモーション(1988)」風を当時自分が持っていた機材のシミュレーションでやろうと。機材と言うのはCASIOのポップキーボードSK-1とHT-700だ。幸い、SK-1のドラム音はネットからサンプル音を入手でき、またネット上に公開されているHT-700をシミュレートしたVSTi "plastique"が素晴らしい出来で、オケ自体の出来上がりがしょぼい原因の全ては自分にあるとしか言いようがない。

 が、ベース、ドラムを一旦組んだ時点でベースにディレイをかけてみたところから軌道は大きく外れ、「ロコモーション」からは実に遠いものになってしまった。しかも、イントロらしきイントロは無く、最後はフェードアウトという淡白さと相成った。

 ま、志が低いんだからしょうがない。

 で、肝心のMegpoid Nativeだが、なにせSONiKAが基準だから文句の付けようが基本的にはない。今回もボーカロイドエディターのほぼデフォルト設定で編集したものをwaveファイルでエクスポート、DAW上ではビブラートの振幅を一部小さくしただけなので、リバーブを外せばほぼボーカロイドエディターで聞ける音と同じだ。個人的にはボーカロイドなんてのはただのインストゥルメント(まぁ言えば楽器)だから、ブレスなんて入れようなんて思いもしない。

 原田さんのオリジナルを記憶の隅っこに置きつつも、ボーカルのメロディーラインはとある女友達のカラオケ歌唱時のものをなぞっている。第2コーラスの「宇宙の海よ~」あたりの節回しにはちょっと癖があるのではないかと思う。ちなみに松任谷由美さんのバージョンは未だ聞いたことがない。

 しかしながら、ボーカロイドも漠然と打ち込んだ訳ではないので、少し気にした部分にも触れておこう。ボーカロイドの歌い出しに違和感を感じたことのある人は試してみて欲しい。

 実際に人間が歌ったボーカルラインを調べてみると、歌い出しから音程がぴったり合っている例はまれだ(調べた範囲ではザ・ピーナッツはほとんど外していない)。じゃあボーカロイドではどうなっているかと言うと、少なくとも今回打ち込んだMegpoid Nativeでは、音程が高い方から入って歌い出しの本来の音程へと至る。他方、絶対音感が無くて正しい音程を探しながら歌っている人間の場合、ほぼ例外なく音程が低い方から入って歌い出しの本来の音程へと至る。だから、少なくとも他人のカラオケ歌唱の記憶と一致する「正しい音程を探しながらの歌い出し」を再現するには、歌い出しの最初の音程は実際より低い音程から入った方が良いことになる。

 そこで今回は、歌い出しの一拍前に1オクターブ低いダミー音をエディター上で入れてみた。ここでダミー音は発音される必要はなく、「発音できない発音記号」を適当に入力しておけば良い。これにより見事に歌い出しは低い音程からとなった。「正しい音程」へ向かう速度は歌唱法の設定やダミー音との距離に依存するから多少の試行錯誤は必要だけど、前述の「歌い出しの違和感」の解消には有効だと思う。

 ちなみに「あ」「ゆ」「な」「た」はMegpoid Nativeの鬼門だということが良く分かった。これは発音が不明瞭で音量も小さくなる傾向があるため、違和感の原因になり易いという意味だ。「時かけ」の歌い出しは第1コーラスが「あなた」、第2コーラスが「ゆ」で実は鬼門直撃なのだが、実際どうなのか気になる人は聞いてみて下さいな。

 ボーカロイドの音声データをいじるのはこれからですからね。

2013/08/30

高床式都市008

 「空中都市008」について色々ググった。

 「空中都市008」は1969~70年にNHKで放映された人形劇シリーズで、ウィキペディアによれば「ひょっこりひょうたん島」の後番組なのだそうだ。調べてみてあらためて分かったのがカラー放送番組だったこと、記憶はモノクロ映像だったからちょっと驚いたというのが正直なところだ。

 興味は「アオゾラ市」こと「空中都市008」の全景、デザインにあった。記憶が全くないのだが、いやだからこそ「空中都市」という言葉の響きに突如無性に引かれたというのが正しい。「空中都市」と言えば「マチュ・ピチュ遺跡」、ジブリの「ラピュタ」、スターウォーズの「クラウド・シティ」などなど幻想的なイメージが強い。

 が、ググってみた結果は意外や意外、「空中都市」は全く空に浮かんでいなかった。バームクーヘンぐらいの高さと直径の比率の円筒の上に、かつての新宿副都心がのっかっているような感じだったのだ。「空中都市」と言うよりは「高床式都市」というのが正直なところ。がっかりはしなかったけど、これにもちょっと驚かされた。

 ちなみに「空中都市008」はアレンジして3DCGのリハビリのネタにするつもりだ。全く別物になるかも知れないけど。

2013/08/28

イプシロンロケット、今日は余りに切ない

 打ち上げ中止となった「イプシロン」、カウントのアナウンスがゼロまで進んだだけにとても切ない。「呆然とする子どもたちの表情」をTVニュースなどで見ると尚更切ない。

 何れにしても「イプシロン」には成功して欲しい。現実問題として「大陸間弾道ミサイル」に転用可能な技術だが、核兵器開発と同様に「できるけどやらない」という姿勢を貫くことは今日的な"Cool Japan"ではないかと思う。

 かつてのスプートニク・ショックの本質は、ソビエト連邦が地球上の如何なる場所に核兵器を投射できる能力を示したところにあった。世界初の人工衛星スプートニク1号を打ち上げたR-7ロケットは大陸間弾道ミサイルとして開発されたものだが、人類を初めて宇宙に送り出したのみならず、その改良型は国際宇宙ステーションに宇宙飛行士(アストロノーツではなくロシア風にコスモノーツと呼びたい)を輸送できる唯一のロケットとして今も現役だ。

 火力発電所などの発電プラントの監視・運転は既にPC2台(1台はバックアアップ)となって久しいが、ついに人工衛星を投射可能なロケットもPC2台あれば打ち上げられる時代となったのはちょっと寂しい。米国のマーキュリー~ジェミニ~アポロ計画やソビエト連邦のスプートニク~ボストーク~ボスホート計画などの裏では数多くのトンデモない人間ドラマが演じられてきた。漏れ伝わるそれらの一部は実に殺伐としたものだ。だが、ロケット打ち上げ失敗でひとつの町の1/3以上を焼け野原にした(らしい)にも関わらずのほほんとしている某国のエピソードと較べればどれも遥かに人間臭い。

 「イプシロンの成功」とは、ロケット打ち上げレベルでは「人間ドラマが生まれる余地が無い時代」の幕開けなのかも知れない。

 あ、年齢を重ねてから「自分が見た夢」或いは「ドラマが生まれ得た時代に投影した自分の夢」を映画にするようになったら、映画監督としてはその人は多分終わりだよなぁ。

2013/08/27

30分でできる間違ったDAWの使い方

 iTunesでPerfumeのコンピ"LOVE THE WORLD"が購入できるようになっていた。

 ラジオは聞かないし、TVの音楽番組も観ないので、Perfume自体についてはほとんど何も知らない。が、楽曲はヒットしたようなので、取り敢えず視聴できる範囲の印象から2曲ほど購入を判断、聞いてみた。善し悪しは別として、波形を見ると噂通り最初っから最後まで6dbを余裕で振り切っている。クラシカルではあり得ないミックスだ。例えばそんなラヴェルの「ボレロ」が有っちゃいけない。

 ちなみに、以前のエントリでも触れた通り、「宇宙戦艦ヤマト2199」のサントラではオーケストラ楽曲でそれをやるという愚挙に出ていた。宮川先生や演奏者に対して失礼も甚だしいと思うのだけれど。

 さて、「何も知らない」と書いたものの、かって楽曲「ポリリズム」がCMに使われていたことはさすがに知っている。ただ、TVは脇で流していただけだから、何のCMかは未だ知らないし、当時は「ハロプロ楽曲がついに新境地開拓か!?」なんてピント外しまくりの認識だった。Capsuleの初期楽曲はほぼリアルタイムで聞いていながらそんな体たらく、という辺りが実に俺っぽいというか何と言うか。

 で、「チョコレイト・ディスコ」を「間違ったDAWの使い方」のネタに使用させて頂いた。題して「”ディスコ” 超ショートエディット」である。涙を飲んで限界まで短くした「超ショートエディット」だけど、タイトルからどういうものか分かった人は聞かなくていい、人生のムダだから。

2013/08/25

2013/08/24 CBCラジオ×U-strip夜用スーパー「電磁マシマシ」

 1曲目というか1~3曲目は、パーソナリティ佐野電磁さんが作・編曲を手掛けた諏訪彩花さん&藩めぐみさんによる「エール!!」(ミニアルバム『弱虫ペダル』キャラクターソングCD VOL.2、発売は来月)。

 経緯ははしょるけど、ボーカルの音量違い3曲(基本バージョン、+1.5dbバージョン、+3dbバージョン)という普通じゃない展開。個人的には+3dbバージョンだが、音量と言うよりボーカルの輪郭がよりきっちり出てる方が好みということだ。佐野さんも言っていた通りこの種の話に正解はないけど、余りにボーカルへのリバーブが深くて輪郭がぼけるとオリジナルの声の味もつぶれてしまう感じがしてもったいない感が強い(カラオケでエコー利かせ過ぎみたいなものだ)。

 オケがクラフトワークネタだけに、オリジナルに忠実にボーカルもデッド寄りってのも有りなのではないか、と思うのはちょっと意地悪すぎるかな。

 ゲストはBUBBLE-B feat. Enjo-G。正直「誰?」だったのだが、終わってみればライブで4曲という聞いた(観た)者勝ちの貴重回。俺の部屋にも1回来てくんないか。

 連呼系お笑い寄りはアマチュアバンドなんかでは良くあるパターンなのだが、肩の力の抜け具合と言うか「笑えることやってんだから笑えよ感は希薄なのにとにかく笑える」という味はそうそう出せるもんじゃない。「10年やってたらアルバム1枚分の曲が貯まった」なんて話を聞くと、最初っから肩の力が抜けてるのは明らか。サングラスをかけたライブ時と普通の眼鏡をかけたトーク時で、MCのEnjo-Gさんの背筋の伸び具合や所作全般が明らかに変わるのはなんかおかしかったですよ。

 百の言葉よりとにかく聞いて頂戴ということだが、でも一言だけ。

 iTunesでソッコー全曲買っちゃいました

 あはは。


 撮影時は「禁煙3年目」だったとか。






「発送電分離」について思うこと(その3)

 「消費者にとって良質な電力」とはどういうものか。

 まず商工業の観点から考える。「安価であること」はもちろん必要だろう。加えて重要なのは「安定して供給される」ことではないだろうか。しょっちゅう停電することが分かっている地域に何らかの製造工場を建てようなどというのは賢明な考えとは言えない。また、証券取引など電子化の進んでいる分野も多い。従って、発展途上国では、安定した電力供給が商工業の発展に先行する必要がある。

 日本や米国といった既にグリッド網が整備されている地域においては、電力が「安定して供給される」ということは、「停電が起きない」或いは「停電が起きても短時間で復旧する」ことに対応するだろう。日本の「既存の電力事業者」は電力の安定供給に関して高い実績を持ち、今日に至る経済発展に重要な役割を果たしてきたのは明らかだ。そして、電力が「安価である」こと及び「安定して供給される」ことは、一般家庭においても「良質な電力」と言えると思う。

 問題は、「安価な電力」と「電力の安定供給」は実際のところ独立ではないことだ。

 まず、「安価な電力」について。

 「発送電分離」が言われるのは、電力料金に対して価格競争メカニズムがないがために「電気料金が高止まり」しているのではないか、という考えが前提にある。少なくと「電力自由化」以前の日本においては価格競争メカニズムは全く無かった。しかし、その時代にあっても、「万人に対して電力料金が高止まりしていた」と考えることには抵抗がある。「既存の電力事業者」は担当地域で独占を許されていたものの、担当地域内では同質の電力を消費者に供給しなければならなかった。極端な話、たった一軒の民家のために数kmの送電線を敷設しても、その民家の電気料金が特別に高く設定されることはなかった。ここには一種の「平等感」がある。

 「平等」とは結構難しい概念で、「同じということとは異なる」というのが持論だ。

 卑近な例を出そう。私がとある組織に出向していた際、70人規模の所属する部署のPC更新があった。私はPCに詳しいとされていたため、更新PCの選定を上司から頼まれた。業者からの更新PC案はスタンダードグレードのPCを70台というものであった。しかしながら、その部署のうち20人程はいわゆる管理部門に、残りの50人程は開発部門にそれぞれ属していた。管理部門のPC利用はほぼ文書作成に限られる一方、開発部門では自作の解析プログラムも動かすこともあった。そこで管理部門の人間にはエントリグレードのPCを、開発部門の人間にはハイグレードのPCをそれぞれ予算枠内で選定し、PC更新案を起草した。この案に対して管理部門の一部から不満の声が挙がった。PCのグレードが違うことが「平等ではない」というのである。はたしてこれは本当に「平等ではなかった」のだろうか。結局、私の起草案がそのまま採用されることになった。理由は「総予算は妥当、グレード選択も合理的と判断」されたからである。「同じではないこと」を「平等ではない」と等価と考えることは本質的におかしい。が、少なくとも日本においては「同じではないこと」を「平等ではない」と見做す文化が歴然とある。

 日本の何処に住んでいようと「良質な電力」が供給されるという状況は、「平等」=「同じ」という「平等感」に馴染むものである。だが、グリッドの内部から10mの送電線で繋がる家庭と、グリッドの外縁から更に数kmの専用の送電線で繋がる家庭で電気料金が変わらないというのは本来の意味での「平等」とは思えない。

 「電力自由化」の完全な延長として「発送電分離」を実施した場合、つまり送電事業者にも競争原理を完全に導入すると、経済原則の前には「平等」=「同じ」という「平等感」なんかが立ち入る隙間なんてない。通り一本隔てただけで電気料金が違い、かつそれにはちゃんと理由があるのが実態なのだ。「発送電分離」をしつつ、「平等」=「同じ」という「平等感」を維持するためには、「送電事業者」に義務という形で規制をかけざるを得ないというのが個人的な考えだ。しかし「平等感」の維持にはコストがかかるため「送電料金は高止ま」り、電気料金の低下は限定的となる。逆に完全な競争原理に基づく「発送電分離」が実施されれば、「電気が来るだけマシ」という地域すら生み出しかねないように思う。

 「郵政民営化」の顛末を見ればあながち極端なシナリオとも思えない。「ユニバーサルサービスの維持」は半分本当、残り半分は無意識下での「平等」=「同じ」という「平等感」に基づくものというのが個人的な心象だ。「発送電分離」を実施しても、日本では「送電事業者」に電気料金の低下幅を限定することになる一定の規制を導入せざるを得ないだろう。それが「郵政民営化」の顛末からの教訓ではないかと思う。

 「電力の安定供給」についてはどうか。

 米国で面白い統計がある。カリフォルニア州の「発送電分離」前後の「停電の発生頻度」と「停電からの復旧に要する時間」の変化である。「発送電分離」後、「停電の発生頻度」は増加し、「停電からの復旧に要する時間」は伸びている。「停電からの復旧に要する時間」については、3倍程度という数字や、地域によっては1時間が1日半になったという酷い数字もある。主要な理由は「発電異業者」と「送電事業者」との連携が実質的に取れないことと、分離後の事業者が小規模になったことにある。

 「発送電」全体にわたって市場競争原理を徹底して導入しようとすれば、「発電事業者」と「送電事業者」を完全な別会社とする必要がある。「送電会社」が特定の「発電事業者」と一定以上の資本関係があれば、それは利益を最大とすべく「一体として振る舞う」が故に競争原理が働かない。が、「一体として振る舞う」ことができないが故に、停電の頻度は増え、停電からの復旧に時間がかかることは自然な流れだ。

 「送電事業者」は停電の発生を回避すべく、つまりグリッドを安定化させるべく、グリッド内電力の需要と供給のバランスを常に監視している。ところが、電力需要と供給のバランスが崩れそうになっても、特に供給不足が懸念される事態となっても、自前の「発電設備」を持たない「送電事業者」に打てる手は限られている。時間があれば「電力事業者」から購入する電力量を増やせば良いが、時間が無い場合や電力の購入先が確保できない場合には、「グリッドの一部(サブグリッド)への電力供給を断ち」、限定的な停電を起こすしかない。これをしなければ「グリッド全体がコラプスしかねない」からだ。かくして停電の頻度は増える。

 ところが事態はこれで済まない場合もある。サブグリッドへの送電停止に伴う電力消費量の減少が電力供給不足量を大きく上回ると、グリッド全体としては電力の供給過剰となり、「発電設備」と接続されたサブグリッドがコラプスする可能性が出てくる。サブグリッドのコラプスが発生した場合、そのサブグリッドに接続された「発電設備」は送電先の消失(負荷遮断という)との異常を検知して緊急停止する。異常に基づく停止だから「発電設備」の検査が必要となり、「発電設備」はすぐには復旧できない。最悪のシナリオは、このサブグリッドのコラプスが引き起こした電力の供給不足を引き金として次々とサブグリッドがコラプス、「発電設備」も次々と緊急停止することである。かくして、グリッド全体がコラプスし、停電からの復旧には時間を要することとなる。「発電事業者」、「送電事業者」ともに小規模だと、復旧にかけられる人数もどうしても限られてしまう。

 このような大規模停電の発生メカニズムを考えると、これまで日本で同様の停電が発生してこなかった理由は明確だ。「発電事業者兼送電事業者」であれば、グリッド内の電力需給量を監視しながら、適宜「発電設備」の起動、停止、出力変更が可能だからである。

 カリフォルニア州の「発送電分離」は、電力料金への市場原理の導入との観点からは徹底している。事業者間の資本関係は厳密に制限され、事業者の独立性を確保しているからだ。同様のシステムが日本の「発送電分離」に導入された場合、電力消費者である我々は「安価な電力」を享受できるが、頻度の増えた停電と停電復旧までの時間の長尺化を受け入れなければならない。家庭には蓄電システム、企業には自家発電設備が必須となるだろう。酷い言い回しは承知だが、「(蓄電システムも買えない)貧乏人は電気を使うな。」という心情的には受け入れ難い(これまでの近代日本では選択してこなかった)時代の到来である。酷暑下で大規模コラプスが発生(電力需要が増え、コラプスは発生し易い条件だ)すれば、それこそ人命に関わる事態だ。現在の日本の社会インフラ整備状況では上下水道は止まり、信号の停止で流通は滞り、救急車は目的地にたどり着けない。

 「発送電分離」に先だって、具体性に欠ける「国土強靭化」よりも社会インフラの非常時対策を全国「平等」にやってくれと声を大にして言いたいよ。

 欧州では国営の「独占的な発電事業者兼送電事業者」もあり、「発送電分離」を含む電力インフラの有るべき姿の議論は続いている。カリフォルニア州の状況も横目に見ているせいか、色々な書類を読むに電力料金への市場競争メカニズム導入は限定的とすべきとのトーンが強い。また、「独占的な発電事業者兼送電事業者」の解体は避けられない(フランスはちょっと違うが)としても「まず『地域分割』から」という声も多い。これは「送電事業者」と「発電事業者」との連携不足を恐れてのことと思われる。同じ理由から、「発送電分離」を実施するにしても、むしろ「発電事業者」と「送電事業者」との資本関係を一定の制限下で残すなどして両者が連携を維持し易い体制とすべきと主張する人もいる。

 「発送電分離」はキーワードとして出てきているものの、分離後の形態をどうすべきかという議論は全く聞こえてこない。「発送電分離」を主張する人達の頭にある分離後の日本社会とはどういうものなのだろうか。それを説明せずして「発送電分離」を主張する人の神経は、私の理解をどうしようなく超えている。

 個人的には、現在の日本の電力会社のシステムが悪いものとは思わない。むしろ、「弱者」を極力生まないという点は評価に値するとすら思っている。ただし、「今までそうだったからそのままで良いじゃないの」ということではなく、「『発送電分離』まで含めた検討の結果、これこれはああするものの基本的に現行のシステムを将来的にも選択する」といった具合に陽的に選択することが理想だ。

 「発送電分離」に舵を切る場合も同様、「他国がそうやっているから」なんてバカなことを言いながらやっちゃダメだ。制度によっては「弱者」を生み出しうること、停電などに対して自衛が必要となることにも触れなきゃダメだ。家庭の余った太陽光発電電力の定額買い取り制との馴染みが悪いことも触れなきゃダメだ。

 「スマートグリッド」にすれば良いじゃん、という主張は本質的には正しい。でも、停電を起こしても何らの補償義務がなければ、グリッドのスマート化に投資して停電の発生頻度を下げる場合よりも電気料金は安いんじゃないかなぁ。それが自由化の一面ってもんだろう、ねぇ。

2013/08/24

「発送電分離」について思うこと(その2)

 さて、「発送電分離」に立ち入る前に、「電力自由化」に関して私お得意の思考実験に入ろう。

 「電力自由化」によって「新たな発電事業者」が現れ、「受電者」たる「消費者」は「発電事業者」を選ぶことができるようになる。この結果、「発電事業者」間に価格競争という市場原理が働き、「消費者」にとっての電気料金は全体として下がる筈である。当たり前の話のように聞こえるが、「新たな発電事業者」は「送電設備(グリッド)」を所有していない点に注意が必要だ。「新たな発電事業者」と「既存の発電事業者」との理想的な価格競争には、「送電コスト」が全ての発電事業者にとって同じでなければならない。ところが、日本の「既存の電力事業者」は「発電事業者兼送電事業者」なのである。

 「新たな発電事業者」の電気料金はざっくり、「発電コスト」+「グリッド使用料(送電コスト)」+「利益」となる。同様に、「発電事業者兼送電事業者」の電気料金は、「発電コスト」+「グリッド維持コスト(送電コスト)」+「利益」となる。お分かりの通り、両者の「送電コスト」は質が違う。素直に考えれば、「グリッド使用料」=「グリッド維持コスト」+「利益」だから、「発電コスト」が同じだと、「新たな発電事業者」には勝ち目がない。しかし、「新たな発電事業者」は「発電コスト」において「既存の電力事業者」に対して競争力を持つ。それは何故か?

 「既存の電力事業者」は担当地域内の全電力消費をまかなう義務を負っている。そのため、ピーク時の電力消費量をもカバーできる必要から所有する「発電設備」が過剰気味なのだ。つまり電力消費量のピーク時以外は運転しない「発電設備」も所有し、これら設備の税金やメンテナンス費用といったコストを「発電コスト」で回収しているのである。対して、「新たな発電事業者」は「消費者」との契約を履行するに必要な「発電設備」のみを所有すれば良い。

 「既存の電力事業者」の肩を持つ気はないけれども、これは健全な競争環境とは言えない。

 この不公正をの解決には、①「既存の電力事業者」の発電量に対する義務の撤廃、②「発電事業者兼送電事業者」の「グリッド使用料」の決定の完全自由化、が考えられる。が、①は採算が合わなければ送電されない地域が生じても良いことになる(ユニバーサルサービス体制の崩壊)し、②は「発電事業者兼送電事業者」の電力市場独占を許容することなる。①は、例えば都市規模の中小地方電力会社が立ち上がれば許容できることにはなるが、電力料金の低下は期待できない。②は独占禁止法とかに引っかかってしまうだろう。

 極論、①と②の合わせ技で一番儲かる事業形態の一例は、電力大量消費地や工場などの大量消費設備のみを結ぶグリッドを所有し、送電する電気自体は「新たな発電事業者」達を徹底的に競争させて安価に調達するとともに、補助金などの優遇措置がある期間のみ再生可能エネルギ―発電設備を所有するというものだ。

 しかしこれは余りにエグい。現行の「電力自由化」は実態は「発電事業への参入自由化」でしかない。独自の「グリッド(送電網)」構築も制度上は可能だが、土地取得や建設コストが大きいことや既存「グリッド」と並行に新規「グリッド」を設けるなんて効率が悪いことも甚だしい。

 ここで「発送電分離」という考えの見通しが多少良くなってくる。

 「発電事業者兼送電事業者」は自前の「発電事業」の競争力を「送電事業」も利用して確保しようとする。だから、「送電事業」を分離すれば、「発電事業」の健全な価格競争が期待できる。電力消費があるならば、市場原理に従って「発電事業者」が現れることは期待して良い。他方、送電はユニバーサルサービスの根幹だから、地域独占を許容(発電設備と違って送電設備はその地域になければならいことを思い出そう)し、かつ、採算が取れない地域については公共サービスとして自治体が補助金などの優遇措置を行ってでもグリッドを維持しようということである。

 いよいよ次回は「発送電分離」に踏み込もう。この制度が薔薇色の未来を約束するかどうか、或いはどういう形態が「より理想的」なのかについて触れるつもりだ。キーワードは「消費者にとって良質の電力」とは何か、って辺りかな?

2013/08/22

「発送電分離」について思うこと(その1)

 歴史をひも解くと、日本の電力会社は多数の「民間地域電力会社」の設立からスタートした。これは特定の地域内の電力供給を特定の民間会社一社が担うという形態であり、米国などとほぼ同様で日本特有という訳ではない。対比できる別形態としては「国営電力会社」による独占的な国内電力供給がある。

 日本国内の電力の周波数が50Hzと60Hzの2種類ある理由は、東西の先行した「民間地域電力会社」が米国の別の会社から発電機を導入したことに遠因がある。東は「GE(ざっくり言うとエジソンの会社)」から、西は「ウェスチングハウス(ざっくり言うとテスラの会社)」からそれぞれ発電機を導入し、この時点で電力周波数が違っていたのだ。いずれにしても、日本の電力供給体制はまず民間主導で確立されたと言って良い。ただし、この時点での各電力会社の担当地域は現在の電力会社の担当地域とは必ずしも一致しない。現在の各電力会社の担当地域は、太平洋戦争中の単一電力会社への統合と戦後の解体(分割)の結果である。

 ここでひとつ重要なことは、解体後の各電力会社には電力の地域独占が許されていたことである。裏返しとして、電力料金は国の認可制とされ、担当地域内あまねくへの電力供給義務も負う。日本の良質な電力インフラ、別の言い方をすると(一部離島を除けば)日本中の何処に居てもほぼ同等の価格で必要な電力が利用できる環境は、地域独占と引き換えに電力会社に課せられた制限、義務に負うところが大きいと思う。

 さて、

 地域電力会社は「発電」と「送電」を一括して担うため、「発電設備」、「変電設備」、「グリッド(送電網)」及び「グリッドから受電者(工場や家屋)への送電線」を所有、管理する必要がある(少し厳密さを加えると、「変電設備」の一部と「グリッド」及び「グリッドから受電者への送電線」は担当地域内に必須だが、「発電設備」や「変電設備」の他の部分は必ずしも担当地域内にある必要はない)。以下では簡単化のために「発電設備」と「グリッド」の用語のみ用いるが、それぞれに付随する「変電設備」や「送電線」も含むものとして捉えて頂きたい。

 まず、既に制度としてはスタートしている「電力自由化」について触れる。「電力自由化」の基本的な考え方は、「既存電力会社の電力供給の地域独占の撤廃」である。新規参入会社は「発電設備」を持つ必要があるが、当然ながら以下の状況が現れ得る。
  • 受電者の居住域に発電設備がある。
  • 受電者の居住域とは異なる地域に発電設備がある。
米国は多数の「グリッド」が相互に連結された「グリッド網」を形成しているが、各発電設備が接続された「グリッド」への送電量は大部分の地域で「電力卸売市場」での取引に基づいている。つまり、高い電気料金でしか入札できない発電設備からの電力は「グリッド」へ送電できない。ただし、特定の「グリッド」に着目すると、それに直接接続された発電設備からよりも「隣接するグリッド」から安価な電力が供給できる場合は、「グリッド」がある地域内の発電設備から一切送電させないという選択肢もある。

 米国では具体的には後述する「発送電分離」が進んでいるため、「グリッドを所有する送電者」から見た電力価格は「市場原理に基づく時価」であり、「グリッドを所有する送電者」の利益は基本的に「電力の調達価格を如何に下げるか」に負うところが大きい。「グリッドを所有する送電者」は「受電者」に概して定価で電力を供給しているからだ。「グリッドを所有する送電者」は、常に需要を満たす最小限の送電量をできるだけ安価に所有する「グリッド」に供給する努力をすることになる。米国ではざっくり「送電者」が強く、他の「グリッド」に接続されていたならば十分競争力がある「発電設備」でも同じ「グリッド」に接続された「競合発電設備」との価格競争に敗れればあっさり閉鎖される。安価な「シェールガス」の発電利用が本格化した昨今、老朽化した発電設備の閉鎖は加速する傾向にある。勢い、発電用資源の均質化と総発電可能量の低下は避けられない。結果、米国では電力供給不足発生のリスクが従来よりも大きくなっているのは確実だ。

 一方、ドイツ(厳密にはグリッドが十分に整備されている旧西ドイツ域)では状況が異なる。「受電者」は居住地に関わらず「発電者」を選んで契約することができる。良くある例が、風力や太陽光などの再生可能エネルギーのみで発電している「発電者」との契約である。「発電者」は「受電者」との契約に基づいて電力を「グリッド」に送電することになるが、再生可能エネルギーの発電量は天気次第なところがあるため、概して「グリッド」には「受電者」との契約量よりも大きな電力量が常に供給され(契約量よりも小さいことは基本的にあり得ない)、かつ変動する。「受電者」はあくまで「グリッド」から受電し、かつ「グリッド」には火力などの他の発電設備からの電力も供給されている訳だから、「私は再生可能エネルギーしか使ってません」という「受電者」の思いは現時点では文字通り気持ちの問題でしかない。とは言え、「受電者」の行動が発電方式のシェアに影響することは確かだ。

 ご存じの通り、ドイツは太陽光発電を中心に再生可能エネルギーによる発電量が大きい。再生可能エネルギーの増大自体は良いのだが、「グリッドを所有する送電者」から見た場合、「グリッド」への供給電力量の時間変動はかなりやっかいな問題だ。「グリッド」への電力の供給過剰は「グリッドのコラプス(機能停止、つまり域内一斉停電)」の原因と成り得る。欧州では電力は輸出入の対象であり、ポルトガルから東欧までほぼ単一の「グリッド網」が既に形成されている。特定の大規模な単一「グリッド」のコラプスは、「グリッド網」内の他の「グリッド」のコラプスを引き起こしかねない。これは、コラプスした「グリッド」の少なくとも一部の電力が他の「グリッド」に一気に流れ込み得るからだ。

 欧州での大規模な「グリッド」のコラプスは幸いにしてまだ発生していないが、ドイツの「グリッド」が再生可能エネルギー発電設備からの電力供給の急増に直面し、コラプスを避けるために東欧側の「グリッド網」に余剰電力を急遽送電したことがあったという。「タダで電気が貰えて東欧は大喜び」などと考えることなかれ。東欧の単一「グリッド」の規模はドイツの「グリット」と較べれば小規模、小容量であるため、ドイツからの制御されていない送電は東欧各国の「グリッド」をコラプスさせかねないのだ。送電を受けた東欧数国からは苦言も呈されており(「テロだ」とすら言う人もいる)、また、ドイツ発、東欧経由の全欧州「グリッド網」の連鎖コラプスを警戒する声も挙がっている。

 とまぁ、米国やドイツの話などして脱線しているように思うかも知れないけれども、「電力自由化」や「発送電分離」の行先は決して薔薇色ではないというのが現実問題としてあるということだ。「電力自由化」「発送電分離」の功罪を考えるには、「再生可能エネルギーの普及」「地球温暖化ガス対策の必要性」「シェールガスの利用拡大」「国内の原子力発電設備への公衆受容性の低下」などの動き続ける他の要因も考慮する必要があるし、さらに「発送電分離」の具体的形態については欧州でもまだ議論が続いていて、何気に「発送電一括・地域分割」、つまり現在の日本の発電会社の形態が「受電者の視点に立てば悪い選択ではない」という考えは故有って今でも完全に否定されていないという点も指摘しておこう。

 続きますデス。