今回は完全に個人的な話。
私の好きな映画「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」と好きな楽曲「Thatness and Thereness」は個人的に奇妙な「喪失感」と不可分だ。
「うる星2」は高校生の時分にリアルタイムに劇場で観た。夢邪鬼が「終わらない夢があってもエーんとちゃいまっか」とあたるに語るシーンで、劇場で泣いてしまったことを告白しよう。泣いてしまった理由は簡単、「自分の高校生生活もやがて終わってしまうのだ」ということを図らずも自覚してしまったからだ。同時に、「今観ている映画もやがて終わるのだ」ということも自覚してしまったからだ。その感覚は実際に失ってしまう前に感じた奇妙な「喪失感」だ。まさに「諸行無常」、どんなに望んでも楽しい時間は永遠に続かない。
映画館で過す時間は楽しいものだ。他方、自分の高校生時代が楽しい時間だったかは今でも判断を保留せざるを得ない。試験の多い高校だったので、とにかく試験勉強と部活でいっぱいいっぱいだったこと、そしてやがて失われてしまったことは確かだ。ちなみに、当時は「ドラマ編」なる映画の音声のみを収めたLPレコードがあり、勉強のBGMとして何回も聞いているうちにメガネの有名なモノローグを完全に覚えてしまった。
「うる星2」が面白い映画か、という判断も保留せざるを得ない。今でも客観性を持てないからだ。言えることは、「星勝氏の音楽は素晴らしい仕事」、「原作者の不興をかったらしい、という点はむしろ評価ポイント」といったところだ。「うる星やつら」の世界観を突き放したように見えて、その世界観の強靭さに頼らないと成立しないギリギリのところでのストーリー展開。そのバランスを絶妙と見るか、たまたまと見るか、それほどまでに「うる星やつら」の世界観が強靭と見るか。
いずれにしてもタイトルはエンディングで現れる。それに気付いた瞬間、「この映画もやがて終わる」という私が上映中に感じた「喪失感」は完全に行き場所を失ってしまった。DVDで何度か見直したが、その「喪失感」の行き場所はまだ見つけられずにいる。
「Thatness and Thereness」は大学生になってから、「AVガーデン」という深夜番組でたまたま流れたのが出会いだ。とにかく気になった。当時は歌詞の内容も背景も知らなかったが、曲自体に「喪失感」を強く感じた。
「Thatness and Thereness」の歌詞は、坂本龍一氏自身の学生運動の経験を反映したものだという。坂本氏にとって、学生運動の終焉が「喪失感」を伴うものだったかどうかは分からない。しかし、本楽曲から私が感じるのは一種の「喪失感」、そして「勝ち/負け、成功/失敗といった結果が保留された状態が維持されている」という感覚だ。後者の感覚は、まるで人が走り出した一瞬を捉えたセピア色の写真にでも例えられよう。古くて、止まっているような動いているような、が、絶対動きださない。
映画「うる星2」のエンディングが、映画が終わっても劇中人物とってのストーリーはまだ続くこと、つまり「うる星2」は終わらないことをまるで示唆したかのように、楽曲「Thatness and Thereness」のリズムは何処から始まって何処で終わるのか時々分からなくなる。「終わらないこと」に気付く前に感じてしまった「終わることを自覚することで生まれた奇妙な喪失感」は、20年以上の時を経ても変わらない。今の自分の一部は「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」と「Thatness and Thereness」からできているんじゃないかとすら思う。
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