2018/05/19

白い恋人「たち」にならず

 アニメ「ひそねとまそたん」、まぁ赤塚不二夫チックな部分は作品上必要なんだと納得することとし・・・が本題ではなくて、「白い恋人」ネタ→ED曲がフレンチポップ曲のカバー→フランス繋がりでフランス映画「白い恋人たち」ネタといった流れを予測していたら全くの大外し、あっさり別のお菓子が出てきてしまって完全に別方向・・・残念。

 映画「白い恋人たち」は冬のオリンピックの記録映画で、原題の日本語訳は「フランスの13日(13日間)」。オリンピックも一種の祭りじゃん、とか考えてたんですがねぇ・・・無念。

 まかり間違って「鉄雄」とか「28号」とか出てきたらどうしよう、とも不安になっていたので・・・一安心。

 防衛事務次官は特別職であり単純に事務次官と呼ばれることは無い(「特別」が不要な人の前で付け忘れたら、「キミ、防衛、を付け忘れてるよ」なんて下衆顔でご指導されちゃいそうですなぁ)・・・とちょっと古めの記憶が警報発令中・・・う~ん、宮内庁に事務次官はいないしなぁ・・・ええっ!総省って国防総省!?ぐらいの実は別世界?

[隣のDivisionさん] 2018年度初頭のゲーム内経済(補足)

 以前のエントリ、[隣のDivisionさん] 2018年度初頭のゲーム内経済には誤解を招き易い表現が多々あったので、補足しておこう。

 件のエントリの趣旨と言うかエントリ内での私の主張は、「運営が、ディビジョンテックに実質的なゲーム内通貨機能を与えたようだ」という1点のみである。デイビジョンテックと他のゲーム内通貨もどきとの「交換レート」にはやや定量的に触れたが、ディビジョンテックの「実質的な価値」には一切触れていないということを明言しておこう(後述する通り、「実質的な価値」についてはそもそも語るべき意味が無いが故に語る意思も無かったのである)。

 10円は比率で言えば1円の10倍の価値がある(これが交換レートの話)ことには触れたが、10円で何が買えるか(これが実質的な価値の話)には一切触れていない・・・例えればこういう感じだ。

 前者は相対的な話、後者はかなり定量的な話と言えばそれまでなのだが、後者における「価値」とは「プレイヤーにとってゲーム体験が変わるかどうか」といった実質性、実効性を伴うものなので、うかつには触れられない。加えて、後者に関する私の判断が「一切の実質性、実効性無く、『プレイヤー』にとっては無価値も同然」といったものであったので、なおさら触れる気にならなかった、触れる価値を感じなかったと言うことだ。
 さて、このキャプチャイメージは私のプレイヤーキャラの一人のバックパックの所有・装備状況だ。最もスコアの低い品を装備している点に注目頂きたい。これを装備する理由は簡単で、他の品を装備するよりもウェポン、タフネスの値が圧倒的に大きいからである。これは装備品からMod(厳選品である)を外しても変わらない。そして現行の最適化でのパラメータ上昇範囲では 、使用していない品の性能を現在使用している品の性能より高くすることは不可能と言って良い。

 先のエントリで「ゲームチェンジャー」という表現を使ったが、ここで「ゲームチェンジ」の指すものは、ゲーム新規販売市場におけるThe Divisionのセールス手法または「セールス上の『売り』とする要素」の変更である。つまり、マーケティング上のみの話であり、上述したように現在のアクティブプレイヤーには特にチェンジはもたらさない。そしてこれも先のエントリでも別の表現で述べたように、「ゲームチェンジ」の理由は「『The Division』の『The Division2の販売促進ツール』化」である。

 The Division単体の新規購入層への商品価値はほぼ失われてしまって久しい。だから「現行のThe DivisionのアクティブプレイヤーがThe Division2を購入したくなるような要素」や、「The Division2を購入するなら先行してthe Divisionを購入、プレイしておくと色々あるメリット」のThe Divisionへの導入はコストが折り合う限り悪くない商売のやり方だ。特に後者は「The Division = 本体よりも先行して発売されたThe Division2のDLC」という扱いにほぼ相当し、倫理的にはともかく、思い切った商売上のアイディアとは言える。

 知ってる人には言わずもがな、装備品や武器の「価値」=「プレイヤーにとってゲーム体験が変わるかどうか」にとってギアスコアは実質的に関係無い。各装備の特性や武器のタレントの方がよっぽど重要なのだ。

 上述した例ではスコア268の装備はスコア284の装備に総合で勝っている。ただし、それは私のプレイスタイルがスキルパワーを要求しない点が影響しているのは明らかだ。現行の、装備の3つの主要パラメータのうちのどれか一つのみが高い、というパラメータの割り振り方は、実のところ「装備単体の厳選」を不可能、或いは実質的に無意味にしている。プレイヤーキャラの総合的な力は「パラメータの観点から一点豪華主義の装備」の組み合わせで決まりことになる以上、特定の装備の性能のみに注目していてはプレイヤーキャラの総合的な力を高められることは全く保証されないのである。プレイヤーキャラの総合的な力が高めるに必要な能力は「ドロップ品に対する引きの強さ」でしかない。この辺りが見えてくると、The Divisionをプレイする面白さはかなり失われる。特にRPG要素を楽しみ、ギャンブルに一切の魅力を感じない私には「糞面白くも無い」代物となった。

 ちなみに私のカオス理論や実際のカオス挙動特性ののつたない知識が正しければ、3つの主要パラメータに均等にパラメータが割り振られた装備が、3~4種のギアセット限定で数的に1/4ぐらい混入されると、所謂メタがいったんカオス化しそうに感じられる。「3つの主要パラメータに均等にパラメータが割り振られた装備」は、導入先の装備種や装備セットの限定の仕方次第でプレイヤーのゲーム体験にラジカルに影響するかも・・・という夢をみたのさ・・・ってことです。ここでパラメータ配分は完全に均等が必須ですぞ、乱数で微調整なぞしたら元の木阿弥。と言うのも「3つの主要パラメータに均等にパラメータが割り振られた装備」はカオス化の要因ではなく、カオス化される側であるというのが基本的なアイディアですからね。新しい要素の追加で既存要素の挙動をカオス化するのではなく、新しい追加要素からのみからなる平凡なシステム(ここでは装備の組み合わせがシステムに相当)を用意し、その挙動を既存要素のパラメータの持つランダム性や偏向を使ってカオス化できないか、ということですので。あ、ホルスターだけは逆ね。

 ディビジョンテックの限られた使い先である最適化ステーションは、スコア、特性、タレントの数値を上昇させるけれども、特性もタレントも変更しない。もちろんプレイヤーキャラの総合的な力を高められる能力は、「ドロップ品に対する引きの強さ」の足元にも及ばない。つまり、 「価値」=「プレイヤーにとってゲーム体験が変わるかどうか」に影響するだけ力を最適化ステーションは持たないのだ。先のエントリに書いた通り、最適化ステーションの機能とは、「実質的に『価値』の変化が起きない範囲に制限しつつ数値の上昇する様を見せることにより、最適化が『価値』を変え得るものとプレイヤーに思わせ、最適化に必要なディビジョンテック収集のモチベーションを上昇、プレイさせ続ける」ことにあるとしか思えない。

 さらに限界まで最適化した装備や武器のスコアに一定の上限値があることから、装備のスコアは単に装備のレベルを再分割しただけの値でしかないという以前からの印象がより強まった。つまり最適化とは文字通り同一装備レベル内での最適化に限られており、例えばレベル29の武器はレベル29の範囲内で何か変わることはあっても、レベル30の武器にはなり得ないのである。こんなものに「価値」はあるだろうか?プレイヤー側には基本的に無いか、余りに限定的すぎる。

 運営側はどうか。「発生させた乱数値を装備のパラメータ値に加えるという簡単な機能を最適化ステーションというの名前で安価に実装」することで、「使い道も無く存在価値すら失っていたディビジョンテックなるものに価値がある」とプレイヤーに思わせようとしてみただけなのである。アクティブプレイヤー数が増えたり、それこそ維持できるだけでも御の字なのだろうと思う。損が出にくい割に当たるとデカい。

 最適化に賛成?反対?

 私にとっての「最適化」とは、「ディビジョンテックを収集し、それらを最適化ステーションで使えば、ゲーム体験が変わる」という幻想をプレイヤーに与えるための手段に過ぎない。詐欺とまで呼ばない理由は「最適化という表現自体には嘘も誤魔化しも無い」からである。散々使ってみた経験も踏まえれば「賛成、反対を論ずる価値も無い」と言うのが正直な思いだが、まぁ、スコアや特性パラメータが上がることには別に問題は無いので反対はしないよって感じかな。

 「プレイヤーにとってゲーム体験が変わり得る」装備や武器は最適化からは得られない・・・The Divisionは本質的に以前と何ら変わっていないのである。繰り返しになるが、ディビジョンテックと最適化ステーションの組み合わせを思いついた人間は、確信犯なら相当頭が良いか、人間心理に関する造詣が深い感じだ。そうでなければ(自粛)。

 さて最適化ステーションの登場により、ギアスコアの意味は輪をかけて失われた。ギアスコアの大小とプレイヤーの力の関係がより不明確になったからである。もしギアスコアが低いことを理由としたキックがプレイヤーマッチング時に減ったのであれば多少は良い効果もあったのかなとも思えるが、その結果としてミッションエンド直前でのキックが増えているだろうから害悪の方が多そうだね。

 なーんてことを書いているせいだろうか、一昨日は作戦基地に入れてもらえなかったんですよ・・・寒いので入れてくださーい!!ドアあけてくださーい!!簡体中国語は分りませーん!!

2018/05/18

現行3Dゲームエンジンで起こりがちな事(ピンポイント過ぎ)

 Steam版PCゲーム「リトルウィッチアカデミア 時の魔法と七不思議」のネット上のレビューに目を通していて、やはり・・・という記述を目にした。ゲームは3Dゲームエンジンunityを使用しており、キャラクターは当然3Dモデルで処理されている。やはり・・・と言ったのは、手描きと3Dモデルによる表現との違和感に対するネガティブな反応である。海外では、何もそこまで・・・とすら思うような激しい反応もある。

 まぁ、「リトルウィッチアカデミア」の作劇作法は、それまでの日本アニメの作法をいったん吸収消化してみた後の「パワーパフガールズ」辺りカートゥーンでの作劇作法に近い印象が強い(チビの市長、すらも既に定型表現と見なされかねないレベルだ)。加えて、魔法周りのお約束描写は(恐らく意図的に)英国のオリジナルに近いまま導入している。この点は、「魔法使いプリキュア」がハリーポッター作品などで近代化加工など変形した形で使われた「お約束」描写を再加工、再使用したのとは対照的である。この見立てに従えば、海外の多くの視聴者にとって「日本アニメの作画技法」が他作品との無視できない差別因子、目新らしさ、ひいては無二の魅力となる可能性を秘める。もちろんこれら因子は作品の拒絶要因ともなるがそれはそれ、むしろコアなファンを獲得できる可能性があるとも見るべきだ。「日本アニメの作画技法」に魅力を感じたコアな作品ファンがいたら・・・そりゃその魅力の再現に限界のあるゲームでのキャラ描写にはちょっと煩くなるかもね。そもそもカット割りの概念が別物過ぎる。

 閑話休題。

 この類の手描きと3Dモデルとによるキャラ表現の違和感はunityかどいうかを問わず現行の3Dゲームエンジンでは避けられず、かつその発生はとっくの昔から予測されていた筈だ。絵が描けて、3Dモデリングをやったことがある人なら直ぐに分るのではないかと思う。

 現行の3Dゲームエンジンのカメラのパース(パースペクティブ)は基本的に画面内のどの位置でも同じである。これは「現実のカメラにとっては当たり前」だが、現実のカメラの特性の制限なんぞ無関係な手描きアニメの絵では、パースが画面内に複数存在することも珍しくない。顔だけ煽られているようなカットや頭部が相対的に大きめに描かれた手描きアニメの絵は、少なくとも顔とそれ以外の部分でパースなどが違う状態と言って良い。背景とキャラのパースやカメラの位置。向きが違うって?いや、ふつーふつー。

 厄介なのは、ゲーム「リトルウィッチアカデミア 時の魔法と七不思議」のキャラクター絵のリファレンスが、複数のパースが存在する手描きの絵・・・単に歪んでいるのではなく、その多くは特定の演出意図や作画者の快感則を反映している・・・であることだ。従って、このようなリファレンスの絵の3Dエンジンでの再現またはシミュレートは演出の対象とする価値があるものと個人的には信じるが、それを実現する具体的な手段がエンジン側に用意されていないため、実現が困難なのだ。さらに言えば、米国のカートゥーン製作業界に同等または類似なニーズが見られないため、他者が実現手段を用意してくれる見込みも無い。

 ピクサー作品ではエンディングクレジットのみ2Dとなっていることがある(例えば、「レミーのおいしいレストラン」)。これらを観れば分ることは、2D部と3D部(本編)では見た目の風合いや動きのタイミングが全く違うこと、つまり2Dと3Dは端から別物であり、一方が他方をシミュレートするなんて考えは製作者たちの頭の中に完全に無さそうということだ。この状況は、セルシェーディング(3DCGでセル塗りのシミュレートと輪郭線の付加を行う、すなわち自動的にセルアニメ調の絵を作る)が多用されている日本の状況とは完全に異なる。3D部を如何に2D部に近づけていくか・・・その涙ぐましいまでの努力の結果及び進化の過程は、ある作品以降のプリキュアシリーズ作品のエンディングにいい塩梅に凝縮されている気がする。個人的にキモと思っているのはやはり顔の扱いで、表情、視線の動きをちゃんとつけ「続ける」ことと、カメラの位置と向きに対する顔の向き(特に顎の向き)/首の角度は「現実の無視は辺り前」の調整が必須だ。これらを怠ると「プラスチックのお面を付けたダンサー達によるプリキュア舞台ショー風(すげーな!「風」!)」な動画になってしまう。

・・・なーんて感じの話に最初に思い至ったのは2010年ごろに遡る。なお「3Dゲームエンジン&パース」の議論に限れば、その始まりは90年代のゲームQuakeの登場まで遡る・・・より広い範囲が見えるようにするパースの変更はチートにならないの?って話だ。当時の結論はノー、人間の実視界よりも広い範囲の画像は「実際に見ている光景と脳が錯覚しにくく」、かつ「画像内の歪が大きいと認知段階での歪補正に必要な脳の負荷が激増」してしまい、プレイヤーの反応がむしろ遅くなる可能性が高いからだ。ただし人間の脳のことである、訓練でどうなるかは分かったもんじゃない。

 さて2010年ごろ、3DCGプログラムであるLightwave3Dには既に「アドバンストカメラ」なる不思議な(そして他人が使った例を未だほぼ知らない)カメラが実装されていた。このカメラの特徴は、パースなどのカメラ/レンズ特性の画面内の分布を制御できる点にある。つまり、同一画面内の位置ごとに複数のパースを与えられるということだ。

 適用例は例えばコレ、 画面内の物体(宇宙船)が瞬間移動する直前に歪む効果を、レンズ表面に二次元的な凹凸分布を与えることで実現したものだ。右下のイメージ内のDisplacement mapという絵で、画面内各位置に対応したレンズ表面の凹凸を与えている。白いほどレンズ表面は局所的に出っ張り、黒いほど引っ込んでいる。Displacement map自体もアニメーションで与えられるので、イメージの歪みも時間変化させられる。実際の動画はこんな感じだ。なお、歪み効果以外の部分は気にせずに・・・音楽については元Modファイル使いだったところを鑑みて察して欲しい・・・
  なおこの種の歪みの効果は、歪み無しのCG画像に後処理で加えるのが普通であり、動画はいわばアイディアのプレゼンのようなものだ・・・高額の後処理用プログラムを持っていなくともこれぐらいはできるんだぜ、ってね。

 本題に戻ろう。個人的には、unityのような3DゲームエンジンにもLightwave3Dのアドバンストカメラのような機能を実装して欲しい。奥行方向で適用/不適用を制御した上でキャラクターなどの前景と背景を合成する必要があるなどリアルタイム性との両立には技術的に厳しいところもありそうだが、その部分以外は割と現実的ではないかと思う。

 ニーズが小さい、或いはニーズを感じる人が居ないという可能性も否定できないのが残念なところだが(ゲーム制作者たちがこの種の可能性に気付いていないのでは、と思わざるを得ないことが多々あるということ)、この機能さえあれば、日本の手描きアニメで当たり前に、或いは時に無意識に行われている作画上の演出の再現やシミュレートがかなり可能になる筈だ。
 こんな画が3Dゲームエンジンで簡単に作れるようになれば、コスト的にも手描きアニメ終了のカウントダウン開始だ。ぱっと見、右側のアッコの首~口~鼻、紙の生え際付近の領域のアウトラインのシミュレートだけでカメラが20個ぐらい必要で、かつそれらカメラの画をシームレスに合成しなければならない大変な作業が控えている・・・「冴えたやり方」が必要なのだろう。

 アドバンストカメラは原理上、「20個ほどの位置も向きもパースも異なるカメラの画をシームレスに繋いだ画」を単一の三次元曲面を適切に定義するだけで作成できるポテンシャルを持つ。数学、特に座標変換に強い人、その辺りをちゃんと数式で示してくれないものか・・・UVマッピングの逆向きの操作が一つの例となる筈だ。考えても見て欲しい。全てのポリゴンをそれらの法線方向から撮影した画がマッピングされた画像があるとする(それはUVマップ画像のように見えるだろう)。この画像があれば、カメラの位置や向きがどうであろうと、その瞬間のあらゆるカットは「画像の座標変換だけで」作成できる筈だ。この場合に求められる「冴えたやり方」とは、例えば、最初に用意すべき画像に含めなければならない情報を画像作成前に特定するとともに、特定結果に基づいて使用計算リソースを最小限にする方法である。

 カット内でのパースの時間変化なんて、日本の手描きアニメではかなり日常的だよね?あ、「銀河英雄伝説 Die Neue These」は使ってねぇなぁ・・・

2018/05/17

「銀河英雄伝説 Die Neue These」への不安・続

 最新話で某要塞攻略が描かれる。不安通りと言うか、おそらく「私がちゃんと描くべきではないかと考える要素」に今回の作り手は興味が無いのだろう。例えば、

某大佐の軽口を如何にカッコよく聞こえるようにするか

とか・・・つまり

某大佐の軽口(特に異性に関わるもの)をダサく聞こえるようなものにしないこと

とかだ。キャラクターデザインはとても助けになるものではないから、脚本や演出、画が頑張らなければならない。声優さんの頑張りにも限界がある(と言うか、頑張り代が声優さんに与えられていない)。あと、最新話のフレデリカの描き方での「可愛さなどキャラの個性に関わるような要素の欠如」も同様に異常。扱えないなら、今後女性キャラは出さない方が良いのではないかと思う。作り手の人生経験やカメラやレンズに関する知識ってどの程度なんだろうね。

 I.G.にはレイアウトシステム(画角と画角内の描画対象の位置を決めるプロセス。手描き絵のパースも実質的に決める。CGIとの合成が前提の場合、CGIで使うカメラやレンズの特性やカメラの位置、向きを決めるプロセスと等価だ)に長けた人材が多くいたはずなのだが、それらが使われている感じが全くしないのも違和感が大きい。つまり、パースがヘンに感じたりするとか、あるべきパースが無いと感じることがあるという事だ。

 2000年代、米国のTVドラマシリーズには宇宙を舞台としたSF作品が多かった。この時期、宇宙船飛翔シーンなどのVFXシーンの製作方法は模型ベース の特殊撮影からCGにほぼ移行していた。そして、無数の大小の宇宙船が乱れ飛ぶ戦闘シーンまでもが当たり前に使られるようになると、その種の仕事が任せられるCGI制作会社は極めて短時間のうちに淘汰された。これは、制作予算やスケジュールの管理能力があることは当然として、必要な演出ができる人材を確保できていたかどうかが大きい。

 当時生き残った代表的な会社にZoicがある。当時Zoicが制作したCGIでは、宇宙船の相対的大きさの表現が上手いと感じたものが多い。巨大戦艦に大量に群がる小型戦闘艇、巨大戦艦に単騎で戦闘を挑むボロ旧式戦闘艇といったシーンが非常に魅力的に仕上げられていた。

 この時期の作品に「Battlestar Galactica」がある。Zoicはこの作品のミニシリーズ(パイロット版相当で、DVDではシーズン1の1、2話に割り当てられた)~シーズン2のVFXを担当し、シーズン2では所謂「The Adama Maneuver」も描く。この機動、長さ1400m級の大型宇宙船が惑星大気中を自由落下しながら艦載機を発進させたのち、地上激突前に瞬間移動(FTLジャンプ)で惑星大気外へ退避するという「アイディアは新しくないが、良くぞ具体的な画に仕上げ切った!ついにここまでできる時代になったんだ!」と多くの視聴者から評価されたもの。某日本映画が劣化した形でモロパクリし、分かってる国内の筋からのみならず、動画サイトで違法視聴した海外の多くの人々からも映画や監督らは今でもバカにされ続けている。余りの作りに、私は1回観てから中古購入したこの日本映画のDVDを躊躇なく割ることになる・・・ちょ、待てよ・・・なんて言われても割るよ!。
 で、その「Battlestar Galactica」だが、シーズン3に入って主に予算の制限から以下のように制作体制が変わった。
  • CGI制作が番組制作会社Universalのインハウスチーム担当となる。
  • 監督/演出家のキャリアが2レベルは下がる。
  • 脚本家は複数の一流作家からほぼ一人の新人に代わる。プロデューサーは「才能ある新人」と呼んでいたが、「プロ意識はしっかりと持った(スケジュールは守るという意味)アマチュア」との印象しかない。
 結果、VFXは輝きを完全に失い、特に宇宙船の巨大感は完全に失われてしまう。おそらく、Zoicの担当者とは違ってインハウススチームのスタッフはカメラやレンズに関する知識に著しく欠けたのだろう、画角をちゃんとコントロールしたカットやシーンがあった記憶が無い(使用ソフトのデフォルト値のまま?)。ライティングも下手だった(使用ソフトのデフォルト値のまま?)。カッコ良い宇宙艦隊シーンなんて、作れと言われても作れなかっただろう。加えて、脚本、演出共に酷い出来で、2回目観る気がついぞ起こらなかった。でもね、そんな中、俳優陣は結構頑張ってましたよ・・・。

 うん、少なくともここまでの「銀河英雄伝説 Die Neue These」は、まるでシーズン3以降の「Battlestar Galactica」の様なのだ。会話含む脚本、CGI含む画作り、音楽などなど、個々の要素のレベルで意図が分からない。相互に整合していないし、揃えたように平凡以下だ。プロの作ったレベルのものではあるが、省エネ具合の酷さと言うか安全運転するばかりというか熱の無さと言うか、まるで飯のためだけに作ってると言わんばかりに見える。でも声優さんたちは頑張ってるよね。

 で、某大佐のセリフ絡みで補足しておくと、旧アニメは「時に外連味もある舞台的なセリフ回しや演技を、舞台ではなくより現実的な空間内で見せる」という、そもそもアニメ以外でやりようがなさそうな手法を選び、挑んだものだったと思います。日本の当時のアニメって総じてそんなものでしょう、という意見には同意します。が、「舞台的な」といった部分を高いレベルで意識化していたのは間違いないと思います。ある種の重厚さや品を作品に感じたならば、このようなアプローチの貢献度は低くないでしょう。キャラからローゼンリッター、帝国軍の装甲服(どう考えても機能よりキャラ付けとリンクした見栄えが優先)まで大部分のデザインはその手法にきっちり従属し、当然ながら手法自体を支えます。また舞台的な描写は、帝国内社交界などの形式化が進んだイベント類の描写との親和性も高そうです。形式化が進んだものを形式化が進んだものとして見えるように描く・・・それが出来てこそ、帝国の様々な要素を「行き過ぎた形式化どころか硬直化したもの」と見做す劇中人物の認識を視聴者は疑似的に共有できるんじゃないかなぁ・・・

 一方、新アニメには独自とも敢えて選択したとも思われる方法論を未だ見出せません。見た目は「書割に立ち絵」なので、動き、外連味、キャラの物体の裏表や割りばしの無い「ミニパト」と実は変わりません。「ミニパト」の方法論でもちゃんと動きのある社交ダンス描写は難しそうな(と言うか向いていない)なところにきて、その超絶劣化版です。作られるだろう社交ダンスシーンの画は容易に想像できます・・・それぐらいしかやりようが無いですからね(ただし、社交ダンスシーンは明らかに面倒くさいので、これまでの流儀からの類推として、止め画すら作らず、画面上では触れない可能性が高いです)。「ミニパト」の方法論は「用意さたセリフ」に従属すべく研ぎ澄まされています。「ミニパト」の画面内要素は、セリフのためだけに、セリフに合うように、過不足なく用意、配置、移動、除去され続けるのです。作品の出来や良し悪しは別にして、なんと贅沢な、何と純粋な。

 「某大佐のセリフが徹頭徹尾ダサかった」のは当たり前、それはピエロの格好で営業運転終了後の千代田線列車の運転席内でヒンズースクワット風の意味の無い運動を繰り返しながら古典落語を演じるが如く、セリフの周囲に用意された何もかもがセリフに対してちぐはぐだからなのです。

2018/05/12

LightWave 2018.0.4アップデート

 アップデートが出るのが早いのは良いのだが、もちっと落ち着いた方が良い様に思う。

 具体的には、「もっとちゃんとした、不具合と不具合個々への対応予定のリスト」を出した上で、アップロードのロードマップの提示、アップデートのリリース、リスト更新を繰り返した方が良い。現在の対応はまだ場当たり的に見える。リリースノートを読む(つまりアップデートのリリース後になる)までアップデート内容が部分的にしか分からないという状況は、時間に追われている身には手の打ちようが無くて途轍もなく辛い時がある。

 と言うのも、Blenderの躍進などもあり、低価格寄り製品とは言えLightwave3Dユーザーの人口もさすがに以前よりプロ側にシフトしたと思うからだ。つまり、「業界(の人間)相手」を前提とした対応方法に明確に舵を切った方が良い。「暇な業界人」・・・希少種だと思いますよ。

 リリースノートを見る限り既に不具合はナンバリングされており、不具合のデータベース化の仕組みは既に存在している筈である。ならば、後は外部への見せ方だけの問題だと思うのだが。まぁ、それにいったん手を付けたものの、余りに不具合リストの拡大が早くて「対応時期未定」の項目だけみたいなリストしか出せなくなってしまったゲーム会社がありましてね・・・

 さて、個人的に既にメリットのあったアップデート0.4での改善点は以下の2点。2点目はアップデートで発生した不具合(激怒した人も、脱力した人もあろう)のアップデートによる解決という間抜けたものだが、みんな!今は単純に喜んでおこうよ。
  • 異常に遅くなっていたモデラーの起動時間が、2015以前と同等まで早くなった(2015と何度も比べたので確実)。
    だからどうしたレベルの話と思う人もいるだろうが、機能は変わらず、メモリ使用方法変更のアナウンスも無いままの体感30倍以上の低速化は「他の不具合が有る兆候の可能性大」と見るべきだろう。
  • アップデート0.2で動作だ不安定化した「モデラーのメニューへのcfgファイルの読み込みによるブランチ追加」がちゃんと動作するようになった。
    この機能が動作しないと、私の環境でも20個以上の追加プラグインを一つ一つ手動でメニューに登録しなけらばならず、面倒臭いし複数のライセンス認証も含めると20分ぐらいの作業になる。機能が動作すればメニュー登録もライセンス認証もそれぞれ10秒以内、全作業でも1分ぐらいしかかからない。

Steam版PCゲーム「リトルウィッチアカデミア 時の魔法と七不思議」発売!・・・らしい

 5/16ですか、公式にも情報出てますね。
 元となるアニメ作品は劇場版も含めて大好きです。でもですね、作画的話法上大嫌いなところがあって・・・時折使われる容積や質量の変化に無理が過ぎる変形が駄目なのです。同じ理由でFLCLも苦手だし、エヴァ:Qはロケット機構の生成まで変形に含む余りのご都合主義ぶりに生理的レベルで拒絶反応が発生、まだ冒頭部だったのに作品自体への興味を失いました。要は程度問題ですね。ちなみに、少なくともハンナバーバラ(ハンナバーベラ)作品であそこまでの変形をやっていた記憶はないんですが、実際のところはどうだったんでしょう?

 ゲームは買っちゃいますよ、きっと・・・Farcry5なんて難易度ハード一周だけでもう一片の興味もないし

 あと敢えてこれも貼っておきましょうか。著作権的には×ですけどね、前半の編集のはまりっぷりに対して、後半の編集が加速度的にグダグダになっていく辺りはご愛敬。うん、後半はカット割りが短かったりで使える元ネタが少ないのは分ります。ダイアナを出さなくて済ませられていれば「割と奇麗に閉じた1本」だったかもと、ちょっと残念な感じもします。ダイアナの登場は唐突過ぎる上、オリジナル作品との縁切りができませんでしたからね。

2018/05/09

「銀河英雄伝説 Die Neue These」への不安

 Gyao!で観てます。私と「銀河英雄伝説」という作品との関係はと言うと、原作、旧アニメシリーズともにリアルタイム、ビデオ化以前から地域のSF好きが作った無名の「銀河英雄伝説」同人誌に短編小説を寄せたり、その表紙を描いたりしてました。まぁそういう距離感を持つ身ということです。

 キャラデザインに関わる話は余りするつもりはありませんが、女性キャラのデザインで使っている要素幅が狭い感じがあり、今後キャラごとの描き分けが十分にできるのかちょっと不安になりました。以前のエントリではキルヒアイスについて似た懸念を持つことに触れています。対して、声優さん方は本当に良い仕事をしていると感じます。声による「キャラごと、キャラの状態/気分の描き分け」への支援は期待できそうです。

 ちなみに某アニメの女性キャラ群「Dパイ(フォレスト、可能性としてヤクルトおばちゃんも含めておこう。ただしヤクルトおばちゃんは全盛期ならば暗殺者枠でも有り得、おっさんまたは超美少女の変装の可能性が・・・)」個々のキャラの立て方、描き方は、教科書的ですらあります。が、「分かりやすくてかつ(少なくとも初見では)面白い」というその一点をきっちり抑えていて、観ていて実に上手いものだと思いました。ただし、赤塚不二夫原作アニメチックな演出は抑える方向が良いと思います。業務内容ごとや勤務内外で髪型を変えたり(変える人と変えない人、または変えたように見えない人が居る事も含みますよ)とか、芸が細かいと言うよりはリアルな印象を受けてます。今回のフレデリカは髪が長めのデザインなので、髪型も演出上で上手く使って欲しく思います。

 まぁ、旧アニメ版の声から推定される演出意図だと、常にきちっとしているせいで結果として髪型が変わらない・・・という事だったのかもという可能性はあるのですが。普段から「可愛い可愛い扱いしていたり」とさらに演出の幅を狭めてしまうと、作品的に「本当に可愛く見えるべきとき」にそう描けなくなる可能性がありますからね。「頬を赤く染めて視線を下に外し」ではうっかりすると60年代の演出ですし、端正なキャラデザインでそれではギャグにしかなりません。部下、恋人、新妻、未亡人、国家元首・・・さぁ、それぞれの演出プランや如何に(個人的には、眼鏡、コンタクトレンズネタは封印をお願いしたい)?

 で、本エントリにおける「本当の不安」はここからです。

 「製作者は劇中で視聴者に最小限の説明しかしない方針」のように見受けられます。現時点までの「脚本の淡白さ」は、世界観の説明すらほぼせず、時間経過の描写もかなり曖昧です。従って私の印象、見立てが妥当であれば、原作や旧アニメを知らない視聴者は、周辺情報を漁ること無しに「銀河英雄伝説 Die Neue These」が描いている内容を理解できるとは思えません。

 なるほど、現実世界には「説明的なセリフ」が存在できる余地はほとんどありません。ですから、そういう状況下で如何に上手く「説明的なセリフ」やそれを代替する画や描写を作品に盛り込むかという部分に物語の語り手の腕が問われるのです。「全ての説明を冒頭のナレーションまたはテロップで済ませる」という荒業もありますが、その使用が許される本編のレベルは「世界中から桁違いの収益を上げられる出来」である必要があるでしょう。

 実のところ、「作品単体だけでは作品自体が理解できない」小説や映画などは以前から存在しますし、理由も様々です。ただし、たいてい失敗作扱いされています。

 「銀河英雄伝説 Die Neue These」についても、最初は「脚本家が原作や旧アニメが好きすぎて、それらを知らない視聴者が居ることにまで気が回っていない」とすら思いました。が、作画されたものやキャラの劇中の発言は「脚本の淡白さ」を補うどころか、情報や意味の有無という意味では脚本に劣らず淡白(説明的な要素が皆無)なのです。

 「某回廊」や「某要塞」は「中学校」ではありません。つまり、誰もが知っていたり、そこに所属したことがあるような想像可能な場所ではありません。そんな状況下、「某回廊」や「某要塞」がどういうものかについての説明をほぼ省いたまま、「銀河英雄伝説 Die Neue These」は要塞攻略戦を描き始めようとしています。これでは攻略の困難さすら視聴者には伝わらず、それを反映したキャラのセリフの意味も理解されないでしょう。これは大いなるコミュニケーションの欠落ではありませんか?

 利点と言えば、「物理的に核爆発が起こり得ない条件下で核爆発を発生させた方法を説明せずに済むかも」ぐらいでしょうか。

 さて、同様の不安について、より直接的に本ブログで触れた作品が既にあります。

 「自分と他人は考え方や意見が、解釈が違う」というのは対人間コミュニケーションの基本です。ですから「合意形成」が必要であり、作り手は必要に応じて言葉を尽くすべきなのです。如何に効率良く、分かりやすく、確実に言葉や画で視聴者に必要な情報を伝えるか・・・それも可能な限り視聴者には自然に受け入れられるように・・・プロの仕事足らんとすればここは問われます。「他者が自分と同じように考える、解釈することを前提とし、加えて前提の理由を当人の個人的な感覚や気分に置く」ととあるアニメ作品のようになりかねません。また、「個人的な感覚や気分」を「思い込み」や「思い入れ」に置き換えれば分るように、この種の悲劇はリメイクの方が発生しやすそうです。

 かつて私は、とあるアニメ作品に対する一種の批判のために「物語至上主義」という言葉を本ブログ内で使いました。別の表現をすれば、物語を語るに必要なことは全て触れる(=コンテクスト/文脈の明確化)、物語を語るに不必要なことは「物語を語ること以外の意図」が無い限り触れない(=ノイズの低減、ミスリードのためのミスリードの排除など)、個人的感覚や気分に基づく判断は実行内容から完全に排除(=自慰行為、過剰な自画自賛や非論理的物語展開の隠蔽、回避など)となります。

 「銀河英雄伝説 Die Neue These」、果たしてどう仕上がっていくでしょうか?・・・不安でしかない(饅頭的に・・・んですがねぇ。

2018/05/07

[隣のDivisionさん] 2018年度初頭のゲーム内経済

 Ubisoftの会計年度は4月~3月で、日本の多くの企業と同じである。だからUbisoftにとっても現在は2018年度初頭、年度の最初の一カ月が経過したところである。

 プレイしている方ならご存知の通り、The Division内の経済基盤はディビジョンテックに大きく移行した。オープンワールドの戦闘任務やクラフト任務の報酬にもディビジョンテック(25個)が含まれるようになり、シーズンパス所有者へのサプライドロップにもディビジョンテック(100個)が含まれる。名前付き武器やクラシファイド装備を分解すればもれなく、高品質の武器や装備を分解しても低確率だがディビジョンテックが入手できる。オープンワールド追加地域内のアラート任務の成功報酬もディビジョンテックだ。

 ディビジョンテックの使い道は、現実として最適化ステーションでの武器や装備の最適化しかない。最適化1回に必要なディビジョンテック量は50個と決して少なく無い。が、ドロップ品の品質に期待できないことに変わりない以上、ギアスコアアップ向上策として最適化ステーションは活用せざるを得ない。

 個人の最適化結果について記しておこう。
  • 平均ギアスコア274から288(現在)への上昇はほぼ最適化だけによる。
  • 初期のギアスコアが280未満である武器や装備の場合、最大限にまで最適化して到達できるギアスコアはほぼ286、またはそれ未満である。ギアスコアの上昇幅としては8~10が典型的だが、後述するように例外がある。
  • 現行のギア構成では、3つの全武器、6つ中の5つの装備のギアスコアが286である。最適化ステーションでのギアスコア上昇は既に全て不可である。
  • 現行のギア構成での装備単体の最高ギアスコアは295である。この装備はドロップ品であり、ドロップ時のギアスコアは277だった。つまりこの装備のギアスコアの上昇幅は18であり、例外的に大きい。
となれば、プレイ時間が限られるなどドロップ品数やキャッシュの入手数自体が制限されるプレイヤーほど、ディビジョンテック取得数を増やすことに力点を置いた方が効率よくギアスコアを上げられるように見える。例外品がそうであるかを確認するにも例外品を最適化するにも、相応のディビジョンテックがなければならないからだ。

 最適化ステーションは明らかにゲームチェンジャーだ。これの登場によって、ワールドティアや敵レベルを上げずとも、新しく高いギアスコアを導入しなくとも、プレイヤーにはギアスコアを高め続けられる可能性が、あくまで可能性が残される。

 そして運営は楽チンだ。だらだらとプレイし続けるプレイヤーを繋ぎとめる仕組みとしてはなかなか良い・・・最も気に入っているのは値段だ・・・有償アップデートでこのような怠惰な運営をしようものならプレイヤーを怒らせかねない。

 最適化ステーションとディビジョンテックを基盤とするゲーム内経済の変更はゲーム延命を望む運営サイドにとって低コストという意味で名案だが、複数キャラクター間のクレジットなどの共有化といった他のシステム変更とは(目立たないながらも)すこぶる相性が悪い、かなりザルと言って良さそうに見える。

 例を挙げよう。

 実のところ本エントリでは「ゲーム内経済」と言う言葉をわざわざ使っている。これはクラフト機能を介することで、例えば武器パーツなどを「一定比率=一定の交換レート」でディビジョンテックに変換できるからである。クレジット種を増やし続けつつそれらの間の一定比率交換、すなわち一種のゲーム内経済の確立を拒絶し続けたのがThe Divisionだった。だが、「名前付き武器を分解すれば1つのディビジョンテックが必ず入手できる」という新たな仕組みと「名前付き武器のブループリントを使ったクラフト」を利用すれば、クラフト→分解の過程でクラフトに必要なパーツとディビジョンテックとの間の交換レートが「明確に」決まる。クラフトした武器は通常クレジットの定額で買い取ってもらえるから、ディビジョンテックと通常クレジットとの交換レートも「明確に」決まる。まず交換レートが存在し、それら交換レートに「確率的変動が発生しない」という状態は、The Division内では初めてだろう。

 「運営サイドにそんな意図は無かったのに、ゲーム内に交換レートが生まれてしまった」なら、運営は恥の上塗りをしたと言えよう。いつものようにこの開発会社のやることは薄っぺらい。

 で、実はここが最大の問題なのだが、「名前付き武器のブループリント」は現在入手可能なのだろうか?昨日ぶらついた時には「名前付き武器のブループリント」自体を店で見つけられなかったのだが・・・。つまり購入可能時期に「名前付き武器のブループリント」を購入したプレイヤーだけが現在多めにディビジョンテックが入手できる不平等状態になっていないか?という話だ。(コメント頂いた通り、ストーリーミッションをクリアしたプレイヤーは拳銃「ダマスカス」のブループリントを所有しています。)

 ちなみに私はテネブラエのブループリントを所有している。クラフトに必要な武器パーツは黄色6個と決して多くはない。オープンワールド旧範囲巡回だけで50黄色武器パーツ/30分程度の入手は可能なので、1時間当たり20個程度のディビジョンテックが追加で、かつ確実に入手できることになる(分解して得られた武器パーツはクラフトに再利用できるので、実はクラフトに必要な武器パーツは1個マイナスの黄色5個となることに注意!)。これを大きいと見るか小さいと見るか・・・個人的には大きい。同数のディビジョンテック入手には5回程度のアラート任務達成が必要だが、任務内容によっては30分近いプレイ時間が求められる。

 名前付き武器の購入は1ディビジョンテックの入手と同等なので、フェニックスクレジットとディビジョンテックとの間にも、実は「一定範囲内の交換レート」が既に存在する。更に・・・とは言え大事なことので繰り返しておく。 「名前付き武器のブループリント」を持たないプレイヤーはこのゲーム内経済には参加できないのだ。

2018/04/29

GW前処理事案 - The Division2に必要なのは

ネットコードをせめて「普通」にすることだ。

 ただし、そんな話は(状況として理解し難いが)全く聞こえてこない。

 せめて誰か「Massiveはネットコードに一切関与させていない」とか、「Massiveはアバターのゲーム制作で忙しいので、実際にはSnowdrop2エンジンにしか関わっていない」とか、「旧作のクリエイティブディレクターはクビにして(大朗報)、ザ・クルー2しかやらせない(大悲報)」ぐらいは言ってくれないだろうか。

 我々には何らかの夢が必要だ。

 ネットコードとは、ゲームのサーバーとクライアント間の通信内容及び通信頻度などを指す。The Divisionのネットコードの酷さ、特に通信頻度の低さはベータ版時代から問題視されており、加えて未だに改善されたとの話が無いと言う事実は壮絶とすら言える。有名どころのFPSでは、早い段階のアップデートにネットコード改善が含まれている事も珍しくない。

 ちょっと実験をやってみた。現在The Divisionでは「ブラックアウト」とか言う何か分からないイベントを実施中で、とにかく通信が安定していない。時間さえ選べば10分と持たずに通信がダウン、二日に1回くらいはサーバーダウン、敵はワープし放題で、時間を選ばなくともインプットラグは十分に体感可能である。そこでインプットラグを色々と測定してみた。

 測定方法はこんな感じだ。
  1. 背後で音楽(♩=120前後)を再生しながらプレイを録画
  2. 操作(銃の発射、スキルの発動など)を音楽(要はドラム音)に合わせて実施
  3. プレイ録画上で、操作した音楽上のタイミング(要はドラム音)と実際の操作への反応で発生した音のタイミングを比較
  4. 比較には、自作の信号処理ソフトを使用 (分解能0.06ミリ秒)
 主要な結果はこんな感じ。
  • アサルトライフル発砲開始:240ミリ秒
  • LMG発砲開始:250ミリ秒
  • 追尾マイン投擲:260ミリ秒
  • 手榴弾投擲:130ミリ秒
  • 前転:120ミリ秒、400ミリ秒内に2回目は実施不可
  • パルス:240ミリ秒
  • ヘッドショットキル時の画面と音とのタイミング差:140ミリ秒
どうも125ミリ秒辺りが肝になっている雰囲気だ。発砲系の処理はサーバーからの返答が必要なので、125×2=250ミリ秒ぐらいとなっているという判断だ。

 ちなみにWorld of Warships、アジアサーバーでのping値は通常40ミリ秒前半、込んでも120ミリ秒は超えない(が、さすがに100ミリ秒を越えるときはやらない)という通信環境である。

 音楽をやっている人なら、125ミリ秒(=1/8秒)というのが途轍もない時間遅れだということは分るだろう。 ♩=120(1分間に1/4分音符が120拍、昨今のダンス曲なら♩~135、速めのD&Bなら♩~176辺り)における125ミリ秒は1/16分音符と同じ長さである。こんな遅れじゃリズムがグダグダとなってしまう。

 とあるFPSにおける通信頻度は25回/秒(25ミリ秒以下のラグ)で、総通信ラグは80ミリ秒未満とされる。つまり通信頻度は未だ「普通の1/3~1/4」ということになる。ping値80(ミリ秒)超ではRainbow Six Siegeのプレイは既にキツいと聞いたこともある。そりゃそうだ、これにサーバー反応などのラグが加われば120ミリ秒級またはそれ以上の体感ラグ発生は避けられない。The Divisionの通常状態のラグは Rainbow Six Siegeがまともにプレイできなくなるラグよりも大きいのである。

 なおSteamDBによれば、最近のRainbow Six Siegeの1日の同時プレイヤー数はThe Divisionのそれのほぼ100倍以上で、The Divisionリリース直後のピーク値と同等となっている。金、技術、対顧客コミュニケーション、マネジメント含め、通信事情に関するThe Divisionの不手際(としか解釈できない状態)は、事前の評判が決して高くはなかったRainbow Six Siegeと比べても目立つ。「口先だけのThe Division、多少ゆっくり目だが改善内容を具体的に宣言した上でそれを着実に実行していくRainbow Six Siege」、などととある知り合いは言う(ブログ主はRainbow Six Siegeはプレイしていない)。

 加えてワープし放題状態での敵の最大移動距離は、キャラ肩幅基準で最大4倍程度という感じである。なので「普通の1/3~1/4」という数字はここでも多少意味が出てくる。そりゃ肩幅の数倍もワープすれば隣の部屋に行っちゃうでしょ。なお、これを超えるようなワープ幅が発生するような状況では、サーバーとの切断が発生してしまうようである。

 ちなみにゲームエンジンのSnowdropについては、「とある開発者が自分の分野の技術内容について疑いようも無い嘘をついている」点を指摘したことこそはあるものの、基本的にベタ褒めしてきた。ポイントは「小せぇことは良いんだよ」張りの「使わない(または使わないことにどっかの段階で判断された)機能のぶった切り」による軽量化である。音声処理、特に爆発音などの処理の実装は如何にも雑そうだし、植生の処理も遅いっつーか流儀が古く見える。要は描画機能の一部を除き、既存のライブラリをそのまま使っているだけのエンジンなのだろう・・・それも見識だ。まぁ車の窓が銃撃でいったんは壊れたりするのは良いとして、所謂「Car door closing simulation(車のドアを閉じるシミュレーション機能)」 は新エンジンであるSnowdrop2には要らないでしょう。

 さて、昨今の「普通のネットコード」には当然対チート性も要求される。ネットコードに関してはRainbow Six Siegeのそれの評判が良いようなのだが・・・

GW前処理事案 - Farcryさん、如何っすか

Farcry 3

 主人公は誘拐された友人達(遊び友達、恋人、兄弟)を助けたい。最初はめっちゃ弱い。助けてくれる人達もいるが、それぞれが異なる意図を持っていて善意からという筈もない。だがそこに欲望は有っても嘘は無い。敵ボスの御託は御託には違いないが、内容はちょっと面白い。

 良いじゃないの、主人公の最初のヘタレ具合はプレイヤーのそれと同じじゃないか。主人公に感情移入しよう。以降で起こることは冒険じゃない、人殺しだ、イカれた連中同士のガチの殺し合いだ。

Farcry 4

 主人公は何も知らない。何しにそこに来たのか、いきなり目の前に現れた敵大ボスとの関係性も知らない・・・それもほぼラストまで。主人公は成長しない、殺す相手は軍人だが悪人ですらない普通の人達だ。主人公はサラリーマン軍人相手のシリアルキラー、共感しがいなんて端から無い。善意を、御託を声高に叫ぶ反乱者達の具体的な「善意の発露」を見よ。

 良いじゃないの、敵大ボスに感情移入しよう。支配する小国なんてどうでも良い。かつて惚れた異性の子供が成長した姿で主人公としてやってきたのだ、自分の力を見せつけよう、自分の所行を全て見せつけよう。御託は「自分自身の生死をコントロールする目的のためだけ」に「主人公に向かってのみ」発しよう。その結果として主人公が自分をどうしようとしてくるか、ガチで試そうじゃないか。

 惚れた異性の息子の手で殺されるかもだって?それこそ「それをその地で守ってきた」甲斐があったってもんだ。

Farcry 5

 保安官って何?何で逃げない。

 主人公たる保安官は何を考えているのか理解できない、当然ながら感情移入なんかできない。宗教集団の連中の御託は純粋に御託であり、ピュアに下らない。意図的にここまで酷い中身としたのならそれも才能だし見識だが、それら能力の使いどころが間違っている。故にこちら側にも感情移入できる存在はいない。

 洗脳ネタでの楽曲の使い方や、とあるエンディングクレジットで使用した楽曲の選択などのセンスの無さは、元ネタを愛する人々(例えば映画ファン)への侮辱かとすら感じてしまう。元ネタへの愛は無い、ただの引用、スタイルだけを気取ったただのパクリだ。だからそういう部分を省いていこう。

 朝鮮戦争、キューバ危機、ベトナム戦争などなどに対する米国の反応の「ステレオタイプ」も合わせてはぎ取っていくんだ。もしサングラスのレンズに"TURBO"ってロゴが書かれていたら消してしまおう。ただ「パラノイア」まではぎ取るのはちょっと待つべきだ。本当に、本当に、本当に、本当に、本当に、本当に、本当に何も残らなくなる可能性がある。作品と呼ぶべきものの基盤に気分を置いてはいけない。米国は実在する国家であり、住人がいて、様々な文化もあるんだ。「ステレオタイプ」を理由に、「気分」の名の下に、無意識であっても作り手が自分達の無知や不勉強ぶりを誤魔化そうとしてはいけないんだ。作り手が誤魔化せば誤魔化すほど、ゲーム中のキャラクターの「御託」は「パラノイア」の色彩を帯びていく、説得力は無くなっていく、ゲーム内においてすら意味が無いものになっていく。

 その結果、Farcry 5の特徴が露わになる。Farcry 5には何も残らない。これまでのFarcryにあった「構築された世界観」は存在しない。「このゲーム内世界、有り得ないように見えるんだけど・・・もしかしたら・・・」とプレイヤーにぎりぎり思わせるマジックが存在しない。と言うか、そのようなマジックがゲームを魅力的にするために必要であること、故にその部分に力を入れなければならないことをFarcry5の作り手は理解していないのか、結果としてそれにかかわる最低限必要な要素すらゲームに与えていない。作り手は必要な知を得ることに怠惰に過ぎ(或いは知っていると勘違いし)、結果として無知と不勉強の結果を金銭を払った人間に押し付けている。

 さぁ、「気分には溢れたものの(その気分を是とするかと言うと、私にとっては無意味だ)、明らかに米国ではない(存在する米国とゲーム内の米国の一部との境界の存在をプレイヤーに感じさせることが必要とされるマジックなのだ。『ホープカウンティが米国の一部であることを必須としたラストに向かうストーリー』を語ろうとする以上、『ホープカウンティが米国の一部であること』がゲーム内で具体的に語られ、強調され続ける必要があるんだ)」空虚な世界内でどう振る舞うかはプレイヤー次第だが、それははたして魅力的だろうか?個人的には実につまらない。

 Farcry3で顕著に見られたUIなどのゲーム内2Dグラフィック、アニメーションへのアーティスティックなまでとも言えるこだわりは、Farcry5では全く感じられなかった。Farcry3における上述のマジックの正体は、実際のところは「一貫性を感じさせる異国情緒」であり、それは「実在しない国や島」を舞台としたFarcry3に必要な「世界観」の大部分と等価と言って良い。では「世界観」の残りが何かと言うと、殺人のための機械、すなわち武器の存在と、それらがゲーム内世界に与えている影響力である。そのため、例えば「蝶の一部とも自動小銃の一部とも見えるようデザインされた2Dイメージ」がゲーム中で使われている意味は明らかである。おそらくFarcry3ではUIのデザイン要素は、「異国情緒に溢れつつも武器と暴力が支配するゲーム内世界」という世界観の強化を担うべく意図をもってデザインされた「マジック」の一部なのだ。

 まぁ、Farcry5内にもこの種の「マジック」を与えるべくデザインされたのであろうと思わせられる要素もある。が、それらがロシア構成主義チックだったりと、個人的にはむしろナチズムやファシズム下や共産主義下のプロパガンダ美術に近く感じてしまう。それは実際の米国の一般的なパブリックイメージから余りに遠い・・・かと言え(自粛)であることや(自粛)であることを揶揄していたりとかなら余りに下品で色々な方面に失礼だし、「高い城の男」ばりの「存在していない米国」の暗喩としては意味論的にも機能的にも全く寄与していない。

 一方、Farcry4では音楽に「マジック」の機能の多くが委ねられた。Farcry5にもそのような意図を感じさせられところもあるが、意図自体は全く分からなかった。映画「博士の異常な愛情」のラストの核攻撃シーン(実際には核爆発試験の映像を編集したもの)では、"We'll meet again"という楽曲が流れる。人類滅亡か!?と言う状況下に「再び会いましょう」という楽曲が流れる、という一点において皮肉の類を感じても十分だと思う。が、この曲が第二次世界大戦開戦年の作であり、歌詞がそのような世界状況を反映したものであること、イギリスの楽曲であることなど、色々と知っていれば観客が受ける印象も変わり得るだろう。引用したYoutube動画で使われた画像は、まさに"We'll meet again"という楽曲が生まれ、求められ、歌われた時代のものだ。

 このような要素間の意味ある関係性を時にコンテクスト(文脈)と呼ぶ。コンテクストは文学のみに用いる概念ではない。例えば地形や植生、地層の構成、岩石の種類などはその土地の歴史を反映しており、地学者にとっては読み取るべきコンテクストである。アポロ計画の後半の宇宙飛行士は地学的コンテクストの読み方を地球上で習得した上で月面に向かった。アポロ計画後半のミッションは学問的色合いが強いが、それは宇宙飛行士達の地学的コンテクストの読み取り能力に明らかに支えられている。ここで私が言うコンテクストの有無とは、知性や見識の有無とほぼ同意なのである。

 更に言えばこの楽曲、冷戦期のイギリスで準備されていた「核攻撃を受けた後の国民向けラジオ放送プログラム」内で使われる予定であったという話が存在する。もしそうならば、映画「博士の異常な愛情」のラストで"We'll meet again"という楽曲が流れている状況は、「(少なくともある期間ではイギリスで)起こり得た現実」であって何らの皮肉も含んでいないとも、「起こるかも知れないことが分かっていながら何故避けられなかったんだ!」といった無数の叫び声が飛び交う悲壮なシーンの背景のラジオ音とも解釈可能だろう。映画「博士の異常な愛情」のラストは、私が把握している範囲の知識だけでも上記の様に多層的に解釈でき得るものなのだ。映画「博士の異常な愛情」は、笑いのネタのセンスは当時ですらやや古典的に見えるぐらい古めだが、監督、脚本、音楽、俳優、タイトルバックアーチスト諸々・・・曲者ぞろいに過ぎる。彼らが作中に導入した要素のコンテクストをすべて互いに把握している可能性はほぼ間違いなくゼロだろう。

 対してFarcry5における同楽曲の取り扱いはどうだろうか?上述したように、私には「映画『博士の異常な愛情』のラスト」の表層的な引用に過ぎず、パクリとすらも呼びたくない条件反射レベルの知性の感じられない行為にしか見えないのだ。コンテクストが無いからである。

 私(ブログ主)のお勧めは、Farcry 5なんかには一切関わらないことだ。代わりにヒッチコック映画を観る、なんてのはどうだろう。ヒッチコック映画ではないけど、まぁ、映画「陰謀のセオリー」は音楽を使った洗脳ネタの使用例として無視はできませんなぁ・・・こんなに参考になる先例があるのにね、酷いものです。