2013/07/14

2013/07/13 CBCラジオ×U-strip夜用スーパー「電磁マシマシ」

 ゲストはSEGAのHiro氏とmaimaiちゃん(の中の人こと、SEAG広報の方。もちろん女性ですよ) 。もう近所のゲーセンは全て壊滅して久しいのでゲーム"maimai"なんてプレイするどころか見る機会もないのだが、チップチューンユニットYMCKの楽曲はチェックしているので「maimaiちゃんのテーマ」は既に購入していたりする。

 ゲーム音楽にはとんと疎いのでHiro氏と聞いてもピンとこなかったのだが、「ゲーム"After Burner"の音楽も担当した人ですよ。」と分かってしまっては「私にも是非『Hiro師匠』と呼ばせて下さい!」という感じ(苦笑)。家庭用ゲームコンソールを購入したのは就職後で機種は"SEGA MegaDrive"。もちろん"After Burner"を自宅でプレイしたかったから。

 今回のポイントは、何といってもHiro氏のSEGA入社直後の音源の紹介(いわゆる「バナナパフェ」)。時期的には1985~88年ごろということで、音源はオーディオカセットテープ、しかも4トラックMTR(マルチトラックレコーダー)で録音したものも混じっているという説得力の高さ。

 内容は、いわば楽曲スケッチ~チーム内検討用デモといったところとのことで、没になった"After Burner"用楽曲のスケッチ(メロディの一部は採用)も飛び出す貴重さ加減。初期のスケッチはポップキーボードの伴奏機能(数小節のドラム、ベース、コードの基本パターンは編集できて、再生中にキーボードでコードを左手で押さえるとベースやコードがリアルタイムに変化する機能)+メロディのリアルタイム演奏なので、勢いがビシビシ。スケッチということで録音のし直しなんてしていないということなので、メロディ演奏に時折躊躇してるようなニュアンスも乗っかっていたりして、ライブ感?いや「息遣い感」がとても良い。特にMTRでリアルタイム演奏のギターを重ねているスケッチでは「勢い」も「息遣い感」も気持ち良い。

 また、ラジオでは分からないHiro氏が「MTRの各トラック出力のレベル、イコライザー、定位を再生中にちゃっちゃっといじる姿」は当然のことながらとても様になっているとか、「20年以上前の自分の演奏するギターのチューニングのずれ」にダメ出しするとか、とにかく貴重回。

 番組最後の20分はHiro氏による"KORG M01D"楽曲製作ライブ状態。初めて触るということで、佐野氏の説明を受けつつも「成程。」を連発しながら4小節(だったかな?)の楽曲を製作してしまう。「(NINTENDO 3DSソフトなので画面は3Dで表示されるのを指して)無駄な機能だよね、音は3Dにしないの?」と当然と言えば当然のインプレッションで佐野氏を慌てさせ、「キーボード画面とスタイラスペンを使ってリアルタイムMIDIレコーディングは出来ないの?」という想定外質問でさらに佐野氏を一瞬凍りつかせるといった飽きない展開。幸い、後者はリピート再生を止めて単音なら(スタイラスペンでは一度に一つの鍵盤しか押せないから)できちゃうことが実証されました。良かった良かった。

 MTR(既にSEGA社内には無いらしい)を今時用意しちゃう番組スタッフも実は凄い。

 一点だけちょっとびっくりしたのは、佐野氏もHiro氏もYMCK製作のチップチューン用VSTiプラグイン "Magical 8bit Plug"のことは余り知らない様子で、プラグイン名称が出てこなかったこと。シンセサイザーで楽曲製作する人にも、ざっくり楽曲製作寄りの人と音色作り寄りの人がいるけれども、お二人とも基本的に前者ということなのかなぁ…。

 ちなみにこ1980年代後半は私は大学生で、CASIOのポップキーボードやMTR(TASCAM PortaOne)を使って友人達とワイワイガヤガヤ多重録音をやっていたころ。Hiro氏は「最初のころはまだMIDIシーケンサーが無くて…」と発言していたのでネット上で確認したところ、確かにMIDIシーケンサーの普及開始時期は1987年付近。当時バイトして買った"KORG SQ-8"が1986年発売(約3万円)、とても手が出なかった"Roland MC-500"も同年発売…あぁ、懐かしい。

 ネットで拾った"KORG SQ-8"の写真、けっこう小さいことが分かるでしょ?厚みはあるけど、MIDI端子の大きさ、電池の内蔵を考えるとこれ以上は薄くできないのだ。8トラックで最大6400音ってぇのは当時の私には十分すぎる機能。ただ基本的にデータ保存メディアは無かったから、再生後の音しか残せなかったのよ。

3DCGにおけるカメラの回転軸についてのメモ

 Youtubeなどにアップロードされているアマチュア製作の3DCGムービーを観てしばしば感じるのは、「カメラの動き」への意識が低いこと。善し悪しではなくて、勿体ないという話である。

 今回はカメラの回転軸についてだけ、思うところを書いておこう。

 まず以下の話で必要なカメラの要素をはっきりさせておこう。カメラにはフィルムなりCCDなり、レンズを通して入射してきた光を受ける部分がある。これを便宜上「受光面」と呼ぼう。受光面の中心からレンズの中心に向かう直線の向きを同様に「カメラの向き」と呼ぼう。これら二つがあれば事足りる。

 さて、私が使っている3DCGアプリLightwave3D(以下、LW3D)のカメラのデフォルトの回転中心は受光面の中心に相当する位置にある。他のアプリでも同様かと思う。だが、実際にそんなカメラセッティングは可能なのだろうか。上述の「勿体なさ」の原因はデフォルトの回転軸をそのまま使うところにある。

 例を挙げよう。砂漠の中の直線道路を車が疾走しているカットを作ることを考える。より具体的に言うと、カメラマンが道の脇でカメラを構えている設定で、「遠方から高速で迫って来る車→目の前を通過する車→高速で遠ざかっていく車」をカメラの向きを車の位置に合わせてを回転させながら、いわゆるパンさせながら、撮影したようなカットを作ることを考える。さらに、車や背景のモデル、ライティングは完璧、静止画で見る限りはリアルそのものという条件、車の動きもリアルそのものという条件を加えよう。

 LW3Dでは、カメラが特定のオブジェクト(ここでは、車のモデルで良い)の中心位置に常に向くように設定できる。こうしておくと、カメラは車の動きに合わせて自動的に回転する、つまりカメラの向きは常に車の方向に向く。このような設定で作られたカットでは、意外と違和感は出ない。別の言い方をすると、意外にCGっぽくはならない。

 出来上がったカットを観た製作者は、例えばこんなことを考える。

 「カメラマンは家庭用ビデオカメラを使っているのだ。カメラの手ぶれの効果でカットに臨場感を加えよう。」

 「手ぶれ」のシミュレート方法はここでは問わないこととして、とにかくカメラの位置は変えずに、カメラの向きが良い塩梅に揺れるように設定できたとしよう。が、その結果得られたカットは逆に「リアリティ」を失ってCGっぽさを獲得し、勿体ない状態となる。それは何故か?

 ここで「家庭用ビデオカメラ」はカメラマンの右手で構えられており、さらにカメラマンは「家庭用ビデオカメラ」の左側面から立ちあがっている液晶画面を正面から見ているとする。このとき、カメラの受光面はカメラマンの腰の回転軸(軸の向きが上下方向)に対して右前にあることになる。このような状況下では下記のように「リアリティ」が失われる。
  • 「手ぶれ」があるならば、ぶれの回転軸は手首、肘、肩などとなるが、いずれにしてもぶれの「回転軸」は受光面中心をまず通らない。つまり、「手ぶれ」によって受光面の中心位置が変わらなければならない。
  • 「手ぶれ」があるならば、カメラはカメラマンの手で構えられている。この場合、車の通過に合わせてカメラの向きが変わる際の回転軸は腰の回転軸でなければならず、パン時の「回転軸」は受光面中心を通らない。
つまり、「手ぶれ」を導入するとカメラの回転軸が複数あることが露わとなるため、「手ぶれ」とパンの回転軸相互の関係を適切に設定しておかないと「あり得ないカメラセッティング」と認識されてしまうということだ。

 対して、「手ぶれ」効果を加える前のカットには、「あり得ないカメラセッティング」を視聴者が認識するような情報が基本的に含まれていない。もっと言えば、「カメラという物理的な存在が無くても」成立する、或いは「カメラという存在があってはならない神の視点」とでも呼ぶべきカットなのである。「手ぶれ」効果は「カメラという物理的な存在」無くしては成立しないし、パンの回転軸が受光面中心を通るような精巧なカメラセッティングと「手ぶれ」の発生は「リアリティ」として相容れない(想定が実質的に困難という意味)。

 昔の8mmカメラによるホームメイドムービーのパンなどの回転軸は、基本的に受光面の後方にある。これはカメラマンがファインダーを覗いており、左右・上下方向への回転軸は首及び腰にあるためである。回転軸が受光面の後方にあるため、パン操作時には回転に合わせて「受光面の向きだけでなく位置も動く」。カメラの動きにリアリティを与えるためには回転軸の設定に心を砕く必要があるということ、逆に言えば、例えば「8mmカメラによるホームメイドムービー」風のカットにするひとつの方法論は、カメラの回転軸の位置と向きを「リアリティ」としての8mmカメラにまず合わせて設定することである。

 "Battlester Galactica"の初期エピソードのVFXカットでは、カメラ回転軸設定に「リアリティ」を感じさせるカットが多々あった。このような「専門のカメラマンではない人間によって撮影されたドキュメンタリー」風の絵作りはその後流行り、相当の時間遅れを伴ってNHK大河ドラマでも見られるまでになる。しかし、実際に多く見られたのは「『専門のカメラマンではない人間によって撮影されたドキュメンタリー』風」風の映像に過ぎず、国内外のプロにあっても本質的なところを外しちゃうんだという状況が露わになっただけのようだ。本家"Battlester Galactica"もVFX製作体制の変更(予算縮小により、VFX専門会社へ外注できなくなったのが原因とされる。)などを経るうちにカメラ回転軸の「リアリティ」は完全に失われる。"Blood & Chrome"のVFXカットの酷さ(神の視点か、カメラの存在という「リアリティ」を備えた映像か、といった意味での明確な方向性の無さ)は、過剰なレンズフレアの使用も相まって、心有る人ほどがっかりさせたようだ。

 8mmカメラには8mmカメラの、映画カメラには映画カメラの「リアリティ」がある。ここで「リアリティ」とは、受光面と回転軸の向きや位置の相対関係が映像に与える効果である。更に言えばレンズ焦点距離(或いは画角)の設定もカメラやカメラセッティングの「リアリティ」に関わる重要な要素だろう。

 アニメなどで、フレームが固定された状態では極めて映画的な絵(映画鑑賞体験の記憶と一致する絵という意味)なのに、フレームが動いた途端に映像が映画的でなくなるという経験をしたことがないだろうか。個人的には上述の「リアリティ」の欠如が原因である場合が多いように思うのだ。

 TVドラマや日本の旧来のセルアニメの方法論は、「神の視点」に寄っている。まずフレームがあり、その中に登場人物をどのように配置するかというアプローチ寄りということである。片や少なくとも「私の記憶における映画」の方法論は、出演者の演技する空間の一部をどのようにカメラのフレームで切り取るかというアプローチに寄っている。いわゆる「カメラ固定の長回し」でも映画にあってはアプローチは同様である。

 TVドラマはカメラに合わせるが故に映像にカメラの存在感が希薄となり、「私の記憶における映画」ではカメラが合わせるが故に映像におけるカメラの存在感が増す、とも言える。これは、相対的に短時間でカット数をこなさなければいけなかったTVドラマと、出演者の演技と相互作用しながらのカメラセッティング調整を当たり前としていた映画との如実な違いかと思う。映像というアウトプットに影響しないならば、カメラセッティングに時間をかける必然性はないよね。

 まぁ、黒澤明氏や岡本喜八氏などはちょっと例外ではあるんだけどね。

2013/07/13

"dg++"という表記を普及させたい。

 当事者にとっては迷惑なのだろうけど、アクセスログを信じる限りはさしてアクセス数もなく、インターネットにおいては太平洋の水分子1個にも満たないような存在のブログなんだから、このくらいのバカ話は良かろうと。

 以下は、食料買い出しのため2km程の距離をドライブ中に頭をかすめたもの。発端は、「米国人による自分の名前の発音が余りに凄すぎる」から「発音専用のアルファベット綴りを用意するならどう綴ろうか」である。ちなみにハングル文字、古代マヤ文字(構造はハングルに極めて似ている。まぁ使うことは無いが)、さらにヒエログリフ(これも使うことは無いだろうが)での綴りは確定させている。

 パスポートなどで用いるヘボン式(ヘップバーン式)ローマ字表記が、英語の発音とはほぼ無関係であることは海外旅行経験者ならご存知の通り。自分の実名をヘボン式で表記すると"a"だらけなのだが、これを「ア」と発音してくれる米国人はこれまでの人生において皆無である。じゃあどうなるかというと、「エイ」とか「アイ」となる。例えば"Nagata"なんてのは「ネェイゲェイテェ」みたいになる。そんな調子だから、発音されても自分の名前どころか、日本人の名字とも思えない。語感が「イエティ―」みたいで、まるでUMA(未確認生物)扱いされてるような気分にすらなる。

 加えてオーストラリア英語話者の私の名前の発音は、英語ダメダメな私ですら十分に区別できるぐらいまた違ったものになる。

 知り合いで英語ペラペラの日本人男性から聞いた話だが、夫婦でオーストラリア旅行中に旅行案内所で「××行きのバスは何時出るのか?」と窓口で尋ねたところ、「とても軽い。」との返事が返ってきてきょとんするしかなかったというのだ。ちなみにその知り合いの奥さんも日本人なのだが、英語ペラペラどころか米国の学校で「英語の教師」をしていたことがある程の人なのだ。

 種を明かせば、窓口の返事は"It's too late."、「(最終便は出てしまって)もう遅いですよ。」だったのだが、"late(遅い)"を「ライト」と発音されたので"light(軽い)"と夫婦共に解釈してしまったということ、ここでも"a"の発音が胆なのだ。個人的に大好きなミュージカル映画「マイ・フェア・レディ」の主人公イライザもロンドン訛りの"a"の発音を矯正される。"take"は「タイク」→「テイク」といった具合で、劇中でクリアすべき課題として与えられるセンテンス"The rain in Spain stays mainly in the plain.(スペインでは雨は主に平野に降る)"も"a"だらけである。

 結局、「"u"を上手く使うしかないか…」というのが現時点での解、「"nut(ナット)"のナ、"gut(ガット)"のガ…」といった具合。でも、これもモンティ・パイソンズ・フライイング・サーカスのスケッチみたいでなんとも。

 で、ここからが本題。人間の脳というのは意識的に考えている事と微妙にズレた事も無意識に処理しているものだ。個人的にはその辺りを楽しんでいるし、いわゆる「(天から)突然降って来る」感覚の原因はそんなものだろうと考えている。

 さて、すっかり視聴が習慣化してしまった「CBCラジオ×U-strip夜用スーパー『電磁マシマシ』」のパーソナリティ佐野電磁氏は、"sanodg(サノディージ―)"という名義をソロアルバムなどで用いている。"a"の問題故、「西濃(セイノー)運輸の関連会社?」みたいな「西濃DG」と発音されるリスクはあるのだが、"dg"は「電磁」や「デジタル」に掛っていると思われ上手いなぁと純粋に感心していたのだ。で、そのような背景の下、ドライブ中に突如「天から降ってきた」のが

 "dg++"

である。是非、

 「電磁増々(でんじましまし)」

と読んで頂きたい。

 "dg++"でググっても、現時点ではダイレクトにヒットするページはないよ!

2013/07/11

上坂すみれさんの「テトリアシトリ」「SUMIRE #propaganda」

 上坂すみれさんの「げんし、女子は、たいようだった。- EP」が本日発売。

 出勤前のメールチェックのついでにiTunes storeにアクセスすると既に購入可能だったので躊躇なくポチっとな。ただしタイトル曲はガン無視して、松武秀樹氏が編曲を担当した「テトリアシトリ」、佐野電磁氏が作・編曲を担当した「SUMIRE #propaganda」の2曲のみ購入。

 タイトル曲についてはなんも分からんもんね、iTunes storeの「アニメ」のところにあったからアニメなんでしょうねぇ…という知識レベルなのな、俺。

 「テトリアシトリ」は基本的に成程納得の音作り。ベースの音色、レベルがけっこう淡白だったのは予想外だったけど、「かなりピュアなホワイトノイズ」の登場は完全に想定外。対して「SUMIRE #propaganda」のベースは粘りありの佐野節と言えば佐野節な作り。佐野氏のインスト曲群と較べるとちょっと食い足りない感じもするのだが、ボーカルいじり(エフェクトかけたり定位を変えたり)が面白かったのかなぁ…ちょっとボーカルが引っ込み気味で「凸凹のない奇麗過ぎる仕上がり」なのは確か。

 まぁ、上坂さんのEPなんだから、作曲家、編曲家が前に出るのは基本的に上手くない訳で、これはこれで正解な筈。が、ちょこっと覗いた上坂さんのブログとかから受けた印象では、(ミニ)アルバムを作るようなことがあればかなりコンセプト優先の楽曲構成も可能な感じだし、上坂さん自体の引き出しも多そう。

 聞くのに思わずドキドキしちゃうようなコンセプトで1枚とか、様々な上坂さんを色んな作詞家、作曲家、編曲家がプロデュースする破綻が約束されたノンプロデュースな1枚とか、どうですか?キングレコードさん。

追記:

 「テトリアシトリ」の歌詞のモチーフはゲーム「テトリス」なのか!やっと気づいたよ。(上坂すみれさん→ロシア語→ロシア/ソ連→テトリスってあたり?)

2013/07/08

"Bizarre Love Triangle / feat. Megpoid Eng."の顛末

 "New Order"の"Bizarre Love Triangle"はやはり80年代を代表する名曲だと思うのだ。歌詞も「思いつめた人間の気持ち」を想像すれば何気にありそうな話にも思えるし、実際、似たような経験がない訳でもない。

 それはさておき、Vocaloid3 Megpoid English用のテストオケとして、ほぼオリジナル曲に忠実な(私の耳コピレベルではだが)シーケンスデータは作ったものの、どうもしっくりこない。Megpoidが悪いんじゃなくて、オケが文字通り単なるカラオケ曲になってしまっている時点で面白くないということ、何をやりたいのかがはっきりしないうちは基本的に「どうでも良いもの」にしかならない。故に、暫く放置状態としてきた。

 再開のきっかけは、別の曲のシーケンスを組んでいる際に頭をよぎった疑問、「私にとってチップチューンに相当するものは何か?」であった。

 元来「チップチューン」というのは、改造したゲームボーイなどの旧式の携帯ゲーム機で演奏した楽曲である。つまり、ゲームの音楽、効果音用の音源チップを楽器化するというもので、広義では旧式ゲーム機の音源をシミュレートして作った楽曲も指す。だからと言って、編曲はそのままで音色のみファミコン風の音に変えただけでは「チップチューンの心」は宿らない。音色自体のチープさをキャッチ―に変えるためには、同時発声数などの制限がある中で生み出された数々の方法論、特に特有の編曲法、音源チップのバグの活用や仕様外の使用方法などの実際にどう使われてきたかも踏まえたアプローチが必要、というのが個人的に信じるところだ。

 「チップチューン」を「チップチューン」たらしめるためには、送り手と受け手とが共通体験としての「ゲーム体験」があった方が良い。が、如何せん任天堂ファミリーコンピュータですら私の世代には遅れてきたゲーム機であり、私には共通体験たる「ゲーム体験」が欠けている。だから私には「チップチューン」はおそらく作れない、それこそ作る理由がない。では、共通体験としての「ゲーム体験」に代わるものは何か、別の言い方をすると、ある特定のハードウェアと結びついたかつては存在したが今は無い音はないか、という点に思いを巡らせた結果が"CASIO SK-1"超廉価版サンプリングキーボードや同時期のポップキーボードの音だったのだ。

 "CASIO SK-1"は8bit、9.7kHz(CDは16bit、44.1kHz)のサンプラーなので、固有の音なんて無いだろうと見做すことは八割方正しい。が、当時のポップキーボードに当たり前のように付いてきた伴奏機能、特にドラムパートの音源には製造元や機種毎に結構癖がある。先週水曜日にふと思い立ってググったところ、有難いことにSK-1のドラム音の音のサンプリングデータをアップロードしてくれている人がいた。早速データをダウンロードしてDAWのドラム音源データセットを作って使ってみたら「(曲は選ぶものの)まさにコレだ!」という感じ、探していたモノのひとつはすぐ入手できるところにあったのだ。

 出来の良し悪しはどうでも良し、ある意味「今の私だからこそできること」は80年代の自分の方法論の再現、より正確には翻案だ。そして、そのコアには「チープだけど味のあるドラム音色」をどう生かすかという課題がある。

 という訳で音色変更から、ボカロデータ作成、ムービーの背景ドローイングまで土曜日一日で力ずくでまとめちゃったのが以下のムービー。繰り返しになるけど、出来の良し悪しはどうでも良いのだ。考えていることと実際にやっていることが一致してるとか比較対象が無いとかは精神衛生上も良いのですよ。

CASIO SK-1 - like Lo-Fi Mix (8bit 9.7kHz Mix)


CASIO SK-1 Drum Mix


2013/07/07

2013/07/06 CBCラジオ×U-strip夜用スーパー「電磁マシマシ」

 「ゆかどち」(CBCラジオレポートドライバーの大嶽由香里さんと下條由香里さんのふたりによるユニット)来襲、あの種のかしまし感ある光景を観るのはオヤジとしては久しぶり。ここんとこ職場には「おねえさん」しかいないからねぇ(笑)。ユニット名の由来が

 「由香里と由香里、どっち?」

みたいなところ、というのは意外感があって脳が「あっ」と喜ぶ類のちょっと面白い話、友人の友人の演劇ユニット「タテヨコ企画」(横田修さん(作・演出・美術)と舘(タテ)智子さん(俳優))とか脈絡無く思い出したりする。

 脱線次いでだけど、東京近郊に住んでる人は演劇を観に行くには絶対恵まれているんだから、お気に入りの劇団のひとつも見つかるぐらいまでちっさな劇場に足を運んでみてほしいなぁ。映画、音楽ライブ、寄席、劇団四季や宝塚みたいな大規模劇団などとはまた違う、空間、時間ってのがあるよ。

 さて、NINTENDO 3DS用ソフトKORG M01Dが7/10(時刻不明)から配信(ダウンロード販売)開始ということで、パーソナリティ佐野電磁氏自ら「ゆかどち」にM01Dの使用方法を伝授(?)、「リバーブ → お風呂」「ディレイ → 一休さん(アニメのオープニングの「すき」の連呼から)」とか、適当と言うか何と言うか。

 16ポリフォニックシンセにあこがれ、エファクターなんてせいぜいコーラスぐらいしか買えなかった貧乏学生時代の自分からすると、\3000-(だっけ?+DS本体価格)で24ポリフォニックシンセ・エフェクター・シーケンサ+αが手に入るというのは隔世の感がある。が、「20年以上もかかった」のは意外に長かったな、というのも正直な思いだ。

 かつて、(個人的な認識では突然発売された)CASIO SK-1という超廉価版サンプリングキーボードとの出会いが、使う使わないに関わらず私のPCには常にMIDIシーケンサかDAWがインストールされている状態に繋がっている。私や友人にとってSK-1が果たした役割を、KORG M01Dが新たな世代にとって果たすことになり得るのか。楽器きっかけでワイワイガヤガヤやるのも楽しいもの、打ちこみがPC主体となる前は、シーケンサ+マルチトラックレコーダー+シンセを抱えてシンセやドラムを持っている友人宅間を夜中にうろつき回ったもんですよ。

 ハードウェアの制限から「打ちこみ作業」が避けがたく獲得せざるを得なかった一種の作業の密室性、発表先という出口が無いという閉鎖性は、インターネットの普及とともにかなり解消され、特に地理的に遠いことは制限にならなくなった。NINTENDO 3DS + KORG M01Dの軽さ、小ささは即機動力であり、むしろ身近なところの閉鎖性の打破に有効だ。「打ちこみ」もワイワイガヤガヤやれるということ、積極的に友人と貸し借りし合うってのも良いと思うよ。ベースにこだわるやつ、音色作りだけが好きなやつ、実は自分がプロデュース属性だったとか、色んな発見があるかもね。

 もし自分に中学生ぐらいの子どもが居て、彼/彼女がKORG M01Dを購入したら?

 「ちょっと貸せ!」って3DSを奪って10分程シーケンスをいじった後、「これがミュンヘンビートってやつよ!」なんて誇らしげに打ちこんだものを子どもに聞かせそうだね。

2013/07/02

「宇宙戦艦ヤマト2199」のラスト:いやーんな妄想

 職場の喫煙室でいつものバカ話の最中、ほとんど脈絡なく「宇宙戦艦ヤマト2199」のラストのイメージが頭をよぎる。かなりいやーんな展開、単なる妄想であれば良いですが。ちなみにこの手の妄想は「並行多列的な様々な可能性の重ね合わせ」として突如降って来るのだよ。
  • ユリーシャが憑依(?)している際の岬の発言から、「波動砲」は結構ヤバい代物らしい。「時空をぶっ壊す」んじゃねぇか。

  • ヤマトはイスカンダルに何を取りに言ってるんだっけ?コスモクリーナーDはおそらくない。「コスモクリーナーD」に相当するものもない、とか。

  • スターシャから波動砲の「想定外の使い方」を教わっちゃたりする。

  • スターシャの指示に従って波動砲をぶっ放すと、並行宇宙があんなんなってヤマトは地球艦隊-ガミラス艦隊のファーストコンタクトの現場に時間もワープ。

  • 地球艦隊、ガミラス艦隊の両方からの攻撃を受けつつも、ヤマトクルーの説得の努力が実り、地球-ガミラス帝国の平和的なコンタクトが実現する。ヤマトが地球を救う。

  • スターシャの指示に従って波動砲をぶっ放すと、並行宇宙があんなんなってデスラーがとっても良い人になっちゃたりして地球-ガミラス帝国間の戦闘自体が起きない。ヤマトが地球を救った…のか?何も解決してないじゃん!

  • スターシャの指示に従って波動砲をぶっ放すと、並行宇宙があんなんなってヤマトは…とにかく、なんかとっても都合が良い並行宇宙にワープ。

  • 想定外の使い方とは、「波動砲」と「デスラー砲」の正面からの同時発射だ!

  • デスラー艦とヤマトの一騎打ち、うっかりデスラー艦の発砲でスターシャ死亡、デスラーがっくり。「デスラー砲もあと一射が限界だ…古代、スターシャの生きている世界を取り戻してくれ……デスラー砲、発射!」な展開。デスラー艦は爆沈、ヤマトは…以下略。
「あ、ラーゼフォンね?」と思ったあなた、はい正解。

2013/06/30

2013/06/29 CBCラジオ×U-strip夜用スーパー「電磁マシマシ」

 さて、観るとどうしてもシンセがいじりたくなる「電磁マシマシ」、今回もノーゲストのいわゆる「電磁ノビノビ」。終わってから「ありがちなシンセベースの音」の"z3ta+2"(ソフトシンセ)による大量生産に挑んでしまい夜更かし気味。"Retrologe"(やはりソフトシンセ)はなんか音が濁らないんだよなぁ。

 文脈は省略するけど、"The Shamen"とか"Deee-Lite"とか90年代初頭のグループの名前が飛び出したりして、ほぼ同世代なのだなぁと実感.。(とは言え、個人的には90年代初頭と言えば"LFO"なのだ。)

 シンセいじりは発売されたばかりのKORGの"Volca Beats"と"Volca Bass"。パーソナりティ佐野電磁氏が連発する

 「イイねぇ!」

の声の張り具合が半端ない。"Beats""Bass"ともに「成程納得の音」なのだが、「パラメータ振りきっちゃった時どこまで行くんだろう」って辺りはハードウェア故に気になるところ。ホント、どこまでイケるのかなぁ。

 パラメータ範囲のエッジ付近で「どうしてでも使いたくなる面白い音」が出るようなハードウェアが昔は結構ありましたよね。大学の実験室に持ち込んで電源に変圧器挟んだりして、「吹っ飛ぶ(壊れる)か、唯一無二の音か」みたいな…今に輪をかけて馬鹿でした。今ソフトシンセを使う理由の一つは「コンデンサが吹っ飛ぶ心配をしなくても良い」からなのかもなぁ…

 それにしても、"z3ta+"と"z3ta+2"のフィルタ特性違い過ぎませんかねぇ?レンダリングレベルの問題?ん~?

2013/06/29

バンダイVF-1A/S完全変形プラモデルの股関節部移動

 人づてに「バンダイからVF-1A/Sの完全変形プラモデルが出る。ガウォークからバトロイドの変形過程での脚部付け根(股関節)部の移動も再現されてるよ。」という話を聞く。

 股関節部の移動機構は以前に頭が沸騰するかと思ったぐらい考えていた時期があるのだが、3DCGモデルならいざ知らず、プラモではとても強度が確保できんだろうと思わずにはいられない。ヒンジ、駆動シリンダーともに物理的に配置可能な寸法は極めて限られているのよ、実際。

 で、実際どうだったかというと「ヒンジはない」。まぁ観てたもれ。初期の設定に固執するつもりは毛頭ないけど、この部分「だけ」は「再現」じゃない別の表現が相応しくないかなぁ。もちろん良い意味でだよ。

 股関節部の移動のシーンで機首が後方に移動する様子も分かる。この機首の移動が結構重要で、バトロイドモード時の胸~背方向の厚みの適正化に寄与していると思う。自分がかつて作った3DCGモデルでは胸に相当する部分が機首側に動く。このため、胸と背を結ぶパーツが長くなりすぎて、そのままではバトロイドモード時のプロポーションが酷過ぎた。故にズルをせざるを得なかったのだが、今回のバンダイの変形機構を観て「ヒンジの親側の部材は機首パーツに固定という考え方から俺は逃れられなかったのだな。」と目から鱗の思いですよ。

 だからもしもう一度VF-1Aの3DCGモデルに取り組むなら、「ヒンジあり+機首が後ろに移動」で挑みますよ。3DCGでやる限りはやはり初期設定の無謀さに挑みますよ、ということ。今回の変形だと、ヒンジを含む部材の段差などの形状に意味が無くなる訳で、やはり上手くないと思うのですよ。

 いい歳した大人(ただし、マクロスをリアルタイムで知っている必要はあるかもしれない)までも熱くなっちゃうことがあるという点で、VF-1の存在感はやっぱり凄いのだ。

2013/06/27

相対性理論は難かしくない(その2):補足

 「時空」の概念については、ちょいとややこしい話が絡む。この宇宙の誕生を我々の存在する時空の誕生と見なすことは良いとして、じゃ、「未来」は何時できたのか?

 時空の外から見る限り、過去も未来もこの時空の誕生とともに既にあったと考えるのが自然だ。つまり、「我々一人々々の人生の始まりから終わりまでもが、この宇宙の誕生とともに存在した」ということだ。

 では「未来は全て既に決まっていて、我々個人の自由意思ってのは幻想なの?」ということかというとちょいと違うらしい。ここではあくまで「らしい」とだけしておこう。キーワードは「量子力学」と「並行宇宙仮説」だ。

 アインシュタイン博士は死ぬまで「量子力学」を認めなかったとされるが、「一般相対性理論」でこの宇宙の全てが説明できるとすると「自由意思は幻想」となる。「時空」はその誕生時に明確な単一の構造を持つことになるからだ。我々の人生は一本道でしかあり得ない。

 他方、量子力学の考えに従えば、誕生した時空は様々な可能性の重ね合わせとなる。つまり、「時空」は「我々個人の自由意思に対応できる構造」を持って誕生したと見做せるということだ。ここから先は輪をかけて異論も多いので踏み込まないけど、ともかくも「自由意思は幻想ではない」という考えは魅力的だよね。