2013/05/12

映画「椿三十郎(2007)」、あらためてTVで観ましたよ。

 まぁ、間の取り方は何回観てもやはり上手くて、編集の妙はあり。森田芳光氏の監督作としてはちゃんとしている方ではないかと思うよ、なんたって脚本もネタもストーリーも彼じゃないものね。

 だが、「オリジナルの脚本をそのまま使う」っていう手法の意図は全く理解不能。

 オリジナル製作時期の黒澤明氏の監督作なら主要な俳優は決まっているのも同然で、脚本はほぼアテ書きの可能性が高い。アテ書きとは「俳優に合わせてセリフを書く」こと。つまり、椿三十郎のセリフは三船敏郎氏が演じることを前提に書かれている可能性が高いということ。室戸半兵衛のセリフは仲代達矢氏が前提、というあたりまではまず間違いないでしょう。

 どうでも良いけど室戸半兵衛って室戸文明の元ネタなのかなぁ。

 三船氏や仲代氏のセリフ回しにはけっこうアクが強いところがあります。三船氏のモノマネさせられてるみたいにしか見えず、主演俳優には今回も不憫さを禁じ得ませんでした。ありゃきっついよ。

2013/05/11

有難う、レイ・ハリーハウゼン

 カラー映画時代においては文句なくストップ・モーション・アニメーションの巨星、レイ・ハリーハウゼン氏が最近亡くなったとのこと。素晴らしい作品群を有難う。

 個人的には映画「アルゴ探検隊の冒険」のガイコツ兵が印象深い、日曜洋画劇場(だったかな?)で何回観たことか。合成技術の未熟さに足を引っ張られている作品が少なくないのが残念だが、「彼の技術があればこんな映画も作れるね」って感じで陽の目を見た作品も決して少なくない筈。彼のアニメーションをフューチャーしたミュージカル映画がない、というのもとっても残念。

 カリも良いよね。

"Honest Trailers - Star Trek (2009) "に大笑い

 「正直な予告編」ってとこ。

 「そして、レンズフレア(AND... LENS FLARES)」、「さらにさらにフレア(AND... EVEN MORE FLARES)」に大笑い。レンズフレア、ぶれるカメラアングルなど、本作は「カメラや照明の下手さ」を一生懸命お金をかけてシミュレートした、とってもおバカな作品という側面もあることは明言しておこう。

 まぁ、ドキュメンタリー映画風のぶれるカメラアングルや過剰なレンズフレアの導入は2003年の"Battlestar Galactica"でいきなり完成形で現れた。しかも、監督本人がその一回で「飽きた」という手法である。J. J. エイブラムスは製作として同様の手法を先鋭化してい用いた「クローバーフィールド/HAKAISHA」に関与、飽きるどころの騒ぎじゃないはず。それでもやっちゃうってのはウケ狙い以外に何か目的あるかいな。

 NHK大河ドラマ「平清盛」でもそんな演出を感じさせる回があって観てる方が恥ずかしかったが、今時その種の手法をスタイリッシュなんて思っている人は「(少なくても)10年古い!」とバカにしてあげよう。

 ピンポイントでさらっと上手く使ってる人は今も昔もいるんですからね。

今さらながら「伝説巨神イデオン 劇場版」のこと

 「今さらながら」シリーズは評論でも批評でもありませんよ、念の為。


 Youtubeで「伝説の巨神 イデオンの絶望と希望」というタイトルの5分ほどのビデオがレコメンドされた。おそらくファンが編集したビデオなのだろうが、個人的に引っかかったのだタイトル中の「希望」という言葉。

 「イデオン」の何処に「希望」があったのか?


 地球人とバッフクランがまさに接触しようとしたとき、「イデ」は「希望を期待」したかもしれない。が、その期待は地球人とバッフクランの「殺し合い」の発生という形であっけなく裏切られる。しばらく様子をみていたものの両者の敵対関係に改善の兆しはなく、「イデ」は両者ともに「種」としては滅ぼすことを決断する。我々が漠然と口にする「命」というものに「イデ」が頓着している風情はない。映画「発動編」のラストが示唆する内容は、「知的生命体の命とは生命体個人の死をもって失われるもの」ではないと、少なくとも「イデ」は認識しているということである。イデオンでは「種の有り様」と「イデの価値観に基づいて善きものか否か」とがほぼ等価に取り扱われている。劇中で使われる言葉、「業」の位置付けも同様である。

 「イデ」は地球人とバッフクランという「種」に対してはおそらく絶望した。「メシア」の存在には「次世代の種」への「期待」を持ったかもしれないが、「希望」と呼べるものではない。まだ誕生もしていない「メシア」はそれでも「悪しき種」の一個体に過ぎず、かといって「善き有り様」を示す機会も与えられない。「イデ」は問答無用に二つの「種」を葬り去るのである。

 地球人とバッフクランとの不幸なファースト・コンタクトは、カララ・アジバの軽はずみな行動が原因となっている。理想家肌で「善きもの」に近い存在であったかもしれないカララの行動が「二つの種の殺し合い」、ただし「イデ」の立場からは両者は「単一の種」に過ぎない、を引き起こすという発端は誰もが考えるように極めて皮肉なものである。が、ラスト近く、「メシア」に『皆を導いてあげなさい』と語る資格があるのはカララだけである。それは「メシア」の母であるためではなく、「善きもの」であろうとし続けた存在だからである。

 だから、敢えてイデオンの何処に希望があったかと問われれば、「カララは死んでもやっぱりカララだった」という点を挙げよう。「業」とは「こだわり」である。カララのともすれば天然っぽく見えるまでの「こだわりの無さ」は、「メシア」を体内に宿すことになるまでに純粋だ。ただし、「業」を「業」として理解したうえで、さらに「己れの業」を互いに乗り越えるべくドバ・アジバと対峙する。これこそ「善きもの」としての一つの有り様である。ドバ自身も「業」を理解しているものの、カララとは対照的に「己の業」に従う道を選ぶ。

 イデオンにおいて、「業を持つこと」は「知的生命体」にとって不可避のものとして描かれる。「イデ」は「知的生命体」に「業」を持つことを求めつつ、それでも「業」を乗り越える「種」の誕生を望んでいるようだ。それは「イデ」自身を超える存在への希望だからだ。

 「善きもの」の希求…それは「イデ」の「業」じゃないですか。

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 「イデ」が「知的生命体」の「業」を喰うことで存在できるなら、強い「業」を持ちつつ「業」に縛られない「知的生命体」は良い食料ですなぁ。

2013/05/10

"Ender's Game"トレーラー

 SFファンならもちろん読んでるよね。「エンダーのゲーム」、今風で映画化です。ハリソン・フォードが出てますよ。

2013/05/04

映画「パシフィック・リム」トレーラー2本

カイジュー,カテゴリー・スリー!2,500トン、だそーな。

"EVANGELION:3.33 YOU CAN (NOT) REDO. "、観ましたよ:補足

 補足というより居酒屋での馬鹿ネタ。連休で実家に帰る列車の中で、ふと頭をよぎる。

 次作:アシュラ男爵
 今作:ブロッケン伯爵(首なしMark 09、ちょっと無理あり)
 前作:ピグマン子爵(仮設5号機、かなり無理あり。まぁ、ガンヘッドだろうけどさ)

 前作ではパラシュート降下時のマリの恰好が「ふりむかないで」の歌詞まんまで大笑いしてしまったが、今回はその手の小ネタは見つけられず。ちなみにザ・ピーナッツ主演の東宝映画「私と私」のラストは…

2013/04/28

Bizarre Love Triangle / New Order ボーカロイド用試作オケ

 オケは作ったもののイマイチノれず。しばらく放置かなぁ…。

 大人の事情対策で「さとうささら」さん(CeVIO Creative Studio FREE)にご登場願いました。取り合えず聞いてみて、分かる人だけ笑って頂戴。

"EVANGELION:3.33 YOU CAN (NOT) REDO. "、観ましたよ

 劇場はおろかDVDやBDでもまだ観ていないが、いずれは観るつもりという人は読まないのが吉。ネタバレとは別次元で、予備知識というものは作品を捉える上での偏向要因でしかないからね。私について言えば、たまたま今日立ち寄ったワングーで目にしたからBDを購入したという塩梅で、そもそもBDなりDVDが何時発売されたかも知らない。まぁなんか特典がいっぱい付いてきたから、まだ発売からは日が浅いのでしよう。

 さて、本題。

 前2作との断絶感が凄いが、一本調子とは言え緊張感のある単体作品としては出色の一本。まず断絶感だが、これはストーリーの話ではなくて画面作りと音声の取り扱い方がかなり違うという話。

 先に音声について言うと、前2作の音楽、効果音、セリフの音量バランスは極めてTV的にオーソドックスなスタイルだったが、本作ではセリフの音量バランスがシーンやカット毎にかなり意識的に変えられているのではないかと思う。5.1チャンネル向けのミックスを単純にステレオに変換したから、なんて話だとちょっと切ないが、個人的には演出意図みたいなものは感じられる。途中、セリフ音量が突然大きくなるカットが一つあって、「俺なら全体音量は変えずにリミッタ―でアタックレベルだけは削るよなぁ」などと引っかかりはあるんだけどね。良い意味で映画的な音声作りに寄ったのではないかと思う。

 ちなみに、劇場用アニメのDVDパッケージで音声がわやくちゃな作品として「スプリガン」がある。劇場ではどうだったのかは知らないが、DVDパッケージではセリフの定位、音量ともにめちゃくちゃで全然聞き取れない。

 軌道修正して絵作りの話。昔8mmフィルム、今はHDビデオ使ってますという人には良く分かると思うが、画面の縦横比の変更は絵作り自体の作法の変更も要求する。画面比1:2.35はかなり幅広(アナモフィックレンズ(ワイドスコープ用の特殊レンズ)風のレンズフレア効果に違和感がやっと無くなったわけだが…)で、アナログTVの3:4、地上デジタルTVの9:16などとは全く違う。

 絵作りの印象は全体にカメラが対象に寄りめであること、別の言い方をすると、9:16向けにいったん絵を作った上で上下を切り取ったような感じに近い。これは良し悪しとは別問題で、寄りめということは余計なものは極力映り込んでいないということだから、演出側が観客側に見せたいものに観客の注意を向けさせる上では悪くない手法かと思う。勢い画面自体はフィックスされる(カメラ固定のいわゆる「長回し」)ことがないから、作画、CGの頑張りもあって高い緊張感が維持される。反面、始終寄りめのままだから、その緊張感は一本調子と成らざるを得ない。遠めの絵がない訳ではないが、ネルフ本部のゲンドウらのカットやベッドに座ったシンジのカットなどが遠めなのはTV時代からのお約束だから、新しい遠めのカットというのは1回観た印象からは無いと言って良い。CGカットの質は圧倒的に向上していて、寄りめの絵作りとの相乗効果は大きい。エンドクレジットで板野一郎氏の名前が見られたが、このあたりは彼と彼と仕事をしてきたスタッフの面目躍如といったところかもしれない。

 音楽的には、いわゆる「なごみ曲」が全く使われないといった点で前2作とは一線を画している。

 逆に連続性という観点からは、ミサトのセリフが個人的には重要だ。

 "EVANGELION:2.22"では、ラスト近く覚醒したエヴァ初号機を見たミサトが「自分の願いのために」とシンジに声をかける。このセリフで、本作に続くEVANGELIONシリーズは私の中で過去の一連のシリーズと完全に分離された。本作でのミサトの最後のセリフは、おそらく14年ぶりの「シンジくん…」である。このセリフによってストーリー、キャラクター達を含む世界観の連続性を完全に納得できた。

 最後に小ネタ類。

 本作では頭部、或いは頭部が無いことへのこだわりみたいなものが目立った。頭部をふっ飛ばされるエヴァ・マーク9、リリスの頭部、頭蓋骨ばかり転がっているセントラルドグマ底部、カヲルの死に方、第12使徒登場時のシーケンス、その他多数ある。

 「眼帯アスカ」は「まごころを君に」直後に描いていたが、「第13使徒が腕4本の白いエヴァ13号機ですよ、槍を2本持ってます」というのもかつて自分のホームページで公開していたファンフィクションで「REBIRTH」直後にやっていた。ちょっとにんまりしてしまいました、えへ。

 追記:

 購入したBDパッケージの冒頭には「巨神兵東京に現る」が入っている。正直、作るべき作品ではなかったのではないかというのが観たうえでの率直な印象だ。映画の円谷特撮を15年ほど遅れで追体験した世代で、かつ伝わってきている円谷英二氏の仕事への取り組み方を尊敬してやまない一個人として心境は複雑だ。

 現代における「特撮」という表現には「絵のテイストまたはフレーバー」という視点と「絵作りのための工夫といった知的かつ簡単にマネできない職人的な作業」という視点が分離されずに込められている。

 爆発音が円谷プロ作品や東宝特撮映画とおんなじだといったこだわりは前者の視点を代表する上で重要だが、後者に相当する「工夫感」が希薄にすぎる。もし、円谷氏が現代にいて、しかも同じ職についていたとしたらどうだろうか。おそらくCGなんて先頭を切って導入するだろうし、デジタル合成なんて当たり前に使うだろうと信じて疑わない。かつ、キャメラマンとして素材撮りにはアナログ時代と同様に工夫を凝らすだろうことも信じて疑わない。その工夫が「特撮」という言葉に含まれる「絵のテイストまたはフレーバー」を今とは違うものにしてしまうだろう。

 個人的には、樋口真嗣氏は優れた職人監督と位置付けている。いわゆる映像作家風の作りには向いていないというのが言いたいことだ。映画「ローレライ」のラスト近くの戦闘シーンで米国艦の甲板にいっさい人影が見られないが、このあたりに職業的にデキる作り手と、作品の完成を遅らせたり完成させられなかったりする職業的には駄目な作り手の線引きがあるやに思う。真上から俯瞰で米国艦を捉えたカットで、「たまたま甲板に出ていた数人の水兵が慌てて甲板を走って横切っている」様子を合成で入れるかどうか。劇場のスクリーン上ですら米粒ぐらいにしか見えないだろう水兵を加えてしまう、そんな執念を感じさせる一手間が私にとっての円谷イズムの現代的解釈であり、「特撮のテイストまたはフレーバー」である。

 「巨神兵東京に現る」では、職人芸ではあるが現代ではローテクと見なさざるを得ない特撮技術と、アマチュア或いは低予算故に取らざる得ない特撮技術との線引きを曖昧としたまま両者ともに使った結果、「工夫感」の無い部分が突出して目立ってしまったのではないかと想像する(実際には予算がなかったのだろう)。別の言い方をすると。私は本作に「プロが使うとローテクでも凄いものが作れるんだ!」と感嘆させられることを期待していたのだが、実際には「あれ?俺達が30年前にやっていたことを、プロが今やってるよ(ガックリ)」となったというあたりが正確かも知れない。

 セリフ(エンドクレジットでは「言葉」)は陳腐で面白みのかけらもありませんなぁ。

2013/04/27

馬鹿ネタ三題

 昨日は職場の喫煙室で同僚と馬鹿話で盛り上がる。で、その話の中から三題。


 その一 宇宙空間への散骨

 死んだら2~3ミリグラムで良いから遺骨を宇宙へ飛ばしたい。小瓶に詰めて人工衛星打ち上げに便乗させれば、200万円かからないだろうというのが真面目な試算結果。ただし、便乗の場合には地球周回軌道に乗ることになり、国際宇宙ステーションとかにぶつかってしまったりしたら死後とはいえ大変申し訳ない。

 小瓶1000個位を1基のロケットで打ち上げ、高めの弾道軌道に乗せるサービスはどうか。大気圏突入時間、突入位置を遺族に事前に通知することで、遺族は遺骨が入った小瓶が流れ星となって輝きながら落下する様を観られる。天候が曇りや雨となった場合や、ロケット打ち上げ失敗時には、費用の一部は遺族に返還。「宇宙散骨保険(加害、被害)」なんかもありだが、詐欺事件発生の可能性もあり。ただし、天候のせいで輝きながら燃え尽きる様を遺族に見てもらえなかったりしたら死後とはいえ大変切ない。

 その二 宇宙飛行士の自殺

 自殺願望の強い宇宙飛行士が、宇宙空間で作業中に特殊金属製のボルトか何かを投げる。地球帰還後、宇宙飛行士を本人が宇宙で投げたボルトかなんかが直撃、見事自殺を果たす。宇宙空間から落下してきた金属塊の運動エネルギーは半端なく、直径5mmの球でも人体なんかエライことになるのは真面目な計算結果からも明らか。

 その三 投身自殺

 飛び降りて空中で死を意識した瞬間、これまでの人生の記憶が頭の中を走馬灯のように…やがて自殺の原因となった思い出したくもない記憶もリピート、さらには飛び降りて空中で死を意識した瞬間、これまでの人生の記憶が頭の中を走馬灯のように…やがて自殺の原因となった思い出したくもない記憶もリピート、さらには飛び降りて空中で死を意識した瞬間、これまでの人生の記憶が頭の中を走馬灯のように…やがて自殺の原因となった思い出したくもない記憶もリピート、さらには飛び降りて空中で死を意識した瞬間、これまでの人生の記憶が頭の中を走馬灯のように…やがて自殺の原因となった思い出したくもない記憶もリピート、さらには飛び降りて空中で死を意識した瞬間、これまでの人生の記憶が頭の中を走馬灯のように…やがて自殺の原因となった思い出したくもない記憶もリピート、さらには飛び降りて空中で死を意識した瞬間、これまでの人生の記憶が頭の中を走馬灯のように……………………地面はなかなか近付いてこない。

 これはきっついですよ、無間地獄ですよ。少なくとも投身自殺はお勧めできないなぁ。