2020/02/11

岡田斗司夫さんのアニメ業界「ゴールドラッシュ論」について、2020年2月なりに考えてみる

 2016年末ごろ、岡田斗司夫さんは2017年以降の日本アニメ業界の展望として「ゴールドラッシュ論」を展開した。

 私のつたない理解でこの論を説明すると、「NETFLIXなどの配信業者兼新規の出資者の登場により、TV放映権を持つことなどの既得権益に胡坐をかいた既存の出資者達が軒並み倒れ、アニメ制作の現場にもっとお金が落ちるようになる」ことを発端とし、「企画力があったり機動力のあるアニメスタジオだけが同じ土俵内で競争できる、下剋上上等の群雄割拠な戦国時代、乱世の到来」それも「誰もが何度も上洛できる楽しい戦国時代の到来」というものだった。ただし、「乱世となると、既存の中間層、例えば既得権益に胡坐をかいた出資者達や動きの重い中堅以上のアニメスタジオといったものが消えていくことも避けられない」とも言及している。

 これらの考えは、「当時の製作委員会方式の在り方」に対する山本寛さんの批判的な見方や、クラウドファンディングの活用など製作資金調達方法の多様化も(結果として)踏まえてのものとなっている。後段まで読んで、それでも岡田さん自身の語る「ゴールドラッシュ論」に興味があれば再生してみよう。再生開始位置は「ゴールドラッシュ論」に関わる部分に合わせてある。以降は私の戯言だから、ここで読むのを止めるのも一考の価値あり、っつーか、岡田さん自身による現時点での総括が聞きたいなぁ。一から動画を作る必要は無く、動画資本論の適用先として結構良いネタではないですかね。
 さて昨年末ごろ、果たしてこの「ゴールドラッシュ論」はどのくらい妥当だったのかと急に気になりだしていた。「映像研には手を出すな!」の時もそうだったが、PVの冒頭にワーナーブラザースなどの海外の会社のロゴが出る事にも慣れて久しい。明らかに資金の流れに変化が起きていることは感じてきたが、現場に落ちるお金が増えたという話には触れることが無かった。

 が、ついに「乱世」が来たのかもしれない。ほぼ「ゴールドラッシュ論」そのまま、でもちょっとだけ違う過程を経て。毎日新聞の記事、「動画配信急拡大でクリエーター争奪戦 テレビ局守勢『ネトフリは信じられないお金を…』」を読んでそう思った。

 細かい話は記事を読んでもらうとして、まずは「人材の奪い合いと人件費の上昇」への言及がある。これは「乱世」突入のシグナルとも言え、まさに現場によりお金が落ちるようになったことを意味する。さらに「流通側と制作側の力関係は逆転している」と来る。この流れは「ゴールドラッシュ論」での岡田さんの言及そのものだ。

 ここで注意点を一つ。以降の記述は「ゴールドラッシュ」≠「乱世」≠「楽しい戦国時代」という私の考えを反映したものとなっている。より具体的に書くと、まず「乱世」は先行する「ゴールドラッシュ」発生の結果として現れる状態であり、両状態は併存できる。次いで、「ゴールドラッシュ」は必ず終わるが、「乱世」は持続可能性が維持される限りにおいて文字通り持続可能である。そして「楽しい戦国時代」は「乱世」が取り得る状態の一つに過ぎない。進行する「ゴールドラッシュ」と「乱世」の併存状態下でこそ、「楽しい戦国時代」は最も現れ易く、維持し易い。これらは私の文章内での用語の定義であって、岡田さんの「ゴールドラッシュ論」における各用語の定義とはまず間違いなく異なる。このため本来は違う用語を用意すべきなのだが、岡田さんが選択した用語の余りにキャッチーで生き生きしたニュアンスの魅力には抗えなかったため、そのまま拝借させて頂くことにした。

 なお、私の定義においても「ゴールドラッシュ」、「乱世」、「楽しい戦国時代」は上述したように併存可能であり、第三者視点でも業界にとってもそのような併存状態が一種の理想状態、面白くてわくわくさせられるような状態であると言える。岡田さんは「ゴールドラッシュ」、「乱世」、「楽しい戦国時代」という用語を一つの状態に対する別表現とも解釈できる使い方をしている。ならば、「ゴールドラッシュ」、「乱世」、「楽しい戦国時代」の併存状態に対しては、岡田さんも私も実質的には言っていることは同じと見做せるかも知れない。

 では、私が言う「ちょっと違う過程を経て」における「違い」に具体的に触れよう。なお、私に岡田さんらの発言に対する上げ足取りの意図など全くないことを明確に述べておく。私が見るところ、岡田さんや山本さんの語った内容には、ちょっとした仮定、或いは話を分かり易くするための簡略化があったように思う。私の言う「違い」は、お二人の発言内容を私なりに咀嚼したものと、毎日新聞の記事内容から後付けで導き出したものだ。ただ、「ゴールドラッシュ論」について以前から薄ぼんやりと引っかかりがあった点が、今だからこそ言語化できたという側面もある。

 まず一つ目の違いは、アニメスタジオを業界の最小単位としていたことだ。

 毎日新聞の記事を読めば分かるのだが、実のところ海外からの資本流入は、いきなりアニメーターなどクリエーター個人をも対象にしていたのだ。思えば「THE ANIMATRIX(2003)」の時点で、そのような事態の出来の素地は出来ていたようだ(日本のアニメスタジオが米国アニメの下請けで食っていた時代も先行してあったが、あくまで下請けだ)。その後、カートゥーンネットワークで放映するシリーズのうち数話を日本人スタッフが担当するまでになる。

 そして「ゴールドラッシュ」は、サイレントインベージョンの如く静かに始まり、静かに進んだのだ。とは言え、特定のクリエーター(と言う事らしい)の挙動を見ていればそんなことは直ぐに予測できた筈なのだ。疑問は、何故ハズレしか作ってこられなかった彼らにそんなに投資が続くのか、クリエーターに対するちゃんとした目利きはいないのか、ぐらいだった。結果論として、上記の疑問は煙幕みたいなものとして作用し、実際に起きていることを見えにくくしていた。少なくとも私は完全に目くらましを食らってしまっていた。

 が、このような経過を経た結果、アニメ制作現場「全体」の人件費の底上げは遅れた。つまり、全体が「負け組」だった業界内にごく少数の「勝ち組」が現れるところから実は「ゴールドラッシュ」または「乱世」は始まっていたのだが、やっと「勝ち組」だけでなく、「勝ち組」から仕事を受けている「準勝ち組」の割合が目に見えるレベルまで増えてきたのだろう。

 トリクルダウン?結局外資?経〇省のクールなんとかが(以下、自粛)

 今にして思うと、「才能に金を出す」という考えに従えば至極普通の展開であったと分かる。そして、目端の利く既存スタジオ、或いは目端の利く人間が新たに立ち上げたスタジオはとっくの昔に「乱世」に対応しており、配信業者や海外スタジオなどによる囲い込みの対象となっている。反面、人件費の上昇は、業界のコントロールが既存の日本人プレイヤーからかなり失われた結果とも見ることができる。コントロール力を失なったのは自業自得とも言えるが、彼らにとって状況の変化はそこで終わりではない。

 二つ目の違いは、少なくとも短期的には、プロデューサー(資金調達と宣伝などに責任を持つプロデューサー) として日本人が関与、中心的役割を果たすことを想定していることだ。いや、実際にもそうだったのだが、プロデューサー当人たちが当時から「ゴールドラッシュ」に気付いていなかったならばちょっと話は違ってくる。気付いていたならしかるべきタイミングで傷が浅いうちに倒れることもできたのに、気が付くと倒れ損ねていたという状態の出来である。今後は、倒れるときはもれなく致命傷を負っている。

 件の記事のタイトル中にある表現「ネトフリは信じられないお金を…」は、2年前ならともかく、何を今更レベルの耳を疑う発言であり、NETFLIXなど海外資本の動きに対して発言者らが如何に愚鈍だったかのかを如実に表しているようにしか見えない。まぁ、記者が大げさに書いている可能性もあるんだけど、彼らの一部が業界のコントロール力を失いつつあり、かつ状況に追従できていないのは確かなようだ。

 NETFLIXは全額出す、映画だろうがTVシリーズだろうが少なくとも全額出せるだけの資本力がある。その代わり、全ての権利を持っていく、すべてをコントロールする。資金調達や関係者の利害調整・利権配分調整を仕事とするプロデューサーというプレイヤーはもういらない、業界をコントロールする力も当然失う。広告代理店もいらない。中間マージンは極限まで圧縮される。契約、金の流れ、意思決定の流れは米国流にリプレイスされ、日本特有の商習慣は本当に合理的なものを除いて打ち捨てられる。現場をコントロールできる監督は重宝される、中小規模のプロジェクトなら現場プロデューサー(製作進行などに責任を持つプロデューサー)を別途置く必要がないからだ。或いは現場プロデューサーは完全に職業化される、まるで米国大企業の「社長」のようにだ。

 上記の内容も踏まえて2016年以降の状況を脳内シミュレーション、いや妄想力を単にぶん回してみたところ、以下のような結果を得た。消費者目線で歓迎すべきものもあるが、立場によっては悪夢のようなものもある。何れにしても、業界のゲームチェンジ、プレイヤーチェンジは避けられそうにない。とは言えこれらはあくまで私の頭の中の世界、果たして実際はどうなのか、今後はどうなるのか。なお、私の妄想における重大な問題点の一つは、AmazonなどのNETFLIX以外の大手資本の動きを私がほぼ知らないことだ。一方NETFLIXについては、全く別の文脈(経営論、組織論)で色々自身で調べたことがある。
  • 「ゴールドラッシュ」の発生或いは「乱世」への突入は2016~2017年ごろにあった。ただしそれは、岡田さんの言ったような「奴隷の革命」ではなく、海外からの「静かなる侵略」とでも呼べそうな小規模で見えにくいものだった。なお「静かなる侵略」とは呼んだものの、それら外資の行為は「才能に対する投資」という合理的で当然なものと言え、倫理的な問題も無い健全な経済活動の範疇のものである。
  • 「ゴールドラッシュ」は業界のごく一部、クリエーター個人を単位として始まったため、それに当初から気づいていた人間は限られていた。
  • 「ゴールドラッシュ」突入から約3年、やっと業界全体で「人件費の上昇」が見られるようになった。と言うか、主に次項に示す状況の出来により、業界として人件費を上げざるを得なくなった。10年代前半の流儀に基づく製作員会方式では、人件費上昇の結果である製作費の上昇に柔軟に対応できない。これに対して海外資本の導入額増大などにより出資総額を上げる方法もあるが、当然プロジェクトのグリップは海外側に有利となり、既得権益者から見た製作員会方式の旨みは下がる。実際、幹事会社が外資と思われる製作委員会が現れて久しい。製作委員会の在り方自体も、2016年ごろのそれから変質しているかもしれない。
  • 一方、「ゴールドラッシュ」が見えにくい時間が長かったため、誰もが「ゴールドラッシュ」に気付くことになるよりも早く、米国流の資本、契約、意思決定の流れなどが広く普及した。先例も積みあがった。魅力ある人材、スタジオの囲い込みも進んでしまった。
  •  「ゴールドラッシュ」は終わり、やがて「乱世」本番の次フェーズに入る。単独出資や外資主体・支配型の製作委員会が増えることで、まず資金調達、関係者間の利害及び利権調整を仕事とするプロデューサーは余ることになり、淘汰される。次いで、いったん囲い込んだ人材の再選別が始まり、切られる人間も現れる。つまり、上がった人件費に見合う人材とその人数規模に最適化の手が入る。人材と資本とが紐づけされれば、スタジオ再編や人材の流動化がさらに進み、横方向に動く資金量はいったん増える。同時に、資金力が無い或いは投資を呼べる人材を繋ぎ留められないスタジオは淘汰される。極端なケースとして、人材確保のための資金の横移動だけで経営体力を使いつくすも、確保した人材の価値によって他社に吸収されたり新規投資を得られたりすることも考えられる。岡田さんの述べた「京都化」は、淘汰をマイルドにしたり、生き残りを増やすことに寄与し得るが、いずれにしても「楽しい戦国時代」はほとんど見えないままに何時終焉を迎えるかも分からない危うい状態となる。後述する自社権利(原作権や商標権、それらの周辺権)の確保や国内資本の再奮起・競合などの因子が存在しないと、「楽しい戦国時代」の持続可能性は海外からの投資が一定レベル未満となった時点で簡単に失われる。
  • ここで「勝ち組請負人」のような凄腕クリエーターが現れ、スタジオを転々としたりすると面白いことになるのだが・・・ゲームやCPU設計の様に。または「乱世」に対応し、少なくとも国内業界全体の利益を念頭において動ける調整能力も持つ卓越したプロデューサーの登場にも期待したい。このような存在は、現在も存在するマーケティング主体の手法に長けたヒットメーカーと目されるプロデューサーとは、全く異質、別レベルの能力を要求される存在である。このような異能の存在は、外資を利用してかつ儲けさせることはあっても、決してまつろうことのない挑戦者であり、外資べったりの「勝ち組」とは一線を画すものでなければならない。さらに外資に(良い意味で)面従腹背な、腹に一物持つような「勝ち組」が多数加わると、「楽しい戦国時代」出来の芽もある。そうでなければ、「乱世」は業界全体を疲弊させるだけとなる。そのような存在が無いまま「楽しい戦国時代」が維持されるならば、それは見かけだけのもの、外資が何枚も上手であるということに過ぎない。新たなOccupied Japanにようこそ。
  •  日本のアニメ業界には組合が無いので、資本側の意向でのスタジオ再編やスタジオ内の人切りがやり易い。「提携」による囲い込みは、いつ切られるか分からないドライなものと考えておいた方が良い。そもそも「提携」が指すものが「対等な関係」なのか、はたまた「隷属」なのかは部外者には全く分からない。「乱世」なのだ、国内外のゲームスタジオの状況を見よ。逆に組合を作るチャンスは「ゴールドラッシュの終焉」≒「乱世本格突入」より前にしかない。が、「ゴールドラッシュの勝ち組」はおそらく組合など作る気もないだろう。
  •  NETFLIXの出資の流儀だと、クリエーターやスタジオには制作物に関する権利が一切残らないと聞く。それ故に出資額も大きくなっていると言えるが、買い取りみたいなものなので、長期的に見た場合はクリエーターやスタジオの再生産能力に枷を嵌めることにもなり得る。「勝ち組」と言えども仕事を受け続けなければスタジオは維持できない、という状態に陥る可能性はかなり高い。今後NETFLIX一強と言える状態が崩れた場合、配信業者などとの交渉において権利帰属条件を変更できるかは、業界が持続可能かどうかを考えると重要な要素かと思う。まぁ、権利確保と製作費はトレードオフとなるのが通例だ。まぁ、権利を親会社に握られた国内外のゲームスタジオの状況を見よ。制作着手時点では多少の損はしても良いという判断ができる人材や、権利に対して的確な目利きができる人材が育たないと、権利に関して日本は完全に狩場、植民地状態化する可能性がある。例え今後グローバル化への揺り戻しがあっても、より自由になるのは資本の移動だけだ。資本の源泉たり得る権利が囲い込みの対象であることは変わらない。
  •  岡田さんが似たことを言っていたが、スタジオ運営では配信向けの仕事と国内TV向けの仕事をともに受けるのが良いように思う。自社権利は捨てるが前者で確実な利益を得、その利益も使って後者で自社権利を持つコンテンツを生む、というのが一つの理想だ。後者に対しては製作委員会方式も有効だろうが、その場合はスタジオ自体も投資者として参画する必要がある。配信業者を儲けさせつつ、それでも配信業者に一矢報いたい、一目置かせたいと考えるなら、最低でもそれぐらいしないと。或いは外資が消えても生き残れる体制を作るとか、スタジオ自体を高値で売り抜けたいのなら。
  •  人件費上昇に伴う製作費上昇は、クラウドファンディングによる製作プロジェクトの立ち上げの敷居も上げてしまう。従って資金調達方法の多様化は、「ゴールドラッシュ」以前より現実的には後退してしまっている可能性が高い。

0 件のコメント:

コメントを投稿