2013/08/28

イプシロンロケット、今日は余りに切ない

 打ち上げ中止となった「イプシロン」、カウントのアナウンスがゼロまで進んだだけにとても切ない。「呆然とする子どもたちの表情」をTVニュースなどで見ると尚更切ない。

 何れにしても「イプシロン」には成功して欲しい。現実問題として「大陸間弾道ミサイル」に転用可能な技術だが、核兵器開発と同様に「できるけどやらない」という姿勢を貫くことは今日的な"Cool Japan"ではないかと思う。

 かつてのスプートニク・ショックの本質は、ソビエト連邦が地球上の如何なる場所に核兵器を投射できる能力を示したところにあった。世界初の人工衛星スプートニク1号を打ち上げたR-7ロケットは大陸間弾道ミサイルとして開発されたものだが、人類を初めて宇宙に送り出したのみならず、その改良型は国際宇宙ステーションに宇宙飛行士(アストロノーツではなくロシア風にコスモノーツと呼びたい)を輸送できる唯一のロケットとして今も現役だ。

 火力発電所などの発電プラントの監視・運転は既にPC2台(1台はバックアアップ)となって久しいが、ついに人工衛星を投射可能なロケットもPC2台あれば打ち上げられる時代となったのはちょっと寂しい。米国のマーキュリー~ジェミニ~アポロ計画やソビエト連邦のスプートニク~ボストーク~ボスホート計画などの裏では数多くのトンデモない人間ドラマが演じられてきた。漏れ伝わるそれらの一部は実に殺伐としたものだ。だが、ロケット打ち上げ失敗でひとつの町の1/3以上を焼け野原にした(らしい)にも関わらずのほほんとしている某国のエピソードと較べればどれも遥かに人間臭い。

 「イプシロンの成功」とは、ロケット打ち上げレベルでは「人間ドラマが生まれる余地が無い時代」の幕開けなのかも知れない。

 あ、年齢を重ねてから「自分が見た夢」或いは「ドラマが生まれ得た時代に投影した自分の夢」を映画にするようになったら、映画監督としてはその人は多分終わりだよなぁ。

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