2014/12/13

トヨタ車のデザインって

イマイチって言うか何と言うか。MIRAIのデザインである意味びっくりしたのが面処理の醜さ、特にフロントから引っ張ってきた面がリアに繋がるところの面分割の処理の醜さ、デザイナーが何がやりたいんだか全く分からないというかその部分の「デザインされてない」感がハンパ無い。リアデザインのつまらなさが更に残念感を煽ります。

 そしてここが重要なところ、「どっかで上手く処理しているデザインを観た事があるぞ」感もあったこと。MIRAIのデザインに新規性は全く感じられないどころか、既にもっと良い面処理をしたデザインの車があったじゃないか、ということ。

 じゃ、「あまりの上手さに私が感心したデザイン処理」を備えた車とは...つい先ほど何の脈絡も無く思い出しました。

 ずばりランボルギーニ・ウラカンとその先行デザイン群です。「その会社の車と一目で分かる特徴」をきっちり残し続けながら常に「その時のデザイン」を提示する...この点に関してはランボルギーニにブレは無いように思います。 ソリッドカラーで成り立つデザインってのは実はとっても難しい筈なのですが、ランボルギーニはそれを常に成功させ続けてきたとも思います。

 あらためてランボルギーニ車のデザインを一望(ネットは便利)したあとでトヨタ車やホンダ車の最近のデザインを見てみると...


こっちはおまけ。

2014/12/08

サンダーバードのテーマ!!

 私と同世代の人ならおそらく知らない人はいない「サンダーバードのテーマ」。作曲者のバリー・グレイ氏は謎多きと言うか写真も余り残っていない人なのですが、残した楽曲群はマイエバーグリーンです。

 かつて渋谷に映画、TV音楽を専門とした輸入レコード/CDショップがあり、足しげく通っていました。そこでとにかく入手したのはサンダーバードをはじめとした英国TVシリーズ音楽のCDです。けっこう人気があるので見つけたらとにかく購入、次は無いと思わなければならないような状況でした。iTunes Storeとか使っていると「こんなに楽に購入できて良いの?」って気分に未だなるのは仕方ないとしても、購入してからプレーヤーにかけるまでのワクワク感はもはや失われてしまったと言って良いでしょう。90年代初頭の輸入CDは軒並み再生エラーが頻発するようになってきましたから、音楽保存メディアとしてはCDはレコードに完全に負けています。またデジタルデータならばCD上にあろうがハードディスク上にあろうが無関係な訳で、もはや音楽流通メディアとしてもCDは意味を失っているように思えます。ハイレゾとか言い出すと、もはやCDには出番すらありません。
 さて 世代がらTV放送はモノラル音声が当たり前、故に「サンダーバード」、原題では複数形の"Thunderbirds"、もモノラル音声で観ていたことになります。本カバーは「モノラル音声で聞いていた楽曲を当時自分が頭の中で勝手に再構成していたステレオ版」の再現です。ですから、現在手軽に入手できるようになったステレオのオリジナルサウンドトラック版とは色々と違います。オリジナルを知っていると「あれっ?」と思う様な所も込み、と言ったところでしょうか。
 そう言えば、映画"THUNDERBIRDS ARE GO!!"のエンディングには観た当時に意表を突かれた事を思い出しました。 1:27:30あたりから。

2014/12/07

Megpoid English、YMOの「シムーン」カバー

 日本語では敢えて「シムーン」、アルバム「イエロー・マジック・オーケストラ(日本版)」の同曲に対する自分なりのイメージをかなり引きずった音作りになってます。最小限のリバーブ(残響をシミュレートするエフェクター)の使用と波形丸出しのシンセ音が一種のコンセプトで、ミックス名の通り、2種類のパーカッション(ジィー、チン!)を除いて、音は全てソフトシンセZ3TA+2(ゼータ・プラス・ツー)で作ってます。ドラム音とベースは正弦波とノイズだけ、風音はノイズだけ、他の音は矩形波が絶対入ってます。

 あ、DAWをCubase 7.5からCubase Pro 8にアップグレードしました。レンダリングエンジンが軽くなっている(リアルタイム再生時のCPU負荷が下がっている)のはメーカーの謳い文句通りです。ただしバッファサイズを小さくするとリアルタイム再生時にノイズが発生し易い傾向があります。

 FL StudioBitwig StudioへのDAW乗り換えも考慮しましたが、一旦使い慣れたもの変えるのはやっぱり敷居が高いですね。複数のグレードを揃えたアプリケーションであっても、欲しい機能の有無にこだわれば結局最高グレードを購入せざるを得ない訳で、導入コストも必然的に高くなります。ただ、FL Studioは無償でアップグレードし続けられるので5年単位ぐらいで見れば元は取れるでしょう。Bitwig Studioはバージョンが1.0から1.1に上がることと年末(会計年度末)ということもあってか、1月中旬まで少し安い価格で購入できるようです。円安が進行している昨今でも、国内代理店経由より海外のメーカーサイトで直接ダウンロード購入した方が安い、というのは何とも。

 Megpoid音声はエフェクトを除くとPiapro Studio出力のまま、調整は無しです。もちっと音は丸めた方が良っかなぁ。

おまけ

2014/11/29

STAR WARS Ep.7のティーザー公開


Xウィングファイター、TIEファイター、ミレニアムファルコンが地球型惑星の大気圏内どころか地表や水面すれすれで高機動運動・・・スターウォーズの世界観も大変更ですか、作り手の知的な感じ(ちゃんと考えてる感)が下がる一方ですなぁ。

朝日vs読売、低レベルであっても...:補足

 先のエントリの補足です。なぜ朝日新聞の記事が駄目なのかについて。

 最大の問題点は事実関係を全く明らかにしていないこと、となれば客観的に有効と思われる具体的な再発防止策が語れるはずもない。そもそも、記事の元ネタはれっきとした調書、しかもそれを入手しての記事となっている。記事を書いた人間、記事の内容をチェックした人間とその具体的なチェック範囲に何ら言及がないのでは、処分した人間が本当に処分されるべきだったのかも不明だ。

 「記事を書いた人間は調書を読んでいた」...それすら不明確である。結局のところ、調書入手から記事の出稿に至るまでの「事実関係」が大事なのだ。要らぬ推測を招き、地に落ちた朝日新聞社の信頼はもはや戻らない。「事実関係」の秘匿が意図的ならばもはや報道機関というなら犯罪と言って良いし、「事実関係」を確認すらしていないなら報道機関としてはもはや腐りきっている。記事内容は様々な可能性を否定しないため、実際に起きた事の矮小化の意図すら残る。可能性は幾らでも考えられ、それによって事態の重大さは全く異なる。
  • 記事の執筆者は調書を読んでいない。調書を読んだ上司が記事内容を執筆者に指示し、執筆された記事をそのまま出稿。
    ・・・この場合は組織的な悪意が疑われる。執筆者には罪は無い。
  • 記事の執筆者、上司は調書を読んでいる。読んだ上であの記事を執筆し、出稿した。
    ・・・この場合は悪意の存在は明確、組織的な「捏造」である。
  • 記事の執筆者は調書を読んでいたが、上司は読んでいなかった。上司は記事内容と調書内容との整合性をチェックしないまま出稿した。
    ・・・この場合は執筆者に悪意の存在は明確、個人的な「捏造」である。上司は職務怠慢を最低ラインとして、「故意」による「捏造」ほう助も疑われる。
  • 調書の入手方法がそもそも違法であった。
  • 調書を持ち込んだ人間がいて、かつ記事内容もいっしょに売り込んできた。調書を持ち込んできた人間や経緯は明らかにできない。
などなど。

 「事実関係を重視しない姿勢」は朝日新聞社がかねてより積み重ね、さらに今でも積み重ね続けている文化のようである。「捏造内容」のレベルすら低いのはおそらく馬鹿だからではない、「事実関係を重視しない姿勢」が「捏造内容」に厚みを与えることができないのである。「吉田調書内容の捏造」すら、朝日新聞社には手に余る高度な知的作業だったというだけなのである。「捏造」の一つもまともにできない組織が報道なんて知的作業が出来る筈もないのでは?

朝日vs読売、低レベルではあっても...

リスト紙1枚分の差は本質的に大きい。敢えて例えれば常識、礼儀をわきまえた社会人3年生とDQNな母親の回りで騒ぎまくっている3歳児ぐらいの差かな?

 朝日新聞デジタル記事「『吉田調書』報道で前報道局長ら6人を処分 朝日新聞社」ですが、総合評価は9点/100点満点。
以下、引用です。他人事感が半端無い、マネしちゃいけない落書きモドキ。 朝日新聞社にはまだまだ落ちる余地があるようで、しかも自ら更に落ちて行きそうで正直凄い。おそらく普通の日本人の感覚では理解不能。
2014年11月28日14時45分

 朝日新聞社は28日、東京電力福島第一原子力発電所の事故をめぐる「吉田調書」報道で5月20日付朝刊の記事を取り消したことに伴い、6人の処分を決めた。
 記事を出稿した特別報道部の市川誠一・前部長を停職1カ月、市川速水・前ゼネラルマネジャー(GM)兼東京報道局長、渡辺勉・前ゼネラルエディ ター(GE)兼東京編成局長、出稿を担当した前特別報道部次長の3人を停職2週間、取材チームの前特別報道部員と前デジタル委員を減給とした。いずれも 12月5日付。
 朝日新聞社は5月20日付朝刊で、所員らの9割にあたる約650人が吉田昌郎所長(故人)の第一原発での待機命令に違反し、10キロ南の福島第二 原発に撤退したと報じた。しかし、吉田所長の発言を聞いていなかった所員らがいるなか、「命令に違反 撤退」という記述と見出しは、多くの所員らが所長の 発言を知りながら第一原発から逃げ出したような印象を与える間違った表現と判断し、記事を取り消した。その際、事態の重大さから、杉浦信之取締役の編集担 当職を解任したほか、市川速水GM、渡辺GE、市川誠一部長(いずれも当時)の職を解いた。
 また、慰安婦報道の問題なども含めた一連の事態に対する経営の責任を明確にするため、12月5日には木村伊量社長ら3人の取締役が辞任、取締役1人が執行役員へ降格、執行役員1人が辞任することを決めている。
     ◇
 〈西村陽一取締役・編集担当の話〉
 吉田調書報道に関し、本社の第三者機関「報道と人権委員会」から「読者の視点への想像力と、公正で正確な報道を目指す姿勢に欠ける点があった」と 厳しい指摘を受けました。これまでの社内の調査の結果、取り消しに至った記事については、意図的な捏造(ねつぞう)ではなく、未公開だった吉田調書を記者 が入手し、最終的に記事として送り出す過程で思い込みや想像力の欠如があり、その結果、誤った記事を出稿した過失があったと判断しました。
 さらにそうして出稿された原稿のチェックや評価、取材指示などについても上司が果たすべき役割を十分に果たさず、組織として誤りを防げなかったこ と、掲載後に受けた批判に適切に対応しなかったことなども大きな誤りであったと判断しています。こうした判断を踏まえて、職責が重い人間に、より厳しい処 分を適用しました。
 東京電力福島第一原子力発電所の所員の方々や、みなさまに改めておわびをするとともに、本社は今回の事態を非常に重い教訓と受け止め、信頼を得られるよう全力で努めてまいります。

2014/11/26

ふふふ

 京都大学の先生とやらの「嫌韓の分析」は寒い、実に寒い。色々大変ですね、ふふふ。論理性0点、分析力0点、文章30点、はい書き直し。


 それはさておき、一般的な日本人というのはこんな感じじゃなかろうか。
  • 嘘はきらい、ただし「良い嘘」ってのもあることはある。
  • 嘘つきは大嫌い。
  • 嘘がばれると開き直る人は軽蔑の対象。
  • 同じ失敗を繰り返す人、集団は馬鹿。
  • 口だけの人、集団は軽蔑の対象。
  • 馬鹿を実質的に公言している人、集団は軽蔑の対象。
  • 不勉強が許されるのは一回だけ。
  • 馬鹿は相手にしない、ただし自分に火の粉がかからない限りは。
  • イデオロギーに結論を合わせることしかできない人は馬鹿、しない人は軽蔑の対象。
    宗教的しがらみや二項対立的な硬直した思想とは比較的無縁ゆえに、思想、発想の自由さは日本人の強みと感じるところ。
 鎖国時の日本のように内側だけ見ていれば良い社会では「無視」が軽蔑に続く社会的制裁として有効に機能した。しかし、文化や宗教の異なる外部の第三者(つまり外国)が介在する情報的に開かれた社会では、「無視」はもはや制裁としての機能は果たせない。そういう観点からは、日本、ひいては日本人は結構重大な岐路に立っているように思う。つまり、日本人も「攻撃」に転じなきゃならないんじゃないかと言う事、「反撃」はもう始まっているからね。

 ナイーブさにつけ込む工作?長期化覚悟のガチな提訴?どうせやるなら本気で行こうよ。

 今回の衆院選、そういう意味合いを感じている日本人がどれくらい居るかが多少問題。言わぬが華というか、日本人的阿吽の呼吸と言うか、(今日的な意味での)空気を読んで、どうぞ。

2014/11/23

奥さん、論文査読お願いします。- 雑感アゲイン

 先週頭に久しぶりに英文論文を投稿した。おそらく査読が始まったころだと思う。新規性には問題ないだろうが、如何せん英語が下手なのは英語ネイティブに添削してもらっても限界がある。

 かと言って、とてつもない事を発見した訳ではない。むしろ何故同じことをやる人間がこの40年間に現れなかったのか、とすら思う様ななんちゃ無いことである。ただし有効性、汎用性は明らかに高いと思う。他人にやられていたら、もの凄く悔しい思いをしただろうと思う。と言う訳で、ここ20年くらいの関連論文を1ヶ月ほどひたすら読み漁った。他の研究者が既に同じ結果を発表していたらとても恥しいじゃないですか、着想から結果の確認まで高々3日程の内容なんだから。

 で、何となく見えてきたのが近年論文数の増加が著しい中韓在住研究者の論文内容の一般的傾向である。はっきり言って「まだ」面白くない。

 韓国研究者はとにかく一人当たりの論文数が多い。 おそらく所属機関内での評価に論文数が効くのであろう。ただ結果として試験結果の出し惜しみとも取れる傾向がある。また、常に新しい試験結果は出てくるが、結果評価に用いる手法やモデルは30年前のままなのである。結論の「これらモデルは試験結果と合わなかった」が予定調和とすら感じられるぐらいなのである。試験結果を共有してくれるのは有難いし、その点において新規性もあるのだが、しょせんそこまでなのは遺憾としか言いようが無い。本来、独自の試験データを持つ研究者が一番強いはずである。他の研究者が打ち破れない壁を文字通りぶっ壊すための鍵を持っている可能性があるからだ。先行研究者の知見を発展的に打ち壊す、そういうパワーが論文から感じられないのが「まだ」面白くない理由の一つと言える。こと知的活動においては量は質を凌駕できないのが現実だ。

 この種のパワー、という観点からは、中共研究者の論文から読み取れる研究開発姿勢は韓国からも10年以上遅れている。何故それをやるかは理解できるが、試験自体が他の研究者の後追いに過ぎないことが多い。国家プロジェクト絡みなんだからもっと大規模な試験をやれば良いのにと思うのだが、米国大学の試験装置みたいなレベルで留まっている感じがぬぐえないし、試験結果自体が新しいものになり得ない。しかし、導き出す結論は無理筋までに大きいことが多い。やった内容、結果と結論の内容の間のギャップが激しいのだ。「それは言い過ぎだろう」と突っ込みたくなる論文が多いということだ。質が伴わないのはものさびしいものである。

 一般化はできないし、やるべきでもないが、心象としての傾向はズバリ、「韓国の研究者は論文の数を多く見せたい、中共の研究者はやった事を大きく見せたい」だ。これら、各々が所属する集団の文化をも反映しているのではとすら感じられる一種のステレオタイプを打ち破る研究者の登場を心待ちにしている、というのは偽らざる心境だ。重要なのは論文自体、という当たり前の姿勢を是非示して欲しい。

 誰が何と言おうが研究開発には「王道」がある。王道を本当の意味で離れて新しい何かを手に入れる、或いは王道を極めるためには、「王道」自体を理解することが必須と言える。韓国、中共の研究者に論文を介して共通して感じるのは、彼らが「王道」を歩みつつ、それから離れる意思がないように見えることだ。果たして彼らが王道を本当に理解しているのか、意識してその道に留まっているのかは現時点では私には分からない。

「給水ぐらいで自衛隊使うな」って...

 長野県で地震、先の大震災の経験者としても被害が最小限である事を心から祈りたい。

 ネットの一部で「給水ごときで軍隊(自衛隊)使うな」との声もあるようだが、それは能天気に過ぎると言っておこう。地方自治体の危機管理能力なんて知れているのが実態で、飲料水の確保は死活問題だ。

 個人的な経験だけで言うが、自衛隊の給水作業は効率良く、きめ細かく、心配りが効いている。能力には限りがあるが、それを踏まえた運用は信頼、信用に繋がる。少し具体的に書くと、私の居住地域では自衛隊は給水タンクと牽引車を2組用意していて、上水施設への水補給と被災者への給水を交互に行っていた。給水タンクの到着から給水開始までの作業もてきぱきしており、待たされる感じは無かった。給水タンクが到着しても、「どうすればいいの?」といった雰囲気で多くの人間が立ちつくしていた地方自治体とは対照的だった。しかも24時間体制である。

 繰り返すが、「給水ごときで軍隊(自衛隊)使うな」なんて言う人間は想像力が著しく欠ける、現実を知らない野外の存在に過ぎない。

 私の場合は早朝から11時間待ちで飲料水を手に入れる事が出来たが、自衛隊によりほぼ常に給水が行われている状況を目にしていなければとても冷静に待ってはいられなかったろう。

 自衛隊投入前の自治体の対応では30分余りで給水タンクが空となり、かつ当日に追加の水補給も無かったことがあったという。集まった住人の1/10程度しか水を受け取れず、給水場所はかなり険悪な雰囲気になったという。食料と水を求める人々の行列の持つ独特の緊張感は、その場にいた人間にしか分からないだろう。

 それと、有志者の活動についても触れておかないといけない。

 私の居住地域は町工場が少なくなく、可搬式水タンクとそれらを輸送できるトラックを持つところも多い。地方自治体があたふたする中、自衛隊派遣前に給水に活躍したのは町工場の人々だ。タンクの容積は限られ、トラックのガソリンもやがて切れるのは分かっていながら、若手社員と社長、そして近所の人々としか見えない集団がてきぱきと水を輸送、供給する姿は頼もしかった。町工場の社長さん達と言うのは概して意思決定能力が高く、指示も的確、やるとなったらやるが引き際も逃さないもの、社長の肩書は伊達ではないのだ。しかも自衛隊員達の作業の様子も良く見ていて、自衛隊員と情報交換をしているような姿も見られた。結局、地方自治体の水供給作業も彼らが手伝い始めてから効率が格段に良くなっていった。

 これらの流れもあってか、私の近所では自衛隊の活動を高く評価する声が多く聞かれた。対して終始車の流れを制御できなかった警察はあまり評価されなかった。

 あとこぼれ話をひとつ。

 私は米陸軍の旧型野戦ジャケットを持っている。未使用のまま放出されたものらしく、中古感は全く無い。早朝の薄暗い中(停電中なので町に灯りはない) それを着て近所の湧水を汲むためにペットボトル詰めたアリスパックを背にとぼとぼ歩いていると色んな人に声をかけられた。曰く、「頑張ってね」「有難う」「状況はどうなっているのか、何か情報を知らないか?」「水質の検査に来たのか?」「ちょっと力仕事を手伝ってくれないか?」「病院に給水車を直接回してもらえないか」などなど。一種の笑い話としてこのエピソードが紹介できる現状を心から嬉しく思う。

2014/11/22

FIAT 500 Twinair Dualogic インプレッション - 1年間乗ってみて

インプレ最終回、結論から言えば「ぞっこん」です。

まずは前提となる条件からのおさらい。
  • 車はTwinairエンジン、Dualogic(オートマチックモード付きクラッチペダルレスシーケンシャル5段トランスミッション)、 ただし足回りのセッティングはほぼマニュアル車500Sと同等。
  • 乗り換え前の車は、先代のFIAT Nuova Panda Plus、1.2ℓFIREエンジン、Dualogic(同上)。
  • 用途は主に通勤で方道約9km。行き(出勤時)のみ軽い渋滞あり。高速道路使用は年に2、3回で方道70~150km。 
  • エコモードは酷い渋滞時以外は未使用、スタート&ストップは基本的に常時ON。
  • 停止のための減速時以外はマニュアルモードでシフト操作、エンジンブレーキも多用。
 ただでさえ足回りが日本車一般と較べて硬めの欧州車でかつ スポーツ仕様なので、明らかに足回りは硬いです。道路事態やマンホールの段差をもろに拾うので、好き嫌いは分かれるでしょう。私自身は運転しながら路面状態が把握できる方が好きなので、むしろ好ましいぐらいです。コーナリング時の車体のロール(横方向傾斜)はほぼ0で、ここは一旦ロールはするもののきっちり戻る(コーナリング後に反対方向へロールすることがない)先代Pandaとも味付けが違います。

 先代Pandaでは50km/h以上でのコーナリング時に感じたアンダーステア感(ハンドルを切ったほど曲がらない)は全くありません。少なくとも街乗りで使う速度域(70km/h以下)ではアンダーステアは感じません。その代わり、先代Panadaでは登り坂のカーブで多用したタックイン(コーナリング時にアクセルを緩めて速度を落とした瞬間に、ハンドル角度はそのままでもきゅっとより曲がる。)は使えません。一般的にアンダーステアが出るという事は「車がそういう運転はやめてと言っているに等しい」訳ですから、先代Panadaにとっては厳しい運転をしていたという事でしょう。実際、先代Pandaではコーナリング時にタイヤが鳴る事が多々ありました。が、500ではタイヤを鳴らしたことはまだ一度も有りません。ステアリング感は高速道路走行時でも変わらず、「ハンドルを切った分だけ曲がる」という感じです。500で初めて高速道路を運転した際、アンダーステアが出ることを前提に先代Pandaの感覚で車線変更をしたところ、あまりに急激に曲がったのでびっくりしたぐらいです。

 先代Pandaと較べると重量は+5%、ただし馬力は+30%ですから、動力性能には今のところ不満はありません。Twinairエンジンの応答性は非常に高く、これまた「アクセラレータ ペダルを踏んだ分だけ回る」といった感じです。3000回転を狙ってアクセラレータペダルをやや深めに踏み込んだ状態で2400回転を越えたらマニュアルでシフトアップという加速操作なら、3速に上げた時点でほぼ60km/hに達してしまいます。最大トルクが1900回転で出るのがTwinairエンジンの特徴(FIRE系エンジンは3000回転付近)で、これが良好な加速特性に寄与していると思います。このためFIRE1.2ℓエンジンを搭載した先代Pandaの「3速で引っ張って」とは一味違います。気を付けないといけない点は、アクセラレータペダルの踏み込み具合はそのままで5速までシフトアップするとストレス無く80km/hを余裕で越えてしまうこと。望む通りに「加速し、止まり、曲がる」ため一体感は得やすいのですが、「ドライバーが車の一部になって」エンジンや車自体が望むような運転をしてしまうと道路交通法i違反は必至です。

 速度は160km/hまで確実に出ます。ちなみにカタログスペック上の最高速度は170km/h超です。120km/h辺りまでの加速にはエンジンのトルクが太い2000回転超の領域が使えるので何らストレスはなく、高速道路合流時に速度不足となるような心配もありません。140km/h辺りでドアミラー付近からの風切り音が気になり始め、加速感は頭打ちになってきます。ただし、高速道路での追い越しのための110km/h付近から140km/h付近までの加速にはほとんどストレスはありません。高速道路でもアンダーステア感はほぼ無く、路面の凹凸はがつがつ拾うものの接地感が失われることはありません。ただし、これらはあくまでで好天時の話なので念の為。先代Pandaで雨天時に高速道路を走った際には、時折タイヤが滑ってるような感覚がありました。エンジン回転数は120km/h巡航時に5速で2800回転程度、アクセラレータペダルは気持ち踏んでいるだけなので瞬時燃費表示には平然と20~40km/ℓの値が示されます。エンジンを3000回転以上回そうとするとそれなりにアクセラレータペダルを踏み込む必要がある、といった感じでしょうか。なお、高速道路走行時にエンジン振動が気になることはありません。

 Twinairエンジンのトルクバンド下限は1400回転付近にあります。ですから、この辺りの回転数でアクセラレータペダルを踏み込むとエンジンは「どっどっどっ」とばかりに低振動数で大きく振動します。これは結構気持ち悪い振動で、「酔う」人がいるのも分かります。一度わざと1400~1600回転中心で運転してみたら30分程度で私も気分が悪くなりました。Dualogicをオートマチックモードにしておけば、シフトアップ直後にアクセラレータペダルを緩めるといった意地悪な運転をしない限りはこれらの回転数領域は使われません。マニュアルモードならば尚更回避は容易です。先代Pandaはエンジンのトルクバンド下限を積極的に使う事で大幅に燃費改善が可能(私の実績は3000km平均18.6km/ℓ)で、エコモードでもこの回転数領域を積極的に使うようになっていました。つまり、先代Pandaのエコモードは「エンジン回転数を上げない」というものでした。対して500のエコモードはシフトアップ時のエンジン回転数は通常モードと同等のまま、エンジンの燃料噴射量などを調整して燃費向上を図ります。この違いは、「Twinairエンジンではトルクバンド下限付近のエンジン回転数が振動のため使えない」という判断に基づくものだと推測しています。4速まではDualogicに任せてとにかく加速、巡航速度で可能ならマニュアルで5速にシフトアップして1700回転ぐらいを使う、という運転の方がだらだら加速するよりも平均燃費は良くなるんじゃないかと思います。私の500の実績は1000km平均で17.0km/ℓ。

 2気筒エンジンのためかエンジンブレーキは「エンジンの音の割には」効きません。特に2速で効かない印象で、減速時に2速にシフトダウンするとアクセラレータペダルを踏んでもいないのに「ぬるぬるっと僅かに加速する」感じを受ける事があります。この特性は正直不満、とういうかちょっと気持ち悪いところですね。Dualogicも熟成され、先代Pandaの鬼門であった「緩傾斜を1速で下っている際の自動半クラッチ解除時のかっくんがくがくがく」に類する「分かっていても避けられない」困った挙動は完全に無くなりました。

 走行速度メーターとエンジン回転数メーターのレイアウトは一部で「読みにくいのでは?」という声もありました。しかし、要は慣れとメーターのレンジ設定の問題です。2000回転超付近、60km/h超まで の運転条件であれば両者の針の位置は近くて一目で両方とも確認できます。また、Twinairエンジンならエンジン回転数はエンジン音、トルク変化を反映したアクセラレータペダルの踏込み量と加速感との関係で3000回転ぐらいまではメーターを見なくとも直ぐ分かるようになりますよ。

  さてFIAT 500 Twinair、癖はあるけどキビキビ感に満ちた良い車だと思います。少し寄り沿ってあげれば「癖は最大限生かすべき特徴」となります。ガチガチ行きたければマニュアルトランスミッションの500S、更にパワーが欲しければアバルトもあります。ちょっとなんちゃってクロス感は否めませんが500Xも控えています。現行PandaもTwinairエンジン搭載となりました。噂では500は千葉県の一部で物凄く普及してしまって食傷気味だとか、でもそれはあくまで「見た目」の話。同じ500でもFIRE1.2ℓ、FIRE1.4ℓ、Twinair、更にはアバルトとエンジンが変われば旋回半径(Twinairエンジンは小さいので前輪の最大舵角も大きく取れるそうです)どころか可能な走りも全く別物なのです。