ほぼ3ヶ月ぶりにiTunes Storeで"Music Plans"を検索、不意打ちをくらう。
「音楽の計画」は大好きな曲で、石山正明氏のカバー曲がかなりツボにはまり一時期それしか聞かなかったという話は以前のエントリに記載した通り。不意打ちというのは、その石山氏が同曲のNew Versionを1月に出していたこと。早速購入しましたよ。
で、実際に曲を聴く前にどこを変えたのかの手がかりでもないかとググったところ、石山氏のつぶやきが引っかかった。「リスナーの方の意見を参考に、修正してみました。かなり、安定感が出ましたね。」とのこと。
「ふむ、リスナーとのやり取りから新バージョンが出る、なんて良い話だよねぇ。」とか「どうせだから毎年1月に新バージョン出してもらって、『あぁ、また新しい年が始まったねぇ』などと一種の風物詩にしちゃうってのはどうかしらん。」とかどうでも良いことを考えながら再生してみた。
正直、私の耳では違いらしい違いは確認できなかったのだが、ラストが少し変わっていることに気付いた瞬間に「うむ~そう来たか」と思うと同時にちょっとだけドキリとした。理由は上で触れた先のエントリで、「曲のラストの余りにあっさりした処理は個人的にはちょっと不満があるが、それら以外は本当にツボ。」と書いていたからだ。どう来たかが気になる方は、是非曲を購入して自分の耳で確かめて頂戴。
2013/04/12
2013/04/08
映画「ARGO」を観て思い出したこと。
予告編を観て劇場で是非観たかった「ARGO」だが、とにかく仕事が忙しくて時間が作れなかった。遅まきながらiTunesでレンタルで観た。
ベン・アフレックは「なんか頭悪そうな役」が多いという印象が強く、どういうキャリアを目指しているのか他人事ながら心配していたのだが、どうも「出来上がりをきっちり読める」映画監督としての地位は掴んだように見える。同様に俳優、映画監督との二足のわらじを履いているクリント・イーストウッドはインタビューで「撮影前に全てのカットは頭の中に有る」とはっきり言っている。そういう観点からは、「ARGO」冒頭の一連のカットとラストカットの処理が脚本段階から想定されていたものなのか監督の意図なのかはちょっと気になる。「ARGO」という映画に関しては、一か所だけ音楽の使い方に引っかかりがあったが、純粋に楽しんで観た。ただし誰かがどこかで書いていた通り、名字が「メンデス」という主人公をベン・アフレックが演じるのにはやはり無理がある(個人的な印象では、「メンデス」はブラジル系っぽい名前である)。主人公の名前ぐらいは変えても良かったのではないかと思う。
「ARGO」を観て思い出したのは、かつて「アラビックSF」なんて呼ばれた一連のSF小説群があったことだ。時期的には1980年代である。
結局のところ「サイバーパンク」なんて呼ばれていたSF小説群の大部分は、新しいガジェットを導入することで(SF的ではないものも含む)古典的なストーリーをさも新しいもののように提示しただけであった。個人的には「サイバーパンク」には価値なんか見出せない。むしろ「サイバーパンク世代の作家」と呼ばれた作家群の中から一味違うと思わされた作家のみが見事に生き残り、「サイバーパンク」ではない新しい作品を生み出していった点の方が重要だ。「サイバーパンク」はマーケティング用語に過ぎず、ムーブメントなどでは無いとしか思っていない。
「アラビックSF」も同様の観点から見ればアラビアンナイトの(当時の)今日的翻案に過ぎなかった。が、こちらは明確にエンターテインメントであることを示すマーケティング用語であった。大部分の著者が当然ながらイスラム文化圏の人間ではない。何冊も読んだはずなのだが、タイトルを一つも思い出せないという辺りはさもありなんというところだ。
映画のタイトルでもある劇中のニセ映画「ARGO」には、そこはかとなく「アラビックSF」のニュアンスを感じる。時期的にも「アラビックSF」作品が米国で登場し始めた時期とほぼ一致する。そういう脚本があってもおかしくないのだ。
「アラビックSF」のことを思い出した原因はもう一つある。「ダークマター(暗黒物質)」の存在を示唆するとされる国際宇宙ステーションでの陽電子測定結果に関する報道だ。とあるアラビックSF作品では、宇宙船が用いるエネルギーは「空間」から取り出される。「ダークマター」「ダークエネルギー」「零点エネルギー」などなど、その作品にはジャーゴン(専門用語を指すネガティブな表現、「訳の分からん専門家の戯言」が源)があふれていた。
劇中の映画「ARGO」は、もし作られても間違いなく駄作となる運命にあった。映画「ARGO」、或いは「ハリウッド作戦」の欠点を敢えて挙げるならばそこなのかもしれない。
ベン・アフレックは「なんか頭悪そうな役」が多いという印象が強く、どういうキャリアを目指しているのか他人事ながら心配していたのだが、どうも「出来上がりをきっちり読める」映画監督としての地位は掴んだように見える。同様に俳優、映画監督との二足のわらじを履いているクリント・イーストウッドはインタビューで「撮影前に全てのカットは頭の中に有る」とはっきり言っている。そういう観点からは、「ARGO」冒頭の一連のカットとラストカットの処理が脚本段階から想定されていたものなのか監督の意図なのかはちょっと気になる。「ARGO」という映画に関しては、一か所だけ音楽の使い方に引っかかりがあったが、純粋に楽しんで観た。ただし誰かがどこかで書いていた通り、名字が「メンデス」という主人公をベン・アフレックが演じるのにはやはり無理がある(個人的な印象では、「メンデス」はブラジル系っぽい名前である)。主人公の名前ぐらいは変えても良かったのではないかと思う。
「ARGO」を観て思い出したのは、かつて「アラビックSF」なんて呼ばれた一連のSF小説群があったことだ。時期的には1980年代である。
結局のところ「サイバーパンク」なんて呼ばれていたSF小説群の大部分は、新しいガジェットを導入することで(SF的ではないものも含む)古典的なストーリーをさも新しいもののように提示しただけであった。個人的には「サイバーパンク」には価値なんか見出せない。むしろ「サイバーパンク世代の作家」と呼ばれた作家群の中から一味違うと思わされた作家のみが見事に生き残り、「サイバーパンク」ではない新しい作品を生み出していった点の方が重要だ。「サイバーパンク」はマーケティング用語に過ぎず、ムーブメントなどでは無いとしか思っていない。
「アラビックSF」も同様の観点から見ればアラビアンナイトの(当時の)今日的翻案に過ぎなかった。が、こちらは明確にエンターテインメントであることを示すマーケティング用語であった。大部分の著者が当然ながらイスラム文化圏の人間ではない。何冊も読んだはずなのだが、タイトルを一つも思い出せないという辺りはさもありなんというところだ。
映画のタイトルでもある劇中のニセ映画「ARGO」には、そこはかとなく「アラビックSF」のニュアンスを感じる。時期的にも「アラビックSF」作品が米国で登場し始めた時期とほぼ一致する。そういう脚本があってもおかしくないのだ。
「アラビックSF」のことを思い出した原因はもう一つある。「ダークマター(暗黒物質)」の存在を示唆するとされる国際宇宙ステーションでの陽電子測定結果に関する報道だ。とあるアラビックSF作品では、宇宙船が用いるエネルギーは「空間」から取り出される。「ダークマター」「ダークエネルギー」「零点エネルギー」などなど、その作品にはジャーゴン(専門用語を指すネガティブな表現、「訳の分からん専門家の戯言」が源)があふれていた。
劇中の映画「ARGO」は、もし作られても間違いなく駄作となる運命にあった。映画「ARGO」、或いは「ハリウッド作戦」の欠点を敢えて挙げるならばそこなのかもしれない。
2013/04/05
「トレーサビリティ」というリトマス試験紙
実験計測における「トレーサビリティの確保」に対する振る舞いは、その人の合理性と論理性の有無を如実に反映する。「トレーサビリティ」の本質は誤差評価結果の定量性の確保、試験結果の信頼性の確保或いは不確かさ幅の定量性の確保ではあるものの、試験結果の「品質保証」とは必ずしも同義ではない。この辺りを取り違えると、無駄な作業や議論を重ねることになりがちだし、やってることに楽しみも見出せない。
「トレーサビリティの確保」という概念を理解すれば、試験に臨む際の行動はそれを理解する前とは全く変わらざるを得ない。幸いにして、私は今で言うところの「数値シミュレーションのV&V(検証と妥当性確認、Verification & Validation)の概念」に比較的早い時期に気付いてしまっていた。「トレーサビリティの確保」のための具体的な手順を理解するには一週間ほど要したものの、その概念自体は数値シミュレーションのV&Vのためのそれまでの思考実験結果と馴染むものだった。
誰をもを納得させる論理性、無駄なく必要なことしかやらない合理性。
「何をアングロサクソン的な!」などと一笑に付すこと無かれ、マニュアル化が可能な品質保証プロセスと同一視することなかれ。「最小限」の「トレーサビリティの確保」は「品質保証」のための必要条件にしか過ぎないが、「トレーサビリティの確保」の概念自体が示唆する内容は「品質保証」の枠組を超えて遥かに広がっている。「トレーサビリティの確保」の為に今何を為すべきか、という自らの問いに自ら答えることは立派な知的活動だ。
日々の業務で使っているMS-Excelのワークシートをどの段階で、どういう名前で保存するか。そんな毎日の作業の中にすら「トレーサビリティの確保」という視点からの回答はある。おそらく正解はないだろうが。
2013/04/01
wired.jpの記事 「どのようにSNSは死を迎えるか」が面白い(その7)
さて、独断と偏見に基づく論文(David Garcia, Pavlin Mavrodiev, Frank Schweitzer: "Social Resilience in Online Communities: The Autopsy of Friendster", arXiv:1302.6109v1(2013).)の読解、最終回です。最終回で書くのもなんですが、本論文はいわゆる査読が一切入っていないものです。そのせいもあってか、数値や数式の矛盾、こなれていない英語の表現が散見されます。本ブログ中の数式の一部は論文中の数式とは一致していないので念のため。
著者らはOSN(Online Social Network)のメンバー間の関係をネットワーク構造でモデル化し、モデル化したネットワークの「弾力性」から、成功したOSNと失敗した(閉鎖された)OSNとの差の説明を試みました。しかし、ネットワークの「弾力性」という概念だけでは、むしろ失敗したOSNののネットワーク構造の方が崩壊しにくいという結果に至りました。何が足りなかったのでしょうか?
OSNの崩壊とは、メンバーの大量離脱とメンバーがそのコミュニティに属し続ける価値の低下とが負の連鎖を引き起こし、メンバー数の激減が続く現象を指します。このような現象は極めて「ダイナミック」な現象です。敢えて「ダイナミック」という表現を使う意味は、コミュニティの崩壊過程は「(何かが)アンバランスな状態が維持され続ける」状態と見なすべき、というニュアンスを含めるためです。何か重要な指標となる量が「バランス」すれば、崩壊は止まる可能性があります。崩壊が続くということは、何か重要な指標となる量が崩壊と共に変化し続け、ついにはコミュニティの完全な崩壊まで「アンバランス」なままが続いたと解釈することができます。
著者らは、閉鎖されたOSNであるFriendsterの崩壊過程の説明を、これまで展開してきたネットワークモデルから試みます。その結果、ネットワークの崩壊とともに変化する臨界コア度(critical coreness)という概念に至ります。臨界コア度とは、メンバーがコミュニティからの離脱をほぼ(モデル上は100%の確率で)決断することになるコア度です。例えば臨界コア度が10の場合、コア度が60のメンバーはコミュニティに残りますが、コア度が9のメンバーはコミュニティを離脱します。そしてこの臨界コア度はコミュニティの崩壊とともに増加します。
ここで注意しなければならないのは、臨界コア度は既に崩壊過程に入ったコミュニティのモデル化にしか役に立たないことです。臨界コア度は崩壊が発生するか否かの判断には使えません。
もう少し臨界コア度の定性的意味合いを考えてみましょう。臨界コア度はコミュニティの崩壊に伴って増加します。つまり、崩壊過程に入ったコミュニティの規模の減少は、コア度の低いメンバーの離脱によるものとみなせるということです。著者らが分析の対象としたしたOSN、Friendsterのネットワークの全体構造は、コア度の高いネットワークの周囲に相対的にコア度の低い複数のネットワークが分布する構造が何層にも繰り返されるというものです。このような全体構造は決して珍しいものではなく、Facebookだろうと同様だと考えて良いでしょう。臨界コア度の増加という考えは、コア度の高いネットワークよりも先にその周囲の相対的にコア度の低いネットワークが消失することを意味しています。そして最後にはコア度が高いネットワークのみが単独で残されます。このようなネットワークはたった一人のメンバーの離脱だけでコア度が一つ下がってしまう構造であり、メンバーの大量一斉離脱に対する「弾力性」は低いと言わざるを得ません。成功しているコミュニティにおいてコア度が高いネットワークがそれなりの「弾力性」を持つのは、その周囲にコア度が1小さいだけの複数のネットワークが存在しているからなのです。このような状態では、コア度の高い中心のネットワークから複数のメンバーが離脱しても、そのネットワークの大部分は周囲のネットワークの一部となることでコア度の低下を1で収めるでしょう。
では臨界コア度はコミュニティ崩壊過程で何故増加するのでしょうか?
実は、これは問いかけが間違っている可能性があります。おそらく、臨界コア度はいったん増加しだすと止められません。では臨界コア度の最小値はどのくらいでしょうか。論文の著者らはFriendsterでは3ではないかと仮定しています。この数値はけっこう小さいですね。ここで前言を撤回し、臨界コア度は安定した成功しているOSNのネットワークにも存在するとしてみましょう。言わんとすることは単純です。臨界コア度が3のOSNは、コア度が3を超えるネットワークを作ることが難しいのではないか、ということです。Friendsterの崩壊の原因にはFacebookの台頭などが原因として考えられていますが、ユーザーインターフェースの変更も原因と考えられています。コア度の増加には、直接の友人とすべきメンバーをメンバーが相互に見つける必要があります。つまり、ユーザーインターフェースの変更がメンバーが新しい友人を見つけにくい方向に作用した場合、そのOSNのメンバーは新しい友人を見つけられずに自分のコア度がなかなか上げられません。新規メンバーに至っては、新しいネットワークの形成はもとより、既存ネットワークへの参加も困難となります。
以上を簡単にまとめます。
最後に論文著者らのFriendster崩壊過程の説明を簡単に述べます。下図は、縦軸に"www.friendster.com"のGoogleにおける検索数を、横軸に時間(時期)をプロットしたものです。黒四角(□)が実際の値、赤実線が後述するシミュレート結果です。著者らはFriendsterの実際のメンバー数の時間変化を入手できなかったため、メンバー数がGoogleの検索数に比例すると仮定しています。検索をするということは活動的なメンバーの筈ですから、公式なメンバー数よりも実質的なコミュニティのメンバー数にむしろ対応しているかもしれません。
OSNの実質的な崩壊開始は赤実線の左端、2009年8月ごろです。著者らはFriendsterのスナップショット(ウェブページのキャッシュ)に基づいて、コア度が3以上のコミュニティネットワークを作成し、臨界コア度に基づいてコミュニティ規模の減少過程をシミュレートしました。赤実線がその結果です。シミュレート結果と実際のGoogle検索数の時間変化の一致は良好です。シミュレートでは最初の臨界コア度を3とし、1ヶ月毎に6づつ増やしています。2010年6月ごろ(図中の「15%(10M)」と書かれているあたり)には臨界コア度は67に達し、もはやこのOSNにはコア度が67以下のネットワークは存在しません。そもそも臨界コア度の増加は新規メンバーの参加のし難さを反映したものですから、いったん低コア度ネットワークが消失したコミュニティが新規メンバーを獲得できるはずもありません。コミュニティの規模が小さくなることはあっても大きくなることはありません。以降は、コミュニティからメンバーが離脱する度に残ったメンバーのコア度は下がり、それが更なるメンバーの離脱の引き金となります。
かくの如く、Friendsterの崩壊過程を説明できる「一つのアイディア」が提示されました。著者らは今後の予定としてTwitterなどの別形態のコミュニティの分析を表明していますが、まだまだFriendster崩壊すらも十分に分析できているとは思えません。ネットワークのコア度という概念の可能性に引かれてこの論文を読みましたが、門外漢ながら深みに欠ける内容です。更なる分析を切に期待するところです。
さて、多数回に渡った論文読解は以上で終了です。興味がある方は論文に直接挑んでください。本ブログでは論文内容の20%ぐらいにしか触れていませんし、説明のし易さから独自の解釈も含めています。いずれにしても、なんとか終わらせることができましたね。正直ほっとしています。
でわ。
著者らはOSN(Online Social Network)のメンバー間の関係をネットワーク構造でモデル化し、モデル化したネットワークの「弾力性」から、成功したOSNと失敗した(閉鎖された)OSNとの差の説明を試みました。しかし、ネットワークの「弾力性」という概念だけでは、むしろ失敗したOSNののネットワーク構造の方が崩壊しにくいという結果に至りました。何が足りなかったのでしょうか?
OSNの崩壊とは、メンバーの大量離脱とメンバーがそのコミュニティに属し続ける価値の低下とが負の連鎖を引き起こし、メンバー数の激減が続く現象を指します。このような現象は極めて「ダイナミック」な現象です。敢えて「ダイナミック」という表現を使う意味は、コミュニティの崩壊過程は「(何かが)アンバランスな状態が維持され続ける」状態と見なすべき、というニュアンスを含めるためです。何か重要な指標となる量が「バランス」すれば、崩壊は止まる可能性があります。崩壊が続くということは、何か重要な指標となる量が崩壊と共に変化し続け、ついにはコミュニティの完全な崩壊まで「アンバランス」なままが続いたと解釈することができます。
著者らは、閉鎖されたOSNであるFriendsterの崩壊過程の説明を、これまで展開してきたネットワークモデルから試みます。その結果、ネットワークの崩壊とともに変化する臨界コア度(critical coreness)という概念に至ります。臨界コア度とは、メンバーがコミュニティからの離脱をほぼ(モデル上は100%の確率で)決断することになるコア度です。例えば臨界コア度が10の場合、コア度が60のメンバーはコミュニティに残りますが、コア度が9のメンバーはコミュニティを離脱します。そしてこの臨界コア度はコミュニティの崩壊とともに増加します。
ここで注意しなければならないのは、臨界コア度は既に崩壊過程に入ったコミュニティのモデル化にしか役に立たないことです。臨界コア度は崩壊が発生するか否かの判断には使えません。
もう少し臨界コア度の定性的意味合いを考えてみましょう。臨界コア度はコミュニティの崩壊に伴って増加します。つまり、崩壊過程に入ったコミュニティの規模の減少は、コア度の低いメンバーの離脱によるものとみなせるということです。著者らが分析の対象としたしたOSN、Friendsterのネットワークの全体構造は、コア度の高いネットワークの周囲に相対的にコア度の低い複数のネットワークが分布する構造が何層にも繰り返されるというものです。このような全体構造は決して珍しいものではなく、Facebookだろうと同様だと考えて良いでしょう。臨界コア度の増加という考えは、コア度の高いネットワークよりも先にその周囲の相対的にコア度の低いネットワークが消失することを意味しています。そして最後にはコア度が高いネットワークのみが単独で残されます。このようなネットワークはたった一人のメンバーの離脱だけでコア度が一つ下がってしまう構造であり、メンバーの大量一斉離脱に対する「弾力性」は低いと言わざるを得ません。成功しているコミュニティにおいてコア度が高いネットワークがそれなりの「弾力性」を持つのは、その周囲にコア度が1小さいだけの複数のネットワークが存在しているからなのです。このような状態では、コア度の高い中心のネットワークから複数のメンバーが離脱しても、そのネットワークの大部分は周囲のネットワークの一部となることでコア度の低下を1で収めるでしょう。
では臨界コア度はコミュニティ崩壊過程で何故増加するのでしょうか?
実は、これは問いかけが間違っている可能性があります。おそらく、臨界コア度はいったん増加しだすと止められません。では臨界コア度の最小値はどのくらいでしょうか。論文の著者らはFriendsterでは3ではないかと仮定しています。この数値はけっこう小さいですね。ここで前言を撤回し、臨界コア度は安定した成功しているOSNのネットワークにも存在するとしてみましょう。言わんとすることは単純です。臨界コア度が3のOSNは、コア度が3を超えるネットワークを作ることが難しいのではないか、ということです。Friendsterの崩壊の原因にはFacebookの台頭などが原因として考えられていますが、ユーザーインターフェースの変更も原因と考えられています。コア度の増加には、直接の友人とすべきメンバーをメンバーが相互に見つける必要があります。つまり、ユーザーインターフェースの変更がメンバーが新しい友人を見つけにくい方向に作用した場合、そのOSNのメンバーは新しい友人を見つけられずに自分のコア度がなかなか上げられません。新規メンバーに至っては、新しいネットワークの形成はもとより、既存ネットワークへの参加も困難となります。
以上を簡単にまとめます。
- OSNのコミュニティが安定、または拡大するためには、コア度の高いネットワークの周囲に相対的にコア度の低いネットワークが存在する多層構造を形成、維持しなければならない。
- コア度の低い周囲ネットワークの消失によるOSNのコミュニティ規模の減少は、臨界コア度という指標で評価できる可能性がある。
- 臨界コア度でOSNの崩壊が説明できる場合、コミュニティ全体のネットワーク構造の「弾力性」の強弱はOSNの崩壊開始の直接の原因とはならない。
- 臨界コア度は規模が安定、または拡大しているOSNでも考えることができ、これは「ネットワークの形成のし易さ」、コミュニティメンバーの視点からは「直接の友人の見つけやすさ」を反映している。
最後に論文著者らのFriendster崩壊過程の説明を簡単に述べます。下図は、縦軸に"www.friendster.com"のGoogleにおける検索数を、横軸に時間(時期)をプロットしたものです。黒四角(□)が実際の値、赤実線が後述するシミュレート結果です。著者らはFriendsterの実際のメンバー数の時間変化を入手できなかったため、メンバー数がGoogleの検索数に比例すると仮定しています。検索をするということは活動的なメンバーの筈ですから、公式なメンバー数よりも実質的なコミュニティのメンバー数にむしろ対応しているかもしれません。
OSNの実質的な崩壊開始は赤実線の左端、2009年8月ごろです。著者らはFriendsterのスナップショット(ウェブページのキャッシュ)に基づいて、コア度が3以上のコミュニティネットワークを作成し、臨界コア度に基づいてコミュニティ規模の減少過程をシミュレートしました。赤実線がその結果です。シミュレート結果と実際のGoogle検索数の時間変化の一致は良好です。シミュレートでは最初の臨界コア度を3とし、1ヶ月毎に6づつ増やしています。2010年6月ごろ(図中の「15%(10M)」と書かれているあたり)には臨界コア度は67に達し、もはやこのOSNにはコア度が67以下のネットワークは存在しません。そもそも臨界コア度の増加は新規メンバーの参加のし難さを反映したものですから、いったん低コア度ネットワークが消失したコミュニティが新規メンバーを獲得できるはずもありません。コミュニティの規模が小さくなることはあっても大きくなることはありません。以降は、コミュニティからメンバーが離脱する度に残ったメンバーのコア度は下がり、それが更なるメンバーの離脱の引き金となります。
かくの如く、Friendsterの崩壊過程を説明できる「一つのアイディア」が提示されました。著者らは今後の予定としてTwitterなどの別形態のコミュニティの分析を表明していますが、まだまだFriendster崩壊すらも十分に分析できているとは思えません。ネットワークのコア度という概念の可能性に引かれてこの論文を読みましたが、門外漢ながら深みに欠ける内容です。更なる分析を切に期待するところです。
さて、多数回に渡った論文読解は以上で終了です。興味がある方は論文に直接挑んでください。本ブログでは論文内容の20%ぐらいにしか触れていませんし、説明のし易さから独自の解釈も含めています。いずれにしても、なんとか終わらせることができましたね。正直ほっとしています。
でわ。
2013/03/28
ロシア-フィンランド-ウクライナ映画 "9 POTA"
映画 "9 POTA"を英語字幕で観る。
キリル文字なので「9ポタ」と読んではいけませんよ、英語アルファベットに転記すると"9 ROTA"です。タイトルは「第9中隊」といったところでしょう。題材はソ連のアフガニスタン侵攻で、赤軍に志願入隊してアフガニスタンに派遣される新兵を中心にストーリーが展開します。
作りはオーソドックスですが、緊張感を最初から最後まで維持できている点では出来の良い映画です。ソ連のアフガニスタン侵攻を題材とした映画としては「レッド・アフガン(The Beast of War)」(邦題が酷過ぎる)を観たことがありますが、趣は全く違います。
赤軍兵がムジャヒディンのことを「Ghost(幽霊)」と呼んでいる辺りにリアリティを感じます。まさに神出鬼没に見えたのでしょう。ただ、リドリー・スコット監督の「ブラックホークダウン」のソマリア人民兵の描き方と同様に、戦闘時のムジャヒディンの描き方には人間っぽさが感じられません。「幽霊」っぽさを意図した演出の結果なのか、「敵」を人間として描くことを選ばなかった結果なのかは不明です。もしかすると、死を恐れぬムジャヒディンの佇まいは、実際に映画で描かれている通りだったのかも知れません。また、第9中隊にモンゴル系らしい兵士がいたりして、今は無きソ連が民族的にモザイク国家だったことを強く意識させられます。
機会があれば観ておきましょう。
ちなみに「レッド・アフガン」は映画監督の押井守氏が「戦車がカッコ良く撮られている映画」の一つに挙げています。
キリル文字なので「9ポタ」と読んではいけませんよ、英語アルファベットに転記すると"9 ROTA"です。タイトルは「第9中隊」といったところでしょう。題材はソ連のアフガニスタン侵攻で、赤軍に志願入隊してアフガニスタンに派遣される新兵を中心にストーリーが展開します。
作りはオーソドックスですが、緊張感を最初から最後まで維持できている点では出来の良い映画です。ソ連のアフガニスタン侵攻を題材とした映画としては「レッド・アフガン(The Beast of War)」(邦題が酷過ぎる)を観たことがありますが、趣は全く違います。
赤軍兵がムジャヒディンのことを「Ghost(幽霊)」と呼んでいる辺りにリアリティを感じます。まさに神出鬼没に見えたのでしょう。ただ、リドリー・スコット監督の「ブラックホークダウン」のソマリア人民兵の描き方と同様に、戦闘時のムジャヒディンの描き方には人間っぽさが感じられません。「幽霊」っぽさを意図した演出の結果なのか、「敵」を人間として描くことを選ばなかった結果なのかは不明です。もしかすると、死を恐れぬムジャヒディンの佇まいは、実際に映画で描かれている通りだったのかも知れません。また、第9中隊にモンゴル系らしい兵士がいたりして、今は無きソ連が民族的にモザイク国家だったことを強く意識させられます。
機会があれば観ておきましょう。
ちなみに「レッド・アフガン」は映画監督の押井守氏が「戦車がカッコ良く撮られている映画」の一つに挙げています。
"Thatness and Thereness"にボサのリズム
ひょんなことから、Youtubeで「窪田晴男+甲田益也子Thatness and Thereness(坂本龍一)」を見つける。
コメントの中に、「この曲にボサのリズムが新鮮」といった表現を見つけて一瞬驚いてしまった。何故かというと、私が坂本龍一氏の”Thatness and Thereness”を一回聞いただけで好きになってしまった理由が「リズムが極めてボサ的であった」からだ。3拍子とも4拍子とも解釈できるリズム構造は、ノリの突き詰め方によって直ぐにボサ的な様相を呈するんじゃよ、オレ的にはね。そもそもオリジナル曲の坂本氏の歌唱法からして確信犯っぽい。
ちなみにVocaloid用オケとして2年以上いじっている曲に、ドラムンベース風の”Thatness and Thereness”がある。「3拍子の曲を無理やり4拍子にした結果、歌メロがちょっとボサっぽくなった」という辺りが狙いどころなのだが、どうもこだわりが強くて一向にまとめられる気がしない。対して「窪田晴男+甲田益也子Thatness and Thereness」の仕上がりは、「Vocaloidによる歌唱の拙さ」を含めて私の狙っているあたりに極めて近い。聞いてから「しまった」と思うことしきりなのである。
コメントの中に、「この曲にボサのリズムが新鮮」といった表現を見つけて一瞬驚いてしまった。何故かというと、私が坂本龍一氏の”Thatness and Thereness”を一回聞いただけで好きになってしまった理由が「リズムが極めてボサ的であった」からだ。3拍子とも4拍子とも解釈できるリズム構造は、ノリの突き詰め方によって直ぐにボサ的な様相を呈するんじゃよ、オレ的にはね。そもそもオリジナル曲の坂本氏の歌唱法からして確信犯っぽい。
ちなみにVocaloid用オケとして2年以上いじっている曲に、ドラムンベース風の”Thatness and Thereness”がある。「3拍子の曲を無理やり4拍子にした結果、歌メロがちょっとボサっぽくなった」という辺りが狙いどころなのだが、どうもこだわりが強くて一向にまとめられる気がしない。対して「窪田晴男+甲田益也子Thatness and Thereness」の仕上がりは、「Vocaloidによる歌唱の拙さ」を含めて私の狙っているあたりに極めて近い。聞いてから「しまった」と思うことしきりなのである。
2013/03/27
Alice by Pogo
お気に入りなので貼っておくよ。
この曲はディズニーの映画「不思議の国のアリス」のサウンドを用いたリミックス曲です。正確なところは英語読むのが面倒くさいので確認していませんが、Pogo氏は10年間の米国入国禁止措置を受けたとのこと。推定するに著作権がらみでしょうか、本家を激怒させたのなら大したもの。本質的かつ破壊的なものこそ次のスタンダードの必要条件ですよ。
この曲はディズニーの映画「不思議の国のアリス」のサウンドを用いたリミックス曲です。正確なところは英語読むのが面倒くさいので確認していませんが、Pogo氏は10年間の米国入国禁止措置を受けたとのこと。推定するに著作権がらみでしょうか、本家を激怒させたのなら大したもの。本質的かつ破壊的なものこそ次のスタンダードの必要条件ですよ。
wired.jpの記事 「どのようにSNSは死を迎えるか」が面白い(その6)
今回もブレークです。その4のエントリで下記のように書きました。
グラフサーチの運用開始はまだ先の様ですが、「そのメンバーの望む利益が得られる局所的に密なネットワークがあるのだろうか?あってもそれは何処なのか?」というユーザーの問いにダイレクトに答えちゃう機能のように思えます。
その効能や如何に?
新しい局所的にコア度の高いネットワークへの参加は、余程の幸運に恵まれたとしても、それまでの「何倍もの大きさ」の損失を必要とするだろう。そもそも、そのメンバーの望む利益が得られる局所的に密なネットワークがあるのだろうか?あってもそれは何処なのか?そんな状況で、そのメンバーは損失(労力)の大規模な増大を受け入れるだろうか?おそらく答えは否で、そのメンバーもコミュニティから離脱するだろう。そんな事を書かれるのをまるで見透かしていたかの様にwired.jpにニュース「Facebookの進化:グラフサーチ、その革命的検索システムの正体」がupされています。
グラフサーチの運用開始はまだ先の様ですが、「そのメンバーの望む利益が得られる局所的に密なネットワークがあるのだろうか?あってもそれは何処なのか?」というユーザーの問いにダイレクトに答えちゃう機能のように思えます。
その効能や如何に?
2013/03/24
wired.jpの記事 「どのようにSNSは死を迎えるか」が面白い(その5)
さて、独断と偏見に基づく論文(David Garcia, Pavlin Mavrodiev, Frank Schweitzer: "Social Resilience in Online Communities: The Autopsy of Friendster", arXiv:1302.6109v1(2013).)の読解、第4回です。文体がこれまでと違うのはご愛嬌ということで。
前回は、OSN(Online Social Network)の「弾力性」(resilience)という概念、すなわち「メンバーが離脱した際にコミュニティが受けるダメージへの耐性」のお話でした。「弾力性」の高いことが期待できるコミュニティの特性として、下記の二点を挙げました。
① 利得がプラスとなっているメンバーの割合が高いこと
② 大量メンバーの一斉離脱が発生した場合に残ったメンバーのc/b(損失(=労力や手間)/利益)またはKが大きいこと
では、上記の二つの特性について、実際のOSNについて見ていきましょう。下図は5つのOSNについて、ある特性を比較したグラフです。先に断っておくと、このグラフで示されている値をどうやって計算したかについての具体的な手順は論文に記述がありません。従って、このグラフ自体が正しいかどうか、妥当かどうかといった点には本稿では触れません。
まず数字には目をつぶって、横軸と縦軸から説明します。横軸は"ks"ですからコア度(coreness)であることは明らかです。縦軸の"P(ks > K)"はちょっとやっかいなので、まずカッコ内の"ks > K"に着目しましょう。これは、以前に示した下記の式と似ています。
K = (c/b)+1 …(6)式
ksi ≧ K …(7)式
(6)、(7)式は、メンバーが利得を得ている(だろう、筈だ)という仮定の下で得られた関係式であることを思い出して下さい。"i"はメンバーの番号を表しますから、一般形としては(7)式中の"i"は省略可能です。つまり
ks ≧ K …(7)'式
(7)'式の関係を満たせば。コア度ksのメンバーは利得を得られます。ならば、コア度ksが等号(イコール)を含まない"ks > K"の条件を満たすメンバーは必ず利得を得ていることになります。次いで"P()"ですが、これは確率密度関数と呼ばれる関数です。
「はて?なんのことやら」という人が大部分かと思いますが、ここは踏ん張りどころですよ。ここでは、カッコ内の条件を満たす、すなわち利得を得ているメンバーの割合を表しています。
さて、5つのOSNともにグラフの曲線は右下がりです。これは横軸のコア度ksが大きくなるにつれて、利得を得られるメンバーの割合が減っていくことを示しています。ちなみに縦軸の値について触れると、100が100%、10-1が10%、10-2が1%に相当します。
「コア度が高ければ利益も大きいだろう」というのが感覚的にしっくりくる人も多いかと思いますが、それは実のところ「各メンバーの発信情報量が均等」といった特殊なケースでしか成り立ちません。実際にはメンバー毎の発信情報量にはばらつきがあり、更に言えば「情報発信量の多いメンバーは限られており、その数はコア度以下」であるのが実体ということです。グラフ中の曲線が右へ行くほど急激に下がっていくように見えるという特性は、コア度の増加に対して情報発信するメンバーの増加が追いついていないと見なすことも出来そうです。(対数グラフの見方が分かっている人には申し訳ないですが、今回は感覚的な分かりやすさを優先してちょっと不正確な表現も使います。)
現時点でも成功していると見なされているOSNであるFacebook(赤破線)を見てみましょう。曲線は横軸が50程度の辺りから急激に低下し、さらに言えば横軸が100(102)にまで届いていません。曲線の右端の高さは10-4~10-3の間ですから、Facebookでコア度Ksが100のメンバーのうち利得が得られているメンバーの割合は10-3未満、つまり0.1%未満となります。
次いで失敗したOSNであるFriendster(オレンジ実線)を見てみましょう。全てのコア度においてFacebook(赤破線)よりも上にあります。つまり、全てのコア度において、失敗したFriendsterの方が成功しているFacebookよりも利得を得ているメンバーの割合が高いことを示しています。
今「あれ?」と思ったあなた、そう、「① 利得がプラスとなっているメンバーの割合が高いこと」の観点からは明らかにFriendsterの方がFacebookよりも「弾力性が高い」のです!
さらに駄目を押しましょう。グラフには縦軸0.2(20%)の高さに水平の細かい破線が引かれています。この細かい破線より下側のメンバー全員(20%より下なので全メンバー数の80%に相当)が一斉にOSNから離脱したという危機的状況を考えてみましょう。このときの最大のコア度(横軸)は、Facebook(赤破線)で10(101)程度、Friendster(オレンジ実線)で60前後となります。そう、「② 大量メンバーの一斉離脱が発生した場合に残ったメンバーのc/b(損失(=労力や手間)/利益)またはKが大きいこと」という観点からも、Friendsterの方が「弾力性が高い」のです。
え~~~~~~~~~~~~!!!
初めてここまで論文を読んだ時には私も思わず大声を上げてしまいましたよ、しかも職場で、就業時間中に(つまり業務遂行上必要な資料を読んでるふりをしてサボってた…)。
ここに至って論文の著者らは白旗をいったん掲げます。実際、こう書いています。
え~~~~~~~~~~~~!!!
「じゃ、ここまでの小難しい話は全く無駄になるの?」と問われればさも有らず、「『十分ではない』ということですよ」とまずは答えておきましょう。では、どうすれば「十分」となるのか、何が足りないのか?
ここまでの議論は、OSNのネットワークが「ある状態」から「別の状態」に変化した場合の「変化前後の違い」を「変化前に成立している関係」を用いて分析してきました。実は「変化前に成立している関係」を用いるというのが曲者で、「実際のコミュニティネットワークの崩壊過程では、崩壊に伴って様々な関係が変化する」という至極当たり前の視点が欠けていた訳です。
さて、「崩壊に伴って様々な関係が変化する」という視点を持ち込むと、Friendsterの崩壊はどのように説明できるのか?次回完結!…予定。
前回は、OSN(Online Social Network)の「弾力性」(resilience)という概念、すなわち「メンバーが離脱した際にコミュニティが受けるダメージへの耐性」のお話でした。「弾力性」の高いことが期待できるコミュニティの特性として、下記の二点を挙げました。
① 利得がプラスとなっているメンバーの割合が高いこと
② 大量メンバーの一斉離脱が発生した場合に残ったメンバーのc/b(損失(=労力や手間)/利益)またはKが大きいこと
では、上記の二つの特性について、実際のOSNについて見ていきましょう。下図は5つのOSNについて、ある特性を比較したグラフです。先に断っておくと、このグラフで示されている値をどうやって計算したかについての具体的な手順は論文に記述がありません。従って、このグラフ自体が正しいかどうか、妥当かどうかといった点には本稿では触れません。
K = (c/b)+1 …(6)式
ksi ≧ K …(7)式
(6)、(7)式は、メンバーが利得を得ている(だろう、筈だ)という仮定の下で得られた関係式であることを思い出して下さい。"i"はメンバーの番号を表しますから、一般形としては(7)式中の"i"は省略可能です。つまり
ks ≧ K …(7)'式
(7)'式の関係を満たせば。コア度ksのメンバーは利得を得られます。ならば、コア度ksが等号(イコール)を含まない"ks > K"の条件を満たすメンバーは必ず利得を得ていることになります。次いで"P()"ですが、これは確率密度関数と呼ばれる関数です。
「はて?なんのことやら」という人が大部分かと思いますが、ここは踏ん張りどころですよ。ここでは、カッコ内の条件を満たす、すなわち利得を得ているメンバーの割合を表しています。
さて、5つのOSNともにグラフの曲線は右下がりです。これは横軸のコア度ksが大きくなるにつれて、利得を得られるメンバーの割合が減っていくことを示しています。ちなみに縦軸の値について触れると、100が100%、10-1が10%、10-2が1%に相当します。
「コア度が高ければ利益も大きいだろう」というのが感覚的にしっくりくる人も多いかと思いますが、それは実のところ「各メンバーの発信情報量が均等」といった特殊なケースでしか成り立ちません。実際にはメンバー毎の発信情報量にはばらつきがあり、更に言えば「情報発信量の多いメンバーは限られており、その数はコア度以下」であるのが実体ということです。グラフ中の曲線が右へ行くほど急激に下がっていくように見えるという特性は、コア度の増加に対して情報発信するメンバーの増加が追いついていないと見なすことも出来そうです。(対数グラフの見方が分かっている人には申し訳ないですが、今回は感覚的な分かりやすさを優先してちょっと不正確な表現も使います。)
現時点でも成功していると見なされているOSNであるFacebook(赤破線)を見てみましょう。曲線は横軸が50程度の辺りから急激に低下し、さらに言えば横軸が100(102)にまで届いていません。曲線の右端の高さは10-4~10-3の間ですから、Facebookでコア度Ksが100のメンバーのうち利得が得られているメンバーの割合は10-3未満、つまり0.1%未満となります。
次いで失敗したOSNであるFriendster(オレンジ実線)を見てみましょう。全てのコア度においてFacebook(赤破線)よりも上にあります。つまり、全てのコア度において、失敗したFriendsterの方が成功しているFacebookよりも利得を得ているメンバーの割合が高いことを示しています。
今「あれ?」と思ったあなた、そう、「① 利得がプラスとなっているメンバーの割合が高いこと」の観点からは明らかにFriendsterの方がFacebookよりも「弾力性が高い」のです!
さらに駄目を押しましょう。グラフには縦軸0.2(20%)の高さに水平の細かい破線が引かれています。この細かい破線より下側のメンバー全員(20%より下なので全メンバー数の80%に相当)が一斉にOSNから離脱したという危機的状況を考えてみましょう。このときの最大のコア度(横軸)は、Facebook(赤破線)で10(101)程度、Friendster(オレンジ実線)で60前後となります。そう、「② 大量メンバーの一斉離脱が発生した場合に残ったメンバーのc/b(損失(=労力や手間)/利益)またはKが大きいこと」という観点からも、Friendsterの方が「弾力性が高い」のです。
え~~~~~~~~~~~~!!!
初めてここまで論文を読んだ時には私も思わず大声を上げてしまいましたよ、しかも職場で、就業時間中に(つまり業務遂行上必要な資料を読んでるふりをしてサボってた…)。
ここに至って論文の著者らは白旗をいったん掲げます。実際、こう書いています。
This means that the topology of their social network is not enough to explain their collapse...かいつまめば、「『弾力性』という概念に至るここまでの式やモデルは、失敗したOSNの崩壊を説明するに『十分ではない』。」と明確に述べている訳です。
え~~~~~~~~~~~~!!!
「じゃ、ここまでの小難しい話は全く無駄になるの?」と問われればさも有らず、「『十分ではない』ということですよ」とまずは答えておきましょう。では、どうすれば「十分」となるのか、何が足りないのか?
ここまでの議論は、OSNのネットワークが「ある状態」から「別の状態」に変化した場合の「変化前後の違い」を「変化前に成立している関係」を用いて分析してきました。実は「変化前に成立している関係」を用いるというのが曲者で、「実際のコミュニティネットワークの崩壊過程では、崩壊に伴って様々な関係が変化する」という至極当たり前の視点が欠けていた訳です。
さて、「崩壊に伴って様々な関係が変化する」という視点を持ち込むと、Friendsterの崩壊はどのように説明できるのか?次回完結!…予定。
wired.jpの記事 「どのようにSNSは死を迎えるか」が面白い(その4)
さて、独断と偏見に基づく論文(David Garcia, Pavlin Mavrodiev, Frank Schweitzer: "Social Resilience in Online Communities: The Autopsy of Friendster", arXiv:1302.6109v1(2013).)の読解、第3回です。
あるSNSのメンバーがコミュニティに参加し続けるには、何らかの利得がなければならない。参加し続けるためには自らが情報発信したり友人のページを閲覧たりするための「時間」や「手間」といった損失がある。これを c としよう。他方、直接の友人からの情報、すなわち利益を b×Ni とモデル化しよう。ここで bは情報当たりの価値、Ni はi番目のメンバーのSNS内での直接の友人の数である。以上から、利得は b×Ni - c となり、もしこれがマイナスならそのメンバーがコミュニティに参加し続ける意味はない…というのが、前回の最後の話。
さて、コア度がksiのi番目のメンバーの直接の友人数、ネットワークモデルでは腕の数、は幾つだろうか?答えはksi以上である。つまり;
Ni ≧ ksi …(1)式
極端な例を挙げてみよう。とあるメンバーに相当する節点を中心として、放射状に1000本の腕が伸び、当然その腕の先には別のメンバーに相当する節点がある「だけ」のネットワークを考えよう。このネットワークに「腕を1本しか持たない節点を削除する操作」を繰り返すと、最終的に節点は無くなる。つまり、ここで考えた放射状のネットワークはk=1におけるk-コアに過ぎない。中心の接点は1000本の腕を持つにも関わらず、その節点のコア度は他の1000個の接点のコア度と同じ1しかないのだ。
何度も繰り返すが、コミュニティネットワーク内の安定している部分ネットワークの各メンバーの利得はプラスのはずだ。つまり
b×Ni- c > 0 …(2)式
上式を変形すると次式が得られる。
Ni> (c/b) …(3)式
(1)式と(3)式を見比べれば、次式の関係は明らかだ。
Ni≧ ksi > (c/b) …(4)式
ここで、i番目のメンバーのコア度ksiは自然数(1以上の整数)でなければならないが、上式中の(c/b)は正の実数であれば良い。従って(4)式の関係から、利得がプラス(つまり(2)式の関係を満たす)という条件では、次式の関係が成立するはずだ。
ksi ≧ (c/b)+1 …(5)式
あらためて上式の右辺を K と定義する。つまり
K = (c/b)+1 …(6)式
ksi ≧ K …(7)式
最後に「弾力性」(resilience)という概念を導入しよう。これはざっくり言うと「メンバーが離脱した際にコミュニティが受けるダメージへの耐性」であり、別の言い方をすると「メンバー1人ぐらい抜けてもコア度などのコミュニティの特性が変わらない」ネットワーク構造を持つ方が「弾力性が高い」だろうということだ。
もう少し具体的に状況をイメージしてみよう。まずメンバーの数が時間的に変化していないコミュニティがあるとする。これは構成メンバーが変わらないという意味ではなくて、参加する人と離脱する人の数が一致している理想的な状態が維持され続けていると考えよう。参加したばかりの人はまだ直接の友達が少なくて利得がまだマイナスかもしれない。離脱する人は利得がマイナスになったか、参加はしたものの利得がついにプラスに出来ずに脱落していったのかもしれない。逆に、離脱しない人の利得はおそらくプラスであるはずだ。つまり、ここで考えているコミュニティでは、全てのメンバーの利得がプラスという訳ではない。
このようなコミュニティを考えたとき、「弾力性」の高いコミュニティの備えるべき第一の特徴は「利得がプラスとなっているメンバーの割合が高いこと」と言える。そもそもコミュニティの崩壊とは、メンバーの離脱が他のメンバーの利得低下を引き起こして新たなるメンバー離脱を引き起こすという負の連鎖の結果、コミュニティ規模が短時間で縮小する現象を具体的には指している。利得がプラスのメンバーの割合が高いということは、離脱の可能性が高い利得がマイナスのメンバーの割合が少ないということであり、コミュニティ崩壊の引き金となり得る「大量メンバーの一斉離脱」が発生しにくいと言って良いだろう。
次いで、仮に「大量メンバーの一斉離脱」が発生した場合に、真っ先に利得がマイナスに転じる可能性が高いメンバーの特徴とはどのようなものだろうか。これについては結果の先取りで多少恣意的ではあるが、「これまで小さい損失で相対的に大きな利益を得てきた((c/b)が小さかった)」という点が挙げられよう。
そもそも損失cが大きくないので、このようなメンバーの利益bもコミュニティ全体内では相対的に小さいはずだ。小さいが損失に対しては見合う利益が得られているということは、その利益はコミュニティネットワークの一部かつ局所的にコア度の高いネットワークから得られているとほぼ考えて良い。従って「大量メンバーの一斉離脱」がそのメンバーを含む局所的にコア度の高いネットワーク内で発生した場合、そのメンバーは瞬時に大部分の利益を失ってしまうことになる。逆に、「大量メンバーの一斉離脱」がそのメンバーの属さない局所的にコア度の高いネットワークでのみ発生した場合、そのメンバーの利益は少なくとも短期的には影響を受けない。つまり、「これまで小さい損失で相対的に大きな利益を得てきた」メンバーは、「大量メンバーの一斉離脱」に対して利益が一気に失われるか、全く影響を受けないかの何れかとなる。
利益を一気に失ったメンバーはどう振る舞うだろうか?
新しい局所的にコア度の高いネットワークへの参加は、余程の幸運に恵まれたとしても、それまでの「何倍もの大きさ」の損失を必要とするだろう。そもそも、そのメンバーの望む利益が得られる局所的に密なネットワークがあるのだろうか?あってもそれは何処なのか?そんな状況で、そのメンバーは損失(労力)の大規模な増大を受け入れるだろうか?おそらく答えは否で、そのメンバーもコミュニティから離脱するだろう。他方、損失が大きくとも(労力をかけても)それに見合う利益を得られてきたメンバー(cもbも大きい)は、一時的に多少の利益の減少があってもメンバーであり続けようとするだろう。さらに、それまでと同等の利益を得るためだと割り切れば損失の多少の増大には目をつぶるだろう。それまで彼らは大きい損失を許容してきたのだ、数パーセントの損失増加は許容してしまうだろう。
上記ように、「弾力性」の高いコミュニティの備えるべき第二の特徴は「大量メンバーの一斉離脱が発生した後でも、残ったメンバーのc/bまたはK((6)式)が大きいこと」と言える。
ここに至ってやっと道具立てが終わった。では、実際のOSN(Online Social Network)のデータを実際に分析しよう。論文で分析対象としたOSNの一覧が下表だ。
名前(name)はOSNの名称である。状態(status)は「成功」(successful)、「衰退傾向」(in decline)、「失敗(失敗した)」(failed)の三つに分類されている。メンバー数(users)およびリンク数(links)中の「K」は1,000(キロ)、「M」は1,000,000(メガ、またはミリオン)をそれぞれ表している。注目すべきはFriendsterで、117MというFacebookの40倍近いメンバー数を一時的とは言え抱えながら、現在はサービスが終了している失敗したOSNなのだ。
さて、失敗したOSNのネットワークは、本当に「弾力性」の低い、脆弱なものだったのだろうか?衝撃の次回をお楽しみに。
あるSNSのメンバーがコミュニティに参加し続けるには、何らかの利得がなければならない。参加し続けるためには自らが情報発信したり友人のページを閲覧たりするための「時間」や「手間」といった損失がある。これを c としよう。他方、直接の友人からの情報、すなわち利益を b×Ni とモデル化しよう。ここで bは情報当たりの価値、Ni はi番目のメンバーのSNS内での直接の友人の数である。以上から、利得は b×Ni - c となり、もしこれがマイナスならそのメンバーがコミュニティに参加し続ける意味はない…というのが、前回の最後の話。
さて、コア度がksiのi番目のメンバーの直接の友人数、ネットワークモデルでは腕の数、は幾つだろうか?答えはksi以上である。つまり;
Ni ≧ ksi …(1)式
極端な例を挙げてみよう。とあるメンバーに相当する節点を中心として、放射状に1000本の腕が伸び、当然その腕の先には別のメンバーに相当する節点がある「だけ」のネットワークを考えよう。このネットワークに「腕を1本しか持たない節点を削除する操作」を繰り返すと、最終的に節点は無くなる。つまり、ここで考えた放射状のネットワークはk=1におけるk-コアに過ぎない。中心の接点は1000本の腕を持つにも関わらず、その節点のコア度は他の1000個の接点のコア度と同じ1しかないのだ。
何度も繰り返すが、コミュニティネットワーク内の安定している部分ネットワークの各メンバーの利得はプラスのはずだ。つまり
b×Ni- c > 0 …(2)式
上式を変形すると次式が得られる。
Ni> (c/b) …(3)式
(1)式と(3)式を見比べれば、次式の関係は明らかだ。
Ni≧ ksi > (c/b) …(4)式
ここで、i番目のメンバーのコア度ksiは自然数(1以上の整数)でなければならないが、上式中の(c/b)は正の実数であれば良い。従って(4)式の関係から、利得がプラス(つまり(2)式の関係を満たす)という条件では、次式の関係が成立するはずだ。
ksi ≧ (c/b)+1 …(5)式
あらためて上式の右辺を K と定義する。つまり
K = (c/b)+1 …(6)式
ksi ≧ K …(7)式
最後に「弾力性」(resilience)という概念を導入しよう。これはざっくり言うと「メンバーが離脱した際にコミュニティが受けるダメージへの耐性」であり、別の言い方をすると「メンバー1人ぐらい抜けてもコア度などのコミュニティの特性が変わらない」ネットワーク構造を持つ方が「弾力性が高い」だろうということだ。
もう少し具体的に状況をイメージしてみよう。まずメンバーの数が時間的に変化していないコミュニティがあるとする。これは構成メンバーが変わらないという意味ではなくて、参加する人と離脱する人の数が一致している理想的な状態が維持され続けていると考えよう。参加したばかりの人はまだ直接の友達が少なくて利得がまだマイナスかもしれない。離脱する人は利得がマイナスになったか、参加はしたものの利得がついにプラスに出来ずに脱落していったのかもしれない。逆に、離脱しない人の利得はおそらくプラスであるはずだ。つまり、ここで考えているコミュニティでは、全てのメンバーの利得がプラスという訳ではない。
このようなコミュニティを考えたとき、「弾力性」の高いコミュニティの備えるべき第一の特徴は「利得がプラスとなっているメンバーの割合が高いこと」と言える。そもそもコミュニティの崩壊とは、メンバーの離脱が他のメンバーの利得低下を引き起こして新たなるメンバー離脱を引き起こすという負の連鎖の結果、コミュニティ規模が短時間で縮小する現象を具体的には指している。利得がプラスのメンバーの割合が高いということは、離脱の可能性が高い利得がマイナスのメンバーの割合が少ないということであり、コミュニティ崩壊の引き金となり得る「大量メンバーの一斉離脱」が発生しにくいと言って良いだろう。
次いで、仮に「大量メンバーの一斉離脱」が発生した場合に、真っ先に利得がマイナスに転じる可能性が高いメンバーの特徴とはどのようなものだろうか。これについては結果の先取りで多少恣意的ではあるが、「これまで小さい損失で相対的に大きな利益を得てきた((c/b)が小さかった)」という点が挙げられよう。
そもそも損失cが大きくないので、このようなメンバーの利益bもコミュニティ全体内では相対的に小さいはずだ。小さいが損失に対しては見合う利益が得られているということは、その利益はコミュニティネットワークの一部かつ局所的にコア度の高いネットワークから得られているとほぼ考えて良い。従って「大量メンバーの一斉離脱」がそのメンバーを含む局所的にコア度の高いネットワーク内で発生した場合、そのメンバーは瞬時に大部分の利益を失ってしまうことになる。逆に、「大量メンバーの一斉離脱」がそのメンバーの属さない局所的にコア度の高いネットワークでのみ発生した場合、そのメンバーの利益は少なくとも短期的には影響を受けない。つまり、「これまで小さい損失で相対的に大きな利益を得てきた」メンバーは、「大量メンバーの一斉離脱」に対して利益が一気に失われるか、全く影響を受けないかの何れかとなる。
利益を一気に失ったメンバーはどう振る舞うだろうか?
新しい局所的にコア度の高いネットワークへの参加は、余程の幸運に恵まれたとしても、それまでの「何倍もの大きさ」の損失を必要とするだろう。そもそも、そのメンバーの望む利益が得られる局所的に密なネットワークがあるのだろうか?あってもそれは何処なのか?そんな状況で、そのメンバーは損失(労力)の大規模な増大を受け入れるだろうか?おそらく答えは否で、そのメンバーもコミュニティから離脱するだろう。他方、損失が大きくとも(労力をかけても)それに見合う利益を得られてきたメンバー(cもbも大きい)は、一時的に多少の利益の減少があってもメンバーであり続けようとするだろう。さらに、それまでと同等の利益を得るためだと割り切れば損失の多少の増大には目をつぶるだろう。それまで彼らは大きい損失を許容してきたのだ、数パーセントの損失増加は許容してしまうだろう。
上記ように、「弾力性」の高いコミュニティの備えるべき第二の特徴は「大量メンバーの一斉離脱が発生した後でも、残ったメンバーのc/bまたはK((6)式)が大きいこと」と言える。
ここに至ってやっと道具立てが終わった。では、実際のOSN(Online Social Network)のデータを実際に分析しよう。論文で分析対象としたOSNの一覧が下表だ。
名前(name)はOSNの名称である。状態(status)は「成功」(successful)、「衰退傾向」(in decline)、「失敗(失敗した)」(failed)の三つに分類されている。メンバー数(users)およびリンク数(links)中の「K」は1,000(キロ)、「M」は1,000,000(メガ、またはミリオン)をそれぞれ表している。注目すべきはFriendsterで、117MというFacebookの40倍近いメンバー数を一時的とは言え抱えながら、現在はサービスが終了している失敗したOSNなのだ。
さて、失敗したOSNのネットワークは、本当に「弾力性」の低い、脆弱なものだったのだろうか?衝撃の次回をお楽しみに。
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