2013/03/28

ロシア-フィンランド-ウクライナ映画 "9 POTA"

 映画 "9 POTA"を英語字幕で観る。

 キリル文字なので「9ポタ」と読んではいけませんよ、英語アルファベットに転記すると"9 ROTA"です。タイトルは「第9中隊」といったところでしょう。題材はソ連のアフガニスタン侵攻で、赤軍に志願入隊してアフガニスタンに派遣される新兵を中心にストーリーが展開します。

 作りはオーソドックスですが、緊張感を最初から最後まで維持できている点では出来の良い映画です。ソ連のアフガニスタン侵攻を題材とした映画としては「レッド・アフガン(The Beast of War)」(邦題が酷過ぎる)を観たことがありますが、趣は全く違います。

 赤軍兵がムジャヒディンのことを「Ghost(幽霊)」と呼んでいる辺りにリアリティを感じます。まさに神出鬼没に見えたのでしょう。ただ、リドリー・スコット監督の「ブラックホークダウン」のソマリア人民兵の描き方と同様に、戦闘時のムジャヒディンの描き方には人間っぽさが感じられません。「幽霊」っぽさを意図した演出の結果なのか、「敵」を人間として描くことを選ばなかった結果なのかは不明です。もしかすると、死を恐れぬムジャヒディンの佇まいは、実際に映画で描かれている通りだったのかも知れません。また、第9中隊にモンゴル系らしい兵士がいたりして、今は無きソ連が民族的にモザイク国家だったことを強く意識させられます。

 機会があれば観ておきましょう。


 ちなみに「レッド・アフガン」は映画監督の押井守氏が「戦車がカッコ良く撮られている映画」の一つに挙げています。

"Thatness and Thereness"にボサのリズム

 ひょんなことから、Youtubeで「窪田晴男+甲田益也子Thatness and Thereness(坂本龍一)」を見つける。

 コメントの中に、「この曲にボサのリズムが新鮮」といった表現を見つけて一瞬驚いてしまった。何故かというと、私が坂本龍一氏の”Thatness and Thereness”を一回聞いただけで好きになってしまった理由が「リズムが極めてボサ的であった」からだ。3拍子とも4拍子とも解釈できるリズム構造は、ノリの突き詰め方によって直ぐにボサ的な様相を呈するんじゃよ、オレ的にはね。そもそもオリジナル曲の坂本氏の歌唱法からして確信犯っぽい。 
 ちなみにVocaloid用オケとして2年以上いじっている曲に、ドラムンベース風の”Thatness and Thereness”がある。「3拍子の曲を無理やり4拍子にした結果、歌メロがちょっとボサっぽくなった」という辺りが狙いどころなのだが、どうもこだわりが強くて一向にまとめられる気がしない。対して「窪田晴男+甲田益也子Thatness and Thereness」の仕上がりは、「Vocaloidによる歌唱の拙さ」を含めて私の狙っているあたりに極めて近い。聞いてから「しまった」と思うことしきりなのである。

2013/03/27

Alice by Pogo

 お気に入りなので貼っておくよ。

 この曲はディズニーの映画「不思議の国のアリス」のサウンドを用いたリミックス曲です。正確なところは英語読むのが面倒くさいので確認していませんが、Pogo氏は10年間の米国入国禁止措置を受けたとのこと。推定するに著作権がらみでしょうか、本家を激怒させたのなら大したもの。本質的かつ破壊的なものこそ次のスタンダードの必要条件ですよ。


wired.jpの記事 「どのようにSNSは死を迎えるか」が面白い(その6)

 今回もブレークです。その4のエントリで下記のように書きました。
新しい局所的にコア度の高いネットワークへの参加は、余程の幸運に恵まれたとしても、それまでの「何倍もの大きさ」の損失を必要とするだろう。そもそも、そのメンバーの望む利益が得られる局所的に密なネットワークがあるのだろうか?あってもそれは何処なのか?そんな状況で、そのメンバーは損失(労力)の大規模な増大を受け入れるだろうか?おそらく答えは否で、そのメンバーもコミュニティから離脱するだろう。
そんな事を書かれるのをまるで見透かしていたかの様にwired.jpにニュース「Facebookの進化:グラフサーチ、その革命的検索システムの正体」がupされています。

 グラフサーチの運用開始はまだ先の様ですが、「そのメンバーの望む利益が得られる局所的に密なネットワークがあるのだろうか?あってもそれは何処なのか?」というユーザーの問いにダイレクトに答えちゃう機能のように思えます。

 その効能や如何に?

2013/03/24

wired.jpの記事 「どのようにSNSは死を迎えるか」が面白い(その5)

 さて、独断と偏見に基づく論文(David Garcia, Pavlin Mavrodiev, Frank Schweitzer: "Social Resilience in Online Communities: The Autopsy of Friendster", arXiv:1302.6109v1(2013).)の読解、第4回です。文体がこれまでと違うのはご愛嬌ということで。

 前回は、OSN(Online Social Network)の「弾力性」(resilience)という概念、すなわち「メンバーが離脱した際にコミュニティが受けるダメージへの耐性」のお話でした。「弾力性」の高いことが期待できるコミュニティの特性として、下記の二点を挙げました。

 ① 利得がプラスとなっているメンバーの割合が高いこと
 ② 大量メンバーの一斉離脱が発生した場合に残ったメンバーのc/b(損失(=労力や手間)/利益)またはKが大きいこと

 では、上記の二つの特性について、実際のOSNについて見ていきましょう。下図は5つのOSNについて、ある特性を比較したグラフです。先に断っておくと、このグラフで示されている値をどうやって計算したかについての具体的な手順は論文に記述がありません。従って、このグラフ自体が正しいかどうか、妥当かどうかといった点には本稿では触れません。
  まず数字には目をつぶって、横軸と縦軸から説明します。横軸は"ks"ですからコア度(coreness)であることは明らかです。縦軸の"P(ks > K)"はちょっとやっかいなので、まずカッコ内の"ks > K"に着目しましょう。これは、以前に示した下記の式と似ています。

 K = (c/b)+1 …(6)式

 ksi ≧ K …(7)式

(6)、(7)式は、メンバーが利得を得ている(だろう、筈だ)という仮定の下で得られた関係式であることを思い出して下さい。"i"はメンバーの番号を表しますから、一般形としては(7)式中の"i"は省略可能です。つまり

 ks ≧ K …(7)'式

(7)'式の関係を満たせば。コア度ksのメンバーは利得を得られます。ならば、コア度ksが等号(イコール)を含まない"ks > K"の条件を満たすメンバーは必ず利得を得ていることになります。次いで"P()"ですが、これは確率密度関数と呼ばれる関数です。

 「はて?なんのことやら」という人が大部分かと思いますが、ここは踏ん張りどころですよ。ここでは、カッコ内の条件を満たす、すなわち利得を得ているメンバーの割合を表しています。

 さて、5つのOSNともにグラフの曲線は右下がりです。これは横軸のコア度ksが大きくなるにつれて、利得を得られるメンバーの割合が減っていくことを示しています。ちなみに縦軸の値について触れると、100が100%、10-1が10%、10-2が1%に相当します。

 「コア度が高ければ利益も大きいだろう」というのが感覚的にしっくりくる人も多いかと思いますが、それは実のところ「各メンバーの発信情報量が均等」といった特殊なケースでしか成り立ちません。実際にはメンバー毎の発信情報量にはばらつきがあり、更に言えば「情報発信量の多いメンバーは限られており、その数はコア度以下」であるのが実体ということです。グラフ中の曲線が右へ行くほど急激に下がっていくように見えるという特性は、コア度の増加に対して情報発信するメンバーの増加が追いついていないと見なすことも出来そうです。(対数グラフの見方が分かっている人には申し訳ないですが、今回は感覚的な分かりやすさを優先してちょっと不正確な表現も使います。)

 現時点でも成功していると見なされているOSNであるFacebook(赤破線)を見てみましょう。曲線は横軸が50程度の辺りから急激に低下し、さらに言えば横軸が100(102)にまで届いていません。曲線の右端の高さは10-4~10-3の間ですから、Facebookでコア度Ksが100のメンバーのうち利得が得られているメンバーの割合は10-3未満、つまり0.1%未満となります。

 次いで失敗したOSNであるFriendster(オレンジ実線)を見てみましょう。全てのコア度においてFacebook(赤破線)よりも上にあります。つまり、全てのコア度において、失敗したFriendsterの方が成功しているFacebookよりも利得を得ているメンバーの割合が高いことを示しています。

 今「あれ?」と思ったあなた、そう、「① 利得がプラスとなっているメンバーの割合が高いこと」の観点からは明らかにFriendsterの方がFacebookよりも「弾力性が高い」のです!

 さらに駄目を押しましょう。グラフには縦軸0.2(20%)の高さに水平の細かい破線が引かれています。この細かい破線より下側のメンバー全員(20%より下なので全メンバー数の80%に相当)が一斉にOSNから離脱したという危機的状況を考えてみましょう。このときの最大のコア度(横軸)は、Facebook(赤破線)で10(101)程度、Friendster(オレンジ実線)で60前後となります。そう、「② 大量メンバーの一斉離脱が発生した場合に残ったメンバーのc/b(損失(=労力や手間)/利益)またはKが大きいこと」という観点からも、Friendsterの方が「弾力性が高い」のです。

 え~~~~~~~~~~~~!!!

 初めてここまで論文を読んだ時には私も思わず大声を上げてしまいましたよ、しかも職場で、就業時間中に(つまり業務遂行上必要な資料を読んでるふりをしてサボってた…)。

 ここに至って論文の著者らは白旗をいったん掲げます。実際、こう書いています。
This means that the topology of their social network is not enough to explain their collapse...
かいつまめば、「『弾力性』という概念に至るここまでの式やモデルは、失敗したOSNの崩壊を説明するに『十分ではない』。」と明確に述べている訳です。

 え~~~~~~~~~~~~!!!

 「じゃ、ここまでの小難しい話は全く無駄になるの?」と問われればさも有らず、「『十分ではない』ということですよ」とまずは答えておきましょう。では、どうすれば「十分」となるのか、何が足りないのか?

 ここまでの議論は、OSNのネットワークが「ある状態」から「別の状態」に変化した場合の「変化前後の違い」を「変化前に成立している関係」を用いて分析してきました。実は「変化前に成立している関係」を用いるというのが曲者で、「実際のコミュニティネットワークの崩壊過程では、崩壊に伴って様々な関係が変化する」という至極当たり前の視点が欠けていた訳です。

 さて、「崩壊に伴って様々な関係が変化する」という視点を持ち込むと、Friendsterの崩壊はどのように説明できるのか?次回完結!…予定。

wired.jpの記事 「どのようにSNSは死を迎えるか」が面白い(その4)

 さて、独断と偏見に基づく論文(David Garcia, Pavlin Mavrodiev, Frank Schweitzer: "Social Resilience in Online Communities: The Autopsy of Friendster", arXiv:1302.6109v1(2013).)の読解、第3回です。

 あるSNSのメンバーがコミュニティに参加し続けるには、何らかの利得がなければならない。参加し続けるためには自らが情報発信したり友人のページを閲覧たりするための「時間」や「手間」といった損失がある。これを c としよう。他方、直接の友人からの情報、すなわち利益を b×Ni とモデル化しよう。ここで bは情報当たりの価値、Ni はi番目のメンバーのSNS内での直接の友人の数である。以上から、利得は b×Ni - c となり、もしこれがマイナスならそのメンバーがコミュニティに参加し続ける意味はない…というのが、前回の最後の話。

 さて、コア度がksiのi番目のメンバーの直接の友人数、ネットワークモデルでは腕の数、は幾つだろうか?答えはksi以上である。つまり;

 Ni ≧ ksi …(1)式

 極端な例を挙げてみよう。とあるメンバーに相当する節点を中心として、放射状に1000本の腕が伸び、当然その腕の先には別のメンバーに相当する節点がある「だけ」のネットワークを考えよう。このネットワークに「腕を1本しか持たない節点を削除する操作」を繰り返すと、最終的に節点は無くなる。つまり、ここで考えた放射状のネットワークはk=1におけるk-コアに過ぎない。中心の接点は1000本の腕を持つにも関わらず、その節点のコア度は他の1000個の接点のコア度と同じ1しかないのだ。

 何度も繰り返すが、コミュニティネットワーク内の安定している部分ネットワークの各メンバーの利得はプラスのはずだ。つまり

 b×Ni- c > 0 …(2)式

上式を変形すると次式が得られる。

 Ni> (c/b) …(3)式

(1)式と(3)式を見比べれば、次式の関係は明らかだ。

 Ni≧ ksi  > (c/b) …(4)式

ここで、i番目のメンバーのコア度ksiは自然数(1以上の整数)でなければならないが、上式中の(c/b)は正の実数であれば良い。従って(4)式の関係から、利得がプラス(つまり(2)式の関係を満たす)という条件では、次式の関係が成立するはずだ。

 ksi ≧ (c/b)+1 …(5)式

あらためて上式の右辺を K と定義する。つまり

 K = (c/b)+1 …(6)式

 ksi ≧ K …(7)式

 最後に「弾力性」(resilience)という概念を導入しよう。これはざっくり言うと「メンバーが離脱した際にコミュニティが受けるダメージへの耐性」であり、別の言い方をすると「メンバー1人ぐらい抜けてもコア度などのコミュニティの特性が変わらない」ネットワーク構造を持つ方が「弾力性が高い」だろうということだ。

 もう少し具体的に状況をイメージしてみよう。まずメンバーの数が時間的に変化していないコミュニティがあるとする。これは構成メンバーが変わらないという意味ではなくて、参加する人と離脱する人の数が一致している理想的な状態が維持され続けていると考えよう。参加したばかりの人はまだ直接の友達が少なくて利得がまだマイナスかもしれない。離脱する人は利得がマイナスになったか、参加はしたものの利得がついにプラスに出来ずに脱落していったのかもしれない。逆に、離脱しない人の利得はおそらくプラスであるはずだ。つまり、ここで考えているコミュニティでは、全てのメンバーの利得がプラスという訳ではない。

 このようなコミュニティを考えたとき、「弾力性」の高いコミュニティの備えるべき第一の特徴は「利得がプラスとなっているメンバーの割合が高いこと」と言える。そもそもコミュニティの崩壊とは、メンバーの離脱が他のメンバーの利得低下を引き起こして新たなるメンバー離脱を引き起こすという負の連鎖の結果、コミュニティ規模が短時間で縮小する現象を具体的には指している。利得がプラスのメンバーの割合が高いということは、離脱の可能性が高い利得がマイナスのメンバーの割合が少ないということであり、コミュニティ崩壊の引き金となり得る「大量メンバーの一斉離脱」が発生しにくいと言って良いだろう。

 次いで、仮に「大量メンバーの一斉離脱」が発生した場合に、真っ先に利得がマイナスに転じる可能性が高いメンバーの特徴とはどのようなものだろうか。これについては結果の先取りで多少恣意的ではあるが、「これまで小さい損失で相対的に大きな利益を得てきた((c/b)が小さかった)」という点が挙げられよう。

 そもそも損失cが大きくないので、このようなメンバーの利益bもコミュニティ全体内では相対的に小さいはずだ。小さいが損失に対しては見合う利益が得られているということは、その利益はコミュニティネットワークの一部かつ局所的にコア度の高いネットワークから得られているとほぼ考えて良い。従って「大量メンバーの一斉離脱」がそのメンバーを含む局所的にコア度の高いネットワーク内で発生した場合、そのメンバーは瞬時に大部分の利益を失ってしまうことになる。逆に、「大量メンバーの一斉離脱」がそのメンバーの属さない局所的にコア度の高いネットワークでのみ発生した場合、そのメンバーの利益は少なくとも短期的には影響を受けない。つまり、「これまで小さい損失で相対的に大きな利益を得てきた」メンバーは、「大量メンバーの一斉離脱」に対して利益が一気に失われるか、全く影響を受けないかの何れかとなる。

 利益を一気に失ったメンバーはどう振る舞うだろうか?

 新しい局所的にコア度の高いネットワークへの参加は、余程の幸運に恵まれたとしても、それまでの「何倍もの大きさ」の損失を必要とするだろう。そもそも、そのメンバーの望む利益が得られる局所的に密なネットワークがあるのだろうか?あってもそれは何処なのか?そんな状況で、そのメンバーは損失(労力)の大規模な増大を受け入れるだろうか?おそらく答えは否で、そのメンバーもコミュニティから離脱するだろう。他方、損失が大きくとも(労力をかけても)それに見合う利益を得られてきたメンバー(cもbも大きい)は、一時的に多少の利益の減少があってもメンバーであり続けようとするだろう。さらに、それまでと同等の利益を得るためだと割り切れば損失の多少の増大には目をつぶるだろう。それまで彼らは大きい損失を許容してきたのだ、数パーセントの損失増加は許容してしまうだろう。

 上記ように、「弾力性」の高いコミュニティの備えるべき第二の特徴は「大量メンバーの一斉離脱が発生した後でも、残ったメンバーのc/bまたはK((6)式)が大きいこと」と言える。

 ここに至ってやっと道具立てが終わった。では、実際のOSN(Online Social Network)のデータを実際に分析しよう。論文で分析対象としたOSNの一覧が下表だ。
 
 名前(name)はOSNの名称である。状態(status)は「成功」(successful)、「衰退傾向」(in decline)、「失敗(失敗した)」(failed)の三つに分類されている。メンバー数(users)およびリンク数(links)中の「K」は1,000(キロ)、「M」は1,000,000(メガ、またはミリオン)をそれぞれ表している。注目すべきはFriendsterで、117MというFacebookの40倍近いメンバー数を一時的とは言え抱えながら、現在はサービスが終了している失敗したOSNなのだ。

 さて、失敗したOSNのネットワークは、本当に「弾力性」の低い、脆弱なものだったのだろうか?衝撃の次回をお楽しみに。

2013/03/20

近況。

 近況です。

 年度末進行で仕事がエラいことになっているところに、名のある先生の研究室の学生がエラく困った内容のペーパーを国際会議にサブミット、とばっちりでこっちまでさらにエラいことになってます。引用文献ぐらいちゃんと全部書け!他人の論文のグラフに間違いがないか位は自分で確認しろ(電卓と時間が10分もあれば横軸の数値が間違ってることは定量的に確認できる、専門家なら縦軸か横軸の少なくとも一方がおかしいことは一目で分かる)!!査読者は何やってんだ!!!

 ま、結論はオレの考えと同じではあるのだが、ものには言い方というものがあるし、学究の場にだってそれなりに仁義の切り方というものもある。

 もはや何周遅れか?「水曜どうでしょう」の未見エピソードを友人の協力あって視聴中。面白いのだが、観て笑っているだけというのは休日の過ごし方としても余りに非生産的。とは言え、未だ投薬で気分を持ちあげている状態では、豪快に疲れる3DCGモデリングは無理。今後もしばらくは封印。

 1年ほどちまちま一から組んでいた"Bizarre Love Triangle/New Order"のオケが80%ぐらいの完成度、取り合えずVocaloid Editorを立ち上げてみよう。

2013/03/11

BSG: B&CのバイパーはMk.IIBということらしい

"Battlestar Galactica Blood & Chrome"に登場したViperはMk.IIIらしいと以前書きましたが、本当はMk.IIBらしいということが判明。なにせデザインした本人がそう書いてるんだからねぇ。

2013/03/10

成程、船戸与一「夢は荒れ地を」は力作、傑作

 これまで最後に読んだ船戸与一氏の小説は「蝦夷地別件」だった。初版で読んだので、もはや15年以上前になる。本当は「満州国演義」を買うつもりだったのだが、あいにく近所の大型書店に在庫すらなく、船戸与一リハビリのつもりで昨年12月に手に取ったのが「夢は荒れ地を」だった。

 船戸与一氏の小説タイトルは、内容が想像できる割とストレートな場合と漠然とし過ぎて内容がさっぱり読めない場合がある。「夢は荒れ地を」は後者だろう。と言うこともあって、読み始めたのは買ってから3ヶ月ほど経った今朝になった。文庫で約800ページ、比較的大著かとも思うがほぼ3時間半で読了、文句なく力作、傑作。

 船戸与一氏の作品との出合いはもうかれこれ25年前、「猛き箱舟」になる。当時は3冊ぐらいの小説を常に平行して読んでいたのだが、同時に読んでいたのが村上龍氏の「愛と幻想のファシズム」、小林久三氏の「皇帝のいない八月」だったことをはっきり覚えている。「5日ほどのめったにない濃密な読書体験」の記憶の中でも「猛き箱舟」の輝きは褪せない。

 しまった!「マギの聖骨」、「ナチの亡霊」、「ユダの覚醒」、「宙の地図」なんてつまらん作品を読んでる場合じゃなかった!

2013/03/09

GyaoでTVシリーズ「うる星やつら」の第一話を観る

 タイトルの通りです。映画監督になる遥か前の押井守氏がチーフディレクターを務めた作品ですね。

 デジタルリマスター版とかいう話なので、第一話に関しては「乳首」が残されているかを気にしつつ視聴しました。はい、残ってました。

 TVシリーズ初期の「うる星やつら」と言えば、OPとED、小林泉美氏の曲と南家講二氏のアニメとのコラボの半端ない素晴らしさが光ります。タイトルロゴの後にまずピンク色を持ってくる南家氏のセンスには今観てもシビレます。キャラ達の動きも小林氏の曲のリズムを上手く活かしていて、相乗効果の良い見本じゃないかと思いますよ、ええ。

 小林氏の曲はリズムにクセがあるものが多く(時に変態的)、ビートはジャストを基本をしつつも「やっぱちょっと跳ねてないかい?」といった感じを曲全体で出すのが上手い印象があります。作曲家として、キーボディストとして、そしてシンガーとして、間違いなく私の中のエバーグリーンの一人。小林氏はキティフィルム繋がりで鶴見辰吾氏主演の映画「翔んだカップル」の音楽も担当、サントラ盤は良質のインストテクノポップアルバムの感すらあります。

 まぁ、ザラつき感も無いけど芯も無い「如何にもフェアライトCMIって音が好き」っていうのもあるんですが。敢えて名づけるなら「8ビットチップチューン」(ファミコンは実は4ビットだったらしいが)ならぬ「擬似16ビットチップチューン」(モトローラ6800/8ビットCPU×2台)みたいな。

 「翔んだカップル」と「フェアライトCMI」、どっちも分かる人って今の日本にどれくらいいるのかなぁ(笑)

2013/03/08

wired.jpの記事 「どのようにSNSは死を迎えるか」が面白い(その3)

 今回はブレークとして、自分にとってのインターネットコミュニティにおける損失と利益について思うところを書いておく。

 まず本ブログ。読んでくれる人が居るだけで幸せ、ということで利益は全く期待していない。よって、かけるコスト(=損失)は最小限、友達リストなんて使う気もない。表示オプションの変更操作(=損失)も億くうなぐらいで、遠方の友人からのツッコミメールが季節毎に1つでもあれば十分に報われる。コメント機能もスパム対応(=損失)が面倒臭いので使っていない。

 3DCGコミュニティで実質的にアクティブと言えるのはFoundation3Dだけだ。

 Foundation3Dへの参加において最も大きなコスト(=損失)は英語を読み書きする必要があることだ。何気に英語を読み書きしているように見えるかも知れないが、実際は今でも辞書片手に四苦八苦している。今はほとんど無くなったが、以前はスラングの解釈ミスが元でコミュニケーションがぎくしゃくした事もある。とにかく続けること、6年も踏ん張れば経験値は上がるものだ。

 では、利益はどうか。これが実は大きい。Foundation3Dはカナダ中心のコミュニティである。カナダはアメリカのTVシリーズの撮影場所として良く使われ、今やVFXの一大発注先でもある。英連邦であるせいかイギリスのTVや映画のVFXに携わっている人も多い。結果として、Foundation3Dのメンバーには3DCGモデリング、シーン編集や合成のプロが多いのだ。

 職業なり趣味なりで実際に手を動かしているメンバーのコメントは適切で、なるほどと思わされることに事欠かない。互いにリスペクトがあるから、自分のCGモデルが褒められれば単純にうれしい。運営方針はきっちりしており、メンバーには良い意味での礼儀正しさが求められる。メンバー間の距離感は付かず離れずといったところで、アメリカ的なフレンドリーさ(なれなれしさと表裏一体だ)とは一線を画している。個人的には心理的な負荷が無い理想的な距離感だ。反面、的外れな、或いはどうでも良いコメントには手厳しい場合があり、単なる評論家は居ずらいコミュニティという側面も持つ。これも個人的には良いと思う点だ。

 単なる評論家が居ずらいということで、コミュニティの規模は大きくない。しかし、互いに互いの作品にコメントしあうという関係が成り立っているので、規模に較べてメンバーのコア度は高いのではないかと思う。

 かつて主な活動場所としていた別のコミュニティは、英語コミュニティへのデビュー先という意味で思い入れは強い。が、コミュニティ規模が大きいと同時にコメントのみのメンバーの比率が高く、コミュニケーションが一方的になりがちだった。節点間の腕は対称的な接続を表すので、一方向的なコミュニケーションは腕とはなり得ない。だからコア度が高いとは言えない。また運営方針がおおらか過ぎて、想定外の損失が発生したりした。

 代表的な想定外の損失として、そのコミュニティ内で共有していた自分のCGモデル(メンバーなら自由にダウンロードできる)の派生物をさらに別のコミュニティで売りに出した人間への対応が挙げられる。データに添付したファイルに記載した使用条件は「商用利用以外は実質的に制限しないもの」であったが、それでもそんな事が起こってしまったのだ。ただCGモデルを共有していたコミュニティの規模が大きかったのが幸いし、私が商用利用を禁止していることを知っているメンバーから早い段階で通報があった。結局、複数のコミュニティの管理者や3Dプリンティングサービス会社のカスタマーサービス窓口とのやり取り(英語!)に1週間分以上の余暇を費やした。時間に加えて心理的な負荷も大きく、バカにならない損失と言える。

 もちろん、同様の経験をしたメンバーは少なくないようだ。そして、私も含むそのような経験をしたメンバーの大部分が根本的な原因の根絶を図る。つまり、CGモデルの共有の中止と実質的なコミュニティからの離脱である。金儲けに使えそうと思わせるだけのCGモデルを作ってしまうスキルを持つメンバーは、そのコミュニティで影響力が大きい存在であると考えて良い。そして、そんなメンバーのコミュニティからの離脱は、間違いなくそのコミュニティの価値を下げる。運営方針のおおらかさが凶と出た良い例かと思う。実際、そのコミュニティはすっかりつまらなくなってしまった。

 取り合えず、ブレークはここまで。

2013/03/07

wired.jpの記事 「どのようにSNSは死を迎えるか」が面白い(その2)

 さて、その2です。k-コアがどういうものかが分かっていないといきなり厳しいですよ。

 前回は、節点と腕を用いてモデル化したコミュニティネットワークから、任意の自然数(1以上の整数)kにおけるk-コアと呼ぶ部分ネットワークを求めたり、あるいは存在しないことを確認したりできることを述べた。今度はコミュニティネットワーク全体から接点へという見方とは逆向きに、節点に着目しよう。

 ある節点がk=nにおけるk-コアに属しているとしよう。このとき、この節点は少なくともnの「コア度(coreness)」を持つものとする。ここで「少なくとも」と断った意味は、この節点がk>nの条件を満たすkにおけるk-コアにも属している可能性があるからだ。この節点の真のコア度は、その節点が属するk-コアのうち「最もkが大きい場合のk-コア」の「k」そのものとする。

ksi:i番目の節点(i番目のメンバー)のコア度

 さて、ある特定のメンバーがコミュニティに参加し続けるということは、何らかの利益があるからである。更に加えれば、コミュニティに参加して活動することに伴う損失に対して見返りが充分に大きいということだ。

 ここで分析対象はSNSであるから、やり取りされたり共有されるものはざっくりと言えば情報である。具体的には文章かも知れないし、写真かも知れない。また情報であるから、新鮮さが重要な場合もあれば、逆に古いものがどれだけ短時間で取り出せるかが重要な場合もあるだろう。これらを踏まえて、メンバーにとっての損失と利益について考えてみよう。

 損失から行こう。

 まず、情報発信のための作業に伴う損失がある。具体的には、文章の執筆、写真の加工や選別、データのアップロードなどに要する「時間」である。ここで重要な点は、友達が1人だろうが1000人だろうが具体的な作業に要する時間は変わらないことである。すなわち、情報発信のための損失はコミュニティの規模に基本的に影響されない。

 次いで閲覧時の損失、「手間」と「時間」である。前者はインターフェースの分かりやすさや使い勝手、後者はサーバーレスポンスの良し悪しやサービス停止時間の有無や長短が影響因子として挙げられよう。「ユーザーインタフェースの刷新でメンバーがまごつく」といった事態は、一時的な損失増と見做すということだ。影響因子から分かるように、閲覧時の損失もコミュニティの規模に影響されない。他にも損失はありそうだが、ここでは上記の二つの損失の和で総損失が与えられるとしてしまおう。情報発信の頻度と作業規模が一定ならば、時間当たりの損失は一定となる。

 c:コミュニティに参加し続けるために必要なメンバー当たりの総損失

 で、利益である。

 利益は各メンバーの価値観に強く依存するし、情報には新鮮さなどの時間的な因子も絡む。よって、ここでは単純に友人から発信された情報の総数で代表させよう。利益のモデル化は損失のモデル化に輪をかけてざっくりしたものだ。

 b:腕1本当たりの価値(友人の発信した情報の価値、時間当たりで一定とみなす)
 Ni:i番目の節点の腕の数(i番目のメンバーの直接の友人の数)

 b×Ni:コミュニティに参加し続けることによるi番目のメンバーの総利益

つまり、特定のメンバーの総利益は「直接の友人の数」に比例する。

と、ここまで来れば

(総利益)-(総損失)= b×Ni - c > 0

の条件を満たせばメンバーはコミュニティに参加し続ける意味がある、ということは明解だ。だが、ここで終わっては面白くもなんともないし、何のためにk-コアなんて概念を理解しなければならなかったか分からない。以降でのポイントのひとつは、メンバーの総利益とコミュニティの規模との関係だ。これはコミュニティのネットワーク構造に依存し、失敗したSNSと成功しているSNSでは異なるということらしいのだ。

 「節点のコア度と腕の数にはどういう関係があったっけ?」とぼんやりとでも今考えたあなた、あなたは正しい。続く!

2013/03/06

wired.jpの記事 「どのようにSNSは死を迎えるか」が面白い

 wired.jpの記事「どのようにSNSは死を迎えるか:Friendsterで検証」の内容が面白い。記事中に論文PDFファイルへのリンクがあったので、ダウンロードして早速読みだしたところだ。

 まだ半分も読んでいない段階だが、wired.jpの記事に引用されている図(下図と同じ)の意味と論文で使用されている手法の大枠ぐらいは説明できる。


 図中の点または小さな丸をここでは「節点」と呼ぼう。同様に節点間を結んでいる線を「腕」と呼ぼう。節点はSNSのメンバー、腕はメンバー同士が「友達」であることを表していると考えれば良い。任意の2人のメンバー間には腕がないか、あっても1本である。また、上下関係といったような「向き」は腕にはない。つまり、腕で繋がれたメンバーは互いに対等な「友達」と考えよう。

 ここまで来れば第一の大枠の考え方、「『互いに友達の友達が友達』なメンバーで構成されるコミュニティは密なコミュニティ」とみなせる、というのはそう異論はないと思う。図的には、ある節点からスタートして「同じ腕を1回しか通らず」にスタートした節点に戻るルートがたくさんある状態だ。

 次に、wired.jpの記事中でも触れられているk-コア(k-core)が重要な概念となる。ここでk-コアとは、腕を「k」本以上持つ接点だけで構成されている部分コミュニティネットワークのことだ。なぬ、とか言わずに上図を見ながら続きを読んで欲しい。上図中のAがコミュニティネットワークの全体である。この中には、k=3、すなわち腕が3本以上の節点だけで構成された部分コミュニティネットワークが一つ含まれている。Aから腕が2本以下の節点を削除したのがBだ。k-コアを求めるには、同じ操作を削除する節点が無くなるまで繰り返すだけだ。A→C→D→Eがその節点削除操作を繰り返した過程であり(当然、ネットワークBとネットワークCは同じになる)、部分コミュニティーネットワークEがコミュニティネットワークAのk=3におけるk-コアである。k-コアを構成する節点に対応するメンバーは、そのコミュニティの中心メンバーとみなして良いだろう。

 一気に話を単純化しよう。「特定のコミュニティネットワークが安定的に存在する、つまりコミュニティが活発であり続けるには、コミュニティネットワークがk=3以上のk-コアを一つ以上含んでいる必要がある」としてみる。その上で図中のk-コアEからどれでも良いので節点を一つ削除してみよう。これは中心メンバーのコミュニティからの離脱に相当することは明確だ。さて、Eから節点を一つ削除したコミュニティネットワークには腕を3本以上持つ節点が含まれない。つまり、k=3におけるk-コアは消失する。これはコミュニティが活発な状態から実質的に活動停止状態になった瞬間だ。

 k-コアの概念の重要な点は、Eの状態から削除した同じ節点をAの状態から削除しても、やはりk=3におけるk-コアが消失するところにある。つまり、どんなに巨大なコミュニティネットワークでも、kが最大となるk-コアに含まれる節点を一つ削除するだけで、最大でも(k-1)に対するk-コア((k-1)-コアと呼ぶべきか)しか持てなくなり得るのである。裏を返せば、Aの状態からE(k=3におけるAのk-コア)に含まれない節点を削除しても、上述したk-コアを求める操作の結果はやはりEなのである。

取り合えず、今晩はここまで。

2013/03/04

SONiKAユーザー向けMegpoid Englishセカンドインプレッション

 丸一日格闘しました。結論は、「英語の歌は歌わせるな。」

 いや、正確には「英語の歌を普段から英語を使っている人間が歌っている状態のシミュレートには使うな。」といったところ。出来上がりイメージとして英語ネイティブの歌唱を持っていると、何時までいじってもまとまらない。まぁ、日本語の歌詞に何気に英語が混じっている場合にワンポイントで使う、というのが本来の使い方なのだろう。

 "The Look of Love"をやらせると結構面白かったのだが、どうしても日本人の英語にしか聞こえないというのはある意味凄いことかもしれない。海外の人が何人も指摘しているが、SONiKAの発音は「実にブリティッシュ」なのだそうだ。まぁ、自分のSONiKAの使い方は自分の中のヨーロッパ風歌唱のリアライズだから、実はSONiKAの使用は正解寄りのはずだ。対して「Ja-nglish(日本語なまりの英語)の座りの悪さ」はネタとして以外は使い道が思いつかない。(文法的に正しい限り、日本語なまりの英語は非英語圏の人間にも聞き取り易いのだそうだが。)

 音がもこもこしようが、合成時にノイズが入ろうが、英語の歌を歌わせるのならやはりSONiKAの方が上(それでも曲は選ばねばならないが)、残念。

2013/03/02

年度末進行とけいれん

 2月後半から完全に年度末進行。お客向けの報告書作成やお金の計算やら、果ては来年度の作業計画策定など締め切り目白押し。ここ2週間で自分の報告書は2本仕上げて、今週末はちょっとばかりゆっくりできそう。週明けはおそらく他の人間の書いた報告書のチェックの仕事が数本入る筈。

 実は自分の報告書がすんなり上長のチェックをパスするのは久しぶり、秘密のひとつは抗うつ剤の増量にある。単純にうつ症状が出なければ、それなりに論理的思考ができるということだろう。とは言え、しゃべると異様に疲れるのは抗うつ剤だけでは解決できない。よって会議は辛い、特に専門家として参加する会議は辛い。うっかり論理の破綻或いは脆弱性を目の当たりにするようなことがあれば、例え厳しくとも言うことは言わなければならないし、非専門家相手なら良くも悪くも懇切丁寧に説明しなければならない。心に余裕の無い身としては、会議の席で宿題(予定外の仕事)をもらう事態も避けたい。

 現在使用している抗うつ剤の副作用には胃腸障害などがあるが、けいれん閾値を下げる場合もあるらしい。そのせいか、靴を脱ごうとしてふくらはぎがけいれんし、玄関でのたうつ事態に何度か陥っている。特にまずいのが東京出張帰り。自宅から駅まで約2kmの往復に加えて、東京出張はけっこう最寄り駅から歩く距離が長くなることが多い。更に言えば、出張先(つまり客先)で黙っている訳にもいかない。

 ふくらはぎがけいれんするなんてのは、何気に体育会系だった十代のころは日常茶飯事。対応も手慣れたものだったのだが、いかんせん運動不足と加齢で身体がすっかり固くなっている。が、今やけいれんが怖くてジョギングにも腰が引けるというのが実態だ。

 …いかんのぅ。

2013/03/01

SONiKAユーザー向けMegpoid Englishファーストインプレッション

 毒を食らわば皿まで。デモ曲も聞かずにMegpoid English導入しましたよ。

 取り合えず、SONiKAで作った"Fly Me to the Moon"と"Always Look on the Bright Side of Life"をV3 Editorにロードして歌手を変更して再生してみました。ファーストインプレッションをば…

・発声タイミング、Velocityに対する感度がSONiKAと微妙に違う。少し編集しないとダメっぽい。

・10~20kHzあたりの高周波数域が気になる。合成の影響か、ボイスバンク自体がそうなのかは調べてみないとなんとも言えない。まぁ、イコライザで削る分には、元々このあたりの周波数が不足気味のSONiKAのボイスバンクより筋は良いと言えば良い。

・[v][kh I][p][f I]の発音がVelocityなどでかなり印象が変わる。[l0][@r]には違和感あり。SONiKA向けの調整のままだと、[Kh I][f I]は大音響、[p]は逆に小さくて良く聞こえない。"love"、"kiss"とか、良く使う単語に含まれる音なので重要なんだけどね。

 今週末は、"Fly Me to the Moon"で調整にトライ!