2016/01/15

要はJJが基本に忠実だということ

 「フォースの覚醒」が「風の谷のナウシカ」に似てるとか。以前のエントリでも触れたとおり、JJは映画の基本に忠実な作りができるということに過ぎないんだろう。「TVドラマみたいな映画」しか撮れない監督は単にそういう基礎もできていないというだけじゃないかと思う、ましてや破壊なんてできる筈もない。JJは今回、おそらく「基本に忠実」であることを積極的に選択した筈だ(きっと、もう小手先の「破壊もどき」には飽きているんでしょ)。

 基本に忠実という点では「風の谷のナウシカ」も同様で、上段は「風の谷のナウシカ」、下段は白黒時代の黒澤作品だけでも半分以上は埋められそうだ。さすがに空中戦そのものは無理だけどね。

The Division(PC版)、予約してもーたわ

 米国のサウジアラビアガン無視、中華人民共和国の国内石油価格の統制開始(そうきたか!)、米国GE社の一般家電部門のハイアール社への譲渡決定など、ここ2日程だけでも経済、政治に関わる無視できない事案や状況が発生している。

 ちなみにGE社の件は、不適切経理処理のダメージ回復に未だのたうつ東芝社の企業体質改善アクティビティに強く影響する可能性がある。少なくともハイアール社が東芝社の家電部門を買収することはもう無いだろうからだ。

 それはさておき

 購入どうしようかな、と悩んでいたゲーム"The Division"(3月発売)なのだが、最近公開されたトレーラーを目にしてPC版を先ほどあっさり予約してしまった。何故?と問われると実は困るのだが、これまでのほぼマルチプレーヤー戦闘シーンのトレーラーと違ってシングルプレーヤーモードの雰囲気が割と良く伝わってきて、かつそれに好感を持ったからだ。もちろん、豪快な地雷の可能性を危惧する人達の気持ちも良く分る。まぁそうなった時には見事に散ってやろうと腹が決まったとも言える訳です。

 人を殺して回るゲームなのは間違いないが、それ故にこそ救いというか、やむにやまれぬ事情とでもいうものがゲームの世界感にきっちりと取り込まれていて欲しいという思いは個人的には偽らざるものだ。特定の人間や集団、勢力のみの独り善がりな「正義」には、ゲームと言えども今ひとつついていけないのである。我ながら面倒くさい奴とは思んですけどね。

 一方、同時期に発売開始予定のゲーム"Farcry Primal"には手を出さなさそうだ。単純にプレー内容に新規性が無さそう・・・

 10歳若ければ間違いなくプレーしただろうな、と思うのが"Home Front: The Revolution"、ハイテク共産軍に占拠された米国が舞台のFPSだ。前作と同様に強力な武器による力押しが可能なゲーム性が予測されるのだが、そういうのが面白く感じられなくなってきているのが正直なところだ。「敵弾が1発でも当たれば行動不能、ヘッドショットなら即死」ぐらいの勢い故に「作戦を練る、状況を全力で把握しようとする、タイミングを選ぶ」必要がある、と言う感じのゲームに最近は好みが変わったといったところでしょうか。 

2016/01/14

T-38 タロン、さらに近代化改修!

 米空軍のジェット練習機の更新が、新規機体の導入ではなく、現行練習機T-38のコクピット周りの改修と一部機体フレームのアップデートに決定したそうだ。

 T-38の製造はノースロップ社だが、今回の契約先はボーイング社である。初飛行が半世紀前(1959年)という事一つをとっても、多くの名機を生み出してきたノースロップ社の面目躍如といった感じだ。一方、契約をゲットしたボーイング社のそつの無さ、ある種の営業センスも光る。必要十分な性能、低コスト、(極)低リスクがそろえば何の問題があるだろうか。

 ロッキード・マーティン社のT-50は残念、また一つ案件を失った。とは言え、ロッキード・マーティン社自身も採用されることは期待もしていなかっただろう。そもそも設計完了段階で米空軍のニーズとマッチしていないことが判明、開発中止されたものだからね。

2016/01/10

分かります。

 分かります、朝日新聞さま。自分たちがやってきたことを他者からやられるのが不快なのですね。

 相変わらずお変わり無いようで、私も極めて不快です。今も結構偏ってますよ。ホント、報道機関としてそれは間違いだし、許されるべきことではないでしょう。言論機関と言うならそれも良いですが、当然軽減税率は適用されませんね。
社説
「偏り」攻撃 批判封じは間違いだ

2016年1月10日(日)付

 「偏っている」

 この言葉が、現政権と異なる考えや批判的な意見を強く牽制(けんせい)する道具になっている。

 公共施設や学校で、「平和」や「民主主義」といった戦後の日本社会で共有されてきたはずの価値観の表明まで、「政治的に偏っていると受け取られかねない」と抑制された例もある。

 こうした風潮がはびこるのは非常に危険だ。

 問題点を示し、議論するのではなく、「偏っている」と指弾して相手を黙らせようとするのは、一種の抑圧だ。多様な議論と向き合うのが厄介だからと、反対意見が出そうな表現を公共空間から遠ざけてしまうのも、誤りに手を貸す行為である。

 「偏り」を指摘する圧力は、テレビ報道に対して特に高くなっている。

 安倍首相は一昨年、自分の経済政策に疑問を呈する「街の声」に、「選んでいる」と不快感を示した。自民党は総選挙報道の番組内容にまで踏み込んで、「公平中立」を求める文書を放送各局に出した。

 「放送法遵守(じゅんしゅ)を求める視聴者の会」と名乗る団体は昨秋、産経・読売2紙に全面広告を出した。安保法制に反対する報道番組アンカーの発言が「政治的公平」などを定めた放送法4条に反するとし、「公平性はその局の番組全体を見て判断する」という従来の総務大臣見解は不適切だと主張する内容だった。

 この会から質問状を受けた高市早苗総務相は、「政治的公平性」についての総務省の考え方を、省内に設けた有識者による「放送を巡る諸課題に関する検討会」で議論する可能性もあると回答した。

 放送法4条は放送局が自らを律する倫理規範と考えられてきた。だが、高市氏はこの解釈は間違いで、行政指導の根拠になるとしている。4条の「政治的公平性」をどうとらえるかは、放送の自律の根幹に関わる。議論は特に慎重であるべきだ。

 公平なテレビ報道とは何だろう。狭い意味では、特定政党への支持や反対のための放送ではないということだ。ただし権力監視は報道機関の使命である。政権批判を野党への支持だと決めつけるのは適切ではない。

 広くとらえれば、作り手と考え方の違う人も納得できる番組を目指すことだろう。ある事柄を様々な視点から見つめ、作り手の視線も相対化する努力を続けることで、少しずつ実現に近づく。注意深さと粘り強さが必要な道筋だ。それを「偏っている」の一言で壊そうとする乱暴さを許してはならない。

結構意外だわ。

 未だにそいうことを大声で叫ぶ人がいる。最初はポーズかな、と思ったけどどうも違うようだ。なんかイデオロギー臭も感じられんばかりで、結構意外な展開。

 カードの威力を理解していないとそのカードを上手く使うこともできないし、要はそのカードが無効とならない範囲でたんたんと戦うだけでも十分に相手にダメージを与えられると信じる。その辺りの種明かしがされないのはそれが戦略上必要であるとともに、一種の踏み絵として機能するためかと思う。国内状況が想像以上に酷いと言う事が良く分った、いやぁこれは収穫と言うか気を引き締めないといけないですね。とは言え実際のところ、皆に「こりゃ良いや」と言われてしまったら、「説得されるためだけに反対するポーズをとる人」をどうやって用意すれば良いのかと心配もしていたのだ。

 相手国側の民間団体が何をしようともう一方の国は何も言えないが、やってる内容によってそれらを抑えたり無効化したりする義務を相手国は負っていて、かつその義務があることを両国ともに国際的に公言した、と言うのが今回の味噌なのは間違いない。つまり、一方が「それは合意違反」と宣言すれば相手側は国内問題として対応せざるを得ない訳で、基本的に「国として相手国政府や政権を非難してこなかった」国は今まで通りの主張を繰り返す以上は何らの問題も起きないが、「民間団体のやることだから関与できない」とか言ってた国はもはやその手は使えない。

 国は国内の反合意勢力を説得する義務を負う。とは言えこれまでも犯罪行為だったことはこれからも犯罪行為だ。嘘が嘘であることも変わらない。国会議員は良くも悪くも動きにくくなった。官僚は暫く動けなくなった。マスコミは状況変化に追いつけないためか沈黙か思考停止状態に近く、突出したバ○だけがとにかくあぶり出され続けている。中共すらアクロバチックな論展開をも封印せざるを得ない状況下、どの国が何と言うかも一種の踏み絵状態となっていて既に踏んだ政権もある(が、後に続く国や政権はあそことあそこぐらいで、面白くないまでに想定通り)。

 ひと月ほどは耳をすましておくだけでもいいんじゃないだろうかと思う。かまってチャンを当然のように無視できる状況は、それだけで心休まるものだ。この心の平安、一度知ればとても手放せない。

 あと忘れてはいけない、国はともかく民間はフリーハンドだ。
 繰り返す、これまでも犯罪行為だったことはこれからも犯罪行為、嘘が嘘であることも変わらない。

2016/01/09

2015年を振り返る・・・って状況じゃない?

 昨年の終わりの段階では、割と今年の世界情勢の見通しが読める気がしていたけど、年明け早々に状況が変わってしまった。

 昨年末時点の不透明事項と言えば、米国のサウジアラビア政策が読めないことぐらいだった。原油価格の低迷は総じて産油国の経済や体制にダメージを与えているが、複数のニュースソースを見る限りサウジアラビアの体制へのダメージは突出して大きい様だ。サウジアラビアの政治体制は、敢えて単純化してしまえば、「金離れの良い独裁者による独裁体制」だ。オイルマネーなどが国内に還流している限りは安泰かもしれないが、既に始まっている公共料金の値上げや緊縮財政政策の影響は全く読めない。宗派対立の機微はごく普通の日本人である私には決して理解できないだろう。

 昨年末、米国議会は米国からの原油輸出をついに許可した。当然、原油価格の更なる低下が予測されたが、サウジアラビアとイランとの国交断絶でそれも分からなくなった。サウジアラビア軍は規模が大きく、米国軍需産業のお得意様だった。しかし、ここ1年ほどの報道などを見るに、米国はサウジアラビアから距離を取りつつあるように見える。もっと言えば、米国の中東政策が全く見えなくなっている。イスラエルと米国の関係もかなりぎくしゃくしている。

 原油安はガソリン安や火力発電のコスト低下にも繋がる。一見すると経済的にはプラスの様だが、足元でエネルギー関連企業の経営体力の衰えの原因ともなっているとされる。つまり、新たなオイルショック などが発生した際の柔軟性が落ちていると言える。また、サウジアラビアは歳入減少に対して対外投資の回収や所有資産の清算も進めているらしい。これは、日本も影響を受けている世界規模での株価低迷の原因の一つとされる。産油国からの市場への通貨供給量が減っているということだ。また中国の経済低迷は明確で、かつてのような原油を買いあさるような様子は見られない。おそらく中国国内の石油関連企業の多くが、レアメタル企業のような状態になりつつあるのではないか。

 ロシアの天然ガスや原油はもとより、北海油田も採算割れが既に発生している様だ。シェール潰しも噂された原油価格抑制策だが、蓋を開けてみるとイラクの油田とシェールの両方を抑えている企業が最も打てる手が多い状況となっている。とは言え、それでもそれら企業が安泰とは言えない。

 現在エネルギー関連では一息ついているドイツの政情も読めない。原油価格が上昇に転じれば、税制政策などをきっかけにドイツ国内が揉める可能性もある。メルケル政権のエネルギー政策は基本的に一貫性が無いが故に余計に危険な気がする。彼女はやはり西側指導者には成り切れていないし、土壇場で口を閉ざすのは基本的に旧東側の流儀だ。

 ロシアと中共は軍事オプションの存在を隠さない。朝鮮半島は相変わらずマイペース過ぎて困惑しか生まない(少しは空気読めって)。

2015/12/29

続・2015年を振り返る・・・にはまだ早いのか?

 想定通りの展開ですね、今回のポイントは「今後の対応が全て」と言う事でしょう。さぁ、始まるよ!(と言うか、始まってもらわなければ困ります)

 3月に米国で合意文書?が事実なら、そこまでは韓国側の反応は無視、放置しておいてたんたんと準備を進めれば良いだけかな? 合意内容の重要性を鑑みれば、韓国側が「国際的に公式に合意を破棄しない限り」、3月の合意文書調印までは日韓間の外交活動は実質的な停止状態、が筋だよね。

2015/12/27

2015年を振り返る・・・にはまだ早いのか?

 要は韓国とのいわゆる従軍慰安婦の件である。年も押し詰まってのここ数日の展開は完全に予想外の動きと言える。それが何だったかは置いといて、日本の政権側が事前に埋めておくべき穴が埋まったということなのだろう。或いは、別のタイムリミットでもせまっているのだろうか。

 さて、昨今の件の話の半分以上は韓国の国内問題にしか見えてこなかったのも事実だ。別の言い方をすれば、韓国内の政争や政治的勢力争いの具になっていたと言える。おそらく色々とお金も動いたこともあるやに見える。この種の一種の不透明感は日本側にとっては疑心暗鬼の原因となる。少なくともネットで見られる言説の内容には、疑心暗鬼をはるかに超えたものもある。まぁ、大統領が「解決」と言っても、政権交代後に蒸し返した事実がある訳だけどね。

 さて、某ネット掲示板まとめ記事で面白い記述に出会った。曰く、
今回の日本政府の動きは、対立構造を「韓国政府vs日本政府」ではなく「韓国政府vs挺対協(韓国挺身隊問題対策協議会)」にしようとする試みだ
成程、これは完全な韓国の国内問題であることの明確化のみならず、韓国政府の本件に関わる責任範囲(と、できること、当然できないこと、絶対しなければならないこと)の明確化にもつながる。このような事態になれば、おそらく現行の韓国政権、政府は件の問題に関してはいったん詰む。

 だが、本当に「未来志向」たらんとすれば、この辺りの構造や仕組みを整理、明示化した上で必要な清算は両国ともしておかなければならない。今回の日本側の一種の提案は、「本当のことを知っているとは言えない」私には、割と穏当な(実はかなり優しい、相手に気をつかった)落としどころの提示に見える。裏を返せば最後の微笑みかも知れない

 とは言え、どう転がろうが通貨スワップ協定締結は今後も無しで。「国民が納得しない」とばかり、国内世論のせいにしていただいて結構ですので。

2015/12/26

近況

 持病の軽度の鬱病の治療もついり折り返し点か、と思ったのもつかの間、それ以降のここ二カ月程がきつかった。と言うか、だいぶ楽になったというのがより正確だろう。

 事の初めはそれまで使用していた薬の副作用が急に強く出るようになったことだ。具体的には、昼間もとにかく眠い、気力が萎えていると会社にも行けない。反面、体調にも色々と変化もあった。これら一切合切含めて担当医に相談したところ「薬を軽くする方向で変えましょう」という事に。が、経験者ならお分かりの通り、この種の薬は合う合わないが激しい。結局、二週間単位の薬の試行錯誤の繰り返しで二カ月程既に経ってしまったということだ。

 現時点の状況はどうかと言うと、良くもなければ悪くもない。が、ここしばらくの「ふにゃふにゃ状態」とは一線を画せているようだ。夕方から出る眠気が抜け切れば趣味のための時間も捻り出せそう、といった感じだ。 

 ただ、現在使用している薬は使用開始直後の副作用がてんこ盛で、一週間前はいったいどうなることやらと途方にくれたものだ。発生し得るとされる副作用をほぼ全て経験してしまったからだ。眠気、血圧が上がらない、めまい、手の震え、排尿困難、便秘、空腹感、そして口内炎だ。

 口内炎はできた位置が面白くて、唇の端の高さ、水平方向にほぼ全周に渡ってできた。つまりどう食べてもどう飲んでも絶対どこかが痛む。今も頬の内側に舌を這わせると、はっきりと一直線上に口内炎の跡が残っていることが分かるぐらいだ。口内炎はあっという間にできたが、幸いにも治るのもあっという間だった。

 あとこの二カ月で大きく変わったところがある。どうにも増加の抑えられなかったウェストサイズが明らかに減少してきたのだ、なんともはや。

2015/12/20

「新・映像の世紀」はホント××

 第三集もタイトル、内容、ナレーションともに酷かった。新映像は皆無。

 20~30年前に「いったん固まった新しい歴史研究結果を反映した歴史観」からも退行し、その後の研究結果はナレーション内容にも反映されていない。ヘンリー・フォード、リンドバーグなどの逸話を引っ張り出すこと自体は否定しないが、そんな話は30年前には常識になっていたことである。ことさら特記事項の様に扱う姿勢には疑問を感じる。「当時の普通」という視点がきっちり導入されたのが件の歴史観のポイントだ。ましてや現代の視点とか、ライターや製作者のイデオロギーとかは不要、そんなことしか「今になっても出来ない人間」はこういう番組制作に関わってはいけない。

 「いったん固まった新しい歴史研究結果を反映した歴史観」以前の歴史観は、明らかに現行の中共の歴史戦における歴史観のベースとなっている。本人たちが意図的にやっているかは分からないが、結果的に「誰かにとって都合の良い内容の拡大再生産」になっている可能性ははっきりと指摘しておきたい。チャップリンやウォルト・ディズニーだって下げようと思えばネタはあるのだが、何故それはやらない?

 ナレーションの日本語が2か所ほど(日本語として)変だったのも辛い。ソ連に関してさらっとナレーション内容に誤り(嘘?)が入っていたのも辛い。

 全体としてとにかく痛い。

 次集にヴェノナは出てくるのかな?それともヴェノナはでっち上げと言う立ち位置ですかな?