2013/11/17

みなとちゃんこまったなー

 那珂湊はひたちなか市の一部で、茨城県の県庁所在地である水戸市や、アクアワールド(水族館)があったり「ガルパンの聖地」のひとつと聞いてたりする大洗町に隣接する「ちょっとおしい」ロケーションにある。

 「みなとちゃん」というのは、女子高生が考案したという那珂湊のPRマスコットだ。

 本格始動はこれからのようだが、すでにYoutubeに「みなとちゃんこまったなー 」なる楽曲も上がっている。着ぐるみの造形は個人的には微妙な感じ、要は子ども受けするかどうか分からない、というところなのだが、如何にも緩い線で書かれた2Dキャラは個人的には十分に「アリ」感が漂うもの。ただし、「ご当地ゆるキャラ」の枠組みからは、デザインとしての筋の良さ故に良くも悪くもはみ出ている気がする。きっと2D押しが正解で、「みんなのうた」とか目指してくんないか。NHK側でもそういう枠を設けてくれないかな。

 ちなみに「みなとちゃん」が持っているのは「干しイモ」、「こまったなー」が口癖のサツマイモの妖精だそうだ。

 なお、「みなとちゃんこまったなー」は私の昔の口癖です。

2013/11/13

ヘンリー・マンシーニのメロディには抗えない

 先の日曜日にイタリア映画「ひまわり」がBS11で放映された。最後に観たのはいい加減子どものころだったので、真面目に一度は観てみるかとばかりにチャンネルを合わせた。音楽はヘンリー・マンシーニだ。

 モーリス・ジャールと並んで、マンシーニの楽曲にはお気に入りが多い。例えばこれ。

 もうたまらんですよ。さらにこれ、映画自体は「トンデモ」でしたけどね。

 そして「ひまわり」。

 宮川泰さんの宇宙戦艦ヤマトの楽曲群とも一脈通じるところがあるような…単に楽器編成が似てるとか、そんなレベルのお話ではないと思います。

2013/11/12

YoutubeでKraftwerk Live at the Latitude festival Southwold (UK) - 20 July 2013

 Youtubeとは有難いもので、BBC Radio 6で放送されたと思しきライブ音源に触れることが出来たりする。今日視聴したのは"Kraftwerk Live at the Latitude festival Southwold (UK) - 20 July 2013"。

 Kraftwerkのメジャーデビューは私が小学生のころ、マンガ「すすめ!パイレーツ」でアルバム「人間解体」のジャケットがネタにされていたりして、音よりも名前を覚える方が早かったという稀有なパターン。実際にきっちり聞くようになったのは大学に入学してからで、それでもCD普及以前という古い話、いやはや。

 で、視聴して気になったのが、「ここ2、3年、Kraftwarkの音のエッジ感が急激にが失われてきたのではないか?」ということ、往年のベンチャーズの演奏が「安心感はあるけどつまらなくなった」のと似たような感じだ。まぁ、さすがに年齢も考えるとそれも致し方ないのかもしれない。

 かつて立花ハジメは自らのパフォーマンスを「これが、ノンプロだ!」と表現した。ここで「ノンプロ」とは「ノン・プロフェッショナル」ではなく、「ノン・プログラムド」を意味する。つまり、「事前に用意した演奏データなんか使わないよ」ということで、「プログラムド」なパフォーマンスとの決別を宣言したものだ。

 Kraftwerkと「ノンプロ」との組み合わせは有り得ないのか?なんかそれぐらいやらないと、かつてのKraftwerkが持っていたポップさは取り戻せないかもしれない気がする。伝聞なので本当かどうかは分からないが、Kraftwerkはライブで観客に改造電卓コントローラーを渡して演奏させたことがあるという。もし本当なら、「Kraftwerkと『ノンプロ』との組み合わせ」はかつては存在したということになるんだよね…。

2013/11/11

MS IE ってば

 個人的にはさっぱり使わなくなったMS Internet Explorer。Windows8用新バージョン登場に合わせてのローンチキャンペーンの一環でしょうか。後半はパロディと解釈すべきなのでしょうか?なんか、前半の描写から想像した世界観と後半のコスチュームとのギャップが凄すぎて吹き出してしまいました。「つづく」んですけどね、先が全然気にならないというのもなんとも。

なんちゃって考現学

 サッカー日本代表をどうしても応援してしまう。サポーターの熱狂を一種のナショナリズムの発露と見る向きもあるが、私自身はそうは思わない。

 現在の日本社会は良くも悪くもナショナリズムとは一線を画している。教育の為せる業か、或いは日本人自体が元来ナショナリズムとは縁遠いのか。海上にしか国境を持たず、大和朝廷の成立以降は民族単位の大きな内戦を経験していないことも思うと、強烈なナショナリズムを内部に育む因子に欠ける気がする。

 「『ネ申○○○』といった表現は一種の『思考停止状態の表明』である」といった趣旨の文章を書いた人がいた。私自身もこの考えを支持するが、これを単純にネガティブにとらえることには反対だ。これは表現が違うだけで、日本人の心情には従来よりフィットするものだ。

 さて、大風呂敷を広げよう。

 私の子ども時代には「皇室アルバム」なるTV番組が放送されていた。皇室の1週間の動向を紹介する番組で、おそらく年配者、女性層を中心に視聴者数も多かったと思われる。私自身の皇室との距離感は適した言葉が見つからない。ただはっきり言えることは、かの震災以降により顕著に感じられるようになった通り、「皇室が国民に寄りそう」とでも表現できる状態を非常に好ましく思っている。いや、「有難いこと」だと思っていると言った方がより正確だろううし、広い意味で「皇室を愛している」と言っても良いだろう。私は「皇室を中心とする大家族としての日本人」という枠組みを肯定し、居心地の良さを感じているのだろう。

 だがしかし待て、その「肯定」は自ら考えた結果なのか?もしそうでなければ私の「皇室への思い」も一種の「思考停止」と見做すべきではないか。

 作家トールキンは「英国における神話の不在」を憂い、民族固有の神話の代替物として「指輪物語」を書いたとどこかで読んだことがある。神話は概して民族と強く結び付いており、民族のアイデンティティにも関わる重要なものだ。「共通の神話の共有」の有無は「同胞」かどうかの大きな判断材料となり得る。ネイティブアメリカンの部族ごとの神話は共通点も多いが、小さいものの重要な差異があるという。 「共有する神話」という観点からは、ネイティブアメリカンをひとくくりの文化的民族区分と見做すことには無理があるということなのだろう。中国の民族同化政策の胆のひとつは、明らかに個別の民族固有の神話(或いは宗教)のはく奪である。とある文化人類学者が書いたように、「三世代にわたって独自の神話が伝承されないと、その民族は失われる」のである。

 「皇室を中心とする大家族としての日本人」という心情的な枠組みは政治的な形態である「国体」とは実際になじまないものだが、戦前の「国家神道」を介して「心情的な形態」と「政体における国体」とは緩やかに結び付けられた。それ故に、戦後の教育において「国家神道」との分離が難しい「神道における神話」はほぼ語られなくなった。私の世代でも「いなばのしろうさぎ」「スサノオの八岐大蛇退治」がせいぜいである。さらに戦後、東宝が特撮映画「日本誕生」、東映がアニメ映画「わんぱく王子の大蛇退治」を製作した時代とも明らかに現在の状況は違う。

 現在の日本人において、「神道における神話」は共有されるものとはなっていない。では日本人としてのアイデンティティを何処に求めるべきか。そこで最初の話に戻る。サッカー日本代表への熱狂、サポーターの振る舞いを私はナショナリズムの発露とは思えないと書いた。では何かと問われると、それは「日本人なら、頑張っている日本人を応戦するよね」といった極めて曖昧な共通認識だ。なぜ曖昧なのかというと、その共通認識自体が「日本人」と「日本人以外」を分ける要素を一切含んでいないからだ。でもそれはそれで良いのではないかと思う。

 「ULTRAS NIPPON」に代表されるサッカー日本代表サポーターの応援は熱狂的であり、ふがいない試合に対しては抑制されてはいるものの不満も隠さない。相手国を貶めるようなことはせず、試合後にはスタンドのゴミをちゃんと片付けるなどとも聞く。おそらく彼らには「日本人ならどう振る舞うべきか」ということに人一番自覚的なのではないかと思う。なんとなく受け継がれてきた日本人の美徳とでも言うべきもの(それは小さな島国の中でひしめき合った暮らしてきたという事実とは不可分では無い)を図らずも彼らは引き継ぎ、実践しているのではないかと思う。

 「日本人とは?」という問いをひとまず封印し、「日本人ならば○○○」というところに共通点を見出す。だからただ突っ立っているだけでは日本人同士でも日本人とは認識できない。せめて日本語を話し、如何にも日本人然とした振る舞いをして初めて互いに「同胞」と認識できる。一部の観光国では買い物をするとすぐに日本人と分かるそうである。少なくとも中国人、韓国人、日本人のうち、買い物時に客なのに店員に礼を言うのは日本人だけだという。「他者の視線」を要求するところがちょっと弱いが、美点と呼べる価値観或いは倫理観に従った「日本人ならばこう振る舞う」という共通認識で結び付くのも悪くないと思うのだ。確信犯として、私はそういう枠組みを受け入れ、しばしの思考停止状態に身を委ねてみようと思う。

 ちなみに「ネ申○○○」の共有は、比較的共通した価値観を持つ者同士の「生ける神話」の共有と見做すこともできるのではないかと思う。そして、そういうものは常に求められ続けているのだろう、日本人はこれまでも「○○の神様」を多数産み出してきたではないか。それと何が違うのか。一種の思考停止であることは認めよう。だが、力のある一部の人間はいったん産み出した「ネ申」をもやがて超えてみせる筈だ。だから、幾ら卑近であろうとも今現在の「ネ申」をもって将来について語ったり将来を憂えたりするのは正当ではないだろうと思う。

 ただ、あなたの「ネ申」が私にとっても「ネ申」たり得るかは別の話だ。「思考停止」が許されるのは、「思考停止」状態にあることを自覚できる人間だけであることをお忘れなく。私はあなたの「ネ申」よりも先に行ってるかもしれない。

 最後に一言。

 こんな私でもとある分野で海外の人間から"almost a god"と呼ばれたことがある。「私如きを"God"と呼ぶようじゃこの分野、レベルは知れてるな」と一瞬でも思ったことがあることを告白しておこう。もしあなたが多数の「ネ申」を持っているようなら、ちょっとは自分の有様に思いを巡らすぐらいはしてもいいんじゃないかな。ちなみに私は「ネ申」を持っていない。

2013/11/10

手元のソフトシンセ、矩形波対決!

 ファミコンなどのビンテージ(?)ゲームコンソールを特徴づける音として、矩形波に基づく音色がある。矩形波は「凸と凹のみから成る波」で、0を中心に-1と1(或いは0.5を中心に0と1、OnとOff)の値しか取らない。

 ファミコンで使われた音源チップでは、波の振幅を与えるレジスタに0か1を書き込み、これを時間毎に書き換えることで矩形波やパルス波を表現する。例えば"11110000"といった具合に時間的にレジスタを書きかえれば矩形波を表現したことになる。"11001100"とすれば1オクターブ音程が上がり、"11000000"とすれば音程は同じの25%の矩形波、或いはパルス波となる。ただし、ピュアな矩形波を維持できるのはD/A(デジタル/アナログ)変換するまでで、私達の耳に届く音はD/A変換器やスピーカーなどのアナログ回路により歪んでしまう。実際のところ、オシレータ―(発振器)がアナログ回路でのみ構成されるシンセでは発振時から既に歪んでいる。じゃぁフルデジタルシンセならピュアな矩形波が出せるかというと、これが意外にできなかったりする。というのも、「アナログシンセの音を再現する」ために「歪んだ矩形波」をわざわざ用意していたりするからだ。

 で、手元のソフトシンセで可能な限り「ピュアな矩形波」を発振させて、波形を比較してみた。比較したソフトシンセと大まかな結果は下記の通りだ。なお、波形データは44.1kH、24bit(CDが44.1Hz、16bit)だ。
  • Magical 8bit Plug
    チップチューンユニットYMCKの公式ページからダウンロードできるフリーのVSTi。結果を見て頂ければ分かる通り、出てくる矩形波のピュア具合は半端なく、「矩形波界(?)のベンチマーク」たり得る素晴らしい出力結果と言える。平行直線と直角から構成される波形には全く文句の付けようがない。また、立ち上がりが0→1ではなく-1→1なのはこのVSTiのみで、これは私の耳でも差は分かる。同じコンセプトに基づくVSTiとしてSINTENDO、ファミシンセⅡなどがあるが、少なくとも矩形波のピュアさに関してはMagical 8bit Plugには及ばない。

  • Steinberg Retrologue
    アナログシンセをシミュレートしたVSTi。予想に反して矩形波のピュア度は高い。Retrologueは音色を作っていていまいちアナログシンセっぽくないと感じることが多いのだが、オシレーターからの元波形がアナログシンセよりもデジタルシンセっぽいのかも知れない。如何にもアナログシンセ然としたUIとのギャップが何とも。

  • SynthMaster 2.6
    オシレータをBasic、波形をSquareに設定。ビンテージアナログシンセの歪んだ矩形波は別途用意されているのだが、意外や歪みが一番大きい。ここまで歪むと私の耳でも音色の違いが分かるレベルだ。

  • Cakewalk Z3TA+2
    アナログシンセ風の歪んだ矩形波をオシレータにセットし、1ビットまで量子化するオプションを使用。ほぼRetrologueと同じ波形が得られる。

  • Native Instruments RAZOR
    矩形波のピュア度ではMagical 8bit Plugに次ぐが、直角が出ていないのは残念。 

2013/11/9 CBCラジオ×U-strip夜用スーパー「電磁マシマシ」

 文脈ははしょるけど、モノフォニックアナログシンセ(Roland System100M)を使ってスタジオでオーバーダビングによる楽曲制作するという企画。お題はYMOの有名な曲、あの歌謡曲っぽいつまらないアレですよ(これは誉め言葉の筈)。

 「オーバーダビング」というのは、複数のプレーヤーが「いっせいのせ」で楽器を演奏して録音するんじゃなくて、楽器毎に別録音すること。今回の企画では音源は単音しか出せない(同時に2音以上は出せない)モノフォニックシンセ1台(故障対策で+1台)だけなので、ベース、ドラム、メロディーなどを同時に鳴らすことは当然出来ない。だから、それぞれの音色を作ってはその音だけを録音していくしかない。

 あ、「多重録音」とか言ってたアレですよ。とは言え演奏データ自体は用意しておいたMIDIデータを使っているので、いわゆる「同期」は気にせずに音色作りに集中できる…という辺りを逆手に取って「こんなもんできました」というような展開。ただ、個人的には苦手な画だったので、音だけ聞いてました。ワイワイ感は良いんだけど、展開や画は最初っから最後まで痛い感じ。頭の回転が速い二人が向かいあっているのだが、一方は男性的な頭の良さ、もう一方が女性的な頭の良さの持ち主みたいな感じだからなんか咬み合わない、という感じの気持ち悪さ。会話が成り立っているようで実は成り立ってない、っつーか、要らん人をスタジオに入れてはいかんよ。

 オーバーダビングと言えば、映画「エクソシスト」で使われたマイク・オールドフィールドさんの楽曲「チューブラ・ベルズ」、ウェンディー・カルロスさんとか冨田勲先生とかのモーグ作品とかが完全にそういう作り方。何のことはない、実はかつての当たり前の楽曲の製作法なのだが、「出来上がりが読めない人間には出来ない」製作法でもある訳です。逆にハプニングをどう生かすか、みたいな所もある訳ですけどね。

 「ソフトシンセを立ち上げたら、まず全パラメータ設定を初期化します」という私の姿勢は、昔堅気的には正しいみたいです。ま、出来たものが全てですけど。

2013/11/08

日産車のデザインが大嫌い

 これは秘密なのだが、私は日産車のデザインが総じて嫌いである。特に酷いのはキューブ、何がまずいってテールランプの位置が低すぎる。軽トラも真っ青な凄い低さである。これを横開きの後部ドアのせいにしてはいけない。ルノー・カングーは観音開きの後部ドアと高いテールランプ位置を両立している。

 ここでデザインとは「形態」だけではなく「機能」も含んでいる。キューブのテールランプの低さは、「安全」という機能の観点からは絶対上手くない。欧州車は総じてテールランプ位置が高めだが、これは明らかに「安全」に対する判断が絡んでいる。キューブのデザインは「他者に対する配慮に欠ける失礼なもの」としか思えない。


 キューブに対する印象の悪さは、キューブ・キュービック時代のコピー「キューブ、マイルーム」から完璧に耐えがたくなった。車内というのはパブリックスペースであり、マイルームなんて思われては困るのである。加えて、キューブドライバーのうち周囲の状況を読まない運転をするドライバーの比率は他車種と較べて明らかに高い。これらの話は私個人の感覚だけではなく、会社の同僚や車好きの友人達との共通認識である。キューブが前に居ると、ついつい車間を大きく取ってしまう。

 ジュークのライト周りの処理はアイディアとしては面白いと思う。が、全体の「形態」は品が無く貧相で、独特のライト周り処理の面白さが完全にスポイルされているというのが私の偽らざる感想だ。ノートやマーチには面白みすら感じない。もしトヨタ・アクアの「形態」があそこまでスパルタンな方向(走り屋風のゴツさを備える)でなく可愛い方向に振られていたら、日産のコンパクトカーのシェアは落ちてたんじゃないかな。

追記(2013/11/12):

 友人より「あんたの車も大したデザインじゃないんじゃないの?」というツッコミ。いやぁ、リアのデザインは秀逸ですよ、形態的にも安全的にも。プントはちょっと凹凸が淡白だけど、パンダは良い塩梅だと思います。対してフロントは確かにつまらないです、四世代前ぐらいのトヨタ車みたい。でも貧相な形態ではないです、断じて。

2013/11/07

一回は観とけ!三度!

 映画「ライトスタッフ」などで存在感を示したローバジェット(低予算)VFXスタジオ乱立時代のひとつの到達点、「ロボジョックス(Robot Jox)」。B級ですよ、そうですよ。でも「宇宙空間では爆発音がしない」と言う点は実にリアル、問題は「宇宙に行った理由が不明」というところ。最後の戦闘に出てくる多脚敵ロボも何気にカッコいいと思います。

オヤジのハートもわしづかみ、博多のご当地アイドル。

 アイドルグループ「Rev.from DVL」のメンバーで、現役中学生の橋本環奈(かんな)さん、こりゃイカン。とにかくJタウンネットニュースの記事「Googleトレンドの「急上昇中」で博多のローカルアイドルが1位!」を見ちゃらんね。

 表情が多彩で、ビビアン・スーさんぽかったり星井七瀬さんぽかったり。ジェネット・マッカーディさん同様に見ててとてもなごんじゃいます。