2013/03/07

wired.jpの記事 「どのようにSNSは死を迎えるか」が面白い(その2)

 さて、その2です。k-コアがどういうものかが分かっていないといきなり厳しいですよ。

 前回は、節点と腕を用いてモデル化したコミュニティネットワークから、任意の自然数(1以上の整数)kにおけるk-コアと呼ぶ部分ネットワークを求めたり、あるいは存在しないことを確認したりできることを述べた。今度はコミュニティネットワーク全体から接点へという見方とは逆向きに、節点に着目しよう。

 ある節点がk=nにおけるk-コアに属しているとしよう。このとき、この節点は少なくともnの「コア度(coreness)」を持つものとする。ここで「少なくとも」と断った意味は、この節点がk>nの条件を満たすkにおけるk-コアにも属している可能性があるからだ。この節点の真のコア度は、その節点が属するk-コアのうち「最もkが大きい場合のk-コア」の「k」そのものとする。

ksi:i番目の節点(i番目のメンバー)のコア度

 さて、ある特定のメンバーがコミュニティに参加し続けるということは、何らかの利益があるからである。更に加えれば、コミュニティに参加して活動することに伴う損失に対して見返りが充分に大きいということだ。

 ここで分析対象はSNSであるから、やり取りされたり共有されるものはざっくりと言えば情報である。具体的には文章かも知れないし、写真かも知れない。また情報であるから、新鮮さが重要な場合もあれば、逆に古いものがどれだけ短時間で取り出せるかが重要な場合もあるだろう。これらを踏まえて、メンバーにとっての損失と利益について考えてみよう。

 損失から行こう。

 まず、情報発信のための作業に伴う損失がある。具体的には、文章の執筆、写真の加工や選別、データのアップロードなどに要する「時間」である。ここで重要な点は、友達が1人だろうが1000人だろうが具体的な作業に要する時間は変わらないことである。すなわち、情報発信のための損失はコミュニティの規模に基本的に影響されない。

 次いで閲覧時の損失、「手間」と「時間」である。前者はインターフェースの分かりやすさや使い勝手、後者はサーバーレスポンスの良し悪しやサービス停止時間の有無や長短が影響因子として挙げられよう。「ユーザーインタフェースの刷新でメンバーがまごつく」といった事態は、一時的な損失増と見做すということだ。影響因子から分かるように、閲覧時の損失もコミュニティの規模に影響されない。他にも損失はありそうだが、ここでは上記の二つの損失の和で総損失が与えられるとしてしまおう。情報発信の頻度と作業規模が一定ならば、時間当たりの損失は一定となる。

 c:コミュニティに参加し続けるために必要なメンバー当たりの総損失

 で、利益である。

 利益は各メンバーの価値観に強く依存するし、情報には新鮮さなどの時間的な因子も絡む。よって、ここでは単純に友人から発信された情報の総数で代表させよう。利益のモデル化は損失のモデル化に輪をかけてざっくりしたものだ。

 b:腕1本当たりの価値(友人の発信した情報の価値、時間当たりで一定とみなす)
 Ni:i番目の節点の腕の数(i番目のメンバーの直接の友人の数)

 b×Ni:コミュニティに参加し続けることによるi番目のメンバーの総利益

つまり、特定のメンバーの総利益は「直接の友人の数」に比例する。

と、ここまで来れば

(総利益)-(総損失)= b×Ni - c > 0

の条件を満たせばメンバーはコミュニティに参加し続ける意味がある、ということは明解だ。だが、ここで終わっては面白くもなんともないし、何のためにk-コアなんて概念を理解しなければならなかったか分からない。以降でのポイントのひとつは、メンバーの総利益とコミュニティの規模との関係だ。これはコミュニティのネットワーク構造に依存し、失敗したSNSと成功しているSNSでは異なるということらしいのだ。

 「節点のコア度と腕の数にはどういう関係があったっけ?」とぼんやりとでも今考えたあなた、あなたは正しい。続く!

2013/03/06

wired.jpの記事 「どのようにSNSは死を迎えるか」が面白い

 wired.jpの記事「どのようにSNSは死を迎えるか:Friendsterで検証」の内容が面白い。記事中に論文PDFファイルへのリンクがあったので、ダウンロードして早速読みだしたところだ。

 まだ半分も読んでいない段階だが、wired.jpの記事に引用されている図(下図と同じ)の意味と論文で使用されている手法の大枠ぐらいは説明できる。


 図中の点または小さな丸をここでは「節点」と呼ぼう。同様に節点間を結んでいる線を「腕」と呼ぼう。節点はSNSのメンバー、腕はメンバー同士が「友達」であることを表していると考えれば良い。任意の2人のメンバー間には腕がないか、あっても1本である。また、上下関係といったような「向き」は腕にはない。つまり、腕で繋がれたメンバーは互いに対等な「友達」と考えよう。

 ここまで来れば第一の大枠の考え方、「『互いに友達の友達が友達』なメンバーで構成されるコミュニティは密なコミュニティ」とみなせる、というのはそう異論はないと思う。図的には、ある節点からスタートして「同じ腕を1回しか通らず」にスタートした節点に戻るルートがたくさんある状態だ。

 次に、wired.jpの記事中でも触れられているk-コア(k-core)が重要な概念となる。ここでk-コアとは、腕を「k」本以上持つ接点だけで構成されている部分コミュニティネットワークのことだ。なぬ、とか言わずに上図を見ながら続きを読んで欲しい。上図中のAがコミュニティネットワークの全体である。この中には、k=3、すなわち腕が3本以上の節点だけで構成された部分コミュニティネットワークが一つ含まれている。Aから腕が2本以下の節点を削除したのがBだ。k-コアを求めるには、同じ操作を削除する節点が無くなるまで繰り返すだけだ。A→C→D→Eがその節点削除操作を繰り返した過程であり(当然、ネットワークBとネットワークCは同じになる)、部分コミュニティーネットワークEがコミュニティネットワークAのk=3におけるk-コアである。k-コアを構成する節点に対応するメンバーは、そのコミュニティの中心メンバーとみなして良いだろう。

 一気に話を単純化しよう。「特定のコミュニティネットワークが安定的に存在する、つまりコミュニティが活発であり続けるには、コミュニティネットワークがk=3以上のk-コアを一つ以上含んでいる必要がある」としてみる。その上で図中のk-コアEからどれでも良いので節点を一つ削除してみよう。これは中心メンバーのコミュニティからの離脱に相当することは明確だ。さて、Eから節点を一つ削除したコミュニティネットワークには腕を3本以上持つ節点が含まれない。つまり、k=3におけるk-コアは消失する。これはコミュニティが活発な状態から実質的に活動停止状態になった瞬間だ。

 k-コアの概念の重要な点は、Eの状態から削除した同じ節点をAの状態から削除しても、やはりk=3におけるk-コアが消失するところにある。つまり、どんなに巨大なコミュニティネットワークでも、kが最大となるk-コアに含まれる節点を一つ削除するだけで、最大でも(k-1)に対するk-コア((k-1)-コアと呼ぶべきか)しか持てなくなり得るのである。裏を返せば、Aの状態からE(k=3におけるAのk-コア)に含まれない節点を削除しても、上述したk-コアを求める操作の結果はやはりEなのである。

取り合えず、今晩はここまで。

2013/03/04

SONiKAユーザー向けMegpoid Englishセカンドインプレッション

 丸一日格闘しました。結論は、「英語の歌は歌わせるな。」

 いや、正確には「英語の歌を普段から英語を使っている人間が歌っている状態のシミュレートには使うな。」といったところ。出来上がりイメージとして英語ネイティブの歌唱を持っていると、何時までいじってもまとまらない。まぁ、日本語の歌詞に何気に英語が混じっている場合にワンポイントで使う、というのが本来の使い方なのだろう。

 "The Look of Love"をやらせると結構面白かったのだが、どうしても日本人の英語にしか聞こえないというのはある意味凄いことかもしれない。海外の人が何人も指摘しているが、SONiKAの発音は「実にブリティッシュ」なのだそうだ。まぁ、自分のSONiKAの使い方は自分の中のヨーロッパ風歌唱のリアライズだから、実はSONiKAの使用は正解寄りのはずだ。対して「Ja-nglish(日本語なまりの英語)の座りの悪さ」はネタとして以外は使い道が思いつかない。(文法的に正しい限り、日本語なまりの英語は非英語圏の人間にも聞き取り易いのだそうだが。)

 音がもこもこしようが、合成時にノイズが入ろうが、英語の歌を歌わせるのならやはりSONiKAの方が上(それでも曲は選ばねばならないが)、残念。

2013/03/02

年度末進行とけいれん

 2月後半から完全に年度末進行。お客向けの報告書作成やお金の計算やら、果ては来年度の作業計画策定など締め切り目白押し。ここ2週間で自分の報告書は2本仕上げて、今週末はちょっとばかりゆっくりできそう。週明けはおそらく他の人間の書いた報告書のチェックの仕事が数本入る筈。

 実は自分の報告書がすんなり上長のチェックをパスするのは久しぶり、秘密のひとつは抗うつ剤の増量にある。単純にうつ症状が出なければ、それなりに論理的思考ができるということだろう。とは言え、しゃべると異様に疲れるのは抗うつ剤だけでは解決できない。よって会議は辛い、特に専門家として参加する会議は辛い。うっかり論理の破綻或いは脆弱性を目の当たりにするようなことがあれば、例え厳しくとも言うことは言わなければならないし、非専門家相手なら良くも悪くも懇切丁寧に説明しなければならない。心に余裕の無い身としては、会議の席で宿題(予定外の仕事)をもらう事態も避けたい。

 現在使用している抗うつ剤の副作用には胃腸障害などがあるが、けいれん閾値を下げる場合もあるらしい。そのせいか、靴を脱ごうとしてふくらはぎがけいれんし、玄関でのたうつ事態に何度か陥っている。特にまずいのが東京出張帰り。自宅から駅まで約2kmの往復に加えて、東京出張はけっこう最寄り駅から歩く距離が長くなることが多い。更に言えば、出張先(つまり客先)で黙っている訳にもいかない。

 ふくらはぎがけいれんするなんてのは、何気に体育会系だった十代のころは日常茶飯事。対応も手慣れたものだったのだが、いかんせん運動不足と加齢で身体がすっかり固くなっている。が、今やけいれんが怖くてジョギングにも腰が引けるというのが実態だ。

 …いかんのぅ。

2013/03/01

SONiKAユーザー向けMegpoid Englishファーストインプレッション

 毒を食らわば皿まで。デモ曲も聞かずにMegpoid English導入しましたよ。

 取り合えず、SONiKAで作った"Fly Me to the Moon"と"Always Look on the Bright Side of Life"をV3 Editorにロードして歌手を変更して再生してみました。ファーストインプレッションをば…

・発声タイミング、Velocityに対する感度がSONiKAと微妙に違う。少し編集しないとダメっぽい。

・10~20kHzあたりの高周波数域が気になる。合成の影響か、ボイスバンク自体がそうなのかは調べてみないとなんとも言えない。まぁ、イコライザで削る分には、元々このあたりの周波数が不足気味のSONiKAのボイスバンクより筋は良いと言えば良い。

・[v][kh I][p][f I]の発音がVelocityなどでかなり印象が変わる。[l0][@r]には違和感あり。SONiKA向けの調整のままだと、[Kh I][f I]は大音響、[p]は逆に小さくて良く聞こえない。"love"、"kiss"とか、良く使う単語に含まれる音なので重要なんだけどね。

 今週末は、"Fly Me to the Moon"で調整にトライ!

2013/02/25

BoostaBootsさんのレギオス(機甲創世記モスピーダ)のCGモデル

 マクロスのVF-1AとかのCGモデルを作ったりしてますが、今回はVeritech Fighter繋がりでBoostaBootsさんのレギオス(機甲創世記モスピーダ)のCGモデルのテストショットをご紹介。平面出し、全体バランスなどneat(=きっちりした)な仕上がりのCGモデルです。このレギオスを使ったショートムービー作りも計画しているらしいので、是非次に期待しましょう。

2013/02/24

「宇宙戦艦ヤマト2199」Vol.4でましたよ。

 うっかり過去に「『宇宙戦艦ヤマト2199』Vol.3でましたよ。」へのリンクをクリックしてしまった全国約120名の皆さま、今回が本ブログの初めての訪問となる皆さま、おはようございます/こんにちわ/こんばんわ。「宇宙戦艦ヤマト2199/第11話~第14話」のDVD/Blu-rayが発売、さっそく購入しましたよ。

 Vol.4とは関係ない話で申し訳ないですが、実はVol.3は一回見たきり。Vol.2がBGVにも使えたのでプレーヤーに入れっぱなしだったのとは雲泥の差です。要するに、2199オリジナルの語り口が肌に合わないのでしょう。Vol.3が面白かったのか面白くなかったのかと聞かれれば、「今は『ザ・ペンギンズ from マダガスカル』の方が見たいです!」って話をはぐらかしそうです。

 Vol.4はとっちらか感がVol.3よりも露わ。結果、細かいことが気になるばかりという有様。2199の総監督が出淵氏と知った時点で、①Me262かMe163あたりのWWIIドイツ機のモチーフを絶対持ち込む、②耳がとんがった女性キャラが絶対出てくる、という直観があったのだが、実は既にその通りになっていということにやっと気付く、というのが一例。いい加減①②を外してくれば、プロっぽい雰囲気も出てくるだろうにね、と正直思います。

 とっちらか感のひとつの原因は、Vol.1から思わせぶりなセリフがとにかく多い所にきて、更に思わせぶりなセリフを重ねていくところ。その話の中でだけならカッコ良かったり、雰囲気が良かったりしても、こんな使い方ではそれだけで終わってしまいます。確信犯的に視聴者をミスリードしても良いから、思わせぶりなセリフの謎をちゃんと順次回収していくのが送り手側としての良識ではないかと思いますけどね。

 オリジナルは「アニメでSFをやろう」感がありました。「アニメ」は手段に過ぎない感がありました。私にとってのオリジナルの凄さは、「アニメ」という手段を選んでやりたいことをやった結果として、出来た作品が既存の「アニメ≒テレビ漫画」感を打ち壊し、表現手法や手段としての「アニメ」の可能性を実際に示してしまったことにつきます。つまり、「ヤマト」=「アニメ」である必然性はないのです。加えて、個人的には2199のSF感の欠如具合が本当に残念。私は「SFファン」ではあっても「アニメファン」であったことは一度もないので、私が2199に魅力を感じるか否かにとってSF感の欠如は致命的なのです。

 また、ハンドルしなければならないキャラクターの数を増やしておきながら、エピソード構成はとても群像劇向きとは思えないのも奇妙。森雪、ユリーシャの扱いも思わせぶりなシーンを重ねただけで、視聴者のミスリードを狙っている雰囲気すらVol.4では失われてしまいました。

 宇宙戦艦ヤマトという素材を「アニメ」で表現することは、「アニメを作ることを職業とする人たち」だけでは手に余るということなのでしょうか。

追記:「トランキ…ライザ?」なんてありましたね。有ったらヤダな、2199。
  • 佐渡先生の「…こう、もっとリキのあるヤツで引っ叩かないと…(驚愕、絶句)」その他諸々。
  • ・デスラー総統暗殺・クーデター計画「ワルキューレ」……ではベタ過ぎるので「ローレライ」……では終戦っぽいので「セイレーン」とか「オーロラ」、「トール」、「トゥーレ」、「ヴリル」。クーデター仲間同士の合言葉が「境界線(デマケーション)」。
  • ガミラス帝国の秘密兵器「ディー・グロッケ(釣鐘)」、かと思わせておいて実はヤマト搭載の自動航行装置の名前が「ディー・グロッケ」…ちょっと形が違うか。何れにしても究極の量子状態観測装置であってはいけませぬ。

2013/02/22

CONTE DE QUARTIER 1 : ORANGE O DESESPOIR +1

 タイトルは「オレンジの絶望」って感じでしょうか?クレジット表示が始まっても最後まで見ましょう(期待はしないで)。

 オレンジやパイナップルの表面にメッシュ制御点が見える気がするのは「職業病」ならぬ「趣味病」ですな。この作品みたいな良い意味で緩いモノを作ることが、実は私の目指すところ…です…けど…ね…ミサイルも好きだもんなぁ。

2013/02/21

「博士の異常な愛情(以下略)」のトレーラー紹介後の後処理

 本ブログをマメにチェックしてくれている遠方の友からメールあり。「『博士の異常な愛情(以下略)』を観たけど面白くなかったぞ」という内容である。「ま、そっかな」とか思わなくもないが、実に「バカバカしい」しい映画である点は合意できた。ついでなので思うところをメモっておこうと思う。

 個人的に「博士の異常な愛情(以下略)」のビビりポイントは、「良い音楽、計算されたカメラアングルや照明、デザインはもとより出来も素晴らしいセット、ジョージ・C・スコットを筆頭とする俳優陣の濃い演技エトセトラエトセトラ、が、結局バカバカしい」ところだ。タイトルのストレンジラブ博士は登場するもストーリー展開には一切関与せず、ただただ戯言を繰り出しながら意味のない小芝居(?)を続けるだけである。挙句の果てにあのセリフである。

 観客はまず間違いなく感情移入できる登場人物を見つけられない。自分をバカだと信じる一部の人間を除けば観客は文字通り観客のままであり、下手をすると人間達のバカさかげんを上から目線で見ている「神」のような気分にさえなるかもしれない。が、先の展開が予測できなかったならば「神」の気分は錯覚にすぎないということだ。

 「タイトルから内容を想像すること自体が無駄である」こと、そこから本映画の仕掛けが始まっているとしか思えない(ウィキペディアにも記述があるように、クーブリック監督はタイトルの直訳しか許さなかったらしい)。本映画が描くのは不合理や不条理ではなく、時にこてこてのコメディスタイルでコーティングした理不尽である。

 人生の至るところに転がっているのにも関わらず、理不尽は実のところ全く笑えない。例えばお金を払って観た映画が面白くなかったとかね。僕にできることは、理不尽を笑い飛ばして生きていることを実感することだけである。「時計じかけのオレンジ」を観れば性的メタファの氾濫に辟易し、「2001年宇宙の旅」を観れば寝てしまう僕は、「博士の異常な愛情(以下略)」を観るたびにちょっとだけ元気をもらうのだ。

2013/02/19

イランのステルス!? F-313

 飛行中の写真としてイランのニュース系ウェブサイトで公開されたイメージがフォトショップによる合成だとか、色々とイチャモンつけられているイランのQaher F-313、個人的にはちょっとカッコイイと思っちゃいました。主翼端の下げ、第二次大戦中のドイツ機的には「リピッシュの耳」みたいな処理が、ぱっと見で横方向安定性悪そうな全体形状と良い塩梅にマッチしてます。翼端下げの処理無しでパイロットの望み通りに飛ぶためには、ユーロファイター・タイフーン並みの制御技術(弱安定化+フライ・バイ・ワイヤによる動的自動姿勢制御)が必要と勝手ながら思っちゃいます。先尾翼が全浮動式ではないことも含めて、ある種の潔さも感じたりします。まず飛んだとしても、旋回半径はデカいし、迎角をちょっとでも大きく取ると瞬時に落ちそう。

 まぁ、エアインテイクが幾らなんでも小さすぎるだろうとか、計器があまりにも高速機っぽくないとか、そんなに小さい機首ではろくなレーダーが載せられないだろうとか、ツッコミどころは色々あるでしょうが、まぁ現時点ではご愛嬌ということで。  ミリタリー関係に強い会社の同僚に「飛んでるシーンがあるよ」と言うと、すかさず「ラジコンじゃね?」。あぁ、心神とかそうだよね、となんとなく納得。