2021/09/25

「平時」ではない

 昨日実家に電話をし、母親と少し話し込んだ。

 「他者の考えを聞いたうえで自分で判断せよ、判断に足らない情報は自分で集めよ、自分のことは自分で決めよ」が暗黙の家訓みたいな家族なので、新型コロナワクチンを接種するかどうかの判断から接種の手続きまで父母ですら別々だった。だからと言って家族としてバラバラかというとそんなことは無く、むしろ情報交換・コミュニケーションを極めて重視する傾向にある。ただ「自分のことは自分で決めよ」とのスタンスの当然の帰結として、私も含めて皆明らかに頑固者の部類にはなる。と同時に、例えばTV報道内の「(無味乾燥な)事実」の部分とコメンテーターとか言う怪しい存在が口にする「コメント」の部分を分離できるぐらいの情報リテラシーは当然備えている。それが事実ならば「私には分からん」「私は知らん」を平気で口にできる、弱音も吐ける。イデオロギー、権威主義と自分を守るためだけのプライドは家族の中にあっては一切無用だ。

 さて、 

新型コロナ禍については「早く治療ベースの対策フェーズに移行できると良いね」と言う辺りは私と母の共通認識ではあったのだが、ブースター・ワクチンの可否の話などを含めて細かいところでイマイチ話が噛み合わなかった。理由は単純だった。母は良くも悪くも現状に慣れてしまったところがあり、将来の状況を現状の延長で考えている節が明らかにあった。私の認識は「現在は非常時」、少なくとも「平時ではない」なので、そりゃ話が噛まないところが出てくるのは当然だ。

 ワクチンが無料で接種できる、少なくともブースター(3回目接種)までは無料のようだ・・・は「平時ではない」から国が面倒を見てくれているに他ならない(まぁ税金の使い方としては悪くない)、と言うのが私の認識だ。だから新型ワクチンや治療薬と言った実効性ある対策の選択肢が出そろうにつれて国は面倒をみてくれなくなっていく・・・無料から一部補助、そして補助無しへと「平時」へと歩を進めることになる。私にとってはこれは当然の展開なのだが、私の母も含め、その辺りの可能性に未だ思いが至っていない人も多いのではないかと思う。なので「治療薬が一般化したとして、その治療が無料で受けられると思う?新薬は高いよ?」との私の言葉を聞いて、電話の向こうの母が一瞬絶句したのも頷ける。色々気づいちゃった訳だ。

 薬を売る側はそんなことは分かっている。例えば新型コロナとインフルエンザの混合ワクチンといった付加価値の高いワクチンの開発には、「平時において客から選ばれる、競争力のある製品となり得る」ことも重要なドライブ因子となっている筈だ。ここで客は国ではない、個人だ。

 現時点でまず間違いないのは、ファイザー、モデルナ、アストラゼネカ製ワクチンについては接種対象となる全ての人に対して(ブースターとなる)3接種目までは国によって(税金で)面倒を見てもらえるだろうことだ。これは接種が無料であるだけでなく、ワクチンの調達・保管・流通・接種体制の構築及び維持も含む。

 私の記憶に間違いなければ、1・2回目接種分のモデルナ製ワクチンの調達は9月納品分で終了する。ファイザーも年内に調達は終了する。以降の調達分はブースター分であって、1・2回目分ではない。つまり、未だワクチン接種を考えていない人のための1・2回目用ワクチンはいずれ期限切れで廃棄され、ワクチンの保管・流通・接種体制の構築及び維持はブースター専用となる。だいたいこのくらいのタイミングで接種券の有効期限が切れるのではないかと思う。2月と言うのは絶妙だ。

 当然、1・2回目の接種をしていない人はブースター接種の対象者にはなれないから、将来的な国によるブースター接種を受けるためには自腹(?)で早期に1・2回目の接種を受けなければならない。廃棄される、或いは緊急性を有する他国に無償供与されることになるかもしれないワクチンには、最初から接種する考えの無い人やその時点まで「様子見」して結局接種しなかった人の分も含まれている(=税金で購入されている)。何らかのセーフティネット的なものは用意されるかもしれないが、以降の1・2回目接種への税金の再投入は、(官僚的な)公平性の観点からは有り得ない。

 調達ルートが変わればワクチンの価格も変わるだろう。もちろん、競争原理により安くなる可能性もある訳だが、さすがに無料にはならない。新型ワクチンや国産ワクチンへの国からの何らかのインセンティブはあるかもしれないが、そこにも接種者に対しては「公平性」が介在することは避けられない。この辺りは流動的だが、そもそものノババックス製ワクチン調達は来年用だった筈だ。来年のノババックス製ワクチン接種が無料(税金)は筋が通り得るが、今年はどうか。筋論としては「税金による無料接種」は有り得ない。例外は、体質的な要因などにより既存のワクチンが接種できないがノババックス製なら接種可能な人ぐらいだろう。

 制度運用における「非常時」か「平時」かは人が決める。「明後日零時をもって平時とする」みたいな時がいずれ来る、来ないと困る。 ただその切替タイミング以降、それまで無料だったものが有料になったり、それまでワクチン接種者が毎日訪れていた場所が空っぽになったりする筈だ。ワクチン接種などに慎重なのは結構だが、その時になって慌てるようでは唯の無定見、ある意味では負け組だ。

 とまぁいった具合に、電話での母との意識のすり合わせはできたのだが、皆さんはどうだろうか。 別エントリにも書いた我が家の合言葉である「罹ったら負け」は、「非常時」「平時」を問わない。

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