本エントリは何時にも増してブログ主にしか意味ないよ。
米国映画「ブルーサンダー(1983)」は好きな映画で、DVDはまだ手放してはいない。初見はTV放映された吹き替え版で、音楽の処理に東北新社っぽさ(他の映画の楽曲を使ったり、オリジナルから抜いたりする)もあったし、高島忠夫氏が「監督のジョン・バダムはハイテク・スリラー映画の鬼才と呼ばれる」と紹介しているみたいな朧げな記憶もあるから、1986年のゴールデン洋画劇場版でほぼ間違いない。
私の見るところ、当時ですら「もはや失われつつある」と当の米国人にも認識されつつあっただろう「古き良きナイーブ(初心な)な米国」流の正義漢を描く映画である。主要な二人の正義漢の名前に「フランク=正直者」、「グッド=良い人」といった、「やっていることは正しいのだが、融通の利かない人」っぽい感じを与える単語が入っているのは過剰なまでに意図的なものだろうと思う。
さて、映画のタイトルにもなっている「ブルーサンダー」は、ロサンジェルスオリンピックを目前に警察に導入された紺色に塗られた対テロヘリコプターの愛称である。暴動鎮圧用と言うものの機首下にはガトリング砲が装備され、素人目には軍用戦闘ヘリコプターと区別はつかないだろう。映画のストーリーは、「ブルーサンダー」導入の本当の目的、上記の正義漢らにすれば「悪の陰謀」にしか見えない「実験計画」を軸に展開する。
ここでやっと本エントリの本題に入る。その「実験計画」こそが「THOR計画」だ。当時の吹き替え版では「ソア」と発音されたそれは、"Tactical Helicopter Offensive Reaction"の略だ。本題とは関係ないので計画の内容にはここでは踏み込まないが、当時、吹き替え版を見ながら「ソア」と言う発音にも省略前の文章(劇中のブラウン管ディスプレイに表示される)にもイマイチ無理矢理感を感じてしっくりこなかったのだ。
アクロニム(文章を構成する単語の頭文字を並べて作った語句)の作成に挑んだことのある人なら分かると思うが、最終的に得られるアクロニムが格好良くなるなら、元の文章が多少変になっても気にしないだろう。"THOR"にもそんな座りの悪さを感じたのだ。裏を返せば「"THOR"ありきなのは何故か?」と言う印象を持ったということだ。
それから約35年、ついに理由っぽいものに気づいた。
きっかけは何のことはない、「ブルーサンダー」のサントラを久しぶりに聞いたことだ。映画冒頭に主人公が「自分が正気かどうかを確認するシーン」があるが、 そのシーンの楽曲を耳にした瞬間に閃いた。
"thor"の発音の日本語への置き換えは、かつては「ソア(ソゥア)」が主流だったが、現在は「ソー」が増えている。"Thor"は「マイティ・ソー」の「ソー」、米語においても固有名詞として北欧神話の雷神「トール」を指すと同時に「雷」の意味も持つ。もっと言えば、英語の"thunder(雷)"の語源ですらある。なお、米語でもそれぞれの日本語表記に対応した2つの発音がある。
なんともはや、「ソア計画」は「雷計画」又は「雷神計画」だったのだ。「"THOR"ありきなのは何故か?」の答えはきっと、脚本家、監督、或いは「ソア計画」に携わっている劇中人物の何れかが「雷づくし」を意図したのだろう。だから"The special"とも呼ばれた「THOR計画」のキーアイテムたるヘリコプターは、「トールのハンマー」が放つ「青い雷」と名づけられたのだ・・・なんてね。
なんとも何かをこじらせた感がある結論になっちゃったなぁ。
「そんなのとっとと気づけ」とは言わないで欲しい。80年代に「ソア」と来ると、トヨタの「ソアラ」あたりを連想してしまうのだ。そうなると雷どころか太陽の方に意識が行ってしまう。ただし、ソアラと太陽とを関連付けるのは、日本語での語感に引っ張られた勘違いに過ぎないことを後に知る。また当時ファンタジー系書籍を読んでいた人間にとって雷神トールの綴りは、北欧系の「TOR」が普通だったのだ。
ちなみに80年代前半のアクション映画の主人公にはベトナム戦争帰還者が多い。「ブルーサンダー」もそうだし、「ランボー」や「ファイヤーフォックス」もそうだ。彼らは時に「ベトナムでの記憶」に苦しめられる(所謂、ナム・フラッシュバック)が、実戦経験を生かしてかちょっとやそっとの逆境には動じずに迷わず的確な手を打つ。そこに「有り得ないこと」を劇中で何とか成立させるマジックが生まれた時代だったんだねぇ。
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