毎度ご愛顧ありがとうございます。本年最後の【のっソロ】として番外編をお送りいたします。
さて「オープンワールド性」とはなんでしょう?
以前のエントリで書いたように、私は「サンドボックス性を備えている」ことを必要条件に挙げました。
では「サンドボックス性」とはなんでしょう?
大上段に振りかぶれば➀プレイヤーが用意されたフィールド内で何でもできる」ということになるでしょうか。更に「②プレイヤーのフィールド内でのそれまでの行動が以降のプレイに影響する」というのも加えられるでしょう。とは言え➀も②も実現できるレベルには様々な制限があります。ですから、ここでは「オープンワールド性、サンドボックス性」と敢えて「性」を付けてあります。
ならば「リアルなフィールド」は「オープンワールド性」にどう寄与していることになるのでしょうか。私の見解は単純です。
まず、「リアルなフィールド」は「オープンワールド性」にとって「必要条件ではない」、はっきり言えば「サンドボックス性」がそれを要求している場合にしか意味がありません。つまり、「リアルなフィールド」が物理演算を含めて幾らリアルになろうと、「オープンワールド性」の向上には寄与しません。ですから、いくらフィールドが精緻であっても「サンドボックス性」に欠けるものは「オープンワールド性」にも欠けている訳で、オープンワールドを名乗るに値しません。
そして、現行の大部分のオープンワールドを名乗るゲームはオープンワールドゲームではなく、「自称オープンワールドゲーム」に過ぎないのです。ですから、「自称オープンワールドゲーム」を叩くことで「オープンワールド」へのヘイトを垂れ流すのは実に馬鹿げた、事の本質を理解していない間抜けな恥ずかしい行為と言えるでしょう。ましてや、一家言あるゲームプレイヤーたる者なら「マーケティング用語としてのオープンワールド」を真に受けるような魯鈍であってはいけません。更に加えるなら、ゲーム制作者たる者が「自称と本当のオープンワールドを区別していない、区別できない、そんな問題意識すらない」なんてのは論外で、ましてや「わざと区別していないふりをして、自称オープンワールドゲームの欠点をさもオープンワールドの欠点のように論(あげつら)う」なんて卑怯なことはしてはいけません、
この記事内に記載のとある人の発言は、「オープンワールド」を全て「自称オープンワールド」に読み替えれば全く同意です。しかし、もし本気で・・・ならばその立場の人間としてただの無能か時代遅れに過ぎませんね。
私にとって「オープンワールドに最も肉薄したと言えるゲーム」は"Far cry 2"です。
スナイパーライフルを抱えて敵の小拠点に近づきます。スコープの中には間抜けにも一人で巡回している敵が見えます。脚を撃ちます。撃たれた敵はのたうちながら仲間を呼びます。また間抜けにも一人で駆け寄ってきた敵の仲間は、撃たれた仲間を抱え上げます。駆け寄ってきた敵のやはり脚を撃ちます。二人の敵がのたうち回っています。追加の敵は現れません。そこですかさず、二人の内の元気の無い方の頭を撃ちます。さぁ、新しい敵が現れそうな位置とまだのたうっている敵が同時に捉えられる位置に移動しましょう・・・あ、ライフルが故障した・・・
初弾次第で以降の展開が変わり得ることが分かるでしょう。これは初歩とは言え「ダイナミック(動的)なサンドボックス性」のたまものです。雨が降っていれば?夜ならば?早朝なら?ほんのわずかですがそれぞれプレイの展開に影響しますよ。「動的なイベント発生」は「サンドボックス性」のごく一部の要素でしかありません。逆説的に言えば、動的イベントが発生が一切発生しなくてもオープンワールド性は損なわれません。動的イベントが発生しないのはオープンワールドだからではなく、単に作り手がイベント自体を用意していないか、イベントが発生する仕組みを組み込んでないだけでしかありません。
ただ結果として、"Farcry2"は誰得難易度なちょっと変なゲームになってしまいました。私に言わせれば、ある意味オープンワールド性を一気に進め過ぎたのです。当たり前のことが当たり前に起こる環境の構築は、それを作り上げる手間は大変なもののゲームの面白さにはなかなか繋げられません。ですから一種の合理化は避けられませんでした。
プレイヤーが利用できるリソースの制限を無くし、アイテム発見の手間を省略し、更にストーリー性を強化して確信犯的にプレイヤーの自由度を制限するなどして、ゲームとしてはバランスが良い"Far cry 3"のシステムが生まれました。ただし、オープンワールド性は大幅に後退しており、個人的にはオープンワールドゲームを名乗れる現実的な最低ラインを決めてしまった側面もあると思います。そしてこれ以降、オープンワールドを名乗るゲームのオープンワールド性は、マーケティングや開発者の都合や無理解により下げられ続け、ほんの数年で 開発者すらオープンワールドの本質を忘れたり、理解しないままにしておいても問題無いという低レベルな環境すら生み出してしまったようです。"MGSV"はその種の低レベル環境(≒低レベル集団)が生み出した「(オープンワールドを名乗るという意味において)勘違い」の最たる例ですね、オープンワールド性なんか欠片も無い。
とここまで書けば、私が"Ghost Recon Wildlands"に何を期待しているかが多少は分かってもらえるんじゃないかなと思います。そして、「本当にオープンワールドゲームが終わる」にしても、少なくとも「本当の、よりオープンワールドの理想に肉薄したオープンワールドゲーム」の登場をまず待たねばなりません。
「自称に過ぎない似非オープンワールドゲーム」が「まだ生まれてもいない本当のオープンワールドゲーム」誕生の芽を潰すなんて事態は余りに悲しい・・・