2014/12/18

安定のクラカタウポスコ:補足

 今回の爆発は転炉(コンバータ)だそうです。つまり、高炉と転炉の配置はこんな感じということかな?
 高炉とは鉄鉱石やなどを上端から放りこみ、「鉄(Iron)」を分離するためのもの。鉄鉱石などを高炉の上端に運ぶための長いベルトコンベアらしきものが見えますね。転炉とは鉄に混入している炭素を除去して「鋼(Steel)」とするためのもの。炭素を除去するために酸素を炉内に吹き込みますが、通常は水が入る要素はありません。爆発原因が水と銑鉄との接触との事ですが、何故水が混入するのか全く理解できません。

 ちなみに、酸素を吹き込むだけで鉄中の炭素を二酸化炭素の形で簡単に除去できるそうです。また酸素と炭素の結合時の反応熱が大きいため、転炉では特段の加熱は必要ないらしいです。良くできてます。さらに言うと、仕事で関わった事があるので知っているのですが、吹き込む酸素は大気中から精製します。原理は面倒くさいので省略しますが、液体窒素と液体酸素の僅かな沸点の違いを利用するこれまた良くできた方法を用います。

2014/12/16

安定のクラカタウポスコ

 韓国とインドネシアのジョイント会社、クラカタウポスコ製鉄所で15日にまた爆発が起きた模様。なかなか豪快な爆発で、建物の屋根とか陥没してそうな勢い。
Googleさんで調べてみると、場所はここかなって感じ。さて如何でしょう。
  鉄鋼は中共国内の生産力だけで世界需要を賄えるとされる昨今、まともに稼働してもそうそう儲からない筈なんだよなぁ。

2014/12/14

衆議院議員選挙です。

 先ほど投票を済ませてきました。昨今の国政レベル選挙は隠れ争点、厳密にはマスコミが基本的に報じない事案、もあるので、たかが一票、されど一票の重みは以前より増している気がします。

 間接民主主義政体はしょせん「相対的に成功してきた」政体のひとつに過ぎませんが、日本の「国体」や歴史的文化とも相性が良いと思います。権利は有難いものとしてきっちり行使しましょう。ついでに責任についてもちょっと思いを馳せましょう。完全な私見ですが、日本がヤバくなる兆候の一つは「相互監視が始まった時」、責任の名の下に投票と言う権利行使を事実上強要されるようになった時と考えています。もう一つは政党側が野合によって巨大化、均質化した時。この場合は実質的に投票者の選択肢は無くなり、権利自体が有名無実化します。これらの観点からは、現在の国民の選挙行動を取り巻く状況は極めて健全と言えます。

 あと、間違っても権利は「果たす」ものではありませんよ、某報ステのキャスターさん。思いっきりあきれさせて頂きました、本当に言葉をちゃんと使えない人ですね。

 さて、この2週間にも色々ありましたが、このタイムラグを最も有効に使うことになるのは誰でしょうかねぇ。

2014/12/13

トヨタ車のデザインって

イマイチって言うか何と言うか。MIRAIのデザインである意味びっくりしたのが面処理の醜さ、特にフロントから引っ張ってきた面がリアに繋がるところの面分割の処理の醜さ、デザイナーが何がやりたいんだか全く分からないというかその部分の「デザインされてない」感がハンパ無い。リアデザインのつまらなさが更に残念感を煽ります。

 そしてここが重要なところ、「どっかで上手く処理しているデザインを観た事があるぞ」感もあったこと。MIRAIのデザインに新規性は全く感じられないどころか、既にもっと良い面処理をしたデザインの車があったじゃないか、ということ。

 じゃ、「あまりの上手さに私が感心したデザイン処理」を備えた車とは...つい先ほど何の脈絡も無く思い出しました。

 ずばりランボルギーニ・ウラカンとその先行デザイン群です。「その会社の車と一目で分かる特徴」をきっちり残し続けながら常に「その時のデザイン」を提示する...この点に関してはランボルギーニにブレは無いように思います。 ソリッドカラーで成り立つデザインってのは実はとっても難しい筈なのですが、ランボルギーニはそれを常に成功させ続けてきたとも思います。

 あらためてランボルギーニ車のデザインを一望(ネットは便利)したあとでトヨタ車やホンダ車の最近のデザインを見てみると...


こっちはおまけ。

2014/12/08

サンダーバードのテーマ!!

 私と同世代の人ならおそらく知らない人はいない「サンダーバードのテーマ」。作曲者のバリー・グレイ氏は謎多きと言うか写真も余り残っていない人なのですが、残した楽曲群はマイエバーグリーンです。

 かつて渋谷に映画、TV音楽を専門とした輸入レコード/CDショップがあり、足しげく通っていました。そこでとにかく入手したのはサンダーバードをはじめとした英国TVシリーズ音楽のCDです。けっこう人気があるので見つけたらとにかく購入、次は無いと思わなければならないような状況でした。iTunes Storeとか使っていると「こんなに楽に購入できて良いの?」って気分に未だなるのは仕方ないとしても、購入してからプレーヤーにかけるまでのワクワク感はもはや失われてしまったと言って良いでしょう。90年代初頭の輸入CDは軒並み再生エラーが頻発するようになってきましたから、音楽保存メディアとしてはCDはレコードに完全に負けています。またデジタルデータならばCD上にあろうがハードディスク上にあろうが無関係な訳で、もはや音楽流通メディアとしてもCDは意味を失っているように思えます。ハイレゾとか言い出すと、もはやCDには出番すらありません。
 さて 世代がらTV放送はモノラル音声が当たり前、故に「サンダーバード」、原題では複数形の"Thunderbirds"、もモノラル音声で観ていたことになります。本カバーは「モノラル音声で聞いていた楽曲を当時自分が頭の中で勝手に再構成していたステレオ版」の再現です。ですから、現在手軽に入手できるようになったステレオのオリジナルサウンドトラック版とは色々と違います。オリジナルを知っていると「あれっ?」と思う様な所も込み、と言ったところでしょうか。
 そう言えば、映画"THUNDERBIRDS ARE GO!!"のエンディングには観た当時に意表を突かれた事を思い出しました。 1:27:30あたりから。

2014/12/07

Megpoid English、YMOの「シムーン」カバー

 日本語では敢えて「シムーン」、アルバム「イエロー・マジック・オーケストラ(日本版)」の同曲に対する自分なりのイメージをかなり引きずった音作りになってます。最小限のリバーブ(残響をシミュレートするエフェクター)の使用と波形丸出しのシンセ音が一種のコンセプトで、ミックス名の通り、2種類のパーカッション(ジィー、チン!)を除いて、音は全てソフトシンセZ3TA+2(ゼータ・プラス・ツー)で作ってます。ドラム音とベースは正弦波とノイズだけ、風音はノイズだけ、他の音は矩形波が絶対入ってます。

 あ、DAWをCubase 7.5からCubase Pro 8にアップグレードしました。レンダリングエンジンが軽くなっている(リアルタイム再生時のCPU負荷が下がっている)のはメーカーの謳い文句通りです。ただしバッファサイズを小さくするとリアルタイム再生時にノイズが発生し易い傾向があります。

 FL StudioBitwig StudioへのDAW乗り換えも考慮しましたが、一旦使い慣れたもの変えるのはやっぱり敷居が高いですね。複数のグレードを揃えたアプリケーションであっても、欲しい機能の有無にこだわれば結局最高グレードを購入せざるを得ない訳で、導入コストも必然的に高くなります。ただ、FL Studioは無償でアップグレードし続けられるので5年単位ぐらいで見れば元は取れるでしょう。Bitwig Studioはバージョンが1.0から1.1に上がることと年末(会計年度末)ということもあってか、1月中旬まで少し安い価格で購入できるようです。円安が進行している昨今でも、国内代理店経由より海外のメーカーサイトで直接ダウンロード購入した方が安い、というのは何とも。

 Megpoid音声はエフェクトを除くとPiapro Studio出力のまま、調整は無しです。もちっと音は丸めた方が良っかなぁ。

おまけ

2014/11/29

STAR WARS Ep.7のティーザー公開


Xウィングファイター、TIEファイター、ミレニアムファルコンが地球型惑星の大気圏内どころか地表や水面すれすれで高機動運動・・・スターウォーズの世界観も大変更ですか、作り手の知的な感じ(ちゃんと考えてる感)が下がる一方ですなぁ。

朝日vs読売、低レベルであっても...:補足

 先のエントリの補足です。なぜ朝日新聞の記事が駄目なのかについて。

 最大の問題点は事実関係を全く明らかにしていないこと、となれば客観的に有効と思われる具体的な再発防止策が語れるはずもない。そもそも、記事の元ネタはれっきとした調書、しかもそれを入手しての記事となっている。記事を書いた人間、記事の内容をチェックした人間とその具体的なチェック範囲に何ら言及がないのでは、処分した人間が本当に処分されるべきだったのかも不明だ。

 「記事を書いた人間は調書を読んでいた」...それすら不明確である。結局のところ、調書入手から記事の出稿に至るまでの「事実関係」が大事なのだ。要らぬ推測を招き、地に落ちた朝日新聞社の信頼はもはや戻らない。「事実関係」の秘匿が意図的ならばもはや報道機関というなら犯罪と言って良いし、「事実関係」を確認すらしていないなら報道機関としてはもはや腐りきっている。記事内容は様々な可能性を否定しないため、実際に起きた事の矮小化の意図すら残る。可能性は幾らでも考えられ、それによって事態の重大さは全く異なる。
  • 記事の執筆者は調書を読んでいない。調書を読んだ上司が記事内容を執筆者に指示し、執筆された記事をそのまま出稿。
    ・・・この場合は組織的な悪意が疑われる。執筆者には罪は無い。
  • 記事の執筆者、上司は調書を読んでいる。読んだ上であの記事を執筆し、出稿した。
    ・・・この場合は悪意の存在は明確、組織的な「捏造」である。
  • 記事の執筆者は調書を読んでいたが、上司は読んでいなかった。上司は記事内容と調書内容との整合性をチェックしないまま出稿した。
    ・・・この場合は執筆者に悪意の存在は明確、個人的な「捏造」である。上司は職務怠慢を最低ラインとして、「故意」による「捏造」ほう助も疑われる。
  • 調書の入手方法がそもそも違法であった。
  • 調書を持ち込んだ人間がいて、かつ記事内容もいっしょに売り込んできた。調書を持ち込んできた人間や経緯は明らかにできない。
などなど。

 「事実関係を重視しない姿勢」は朝日新聞社がかねてより積み重ね、さらに今でも積み重ね続けている文化のようである。「捏造内容」のレベルすら低いのはおそらく馬鹿だからではない、「事実関係を重視しない姿勢」が「捏造内容」に厚みを与えることができないのである。「吉田調書内容の捏造」すら、朝日新聞社には手に余る高度な知的作業だったというだけなのである。「捏造」の一つもまともにできない組織が報道なんて知的作業が出来る筈もないのでは?

朝日vs読売、低レベルではあっても...

リスト紙1枚分の差は本質的に大きい。敢えて例えれば常識、礼儀をわきまえた社会人3年生とDQNな母親の回りで騒ぎまくっている3歳児ぐらいの差かな?

 朝日新聞デジタル記事「『吉田調書』報道で前報道局長ら6人を処分 朝日新聞社」ですが、総合評価は9点/100点満点。
以下、引用です。他人事感が半端無い、マネしちゃいけない落書きモドキ。 朝日新聞社にはまだまだ落ちる余地があるようで、しかも自ら更に落ちて行きそうで正直凄い。おそらく普通の日本人の感覚では理解不能。
2014年11月28日14時45分

 朝日新聞社は28日、東京電力福島第一原子力発電所の事故をめぐる「吉田調書」報道で5月20日付朝刊の記事を取り消したことに伴い、6人の処分を決めた。
 記事を出稿した特別報道部の市川誠一・前部長を停職1カ月、市川速水・前ゼネラルマネジャー(GM)兼東京報道局長、渡辺勉・前ゼネラルエディ ター(GE)兼東京編成局長、出稿を担当した前特別報道部次長の3人を停職2週間、取材チームの前特別報道部員と前デジタル委員を減給とした。いずれも 12月5日付。
 朝日新聞社は5月20日付朝刊で、所員らの9割にあたる約650人が吉田昌郎所長(故人)の第一原発での待機命令に違反し、10キロ南の福島第二 原発に撤退したと報じた。しかし、吉田所長の発言を聞いていなかった所員らがいるなか、「命令に違反 撤退」という記述と見出しは、多くの所員らが所長の 発言を知りながら第一原発から逃げ出したような印象を与える間違った表現と判断し、記事を取り消した。その際、事態の重大さから、杉浦信之取締役の編集担 当職を解任したほか、市川速水GM、渡辺GE、市川誠一部長(いずれも当時)の職を解いた。
 また、慰安婦報道の問題なども含めた一連の事態に対する経営の責任を明確にするため、12月5日には木村伊量社長ら3人の取締役が辞任、取締役1人が執行役員へ降格、執行役員1人が辞任することを決めている。
     ◇
 〈西村陽一取締役・編集担当の話〉
 吉田調書報道に関し、本社の第三者機関「報道と人権委員会」から「読者の視点への想像力と、公正で正確な報道を目指す姿勢に欠ける点があった」と 厳しい指摘を受けました。これまでの社内の調査の結果、取り消しに至った記事については、意図的な捏造(ねつぞう)ではなく、未公開だった吉田調書を記者 が入手し、最終的に記事として送り出す過程で思い込みや想像力の欠如があり、その結果、誤った記事を出稿した過失があったと判断しました。
 さらにそうして出稿された原稿のチェックや評価、取材指示などについても上司が果たすべき役割を十分に果たさず、組織として誤りを防げなかったこ と、掲載後に受けた批判に適切に対応しなかったことなども大きな誤りであったと判断しています。こうした判断を踏まえて、職責が重い人間に、より厳しい処 分を適用しました。
 東京電力福島第一原子力発電所の所員の方々や、みなさまに改めておわびをするとともに、本社は今回の事態を非常に重い教訓と受け止め、信頼を得られるよう全力で努めてまいります。

2014/11/26

ふふふ

 京都大学の先生とやらの「嫌韓の分析」は寒い、実に寒い。色々大変ですね、ふふふ。論理性0点、分析力0点、文章30点、はい書き直し。


 それはさておき、一般的な日本人というのはこんな感じじゃなかろうか。
  • 嘘はきらい、ただし「良い嘘」ってのもあることはある。
  • 嘘つきは大嫌い。
  • 嘘がばれると開き直る人は軽蔑の対象。
  • 同じ失敗を繰り返す人、集団は馬鹿。
  • 口だけの人、集団は軽蔑の対象。
  • 馬鹿を実質的に公言している人、集団は軽蔑の対象。
  • 不勉強が許されるのは一回だけ。
  • 馬鹿は相手にしない、ただし自分に火の粉がかからない限りは。
  • イデオロギーに結論を合わせることしかできない人は馬鹿、しない人は軽蔑の対象。
    宗教的しがらみや二項対立的な硬直した思想とは比較的無縁ゆえに、思想、発想の自由さは日本人の強みと感じるところ。
 鎖国時の日本のように内側だけ見ていれば良い社会では「無視」が軽蔑に続く社会的制裁として有効に機能した。しかし、文化や宗教の異なる外部の第三者(つまり外国)が介在する情報的に開かれた社会では、「無視」はもはや制裁としての機能は果たせない。そういう観点からは、日本、ひいては日本人は結構重大な岐路に立っているように思う。つまり、日本人も「攻撃」に転じなきゃならないんじゃないかと言う事、「反撃」はもう始まっているからね。

 ナイーブさにつけ込む工作?長期化覚悟のガチな提訴?どうせやるなら本気で行こうよ。

 今回の衆院選、そういう意味合いを感じている日本人がどれくらい居るかが多少問題。言わぬが華というか、日本人的阿吽の呼吸と言うか、(今日的な意味での)空気を読んで、どうぞ。