2020/03/23

アニメ「映像研には手を出すな!」第12話を観る!

 まぁ今回は「どうにかします。」ときっぱり言う以外に金森に見せ場無しも致し方なし。「納品ネタ」は下らないだけの只のネタとしての機能しかないから見せ場にもならないですよ、この程度の逆境下で損害賠償要求が来ること必至の手段を使う金森なんて存在し得ない。よってあれは金森ではないか、アニメの作り手は最終回に及んでも金森を理解していないかの何れかである。 Q. E. D. ・・・ってな金森メッチャスキーな面倒くせぇ奴の戯言、今回もはっじま~るよ~。

  作品が面白いとかつまらないとかとは全く別の話を今回もつらつら・・・いや。今回はつら・・・くらいかな。

  結局、アニメ版の作り手は「芝浜UFO戦争」を「(劇中で)それだけの価値があるもの」と見えるように描けなかった。どう見ても、作り手自らが原作に「足した」部分の処理すらできていないところが第一、かつほぼ全ての原因だ。こういう込み入った話を画と音響効果のみで見せるのはただでさえ難しいのに(前述の通り、わざわざ難しくしたのはアニメ版の作り手自身だ)、アニメ版の作り手はその困難を克服する姿勢すら見せない・・・或いは克服する必要性すら認識していないのか、克服する能力が実は無いのか、それともそれともまさかまさか克服できているつもりなのか!?、一視聴者である私はその判断に頭を抱え込まざるを得ない状況に追い込まれた。

  こんなもの見せられても、水崎や金森の「これは・・・」と言うセリフ、浅草の「まだまだ改善の余地ばかりだ」のセリフに説得力が宿る筈もなく、一視聴者としてもカタルシスは感じない。一貫性や客観性を伴う論理や必然ではなく、誰かの主観でしかない気分に従って組み立てられたとしか思えない今話は、先話と併せて本TVシリーズの持つ悪い部分の凝縮物と言える。「足した」ものは全て浅草に語らせる、では芸が無いどころのレベルの話ではない。本エントリでは敢えて直接は書かないけど、作り手の〇〇〇〇といったような下品な表現はかなり適切かと思う。一般的にかなりネガティブな表現、エゴの発露、ではまだまだ褒めているに等しい。

  最終話という視点から見れば、伏線(結果論から言えば、無意味なノイズ)の放りっぱなしがあちらこちらにしんどいほど目立つ。例えば、声優オーディションって何だったんだ?一貫性って何だ?論理性って何だ?何だ何だ何だ?シリーズとしてのアニメ「映像研には手を出すな!」については、改めて全体を俯瞰して別エントリ書くかもね、ここまでアレだとね、さすがにさ。

  唯一の救いは実はED最後のカット、掛け値なしに何の誇張もなく観てて「はっ」とさせられたのだ。観た人なら誰が描いたかは知っているでしょ?

 そこにあったのは「全力疾走する浅草の後ろ姿」、アニメ版の、特にこの数話で顕著だった「『(アニメ版の)作り手の天井』に頭がつっかえて窮屈そうな浅草」とは全く別の生き生きした浅草だ。原作、アニメを問わず第1話にはまだまだだったが、アニメ12話分の経験を経て達した境地に相応しい(本来劇中で描かれるべき)姿に見える。足の運びは止められない、倒れてしまうから。倒れるなら全力のまま前しかない、が、今はまだそれで良い。浅草の成長にだけフォーカスするなら今話はこの1カットだけで十分、と本気で思ってしまったのはなんとも皮肉なものだ。少なくとも私は、ちょっとだけかも知れないけどこのカットに救われた。
 「映像研には手を出すな!」・・・手を出してはいけなかったのは誰なんだろう。今回手を出した人の中には、明らかに「手を出すべきではなかった」人も交じってるよなぁ。

2020/03/16

アニメ「映像研には手を出すな!」第11話を観る!

 金森たるものこんな表情を見せてはいかん、いかんなぁw。金森メッチャスキーな面倒くせぇ奴の戯言、今回もはっじま~るよ~。作品が面白いとかつまらないとかとは全く別の話を今回もつらつら。

 今話ばかりは小さいことどころか大きいこともどうでも良いんだぜ、困ったもんだの残念回。やっつけ感満点で「それで何か上手いこと言ったつもり?」的なサムシングだ。言い訳がましく小ネタと辻褄合わせと説明不足な描写が時間方向に連続的に並べられているだけとしか思えない今話、何か言えることがあろうか・・・個人的には「あ、あの女性教師は教頭だったのか」ぐらい?

 盛り込み過ぎだったのでは?と言われれば成程とも思わなくもないけれど、ならばこそ原作由来のエピソードの一部を切るなり捨てるなり、アニメ版オリジナルの部分についても遅くともシナリオ段階での整理が必要だったんじゃないか、とはならないか。

 アニメ版では完全に切ってきていたと(捨てられていたと)思っていた百目鬼の「河童の声・・・」ネタとその周囲のエピソード、このタイミングでは最終話(!!)である次話の展開(≒ピンチ解決)の伏線ぐらいの機能を与えられてでもないとホントに存在意義が無い、時間の無駄でしかない(原作では百目鬼の実質登場エピソードとしての機能があるが、アニメ版ではその機能は当然必要ない)・・・河童そのものには前話まででも十分触れてるし、別に水中に飛び込まなくても風邪をひくことはある・・・万事、そんな感じなのが第11話。アトランティス連合ネタの仕込み?・・・とにかくセリフで説明、絵もとにかく見せただけってレベルでしょ、視聴者に対するネタのインプットとして十分に機能してるかな?百目鬼に関わるシーンをカットする「だけ」でも、3~4秒分はインプットを丁寧にできる。この時点で水崎に「河童の住む・・・かぁ」とか「アトランティス連合かぁ・・・ちょっと面白そう」とか金森の提案や浅草のアイディアの説明に対する反応として言わせておけば、後で生きる。

 水崎「河童?ラフはもう人間で描いちゃってるよ」→浅草「小さな皿を描けば良い」の展開も、「敵の設定とストーリーの説明」の後ではなく、説明の早い段階で入れるべきだったと思う。少なくとも水崎の「え、追加?」より前に、だ。そうしておけば、視聴者にとって画面内の河童(敵)と人間の見た目の区別はより容易(皿の有無だけ見ていれば良い)となり、「敵の設定とストーリーの説明」の内容をより分かりやすく伝えられたのではないかと思わずにはいられない。いや真面目な話、「敵の設定とストーリーの説明」の冒頭で浅草が「河童と人間が戦い、・・・・するストーリーなんだ。」と全体像の説明から開始すればなんてことない、一種のプレゼンテーションとして見做せば、浅草の説明はまず内容のしゃべる順番から見直した方が良い。上記の水崎のツッコミと浅草の対応は、その直後に入れられるでしょ?そうして誰か不幸になるかしらん?ん~、先行する話で触れられており、原作でも「**UFO大戦争」の肝となる「音だ!百目鬼氏!」辺りの内容はもう扱いがノイズレベルで、果たして次話でまっとうに扱われるのかも怪しい感じ。

 原作から持ってきたエピソード内のディテールも含めて必要な要素の幾つかが明らかに描かれず、必要なのかどうか分からない、少なくとも今話内だけでは何の機能もしていない(或いは、明らかに演出などが上手くなくないため機能させ損なっているようにしか見えない)要素が少なくない数、それなりの時間をかけて雑然と描かれる。が、今話の問題のふっとい根は、間違いなく演出やシナリオよりもさらに上流にある。もちろん、シナリオも酷い方だとしか思ってないけどさ。

 本作では以前から気になってはいたのだが、「構成」や「監督」の仕事って何だ?

 あと浅草の使う「マニ車」の例えなんだけど、マニ車が何か、どういう意味や宗教的機能を果たしているか、機械的構造や機能はどうなっているかを知ってる人ほど受け入れ難い(=この例えの所為で浅草の説明内容が逆に分からなくなる)のではないかと思う。まぁ、「(アニメ版の)浅草ってのはそういうことに不勉強なキャラなんですよ」ってことで意図的ならまだ良いんだけどさ、作り手もこの浅草と同レベルですよでは切ないわな。マニ車はチベット仏教系なので問題が起こることはないと思うけど、仏教系であっても民族対立・宗教対立を煽り、一般的にはテロ行為言える行動に出ている集団はある(ミャンマー国内969運動など)。作り手内には米国企業・クリエイターと一緒に仕事をしているスタッフもいるだろうに、そういう宗教絡みのネタを安易に使う(大抵において不正確か大きな誤りを含み、かつ原因は不勉強や怠惰にあるようにしか見えない)ことのリスクに気が回ってない感じは本当に情けなく見える。

 で、ラストの水崎のセリフ「全然合ってない!」は、「曲がシーンに合ってない」の意味なのか「曲とキャラの動きが合ってない」の意味なのか、あのカットでの「水崎」の発言だけに解釈に困る。まぁ、「曲調と作品の画のつくりとが合ってない」といったざっくりとした意味で、水崎のセリフだからといって特に水崎のキャラ(作画へのこだわり)を反映した言葉選びはしてないんだろうなぁと、今話のシナリオに関してはねぇ・・・

2020/03/10

続々々・某YouTube動画の再生数急増

 色々と多方面にすまねぇ、実質1本の動画で1,000 Subscribers行ってもうた。以前にも書いたけど、同じ方向性の動画をアップする予定は今のところ無いので・・・大部分のSubscribersに対してはとにかくすまぬ。可能な範囲のコメ返しでなんとかお許しを。まぁこの数字、ひょいひょい減る(24時間以内に1~2割はSubscribeが解除される。明らかに逆Subscribe狙いだけっぽい場合もある・・・)ので何時まで1,000超で居られることやら。

 この動画をRecommendしてYouTube的に良い事ってなんだろう?広告がらみなのかなぁ・・・自分でこの動画を検索してみたら、「VF-1AならAma〇on」なんていうエラくざっくりとした広告がページトップに表示されたりしましたけどね。

2020/03/09

アニメ「映像研には手を出すな!」第10話を観る!

 夕方のシーンで終わる回は当たり確率が高いのか?夕方シーンの導入と使いこなしぶりは、個人的にアニメ版の超プラスポイントなのだ、大抵ちゃんと機能してるからね。相も変わらず金森めっしゃスキー、もとい金森目ss茶スキー、もとい金森めっっちゃスキーもとい、金森メッチャスキーな面倒くせぇ奴の戯言、今回もはっじま~るよ~。

 体調がすこぶる悪いので、細かいことはほっといてサクっと行こう。作品が面白いとかつまらないとかとは全く別の話を今回もつらつら。

 ラストの河原のシーンは原作では陽はまだ高い、夕方としてきたのは意図的だろう。「夕方の河原」は学園モノのラストシーンでは一種定番ではあるのだが、まぁ、その辺りの「型」に頼り切ったシーンの作りではない。間に百目鬼のエピソードを挟みつつ、でも全体としては何気に金森回ではと思った今話、幸いにして金森のキャラブレ感はほぼ無し。ただしアバンタイトルで浅草のスケブを軽くとは言えテーブル上に放り出したのは私の金森像からは×。せめて浅草の腕の中へ、無造作に見えてちゃんと浅草が受けとれるような速度、軌道でお願い。それ、価値の流れの大事な上流源だからさ。回単独では良作感があり、アニメで「足してきた」要素については他話との不整合も無いが、原作由来の部分は他話との不整合がちまちまと有る。そこら辺が、私目線での今話の見え方、捉え方(「評価」じゃないよ)を複雑にする。

 「宇宙戦艦ヤマト2199」に関するかつてのエントリで自分の立ち位置を「物語至上主義」としたが、結局それは作品を選ばず、時が経っても変わっていないみたい。カットやシーン、第*話とかのローカルな要素は全てシリーズ全体といったグローバルな要素(≒物語)に従属、或いは整合すべきである、という考え方であり、「作品全体レベルで一貫性や論理性を重視する」と言い換えても良い。結局のところ、そういうことができる、或いはそういうことが大事だと考える作り手が決して多くないと言うことでもある。作品の出来の向上に寄与しない作り手のエゴ丸出しや楽屋落ちは悪いシグナルだ。本作も駄目だったな・・・とほぼ私の中では確定しつつある、残念ながら。

 小ネタはいちいち拾っていかないけど、あのカットは個人的に見てられなくてね、もうね、痛々しい。「アニメの監督」のステレオタイプって今はああなのか?なら良いけどさ。そういうイメージが無く、特定の人物がモデルとしか見えなかった私にはしんどい。これは私が悪いのか?第1話のアバンタイトルやアニ研特別上映会のシーンのように浅草に色々語らせるのは良い。それが浅草の設定でもあるから、アニメ版の作り手が自らの思いをそこに乗せていくのもかまわない。が、アレは違うとしか思えない、作品の質の向上に何か寄与してるだろうかと首を傾げる。

 「これは音っす。」・・・百目鬼周りのエピソードは削られ気味なので、今話のエピソードを削ってこなかったこと自体は嬉しい。今話の百目鬼エピソードは、第1話で「(学校の)対岸の時計」が紹介されていた以上、出てこない筈の無いエピソードだった。が、第9話、第10話(今話)と百目鬼のエピソードの順番を原作と入れ替えつつ、それぞれのエピソードの展開自体はほぼ原作のままとしたのは余りに拙い、プロフェッショナル「の」仕事とはちょっと思えない。当然、プロフェッショナル「な」仕事にも届かない感じ。

 結局、先の段落冒頭に記載した百目鬼のセリフ含め、順番を入れ替えたことによって生じた不整合と言うか、百目鬼のキャラ立てに絡む要素の登場順のちぐはぐさと言うかの調整が為されていないため、色々と不自然極まりない。引っかかる、というやつだ。これは、以前のエントリで危惧しつつ書いた「アニメ観て良く分からんところがあったけど、原作マンガ読んだらあっさり分かった」という状態に極めて近い。とは言え、さすがに怪力線砲/く号に関しては無理が過ぎると判断してか、「これは導かれている・・・」という「信じるか信じないかはなんとやら」的な、或いは某アニメ監督なら「とんち」と呼んだかもしれないレベルの辻褄合わせのためだけとしか聞こえない浅草のセリフが「足されて」いる。なお、ここで言う「とんち」にはめっちゃネガティブなニュアンスが込められている。

 「これは音っす。」と言うセリフは数カット足してでも第9話で出すべきであったのは言わずもがな、「音の可視化」も第9話はグレースケールだが今話はカラーという違いも意味というか、作り手の意図が全く不明だ。っつーか、とにかくシリーズ内での一貫した演出プランの欠如としか思えない状況が頻出する状態は、本当に観ててしんどい。

 「音」の時間軸が2つ有る、波形の横方向はもちろん波形自体が時間変化している、とか言うのは無粋過ぎですかねぇ・・・まぁ、横方向については何処が「今」か分からないのでなんとも、百目鬼の「鐘の音の音出し操作」の描写も純粋に理系視点で見ると理解不能(=論理的におかしい)となって詰む。もちろん、シンセやDAWなどを触っている人なら本当にイメージに過ぎないことは分る筈・・・まずこの種の鐘の倍音構成はですね・・・「操作」の単位の波形は1周期分だけに見えますねぇ・・・とかね。が、「操作」のイメージとしては直感的で、「他にやり方あるかい?」級にめっちゃ良く分かる。

 ただ直感的な表現の効果を高め、表現自体が視聴者にすとんと落ちるようにするには、やはり先行して百目鬼の異能者ぶりなりのキャラ立てをしっかりしておく必要がある。そういう要素が足りないから、表現なり演出なりに良い意味での押しが効かない、間が持たない。この期に及んでも、少なくとも私は、描写される百目鬼自身の行動から(アニメ版における)百目鬼が如何なるキャラかを読み取ろうとしてしまう。良くも悪くも「原作マンガとアニメ版は別物」との視点に立っているから、アニメ版で語られていない部分を原作マンガに基づいて補うようなことはしない。

 「これは音っす。」と言う百目鬼の両手の間には「音」がある。絵面として、周囲の「音」は既に「どこからともなく」やって来ている。そして、百目鬼は「このように書割の様に重ねてあるんです。」と言葉を継ぐ。ならば、周囲の「音」も「どこからともなく」やってこさせるのではなく、百目鬼の両手なりから出てくる、溢れてくる、配置するといった描写を「足して」「見せて」も全く問題なかろう。むしろアニメでこそこの種の描写は映えるのではないか。演出しきれるのなら、百目鬼が魔法の杖を振った瞬間に周囲の「音」が突如現れても良いし、なんならその脇で箒が踊っていたって良い。まぁ原作の百目鬼の描写は「職人」寄りなので、原作に従うならこのようなマジシャンちっくな描写は選択肢にもならないだろうけれどね。

 斯くの如く、百目鬼が音をコントロールする過程すべてを「鐘の音の音出し操作」と同レベルでちゃんと動かして描写しきってしまう、という選択肢も作り手にはあった筈だ。「鐘の音の音出し操作」の描写の出来に照らせば、それらは十分可能だったと信じる。そしてそういうアプローチを取ることで、これまでの百目鬼のキャラ立ての不足を「今話だけで」かなり補うことができたと思うのだ(私だって、論理性に乏しく、直感的な描写、演出であっても「良い」と受け入れる場合はある。このエントリ内では、TVアニメシリーズ「ラーゼフォン」の第19楽章をそんな例のひとつとして挙げている)。

 繰り返すけど、回単独では良作感がある。細かいところまで目が行き届いて作られている印象が強く、例えば無くても良さそうな「女性教師がスマホ画面を見ながら表情を曇らせる」カットなどは、一連のカット内のアクセントとして絵的にもストーリー上の意味的にも実に良く効いている。百目鬼の「鐘の音の音出し操作」も、アニメならではでちゃんと動かしつつ見せてくれている。作画に引っかかりが無かったおそらく初めての回でもある。(本ブログで言うところの)「遷移過程」の描写も手慣れたものである。

 ただ小ネタ絡みには一つ疑問があって、水崎のカバン(バックパック)を今回は公衆電話型にしたのは何故なんだろう?アニメ版でこれまで出てきたことあったっけ?とあるカットではカバンの所為で「これ水崎だよね?」って観てて+ワンテンポ入りましたよ。ちなみに原作ではこのカバン、印象に残るぐらいには出てきてるけど、単行本でしか読んでない身には色は分からんのよね。根拠無く黄色だとばっかり思ってた。
 
 2枚の絵を合成したため、右上の窓枠の整合が犠牲となっておりますが・・・。OP明けだったかのシーン内でカメラがテーブルの下から上へ緩急持って移動しつつ金森が足を組む様から顔(顎?)含む上半身までを追うカットや、上図のカメラを横移動させて3人の「いかにもな状態」を順々に見せていくカットなどは、ホント良かったね。ちなこのカットの浅草、何気に可愛いじゃねーか。

2020/03/05

アニメ「映像研には手を出すな!」第9話を観る!

 原作の「私はその昔、一軒の酒屋が消滅する現場を見た!」のセリフと表情に「金森の原点を見た!」と思った面倒くせぇ奴の戯言、今回もはっじま~るよ~。

 原作のこのセリフのコマでの金森は珍しく奥歯まで歯が一本一本描かれていて、「初めて見る表情(の描き方)だなぁ、なんか熱い!」と思っちゃった訳ですよ。改めて原作をざっとチェックしてみても、近い描写は「あんたがこのロボットに満足できないなら、『更に好き勝手描く』以外の選択肢はないんすよ!」のセリフ時とか、やっぱり「熱い!」じゃないですか。でも、アバンタイトルでの「新作を作りますよ!DVDを売りまくりましょう!貴様ら!」というセリフ中の「貴様ら!」はねぇなぁ、要らねぇなぁ・・・私の中の金森像とは完全にマッチしないんだな、これが。例えば「設定や物語を作らない浅草」や「絵を描かない水崎」に対してならともかくね、ここはドス利かせ気味で「お嬢さん方?」の方がまだ俺イメージ寄り。あ、ホワイトボードの微かな光の反射描写は良いね。

 で、作品が面白いとかつまらないとかとは全く別の話を今回もつらつら。

 今回はネガティブな引っかかりは小さなのが一点のみ。やっぱり百目鬼の扱いが雑ですよ。怪力線の発砲前後の音に関して(本ブログで言うところの)「遷移過程」中で百目鬼が独自の音を提示しつつ映像研3人の会話に割って入ってくるけど、唐突過ぎてちょっとしんどい。実は展開そのものは原作通りのなんだけど、原作では先行する話(第20話、水力の鐘みたいなもの(祭具)が登場)で「音の可視化表現」も含めて「遷移過程」中での百目鬼の描写が既にある。アニメ版ではこの先行するシーンが無いため、原作のままの展開では唐突感は出ざるを得ないんですよ。ちなみに、既に百目鬼もいるよ~ってことが分かるカットが先行して有れば、それだけで良かったんじゃないかなぁ。

 んで、浅草のセリフ「そして音だ!百目鬼氏!」から百目鬼の顔のアップの流れは原作では回の最後の3コマなので、アニメ版でも十分に「ばばーん!」となっても良い画作りになってます。このシーンもほぼ原作のままの展開、画作りなので、最終カット感のある百目鬼の顔アップのカットから次のカットへのつながりがイマイチ悪い感じ。百目鬼の顔アップカットでは、どうせなら「よし、やったろうじゃん」みたいな表情変化ぐらいもう付けてやんなよって思いました、正直。

 アニメで「足してきた」スポンサードがらみのシーンや関連する展開、UFOの目的などの金森や水崎の疑問の提示などはすっと受け入れて、とにかく先を期待。「芝浜UFO大戦争」がアニメ版の最終作品になるんだろうから、アニメ最終話に向けて色々仕掛けを「足す」のは必要でしょうね。原作の潜水艇から次元潜航艇への変更は成程&納得、螺旋商店街は裏表逆だろうと違和感バリバリだけど、確かにコレの扱いは難しいから事前の仕掛けは必要だよね。

 ただ、フルーツ担々麺屋の食事スペースから見える厨房の描写はちょっと悩ましいなぁ。何らかの伏線とかなら良いんだけど、単なる引用だったらツマらんな、と。プロによるプロの作品の引用っつーのが心底大嫌いなのでなんとも。作品内で機能していれば無問題なんだけど、「ピュアな引用」、「引用でしかないもの」は大嫌いなんですよ。自分の中で幾つか保留にはしているんだけど、本アニメシリーズでは「引用でしかないもの」っぽいカットや描写が個人的な感触として目立ち気味、少なくとも「引用される側が引用なんてしない」ことには意味があるように見えるんですがねぇ。「リスペクト」って言えば言葉の響きは良いですが、本来それは相互的なものであるべきで、一方的でかつ作品中で機能していない引用はセンスも意味も無いパクリに過ぎないとしか思えないんですね。プロがファンフィルム作っちゃいかんでしょ、それ誰得なんですか派なんですよ。

  あと、アニメ版では学校が面してるのは「芝浜湖」じゃなくて海なのかな?

 ちび森氏のシーンは期待以上の出来、大事にして欲しかったシーンなのでとっても嬉しい。冒頭に原作には無い追加設定の説明があったり、一部の客の見た目を原作から変えてきたりとかあったけど、これらは完全にプラス。原作通りの展開をあの絵のスタイル(「遷移過程」のアニメ版での描写スタイル)できっちりやりきっちゃた上で、アニメ版の武器とも言える「間のコントロール」によって雑貨店の運命を知って呆然とするちび森氏の心情が痛いまでに伝わってきてね、いや、切ない、切ないなぁ。

 作画の凸凹については、今回は「いかにもTVアニメだよね」な動かし方(悪口ではないよ)の多用や、原作の絵に作画を寄せて来た感じがひときわ強い。前者の端的な例としては、浅草が「百・・・八十万円!」と絶句するカットが挙げられようか。見開いた目の位置や大きさはほぼ不動で、それら以外の要素のみ明確に動かすという手慣れた感じの処理で見せる。小さな黒目の大きさもピクピクと変わるなど手は入っていて、手抜き感などは感じないよ。ここでの「手慣れた」は「見慣れた」の裏返しでもあって、視聴者には優しい、理解しやすいってことでもある。

 あと一見して「どのようになってんだ?」「あ、やっちゃうんだ!(褒」と思ったのが、最終カット前の浅草のトランスフォーム。マンガなら大抵コマとコマの間のものとして直接描かれることは無く、アニメでもコマ割りに対応したカット割りを使いそう・・・ん、原作に直接対応するシーンはあったかな?

 頭身の変化だけざっと追っかけると下のような感じになるけど、当然間にある絵の中には微妙なものもあるように見える。動画データが手元にあったら(ご存知の通り入手方法が無い訳ではないんだけどさ)、一度はフレーム単位で絵をチェックしてみたいね。今回使用した絵は、YouTubeに個人が上げた2分ぐらいの動画からのキャプチャしたもの、思い通りのところでは止められんよ。