2020/01/21

「そこを全部引き受けると、二次創作になる」

 たまたま観たYouTube Live番組内でのインタビュー(対談の方が正確かな?)で、アニメーション監督・片渕須直さんが発した言葉。思わず頷く。

 「マンガと劇映画は表現の土俵が違う(=劇映画の監督として違う土俵を設定した)、だからマンガとそれを原作とする劇映画で表現が変わるのは当然」といった文脈下で、「マンガを原作とする劇映画において、マンガと違う表現となるべきところにマンガの表現をそのまま持ってくる」場合を指しての発言だ。もちろん、ネガティブなニュアンスである。

 片渕さんの言う「劇映画」という言葉の指す範囲は正確には分からないし、「表現の土俵」という言葉で表現したものに対する私の理解が適切かどうかにも不安はあるが、ここは「TVアニメシリーズ」でも同じ考え方が適用できる筈ということにしてしまおう。そうすると、私が先行するエントリ「アニメ『映像研には手を出すな!』のPVを観る!」でくどくどと書いたこともかなりすっきりと書き換えられる。

 「TVアニメシリーズには原作マンガと違う表現の土俵を設定することを期待する。マンガとして特異な構造・構成を持つ(マンガ内アニメがある)故にアニメ化においてマンガとは『違う表現の土俵』を設定する必然性がある原作なので、作り手の哲学なり知性なりの発露たるTVアニメシリーズならではの表現を見せて欲しい」、だ。「単なる引き写しだと、二次創作に(過ぎなく)なる。それではツマらん、アニメ化した甲斐がない」、とも。

 ちなみに同じインタビュー内の違う文脈での発言で、片渕さんは「マンガを原作とする劇映画とTVシリーズでは、当然違う表現の土俵を設定することになる。TVシリーズなら回毎、パート毎で違う表現の土俵を設定し得る」ことを明確に示唆していた。筋が通ってる。

 あ、「映像研には手を出すな!」第3話は明日か明後日に観ます。

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