先の日曜日に放映された「新・映像の世紀」は酷かった。何が酷いって「語り」に客観性が全く欠けている。戦争の現実に対して「悲惨な」などと修飾子を付けられるのは「当事者の証言」までが限界、第三者にして案内人であるべき「語り」がそれを使ってはいけない。
機会があって最近昔の「NHK特集」を何本か観たのだが、「語り」の冷徹なまでの客観ぶりはうっかり驚いてしまうレベルだ。対して「当人の口から語られる証言」は実に生々しい。視聴者はその生々しさゆえに証言者に感情移入しがちだが、「語り」が「自らが第三者たる視聴者」に過ぎないことを思い出させる。調査報道の類は、主観と客観との間を視聴者に行き来させてナンボだと思う。そういう意味で、昔の「NHK特集」のスタイルは機能的であり、かつ作り手の知性も感じさせられる。きっと、デキる人間が制作していたのだろう。
一方、最近の「NHKスペシャル」は本当になってない。これは、作り手側にその種の知性が無いからだろう、 「新・映像の世紀」を観てそう確信した。京都大学出身の某大学教授(10年前に退官)なら、酒も入っていないのに「ナンセンス!」を連発しかねない、酷い台本ですわ。
そう、意味が無いのですよ。
感傷的で非論理的で知性も感じられない独り言もどきを公共の電波で垂れ流す、そしてそれを恥ずかしいとも思わない感性の持ち主が作り手である・・・受信料ってなんだろうって本当に心から思うようになりましたよ。
そう、意味が無いのですよ。
感傷的で非論理的で知性も感じられない独り言もどきを公共の電波で垂れ流す、そしてそれを恥ずかしいとも思わない感性の持ち主が作り手である・・・受信料ってなんだろうって本当に心から思うようになりましたよ。
あと、執拗なまでの英国下げにはげんなり。事実を事実として客観的に伝える限りは「下げ」とはならないのだが、客観性を放棄した「語り」に語られてもねぇ・・・これは底の浅いプロパガンダに極めて近い肌合いのものだ。音声の無い記録映像への明らかな後付け音声にもげんなり。それは明らかな演出で、客観性の放棄ですよ。
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