「SPACE BATTLESHIP YAMATO」は説明するまでもなくキムタク主演のあの映画のこと。中古DVDを入手して今さらながら、ただし真面目に観た。
「BSG」はBATTLESTAR GALACTICA(バトルスター・ギャラクティカ、宇宙空母ギャラクティカ)のことで、ここでは21世紀になってリメイクされたTVシリーズを指す。日本では全くブレークしなかったが、シーズン5まで作られて無事に完結した。日本でブレークしなかった原因についての考察はBSGのスタッフとのメールのやり取り内容を踏まえて改めて書くつもりだ。
YAMATOを観てとにかくまずいと思ったのは、BSGの影響が陽にそこここに見られたこと。
パイロットが首に付けている銀色のリングやパイロットスーツはほぼBSGそのまんま、少しはデザイン捻れば良いのにというのが正直なところだ。YAMATOがイスカンダル/ガミラス星に急降下して地表面近くでワープするシーンは劇中の見せ場の一つだが、すでに同様のシーンがBSGのニューカプリカ戦で描かれている。
また、放射能除去装置の当てもないのにYAMATOでイスカンダルに向かう沖田艦長の行動は、伝説の星・地球が存在する当てもないのに「その星は有る!場所は軍の最重要機密として隠されてきた!」と言い放ったBSGのアダマ司令の行動に似ていると言って良い。沖田艦長の行動はストーリー上の重要などんでん返しであり、これまでのヤマトに対して新規性なり差異化の胆になる要素にも関わらず、そこにオリジナリティが無いとなればダメージは大きい。
YAMATOでは沖田艦長の賭けが実を結ぶ形で放射能除去装置に比するものを手に入れることに成功する。他方、BSGではアダマ司令達はストーリー上の後世で「地球」と呼ばれることになる惑星に辿り着く。が、BSGにおいてGALACTICAが地球に達するまでの経緯はグダグダで実際のところ全く感心できない。このような観点からは、沖田艦長なりアダマ司令なりの当初の行動の結果をストーリー的にちゃんと回収しているのはむしろYAMATOの方だ。とは言え、共にストーリーまたは脚本に残念な点が有る事実は変わらない。
YAMATOにおけるイスカンダル/ガミラスの取り扱いは英国のSFTVシリーズの多くを知る身からは陳腐としか言えないアイディアだが、ストーリー上は充分に機能していると思う。ただし、セリフによる説明にほぼ全て頼った点は先達と同様で、特段新しい何かを為したわけではない。この手のややこしい状況の説明をセリフに極力頼らずに描くことに成功したのは映画「マトリックス」ぐらいだろう。
個人的には、「イスカンダル」と呼ばれるモノが「イスカンダルという呼び名は沖田という男が勝手につけたもの」という旨の発言をしたところが面白かった。この手の「そりゃそうだ」という設定上の必然が、これまでの多くの映画やTVシリーズの脚本で無視されてきたのも事実だからだ。同時に、「私はイスカンダルのスターシャ」「私はテレザート星のテレサ」といった従来のヤマトにおけるセリフの機能の一つが「目的地が必ず存在することを劇中の人物のみならず視聴者にも保証すること」と見なすこともできそうだ。西遊記の登場人物や読者はまず「天竺」の存在を疑わない。
「『イスカンダル』は実は無かった。が、それに相当するモノはあった。」と従来ヤマトのお約束ストーリーとの一応の差異化には成功したかにも見えるYAMATO。しかし、「『地球』は実は無かった。が、それに代わる惑星に到達することができた。」というBSGに限りなく近い。
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