2017/09/30

雑談あれこれ

 禁煙と言うか煙草を吸わない自由の行使も丸3週間、抗うつ剤やニコチンの離脱症状っぽい症状はやっと日常生活に支障の無いレベルま落ち着きつつあります。あとは仕事の方で自分のペースを取り戻せれば、趣味への時間も取り戻せそうです。現状は残業もそこそこに帰宅、入浴・食事後は即就寝。睡眠10時間でも昼間は眠いし、貧血みたいな症状に悩まされっぱなしです。一方、複数の思考が常に頭の中でとめどなく展開し続けるような軽度のうつ状態からは完全に開放されました。

 さて、禁煙すると色々調子が良くなるなんて言いますが、個人的にその辺は微妙。列挙してみましょう。
  • 味覚異常発生中、調味料の味が強すぎてコンビニ弁当が食べられなくなったり。煙草を吸っていると味覚の感度が悪くなるようなのですが、個人的にはその悪くなり方が良い塩梅なのです。「AとBを混ぜるとCの味になる」が経験できるのは喫煙時のみなのです。
  • 食欲は下がる一方、とにかく口にするものが不味くなるのでしようがありません。コンビニ弁当の半分、冷凍食品はほぼ全てが5口と食べられなくなります。ただし自炊に走ったとたん、状況は一変するでしょう。
  • お肌しっとり、の傾向は感じます。ただ、尻っぺたの皮膚が突出してしっとり、もちもち感も強くなっているのはなんとも。
 で、別件。

 「ガルパン劇場版」の継続高校BT-42の発砲時に車長のミカがフィンランド語を使います。ぱっと聞き「トゥータ!」(同じカタカナ表記はネット上でも少なからず見られますね)なのですが、実際は"L"を含む"tulta"っぽいですね、グーグル翻訳で英語"fire"をフィンランド語に翻訳すると出てきます。

 ついでにグーグル翻訳に発音までしてもらうと、むしろ「トゥルタッ、トゥールタ」に近いことが分かります。https://translate.google.co.jp/?hl=en&tab=wT#fi/en/tultaで左側入力ボックス左下のスピーカーアイコンをクリックすると聞けますよ。

  さて答え合わせです。継続戦争を題材としたフィンランド映画の三号突撃砲発砲シーンを観てみましょう。

2017/09/24

病気からの回復自体は良いことだが、会社では・・・

上は「無理はするな」と言いつつ実際大変気を使ってくれるのだが、下と言うか、何人かの後輩は容赦も含めて色々無い、足りない。と言う訳でこの一月は後輩のフォローアップ、いやはっきりと尻ぬぐいと書いておこう、でとにかく忙しい。そして自分自身の仕事も加わるので来月以降は更に忙しい。

 色々失敗できる状況を与えられながら、「他者から見れば何の意味も無い何か(本人的には一種のプライドなのだろうが)」を守るために「嘘で失敗を誤魔化す」ことを繰り返し、会社的或いは技術的に少なくとも一回終わる人達を何人も見て来た。 そうなった時、得する人間は基本的に存在しない(特定の分野で無能と適切に認定された当人は除く、実際のところ独り勝ち状態だ)。

 その種の嘘は一回目からばれている、少なくとも「嘘をつくべきではない、客観的に信用できる相手」ならばほぼ間違いなくばれていると考えて良い。多人数が関わる社内業務ならば、電話一本、メール一報で裏まで取れる。

 嘘をつかれたことが分かっているなら何か言うべきでは?という疑問は基本的にあって良い。 が、個人的には「甘えるな、ボケェ!」の一言で終わる。付け加えるなら、「嘘を嘘で無くすための時間を得たのだから、この機会を最大限生かせ」である。つまり、「今は嘘」であっても「常識的な時間内で、誤魔化している対象を有るべき姿にする」ことが出来れば、やがて「かつての嘘は嘘ではなくなる」のだ。その可能性がある限り、換言すれば「嘘が嘘でなくなる可能性がある限り」、嘘と断言はできませんよという態度を取るということだ。ただし、上にもはっきり書いてある通り、「『嘘で失敗を誤魔化す』ことを繰り返し」するようでは駄目で、嘘であることが辛うじて許されるのは1回までである。

 まぁ、嘘で誤魔化すより、「××のうち、△△の部分は約束に間に合いません。一週間待ってもらえませんか」とか言ってもらった方が個人的には遥かに楽だ。良くあるパターンは「△△の部分は(その)約束の期日に間に合せなければならない」が当人の単なる誤解である場合だ。そもそもそんなことが(こちら側の責任で)起きるようなスケジューリングはしないし、そんな状況の発生を事前に回避するためにどんだけ丁寧に相手方とコミュニケーションをとっているかを早く察して欲しいものだ。自分の勝手な思い込みや勘違いが原因で嘘をつくことになる・・・ホント、馬鹿々々しいよねぇ。

2017/09/15

[隣のDivisonさん] ローグ2.0・・・

 要は、マンハントプレイしてね!ってことの様で、個人的には全く興味も意味も無し。マンハントどうこうではなく、

 「またプレイ内容やプレイ方法を強制してきたよ」

というだけの話。それ以外のプレイスタイルでは価値あるリワードは期待できない訳ですから、実質的には強制されているようなもの。ホント、下らない。

2017/09/13

離脱症状は続く・・・

 服用していた薬を止めたことによって生じる副作用を「離脱症状」と呼んだりしてますが、医学的にはそんな用語は無いんだとか。

 抗うつ剤の服用を止めてから1カ月以上、離脱症状が無くなったかと言うと微妙。頭の回転はあからさまに速くなっているし、色々とやる気もある。が、思考があまりに先へ先へと進むあまり、やろうとするタイミングではもうそれに飽きてしまっていることがある(この状態自体は軽度のうつ症状なんですけどね)。そこへ頭痛だとか貧血もどきだとかの離脱症状が重畳すると、やる気の維持自体も難しくなってしまう。結果、「何にもしていない」時間ばかり増える有様で・・・動画視聴もきついもんなぁ・・・

 そんな中、 何の脈絡も無く頭を掠めたアイディアが・・・

「現在の抗うつ剤などの離脱症状は(かつての経験に照らせば)禁煙開始時のニコチンの離脱症状の数倍きつい。今なら禁煙が簡単にできてしまうのではないか?」

 そもそも「禁煙する気」も「禁煙しない気」も全く無いのですが、少なくともすでに5日間は煙草を一切口にしていません。ちなみに喫煙歴は1日20本25年以上です。

 特にイライラすると言うようなことも無く、吸いたくなっても吸わないだけで我慢している感覚すら無いのですが、煙草の一服を思考の切り替え(発想方法から替えないとやれない複数の別種の仕事のスイッチング)のきっかけに使えなくなったのは何気に大問題。

 今日は私用外出して会社近くの川で30分ほどカニと戯れることで何とか切り替えできましたが、毎日こんなことを2回も3回もはやってられない・・・どうなることやら・・・

2017/09/03

「響け!ユーフォニアム」、一気観

 毎度おなじみの(何年前の作品だよっ!て意味で)周回遅れです。観ることになった経緯は先の「ガルパン」のときといっしょで、まぁ、「知り合いの勧め+観ようかって気分になれた」ということですね。

 あ、今回はおっさんの思い出語りが幾分入ります。

 ちなみに夏休前から仕事がやたら忙しい・・・やらなければならないことに追われているのではなくて、やりたいことが多すぎてとにかく収拾がつかないという・・・考え様によっては大変幸せな状況でもあり、病気前の流儀を取り戻しているのかもしれません。

 若いころは「(いつも回し車を回し続けている)ハムスターのようだ」と何度か他人にいわれました。そこには「何をいつもあくせくやっているのか?」「そんなにあくせくやることに意味あるのか?」といったニュアンスも当然込められていたのでしょう。が、そこはそれ、「他人には分からんのです」としか言いようがありません。

 で、なぜハムスターの話が出たかと言うと、要は「響け!ユーフォニアム(以下、「響け!」)」の劇場版とTVシリーズ1、2を観ながら突如思い出したからです。自分の高校生~大学生時代の記憶を強烈に喚起させられた、という意味で「響け!」は私の中で変な位置付けの作品です。

 まず最初に観たのは劇場版、 TVシリーズ1の再編集版ですね。これは正直感心しませんでした。典型的な「文学的風(文学的とは言っていない)」が鼻につく作りです。要は結果的に説明不足ということですね。

 説明のための要素を思わせぶりに多数ちりばめるが全く功を奏していない(ように見える)・・・ならば明らかに演出や構成の失敗、TVシリーズ1を観ている人達のためのファンムービーだからそれ以外の人のためだけに必要な説明は特にしない・・・ならばTVシリーズ1を観ていない私が「文学的風(文学的とは言っていない)」と作り手に気を使った上で苦言を呈せざるを得ないのは仕方無いことでしょう。何れにしても、単独の作品としては評価のしようがない、そもそも評価の対象とすること自体に無理があるのかもしれません。

 「『響け!』という作品全体(厳密には現時点までの作品群)にとって、TVシリーズ1があればこの劇場版は不要」、良くも悪くもつまりはそういうことです。TVシリーズ1 には説明不足も「文学的風(文学的とは言っていない)」感も一切感じませんでした。

 結局のところ劇場版はTVシリーズから多くのカット、シーケンスを削除して残したカット、シーケンスを繋いだものですが、残したカットが時に備えている「劇場版では不要なニュアンスや意味付け」の削除や「劇場版向けのニュアンスや意味付け」の付与を試みた形跡が全く感じられません。前後のカットやシーケンスを伴わないため、カットの連続は雑多で不連続なニュアンスの連続となってしまい、さらに収拾されることもありません。雑多で不連続なニュアンスの連続も客観的に制御できていれば「文学的」になれたかもしれませんが、客観性も乏しく、制御もされていないでは「文学的風」のそしりは免れ得ません。

 一例として、「上手くなりたい!の橋でのシーケンス」を挙げましょう。私に勘違いが無ければ、劇場版音声では「泣き声」がやたら強調(追加録音?)されています。つまり作り手はこのシーケンスにテコ入れした訳ですが、私の見るところの物語構成の観点からは愚策中の愚策ですね。この劇場版、もしテコ入れするならば「悔しくって死にそう」の部分 しかあり得ません。麗奈と久美子が時間差を伴って疑似的に共有したこの思いこそが劇場版、TVシリーズ1の物語のコア、物語を駆動する力です。なので、「上手くなりたい!の橋でのシーケンス」のこの種の論理性や必然性の感じられないテコ入れは、結果として「悔しくって死にそう」の部分の印象を相対的に弱め、劇場版が本来持つ筈だったパワーの一部を削いでいます。正直、「悔しくって死にそう」の部分にとって久美子の「上手くなりたい!という強い思いを伝えるシーン」は必要ですが、それは「上手くなりたい!の橋でのシーケンス」である必要性は全くありません。百歩譲って「上手くなりたい!の橋でのシーケンス」は一部のみ使用、もちろん秀一の絡むカットは不要です。これらの処理変更で浮いた時間は、続く夜間の学校でのシーケンスなどに割くべきでしょう。「悔しくって死にそう」→「ユーフォ好きだもん」の流れはむしろ丁寧に残しておくべき部分だと思います。

 結果として、劇場版はTVシリーズ1の一種の出来の良さ・・・カットを重ねる形式の作りの丁寧さや繊細さを際立たせることになっています。ただし、「作りの丁寧さや繊細さを」を指すものは、そう単純なものではありません。

 さて、「ガルパン」に登場する女子高生達は「おっさんのコスプレ」です。この「おっさんのコスプレ」という表現、本ブログでは初めての使用ですが、私自身はもう30年以上使っている褒め言葉です。意味は「アニメに疎いそこらのおっさんでも言行が理解できるように意図的に造形、演出された女性キャラ」で、その実現には「これまでのアニメ(やマンガ)で積み重ねられ、作り手-受けて間で広く共有されているキャラ造形上のお約束/型」への的確な理解が作り手に必要です。ハリウッド映画なんて「型の塊」、一時期多かった「型を用いて特定のキャラに関して受け手をミスリードし、ラストで否定」がドンデン返しとして成立するのはその裏返しでしょう。

 かつての「おっさんのコスプレ」の意味は明確でした。私のようなおっさんの中でも高齢と言える男性にとって、「女子高生」、特に「集団としての女子高生」は排他性が強く最も知らない存在なのです。中学生ぐらいまでなら女性とも一緒に遊ぶこともあるし、大学以降では遊んだりすることはあってももう付き合いは個人がベースとなります。そのため「女子高生」を描くには作り手にとっても想像を多く含まざるを得ず、受け手も「そんなもんなの?」と半ば想像に基づかない限り描かれ方のリアリティを測れません。「おっさんのコスプレ」は「リアルかどうか」という判断を保留するために「リアリティが結果的にぎりぎりまで排されて」生まれた何かなのです。「表層的」なリアリティと同レベルのリアリティが「キャラの内面を多少描いても維持される」、それが「おっさんのコスプレ」という型が獲得したリアリティのレベルなのです。

 作り手への女性の参加拡大などによって「おっさんのコスプレ」は解消されるかと思いきや、それは未だに稀有の例で、90~00年代は実は作り手側に新たな「おっさんのコスプレ」が生まれただけでした。従来が「おっさんが女子高生のフリをしている」に対し、今度は「かつて女子高生だった女性がおっさんのフリをしている」です。その結果、「おっさんの想像する女子高生像を想像して生み出された女子高生/女性」という恐ろしく気持ち悪く、リアリティも感じられない何かが多く描かれる時期が現れました。両性ともに受けが悪い女性キャラの多くは、そんな不幸な生い立ちを持っているように思います。そこへ・・・(以下自粛)

  少し話を戻します。

 型を使う利点はたくさんあります。例えば「まじめの型」を使えば、そのキャラに対して「まじめであることを受け手に伝えるための演出」がほぼ不要とでき、他の造形要素や物語のために使える尺が増えます。各キャラの個性は型の上に乗せる追加の造形要素で効率的に表現できます。「型」を共有知とするこにより演出、脚本上のキャラ扱いや作画の祖語の発生リスクを低減できます。さらに型は使いよう、「ガルパン」1話では「生徒会→いつも悪だくみ」の型を露骨に使った演出で、生徒会キャラの物語上の立ち位置への受け手のミスリードを誘います。キャラ言動の変化の落差や意外性も演出しやすくなります。片や、強力な型はキャラ造形や物語上での演出の自由度を低下させます。「そのキャラではできないこと、させられないこと」が生じるこもとも避けられません。

 やっと本題です。

 「響け!」TVシリーズ1の冒頭、主人公久美子や主要キャラの描き方は「型」にかなり添うもので、「リアルな感じ」が抑制された演出は、声優さんの「リアルな感じ」に多少寄せた演技を浮かせるレベルのものでした。 声優さんへの演出指導のミスなのか、本来は演出も声優さんの演技レベルの「リアルな感じ」のつもりだったのかは分かりません。しかし、その後は演出が「型」の活用を抑制し、声優さんの演技の「リアルな感じ」に寄せていきます。その寄せていく過程が5話まで、微調整が 6、7話、新しい寄せ具合の確立が8話と見ます。

 微調整過程がオーディション実施前のゴタゴタ、8話が縣祭りと「愛の告白」です。

 会話の「リアルな感じ」はいや増し、8話まで来るとアルアル感(ただし、それは女子高生云々ではなく、大学生時代や社会に出てからの個人的な経験から、です)がイタいばかりにまでなります。以降も含めて例えば久美子の「何で?」のセリフが伝えるニュアンスの豊潤さは声優さんGJ!ってことなんでしょうが、セリフに対してやや「リアルな感じ」に寄せた演出がそれをサポートして良い味出してます。ここで演出が声優さんの演技に寄せ過ぎると不要な生臭さが出ていたかもしれません。8話は大小含めて恋愛絡みの会話やエピソードが多数含まれていますし、何しろ「愛の告白」があります。ですから、このような演出、そのキャラの型からの距離感の確立は8話には絶対必要だったと思います。結果、私は8話の「有り様」に魅了されました。

 8話の物語進行はゆっくりしていますが、並行する複数の小さな物語を終えたり、転換を与えたりと大事な会話に事欠きません。そのような結構重要な会話の一方、あすか先輩の飄々としたある意味心のこもっていない発言は浮きまくり、実に正解だと思います。これも新たに確立した演出スタイルが可能としたものです。久美子と麗奈が大吉山を登っていく一連のシーケンスはこの演出スタイルの確立宣言みたいなもの、加えて「演出的にこの作品は実はこんな作品なんですよという遅れて来た宣言」として実質的に機能しており、「愛の告白」シーンを盛り上げるための単なる準備を越えた意味を備える(結果的に備えてしまった)に至っています。

 ですから大吉山を登るシーケンスをカットしまくった劇場版は、「愛の告白」の前後の演出のトーン(特に、画面上の演出と声優さんの演技の「リアルな感じ」への寄せ具合)の違いが目立つことになっています。これは単一の作品として見た場合は不幸としか言えませんし、実際に作品を損ねる要素となってしまっていると思います。

 以降、TVシリーズ2も含めて「響け!」の演出トーンは新たに確立したものに準じます(TVシリーズ2は群像劇要素が増したので、煩雑さを避けるために意図的に「型」に寄せた感はあります)が、「死んだ魚の目」だけは例外でしょう。あれはああしないと不要に生臭くなってしまいそうですからね。

 かくて、TVシリーズ1の8話は私を魅了し、TVシリーズという一種の生き物を観る楽しみを再確認させてくれました。実際のところ演出スタイルの変化は小さなものなのかもしれませんが、私にとっては「実写でやった方が絶対面白いやん」から「アニメで正解、アニメ”ならでは”全開でOK!」に心変わりするぐらい、一線をを越えた感があったのです。声優の皆さんの演技は、それを支えるどころか、むしろ引っ張っていてとにかくGJ!!と断言してしまいます!

 しかしまぁ、個人的に久美子の「何で?」というセリフがエラくリアルにイタく感じられる作品でした。ブログ主は「女性に言われた『何で?』」には少なくないトラウマがあります。様々な状況で、様々なニュアンスで使われましたが、実はこの言葉、そういう状況で使うなんて少なくともおっさん世代の男性は思いもよりません。ですからショックも受けるし、「ずるい」とか「何無かったことにしようとしてんの?」とか思っちゃう訳です。逆に、同様のシチュエーションで「ちゃんと説明して欲しい」とか「ちゃんと言葉にして欲しい」と言えちゃう人は可愛くてしょうがなくなっちゃいます(汗)

2017/09/02

[隣のDivisonさん] アップデート1.8・・・

 興味はないけど挙動が気にはなってしまう隣席(机は離されている)のクラスメイト、The Divisionとの現在の距離感はそんなところです。

 関係ないけど、最近やってるゲームと言えばWoWs(World of Warships)です。敵がBotのCo-op戦限定ですね。ともっちゃ工房さんの実況動画シリーズ「【WoWs】素人艦長 頑張るでござる【ゆっくり実況】」を観たら余りに面白そうだったので、はい。
 それはさておき、The Divsionのアップデート1.8に関する情報が公式に出始めました。個人的にはいろんな意味で「ほ~ん」(←ほんで?←ホント?で?←えーそうなんだ知らなかったなぁ、それにしてもだからどうだって言うの?)って感じで、ま、変わり映えはしないのかなと思っています。現状、再インストールは考えていません。一方、 これまでのThe DivisionのアップデートやDLCに辛かったPaul Tassiさんですが、アップデート1.8については「無視するにはもったいない出来では?」と述べています。

 アップデート1.8では
  • 新マップ West Side Piers 追加
  • 新PvEモード Resistance 導入
  • 新PvPモード Skirmish 導入
などが行われるそうです。これら3つは独立ではなく、2つの新モードはともにWest Side Piers内が舞台のようです。

 「モード」とは書いたものの、これはあくまで開発などがそう言っているだけで、現時点までの情報からは「アクティビティ」にしか見えません。つまり、インカージョンと同列のもので、別にゲームを変えるような大層なものではないと言う事です。

 「モード」ならば、適用先がWest Side Piersの一部のみってことは有り得ません。開発に手間がかかる割にプレイヤー増には結びつかなかったインカージョンの代わりの、相対的に開発が簡単でプレイヤーの声に答えた(ように見える)アクティビティ、というのが正体だと思います。

 ResistanceはHorde mode(条件を満たす度に新しい敵の群れが現れ続ける)のPvEアクティビティです。Ace combatシリーズにあった「アーケードモード」が近い感じか、或いは単なるミニゲームに過ぎない風合いすら感じます。アクティビティとしての基本構造が「いつまでもボスNPCの現れない重要ターゲット」なんてことだけは・・・ありそうです。

 ただし、Resistanceでは敵の挙動が少し変わると開発は言っています。敵が待ち伏せしたり、プレイヤーを捜索したりするそうなのです。アンダーグラウンドDLCを多少なりとも面白くできていたかもしれない要素ですね。

 これまでのThe Divisionでは、おそらくサーバー負荷を上げないために、NPCに関してこの種の機能は実装してきませんでした。何故なら、「プレイヤーが付近にいない条件でもサーバーがNPCに関する計算を続けることでしか実現できない機能」だからです。開発の言っていることが本当に言葉通りなら、サーバーの大幅強化とか、クライアントプログラムにNPC計算の一部を任せるようにするといった、増える計算量をカバーする抜本的なゲームシステムの変更が必要な筈です。まさか、「NPCのAIに待ち伏せや捜索を加え、スポーンのパターンは複数あってランダムに選択」なんてだけの話じゃないですよね、ね。だってそんなんじゃすぐ飽きちゃって、複数回のプレイに耐えられないじゃないですか。アンダーグラウンドDLCのことは忘れていませんよ。

 SkirmishはデスマッチPvPアクティビティです。これは「ほ~ん」で終了です。「1年前に実装していて良かった、そして技術的にも実装できた筈のモード」ですからね。「モード」から「アクティビティ」へランクを下げたとは言え、収入の当てもないイヤー2での実装ですからね、高いコストが必要だった筈がありません。

 その他、装備強化メカニズムでのディビジョンテックの復活とか、ローグ2.0(なんとか2.0って表現、まだ流行ってるんですか?)とか・・・ほ~ん。

 後、ラグの原因については未だ調査中だそうです。

2017/08/20

いや本当に、さらば The Division

 夏休最終日のエントリがこれですか、そーですか。

 アップデート1.7ってどんな感じですか、とばかりに本当に久しぶりに起動・・・10分ほどでついにアンインストールに至りました。まぁ、よくぞここまで頑張ったな、俺。

 理由は色々ある訳ですが、一番駄目だったのがヘッドショットキル描写の変更。もう生理的にも駄目だし、血煙処理など適当感がハンパないし、とにかくぶしゃぶしゃと煩い。ヘッドショットくらった敵が5m離れていようが30m離れていようが目の前あたりから聞こえるぶしゃ・・・

 あれだあれ、目の前で発砲されても発砲音が1秒くらい遅れて聞こえるスナイパーライフル発砲音処理の逆バージョンですね。

 右で血煙上がっても正面でぶしゃ、ラグの間に後ろ向いても目の前でぶしゃ、加えて全力でダッシュすればぶしゃも猛ダッシュでついてくる、1秒ちょいの間にぶしゃぶしゃぶしゃぶしゃぶしゃとか気分が悪くなってしまいます。

 視覚タイミング的には

 「ぶしゃ
       ぶしゃ
        ぶしゃ
          ぶしゃ
              ぶしゃ」
 なのに、
 
 「ぶしゃ ぶぶしぶしゃ ぶしゃ」

 とはならず

 「ぶしゃ  ぶしゃ ぶしゃ ぶしゃ ぶしゃ」

 に近い感じで処理されるのですぐに酔います。

 音楽はとっくに音量0ですけど、さすがに効果音の音量0は無理。

 聞こえてくる方向とか距離感とか、リリース時に既に実装されていた音に関する処理は今でも良くできているゲームなのですが、リリース後に手を入れた音に関する処理はたいていこんな感じ。本件に関しては視覚処理も色んな意味で酷い、というか単に雑過ぎ、なのでもはや褒めるところがありません。90年代ゴア系FPSでやってたことの高解像度版「未満」のものでしかありません。そこには品もオリジナリティもアイデアも欠如しています。

 PC版のSteamでの価格はセール時に本体のみで\3,000を切ってきていますが、以前に頂いたコメントにあった通り、アングラDLCまで含めて\3,000未満が妥当な価格かなと思います。まぁ、アングラ自体もプレイヤーにとっての存在価値はだだ下がりですけれどもね。結局プレイヤーキャラのリスポンはアングラに実装されたんですか?テストサーバーに一度実装されたものはもうグダグダなんて言うのもおこがましいぐらい酷いものでしたが。

 アップデート1.7の内容には興味0なので基本的にスルー。キャラいじり?・・・サングラス外すかどうかぐらいの悩み代しかないものでしたねぇ。 

 ティア5アングラ・・・あ、人いた!

2017/07/30

このキーボードは鈍器

 毎年夏が近づくと出張が増えます。理由は簡単なんですがここは敢えて秘密で。リハビリは継続中ですが、先週は出張が複数入って進捗はイマイチです。

 Angel Interceptorはまだラフモデル(下書きみたちなもの)作成段階。案の定インテイク周りの処理に悩み中。この部分、撮影に使用された全体モデルとコクピット付近だけの部分モデルとで絶妙に違います。絶妙と言う意味は、インテイク形状とそれが繋がる部分の形状が上述の二つのモデルが相互に整合しないということです。つまり部分モデルのインテイク形状は全体モデルのインテイク周囲部分形状ときれいには繋がらず、逆もまた同じという訳ですね。もう選択も問題でしかないとう事なのでしょうが、まだ割り切りが・・・ねぇ。
 遅れてきたガルパンの影響は至る所に。

 先週はフィンランド語とロシア語の発音周りを調べ直したり、以前から興味があった三味線の楽譜(文化譜)の読み方を調べてメモを作ったりと色々やってました。変な方向に見えるかもしれませんが、戦車自体や曲のネタ元などは知っているものばかりでしたし、大洗町は学生時代から縁があって(1ヵ月とは言え住んでましたし、この時の経験が就職先や現在の仕事内容を決めたようなもの・・・あっ、これは人生の重大な転機・・・)、10年くらい前までは仕事で行く機会も多くありましたからねぇ。

 で、エントリタイトルの件。

 PCの周辺機器の更新も現在進めています。キーボードは今回の更新の目玉で、しっかりとしたクリック感とキーの重さ、好みのキー押し込み距離、小さい入力遅延などを考慮した結果、結局ゲーミングキーボードに行きつかざるを得ませんでした。 この展開はマウス更新時と同じですね。で、選んだキーボードが重いのなんのってまさに鈍器です。テンキーレスでほぼ1kgとか。マウスにもキーボードもLEDだらけ、「機能を求めるなら高価でも軍用を買っておけ」みたいな感じになってます。

 ゲーム絡みでは、既に2017年きってのガッカリゲーのひとつの地位を世界的に確立したFor Honorに動きがありました。シーズン3向けにネットワーク周りの改善が公式にアナウンスされました。The Division公式フォーラムでもこれに触れる投稿があり、「ネットコードに手を入れるらしい」との憶測もあります。PvPゲームでネットコードが改善され続けるのはむしろ当たり前。改善どころかベータ時代から指摘されてきたネットコード上の問題すら直していないThe Divisionの異常さが更に目立つことになるかもです。

2017/07/21

LFOはいいぞ!

 ガルパン劇場版を観る機会を与えてくれた同僚に、先のエントリに書いたような「ガルパン作劇骨太白骨論」を伝えたところ

「ついていけねぇ」

あは、同僚殿に褒められてしまいましたぁ~(照)

 で、続いて「物語sぃリーズ」がオファーされった訳ですが、スイマセン噛みまひた、いやいや現時点では興味無いのでいいです、となりました。いや、観ればきっと楽しんじゃうし、面白いんじゃないかとは思います。

 なお、楽曲「オレンジミント」は大好きですよ。


 なんたって「LFO」は私も大好きですからね!この曲を知っていると、時に間奏部分などに劣化版感がぬぐえず、至極残念な感じ。

2017/07/20

ガルパン劇場版、やっと観たわ

 経緯は省くけど、要は「観る?」と聞かれたので「観ます!」というだけの話。「いやぁー、(観んでも)いいわ」ではなかったあたりにも、そこはかとなく病気からの回復の兆しを感じなくもないです。

 全体の感想なんかつらつら書こうものならベタ褒め不可避なので、その辺はサクッと流して進めましょう。

 とは言え一点だけ気に入らないところはあって、バミューダアタックの下りにはカチューシャにちょっとした見せ場を与えても良かったんじゃないかなぁ・・・と。エキシビジョン(劇中ではエキシビション、現行はどっちも使うみたいだなぁ)戦のラストでのカチューシャの大局観あふれる振る舞いがあったからこそ、山頂からの撤退時のクラーラ、ノンナ、ニーナらの振る舞いやセリフに説得力があり・・・と上手く繋がっていたと思うんだけどね。だからこそ、カチューシャが彼らの振る舞いに答えるシーンとしての見せ場が有るべきだったと思う訳です。

 作劇、構成における緊張と弛緩の配置は見事です。オーソドックスと言えばそうなのですが、伏線張りやその回収ときっちりリンクさせてくるなど、手際として非凡だと思います。上でも触れたクラーラ、ノンナ、ニーナらの下り、「人死にが出ない、眼鏡の玉が割れるのがせいぜいというのがお約束」なのは観る側も分かっているのに、どうしてあそこまでの悲壮感が出せちゃうかなぁ・・・っつー話ですよ。観客が緊張すべきか弛緩すべきかはBGMの有無とBGM自体が結構教えてくれます。使い方に寄り添った感が強い映画版のBGM群ですが、寄り添うにしても楽曲の作り手にはl器量と力量が必要です。昨今増えたBGM鳴らしっぱなしの作り手さん方には、自身への振り返りをお勧めします。

 さて、観てみて意外に思ったのは、映画からの引用と言うか、映画を元ネタとする(と思った)ネタがとっても多かったこと、多分音楽も含めてね。ただそこにはリスペクト(ときっちりとした伏線張り)があります。っつーか、劇中の登場人物間だけでなく、他作品への愛(?)も含め、TVシリーズの時点からガルパンはリスペクトの塊みたいなところがありますので。「シャンと背筋の伸びた、品の良さ」は劇場版でも健在です。

 私の思い違いでなければ、観覧車の元ネタはスピルバーグ監督の「1941」でしょう。この映画、スピルバーグにコメディを二度と撮らせなくしたという非常に重要な役割を果たした、その一点においては二心無く評価に値するとともに存在理由が明確過ぎる迷作です。実のところ、観覧車の最初のカットを観た時点で「あれやるのかなぁ・・・潜水艦ネタなんだけどねぇ」。まぁ、例えば「第三の男」には元ネタになりそうな要素を見いだせなったということでもあります。

 緊張-弛緩の緩急と不可分のガルパンの重要な作劇要素と言えば、作劇上の「やりたいこと、こらからやること」に不要な要素を順を追って削っていくところ。TVシリーズで言えば所謂「学園要素」はそれこそ1、2回使っただけで打ち捨てられていきます。教師は声だけしか出なかった、学園長もちゃんといるらしいが車が出てきておしまい、教室や学食もすぐに出なくなります。BGM(のフレーズ)も結構早い段階で整理されていきますしね。結果、ガルパンは脂肪も筋肉も削ぎ落してしまった白骨みたいなものです。でもね、それはとっても骨太、髄には作り手や登場キャラクターの自他ともへ向けたリスペクト(と鉄と油?)がぎっしり詰まってます。 

 劇場版はTVシリーズが前提、裏を返せばスタート時点で骨太白骨状態な訳です。だからと言うか、劇場版での追加要素はほぼ冒頭で出そろいます。「知波単」と「継続」のなんとなく妖精っぽい2つのチームですね。主人公たちに代わる成長要素担当と、「もしかしたら今日の友は明日の敵」の将来展開すら予感させる(大ボスキャラ的)レベルの謎担当、或いは常に主人公達との間に意思を持って一線を引くほぼ唯一の存在担当です。

 まず知波単、こちらは「人間と関わることで変わっていく妖精」ですね。ポイントは突撃そのものではなく、突撃して撃破された後のセリフに必ず含まれる「敢闘及ばず・・・」といった類の「意味の無い枕詞の使用」かと思います。実際、この種の「意味の無い定型表現を使っても平気な大人」はいっぱいいて例外無く迷惑かつ面倒な訳ですが、そんなものを使わなくなる、使わなくても済むように振る舞いや考え方を変えていくというのは明らかに「成長」でしょう。他者からのリスペクトを得、他者をリスペクトできるようになることで、骨の一部となっていきます。

 この先、知波単には

 「吶喊!・・・・・・・・・・・・・・・・なんちゃって(テヘペロ)」

なんてことをやっちゃってくれることを個人的には期待。 

 で、継続。「基本的には人間と関わらないけど、どっこいちゃんとそこに居る妖精」で、もうエルフちっくさが溢れ出てます。内々では意外に語るし、色々見えているのですが、見えてるものを決して人間には教えないし語りかけもしない。実は骨の髄の住人なのかも、TVシリーズの最初っから居ましたみたいな勢いすらあります。ただ、観ている早い段階で「妖精」っぽく感じてしまったため、車長がスナフキン、砲手がムーミントロール、操縦手がミィに見え始めてしまったのはなんとも。

 継続には「風で流れて大洗最強の敵(本人には敵と言う意識は無いが、人生には必要な時が来たとの認識は有り)」という今後の展開もアリかと。劇場版には今後そういう展開になってもおかしくない要素がけっこう埋め込まれているような気が・・・まぁ、これは願望。

 最後も白骨と言う話。あれですよ、対大学選抜チーム戦の最後の戦場と言うか戦闘が行われた場所ですよ。一見して、もうネタとして使うものしか置いていない空間以外の何物でもなかったですね。潔過ぎるぐらいの不要な物を削ぎ落した空間・・・ガルパンの作劇の真骨頂かと思います。