2015/12/20

「新・映像の世紀」はホント××

 第三集もタイトル、内容、ナレーションともに酷かった。新映像は皆無。

 20~30年前に「いったん固まった新しい歴史研究結果を反映した歴史観」からも退行し、その後の研究結果はナレーション内容にも反映されていない。ヘンリー・フォード、リンドバーグなどの逸話を引っ張り出すこと自体は否定しないが、そんな話は30年前には常識になっていたことである。ことさら特記事項の様に扱う姿勢には疑問を感じる。「当時の普通」という視点がきっちり導入されたのが件の歴史観のポイントだ。ましてや現代の視点とか、ライターや製作者のイデオロギーとかは不要、そんなことしか「今になっても出来ない人間」はこういう番組制作に関わってはいけない。

 「いったん固まった新しい歴史研究結果を反映した歴史観」以前の歴史観は、明らかに現行の中共の歴史戦における歴史観のベースとなっている。本人たちが意図的にやっているかは分からないが、結果的に「誰かにとって都合の良い内容の拡大再生産」になっている可能性ははっきりと指摘しておきたい。チャップリンやウォルト・ディズニーだって下げようと思えばネタはあるのだが、何故それはやらない?

 ナレーションの日本語が2か所ほど(日本語として)変だったのも辛い。ソ連に関してさらっとナレーション内容に誤り(嘘?)が入っていたのも辛い。

 全体としてとにかく痛い。

 次集にヴェノナは出てくるのかな?それともヴェノナはでっち上げと言う立ち位置ですかな?

2015/12/06

ハンドガン用カービンコンバージョンキット!?

 時折長物のエアガンが無性に欲しくなることがあって困る。かつてはアサルトライフルのL85A1とかFAMASを所有していたこともあった。どっちもブルパップタイプなのはご愛敬。

 さて実際に買うかどうかは別にして、ほぼ20年ぶりに昨今のエアガン事情を色々調べてみたら実に隔世の感。エアガン自体もさることながら、そもそもかつては雑誌か店頭でしか入手できなかった類以上の情報がネット経由で自宅に居ながら入手できる時点で違う。特に電動エアガンの機関部(メカボックスと言うんですね)の中の情報まで有るのは、機械屋の視点からも調べていて実に面白い。

 で、本エントリの本題なのだが、実銃と言うかハンドガン用周辺機器の話だ。

 カービンコンバージョンキットと言うのは、ハンドガンを組み込む短尺ライフル(所謂カービン銃)サイズの一種の拡張アクセサリ(ハンドガン本体より大きいアクセサリ)だ。百聞は一見に如かず、動画を見てもらえばどういうものか分かるだろう。いやはや、こんなものがあるなんて本当に知らなかった。

 お気に入りはTriariiシステムとRONIシステムだ。もどき品が一見簡単に作れそうに見えるのがヤバい。廉価版CADアプリを思わず起動しちゃったけど機械的強度をどこで担保するかには悩む、っつーかそこがクリアできればどーとでもなりそうな気もする。利用できそうな既存のアクセサリがあれば作ってみたいな~なんてね。

 Triariiシステムは操作性も含めた合理性や機能が全面に出た形状だ。チャージングハンドルが前方にあるのは便利そう。

 RONIシステムは「もなか感」が半端無い。この方法なら全体形状はどうにでもなりそうだが、もっさり感を排除するのは難しいだろうなぁ。

 おまけのKPOS Pathfinder。おそらくこれが正しい方向性なのだろうが、ちょっと「いかがわしさ」が足りないなぁ。

 これは潔過ぎ・・・正しい、正しいのだが・・・筒じゃねーか!

2015/11/29

続・NHKって本当に駄目になったんだねぇ

 本日の「新・映像の世紀」も酷かった。構成らしい構成が無いのは前回同様で、(そもそも必要が無い)形容詞の選択もセンスが無くて観ていて辛い、実に痛い仕上がりだ。

 冒頭、「資本主義をモンスターと形容した」ことには驚くと同時にどう展開するのか期待も持ったのだが、結局米国の歴史的な投資家、資産家を「資本主義が生み出したモンスター」と呼ぶことしかしなかった。全くもって期待外れどころの騒ぎではなく、日本語が不自由と解釈すべきなのか、論理的な展開ができない無能と解釈すべきなのか、実に解釈にも困る出来となっている。次回も期待できなさそうだ。

 予告によると次回はヒトラーのプライベートカラー映像などを使うということだが、少なくとも予告で使われていた映像はここ4、5年で散々目にしたことがあるものだ。予告でわざわざ「新たに発見された」なんて表現を使っているんだから、少しは見たことない映像も出てくるんでしょうね?

あと、「七」を「ひち」と発音するアナウンサーはNHK全国放送には不要だよ。素人かっつー。

2015/11/23

Hide and seek

 "Hide and seek"とはかくれんぼだ。

 現在、PCゲーム「アサシン クリード シンジケート」をのっそりプレイ中だ。「のっそり」に込めたニュアンスは「面白いのだがやや冷めた感じにプレイ中」という事で、具体例としては「今日はここまで、とサクッと中断できる」という感じだ。ちなみに私はアサシン クリードシリーズ初心者である。

 本ゲーム の舞台は産業革命当時のロンドンだ。オープンワールドにはロンドン中の名所旧跡がちりばめられていて、当然ながら現在もほぼそのまま存在する場所もある。ロンドン好き(?)な人であれば至る所に知った場所を見つけることができるだろう。だが、残念ながら私はロンドン好き(?)ではないのでそうもいかない。とは言え、「ここ知ってるぞ」とばかり思わず(プレイヤーキャラクターが)周囲を見回す場所が無かった訳ではない。
そう、ここはかの有名な「オリンピックかくれんぼ競技」のスタート地点ではないか!
 
 ちなみに、このモンティ・パイソン・スケッチ(コント)のオチは、「同タイムにより、明朝再試合!」と言うもの。

2015/11/22

勉強をしない人

 「この人はスゲエ!」と思ってしまう相手と言うのは、概して「頭の回転が速い+現状を把握しているという意味で良く勉強している」ものだ。これに更に何を加えるか、例えば「歴史的なものも含み経緯を把握している」「主張に具体性がある」といったもの、は対象による。より正確には、加えるべきものは無数にあるが「優先度は対象に依存する」だ。

 対して議論をやるうえでやっかいな相手(議論が成立しない相手)と言うのは、概して「頭の回転が速い+過去の情報や権威ある人間の主張についての知識はあるが現状は把握していない、と言う意味での勉強をしていない」タイプだ。少なくとも「現状の共有」が前提の議論の相手とすること自体に意味が無い。

 以前のエントリで何度か触れたが、某元官僚氏は本当に勉強をしていない人だった。いや、今でも勉強していない様が手に取るように分かる。空疎空論と呼べば褒めたことになりかねない、とてつもない、なんつーか、まぁ、アレだ、アレ。危機感が無いのは「それが危機となり得ない」からかも知れないし、「危機管理の結果」なのかも知れない・・・そういう視点を払拭できない限り、幾ら数字を論っても説得力が出る訳もない。

 件の元官僚氏は、かつて電力自由化、発送電分離絡みでTVに良く出ていた。ただ、話す内容が「10年前の議論じゃねーか!」「ドイツやロシアやカリフォルニア州の現状を知らねーのか!」「歴史的経緯に基づく日本型送発電システムの特殊性をなぜ無視するのか?」「ドイツと日本の全体的な総体としての国民性の違いや、政治システムの違いをなぜ無視するのか?」などなど、とにかく現状認識の欠如、未考慮因子の多さは目に余るものだった。なお、私個人の思いの一部は過去エントリで述べているが、「とにかく現状認識が違う」から私の思いと某元官僚氏の主張とは相容れない、と言うか「ともに異なるパラレルワールドに対する言及」と言うのがより正確だ。

 職業柄、エネルギー関連の情報(主にネット上の記事や情報サイト)は高頻度でチェックしてい、とにかく形だけでも「現状把握」には努めているつもりだ。ただし少なくとも英語は読めなきゃならない。これは大部分の日本語記事が海外記事の「一部」を引用するだけだったり、そもそも日本語記事になっている情報が少なすぎるためだ。だが、探し続けていれば日本語の興味深い記事にも出会える。

 日本原子力学会では「立ち読み」と呼ぶ学会誌コンテンツの一部無料公開が行われている。小野章昌氏の「ドイツの2050年再エネ80~90%は可能か?」ではここ4~5年のドイツの状況が上手く紹介されている。紹介されている内容は私が追っかけている海外の公開情報との矛盾が全く無く、現状把握には良質の読み物かと思う。竹内純子氏の「悩めるドイツ-脱原発を『道徳的に』考える」は短いが、タイトル通りの「道徳的に」と言う切り口はそうそう出会えないものだ。ともに議論の出発点、或いは出発点とすべき共有情報へのリンクを提示するものと言えると思う。

2015/11/17

「沸点が低い」とはこういう事なのか!

 体調がすぐれないので今日は休みをいただき、何気なくTVを観ていた。と、ワイドショーのコメンテーターがいきなり声を荒げたのでびっくりさせられた。曰く、

 「これでも保守や右翼の人達は・・・」

 あぁ、「沸点が低い」というのはこういう事なのかと得心した。「顔真っ赤」と言うよりも、「半泣き状態で絞り出すように」と言う感じだったのはご愛敬だ。

 番組中の話の流れについては省略するから何の事かは分からないとだろうけど、少なくとも「保守や右翼」なんてのは関係無いものだった。反原発のスタンスをとるのは構わないが、この番組の流れで「保守や右翼」が出てくるのは本質的におかしい。おそらく普段からそういう「漠然とした事しか考えていない」から、それがそのまま口をついて出てきたのではないかと思う。良くも悪くも(今日的な意味において)空気も読めず、国民の共有財産たる電波を使っているとのちゃんとした覚悟も無いのだろうと思うと、正直暗鬱たる気分になったと告白しよう。

 件のコメンテーターにとっての「保守」とは何を指すのか、誰を指すのか?

 件のコメンテーターにとっての「右翼」とは何を指すのか、誰を指すのか?

 では、おそらく保守でも右翼でもない件のコメンテーターは何か?左翼?リベラル?

 「安易なレッテル張りは思考停止以外の何ものでも無い」としか私には思えない。またレッテル張りは「区別」のための装置機能があり、「自分は違う」とか「こっちは自分の敵、あっちは自分の味方」といった主観的かつ自己中心的な世界認識を許容する愚か者のための武器にしか見えない。

 私の政治信条は「保守」だったり、「右翼」だったり、「リベラル」だったりと、人によって解釈は様々だ。つまり、ごく普通の日本人のそれだ(とは言え、とある女性からは「ゲバラ主義的」と言われたことはある。残念ながらゲバラ氏は日本人の価値感を最後まで理解できていなかった様だが。で、「ゲバラ主義」って美味しいの?)。日本人の文化的価値観は、基本的にレッテル張りに利用されるような区別からは(長期にわたり世界史から独立していた歴史的経緯から言って)自由なのである。他者にレッテル貼りし、自らにもレッテル貼りすることで他者のみならず自分の精神的自由をも制限しようとするなんて、愚の骨頂も甚だしい。いい加減大人になって、その自己愛にただ溺れるかのような言行を改めて頂きたい。

 では、件のコメンテーターはどういう発言をすべきだったのだろうか?

 私の見るところ、「政府は××すべきではないか」といった「具体的かつ建設的な提案」だったのではないかと思う。「安易なレッテル貼りをする人」の特徴の一つは、「どうあるべきと自分は考えるか、自分はどうしたいか」を全く語れない事だ。もちろん、当人は「語っているつもり」なのかもしれないけど、少なくともそれなりのレベルの内容でなければ議論にもならない。「相手にされない理由が自分側にある」ことにさっさと気付いて、口をつぐむなり「ちゃんと考える」ことをやってみるなりすべきだ。 

 以前にも書いたことがあるけど、大学生時代に接点のあった新左翼に分類されるとある集団の人達は歴史や時事にも詳しく、知識欲の高さに正直驚かされたものだ。今思えば、彼らには彼らなりの覚悟みたいなものがあったのだろうと思う。思想に関する話は最初のやり取り、「興味ある?」「ありません」を最後に一切されることは無かった。「レッテル貼り」され得る立場を受け入れることは、それ自体が覚悟が要ることだと思う。さて、私や私の周辺に多かった「レッテル貼りとは無縁な、常識すら疑わずにいられない余りに自由すぎる軽い人間達」は彼らの目からはどのように見えていたのだろうか。

 「沸点が低い」時点で自分は偽物だと認識すべきだ。どうせ覚悟は無いんでしょ?

2015/11/16

「価値観」とは?

 「価値観外交」の「価値観」の意味するところをいまいち掴みそこねていたのだが、ここに来てやっと個人的に納得できる結論に至った。他国と共有されていたり共有されていなかったりする「価値観」とは、「法治主義」ではないだろうか。

  「法治が為されているか」という点は、もれなく特定アジア諸国のアキレス腱だ。さらに言うなら、「本来、国内法に優先されるべき国際法(慣習含む)、国際条約、2国間条約」が「まず履行されているか?」を問うのが「価値観外交」の初手という事になる。

 少なくとも韓国、中共(中国共産党)への昨今の対応はそのように見える。

 在韓日本大使館前の所謂従軍慰安婦像の撤去に日本がこだわる理由は、単純に国際条約(ウィーン条約)違反だからである(棒。本条約を批准している韓国の政府は、撤去はもとより、設置自体を許さない国際的な義務がある。日本は韓国の国内法に干渉はできないが、国際公約とも言えるウィーン条約の履行は要求できる。そこに感情論が入り得る余地は無く、日本に対する外交カードにもなり得ない。しかもこれは初手に過ぎない。

 同様に「航行の自由」は中共に対する一種の錦の御旗だ。米国は「原理原則」に対して非常にナイーブだから、B-52爆撃機を飛ばすことも厭わない。米国のあるアナリストは「孫子の兵法は米国には通じない」と書いた。これは米国の行動原理が「明確な、極力単純で他の解釈を許さない原理原則に基づく」ことを求めるからだと言える。行動原理の根本に「裏が無い」ので、物事の裏表の間隙を突くような策はそもそも存在しないのである。スプラトリー諸島の件は米国経済へに直接影響しないから、米国から見れば純軍事的なイシューだ。国内経済界からのノイズが無いが故に、米国は大上段に「裏の無い原理原則」を振りかざせるとも言える。

 中共は米国が自分達と同じ行動原理に従うとナイーブにも考えていた節があるが、こここそがそもそものボタンの掛け違いの始まりなのだろう。米国も極めてナイーブであるが、米国政府にはそのナイーブさの押し出し方や押し出し時を心得ている人間が居るという事だ。注意すべきは米国政府がナイーブさをアピールする第一の対象は相手国政府(または支配層)ではなく、むしろ米国市民と相手国(とその従属国)を除いた すべての国、地域の政府と住民である点だ。「国内世論と国際社会を味方につけるにどうすべきか?」は米国政府の行動原理を推定する上で無視できない因子だと思う。

2015/11/15

Windows10のメジャーアップデートで、iTunes購入不能再び

Windows10へのアップグレード後に生じた問題と言えばざっくり以下の通り。
  1. EDIROLのMIDIコントローラ PCR-M1のドライバがインストールできない。
  2. Cubase Pro 8で音飛びが発生、異常な高CPU使用率。
  3. iTunesで楽曲などの購入ができなくなる。
上の二つは解決(1,2)し、最近のWindows10のメジャーアップデート(TH2)後も全く問題ない、が、最後の問題が再び発生した。楽曲購入時の症状は以下のようなものだ。 
  • 楽曲購入ボタンを押すと、確認のダイアログボックスが表示される。
  • ダイアログボックスの購入ボタンを押すと、「iTunesへのアクセス」を開始するが一瞬で終了。エラー表示は無い。
  • 購入楽曲はダウンロードされない、購入履歴もない。つまり、購入自体ができていない。
まぁ、課金だけされて購入品が入手できていないという訳でもないので実質的な不利益は無いのだが、如何せん気持ち悪いし、そのままではいつまでたっても欲しいものが購入できない。 

 実は先々月にも同じ状況になったので、Apple社のサポートにもコンタクトを取ったのだ。サポートからは
  • iTunesをアンインストールしてから再インストールしてください
という連絡を受けたのだが、結論から言えばこの方法では解決はしなかった。と言うか、ファイル破損でも起きていない限り、こんな方法では解決する筈もない。そこで「いつもの手」を使ってみたところ見事に問題は解決した。「いつもの手」とはずばり、
  • アプリを「管理者として実行」して、1回問題を再現する
だ。件のiTunesの問題の場合は「管理者として実行」しても発生する。しかし、次回の通常実行以降には問題は発生しない。

 Windows10では特定ファイルへのアクセス制限などのセキュリティがらみの制限がWindows7より厳しいが、セキュリティ絡みのメッセージはむしろより表示しなくなっている。このため、セキュリティ絡みの問題は原因特定がより困難になっている。このiTunesの問題がセキュリティ絡みかどうか分からないが、対処療法としてはこれで2回解決に成功したことになる。

 ちなみに、Cakewalk社のシンセZ3TA+2やサンプラD-Proの実行には「管理者権限」が常に必要で、vstiの実行も同様だ。だからDAW上でこれらvstiを使う場合には、DAW自体を常に「管理者として実行」すればいい。

 この種の話をすると「Macにすれば?」と言う人が当然居るのだが、すまん、俺BSDが大嫌いなんだわ

2015/11/13

「せめて」F-secure社に神のご加護「でも」あらんことを。

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 F-secure社のリリース「弊社調査結果の最終的なご報告」の内容に口あんぐり。 「悪魔の証明を為した」の一点張りで論理性も客観性も無し、当然の如く検証に足る情報も全く無い。要は社会性が無い、自分と他人が区別できていないような気持ち悪い存在にしか見えない。コミュニケーションは不可能・・・この種の「馬鹿」感、「察しも思いやりも無い駄目な感じ」はそうそうお目にはかかれないレベルだろう。

 馬鹿だろ、この会社と経営陣。 じゃなきゃ・・・

 ネット上の誰かさん曰く、「絶対に言いたくないことに触れずに文章書いたらこうなりました」

 ま、そんな感じだわね。  

カロリーメイト CM|「見せてやれ、底力。」篇

 黒板アートスタイル・・・
かと思いきや、本当に黒板を使ってました。

プロジェクタ使用は予想通りで思わずニヤリ。