2015/11/13

「せめて」F-secure社に神のご加護「でも」あらんことを。

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 F-secure社のリリース「弊社調査結果の最終的なご報告」の内容に口あんぐり。 「悪魔の証明を為した」の一点張りで論理性も客観性も無し、当然の如く検証に足る情報も全く無い。要は社会性が無い、自分と他人が区別できていないような気持ち悪い存在にしか見えない。コミュニケーションは不可能・・・この種の「馬鹿」感、「察しも思いやりも無い駄目な感じ」はそうそうお目にはかかれないレベルだろう。

 馬鹿だろ、この会社と経営陣。 じゃなきゃ・・・

 ネット上の誰かさん曰く、「絶対に言いたくないことに触れずに文章書いたらこうなりました」

 ま、そんな感じだわね。  

カロリーメイト CM|「見せてやれ、底力。」篇

 黒板アートスタイル・・・
かと思いきや、本当に黒板を使ってました。

プロジェクタ使用は予想通りで思わずニヤリ。

The force, it's calling to you. Just let it in.

 「フォースはあなたに呼びかけている。ただそれを受け入れればいい」

って感じでしょうか。公開が迫ってきた映画「フォースの覚醒」の宣伝コピーとしても使われている、少なくとも予告編では聞けるセリフですね。

 ワイヤード・ジャパンが「フォースの覚醒」公開に合わせてスペシャルページを設けています。無料で読める記事としては良質、興味深いものもありました。

 ただし、一つ重大な問題が・・・"it's"であるべきところが"its"になっている!アポストロフィが抜けたせいで「英文じゃなくなっている(意味の無いアルファベット列になっている)」んだよねぇ、もったいない。
 まぁ、意味消失してる時点で"lts (LTS)"という可能性も生まれてるわけですけど。

2015/11/07

F-secure社は初動以降すべて誤っているようだ。

 この手の問題の勝負は24時間である。24時間でどこまでやれるか、で対応側の「仕組みの有無」や「文化」の程度が知れる。「お知らせの類」は24時間以内には出せず、自社ウェブページのトップへの直接リンクの埋め込みも未だ無い。先のエントリに記載した通り、「お知らせの類」は文面からしてお粗末だった。

 さて、

 会社概要から取引先が削除されたり、フィンランドの本社含めた役員のツイアカも公式ページに表示されなくなるに及び、日本的価値観に照らせば「あまりに怪しすぎる」展開を見せつつある。本来は、くだんの件に関して整理された情報が出てしかるべき時期なのだが、むしろ出す情報を減らす(削除する、表示されなくなる)という対応にはもはや「どゆこと?」という言葉しか出てこない。地域マネージャ含めて然るべき立場の人間からの公式の声明も無く、正式なプレスリリースも無い。

 良し悪しは別にして、一般的な日本人は「察しや思いやりの無い人間、集団」には本質的に厳しいからね(私見ながら;コミュニティ外の人間、集団との判断になるので、一切の甘えは許さず是々非々の対応になる。この場合の対応は極めて冷徹で論理的、なんせ一緒にされたら身の破滅ですから。ここまで来ると、感情に訴える手は最悪手。)。まだ終わらないよ。

2015/11/04

F-secure社は初動を誤ったのではないか。

 そこは、

 「・・・行われておらず、・・・」

 ではなく、

 「・・・が行われたことは現時点では確認されておらず・・・」「・・・引き続き調査を進めてまいります。」

 ではなかろーか。 状況をコントロールできているように感じられない「私を信じてっ!」って表現、これは相当印象が悪いですよ。

追記(2015/11/08):思い出した!そう、F-secure社の文章が示唆する内容は、「『広義における悪魔の証明』を為し得た」というものです。「無い」ことを証明することは実際的に不可能、しかも「無いという事実を積み重ねても『無い』ことを証明したことには絶対ならない」というアレです。論理的帰結として、F-secure社の主張を信じる理由はありませんね。

2015/10/31

車のCM、二題

 マツダCX-3のTVコマーシャルを観て、10年ほど前の海外のTVCMを思い出しましたよ。

 こちらにはオチがあります、おそらくトルコのCMかと(トルコ語と思しき"yeni"=「新しい」が出てくるので)。

2015/10/28

俺にとってMetal Gear Solid V終了のお知らせ

 昨夜、セーブデータを初期化してプログラム自体もアンインストールした。

 面白くない、とは言わない。¥2000ぐらいなら全く無問題だ。

 驚きがない、とは言わない。「カセットテープ⇒MSXの流れ」は完全に虚を突かれた。だが、「本ゲームのスネークの正体」は早い段階で読めてしまったので、ふ~んって感じだった。

 やり込み要素がない、とは言わない。ただ、スタンドアローン でしか遊ばない人間にとっては、早晩ただの拉致ゲーになってしまう。私の場合は、「空マガジンを投げる⇒敵を羽交い絞めする⇒尋問する⇒気絶させる⇒優秀な人材ならフルトン回収(つまり拉致)する」をただひたすら続けるだけになってしまった。

 分量が少ない、とは言わない。ただ、中盤までは「マップは3面ある」と思うようなペースで進んだから、2面しかないと気付いた時にはかなりがっかりした。

 これはMetal Gear Solidではない、とは言わない。むしろ、正常進化の部分も後半で一気に色々とグダグダとなる部分もダサいセリフ回しも感性優先で論理的ではない演出も実に Metal Gear Solid的だ。

 オープンワールドもの、とは言わない。オープンワールドの面白さの一つは、何かをすることで舞台側からリアクションがあることだ。例えば地雷を道に仕掛けてから別の場所に行って、暫くして戻ると地雷で破壊されたトラックが転がっている、という類のリアクションだ。Metal Gear Solid Vでは、ちょっとでも地雷から離れると明らかにトラックが通過したのに地雷はそのままだ。「見ていなければ」、それこそトラックは目的地に突如として現れたかのように処理される。これは2004年ごろのオープンワールド系ゲームの処理レベルだ。だから、「Metal Gear Solid Vはオープンワールドものとは言えない」という意見には同意する。少なくとも、「今日的なオープンワールドもの」が備えるべき機能を備えていない。 

 ま、そんなところでした。
 

NHKって本当に駄目になったんだねぇ

 先の日曜日に放映された「新・映像の世紀」は酷かった。何が酷いって「語り」に客観性が全く欠けている。戦争の現実に対して「悲惨な」などと修飾子を付けられるのは「当事者の証言」までが限界、第三者にして案内人であるべき「語り」がそれを使ってはいけない。

 機会があって最近昔の「NHK特集」を何本か観たのだが、「語り」の冷徹なまでの客観ぶりはうっかり驚いてしまうレベルだ。対して「当人の口から語られる証言」は実に生々しい。視聴者はその生々しさゆえに証言者に感情移入しがちだが、「語り」が「自らが第三者たる視聴者」に過ぎないことを思い出させる。調査報道の類は、主観と客観との間を視聴者に行き来させてナンボだと思う。そういう意味で、昔の「NHK特集」のスタイルは機能的であり、かつ作り手の知性も感じさせられる。きっと、デキる人間が制作していたのだろう。

 一方、最近の「NHKスペシャル」は本当になってない。これは、作り手側にその種の知性が無いからだろう、 「新・映像の世紀」を観てそう確信した。京都大学出身の某大学教授(10年前に退官)なら、酒も入っていないのに「ナンセンス!」を連発しかねない、酷い台本ですわ。

そう、意味が無いのですよ。

感傷的で非論理的で知性も感じられない独り言もどきを公共の電波で垂れ流す、そしてそれを恥ずかしいとも思わない感性の持ち主が作り手である・・・受信料ってなんだろうって本当に心から思うようになりましたよ。

 あと、執拗なまでの英国下げにはげんなり。事実を事実として客観的に伝える限りは「下げ」とはならないのだが、客観性を放棄した「語り」に語られてもねぇ・・・これは底の浅いプロパガンダに極めて近い肌合いのものだ。音声の無い記録映像への明らかな後付け音声にもげんなり。それは明らかな演出で、客観性の放棄ですよ。

2015/10/25

Cubase Pro 8、 Windows10対応!

と言うか、Windows10側のアップデートで互換性の問題が解決したらしい。

 本件に関するスタインバーグのリリースは10/22、直近のWindows10アップデートをチェックすると10/17に所謂「累積的な更新プログラム」がインストールされていた。

 「この1週間程は以前にも増してCubase Pro 8の調子がいいなぁ~」などと思っていたが、どうも気のせいばかりではなかった様だ。

2015/10/24

ガメラ記念映像

 ワーナーブラザースのプレスリリースによると、所謂ハリウッド版ゴジラは今後3本が予定されていて、3本目が「キングコング対ゴジラ(Kong vs Godzilla)」ということらしい。近年のゴジラの動きと関係あるのかどうかは不明だが、ガメラも新作が準備中らしい。

 平成ガメラ三部作は、傑作群とは手放しでは褒められないが、どれも劇場で拍手しそうになったのは事実だ。肝は脚本と監督の演出姿勢で、それらがばっちり決まっているところは問題無いのだが、逆に大人の事情なのかそれらを外してきたところで一気にグダってしまう。外したところ、は、まぁ日本映画全般に見られるところだ。結構苦々しく思っている監督業の方もいらっしゃるのではないかとは思う。

 え、特撮?まぁ、頑張ってたんじゃないですか?どうやって撮ったか分かりやすいし。「手法としての特撮」であることは良く理解しております

 さて、ガメラ生誕50周年記念映像とやらが公開されている。

 お、と思うところもあるのだが、結局外したところが余りにグダグダすぎるので全体が全然締まらない。誰を俳優に使おうが「目を覆わんばかりにグダグダな合成画面を作る」必要は、「映画作品」という視点からはあり得ない。他の合成カットが「今日的な意味でごく普通」にできているだけに、それら一連のカットの出来の悪さ、と言うか「志の低さ」は唾棄すべきレベルだと思う。どんな名優を使おうが、「作品の出来のためなら」サクッと処理するべきところはサクッと処理してしまえるハリウッド流は誰がなんと言おうが正しい。

 リリー・フランキー氏を使うのは良いけど、使いこなせてる監督がいったい何人いるんですか?っつー感じのレベルの低~い低~い話ですよ。あと、「シン・なんとか」ってや…