これはとっても重要なことであり、うっかりこれを読んでしまっている未来ある方々は肝に銘じておいて頂きたい。と言うか、これぐらいのことを理解していないと、実は古き良き日本社会では生きていけない。「読み書きそろばん」ができなくとも日本人ならこれは体得しておかないといけない思考方法であり、常識以前の話なのだ。
東洋経済の記事「中国の書店が『親日』であるのにはワケがある」は突っ込みどころ満載の「馬○の主張」以外の何物でもないのだが、いかんせん、おそらく無意識の「○鹿自慢」は読み手を不愉快にする。
私が最初に同書店で「日本本」の多さに気づいたのは、2013年のこと。それまでも年に2~3回ほど北京や上海に取材に出かけていたが、ゆっくり書店を巡る時間がなかった。だが、その日は地方都市の詳細な地図を買い求めたくて、わざわざ大型書店に足を運んでみた。そして、思わず小さな声で叫んでしまった。
「上海の書店には、日本本があふれているじゃないか!!」と――。
1階の正面玄関を入ってすぐの「話題の本・ベストセラー本」というコーナーに、冒頭の本がズラリと並べられていたからだ。まさか、と思いつつ手に取ると、装丁などは多少異なっているが、正真正銘、日本の同名本の翻訳だった。ビニールでパックされていて開けられないものもあるが、開けられるものは中国人が熱心に立ち読みしているではないか。うれしくて、思わず「あの、私、日本人。それ、日本の本なんですけど……」と隣で日本本を読みふけっている中国人に声をかけてみたい衝動にかられた。 待ち合わせしていた中国人の友人がやって来たので、彼女に私のびっくり具合を説明すると、あきれた表情で「中島さんったら、今頃、何を言っているの。そんなのずっと以前からですよ。中国人は以前から日本の本が大好きですよ」と教えてくれた。
しかし、多くの日本人にとって、この事実はちょっとした衝撃ではないか。
おそらく「多くの日本人」は驚かない。記事の執筆者に比べれば、主観で事実を歪める傾向は遥かに弱いだろうし、より論理的でもあるし、事象の時系列関係もより踏まえているだろうからだ。
「 しかし、多くの日本人にとって、この事実はちょっとした衝撃ではないか。」とさらっと書ける感性は信じられない。それはあなたの主観であって、世間一般はそうじゃない。自分の認識が普通かどうか、一般的かどうかに自覚的ではない人間はジャーナリストはやっちゃいけない(はっきり言えば迷惑だ)。
「知らないこと」は条件付ではあるけれど恥ずかしいことではない(専門家が専門家たるための努力を軽んずなかれ!)。だが、「自分が知らなかった事に対して、自分の『必ずしも一般的とは言えない主観』のみに照らして反応する」様は(ジャーナリストでなくとも)とっても恥ずかしい。まだ知ったかぶりする方が可愛げもあると言うものだ・・・それは一種「空気を読んだ上での恥の認識に基づく反応」だからだ。
恥も無く、恥を認識できる感性も無く、空気も読めず、無知。これは辛い。うっかりガス抜き記事だったとしても、さして効果はないだろう。