2015/06/16

私はあなたではない

 これはとっても重要なことであり、うっかりこれを読んでしまっている未来ある方々は肝に銘じておいて頂きたい。と言うか、これぐらいのことを理解していないと、実は古き良き日本社会では生きていけない。「読み書きそろばん」ができなくとも日本人ならこれは体得しておかないといけない思考方法であり、常識以前の話なのだ。

 東洋経済の記事「中国の書店が『親日』であるのにはワケがある」は突っ込みどころ満載の「馬○の主張」以外の何物でもないのだが、いかんせん、おそらく無意識の「○鹿自慢」は読み手を不愉快にする。
私が最初に同書店で「日本本」の多さに気づいたのは、2013年のこと。それまでも年に2~3回ほど北京や上海に取材に出かけていたが、ゆっくり書店を巡る時間がなかった。だが、その日は地方都市の詳細な地図を買い求めたくて、わざわざ大型書店に足を運んでみた。そして、思わず小さな声で叫んでしまった。

 「上海の書店には、日本本があふれているじゃないか!!」と――。

  1階の正面玄関を入ってすぐの「話題の本・ベストセラー本」というコーナーに、冒頭の本がズラリと並べられていたからだ。まさか、と思いつつ手に取ると、装丁などは多少異なっているが、正真正銘、日本の同名本の翻訳だった。ビニールでパックされていて開けられないものもあるが、開けられるものは中国人が熱心に立ち読みしているではないか。うれしくて、思わず「あの、私、日本人。それ、日本の本なんですけど……」と隣で日本本を読みふけっている中国人に声をかけてみたい衝動にかられた。 待ち合わせしていた中国人の友人がやって来たので、彼女に私のびっくり具合を説明すると、あきれた表情で「中島さんったら、今頃、何を言っているの。そんなのずっと以前からですよ。中国人は以前から日本の本が大好きですよ」と教えてくれた。

  しかし、多くの日本人にとって、この事実はちょっとした衝撃ではないか。 
おそらく「多くの日本人」は驚かない。記事の執筆者に比べれば、主観で事実を歪める傾向は遥かに弱いだろうし、より論理的でもあるし、事象の時系列関係もより踏まえているだろうからだ。

 「 しかし、多くの日本人にとって、この事実はちょっとした衝撃ではないか。」とさらっと書ける感性は信じられない。それはあなたの主観であって、世間一般はそうじゃない。自分の認識が普通かどうか、一般的かどうかに自覚的ではない人間はジャーナリストはやっちゃいけない(はっきり言えば迷惑だ)。

 「知らないこと」は条件付ではあるけれど恥ずかしいことではない(専門家が専門家たるための努力を軽んずなかれ!)。だが、「自分が知らなかった事に対して、自分の『必ずしも一般的とは言えない主観』のみに照らして反応する」様は(ジャーナリストでなくとも)とっても恥ずかしい。まだ知ったかぶりする方が可愛げもあると言うものだ・・・それは一種「空気を読んだ上での恥の認識に基づく反応」だからだ。

 恥も無く、恥を認識できる感性も無く、空気も読めず、無知。これは辛い。うっかりガス抜き記事だったとしても、さして効果はないだろう。

はらた○らに3000ジンバブエドル!

 某ネット掲示板まとめ記事では、暴落した通貨の代表格としてジンバブエドルが良く使われる。「~に1000ジンバブエドル(賭ける)!」といったような使い方だ。

 「まぁ、そんなことも"あった"のだろう」と特に実態を調べることはしてこなかったのだが、ロイターのコラム「コラム:ジンバブエ通貨廃止、『3.5京ドル』の教訓」を読んで真っ青。状況は今も進行中であり、ついに通貨発行権の放棄にまで至ったようだ。通貨価値の低下はハイパーインフレによるものだが、ハイパーインフレの主因が政治的、経済的な失策どころか無策ですらないという点はやるせない。

2015/06/14

サーブ・グリペンの最新プロモーション動画

 今月公開になったサーブ社によるグリペンのプロモーション動画、至極まっとうな作りで驚きとかはない。だが、グリペンの方向性と言うか、有様、ひいては商売上のメッセージは明確だ。

 ドラケンから引き継がれる稼働率の高さや良好な整備性は当然ながら、 ネットワーク機能(情報共有機能)の導入具合は群を抜く。「個ではなく群れで狩る」ことを大前提に開発された最初の近代多用途戦闘機ではないかと思う。敵を狙う機体とその敵を撃つ機体が「同じ群れに属する」別々の機体で良い、と言うのが典型的な「群れで狩る」例だ。

2015/06/13

一部日本マスコミによると...

「終息した」らしい韓国内のMERSアウトブレイクだが、4次感染者まで確認されてパンデミックに更に近づいている模様。

 ちなみにNHKが「終息した」と報道したって本当?

2015/06/08

メールス?

 中東呼吸器症候群こと"MERS"、カタカナ表記は「マーズ」が主流だ。ちなみに私は最初「ミールス」と発音していた。これは「E」が英語では「イー」の発音になることが経験上多いためで、「エ」となることは十中八九無く、「エー」となることは皆無と言ってよい(と言うか、少なくとも米語ではそのような発音はない)。

 が、報道によっては「メールス」なる表記もある。

 動画サイトでMERSに関する英語での報道をチェックすると、発音は「マーズ」相当が大部分で、早い段階のジャーナリスト個人の動画で「ミールス」という発音が聞かれるぐらいだ。

 では、「メールス」はどこから来たのだろうか?米語的には"MAL(E)S"を想像させる発音だ。

 ひとつの可能性は韓国の報道の中にあった。ハングルでの"MERS"のつづりは「메르스」、つまり「メルス」相当なのだ。「メールス」はハングル記事の翻訳過程で出てきた表記なのではないかということだ。ま、それでもなぜ「エ」ではなく「エー」なのかは謎なのだが。

2015/06/06

いよいよ詰んできたかなぁ

 知り合いによると、昨晩は池上彰氏の出演するTV番組で「(東日本大震災の時)真っ先に駆けつけたのは韓国の救助隊」とやったらしい。事実関係として入国が早かったのは事実だが、日本側からの「待機要請が無ければ」台湾の救助隊の入国が早かったのではないかというのは震災直後から言われていたことだ。当時の日本の政権は、その後も台湾に対して幾つかの非礼を働いている。

 なお、件の知り合いはこのTV番組の内容のバランス感の無さにうんざりしていた。有体に言えば、「印象操作臭い」と拒否反応を示していたということだ。

 韓国救助隊の入国時期について触れるなら、当然台湾救助隊の件にも触れていないといけない。「韓国救助隊一番乗り」は「作られた事実」である可能性が否めず、故に、その事実のみを強調することはプロパガンダと捉えられても仕方がない。「作られた事実」は、「作られてたものかも、と捉えられても仕方ない事実」と一体で語られなければ後に禍根を残す。特に韓国絡みは要注意だ。

 某ネット掲示板まとめでよく目にするのが、「韓国の募金規模は総額42億円」という類の書き込みだ。だが、実感が無いと言うか「そんな事実があったのか」という感じがぬぐえない。ソースは不明だが、「総額42億円」は韓国内で使途不明金となっているという話も聞く。そもそもそんな額の義援金が日本に送金されていれば、プロパガンダの意図の有無と全く無関係に、日本国内でその事実を周知するような動きがあって良い気がする。

 「語れば印象操作、語られないのは不都合な事実」を地でいくような展開は、お約束とは言え不愉快極まりないものである。韓国、いよいよ詰んできたのかなぁ。 「堪忍袋の緒が切れる」、「ここらが年貢の納め時」といった状況は多少なりとも日本的ではあるものの、米国のような良くも悪くもナイーブな国民性との親和性は高い価値観とは言える。

 日本の報道機関の不甲斐なさ、或いは偏向具合?が知れる事案が進行中の様だ、とも言えそうな状況だ。

 ちなみに日本赤十字社によると韓国赤十字社からの義援金は2億円を超えるということだが、それでも1桁違う。なお、ソウル市のとある区の集めた義援金の半分以上は「独島防衛目的」に転用されたのは事実の様である。事実がどの辺にあるかはもう一度ソースをきっちり押さえる必要があるが、義援金の件に関してはほぼ同一の記述がウィキペディアにあることは事実として付記しておこう。

p.s.
テレ朝もやっちまったようですね。大人の事情を斟酌しない子供から「あ、TV局の都合の悪いことは言わない人だ!」なんて言われた時、あの人はどういう反応をするのかなぁ。それとも、そういう状況の発生を意図してるのかな?

2015/06/04

ありがとう、朝日新聞

 ありがとう、朝日新聞。弛まぬ離韓工作が実を結んでいる。昨日のエントリで書いたように、私も目が覚めた、はっきり言って一線を越えた。自身の倫理観に逆らって「信用できない人間(集団)というものが存在する」と一度は認めてしまっては、もう元には戻れない。こういうものも平気で貼れるようになった。
 
  社説も立派だ。さあ、自らが開けたドアの向こう側の風景をしっかり見るべきだ。十中八九「希望」なんて見えないよ、保証する。
日韓国交50年―首脳が打開に乗り出せ
2015年6月4日(木)付

 日韓の首相経験者や財界関係者らでつくる「賢人会議」がソウルに集い、1日、朴槿恵(パククネ)大統領に安倍晋三首相との首脳会談を促した。
 朴氏はその席で「早期に関係改善できるよう努力したい」と語ったという。  日本と韓国にとって今年は、特別な年だ。植民地支配した国と、支配された国が国交を結んだのは50年前。記念すべき条約の調印日は6月22日である。  だが、政治や外交の現場では目を覆いたくなるようなお寒い関係が続く。その荒波をかぶるかのように両国の国民感情にも暗い影がさし、日本の側でも嫌韓の空気の広がりは深刻だ。
 とはいえ、少しずつではあるが、政府同士の関係が復元力を機能させつつある。先月は日韓の財務担当相が会談したのに続き、約4年も開かれていなかった防衛相会談も実現した。  あとは首脳会談だけだが、まだ開催のめどは立っていない。もつれあった糸をときほぐすこともリーダーの重要な仕事のはずだが、こと日韓関係にあっては両首脳の存在感は薄い。  首脳会談が実現しない最大の理由は慰安婦問題をめぐる意見の違いである。政府間協議で意見は近づいてきたが、双方が取る具体的な措置をめぐって、まだ完全には折り合えない。
 慰安婦問題を含む歴史問題については、米国の日本研究者らが「偏見のない清算」を呼びかける声明を出した。元慰安婦の被害者数が何人であろうと、女性たちが尊厳を奪われた事実が重要だ、との国際社会の標準的な視点を抑制的に指摘した。
 声明は、韓国や中国の「民族主義的な暴言」を批判しつつ、安倍氏の「大胆な行動」を求めている。発表時に187人だった署名者は世界的に増え続け、いまや400人を超えた。
 政財界の先達も、海外の知日派も、不安まじりではあるが、期待の視線を注いでいる。両国民の間にも、遠ざけ合うより打ち解け合いたいと願う気持ちがあることは間違いない。
 両国の政治のこだわりのほかに関係改善を阻むものは、そんなに多くないのだ。半世紀の交流を温めてきた隣国の関係をもとに戻す痛切な責任感を、当事者がもつしかない。
 22日の節目の日を、無為に過ぎ去らせてはならない。東京とソウルでは、それぞれ祝賀行事が予定されている。
 両首脳はせめて、互いに足を運び合い、そこで隣国への思いを語るべきだ。今日と未来に責任をもつ政治指導者として、自らが動くときである。

2015/06/03

ちゃんとしろよ

 韓国政府、韓国人ともにいい加減すぎる。中東呼吸器症候群(MERS)の話だ。

  MERSはワクチンも無く、致死率が高いとされる。が、報道における致死率は27~50%の範囲でまちまちで、こちらもなかなかいい加減なものだった。ウォールストリートジャーナル日本語版の記事「MERS流行に備え知っておくべき5つのこと」によれば、「1154人がMERSに感染し、少なくとも434人が死亡」とのことなので、ざっくり37%以上となる。決して低い数値ではない。

 んもぉ、迷惑だな。

 p.s.

 消毒に殺虫剤とか、ラクダ隔離とか…認識が甘かった、いや完全に私が間違っていました。どうやらマジで魔法の世界に生きている人間が多いらしい。つまり、一見文化的な生活を送っているように見えつつ、自分たちが享受している社会システムや所謂文明の利器からの恩恵の原理・原則は全く理解しておらず、背景となる文化的コンテクスト、換言すれば道理、も全く分かっていないということだ。もしそうならMERSよりも恐ろしい存在と言えよう。目が覚めました、マジで。

2015/05/30

ふぁっ、政経分離は可能だ!

 地震、おそらく震度3くらい。マグニチュード8.5(推定)は明らかに大きい地震だが、津波の心配が無いということは震源が深いということなのだろう。ちなみに先の東日本大震災はマグニチュード9だった。

 で、地震で微妙に揺れ続けるPC本体を見ていたら、ぴこ~ん!と来るものがあった。
  • PCのグラフィックカードはASUS製である。
  • ASUSは台湾(中華民国)のメーカーである。
  • 台湾と日本とは国交が無い!
  • つまり、政治と経済の分離(政経分離)は可能である!
  • では、政経分離を望むどっかの国の(非常識な)要求を例外として日本は受け入れよう!
  • こちらについては国交は残すけど、経済的には断交しよう。つまり台湾とは逆にする!
どうよ、これ。

唖然、呆然、どうする沖縄

 朝日新聞デジタルの記事「翁長氏『沖縄、平和の緩衝地帯に』 ハワイで講演」に唖然、呆然。

 一般論として「緩衝地帯」を自ら請け負おうなんて発想は、まともな知的能力を持つ人間なら受け入れられない。歴史も政治も知らないか、巷で良く言われているように(いざという段階で自分は蚊帳の外に居ることが分かった上で)誰かの利益誘導に走っているかのどちらかであろう。所謂「頭がお花畑」の人間は、事が成就された暁には良くて放置、普通は粛清の対象となろう。なぜなら「頭がお花畑」の人間は煩く、かつ役に立たないからである。

 「緩衝地帯」と私の信じるところのある意味お花畑的な「平和」とは全くなじまない。まず、「平和の緩衝地帯」という表現の意味するところが論理的に不明だ。では、「平和の緩衝地帯」という表現になじむ多少なりとも現実的な「平和」とはどういうものだろうか。

 ひとつの解釈は「戦争が起こりえる状況下で戦争がない」状態の可能性だ。個人的な経験上、 「頭がお花畑」で自分では何も考えていない人間の多くはこの状態を平気で「平和」と呼ぶ。だが、私に言わせればこれは平和でも何でもない、本質的ではないからである。戦争の概念の有無や実際の有無とは関係なく、平和は戦争とは独立して存在し得る。

 別の解釈は「覇権による平和(と呼ぶもの)」の可能性.、つまり強国、大国の力を背景とした「戦争のない状態」だ。歴史的に「パクス・ロマーナ(ローマによる平和)」、「パクス・アメリカーナ(アメリカによる平和)」が存在したのは否定し難いだろう。

 いずれの解釈を取っても、「沖縄を平和の緩衝地帯に」という表現の矛盾、胡散臭さはぬぐえない。

 戦後の沖縄は「パクス・アメリカーナ」の下で「平和であった」という事実は動かせないし、現在の状況もその延長上にある。と言うことは、現状変更とは「パクス・アメリカーナ」の否定に他ならない。(一般的な意味での)合理的な思考ができる人間ならば、米国でそんなことを語るという行為そのものからして理解できないだろう。米国側に宣戦布告と取られても驚きはしない。少なくとも、可能性としての「パクス・シニカ(中国による平和)成立」との関連性、或いは対応を明示化しなければ、相当に具体的なシナリオを示す以外に聞くに値する話とすることは不可能だ。要は「中共になります/なりません」の選択の明示化以外は米国にとって相手にする価値は無いということだ。

 「緩衝地帯とされた」国、地域というのは概してろくでもない目に合う、もっと具体的に言えば戦場や粛清の場となる。ポーランドや冷戦時代の東欧諸国も歴史を紐解くだけでお腹いっぱいである。第二次欧州大戦直前のドイツ・フランス国境地域やナチス・ドイツの東方拡大政策の結果も同様である。ポーランドのように複数回の「国の消滅」を乗り越えた国があるかと思えば、「事大」に走り単なる場(シアター)となることを自ら選ぶ地域もある。前者は賞賛に値するが、後者は軽蔑の対象にしかならない。

 現実問題として、語義とおりに自らの土地を「緩衝地帯」とすることは、潜在的にその地を戦場や紛争地域とすることと等価である(「緩衝地帯」を宣言しても地政学的に「緩衝地帯」と成り得ない場合はもちろん除く。幸か不幸か沖縄県は米国、日本、中共、台湾にとっても地政学上重要な位置にある)。もし「戦争のない状態」が維持されるなら、それはどこかの覇権下にあるという意味でしかない。そのどこかが米国ではない、となればどこか。「戦争のない状態」が維持されなければそこは戦場と化し、戦後は粛清の場となる。さらに隣接地域が新たな潜在的な紛争地域となる。現在のアジアの軍事的安定性は「緩衝地帯がないこと」によって維持されている可能性にも留意しよう。朝鮮半島はもはや緩衝地帯としての価値はない*(沖縄の方が遥かに価値がある)。

 オナガ氏は戦争を望み、沖縄を再び戦場、或いは政治的事由による粛正、パージの場とすることを望んでいるようである。さらに隣接地域にも潜在的に迷惑な存在(卑近な例で例えれば、住人が変な主張をし続けるゴミ屋敷みたいなものだ)となることを望んでいるようである。論理的、合理的帰結としてそうならないか。

 そうなった時の私の思考実験の結果は、(以前のエントリに書いたことがあるが)米国軍による再占領が望ましいというものある。理由は「アジア地域の安定化、(戦争が起きない、戦場としないという意味での)平和の維持」と「平和のためのコスト最小化」である。形式的に日本の領土としつつ、軍政を認めれば米国から文句は出ないだろう。「事大の代償」は当事者にとっては高くつくのである、ましてや「地域平和に対する裏切り者」においては言わずもがなと言えよう。当事者能力が無い者を相手にするのは時間やお金の無駄だ。それが中共ン十年の歴史を調べるだけでも十分に分かる歴史が教えてくれるリアリティってもの、欧州史でも日本の戦国時代史でもローマ帝国史でもエチオピア史でも結論はあまり変わらないよ。


*:朝鮮民主主義人民共和国(DPRK)は、独自路線と長距離ミサイル開発によって「緩衝地帯」よりも関心の高い国となりつつある。故に「我が地を緩衝地帯とせよ、かまってくれ」という恐喝が使えることになるが、自称「緩衝地帯」は実態として「緩衝地帯」とはならない。「緩衝地帯」はその地域の住人の意思とはほぼ無関係に外部から認定されるものである。