2014/03/21

シャーロック、三度!

 とあるニュースサイトの記事で「NHKでも5月に韓国ドラマ枠が無くなり、イギリスのドラマが放送される」という記述を発見。前段はどうでもよくて、問題は後段。もしや…と思ってNHKサイトを覗いてみると…

 祝!「シャーロック3」放送!

先行して4月には「シャーロック」「シャーロック2」も再放送される模様。イントゥ・ダークネスなシャーロックと思いがけない冒険なワトソンが帰って来るよ!

 未見の方は是非!

2014/03/18

フィアット「ツインエアエンジン」インプレッション- スタート&ストップのジャム

 FIAT500 Twinairには、エンジンのオートストップ&スタート機能がある。信号で停止などすると、自動的にエンジンが停止、ブレーキから足を離したりDualogic操作でエンジンが再スタートするという、最近の車では当たり前のように付いているアレだ。

 今日、初めてスタート&ストップ機能がジャムった。ブレーキを外してもシフトレバーを動かしてもエンジンが再始動しなかったのだ。結局キー操作でエンジンをかけ直すことになった。まぁ、想定外だったのでエンジンかけ直しまでに少し時間がかかったのだが、そういう状態で後ろからクラクション鳴らし続けられても逆効果だよね。気持ちはと~っても良く分かるけれども。

 FIAT Panda(2004)にはスタート&ストップ機能は付いていなかったが、何かのはずみでエンジンがかけられなくなることがあった。そんな時は慌てず騒がず、颯爽と車外に出て、車を前にちょっと押そう。或いはサイドブレーキがかかった状態で、前後に揺すってやろう。イメージとしてはちょっとタイヤを転がしてやればいいということだ。嘘のようにエンジンがかかるようになる。

 実は昔から私は「バグ引き」体質だ。プログラムのバグが悪さをするような入力データを高確率で作っちゃうのだ。間違った入力データを作っちゃう、という意味ではない。ピンポイントでバグが顕在化するマズい数字を入力してしまい、他の人がそのプログラムで経験したことがない無限ループ状態を引き起こしたりするという意味だ。そのような経験が多いせいで「バグの原因となり易いマズいソースコードの書き方」のサンプルが頭に詰まっているし、そういう辺りは勘が効くようになった。おかげでプログラムのデバッグの早さには定評がある。

 上述のPandaでのトラブル対策も実は直観によるもので、いきなり車をゆっさゆっさとしてみたことで解決した。この種のトラブルは大抵の場合「何かがピンポイントでマズい」。だから、ちょっとでも状態を変えてやればいい、という訳だ。

 まだApple Macintoshが本体+ディスプレイで100万円ぐらいしていたころ、友人が卒論作成に使っていた研究室のMacのHDが起動しなくなったそうだ。呼ばれたCanon販売(当時はCanonがMacを販売していた)の営業マンは事もあろうにいきなり本体を殴りつけ、それを見ていた友人は「もう卒論は間に合わない…」と観念したという。ところが、その直後にHDが起動して、なんとか難を逃れたそうだ。件の営業マンによると「45度上方からチョップを入れるのがコツ、グーは駄目」なのだそうで、友人は卒業までに2回ほどそれを自分でやったとかやらなかったとか。似たような経験は自分にもある。

 まぁ、500にしてもPandaにしてもMacにしても、たま~にジャムる分には可愛い。たま~に、で宜しくお願いしゃス。

2014/03/16

朴槿恵大統領は現代の閔妃?

 誰がそもそもそう呼び始めたが全く知らないが、「朴大統領は現代の閔妃」なる表現にネット上で出会う。おそらく中米を両天秤にかけるような外交姿勢を揶揄したものと思われる。

 詳しくはウィキペディアを参照願いたいが、李氏朝鮮の君主(のち、大韓帝国皇帝)の何某の妻にして、親清(実質的には傀儡)である義父大院君との宮中権力争いの過程で「事大主義」を体現した人物である。具体的には、日清戦争の結果をみて日本にいったん擦り寄るが、三国干渉の日本の反応をみるやあっさりと親ロシア帝国へと姿勢を変える。

 ロシア帝国は強国であり、日本としては怖い。当時の日本の安全保障方針は、ロシア帝国の南進を朝鮮半島の北緯39度以北に抑えることであった。これは現在の軍事境界線である北緯38度の間違いではない。北緯39度であればソウルからの距離もある程度確保でき、朝鮮半島の狭隘部(東西方向が狭い部分)を境界とできることになるからだ。北緯38度と較べて防衛上格段に有利なのである。が、当然ながらロシア帝国はそのような日本の要求など一顧だにしない。ちなみに、日本の敗戦後に朝鮮半島は南北に分断されるが、「北緯38度で分割する」という米国のリアリティの欠如にソ連は笑いを抑えられなかったろう。

 結局、閔妃の親ロシア帝国への姿勢転換が日露戦争勃発の種を蒔くことになる。

 究極的に、「事大主義」とは「どこの属国となるか」という選択に過ぎない。本エントリで李氏朝鮮という国にほぼ触れないことには意味がある。朝鮮半島の政権が事大主義をとった時点で、その政権は当事者能力を捨てるということなのである。「朴大統領は現代の閔妃」という表現の含意は、韓国に関する問題は韓国抜きでしか解決できないということだ。これは韓国という国に対して大変失礼な言説ではあるが、歴史に照らせば至ることが避けられないひとつの帰結なのだ。

 「あなたは何が望みなの?どうしたいの?」は社会人になれば、社会的に大人になれば常にさらされ続ける問いかけである。主体性は大人なら持つことが当たり前のように求められる。旗色をはっきりさせること、はっきりさせることをできる人は、それが社会的に許容できる主義主張である限り尊重される。日本人は主体性に乏しいとの言説が昔からあるが、それは1/3程度は正しい。だが、「他者と違わないこと」を尊ばせるというヘンテコな教育が為された時代にあっても、主体的に「他者と違わないこと」を選んだ人達も多い。そういう人達はそれでも頭ひとつ以上抜けていく。所詮今日までの枠組みは、明日には古くなり、見直されるべき枠組みに過ぎないからだ。

 「他者と違わないこと」は実は大変だ。周囲の他者が皆ひとつ上のステップに進んだ時、自らもステップを上げなければならない。つまり、「他者と違わないこと」は時に切磋琢磨を個々人に要求する。日本の一種の特殊性、「空気を読むことにより」いつの間にか行動のベクトルが揃い、凄い力を発揮することがあるという状況は、上手く回っている限りは強み以外の何物でもない。全体のレベルが一緒に上がるのである。

 もちろん、その際には「誰々が~」なんて言い訳は通用しない厳しさも伴う。手に職をつける、道を究める或いは一芸に秀でるといった「日本的オンリー・ワン」の思想は、「他者と違っていてもいい」という意味ではなく、「他者と違わないこと」以外にも価値があることを他者に認識させるという一種の力技だ。新流派のひとつも興せなければ、「日本的オンリー・ワン」の尺度では撥ねられてしまう。単に「オンリー・ワン」のみで是とする言説はつまらない。「他者と違わないこと」だけにも既に汲々としている我々凡人は、「他者と違うことを是と知らしめる」ために如何なるパワーが必要かを皆当たり前に知っているのである。ダイバーシティ(多様性)の許容が叫ばれる今日にあっては、まず主体性が伴っていることが前提だ。主体性のないままでは、まさに悪い意味での「ガキ」のままでは、他者から尊重される対象ともなれないのである。一目置く人がいる、という感性の持ち主は、やがて他者から一目置かれる人となり得るだろう。つまりはそういうことだ。

 閑話休題。

 はたして「朴大統領は現代の閔妃」となってしまうのか。

 もしそうなれば、韓国は歴史を知らず、発展を知らず、恥を知らず、独立を知らず、主体性を持たず、愚民のみを育て、棄民を生み、恩を忘れ世界に仇のみ為す存在となる。

 日本も含めて、みんな今一度歴史をじっくり振り返った方がいい。

映画「宇宙兄弟」をTVで初めて観ましたよ。

 TV画面ながら映画のマジックの一部なりともを体験、撮影の上手さが光る幸せな作品。

 画面の締り具合はまさに映画のそれ。ストーリーのシリアスさをきっちりと支えるだけでなく、ストーリーに映画的リアリティを与える重要な要素だ。

 照明も上手いなぁ~と思って観ていたが、2ヶ所ほど「あれっ?」ってなっちゃったのはちと残念。映画のマジック(嘘)にどうしても気付かずにはいられない瞬間だ。詳しくは触れないけど、あのカット(映画的嘘)の次にあの影は.ないよなぁ…ってのがひとつ。3DCGをやってる人はすぐに分かると思うよ。実現が大変なのは承知なんだけど、多少画面が暗くなっても良いからそこは影のエッジがぼけてなくちゃ、映画では一度ついた嘘はつき切らないとね。

 あと、「燃料搭載量=最高速度」という観点からは月ロケットであの小ささはないよなぁ、月到着まで何日かかることやら…これは、元宇宙オタクのグチですね。打ち上げ直後の加速は確かに結構大きいようにも見えたから、そこはそれって感じですかね。

ドイツのチャレンジとウクライナ - 続:ウクライナ抜き

 ドイツエネルギー事情について、公開資料ベースで調べてみた。明らかになったのは、2013年の二酸化炭素排出量が2012年より10%以上増えていることだ。原因のひとつめは原子力発電シェア低下、ふたつめは石炭火力発電のシェア拡大である。

 この石炭火力シェアの拡大は、ロシアに頼らざるを得ない天然ガスや石油による発電シェアの縮小の裏返しとも言える。一時期は40%を超えていたドイツ発電シェアに占めるロシア産燃料の比率は、2013年には30%弱まで下がっている。

 石炭火力の燃料としてのコスト競争力は依然高い。特に不純物の少ない良質な石炭のニーズは今も高い。北朝鮮の中共への主要輸出品が良質な石炭であることは有名だ。

 反面、良質な石炭とはすなわち純度の高い炭素ということであり、酸化反応である燃焼によって発生するのは炭素酸化物ということになる。つまり、燃やした分だけきっちりと炭酸ガスが発生する訳だ。石炭の発生エネルギーあたりの炭酸ガス排出量は、ざっくり天然ガスの倍である。ただし、天然ガスが同じ地球温暖化ガスであるメタンを含む事を考えると、地球温暖化に対する影響を単に炭酸ガス量だけで判断し、石炭を一方的に悪者にすべきではない。

 シェールガス革命などと言うが、革命とは採掘技術の発達によってコスト競争力を得たということに過ぎない。シェールガスの採掘、燃焼にはメタン排出が避けられず、地球温暖化、広くは地球気候変動はのインパクトはむしろ石炭よりも大きい可能性が指摘されている。

 それでもドイツのチャレンジは続く。

 太陽電池の価格は中国製品の登場で一度は低下したものの、続いて起こったことは太陽電池メーカーの過激なまでの淘汰であり、ついに今月には中国太陽電池メーカーが債務不履行(デフォルト)を起こすに至る。鉄鋼、レアメタルもそうだが、中共企業は市場を散々に荒らしておいて結局自滅もするという困った振る舞いが多い。

 一技術屋の判断として、現行の太陽電池技術の延長上には薔薇色の未来はない。発電効率が少なくとも4倍になるような技術的な跳躍が必要だ。これが実現できれば、本当の「革命」までもう一歩だろう。蓄電池技術も未だ「革命」には届かない。

 意外なところから両方の革命を一気に為し得るような大発見とか出てきたりして…ちょっとこれはファンタジーかもね。

2014/03/15

ボールは韓国

 ナイキはKリーグにボールを提供しないが、ボールは今完全に韓国側にある。

 日本は韓国に会談のために人を送り、「河野談話」をモラトリアム状態とし、どこに一線があるかを明確にしたやに見ゆる。朝鮮日報は「土産も持たずに首脳会談をねだる日本」と報じたが、この上から目線具合は実に気持ち悪い。

 最も韓国は日本に「友情」なんて求めていないようだし、それが分かった今となっては日本が「友人」として振る舞う必要はないと信じる。まぁ技術情報は欲しいんだろうが、不当な手段で入手したとなればそれなりの報いを受けるのは当然だ。

 で、ある人に言わせると「河野談話」は示談書(和解契約書)みたいなものなのだという。個人的には納得できる解釈であり、この観点からは談話の表現に韓国の筆が入っているのも当然かと思う。

 問題の本質は、韓国政府が「和解内容」を(日本から見て明らかに)反故にしたことにある。「河野談話」の見直しの機運は、和解の反故とはやや別の文脈、韓国政府がそれを「利用」し始めたところに起因する。ここは明確に、論理的に、「分かる人には分かるよう」に分けて考えておく必要がある。

 これら一連の不愉快な展開から得られる教訓は何だろうか。

 「小中華思想」だの「儒教社会」だの相手の側に原因を帰するのは簡単だが、それこそ相手と同レベルに落ちるのは恥知らずにも程がある。大事な点は、「河野談話」に関して報道などでさっぱり語られないとある点にあるのではないかと思うのだ。

 それは、「河野談話」に対して、当時の韓国政府が公式にどのような見解を表明したかだ。

 「河野談話」は一国の重要ポストに就いていた人間による国の見解表明であり、間違っても無かったことにはできない。それは今だって変わらない。当時の韓国政府の見解を知らない段階でこういうことを書くのは気が引けるが、当時の日本政府の失敗は、韓国政府に「和解内容」を公式に認める見解を表明させなかったことにあったのではないかと思う。もし、日本側の談話に対して、韓国側に

「謝罪は『河野談話』で終わった、賠償は日韓基本条約等で解決されている。これで韓日の新しい関係が始められる。」

と公式に宣言させておけば良かっただけだったんじゃないだろうか、ということだ。つまり「外交的失敗」が教訓ではないか、ということである。

 一連の韓国政府の主張は論理性に極めて乏しい。昨今の「纏声塵語」とどっこいどっこいの低レベルだ。加えてリアリズムもなく、実益性という観点からは中共のえげつないまでのそれとは雲泥の差を遥かに凌ぐ差がある。

 真偽は不明だが、ナイキ本社は「韓国人立ち入り禁止」だと聞いた。その原因が聞いた話の通りなら、ナイキがKリーグに関わろう筈もないことは至極当然の成り行きだ。

 ナイキはKリーグにボールを提供しないが、ボールは今完全に韓国側にある。それすらも直視しないのか、それともできないのか。河野談話見直しのモラトリアムを米国政府は歓迎するだろう。それは韓国政府にとって、米国政府から日本が研いだナイフを喉元に突き付けられたようなものである筈だ。もし米国の歓迎を自らの勝利と見做すならば、韓国政府はリアリズムを完全に欠く。

 「追いつめられた」、というのがおそらく今の韓国政府のリアリティだ。

 親書を受け取らないで返送するなど、最低限の外交プロトコルも守れない国であることを全世界にさらし続けている場合じゃないよ。いや、平和時の外交プロトコルではあり得ない対応ということは、実は交戦状態のつもり?

 日本政府による「河野談話見直しのモラトリアム」によって、「靖国カード」に続いて韓国政府は外交カードをまた一つ失ったと言えよう。むしろ日本側の外交カードになったと見做してよい…その筈なんだけどね。

2014/03/14

○声○語は本当に終わり?

 ここんとこは本当に、論理なし、品位なし、まるでテンプレままでオリジナリティもなし。

 原発がらみは突出して酷く、陳腐な視点と論旨の薄っぺらさ、さらにそれを変形しつつ反復し続ける様は「ダサい」という表現すら誉め言葉となろう、上から目線テンプレすらも超えていない。

 「決めつけ」「結論ありき」で書きながら、その出発点であり着地点でもある前提が借り物だったり薄っぺらかたりするから論理性なんて宿る筈もない、という状況なのではないか。論理性を宿らせられない段階で、書き手や編集者は前提が変だとは思わないのか。

 論理性という観点からは2199よりも酷い、と書けば、私がどのくらい酷いと思っているか伝わるだろうか。

 昔はけっこう唸らせられたものだが「○声○語」には。最近は、劣化というレベルではなく、大事な何かが失われている。まず品位がない。

 「書き写し」なんて時間の無駄、真似したら駄目になっちゃうよ。入試に出たら、合格してもその学校に行くのは止めよう。

 だらだら当てこするのではなく、刺せ。

2014/03/10

СОЧИ2014ですねぇ、再び

 ソチ2014パラリンピック絶賛開催中ですが、TVなんかの報道は薄い、薄いですねぇ。

 オリンピックもそうだったのですが、結果と進捗状況確認ならば公式ホームページを見れば分かる訳で良い時代になりました。TV報道については「薄い」、なんて苦言めいた事も書きましたが、真意としては駄目々々コメンテータの駄目々々発言を無くせば良いんですよ。コメンテータのための時間と金を「事実」の報道に当てて欲しいと思う訳です、バラエティじゃないんだから。

 とか言いながら、今日の某番組での”代理の”コメンテータは開口一番から切れが良くて笑ってしまいました、これは誉めてます。どーでも良いことしか言わない(言えない?)レギュラーコメンテータなんて切っちゃってずっと”代理”でいきませんか、是非。

 さっき確認した時点では、金メダル1つ、銅メダル2つと日本のパラリンピックアスリート達も結果を残しているようで何よりです。メダル数トップはダントツでロシア、日本は5位で、現在色々と大変なウクライナが3位です。

2014/03/09

某国のイージスさんは怒っているのか、とか

 海外のサイトも含めて現在は40ぐらいのニュースサイトを常に巡回している。ヘッドラインだけ流し読みする場合も多いが、だいたい3日で一巡するペースで目を通している。それとは別に10ぐらいのYoutubeチャンネルも巡回している。その巡回先のひとつが「某国のイージス」さんのYoutubeチャンネルだ。

 今日、某国のイージスさんが「【お詫び】ご迷惑をお掛けして御免なさい」というタイトルの動画をアップした。この動画の内容やコメントに対しては色々思うところがあったので、その一部なりとも書いておこうと思う。

 かつてこのような言葉を本で読んだことがある。

 「最大級の怒りは抑制される。」

 「本当に怒っている人は他者からは怒っているように見えない」という意味だ。

 「心の底から怒っている時ほど人間というのは冷静に見える」ということで、一つの解釈は「怒ることに明確な理由があり、それが自覚され」かつ「自分の中の倫理規範に照らして、その怒りが妥当であると判断できた」状態での怒りは本物だが、そのような過程を経ているが故に外からは冷静に見えるというものだ。「カッとなって」なんて表現される怒りとは本質的に違うものだ。

 実は「本当に怒る」ことは難しい。

 「その怒りが妥当か?」という疑問を常に自分に問いかける癖をつけると、私の場合はまぁ90%ぐらいの怒りは消えてしまう。あくまで主観だが、某国のイージスさんの動画は全般的にこの種の「抑制され、厳選された怒り」に基づいているように思う。それに加えて自分の声で語られることが某国のイージスさんの動画をより魅力的なものにしていると思う。

 では「本当の怒り」はどのように表現されることになるのか?

 私の場合はほぼ「笑い」で表現される。文字通り笑ってしまうのだが、ここで止まってしまうのがおそらく私の限界かと思う。表現者たる者は、その怒りを例えば「『ユーモア』に昇華」し、「怒りの本質」を他者へ伝える。歴史的にも「本物の怒り」が「ユーモアの形」で表現された例には事欠かない。しかもその「ユーモアが内包する切っ先の鋭さは半端じゃない」ことが多いものだ。

 「風刺」とは本来そういうものだろう。余りの切っ先の鋭さを前にして笑うことしかできない、というのが本当の風刺じゃないか。「風刺」を「風刺」たらしめるには送り手と受け手の共犯関係が必要だ。送り手も受け手も「ユーモアの形で表現された怒りの背景を知っていなければならない」、「ユーモアの形に置き換えられた怒りの本質を理解していなければならない」。が、風刺にあっては「怒りの本質を決して口にしてはいけない」。

 ナチス台頭期のナチスに対する新聞風刺画の容赦の無さ、秘めた切っ先の鋭さには驚くものが多い。が、それらが風刺する先がどれだけ読者に伝わっていたかは心もとない。昨今の新聞やTVの風刺画のユーモアレベルの低さは、むしろナチスの「分かり易く、聞き手の耳に心地よいことを伝え、上げ足取りも辞さない」プロパガンダ手法に近い。共通項のひとつは「結論ありき」であり、それがどのような結果をもたらすかは現在進行形で体感できているだろう。私にとってはマスコミの
「風刺の形態をとった上げ足取り」は苦痛でしかなく、「世論操作」の意図を勘繰ってしまう。かつての幾つかの戦争が世論と新聞の強力な後押しによって引き起こされたという点は、多少なりとも歴史に興味のある人は否定しないだろう。

 某国のイージスさんの件の動画に戻ろう。これは「怒りそのもの」ではなく「怒りの本質を口にしている」という意味で「風刺」ではない。だが、「怒りの本質が語られる」が故に「抑制され、厳選された怒り」の内容、切っ先の向かう先は明確だ。一部コメントがその辺りの機微をすっ飛ばしてテンプレ的なのがとても、と~っても残念ではあるのだが、ここは某国のイージスさんの「おっとなー」ぶりを見習って欲しい。「レベルにばらつきがる状況下」では、揃えていくべきレベルは高い方であって低い方でない筈だ。そうやって皆で「おっとなー」になっていこうじゃないのさ。

 さて、「『ゴキブリ』の例えに対するKさんの反応」については、やはりいったん一歩引いて捉える必要がある。
  1. 単に上げ足取りである。日本において「ゴキブリが一匹いれば…」は単に「氷山の一角」と同じ意味の定型表現だ。しかも「氷山の一角」という表現であってもポジティブなニュアンスはない。これを知った上で「ゴキブリ」の部分にだけに反応したならば、それは確信犯的な上げ足取りに過ぎない。
  2. 「ゴキブリが一匹…」という定型表現があることを知らない。これは一種の文化の衝突だ。ただし、「ゴキブリに例えられることがネガティブな意味を持つ」文化に属していない人はそういう反応はしない筈だ。「ゴキブリって何?」では例えそのものが理解できないからだ。
  3. あはははははは、これは書いちゃいかんよなぁ。何も言い訳効かんもんなぁ。
敢えて「いったん一歩引いて捉える必要がある」と書いてそれをやってみる…これが私のユーモアレベルの限界なんだよなぁ…

2014/03/05

ドイツのチャレンジとウクライナ

 ウクライナ動向の進展が余りに早く、なかなか追いきれない。ここまではロシアの手際の良さ、準備万端ぶりが際立っている。これがエントリタイトルの「ウクライナ」の部分だ。「ドイツのチャレンジ」とは「脱原発と再生可能エネルギーの積極導入」のことだ。主観だが、敢えて「チャレンジ」と呼ばせて頂きたい。

 ウクライナに対するロシアの動きに対して、日本は相対的にソフトな対応をこれまで取ってきている。これは安倍内閣となってからロシアとの関係改善を積極的に進めてきた経緯を踏まえれば理解できる。だが、今回ばかりは日本よりもソフトな、と言うか非常に慎重な態度を取っている国がある。

 ドイツだ。


 今日はドイツに関して興味深い2つの報道があった。一つは上述の対ロシア姿勢についての記事、もう一つはドイツ国内企業の自家発電導入が急激に進んでいるという記事だ。企業が自家発電設備を持つ理由は、電気料金の大幅な値上がりにある。ドイツでは太陽光発電を中心に再生可能エネルギーの発電分野への導入を進めているが、「再生可能エネルギーの採算性確保」のための国からの支出が電気料金に上乗せされている。ついに「自家発電の方が経済的」というレベルまでドイツ国内の電気料金が上昇してしまったということなのだろう。

 で、これからは推定なのだが、企業が投資する自家発電設備の燃料は何だろうか?価格だけで判断すれば、「ロシアからパイプラインで供給されている天然ガス」以外は有り得ない。つまり、ドイツ国内企業の活動はどんどんロシア頼みになっていくということだ。ロシアは「パイプラインのバルブを閉める」だけでドイツに圧力がかけられるようになる、いや既になっていると言って良い。

 ドイツの総発電量は国内需給を賄うに足るレベルにある。が、価格が折り合わなければ企業は使ってくれない。さらに高くなれば買い手が付かず輸出もできない。この種のアンバランスの発生は予測されていたことであり、それ故に「チャレンジ」なのである。

 東欧諸国が原子力発電の導入を検討するのも、根底にはロシアへのエネルギー依存がある。ロシアの圧力にさらされ続けるのも、周辺国から高価格の電力を輸入するのも、エネルギーセキュリティや自国生産品の価格競争力確保の観点からは望ましくない。

 韓国が電力会社を実質的な破綻状態に追い込んででも電力価格を低く抑え続けているのは、やはり自国製品の価格競争力を維持するためだ。だが、これは国と国内企業がチキンレースをしているようなもので、内需拡大が無いまま輸出依存度の高い経済状態が続けば破綻は避けられない。

 ドイツは内需の維持、拡大のためにも企業の自家発電設備の導入が避けられない。高い電力料金に甘んじれば輸出競争力を失い、ひいては内需が縮小するからだ。故に、企業の自家発電設備の導入は基本的に正しい。が、企業が使わなくなることによる更なる電力価格の上昇があれば、それは一般家庭の家計を圧迫、内需を冷え込ませる要因ともなる。加えてロシアからの天然ガス依存度が上昇すれば、それだけ国としての主体性や経済政策の自由度が下がってしまう。

 現在のウクライナ周辺状況は予断を許さないが、その距離故もあって日本に居ては危機感を感じることはないだろう。が、経済やエネルギーセキュリティの観点から見ると、色々な国の対応の中に様々なサインが見え隠れしている気がする。

 では、戦争は起こり得るのか?

 経済の観点からはノーだ。どの国にとっても割が合わない、少なくとも現時点では、だ。

 ロシアの望まぬ形で誰かが天然ガスパイプラインに手を出したら?

 そうなったときはどう状況が転がるか分からない。