2019/12/08

「岡田斗司夫ゼミLive 宮崎駿『On Your Mark』特集」を観る

 YouTubedeでの無料版だけの視聴だけど尺は2時間弱で内容も充実。下記リンク先は編集版です。


 または


 岡田氏はCHAGE and ASKAの楽曲のPV「On Your Mark」と言う作品を、見た目の展開(≒ストーリー)から始めて、暗喩や構成などの視点から6階層(レベル1~6)で「読む」ことができるとし、無料版ではレベル1(≒見た目のストーリー展開)および2(=岡田氏曰く「宮崎氏が描き、作品に込めた3つの悪意」)について説明した。

 レベル1の説明を聞きながら、なんか一度だけ、それも部分的に観たことがあるようなないような、変な感じに襲われた。

 レベル2に関しては「ほぼ見えている≒さりげなく画面で描かれている」ものなので、レベル1の説明の段階で半分以上は私も読み取れていた。私が宮崎氏の原子力利用に対する姿勢を知っていたり、スリーマイル島及びチェルノブイリ原発事故やその後についての知識があることは、当然「レベル2の読み取り」に大きく寄与している。

 レベル2までの説明なので、岡田氏の分析に対する私の意見などは保留とするのが妥当だろう。特に反対意見とかは無いんですけどね。レベル3が構成に関わるものとなるらしく、個人的にはキモとなるのではないかと予想。レベル2までの説明だとラストで描かれている内容は「空想側」の筈だが、「現実側」としないとせっかくの「悪意」がスポイルされるしまう。「空想側」としても誰の「空想」なのかが不明だ(主要登場人物は途中で死んでいる、と岡田氏はうっかり?口にしてしまっている)。この辺りを「構成」レベルの読み込み(レベル3?)で明らかにしてくれるとかなりすっきりしそう・・・レベル6までの説明を聴くため、ゼミの有料会員になっても良いかなとちょっと思う。まぁ、とっとと体調戻さないと金銭的にね・・・

 最後に一言。

 「描かれたイメージ、引用元」、「表面的な構成・現実と空想との対立や、ラストまで大部分があやふやななままの現実と空想との境界」や「悪意の存在とそれらの紛れ込ませ方」、そしてもしかしたら「構成は、空想-現実ではなくて空想-悪夢-現実かも」などは、テリー・ギリアム監督の映画「未来世紀ブラジル」っぽくないですかね?

ソフトシンセFALCONの勉強開始

 2017年ごろまで主力として使っていたソフトシンセはz3ta+2だった。z3ta+2は音作りし易く、当時としてもCPU負荷は小さめと良いソフトシンセだった。しかし、今やWindows10上での使い勝手の悪さなどを含めて色々と問題が出てきた。そこで私の健康状態が未だ良かった2017年、z3ta+2の置き換えを念頭にXfer社のSerumとUVI社のFALCONの二つのソフトシンセを思いきって購入した。

 さて、欲しい音が無ければ一から作る、或いはプリセットを編集するのが私の基本姿勢だ。だから音作りがし易い方が置き換えとして有望、更に言えばz3ta+2で以前に作った音を短時間で再現できる方が望ましい。ユーザインターフェース(UI)の分かり易さはSerumの方が圧倒的に勝っていたので、これまでは積極的にSerumを使ってきた。z3ta+2で作った音の再現も面白いように進んだ。

 Serumで単純なサイン波を出す場合の見た目は下のようになる。実はベロシティの取り扱いに癖がある(他の多くのソフトシンセと違い、ユーザが一から設定しなければならない)のだが、UIは直感的で分かり易い。
 が、如何せんSerumのCPU負荷はデカすぎた。今の私のPCとCubase10との組み合わせでは、6本もvstiとして挿すと再生時に音が飛ぶ飛ぶ。z3ta+2なら10本挿してもなんともないのとは対照的だ。

 そこで改めてググってみたところ、やはりSerumのCPU負荷は大きい方であること、対して FALCONのCPU負荷はz3ta+2程ではないものの小さい方であることが分かった。と言う訳で、急遽FALCONでの音作りの勉強を始めた次第である。

 で、FALCONで単純なサイン波を出す場合の見た目は下のようになる。一日前は「Program?Layer?Keygroup?何?何?」だったが、2時間程うんうん言いながら触ることで、なんとか音作りのフローと言うか、全体的な考え方と言うかが理解できたように思う。ただUIは、分かり易いとか見通しが良いとか言えるものではないよね、構造は論理的ではあるけど。UVI社のチュートリアルとヒント(日本語)が有って本当に助かった。
 現在はAdditiveオシレータを一から勉強中なのだが、これ自分にニーズがあるのかは未だ分かんないなぁ・・・。ちなみにサンプラーもあるよ。

 元はz3ta+2で作って(Thatness and Thernessのカバー(YouTube)で使用)、Serumで再現した簡単なベース音を、更にFALCONで再現してみた ^_^。これぐらいなら結構簡単かな。とは言え特性が同じフィルタは用意されていないから、フィルタのパラメータ調整は完全に耳頼り。

2019/12/07

EDIROLブランド製品とWindows10バージョン1803サポートの終了

 本ブログのキラーコンテンツ的エントリと言えば「Windows10でEDIROL PCR-M1が使えるようになったよ!」。2015年のエントリだが、未だに月当たり10回以上のアクセスがある。内容は、Windows10用ドライバがサポートされなかったEDIROLブランドMIDIコントローラを、Windows8用ドライバを使ってWindows10上で使えるようにする方法の説明だ。今では同じ内容をもっと丁寧に説明しているブログもあるので、なかなかにニーズがある情報のようだ。

 ただエントリで説明している方法は「マイクロソフト社的に推奨されないもの」なので、Windows10の大型アップデートを適用するとご破算、ドライバや設定は引き継がれない。そのため半年毎の大型アップデートの度に件のエントリ記載の手順を繰り返さなければならない。ちなみに私は、2017年夏のPCR-M1の故障を機にIK MULTIMEDIA iRig Key(Windows10のUSB接続MIDIキーボード標準ドライバが対応)を新たに導入した。このため、件のエントリで説明した方法が未だ有効なのかどうかは確認できなくなっている。

 で、この一カ月の件のエントリへのアクセス数が3倍以上に急増した。 一瞬「?」となったが、ちょっと思い当たる節もあったのでそれについて書いておこうと思う。

 Windows10のバージョン1803、つまり2018年3月バージョンのサポート期限が2019年11月いっぱいで切れた(筈)。このためだろう、バージョン1803を使用していたPCでは10月初旬ごろから盛んにバージョン1909(最新バージョン)へのアップデートを促すメッセージが表示されるようになった。と言うのも、親が使っている実家のPCがそういう状態になっていたのだ。色々な手を尽くしたものの実家のPCのアップデートは失敗し続けたため(結局、「コンピュータに加えた変更を元に戻しています」となる)、バージョン1909のクリーンインストールを余儀なくされた。

 ちなみにアップデートログによれば、アップデート失敗の原因は古いバージョンのWindowsフォルダのバックアップコピーの失敗だった。少し具体的に書くと、「古いバージョンのWindowsフォルダ」を含むドライブの指定が、本来あるべき「C:」ではなく「D:」となっていたのである。無いフォルダをコピーしようとするからエラーになる。ググってみると分かるのだが、同じ原因での失敗はバージョン8.1以前のWindowsからWindows10へのアップデート時に既に発生が報告されている。由緒あると言うか、これ、マイクロソフトに原因があるでしょ?

 さて、そのような経験を踏まえると、この一カ月ほどの間に(失敗はしなかったにしても)Windows10の予定外の大型アップデートを強いられた人は少なくないと思える。そしてこの予定外の大型アップデート適用が、上述した件のエントリへのアクセス数の急増の原因ではないかと推測している。実際のところはどうなのだろう?

 アクセスがあること自体、またエントリの内容が役に立ったということがあれば単純に嬉しい。と同時に、「ブランド消滅からほぼ10年、未だ愛されてるEDIROL製品があるんだなぁ」とちょっとほっこりした気分にもなりますね。

2019/12/03

「読解力」は「解釈力」ではない

 「解釈力」なんて日本語は無いとは思うけど、まぁ、そこは流して。

 NHKのニュースで、経済協力開発機構(OECD)が2018年に行った学習到達度調査(PISA)の結果、日本は「読解力」が15位と前回8位から順位が下がったとの報道を観た。番組中、とある小学校での「読解力」を高めるための取り組みの様子、とやらも紹介された。そこには、児童文学作品「ごんぎつね」を題材に自身の「解釈」や「感想」を交換し合う子供たちの姿があった。

 これはダメだ、と思った。

 「読解力」とは、文章として書かれている内容そのもの、或いは論理を理解することである。正しく読解された論理は読解した主体に依存することなく、(使用された単語の曖昧さの範囲内で)一致しなければならない。対して「解釈」は、正しく読解されたとしても解釈した主体によって違い得る。従って「解釈」の訓練(或いは「解釈」が評価対象となるようなカリキュラム)などいくらやっても「読解力」の向上には繋がらない。

 ニュースでは「英語などもやらないといけなくなった現在、『読解力』向上のための手を打つ時間をひねり出すことが難しい」旨の言及があった。ならば、英語をきっちりやれば良い。曖昧さをより排して論理が明確な文章を書くには、総じて日本語より英語の方が向いている。逆もまた然りなので、英文を英語のまま読む(日本語に翻訳せずに)、英文で書かれている論理を理解する、すなわち日本文よりも論理がより露わであることが多い英文の「読解力」を訓練すればよい。

 どうせ英語教育カリキュラムの要求は「読解」までで、読解したものを「解釈」することは求めない。テストの回答に「解釈」を記述しても点は貰えない。ちょっと勘の良い子供なら、国語、英語の授業を通じて、「読解」と「解釈」が別物であることはすぐに理解できる(この理解の有無がテストで得られる点数に確実に影響するからだ)。問題は、教師の多くがそれを理解していない可能性が高そうなこと、加えて意図的に生徒にそれを教えていない場合(「読解力」の無い大人の生産を意図?私が共産主義革命を夢見る教師ならばやるかもしれない)もあり得ることだ。

 昔、日本国憲法を「ある人達が自分達の言葉で書き換えたもの」が出版されたことがあった。出張帰りにJR上野駅内の本屋で立ち読みし、すぐにこれはダメだ、と思った。行間に見え隠れする特定の方向の政治的思想は措いておこう、それらは私の「解釈」に過ぎないかもしれないからだ。だが、それら「書き換えたもの」の示す論理、すなわち「読解」した結果が、「オリジナルの文章」(原文)の示す論理と大幅に違ったのは大問題だ。換言すると、「書き換えたもの」の示す論理が、「原文に対する書き換えた主体の『勝手な解釈に過ぎない』」としか判断できず、なんらの価値も見いだせなかったからだ。「自分達の言葉で書き換える」ことは構わないが、書かれている論理が変わってしまっては日本国憲法とは全くの別物である。

 「『正しい』解釈があり、(読解の結果はすっ飛ばして)それにしか点は与えない」と言う小中学校教育の一犠牲者である私や近い世代の知り合いの多くは、「二度と騙されないぞ」との思いなどもあり、「読解」と「解釈」の区別に敏感である。小説家・野坂昭如氏は自著の文章がとある試験に使われた際、試験問題の正解、すなわち問題作成者の「解釈」、に異を唱えたことがある。この件をニュース報道で知った瞬間こそ、私が「教えられた『正しい』解釈」なんて当てにならないことを理解した瞬間だった。

 片や体感として、職場でも「それはあなたの解釈でしょ?(本当はそうじゃない)」と口にせざるを得ない機会がこの10年ほどで明らかに急増した。やはり「読解力」の低下は起きているのだろうか?

 今日の教育は、「読解」と「解釈」が別物であることをきっちり教えているのだろうか?「読解力は読解力」として、「解釈力は解釈力」としてそれぞれ評価しているのだろうか?上述のNHKのニュースの映像からは全然期待できない気がする。