2015/07/26

しなやか?某国のイージスさん

 文脈を知らない人には何の事やら?某国のイージスさん、パワーアップ復帰宣言です。

 「人を呪わば穴二つ」「過ぎたるは及ばざるが如し」とは日本人は上手く言ったもの。「おぼれる犬も打たない」「やりすぎない」のが日本の文化というものです。なんたって「流れを読む」という「察し」がありますから、「ブーメラン」は当然怖い訳です。

 が、世の中「察し」の無い連中は居るもので、いわゆる「ブーメラン炸裂!」という流れを自ら作ってしまったようです。調子に乗った報いを自ら招き寄せた(自分の投げたブーメランが自分に命中)という訳ですね。どーしよーも無く価値観が違うのです。「頭が悪く見える」「脊髄反射にしか見えない」のは仕方ない、きっとそうなのですから(確信)。

 一連の流れの波及効果は大きいです。Youtubeに対する見方を少し変えないといけないのも確か。しかし、ここはまず「静かにしなやか」に行きましょう。

 空気を読んで、声を挙げるのはちょっと待ちましょう、今はまだそのときじゃあない。もしあなたの中に静かな怒りがあったとしてもそれはあなただけのものじゃない。分かる人は分かってる、多くの人に共有されていますよ。

 閑話休題。

 東洋経済ONLINEの「『空気を読む』は『考えない』につながる愚行だ」に目を通してがっくり。日本においては、「空気を読む」は教養以前のたしなみだったはず。「空気を読んで」からが本番だから、「『空気を読む』こともできなければ『考える』なんて(できるはずもないので)意味なし」が自らの経験に照らしても正しい。

 真に空気を読むとは、その場において自らを縛る事項の意識化であり、自らをその縛りから解き放つための第一歩に過ぎないからだ。つまり、「『考えない』につながるレベルの『空気の読み』」は「空気を読んだとは言えない」からである。読んだ上でどうするか、そこが問われる部分なのである。「そんな日本人同士だけでしか通じないことを・・・」と言うこと無かれ。経験上、米・仏のできる人間はちゃんと「空気が読める」し、「読んだ上での議論」にしないと意味ある議論はできない。 「空気が読む」を重要視しない人間は、そもそも「空気が読めない」場合が多いものです。

 ん、 「『プロフェッショナル シンキング――未来を見通す思考力』、監修 大前…」 あ、(察し)

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