「この人はスゲエ!」と思ってしまう相手と言うのは、概して「頭の回転が速い+現状を把握しているという意味で良く勉強している」ものだ。これに更に何を加えるか、例えば「歴史的なものも含み経緯を把握している」「主張に具体性がある」といったもの、は対象による。より正確には、加えるべきものは無数にあるが「優先度は対象に依存する」だ。
対して議論をやるうえでやっかいな相手(議論が成立しない相手)と言うのは、概して「頭の回転が速い+過去の情報や権威ある人間の主張についての知識はあるが現状は把握していない、と言う意味での勉強をしていない」タイプだ。少なくとも「現状の共有」が前提の議論の相手とすること自体に意味が無い。
以前のエントリで何度か触れたが、某元官僚氏は本当に勉強をしていない人だった。いや、今でも勉強していない様が手に取るように分かる。空疎空論と呼べば褒めたことになりかねない、とてつもない、なんつーか、まぁ、アレだ、アレ。危機感が無いのは「それが危機となり得ない」からかも知れないし、「危機管理の結果」なのかも知れない・・・そういう視点を払拭できない限り、幾ら数字を論っても説得力が出る訳もない。
件の元官僚氏は、かつて電力自由化、発送電分離絡みでTVに良く出ていた。ただ、話す内容が「10年前の議論じゃねーか!」「ドイツやロシアやカリフォルニア州の現状を知らねーのか!」「歴史的経緯に基づく日本型送発電システムの特殊性をなぜ無視するのか?」「ドイツと日本の全体的な総体としての国民性の違いや、政治システムの違いをなぜ無視するのか?」などなど、とにかく現状認識の欠如、未考慮因子の多さは目に余るものだった。なお、私個人の思いの一部は過去エントリで述べているが、「とにかく現状認識が違う」から私の思いと某元官僚氏の主張とは相容れない、と言うか「ともに異なるパラレルワールドに対する言及」と言うのがより正確だ。
職業柄、エネルギー関連の情報(主にネット上の記事や情報サイト)は高頻度でチェックしてい、とにかく形だけでも「現状把握」には努めているつもりだ。ただし少なくとも英語は読めなきゃならない。これは大部分の日本語記事が海外記事の「一部」を引用するだけだったり、そもそも日本語記事になっている情報が少なすぎるためだ。だが、探し続けていれば日本語の興味深い記事にも出会える。
日本原子力学会では「立ち読み」と呼ぶ学会誌コンテンツの一部無料公開が行われている。小野章昌氏の「ドイツの2050年再エネ80~90%は可能か?」ではここ4~5年のドイツの状況が上手く紹介されている。紹介されている内容は私が追っかけている海外の公開情報との矛盾が全く無く、現状把握には良質の読み物かと思う。竹内純子氏の「悩めるドイツ-脱原発を『道徳的に』考える」は短いが、タイトル通りの「道徳的に」と言う切り口はそうそう出会えないものだ。ともに議論の出発点、或いは出発点とすべき共有情報へのリンクを提示するものと言えると思う。