「戦後70年に考える―忘れてはならない歴史と中国」をテーマにした講演会が20日、石垣市健康福祉センターで開かれ、元静岡大平和学講師の森正孝氏が「中国軍事費の伸びは、経済発展に応じて抑制的だ」と「中国脅威論」を否定。「抑止力論を捨てなくてはならない。人間の英知は(戦争放棄を定めた)憲法9条に凝縮されている」と訴えた。
講演会は「いしがき女性9条の会」や「子どもと教科書を考える八重山地区住民の会」などで組織する実行委員会が主催した。
どうも9条を文言のみで捉え、周辺情報を踏まえた上で理解しているとは思えない。で、こう続く。
中国が軍事的な脅威だとする考えが日本に広がっていることについて「日本社会は、この問題では思考停止状態だ」と批判。中国軍事費の伸びを「ウェルカムではない」としながら「人口1人当たりにすると非常に少ない」と述べた。
まさに思考停止の見本、偏向というよりももはや馬○丸出しである。非現実的、非論理的、非理性的、非生産的、非学術的・・・挙げればキリがない。もしまともなら、誰かから幾らかもらっているか、どこかのイデオロギー(厳密にはイデオロギーもどきの屁理屈もどき、つまり論理性が無いので屁理屈にすらなりえない)に囚われているか、のどちらかだろう。理想を論ずるのはかまわないが、ぞの基礎となる歴史的、地政学的な事実関係はちゃんと踏まえておいてくれなければ困る。
抑止論の否定は、ローマの平和(パクス・ローマ)などの大国の権威に基づく戦争の無い状態や永世中立政策をも(なんらかの基準に基づいて)否定することになるのだろうか。ポイントはまず第一に「平和の定義」にあるので、これが明確でない状態では先に踏み込めないが、ポーランドやスイスに向かっても同じことが言えるのかとは問いたい。
ウィキペディアによれば、「平和学」とは「諸国家間の紛争の原因、それが起こりうる背景や経済、地政学的な理由から、紛争回避の手立て、方法、平和の維持とその条件などを科学的に研究する学問である。」とのこと、記事から察するに公演内容は「平和学の遥か手前の内容に過ぎない」ようである。なんといっても学術的ではないし、「紛争回避の手立て、方法、平和の維持とその条件」に全く踏み込んでいないからである。
私の見るところ中国脅威論の本質は軍事費ではない。膨張主義的な対外行動を取らざるを得ない状況を引き起こしている多数の国内問題、乃至は中国共産党の内部問題(無知、無能、誤ったイデオロギー、教育の失敗など)である。国家の上に置かれる共産党(党が国家の上に置かれる国家体制をファシズム国家と呼ぶ)と、共産党の一機関たる人民解放軍はともに国家には属していないが故にまず「中共脅威論」であるべきだ。 「人口1人当たりにすると非常に少ない」という「おそらく事実だろうが論展開上は意味の無い」オマヌケ発言が真にオマヌケである一つ目の理由はまさにそこにある。
「人口1人当たりにすると非常に少ない。だが、共産党指導部1人当たりにすると非常に多い。書記長1人当たりにするともっと多い」
もちろん、これを以って「日本国民一人一人の生命、財産に対して中国が脅威」などとは言わないし、言える筈もないよ。