2014/08/09

加害者ということの意味、分かってる?

 8月5、6日の朝日新聞のシリーズ記事「慰安婦問題を考える」に対するネット、一般の反応ともに予想以上に冷静、理性的な点は、「やっぱり日本人ってまだまだ行ける」感じがして実に心強い限り。とは言え、私の職場に限って言えば20代の反応は薄い。興味が無いのかもしれないが、結局知らない、全体像が見えないから反応もできないのだろう。知らないことは恥という空気が醸成されればまずは文句は無いのだが。

 結局、恥の上塗りしかできなかった朝日新聞の件の記事は、ズルい人間、状況を適切に理解していない人間をあぶり出した形となっていると言って良いと思う。ズルい人間とは特に名を挙げずとも分かるだろう「口を閉ざした人間達、報道機関」と「触れずに逃げている人間達、報道機関」 、状況を適切に理解していない人間の代表は件の記事について実に間抜けなコメントを出したことが報じられた某都知事だろう。本質スルーってのは笑いのキモのひとつだが、都知事にそんなもの要らないだろう。

 朝日新聞が5、6日付の紙面で「慰安婦問題を考える」との特集を組み、「強制連行があった」とした過去の一部報道を取り消したことに、政界では自民 党の石破茂幹事長や民主党の松原仁国対委員長、日本維新の会の橋下徹大阪市長などが批判した。ネット上でも批判のオンパレードとなっているが、朝日新聞社 内では若手記者を中心に「いい加減にしてくれ!」と悲鳴に近い怒りの声が渦巻き、険悪な雰囲気になっているという。

 ある20代の記者は本紙にこう激白した。「32年前のことをわざわざ『誤報だった』と報じて、直接批判にさらされるのは現場に出ている我々、若い記者。取材先で『あれは何?』と聞かれても、僕らは答えようがないですよ」とため息交じり。

 また30代の記者は「もし今、自分が書いた記事で『誤報でした』なんてことになったら大問題で、すぐ処分される。内容次第では上司も飛ば されるでしょう。でも、32年前のこの記事では書いた記者も社会部長もおとがめなしどころか、結構出世してる。退職金もきっちりもらってる。『こんな不公平はない』と社内は不満の声ばかりですよ」と明かした。

 社内でも「なぜこの時期に検証記事を掲載したのか」との声もあるとか。一因として「慰安婦問題の火付け役」の元記者U氏が今年3月、早期 退職したのと関係があるともささやかれている。「Uさんがまだ社内にいたとしたら、さすがに検証記事はやりづらいでしょう。もっとも紙面ではUさんの記事 について『意図的な事実のねじ曲げはありません』と擁護してましたけど…」(同)

 6日の紙面では「日韓関係なぜこじれたか」との見出しが付けられたことも、朝日社内で話題になっている。「こんな見出し付けたら『こじれたのは朝日のせいだろう』と皮肉られる。現場の記者はあきれていますよ」(同)。検証記事は朝日社内外の怒りを買ってしまったようだ。
 不満を漏らすとか、答えようがないとか、現場の記者は呆れてるとか、甘えるのもいい加減にしろとはっきり言いたい。 そういうのを単に醜態と言うのだ。不公平当然、不満なんか挙げてる暇があったら自分達の立ち位置について早く適切な状況認識を持つか、さもなくばとっとと朝日新聞社と縁を切るべきだ。

 ねつ造記事を載せ、それを放置するのみならず更に嘘を重ね、他者を加害者に仕立て上げた新聞なんぞ機能的には十分に「暴力装置」だ。加害者に仕立て上げられた人間に非は無い、それは若い記者もいっしょだろう。新聞のねつ造内容を口実に加害者にされた人間も理不尽、ならば若い記者だろうが朝日新聞社の人間が叩かれるのも理不尽、筋が通っていないか?公平ではないか?

 前述の通り、日本人、日本の反応は総じて冷静で理性的だ。そうではなかった場合をちょっと想像してみると良い、自分達が如何に恵まれているか分かる筈だ。分からない人もいるかも知れないからはっきり書いてしまうが、「暴力装置」を効率良く排除する方法は別の「暴力装置」にその機能を発揮させるだけで良い。最近ではクリミア半島やウクライナで起きてるって報道があったじゃないですか、ね?

朝日新聞「慰安婦問題を考える」の不完全な解説 #2

 さて#2です。#1はこちら

 朝日新聞及び朝日新聞デジタルは 「慰安婦問題を考える」というシリーズ記事を最近掲載した。はてさて、今度はどう出てくるかと思ったが、悪い意味で予測が的中、時宜もわきまえず、自らの 非も認めずといった内容であった。私なら(自己検閲)。本エントリから始まるシリーズは、「慰安婦問題を考える」の記事に解説と言うか、「読者への考える きっかけ」を加える試みである。「不完全な」に込めた意味は主に下記の3点である。
  • 記憶に頼るところが多く、ソースが示せない内容を含む。
  • どう頑張っても一個人の力だけでは客観性を完全に担保することはできない。
  • 事実ベースのアカデミック寄りの姿勢は譲れない。
記憶、と言うのは大学生時代に足しげく大学や自治体の図書館に 通って目にした戦前~戦後の新聞紙面、歴史研究書、手記、個人的な聞き取りの内容である。これらはネットだけでは引用元を担保できない。また、先の震災経 験後に蔵書を泣く泣く処分した。従って引用元が手元に無い場合も多い。

 さて、具体的なやり方だが、
  • 定本は朝日新聞デジタルの記事とする。より厳密には、 まず2015年8月6日午前7時42~44分の間にダウンロードした記事のウェブページの内容とする。
  • 不完全とは言え解説を目指すので、記事全文の引用を基本とする。
  • 解説を加える部分に下線を引き、下線部の末尾に"*数字"を付す。つまり、こんな感じだ。*3
  • 記事引用の後に、番号毎に解説を付す。
って感じかな。 

 なお、必要に応じて刺激の強い表現、単語も使用している場合がある。ご注意のほど。


記事開始

強制連行 自由を奪われた強制性あった

2014年8月5日05時00分

〈疑問〉政府は、軍隊や警察などに人さらいのように連れていかれて無理やり慰安婦にさせられた、いわゆる「強制連行」を直接裏付ける資料はないと説明しています。強制連行はなかったのですか。*1

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 慰安婦問題に注目が集まった1991~92年、朝日新聞は朝鮮人慰安婦について、「強制連行された」と報じた。吉田清治氏の済州島での「慰安婦狩り」証言(「『済州島で連行』証言」で説明)を強制連行の事例として紹介したほか、宮沢喜一首相の訪韓直前の92年1月12日の社説「歴史から目をそむけまい」で「(慰安婦は)『挺身(ていしん)隊』の名で勧誘または強制連行され」たと表現した。

 当時は慰安婦関係の資料発掘が進んでおらず、専門家らも裏付けを欠いたままこの語を使っていた。秦郁彦氏も80年代半ば、朝鮮人慰安婦について「強制連行に近い形で徴集された」と記した=注①。

 もともと「朝鮮人強制連行」は、一般的に、日本の植民地だった*1朝鮮の人々を戦時中、その意思とは関係なく、政府計画に基づき、日本内地や軍占領地 の炭鉱や鉱山などに労働者として動員したことを指していた=注②。60年代に実態を調べた在日朝鮮人の研究者が強制連行と呼び=注③=、メディアにも広 がった経緯もあり、強制連行は使う人によって定義に幅がある。

 こうした中、慰安婦の強制連行の定義も、「官憲の職権を発動した『慰安婦狩り』ないし『ひとさらい』的連行」に限定する見解=注④=と、「軍また は総督府が選定した業者が、略取、誘拐や人身売買により連行」した場合も含むという考え方=注⑤=が研究者の間で今も対立する状況が続いている。

 朝鮮半島でどのように慰安婦が集められたかという過程は、元慰安婦が名乗り出た91年以降、その証言を通して次第に明らかになっていく。

 93年2月、「韓国挺身隊問題対策協議会」は、元慰安婦約40人のうち「信憑性(しんぴょうせい)に自信が持てる」(鄭鎮星〈チョンジンソ ン〉)・挺身隊研究会会長)19人の聞き取りを編んだ証言集を刊行。「軍人や軍属らによる暴力」があったと語ったのは4人で、多くは民間業者が甘い言葉で 誘ったり、だまして連れて行ったりする誘拐との内容だった。

 慰安婦たちは、徴集の形にかかわらず、戦場で軍隊のために自由を奪われて性行為を強いられ、暴力や爆撃におびえ性病や不妊などの後遺症に苦しんだ経験を語っていた。*3

 93年8月に発表された宮沢政権の河野洋平官房長官談話(河野談話)は、「慰安所の生活は強制的な状況で痛ましいものだった」「募集、移送、管理 等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」と認めた。関係省庁や米国立公文書館などで日本政府が行った調査では、朝鮮半島では軍 の意思で組織的に有形力の行使が行われるといった「狭い意味の強制連行」は確認されなかったといい、談話は「強制連行」ではなく、戦場の慰安所で自由意思 を奪われた「強制」性を問題とした。

 談話発表に先立つ7月には、ソウルの太平洋戦争犠牲者遺族会事務所で、日本政府が元慰安婦たちに聞き取りをした。今年6月に発表された河野談話作 成過程の検証チーム報告は、聞き取りの目的について「元慰安婦に寄り添い、気持ちを深く理解する」とし、裏付け調査などを行わなかったことを指摘した。

 河野談話の発表を受け、朝日新聞は翌日の朝刊1面で「慰安婦『強制』認め謝罪 『総じて意に反した』」の見出しで記事を報じた。読売、毎日、産経の各紙は、河野談話は「強制連行」を認めたと報じたが、朝日新聞は「強制連行」を使わなかった。

 官房長官への取材を担当していた政治部記者(51)は、専門家の間でも解釈が分かれていることなどから「強制連行」とせず単に「強制」という言葉 を使ったのだと思う、と振り返る。「談話や会見、それまでの取材から読み取れたのは、本人の意思に反する広い意味での強制連行を認めたということだった。 しかし、強制連行という語を使うと読者の誤解を招くと考え、慎重な表現ぶりになった」

 93年以降、朝日新聞は強制連行という言葉をなるべく使わないようにしてきた。

 97年春に中学教科書に慰安婦の記述が登場するのを機に、朝日新聞は同年3月31日朝刊でこの問題を特集した。

 日本の植民地下*2で、人々が大日本帝国の「臣民」とされた朝鮮や台湾では、軍による強制連行を直接示す公的文書は見つかっていない。貧困や家父長制 を背景に売春業者が横行し、軍が直接介入しなくても、就労詐欺や人身売買などの方法で多くの女性を集められたという。一方、インドネシアや中国など日本軍 の占領下にあった地域では、兵士が現地の女性を無理やり連行し、慰安婦にしたことを示す供述が、連合軍の戦犯裁判などの資料に記されている。インドネシア では現地のオランダ人も慰安婦にされた。*4

 97年の特集では「本人の意思に反して慰安所にとどまることを物理的に強いられたりした場合は強制があったといえる」と結論づけた*5

 河野談話が発表されて以降、現在の安倍内閣も含めて歴代の政権は談話を引き継いでいる。一方、日本軍などが慰安婦を直接連行したことを示す日本政府の公文書が見つかっていないことを根拠に、「強制連行はなかった」として、国の責任が全くなかったかのような主張を一部の政治家や識者が繰り返してき た。*6

 朝鮮など各地で慰安婦がどのように集められたかについては、今後も研究を続ける必要がある。だが、問題の本質は、軍の関与がなければ成立しなかった慰安所で女性が自由を奪われ、尊厳が傷つけられたことにある。*7

 これまで慰安婦問題を報じてきた朝日新聞の問題意識は、今も変わっていない。*7

■読者のみなさまへ

 日本の植民地だった朝鮮や台湾では、軍の意向を受けた業者が「良い仕事がある」などとだまして多くの女性を集めることができ、軍などが組織的に人 さらいのように連行した資料は見つかっていません。一方、インドネシアなど日本軍の占領下にあった地域では、軍が現地の女性を無理やり連行したことを示す 資料が確認されています。*4共通するのは、女性たちが本人の意に反して慰安婦にされる強制性があったことです。*7
     ◇
 注① 「従軍慰安婦(正続)」陸軍史研究会編「日本陸軍の本 総解説」(自由国民社、1985年)
 注② 外村大「朝鮮人強制連行」(岩波新書、2012年)
 注③ 朴慶植「朝鮮人強制連行の記録」(未来社、1965年)
 注④ 秦郁彦「『慰安婦狩り』証言 検証・第三弾 ドイツの従軍慰安婦問題」「諸君!」1992年9月号
 注⑤ 吉見義明「『河野談話』をどう考えるか――その意義と問題点」「戦争と女性への暴力」リサーチ・アクションセンター編「『慰安婦』バッシングを越えて」(大月書店、2013年)

記事終了

  1. <疑問>の時点で既におかしい。「政府の説明の真偽」と「強制連行はあったのか」は独立して検証可能な事項である。これら二点を分離していない書きっぷりは論理性の欠如の証左と言えよう。
  2. (百歩譲って)議論の分かれる「当時、朝鮮半島が植民地であったか」について当然のようにこう書く姿勢を疑う。朝日新聞社は「植民地の定義」を明確にしなければならない。
    歴史上の事実は「合邦」であり、大日本帝国憲法が朝鮮半島にも適用された。この形態は例えばドイツ帝国のパラオや、英国のインドの取り扱いとは一線を画しており、同様に「植民地」と呼ぶには論理的に無理があるとともに、当時の実態に対しての印象操作が疑われても仕方ない。
  3. 証言資料にのみ依拠しているということ。
  4. 証拠の存在する事実である。
    が、大部分の事案において関係者が法に基づいて処罰されているという事実、つまり軍、政府は「慰安婦強制的連行」を禁止しており処罰者も出ている事実に触れないのは印象操作のそしりを免れ得ない。軍や政府の通達を破った人間が逮捕、処罰されたが故に、当時の司法関連書類などが「慰安婦強制的連行が行われた」という証拠資料として残っているのである。本来はこれら証拠資料の全文を記載、乃至は参照可能としておくことが必要であろう。
  5. 結論自体は否定しない(厳密には議論のしようがない、理由は続いて記載の通り)が、なぜそう結論したのかの経緯、根拠に一切触れられていない。他者の認識に触れるのは構わないが、自らの結論に対してそこに至る経緯、判断根拠を示さないのは詐欺師のよく使う手段である。また他者の言行に基づいて自己の言行を肯定するという手段は、真っ当な日本人ならば小学校入学時にはもはや使わなくなっているものである。
  6. 根拠も示さずこの言説は意味不明。印象操作のそしりを免れ得ない。
  7. 「共通するのは」がかかる範囲が不明、文章自体も意味不明。そのまま読めば、「資料がない」ことと「資料がある」こととに「共通するのは」「強制性があったことです」となる。これは主観だが、まずはちゃんとした日本語の文章が書けるようになってから記事を書くべきである。
    「問題意識」の内容も文章中に明確に述べられていない。執筆者はもっとまらしい事を書いているつもりなのだろうが、論理的には何も言っていない。つまり、この一文は無くても良い、と言うか何も変えないつもりならば無い方が良かろう。これからも卑怯でいきまっせ、という宣言と解釈させて頂く。
    (注:文字通り「何も言っていない」ということ、「何も言っていないも同然」ということではない。)
全体・感想

 <疑問>に対する回答は、
  • 日本政府の主張を覆すような資料は現時点でも見つかっていない。
  • 当時の日本施政下及び軍事的占領地下において慰安婦として現地の軍隊が女性を連行した事実はある。
の2文で朝日新聞的にも十分であろう、残りの文章は全く不要。それら事項が書きたければ<疑問>を変えるべきであったろう。 執筆者の論理構成能力の欠如があからさまな酷い記事としか言いようがない。論文であればイントロダクションだけでいきなり結論が書いてある様なもの。大事なのはその間に書かれていることなのにね。
 *4で触れているように、現地軍による強制連行事案があったのは証拠資料が残る事実であるが、これら事実を強調するならば、少なくとも証拠資料の残る事案において関係者が処罰を受けている事実も記載するのが真っ当な姿勢であろう。こういう底の浅い印象操作を平気で未だにやるあたりに朝日新聞社の卑怯さ具合が良く出ている、
 もしこのような印象操作が不要な差別や被害者を生み出す口実にされれば、もはやねつ造、偏向、犯罪のそしりは免れまい。日本人の「察しと思いやり」の中には、「他者を犯罪に導きかねない自らの安易な行動、言動を厳に慎む」というものがある。列車で財布を席に置いたままトイレに行ったりしない、みたいな話である。朝日新聞社にはそういう日本人的な感性も無いのか、分かってはいても酷いものは酷いとしか言いようがない。

2014/08/09 初版

2014/08/08

バック・トゥ・ザ・フューチャー、やっぱり上手いね

 TVで久しぶりに「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を試聴。脚本始め本当に幸せな映画。小ネタの効き具合がハンパじゃない。デロリアンが未来に帰る瞬間のカットとターミネーターが未来からやってきた瞬間のカットはともにチリチリ、85年ごろの米国映画を代表する実にアイコニックなカット。

 主題歌がヒューイ・ルイス&ザ・ニュースってのも実に80年代的。分かる人はここで笑って頂戴。

 で、オマケ

NHK、朝日新聞、都知事は似たり寄ったり

 どうやらこいつは本物だ。なんだかんだ言っても某国の大統領の言行には同情に足る理由があるが、こいつにはそういうものが感じられないい.。本気の困ったさんだ認定で良いだろう。東スポWebの記事から。 
 また、都庁には6000件以上ものメールが届き、ほぼすべてが批判的な意見。ネット上には、「抗議署名」や「リコールデモ」を呼びかける声も出ているが、このひどい状況をどう受け止めているのか。

「ネッ トや都庁に批判が来ているが、メールを調べると1人のネット右翼が1000人分やって大きくなっているだけ。ネット上もひどいよ。私が在日だとか、かみさ んが中国人だと書かれた。朴大統領には『一部のネット右翼がいるせいで東京五輪をつぶすことは絶対に許せない』と伝えた」
レッテル貼り、特殊例を挙げての一般化への誘導、典型的な卑怯者の手口だ。良くても彼自身が非難している相手と同類だ。見たくないものは見えない、聞きたくないことは聞こえない、は良くて怠惰、おそらく無能、無神経、理性なし、論理性なし、コンテクストを理解できる能力なし。つまり一般に伝わっているところの、第三帝国崩壊直前の某地下壕の状態みたいなものだ。志のある人間こそが関わることを避ける類の存在だ。リアリティの無さにかけては朝日新聞すら形無しだ。

 自分におもねない存在を貶め、その知性、人格をも否定し、その癖自らの発言には嘘、或いは真偽が確認できないことをわざわざ根拠と位置付けて、ところが根拠として挙げたものとは論理的に繋がらない結論を述べる。オベンキョができるというレベルでの頭の良さはあるもんだから、本質に触れる愚は犯さない。技術の世界では多々見られる「勘違い秀才」、本質的なこと以外は大丈夫っていうあれだ。

 とにかく、彼の感性が一般的な日本人のそれとは本質的に違うのは確か。霊的に生まれ変わった方が良い。

 せめて「ヘイトスピーチの定義」を明らかにする必要が彼にはある。かれのそれは我々のそれとは違うようだ。 私の感性からは、彼が繰り返すヘイトスピーチは下劣で知性が感じられず、極めて不快だ。マスコミに論理性が乏しい昨今、我々に出来ることはなにか、真面目に考える必要がある。本来はマスコミに期待すべきなんだけどね、少なくとも朝日新聞はだめだな。

 別の記事から。
朝日新聞が慰安婦報道に一部誤りを認めたことについて、東京都の舛添要一知事は2014年8月7日、記者団に対し、「反省したのは当然だ」と朝日を批判した。
  報道によると、舛添知事は、朝日の慰安婦報道について、「日韓関係をここまでゆがめた一つの理由だ」とも指摘した。
朝日新聞のあれは非難とかの対象とできるレベルの言説 じゃぁない。ホントに本質には興味ないんだな。

2014/08/07

朝日新聞社、本当に嘘つきの卑怯者

朝日関係者によれば、政権発足後は朝日バッシングが加速し、苦情や抗議活動、不買運動が連日展開され、部数を大幅に落とした。明々白々なうそと分かってい る慰安婦問題の過去報道を隠し切れなくなったというのが実情で、同紙は「一部の論壇やネット上に朝日の捏造といういわれなき批判が起きている。読者への説 明責任を果たしたい」と言及している。
とな。お気楽なものだ。リアリティ(適切な現状認識)の欠如具合は現在の中共指導部や隣国に勝るとも劣らない。この期に及んでも嘘をつき続ける有様。私が物心ついて以降で、「普通の日本人」を怒らせることができたのは某韓国大統領と朝日新聞社くらいだろう。

 ネット上での批判というが、批判者の大部分が同社新聞の購読者ではあり得ないだろう。朝日新聞不買の主体がネット上の批判とは接点がない場合がまだ多い、という可能性に思い至らない辺りに朝日新聞社のリアリティの欠如が垣間見える。母親や兄弟の近所付き合いでの会話を耳にして良く分かったのは、日々ネットに接している私より韓国や朝日新聞社に対する態度が手厳しいということだ。ネット上では発言しなければ意思を示すことができない(それも表現はかなり抑制されている)が、朝日新聞社にとってのクリティカルなリアリティは、ネットとは接点のない人々が黙って買うのも読むのも止めているということだ。

 朝日新聞を購読することは、既に気恥ずかしい行為、既に世間体に関わる事案なのである。

 そんな話聞いた事ないというなら、もう朝日新聞社の「耳」は社会的にハブられているいうことだ。サイレントマジョリティから既に「対立者と見做されている」ということだ。そして、このような朝日新聞社の認識のズレ具合も、奥様連中は「分かってないねぇ~」「新聞が土下座する夢みちゃった」などと嗤っているのだ。

 朝日新聞社の人間よりも、本来の読者たる奥様連中の方が上手なのである。

2014/08/06

朝日新聞「慰安婦問題を考える」の不完全な解説 #1

  朝日新聞を「売国新聞」、特定の朝日新聞社記者や特定の朝日新聞社幹部を「売国奴」と呼ぶ人も少なくないが、それに関しては私は異議を唱えたい。彼らは単に「嘘つきの卑怯者達」に過ぎない。「売国奴」と持ち上げてやる必要なんかない。それは「勘違いテロリスト(間違った状況認識に基づいて他者を殺めたり負傷させた者)」を「建国の父」や「国の英雄」と呼ぶに等しいぐらいの現実感の欠如である。なんちゃって。

 繰り返す、「嘘つきな卑怯者達」で十分である。なんちゃって。

 バカにすらつける薬のないこの世界では、もちろん卑怯者達につける薬などないし、自浄なんて上品かつ知力と腕力が同時に必要な行為はそうは期待できない。なんちゃって。

 世界情勢と言う冷徹なリアリティは、普通の日本人にも「味方」と「それ以外」の区別を要求し始めているぞ。なんちゃって。

 私は親戚からとあるミッションを受け、盆休みに結論を出すことが求められている。この2日で心は決した。だが心配するな朝日新聞社、10戸にも満たぬ世帯が購読を止めるだけだ。「天下のクオリティペーパー」らしいが、きっとこれも嘘のひとつなんだよね?ね?なんちゃって。

  とまぁ、おふざけはさておき、エントリタイトルの件である。

 朝日新聞及び朝日新聞デジタルは 「慰安婦問題を考える」というシリーズ記事を最近掲載した。はてさて、今度はどう出てくるかと思ったが、悪い意味で予測が的中、時宜もわきまえず、自らの非も認めずといった内容であった。私なら(自己検閲)。本エントリから始まるシリーズは、「慰安婦問題を考える」の記事に解説と言うか、「読者への考えるきっかけ」を加える試みである。「不完全な」に込めた意味は主に下記の3点である。
  • 記憶に頼るところが多く、ソースが示せない内容を含む。
  • どう頑張っても一個人の力だけでは客観性を完全に担保することはできない。
  • 事実ベースのアカデミック寄りの姿勢は譲れない。
記憶、と言うのは大学生時代に足しげく大学や自治体の図書館に通って目にした戦前~戦後の新聞紙面、歴史研究書、手記、個人的な聞き取りの内容である。これらはネットだけでは引用元を担保できない。また、先の震災経験後に蔵書を泣く泣く処分した。従って引用元が手元に無い場合も多い。

 さて、具体的なやり方だが、
  • 定本は朝日新聞デジタルの記事とする。より厳密には、 まず2015年8月6日午前7時42~44分の間にダウンロードした記事のウェブページの内容とする。
  • 不完全とは言え解説を目指すので、記事全文の引用を基本とする。
  • 解説を加える部分に下線を引き、下線部の末尾に"*数字"を付す。つまり、こんな感じだ。*3
  • 記事引用の後に、番号毎に解説を付す。
って感じかな。 

 なお、必要に応じて刺激の強い表現、単語も使用している場合がある。ご注意のほど。


記事開始

「済州島で連行」証言 裏付け得られず虚偽と判断

2014年8月5日05時00分

 〈疑問〉日本の植民地だった朝鮮*1で戦争中、慰安婦にするため女性を暴力を使って無理やり連れ出したと著書や集会で証言した男性がいました。朝日新聞は80年代から90年代初めに記事で男性を取り上げましたが、証言は虚偽という指摘があります。

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 男性は吉田清治氏。著書などでは日雇い労働者らを統制する組織である山口県労務報国会下関支部で動員部長をしていたと語っていた。

 朝日新聞は吉田氏について確認できただけで16回*2、記事にした。初掲載は82年9月2日の大阪本社版朝刊社会面。大阪市内での講演内容として「済州島で200人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』」と報じた。執筆した大阪社会部の記者(66)は「講演での話の内容は具体的かつ詳細で全く疑わなかった」と話す。*3

 90年代初め、他の新聞社も集会などで証言する吉田氏を記事で取り上げていた。

 92年4月30日、産経新聞は朝刊で、秦郁彦氏による済州島での調査結果を元に証言に疑問を投げかける記事を掲載。週刊誌も「『創作』の疑い」と報じ始めた。

 東京社会部の記者(53)は産経新聞の記事の掲載直後、デスクの指示で吉田氏に会い、裏付けのための関係者の紹介やデータ提供を要請したが拒まれたという。*4

 97年3月31日の特集記事のための取材の際、吉田氏は東京社会部記者(57)との面会を拒否。虚偽ではないかという報道があることを電話で問うと「体験をそのまま書いた」と答えた。済州島でも取材し裏付けは得られなかったが、吉田氏の証言が虚偽だという確証がなかったため、「真偽は確認できない」と表記した。その後、朝日新聞は吉田氏を取り上げていない。

 しかし、自民党の安倍晋三総裁が2012年11月の日本記者クラブ主催の党首討論会で「朝日新聞の誤報による吉田清治という詐欺師のような男がつくった本がまるで事実かのように日本中に伝わって問題が大きくなった」と発言。一部の新聞や雑誌が朝日新聞批判を繰り返している。*5

 今年4~5月、済州島内で70代後半~90代の計約40人に話を聞いたが、強制連行したという吉田氏の記述を裏付ける証言は得られなかった。

 干し魚の製造工場から数十人の女性を連れ去ったとされる北西部の町。魚を扱う工場は村で一つしかなく、経営に携わった地元男性(故人)の息子は「作っていたのは缶詰のみ。父から女性従業員が連れ去られたという話は聞いたことがない」と語った。「かやぶき」と記された工場の屋根は、韓国の当時の水産事業を研究する立命館大の河原典史教授(歴史地理学)が入手した当時の様子を記録した映像資料によると、トタンぶきとかわらぶきだった。

 93年6月に、吉田氏の著書をもとに済州島を調べたという韓国挺身隊研究所元研究員の姜貞淑(カンジョンスク)さんは「数カ所でそれぞれ数人の老人から話を聞いたが、記述にあるような証言は出なかった」と語った。

 吉田氏は著書で、43年5月に西部軍の動員命令で済州島に行き、その命令書の中身を記したものが妻(故人)の日記に残っていると書いていた。しかし、今回、吉田氏の長男(64)に取材したところ、妻は日記をつけていなかったことがわかった。吉田氏は00年7月に死去したという。*6

 吉田氏は93年5月、吉見義明・中央大教授らと面会した際、「(強制連行した)日時や場所を変えた場合もある」と説明した上、動員命令書を写した日記の提示も拒んだといい、吉見氏は「証言としては使えないと確認するしかなかった」と指摘している=注①。

 戦時中の朝鮮半島の動員に詳しい外村大・東京大准教授は、吉田氏が所属していたという労務報国会は厚生省と内務省の指示で作られた組織だとし、「指揮系統からして軍が動員命令を出すことも、職員が直接朝鮮に出向くことも考えづらい」と話す。

 吉田氏はまた、強制連行したとする43年5月当時、済州島は「陸軍部隊本部」が「軍政を敷いていた」と説明していた。この点について、永井和・京都大教授(日本近現代史)は旧陸軍の資料から、済州島に陸軍の大部隊が集結するのは45年4月以降だと指摘。「記述内容は事実とは考えられない」と話した。

■読者のみなさまへ

 吉田氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します。*7当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。*8済州島を再取材しましたが、証言を裏付ける話は得られませんでした。研究者への取材でも証言の核心部分についての矛盾がいくつも明らかになりました*9

     ◇

 注① 吉見義明・川田文子編「『従軍慰安婦』をめぐる30のウソと真実」(大月書店、1997年)

記事終了

  1. (百歩譲って)議論の分かれる「当時、朝鮮半島が植民地であったか」について当然のようにこう書く姿勢を疑う。朝日新聞社は「植民地の定義」を明確にしなければならない。
    歴史上の事実は「合邦」であり、大日本帝国憲法が朝鮮半島にも適用された。この形態は例えばドイツ帝国のパラオや、英国のインドの取り扱いとは一線を画しており、同様に「植民地」と呼ぶには論理的に無理があるとともに、当時の実態に対しての印象操作が疑われても仕方ない。
  2. 全ての記事(残り15件)も記事中で特定すべきである。特に「記事を取り消す」以上、特定は朝日新聞社の責任において為されなければならない。特定しないという態度は、他の記事については何時でも言い逃れできるようにしていると解釈されても仕方ない。「特定していない記事を取り消します」ということに意味があると理解するのは無理である。
  3. これは単なる一記者の感想であり、客観的であるべき本記事の本質から言って不要である。吉田氏を「口の上手い詐欺師」扱いする意図でもあるのか、つまり印象操作と勘繰られても仕方ない。
  4. 伝聞形であるが、主体が不明確である。 「東京社会部の記者(53)」が主体であることを担保する文章となっていない。
  5. 朝日新聞社への同様の非難は90年代からあり、安倍首相の発言はその一つに過ぎない点に触れていない。安倍首相に対する印象操作、及び10年以上にわたって虚偽報道を放置してきたことの隠蔽を疑われても仕方ない。
  6. 伝聞形であるが、このような点も取材、確認していないということか。主体も不明確である。
  7. 2項記載のように、取り消すとした記事のうちの15件を特定していない。従って、この「取り消し」自体が1件の記事を除いて実効性を伴っていないのは明らかである。
  8. 何が言いたいのか論理的に不明。単に言い訳なら、尚更詳細な訂正記事を掲載すべきである。
  9. 記事にすべきである。2及び8項を踏まえた記事とすれば、実効ある訂正記事とできる可能性がある。
全体・感想

  「当時、虚偽の証言を見抜けませんでした」と明言する以上、現在は嘘を見抜いていることになる。かつての虚偽報道内容と現在明確に嘘だと見抜いた事項について、きっちりとした説明をする責任が朝日新聞社にはある。新聞社であること、虚偽報道が新聞記事であったことを鑑みれば、引用可能な訂正記事とすることが筋である。つまり、口頭だけなどでは責任を問われよう。
 事実を語る人間を時にヘイトスピーカーに貶める口実を与えてきた主体が、特定もしていない記事の取り消しごときで加害者である立場から逃れられる筈もない。ヘイトスピーカーと貶められた人々の名誉回復のためにも、朝日新聞社が取り消し対象としている記事を特定した上で、個々の記事の内容について無用なレトリックを排し、曖昧さを残さないきっちりとした訂正記事を掲載すべきである。国益に関する点についてはここでは問わないが、訂正記事が出されれば論理的帰結として是正されるべき点は是正される。

2014/08/06 初版

2014/08/05

STAP細胞騒動について思うこと #2

 ついに自殺者が出てしまった。それが原因かどうか分からないが、NHKスペシャルを観て、件の論文に執筆指南者が居てかつそれが誰かを明確に認識した人も多かったのではないかと思う、かく言う私自身がそうだ。番組を観ていて、それまで唯の文字列、記号でしかなかった人名が、明確に顔を備えた実在の人物として立ち上がってきた瞬間があった。正直、まずいなぁとも思った。NHKの番組作りは一見公平そうに見えて、アカデミズムにおける公平性とは方向性が違うからだ。

 アカデミズムにおいては、追跡可能性(トレーサビリティ)が確保された事実経過及び結果の妥当性にまず着目すべきであり、特定の個人の責任を追及するのは範疇外だ。個人の何らかの責任に踏み込むことと、STAP細胞ねつ造騒動の本質を追求することは同義ではない。件のNHKスペシャルの作りは、STAP細胞ねつ造騒動の本質が明らかになってからでないと、責任の所在が明確になってからでないと、やってはいけないものだったと信じる。「論文執筆の天才」みたいなアカデミズムとは無縁なキャッチーな表現を安易に使うなど、番組全体としてアカデミズムに馴染んでいない人間のミスリードを誘ったという点は否めないのではないかと思わずにはいられない。少なくともSTAP細胞騒動はこれまでは誰も殺してこなかった。臨床試験で死者・・・と言う様な話とは全く別物なのだ。

 とにかく、故人のご家族の方々には心からの哀悼の意を表したい。

 ただし故人に対しては、レベルはともかくも研究開発を生業とする身としては一言苦言を呈せざるを得ない。

 「その対応は、アカデミックじゃないですよ。」

精神的に病んでいなければ、私の言いたいことは十分通じる筈だ。自らの研究成果が他者を生かし、活かし、癒してきた自負があったなら、これからもそうあり続ければ良かっただけの筈だ。色んな意味で甚だ残念だ。良くも悪くもあなたの代わりは居なかったんだろうから。

 ただただまだ我々が知らない暗闇が無いことを、つまりSTAP細胞ねつ造騒動がアカデミズムの範囲の事案であることを、心から願わずにはいられない。そうでなければ、死者が更に増える可能性が否定できなくなってしまう。

 さてアカデミズムの見地からもう一言だけ言っておきたい。

 「再現実験のスケジュールや有様が彼の死によって影響を受けてはいけない。」

 それにしても某報ステのコメンテーターやキャスターの言葉の薄っぺらい事ったら無いね、いい大人が情けないね。

2014/08/04

「Dear Radio」Megpoidカバー、テストミックス

 だいぶ以前に耳コピしたデータを少しいじって原曲より少しハネさせてみた。音数は基本的に増やさず、位置(時間方向ね)をずらしただけの代物。手法としては以前の"The Model"と一緒ですな。

 ドラムはSpark2(ソフトドラムマシン)のパッドをMIDIキーボードに割りつけてノリ優先(バスドラムだけは打ち込み)でドラムパターンを6つ作成、その後パターンパッドをMIDIキーボードに割りつけてパターン再生順もノリでリアルタイム入力してみた。トータル1時間ぐらいの作業で、Spark2のこういう使い方は今後増えそう。Megpoidデータは古いものなので、何れ差し替えねばね。

2014/08/02

なぜカギ括弧を使うのか。

 今回は久々に私信。

 友人よりメールあり、「文章にカギ括弧(”「」”)が多いんだが」とのこと。

 う~んそれはですねぇ、日本語の文章力が無いからです。一応、”「」”には英語で言うところの”the”の機能を持たせてます。つまり、単語を囲む場合は、その単語が指す対象と文章中で先に出てきた同一の単語が指す対象とが同一であるという意味を込めてます。また必要に応じてカギ括弧内の単語や文章の説明を早い段階で示しておきます。これは英語で言うところの関係代名詞の機能を代替するような使い方です。日本語の文法自体にそれらの機能が無いのは、英語を読み慣れてくると結構きついのです。英米の哲学書とかは、案外日本語翻訳版の方がページ数が多く、読みにくい印象があります。英語では"the"を付ければ済むところを、結構真面目に日本語化すると文章が長くなることが避けられないのでしょう。

って、感じかなぁ。

 結構、時制も難しい。日本語は時制の表現区別が少ない言語に入るかと思います、なんたって米語よりも少ない。工学分野では実際にそれに起因する無用な言語表現の複雑さがあります。要は、規格や標準の策定のひとつの障害となっているということです。複数の人が英訳したら、人によって作業の実施順が変わってしまったという笑えない話もありました。片や、宗教からの要求もあって古代マヤ言語の時制表現の区別は実に細かい、理解するのも一苦労、日本語を使って考えては対処不可能な訳ですから。正直ビビりますよ。

在日三世あたりが一番割を食うかもしれない。

 2chまとめ「在日韓国人三世だけど質問ある?」を読み、エントリタイトルのような思いを持つ。ざっくり当人(以下、彼)の状況をまとめると、以下の通りだ。
  1. 韓国籍在日三世、在日二世である両親は犯罪歴を理由に帰化が認められなかった。
  2. 通名使用、ただし韓国籍であることを隠してこなかった。
  3. 日本人と同じ教育を受けてきた。
  4. 親戚の多くが帰化しており、民団など在日韓国人とのコネクションは基本的に無い。
  5. まとめ主の感想は「全然普通の日本人じゃないっすか」。
 老婆心ながら、早く帰化、いや海外移住を勧めざるを得ない。 「日本人の価値観」を共有し、実質的にそれを尊重した言行ができるならば、所属する民族集団とは無関係に日本人足り得ると思う。が、まとめ上のやり取りを読む限り、終始「蝙蝠的立場」に置かれ続けたが故の「一種の天真爛漫さ」が透けて見えた。これは今後彼を不幸が見舞う可能性を孕んでいると思う。残念ながら、この種の天真爛漫さは、これまでの日本のみならず、これからの日本の現実を前にしては余りに無力でしかあり得ないからだ。

 彼は自身のアイデンティティを日本人に置いており、実際もそうなのだろう。それ自体は全く問題ないし、良い意味で日本からも韓国からも関心の対象とはならない。しかし、私が暮らした西日本の複数の地域では、日本人同士でしかやり取りされない情報が存在する。例えば、小学生の子供が親や近所の人から「あの地域に立ち入ってはいけない」と諭されるが、「理由」は教えてもらえないという類の話だ。もちろん、 成長した子供は理由のみならず、過去にどんなことがあったか、そこに立ち入った友人がどんな目にあったかの話を聞くことになる。頬に深い傷跡を持つ友人のエピソードは、ここに書くことも憚られる内容だ。

 その「理由」の「日本人の感覚における機微さ」故に、日本人が在日を公言している者をそれらに関わる話の輪には加えることは基本的にない。だから、彼は「日本人同士だけで共有されている情報」へのアクセスが遮断されてきた可能性が高い。換言すれば、真贋含め在日韓国人、在日朝鮮人に対する多くの日本人の多くが持つ感情、印象は共有していないということだ。逆に、彼は民団などの在日韓国人コミュニティとも疎遠だと言う。さすれば、在日韓国人コミュニティの持つ日本人に対する感情、印象も共有する機会がなかった筈だ。

 彼の置かれた実際の状況が上記のような私の推定通りならば、憎悪や加害者/被害者意識の衝突が顕現化して敵味方の分類必須となる事態が発生した場合、彼はどちらの陣営にも受け入れられない。またどちらかの陣営に加わるにしても、それまでの自分の少なくとも一部を否定しなければならないだろう。先に述べた「一種の天真爛漫さ」は、「良心的な旅人、或い客」のそれであり、本人の意思とは無関係に「蝙蝠的立場」でしか許されない「無知」の発露と言える。

 この種の「無知」は双方からの攻撃理由としかならない。 双方のかけ橋たらんとすれば、それぞれのコミュニティだけで共有されている情報をともに有していなければならない。これはハードルが高いし、現状を鑑みればそのような存在が求められる公算は低い。

 バルカン半島諸国で見られた民族対立の状況を見れば分かる通り、「私の父を惨殺したのは昨日まで仲良く暮らしていた隣人でした」というのが世界の現実なのだ。また有事発生となれば、グレーゾーンに属する人間からまず被害者となる。加害の意図を持つ身から見れば味方でない者は敵に過ぎない。片やグレーゾーンに属する者には何故自分が被害者になるのかが理解できない。はっきり言ってしまえば、「頭の中がお花畑」ということだ。

 だから、帰化しようと、日本人として生きることを選んでも、有事においてはそれだけで日本人側には分類されないことを覚悟しておく必要がある。生粋の日本人でも日本人側に分類されるかはケースバイケースなのだ。「全然普通の日本人じゃないっすか」とだけ言われる状況は、在日韓国人にとってはリスクと考えた方が良い。頭に「在日韓国人だけど今や」といった表現が平時の段階から付いていない限りリスクは下がらない、有事発生後では間に合わない。

 日本人であろうと、旗色は平時にこそ明確に示しておくことに意味がある。ただし誰にでも示せる訳ではない。「日本人の平和ボケ」は事実である。が、いったん風向きがはっきりすれば腹が据わる比率が高いのも日本人の否定し難い特性だろうと思う。仕事においても「化ける」人は少なくない。これは一種、腹が据わった状態と言って良いと思う。職場においては腹を据えることができる人間しか信用されないし、結局本質的に重要な事項はそういう人間同士でしか共有されない。一見喫煙室のバカ話、だがそこでは有事に備えて味方かどうかの選別をさくっとやっていたりする・・・なんてことがあるかもあるかもしれない、しれないねぇ。味方でない人達は?それらは必要ならば排除すべき敵に過ぎない、グレーゾーンはない。結局歴史を学んだり、自分で調べたりした人間は現状がどうあれ「お花畑」ではいられないものだ。そういう人間は5分も話せば分かる。

 近年は、「永住許可」を在日特権として批判する論調も増えた。「許可」を「権利」の如く行使してきたツケがいよいよその主体に回ってきたというのが現実だろう。それがリアリティというものだ。だが、「永住許可」は上記の様な将来的起こり得る悲劇の本質的な温床ともなっているように見える。後者の理由からも「永住許可」制度の見直しは必須と信じる。早期の明示的な敵認定はわざわざ敵を作る様なものなのも事実だが、結果としてその人の命を救うことになるかも知れない、「善良な無垢な被害者」を減らせるかも知れない。また、「永住許可」に基づいて日本国内に居住している人も、今一度自分の状況について真面目に考えた方が良い。特に韓国は「棄民政策」に舵を切って久しいので、その延長線上で捉えれば在日韓国人は切り捨て対象である。国内出身地での差別も激しいお国柄、情治主義の拡大、先鋭化を踏まえれば、国外出生者への姿勢は推して知るべしである。

 さて、韓国兵務庁の在日向け兵役パンフレットを読むに、件の彼が韓国での兵役を逃れられるとは思えない。が、当人にはそういう意識が極めて薄い。 これも悲劇に結び付き得る「無知」である。日本への「納税」は「永住許可」者の義務に過ぎず、対価として何の権利も与えるものではない。ましてや韓国の徴兵制度に対しては干渉する理由になんかにならない。これも悲劇に結び付き得る「無知」である。

 本来一時的な措置に過ぎなかった筈の「永住許可」を長期的に運用してきた歪みのツケは誰かが支払わなければならない。韓国も日本も既に取り立てフェーズに入っているのは明らかだ。結局、現在の世代である三世~四世が一番割を食うのではないか、それも当人の正邪とは無関係にだ。そのあたりの冷徹なリアリティは余命3年時事日記を読むまでも無く分かるぐらい、現在の日韓においては苦笑いを禁じえないまでに剥きだしだ。

 私は在日朝鮮人、韓国人のハーフやクオーターの聡明な友人を持つが、上記の点に関する当人達との意見・情報交換はノ・ムヒョン政権誕生を機に始まり、第一次安倍政権誕生を機にピークを迎えた。アンテナがちゃんと立っている人間にとっては、現在の状況は2006年には既に明らかだったのである。