2014/07/15

「ゴジラ(1984)」、やっぱり凄い

 TVで絶賛?放映中。予備知識ゼロで当時劇場で感じたあれらを追体験するのかな、と思うと非常に遺憾、でも取り敢えず流しっぱなしにしておきましょう。

 まずは小六禮次郎さんの音楽。ゴジラ映画としてはキャッチ―さに欠けてもう二つぐらい、凄く残念。

 飛び跳ねる巨大フナムシ・・・スーパーX登場の伏線?!あのフナムシはいかん、凄いばかりにいかんですなぁ。

 実はスーパーX登場にずっこけたクチ、カドニウム弾にもびっくり、なんじゃこのゴジラは・・・って話ですよ。まぁ、登場人物の語りで伏線張りまくりではあるんですが。ちなみに「富士一號」って書いて分かる人はどのくらいいるのかな?

 「爆発!中野」こと特技監督・中野昭慶さんの爆発は健在、つまり爆発し過ぎさせ過ぎ。凄いねぇ。

 ゴジラが海から埠頭の自衛隊を一気に粉砕するシーンは「新ゴジラとは如何なる存在か」を伝える割と出来の良いシーンだとは思うのだが、もうちょっとカメラ位置が低い方が良いんじゃないかなぁ・・・中野さんにはキャメラマン的な感性が乏しかったのだろうか、というのが当時からの思いだ。カット割、アングルだけじゃなく、ライティングやフィルム発色特性にさえ無頓着だったのではないかとすら思う。当時のフィルムはそれ以前のフィルムと較べて青色がちゃんと出るようになっていたから、夜間シーンでも影に青~白色が乗ってしまって全体的に明るくなってしまうのだ。

 シナリオも微妙、散漫な印象だ。「日本沈没」的な登場人物毎のストーリーの並置でほぼいっぱいいっぱいのところに来て、ゴジラが加わる。難しいのは良く分かるんだけどね・・・田所博士、もとい一国の総理ともあろう方がそこで泣いてはいけませぬ。

 如何にも80年代な風俗、光景はご愛嬌。駄作じゃないけど傑作でもない。「もちっとどうにかなったんじゃないか感がハンパない」という意味で凄い一品。あ、カメオ出演ってのはやっぱり素人くさくてウザいですなぁ。

2014/07/13

ドイツのチャレンジは続く

 ウォール・ストリート・ジャーナルの記事、「ドイツ、再生可能エネルギー新法が成立」。

 以前のエントリで触れたことがあるけど、ドイツは再生可能エネルギーの導入促進、脱原発、炭酸ガス排出低減といった政策の結果、電気料金が高い。これに対して企業は自家発電設備の導入が進んだ。高い電気料金の下では工業製品の価格競争力が維持できないからだ。 本当は上手くないのだが、短い記事なので全文引用しよう。

【ベルリン】再生可能エネルギーをめぐるドイツの野心的な法案が11日、連邦参議院(上院)を通過した。ドイツはこれにより、原子力発電や化石燃料を使った火力発電の減少による影響の緩和を目指す。

連邦参議院は数カ月にわたる激しい議論を経て法案を可決した。予定通り8月1日に施行される見通しだ。

欧州委員会は当初、ドイツ政府の目指す改革に反対の立場を表明していた。だが9日にこの件で調査を終え、ドイツ政府が一部の修正に応じたことも考慮して異議を撤回した。

新たな制度の下、再生可能エネルギーへの補助金は引き下げられる。一方でより幅広い企業に賦課金の負担を求め、補助金の資金源を補強する。これまではエネルギー集約型産業や自ら発電して消費電力を賄う企業が賦課金の支払いを免れていた。

欧州委員会の意向を受けたドイツ政府は今週、再生可能エネルギーを輸入する外国企業に、国内で発電する事業者と同じ条件を適用することを決めた。

今後は自家発電する企業が賦課金の支払いを通じ、再生可能エネルギー支援基金に貢献することになる。また欧州委員会が2013年から14年にかけての補助金が不公平だったと指摘したことを踏まえ、350社がいったんは受け取った総額3000万ユーロ(約41億円)を基金へ払い戻す。

 記事のトーンはポジティブだが、ドイツ国内に製造基盤を持つ企業にとってこの法律は後出しじゃんけん以外の何物でもないだろう。企業の自家発電設備所有はいわば従来の法の抜け穴を利用した価格競争力維持の努力であった訳だが、新法によってその努力は基本的に無効となる公算が高い。再生可能エネルギーの価格も上がり、一般家庭向け電気料金も上がることはあっても下がることはない。で、これらは明確な政府による市場介入だ。

 政府による市場介入自体は否定しない。が、本法は企業にとっては二重、三重に悪夢だ。

 まず、先に触れたように自家発電設備への投資が100%ではないものの無駄になること、次いで本法の成立で「将来政策の不可実性の高さ」がリスクとして明確になったことである。後者は実はマインドとして重要で、「無駄になるかも、政策変更でご破算にされるかも」という可能性がある、「不安」があると、企業としては投資を躊躇せざるを得なくなる。この種のリスクを低減、或いは払拭する一つの方法は、生産拠点をドイツ国外に移すことである。企業人に対しては置いておくとしても、純然たる企業活動に利益より倫理を求めることはフェア(公正)ではない。

 何度でも繰り返すが、ドイツの現在のエネルギー政策は完全に無理筋、常識的には上手くいくはずがないものである。それ故に私はそれを「チャレンジ」と呼ぶ。その思いは以前として変わらず、報道された新法の内容はその思いを更に強くさせる。

2014/07/12

本日の旭日旗

 サムスン製ケータイ用のカバーらしいです。それが本当なら全く意味不明、韓国製ならこれは親日罪認定確実、韓国外ならばGJ!綴りも2種類あるしね、ちょっとパチもんっぽい。

「報道特集」で技術実証機「心神」報道

 エントリタイトルの通り、自衛隊の技術実証機「心神」に関するTV報道があった。紹介は「ステルス技術」と「高機動技術」にフォーカス、他の技術には触れられなかった。分かり易さ、時間の制限からは仕方無かったのか、自衛隊側からの制限があったのか、それとも報道する側に何らかの意図があってのことなのか、こういう分野に多少なりとも興味がある人達となら常識として共有されているだろう幾つかの事項に全く言及がなかった。

 まぁ、報道する側もされる側も意図がある筈だ。その辺りを推定するのも楽しいっちゃ楽しい。これは推定すること自体が楽しいのではなくて、「1年後、3年後にこういう事が起こる筈」を積み上げておいて実際その通りになるかを見守るところに面白さがある。ぶっちゃけ、「技術実証機に関する踏みこんだ一般向け報道はNHKが最初、今年8月辺り」と読んでいた身としては、「何故そうならなかったのか」と言う点に関する「一人反省会」が必要だ。

 報道では「心神」という呼称はついに登場しなかった。ここ半年程は朝鮮半島と米、中の情報トレースにフォーカスしてきたから、実は「心神」周りの情報は積極的には漁ってこなかった。この辺りをなんとか説明できるようなコンテクスト(文脈)が自分の中に無いのは気持ち悪い。技術実証機でも命名式みたいなものをやります、なんて話なら分かり易いのだが。

 報道VTRでは「ゼロからの独自開発は技術者の悲願」というような視点がかなり強調されていて、ケレン味のない「プロジェクトX]の前半部だけみたいな雰囲気があった。正直、観ていて「変な報道内容だな」という思いに囚われ続けた。要は「何故、今、技術実証機なのか」という「何故」の部分に全く踏み込まないのだ。つまり「心神」の流れを組み込んだビッグピクチャー(全体像)に繋がる部分に全く触れなかったのだ。本来の報道、というものは良くも悪くもそこに踏み込まなければならないんじゃないだろうか。

 上記の点の裏返しのように、VTR後のスタジオで次のように語られる。

 「技術者の悲願、といったまるで美談のように認識することは危険。『何故、そのような技術を開発する必要があるのか』という国民的議論も無いまま税金が投入されている状態はおかしい」

 でも、報道VTRを放送したのも、スタジオでのそういう発言を放送したのも同一の報道機関だ。このような第三者的な発言が出ることは、まず結論ありきの偏向、或いは提灯報道ではあり得ない。真っ当な報道であれば尚更あり得ない。可能性は幾つでも考えられる。
  • 自衛隊は取材は許可したが、報道VTRにも口を出した。自衛隊の意図が強く反映されたVTRに対して、嫌味が口をついて出た。たとえそうであっても、自衛隊側の意図は、情報統制の視点、報道機関の反応調査の視点など見方によって幾らでも考えられる。対中メッセージの可能性だってある。
  • 最後の発言を電波に乗せたいため、報道VTRをわざと「技術者の悲願」路線にした。これは誘導のための偏向報道のそしりを免れない。
  • 原因部分が上記2点のミックス、つまり、大人の事情による制限から自衛隊と報道機関が同床異夢状態となった。つまり、たまたま。
  • 報道VTRの編集が実は「実質的に」自衛隊によるものだった。報道VTRが報道機関局外の会社、組織によって編集され、報道機関は内容に口を出せなかった。情報管制の観点からは、報道機関本体より、資本規模が小さくて目立たない下請け業者に手を回した方が費用対効果が大きいように思われる。実際のところ、下請け会社(製作専門会社)無くして現在のような番組の増産体制は維持できないだろう。極端な話、自衛隊、政府による報道管制のテストケースであった可能性。
  • 報道機関内が様々な外圧により分裂状態にある、陽的に分裂工作が行われている。自衛隊や政府がその報道機関の分裂状態を図るために観測気球を上げた、或いは報道機関を使ってカウンターインテリジェンスを仕掛けた。それとも…怖ぇぇっ
実際はどうだったのかなぁ…

2014/07/10

New Order/Bizarre Love Triangleのビデオクリップ

 "New Order"の楽曲"Bizarre Love Triangle"はマイエバーグリーン。ちなみに、これ以外で"New Order"の好きな楽曲は無い(笑)まぁこの手のパターンは、"Public Image Limited"の"This Is Not A Love Song"とか、"The Flying Lizards"の"Money"とか、"M"の"Pop Musik"とか、実は少なくないと言う(笑)
 
 ひょんな拍子からオフィシャルのビデオクリップをYoutubeで発見、自分の為に貼っておこう 。このビデオクリップに関しては、当時ピーター・バラカンさんが絶賛していたことが印象深かったなぁ・・・
 で、 ビデオクリップでは楽曲には無い男女の会話シーンが挿入されてます。雰囲気と不真面目具合を優先するとこんな感じの会話ですよということで、興味を持った奇特な方は2:48辺りだけ聞いて下され。女性の言葉をより正確に訳せば「私は生まれ変わり(リインカーネーション)なんて信じない。何故って虫(バグ)や兎なんかとしてこの世に戻って来るなんてご免だわ!」って感じかなぁ。

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 関連エントリ:SynthMasterの買い方

2014/07/08

「ゴジラ」、やっぱり上手い

 映画「ゴジラ(昭和29年)」を初めて観たのはかれこれ30年近く前、自宅近くの小さな映画館(おそらく20席以下)を貸し切り状態(つまり客は私だけ)でのことだ。当時もとっても感心したのだが、今TVで観ながらそれを追体験している。

 何が感心するって、まずカットのつなぎ方が出色だ。単に画をつなぐという話ではなく、つなぎ部分の音響効果や音楽も計算されたものだろう。暗転、ゴジラの鳴き声、着陸した飛行機のカットへといったつなぎ方は実に見事だ。ワイプかフェードか、カットのつなぎ方の選択にも文脈、明確な意図が感じられる。とにかくワイプ、というジョージ・ルーカス氏の作風と全く違う。モンタージュによるカットの切り替えタイミングは総じて早めで、人や乗り物の移動感を殺さず、極めてリズミカルである。その代わり、時間の経過はカットの切り替えを使って効率良く(?)省略されている。

 カット自体も、静止画的なものか登場人物などの移動を追うものかなどの区別が明確で、よく吟味されていると思う。移動や撮像対象の配置には左右だけでなく奥行き方向も使う。このようなカット構成は結果として「カメラの存在」を観ている側に強く意識させる。本多猪四郎監督のタッチはドキュメンタリーのそれに近いと言われるが、「カメラの存在」とドキュメンタリーは不可分だ。ただし、カメラそのものの動きは限定的というか、おそらく最小限に抑えられている。「如何にも手持ちカメラ風」のぶれが加われば、10年程前に流行った私が大嫌いな「ドキュメンタリー風の絵作り」に極めて近い風合いになるだろう。

 それをやらないのが「品格」というものだ。

 特殊撮影を担当した円谷英二氏がキャメラマン出身というのもポイントだ。特殊撮影カットも本編と類似した「品格」を備えている。これは本作品にとってとても幸せなことだ。

 伊福部昭氏の音楽自体、音楽作品に対する評価を近年良く耳にするようになったのは嬉しい限り。同時期の劇音作家の中では突出してリズム重視の作風と言える。メインタイトルの楽譜にゴジラの足音や鳴き声のタイミングまで書かれていたのは有名な話だが、映画が総合芸術たらんとすればこの種のこだわりは必須だろう。映画「日本誕生」や「わんぱく王子の大蛇退治」に見られる画と音楽の見事な同期、それらが産み出す相乗効果は圧巻だ。

 さて、「ゴジラ」の放送も終ろうとしている。

 最後に原作の香山滋氏に少し触れておきたい。香山滋氏は今ならばホラーとミステリの境界領域、かつて変格探偵物と呼ばれた分野の作家だ。80年代後半にこの分野の再評価ムーブメントがあり、復刻版の発売や古本屋周りの甲斐あって彼の作品はほぼ全作読んでいる。

 劇中、古生物学者の山根博士が「200万年前のジュラ紀」と発言する。が、実際のジュラ紀は約1億5000万年前であり、200万年前は石器時代である。このようなケアレスミスを香山氏が犯すとは考えにくい、むしろ意図的と見做すべきだろう。比較的受け入れられている解釈は、「ゴジラは人類そのもの、核兵器を作り自らの生存すら脅かす特異な生き物のメタファー」というものだ。香山氏の作風は良く言えばロマンチック、時に過剰なまでに感傷的、悲観的だ。「ゴジラが核兵器ではなく人類そのもののメタファー」という視点に立つと、ラストの山根博士のセリフの意味合いも違って聞こえないかな?

2014/07/07

米国の「失望」、キャンペーンが始まってるかも:||???

 ウォール・ストリート・ジャーナルの記事、「【オピニオン】なぜ日本の軍事シフトは韓国にとって必要か」。

 大した事は書かれていない。タイトルから予測できる常識的な普通の内容だ。だが、知っている人なら、執筆者がランド研究所(米国のシンクタンクのひとつ)のアナリストだというだけで直ぐに記事の意図を察することもできよう。

 米国は世論誘導にシンクタンクの「見解」を良く使う。と言うより、世論誘導もシンクタンクに求められる役割なのだろう。米国ないしは米軍の意図がどの辺りにあるか推定するのも一興かと思う。書かれていないこと(記事中で触れられていない国とか)も重要、かもね。

2014/07/06

「集団的自衛権の行使容認のメリット、デメリットが分からない」って・・・

 点けっぱなしのTVの報道番組で「集団的自衛権の行使容認のメリット、デメリットが分からない人40%」とかやっている。実際に、「集団的自衛権の行使容認のメリット、デメリットが分からない」なんてインタビューに答える人なんかが映し出されている。

  馬鹿か? 「集団的自衛権の行使容認を自国、友好国にとってメリットあるもの」にしていくことが単に求められているだけで、「集団的自衛権の行使容認決定」自体は日本人にとっては特にメリットもデメリットもないぞ。

  韓国や中共に限っては、現政権の他の動きと合わせて様々なメッセージにはなっているようだけどね。あと、国内の××や○○のあぶり出しとか。 TV報道だけでも具体的に色々と分かったね(笑)

  首相に「メリット、デメリットをちゃんと説明せよ」という解説者の説明はおかしい。日本の主権者は有権者である国民だ。国民が思考停止してどうする。「自分の命にも関わりかねない事案への対応方法について、主体的に選べる選択肢が増えたんだぞ」って捉えられんのかね。

 「行使できるけど行使しない」っていう状態、つまり現状維持すらも明確に「主体的な選択対象」になったんだ。例え現状維持という結論に結局なったとしても、それが主体的な選択なら「与えられた/従わされた」状態とは本質的に違うんじゃないの?

 「主体的選択に対してフリーハンドを確保する」ことの重要さ、裏を返すと「フリーハンドを自ら縛るとどうなるか」は、韓国の現状や最近の日朝間の動きなどを見れば幾分でも分かろうもの。歴史はもちろん、現代のリアリティ (現実)もしっかり直視していきましょうよ。

  まぁ、海外関係諸国への言外のメッセージを首相や政府要人が口にすることは、日本にとってデメリットはあってもメリットは全くない。外交としては正解、内政にあっては「思考停止者発見メカニズム」、「○○、××発見メカニズム」として十二分に機能している。先の記述内容とは矛盾するけど、後者はちょっとリスクは伴うものの実は大きなメリットと見做せなくもない。「考えている人」、「自ら調べることをいとわない人」には言わずもがななんだろうけどさ。

 現首相の動きは実に素早い。だからこそ、それぞれの事案を単独で捉えようとするのではなく、それらが全体像(ビッグピクチャー)のどこのピースなのかという視点無くして、すなわち自ら考えることなくして、その動きを追い続けることはできないのは明らかだ。もちろん、無批判に現政権の全てを受け入れるなんて愚も犯さないようにしなければならないよ。個人的には内政に対して苦言のひとつやふたつはあるし、国益の観点から現行内閣人事が幾つかの爆弾を抱えているのも確か。

  幸いにして、報道は「今後の法整備に関する国会議論を国民は注視していく必要がある」と結ばれた。なんとか品位は保てたようで良かったね。

2014/07/05

オクラホマ州の地震急増、原因は?

 本ブログのエントリ内容をフォローしている奇特な方なら、私が「シェールガス/オイル革命」に極めて懐疑的だということは知っていると思う。より正確を期すならば、資源としてのシェールガス/オイルは否定しないが、安いという経済メリットに対して採掘に伴う環境破壊リスクが過小評価されているのではないかという懸念は未だ拭えない。むしろ、私の懸念を後押しするような報道が目につくようになってきた気もしなくない。

 経済性については、「当初見込んだ採掘コストが低すぎた」ことも原因とする問題に供給業界全体が苦しんでいるらしい。要は、現時点のシェールガス/オイルの市場価格が採掘・精製・輸送コストに比して不当に低く、構造的に儲からなくなっているらしい。

 ご存じの通り、発電などのエネルギー用途の化石燃料の供給価格は、実際の供給に先立つ2年ほど前に契約で決めてしまう。だから現在供給されているシェールガス/オイルの価格は、実はほぼ商用規模での供給実績がない段階で決められた値ということになる。「当初見込んだ採掘コストが低すぎた」となれば、それはダイレクトに適正価格と実際の価格との差として表れてしまう。従ってシェールガス/オイルの市場価格調整は更に年単位の期間が必要だが、天然ガス価格の低迷などもあっておいそれとは価格を上げにくい状況となっているのだそうだ。

 「シェールガス革命」には、低コストな採掘手法「岩盤破砕法」の実用化の寄与が大きい。この手法はシェールガスを含む岩盤層に高圧水を注入して岩盤を砕くとともに発生したガスを水ととともに回収する方法だ。ちょっと考えれば分かるように、これは岩盤をひびだらけにしてそのまま放置するということを意味する。もうかれこれ3年程前の報道で、「岩盤破砕法」によって地下水脈の流れが完全に変わってしまったというものがあった。より具体的に触れると、シェールガス採掘場に隣接する一般家庭や農家の水蛇口から可燃性ガスが出るようになったり、何にも出なくなったりしたということだ。地下水を使っていた大規模農場は経営危機、が、「因果関係が明確ではない」ということでシェールガス採掘業者の責任も問われていないとか、かなりしっちゃっかめっちゃかな話だった。続報が無いので現在その辺りがどうなったのかは不明だが、展開によっては「採掘場近隣住民、農場へ落とすお金」もシェールガスのコストに上乗せせざるを得ない状況になっている可能性もある。

 で、これは最近の報道。ウォール・ストリート・ジャーナルの記事、「米オクラホマ州の地震急増、石油とガス掘削が関連」から。
米中部オクラホマ州で最近、マグニチュードが低い地震が急増しているが、科学者たちは、これは石油と天然ガス掘削によって生じた膨大な量の廃水を地下処分していることが引き金になっている公算が大きいとの見方を示している。

オクラホマ州では地震はこれまでまれにしか発生していなかった。2008年以前には、同州でマグニチュード3以上の地震は毎年わずか1回程度だった。ところが、今年これまでに、同州ではこの規模の地震が230回発生している。これはカリフォルニア州で記録された地震数を上回っている。
 原因が「岩盤破砕法」を含むかどうかは記事からは分からないが、採掘自体が無視できない新たな社会的リスク源になっている可能性を示唆する内容であることは間違いない。

 シェールとは関係ないけど、米国カリフォルニアには太陽はあっても地上に水がほとんど無い。だからカリフォルニアの農場では地下水を汲み上げて使うことになる。が、地下水の汲み上げ量が増加した結果、1990年代には地下水位が低下してカリフォルニアの農業地域全域に渡って地下空洞が広がっているとの研究結果が出されたことがある。

 岩盤破砕、地下空洞の形成は、すくなくともこれまでは単独では地上に悪影響を及ぼしてきていないように見える。が、どちらも規模は大きくなっていくし、やがて重畳することもあるかもしれない。自然災害というのは概して「1+1が10や100になる」ものだ。リスクコミュニケーションが必要なのは原子力だけじゃない。

追記(2014/7/6):

 やはりウォール・ストリート・ジャーナルから、「ドイツ、シェールガス採掘を停止へ―7年後に再検討」 。
ドイツは今後7年間にわたってシェールガスの採掘を停止する。採掘によって地下水が汚染されるとの懸念を受けた措置。

ヘンドリクス環境相は4日、「ドイツでは当面、(シェールガスの)フラッキングは行われない」と述べた。