2013/10/21

原子力発電は必要か?

 原発推進/反対の二分法に従えば、私は間違いなく推進側ということになる。ただ少しだけ丁寧に考えを書かせてもらえるならば、「我々は原発なしでは成り立たない生活様式を既に選んでしまった」という表現がより正確だ。そういう考えに至ったのは1985年ごろ、私が大学生になるころだ。その考えは今も変わらない。むしろ、より強くなっているというのが正直なところだ。

 1960年代生まれの人間の一部には、抜きがたい幼少期のトラウマが幾つかあり、一部は未だ解消されていない。
  • 1999年に恐怖の大王が降って来る。
  • 30年で石油は無くなる。
  • オゾン層の破壊によって強烈な紫外線が地表に降り注ぐようになる。
  • 全面核戦争が起こり、人類は絶滅する。
  • 地球温暖化が海面上昇を引き起こし、人類の生息域が著しく制限される。
ざっと、こんなところだ。

 恐怖の大王は置くとして、オゾン層の破壊と全面核戦争については様々な人々の努力、決断によりほぼ解消されつつある。石油枯渇も採掘技術の進歩によってやや先の話となり、シェールオイルやシェールガスが採掘可能となることで利用可能な化石燃料の埋蔵量(可採量)は増えたと言える(ただし現在のシェールガスの採掘方法の環境、地域へのダメージについては極めて悲観的な立場だ)。また、メタンハイドレードの採掘技術開発も進んでいる(気象変動による海流変化がメタン再放出に繋がる可能性もあり、メタンハイドレードの存在は両刃の剣とも言える)。

 となると、残りは「地球温暖化」である。先の台風被害も見るにつけ、気象変動は動かし難い事実として認めざるを得ない状況と思える。いわゆる温室効果ガス排出を原因とする地球温暖化は、いよいよ抜き差しならないフェーズに入った可能性が高い。近年の研究で、地球温暖化は明らかに加速傾向にあり、さらに進行を加速する要因や新たな問題の発生が予測されるという。
  • シベリアなどの永久凍土の表面が溶け始めた。永久凍土内には温室効果ガスであるメタンが大量に閉じ込められており、永久凍土が溶けることによってメタンガスの放出量が加速度的に増大、永久凍土の溶解も加速されて地球温暖化が一気に進む可能性がある。
  • 各地の大陸氷河は1990年代から後退傾向にあり、1980年代以前に形成された氷河が溶ける可能性が高まっている。1980年代以前の氷河には、炭酸ガスのほか、排出規制以前の化石燃料の燃焼や金属精錬加工過程で大気中に放出された重金属類、大気圏内核実験で大気中に放出された放射性物質を含んでいる。このため、氷河を水源とする水は生活用水としては不適となるどころか、あらたな公害病、被曝症状の発生源と成り得る。
両者ともに1980年代には既に警戒の声が挙がっていたが、環境保護に感度の高い欧州の一部の国を除くと、全くこれら警戒に対して積極的に反応した国はなかった。「我々は原発なしでは成り立たない生活様式を既に選んでしまった」という思いの出発点は、まさにここにあった。

 だから、採掘~発電~使用済み燃料処分の全ライフサイクルで炭酸ガス放出量が少なく、かつ排出量が管理可能な原子力発電に期待したし、それを進めることに一定の意味があるというのが私の考えだ。「我々は原発なしでは成り立たない生活様式を既に選んでしまった」のは仕方ないとしても、「何時まで原子力発電に頼るつもりなのか?」という問いかけに対する答えを口にするべき人間が口にしないことに非常にフラストレーションを感じる。

 1980年代前半の太陽電池は余りに変換効率が低く、風力発電用風車も材料の関係で大型化は望み薄だった。地熱、海水温度差、波力などの他の再生可能エネルギーも立地の制限や効率の低さから経済性の観点から普及は厳しいものだった。実のところ、これらの状況は今も基本的に変わっていない。人々の意識も決して変わったとは言い難い。先の震災後に様々な「節電方法」がTVなどで紹介されたが、個人的には笑止千万。大部分の工夫は1980年代から私などが当たり前に実践してきたことだ。

 1980年代前半との一番の違いは、蓄電技術のコモディティ化ペースの加速だ。ハイブリッド車はその一つの成果だと言える。蓄電技術のコモディティ化を推進するとともに、国内の炭酸ガス排出量の半分以上を占める自動車からの排出量を低減している。

 蓄電技術のコモディティ化は、一国のエネルギー政策や災害対策を変え得る。これまでの発電における常識は、「電気は貯めることができない」、故に「発電設備の容量は最大使用量で決まる」というものだ。これは、トータルでみた場合の発電総量が、トータルでみた必要電力総量を大きく上回るということだ。100%効率の蓄電技術がもし実現すれば、必要電力総量をいったん満たせば、もはや発電しなくても良いことを意味する。

 「今、原発は必要か?」と問われれば、「必要だ」と答えよう。

 「なぜ?」と問われれば、「地球温暖化対策と蓄電技術のコモディティ化を進める上でのベース電源として、もっとも現実的な選択肢だから」と答えよう。

 「将来も原発は必要か?」と問われれば、「原発依存脱却のシナリオを明確化し、具体的な目標と施策を決定し、それらを確実に実行しない限り必要だ」と答えよう。

 福島第一原子力発電所事故を経験しながら、国内の原発に対する議論は感情的で、規制側の対応は過剰に性悪説的に見える。そこには、論理性、客観性、合理性は無く、それらに基づく考えの導入を頑なに拒み、ポピュリズムに走る傾向すら見える。「悪を生むための相対的な正義」なんぞ要らないのだ。今こそ、原発の議論に論理性、客観性、合理性が求められていると思う。

 1980年代後半、米国のある工学生グループが掲げたスローガン:
Sunshine is ALL RIGHT! Nuclear power is ALL NIGHT!
私の考えもこれに近いところにある。再生可能エネルギーの導入促進と原子力発電所の再稼働がなぜ排他的なのか理解できない、両者の関係は極めて相補的としか思えない。「将来の原発依存体質の脱却のため、環境変動抑制のため、今こそ原発技術を最大限活用して時間を生み出さねばならない」、これは私にとっては論理的、合理的な帰結だ(客観性は低い)。

 「日本の原発に対する態度の一種の不健全さ」、海外の報道を見るに日本は再び理解不能な「不思議の国」としての顔を見せているやに思える。

2013/10/20

"Bizarre Love Triangle / feat. Megpoid Eng."リボーン

 いったん終わらせたつもりの"Bizarre Love Triangle"だが、さる友人から

「この曲のベースはもっとベキベキしてるもんだろう、カバーってよりコピーに近いんだからさ」

との言葉を頂く。うむ。

 ベース音は勝手知ったる"Z3TA+2"で作っているから、「ベキベキ」させるのは非常に簡単。エンベロープ・ジェネレータ(EG)とモジュレーション・マトリクスをちょいちょいいじること3分ほどで新しいベース音は完成、むしろベース音の輪郭がはっきりした分、全体の再調整に時間がかかった。

 結局、キック(バスドラム)の音は差し替え、他の音も一部定位を縦方向でいじることになった。また、キックとベース変更に伴ってボーカロイドの発声タイミングのリズムに対するルーズさが目立つようになったので、わざとずらしている所を除いて発声タイミングを再調整することになった。

 ベース音を除けば、まぁ、ぱっと聞きでは従来バージョンとの差は分からないだろう。が、自分の中では完全に別バージョンだなのだ。

2013/10/19

アクセス解析:検索ワードラウンドアップ:その2

 さて、第2回です。
  • KORG M01dと相性の良いDAWソフト
    KORG M01DはNintendo 3DSソフト、PC上のDAWソフトとの相性とは?3DS持ってないのでなんとも。

  • korg SQ-8 取扱説明書
    さる情報によると、KORG SQ-8の取扱説明書のオリジナルはKORG社内にも今や存在していないとか。海外のオークションサイトに英語版が13ドル程度で出品されています。

  • 宇宙戦艦ヤマト2199 オリジナルサウンドトラック rar
    違法ダウンロードが狙いならその行為自体が罰則対象ですよ。"yamato 2199 ost download"の方が効率良いかも、あ、独り言です。
    ちなみに楽曲データの違法ダウンロードを刑罰化してもCD売り上げは回復していないそうで。レンタルで失われている売上の方が大きいのでは?レンタルを許してるからCD価格が下げられないんじゃないの?レンタルによる損失分も上乗せされた定価なんてのは客を馬鹿にしています。定価販売が保証される再販制度に胡坐をかいてちゃ文字通り座して死を迎えるだけかも、音楽業界の都合は理解に苦しみます。
    iTunnes Storeが先鞭をきって開けた風穴のひとつは、「欲しい1曲の為につまらない他の曲の分のお金まで客は払わなくても良い」ことかと思います。裏を返すと、売れる楽曲と同じCDに収録されれば、そのCDが売れる限りつまらない楽曲であってもその著作者には一定の印税が入ります。でも曲単位での購入が可能となると、売れる楽曲にパラサイトすることによる印税収入はもはや望めません。
    通信カラオケも含めて、今や音楽は曲単位で消費される時代になっているのかも。古いとか新しいとかではなくて、CDという媒体自体が「曲単位で消費される」ことに向いていないのは明らか。そうは言っても「所有」することを客が欲する楽曲は、音質も考慮すればCDなどの媒体で供給される意味も価値もあるでしょう。CD売り上げの回復には、「所有」に耐えうる楽曲の提供が必要なだけじゃないのかなぁ。

  • ios702 起動してるアプリを消せなくなった
    音楽ライブラリの肥大化で私はアプリ使わなくなりました。iPhone5Sでは"Blue screen of death"で勝手にリブートとかまで発生しているらしく、一週間で使うのをやめた"Windows ME"を思い出さざるをえません。「今時ブルースクリーン?」って辺りはまさに想定外級、「有り得ない」という言葉は今も昔もAppleのためにあるような言葉です。

  • 宇宙戦艦ヤマト2199 ギャラクティカ
    本ブログ狙い撃ち?某アニメ監督とその周辺狙い?どうでも良いけど"Blood and Chrome"を誉める人のセンスは理解できないっす…

  • ヤマト 出淵 バカ
    ノーコメント。ほんーっとに検索した人がいるのです、それも一人じゃな…

  • スマホユーザー 迷惑行為
    ほんーっと困るのよ。

  • ipod touch ios7.0.2 気に入らない
    iOS7.0.2はかなり良いと思います。音楽プレーヤーで使っている「赤」を目にする度にiPod touch自体を叩き折りたいぐらいの衝動を今も感じますが、大っきらいなだけで、気にいっていない訳ではありません。

2013/10/18

2π- whitenoise limited edition by Standuino

 ふらりとStanduino(チェコ共和国のシンセメーカー)のウェブページを覗くと、50台限定でシンセ"2π"を発売!とのこと。"π"の次は"2π"か…XBOXに例えるなら360の前が180だった、みたいな。ちなみに価格は170ユーロ、「個人的には即買い!って訳にはいかない」といった意味で結構微妙な値付けだねぇ。ソフトシンセZ3TA+2で今やっている「ノイズ作り」は、まさにこんな音を作ってるわけだしねぇ。

2013/10/17

奥さん、論文査読お願いします。:ワン・モア・タイム

 「これから英語の技術論文を書きます」という人に真面目な話をしておきませふ。私が査読する場合は下記の内容にはこだわりますよ。

 論文の1ページ目は大抵、タイトル、オーサー(ズ)、アブストラクト、イントロダクションまでしか収まらない。ここで「読む人」の立場から一種の模範的な1ページ目の書き方について書いておこう。
  • タイトルは本文を全部書いてから決めても良いぐらい重要だ。「タイトルに偽りあり」な論文はほぼ間違いなく中身も酷い。タイトルはまさに「つかみ」だが、アブストラクトやイントロダクションの文章とはイタレーションが必要だ。
  • タイトルで論文に興味を持った人は、アブストラクトを読んでさらに読むべきかを考えるか、アブストラクトをとばしてイントロダクションに入る(コンクルージョン(ズ)は1ページ目には含まれないからここでは「いきなりコンクルージョン(ズ)」の経路は省く)。
    ここで気にして欲しいことは、アブストラクトなりイントロダクションなりを読む人は、間違いなくタイトルを先に読んでいる。だから、アブストラクトやイントロダクションの冒頭で、タイトルで述べている内容に直接触れる必要はない。タイトルとほぼ同じ文章がそのまま書かれていると「オーサー(ズ)は頭が悪い」と思われる可能性を覚悟して良い。実際、アブストラクトの1文目を読んで一気に残りを読む気が失せた論文には事欠かない。
つまり、アブストラクトはタイトルから続けて読まれることを前提に書こう。極端な話、タイトルに書いてあることは書かなくても良い。アブストラクトはタイトルと切り離された状態で読まれることはないと見做して良い。タイトルとアブストラクトを続けて読んだ時にしっくりこない場合はタイトルが拙いと考えるべきだ。より具体的には、タイトルにアブストラクトに書いた方が良い内容が含まれているか、タイトルに書くべき内容が含まれていないか、といったところだろう。

 気持ちは分かるのだが、「タイトルで背伸びし過ぎて」いてアブストラクトとの整合性が悪い場合が多々見受けられる。

 イントロダクションも同様にタイトルから続けて読まれることを前提に書こう。だから、タイトルと同じことをいきなり書くべきではない。また、イントロダクションの出だしの内容は、タイトルを読んだ人がすっと話に入っていけるように書こう。イントロダクションの出だしとタイトルとのミスマッチ(関係性が見えない)を感じたならば、やはりタイトルが拙い可能性も考慮しよう。

2013/10/16

近況、十三度。:台風一過編

  • 台風最接近のタイミングで病院へ。強風に翻弄されながらも、なんとか傘で雨を避けながら2km強を徒歩で移動。病院では10分ほど停電、最低限の電源は確保されているようで窓口などでの混乱はなし。病院から出るともう地面が乾き始めていて、どうやら台風は通過したよう。
    帰り道で通行止め。見ると送電線のけっこう高い位置に車のカバーらしき大きな布が引っかかっている。周囲区画は未だ停電中のようで、交通信号も沈黙、先の震災での情況が頭をよぎる、電気が使えるのは有難いもの。途中で立ち寄ったコンビニも停電区画内にあったが、レジ用の非常電源は確保されているということで昼飯購入。
    自宅の区画は既に停電から復旧済みで一安心。午後からは出勤。

  • 病院への外出時に携帯電話を持ちだし忘れ。自宅へ帰ると迷惑メールが届いていて、先の震災時の腹立たしい経験を思い出す。
    私の居住地域は3日以上停電したのだが、もちろん基地局も停電でダウンしていて携帯電話は使えない。停電復旧直後は、取り敢えず近所の自販機へ水購入に走ったものだ。
    水入手後に自宅へ帰ると、3、4日分の迷惑メールが携帯電話に届き始める。纏めて届かず、5分おきぐらいに1つづつぽつぽつ届いてそのたびに着信音が鳴るのはかなりウザい、当然メール内容もウザい。加えて通話自体はまだ混んでいて、実家への連絡もままならない。そこへダメ押しのように新たな迷惑メールが届く。
    当たり前だが、迷惑メールは「空気を読まない」。状況によってはどうしようもなく腹が立つものだ。

2013/10/13

うちのiPod touchさん

 今回は私信。

 遠方の友人との電話で、「ついに音楽ライブラリが64GBのiPod touchでも本格的にきつくなってきた、ホーム画面は殺風景だよ」と言ったところ、「んじゃ、見せろ」と。とは言え、実は壁紙だけには少しこだわりがあり、1台毎に違うテーマ、というか違う作家さんの画像データを同期させています。

 アプリもムービーもビデオも今週中盤から全部削除したので、使うのはミュージック、時計、カレンダーぐらい。1台にはアプリとして「ポルトガル語-日本語辞典」だけは入れてありますが。

 1台は長大中さんの絵が壁紙です。複数の画風を持つ人で、「紅衛兵&筆のタッチが残っていてギリギリ写真じゃないことが分かる」という辺りが私のストライクゾーン。一種の制服フェチなのかも知れませんが、皆が同じ服を着るという状況下でこそ個々人の個性が強く出るような気がします。

 ちなみに紅衛兵や文化大革命については、一時期手に入る本は全て読んだ気がします。タイトルは失念しましたが、中国共産党が正式に文化大革命を総括した分厚い論文の日本語版も読みました。知り合いの中国出身の研究者と文化大革命について話をしたことがありますが、極めて否定的な見解を持っていました。個人的には、引き続く「下放」が残した多くの禍根が印象的でした。下放をテーマとした女性視点の映画として米国映画「シュウシュウの季節」があります。ほぼ同時期に中国で製作された「初恋のきた道」と較べてみるのも一興ですぞ。

 もう1台は中村佑介さんのイラストが壁紙です。私が画集を持っている作家さんは、高畠華宵、リキテンシュタイン、そして中村さんの三人だけです。

アクセス解析:検索ワードラウンドアップ:番外その1

 アクセス解析がちょっと面白いので、毎日チェックすることにしました。件数の少ない検索ワードは二、三日で表示されなくなるので、適宜こんな感じで挙げていきます。
  • ios7.0.2って何ですが?
    「何です?」ではなく「何です?」
    ?? 
    キーボード入力ミスとかをあげつらうつもりは毛頭無くて、「何故こんな検索ワードでこのブログが?」という驚き。

"ENOLA GAY/OMD"カラオケ

 146BPM, 44.1kHz/16bit .wav形式。ダウンロードできるので、お気に召しましたら如何様にも使って頂いてけっこうです。ただし、ダウンロード後の取り扱いに起因するいかなる結果にも、私は一切責任を持ちませんが。

 途中でうっすら入っている声は、ハリー・トルーマン大統領(当時)の広島への原爆投下に関する演説の冒頭です。原爆の取り扱いは被曝された方のことも考えればセンシティブにならざるを得ず、ある種の極めて時代的な能天気さへの皮肉として取り扱っているとしても、トルーマン大統領の演説を挿入すること自体に不快感を覚える方もいるでしょう。

 一言だけ言っておきたいのは、私の持つ戦争や核兵器への嫌悪感はおそらく一般的な日本人より遥かに強いだろうと思うということです。私の片方の親の田舎が広島ということもあり、幼少期より原爆や空襲の体験談を聞く機会も多かったのです。また、片方の祖父は南方の小さな島で玉砕、帰らぬ人となったのです。

2013/10/12

FIAT車3台

 さて、今日は朝から隣町に出かける用事があった。隣町への車の移動にはこれまでは国道1本しか経路が無かったのだが、半年ほど前にバイパス道が開通した。今日の移動にはバイパス道を初めて使おうと思っていたのだが、左折で従来通りの国道、右折でバイパスという交差点で左折してしまった。

 理由は、自分の目の前で連続して左折した2台の車がFIAT車だったせいである。1台目が初代PANDA、2台目がおそらく初代PUNTO(いわゆる鉄仮面)、そして私の愛車が2代目PANDA(2004年型)だ。

 カーディーラーの担当者が言っていたのだが、「対向車線を走る車の中で70台に1台以上の割合で見かける車種には、『物珍しさ』を感じなくなる」のだそうだ。近年はFIAT 500がそれなりに売れているが、それより前の世代のFIAT車の国内登録台数は全車種合わせても1/70に遥かに及ばないだろう。おそらく私にとっては一生で一度の機会、「FIAT車3台が続けて走ってます」という状況作りの誘惑に勝てなかったのだ。

1台目


2台目 "Don't You Want Me Baby?"


3台目 "Don't Call Me Baby."