招待され、昨日から久しぶりに海外の趣味のコミュニティに参加した。10以上年ぶりとなる。とは言え、絶頂期の5%も能力が発揮できなくなった現在の私にできることは無いと言って良い。実態としては「狭い世界の中だが、頻繁に画像や動画のクレジットで見た名前の当人が来た」ってところで多少の賑わいとなることぐらいだろう。
20年前のコミュニティは、インターネット上とは言え地域性が感じられることが多かった。メンバーが米国ベースと英連邦ベースではメッセージでの文章表現の距離感も違った。とにかく英語が使えないとダメだった(真面目な話、勉強した。趣味の話に限るなら多くの人が結構頑張れると思う)。私は「距離感が程よい」ところからカナダベースの今は無くなってしまったコミュニティに入り浸ったが、このコミュニティへ参加することになったきっかけはとある人からのメールによる招待だった。今回の招待を受けた際、上記の突然のメールでの招待を思い出した。
10年以上ぶりにこの種のコミュニティに参加して、たった一日で多くの変化を感じた。
まず、地域性が極めて薄くなったこと。私は日本からだが、チェコからの人もいる。これはコミュニティのバックボーンが、レンタルサーバー上のデータベースソフトからクラウドベースのDiscordのようなコミュニケーションサービスに移行したことから当然かとも思う。かつてはPC限定だった接続デバイスの制限も実質的に無くなった。ただし、通信量の制限はむしろ厳しい印象も受けた。この辺りは少し「縮み志向っぽい」が、「テキストベースながら豪華で多機能なポータル」と思えばなんということは無い。その背後には、クラウドベースの膨大なデータが以前よりも大量に存在する。1日如きでは見えないが、時間差の影響も以前とは違うだろう。
二点目は、使われるスラングの変化。コミュニティが地域性を持つならば、チャットやメッセージで使われるスラングはその地域性をそのまま反映する。より具体的には、街中で特定の世代がしゃべっているスラングがそのまま使われる。やっかいなのは古典的には「極めてネガティブな意味を持つ表現」が、逆に「極めてポジティブな意味を持つ表現」として使われる場合だ。時間をかけてネットで調べればどちらか判断できる場合もあるが、一読では悩むこと必至だし、コミュニケーション上の誤解の原因ともなる。ならば今はどうか。ネット上でしか使われていない(らしい)スラングがチャットやメッセージ内で目に付く。ちょっと面倒なのがGoogle翻訳もDeepLも全く追いついていない点だ。Wiktionary辺りで明確に「ネットスラング」とか書かれていないと、誤読の原因となりかねない。例えば”holy based”には1時間ほど悩まされた。これ単独はとてつもなくポジティブな意味を持つが、とてつもないが故に文章全体の文脈からは皮肉っぽさを感じなくなくもないという…ね。
三点目は、ローマ字表記で正確な日本語表記ができる人が一人や二人ではなかったこと。これは以前は無かった。例外は「Arigato」ぐらいのものだった。こっちが日本人であること、英語が得意ではないことは基本的にバレているから(隠してもいないし)、明らかに気を使ってくれていると言える。海外出身の英語教師でもないのに、日本語と英語のダジャレさえ使う英語ネイティブの存在はやや衝撃だ。「私の苗字は日本語ではキリスト教徒です」→「苗字はクリスチャン?」ってな感じのチャットをローマ字日本語と英語でやったということだ。
久々過ぎるエントリ。まぁ、それぐらいのことがこの土日に有ったということだ。