不勉強で汗顔の至り、本作については何も知らなかった。
ひょんなことからアニメ劇場版「鉄人28号 白昼の残月(2007)」を観る。もっと評価されて良い作品だと素直に思う。監督は今川泰宏氏。
同氏監督のOVA「ジャイアントロボ THE ANIMATION -地球が静止する日」では一種独特のケレン味が多少鼻についたが、本作ではそれが作品全体を上手く引き締める味になっていると感じた。同時に、氏のケレン味は実は当人の映画鑑賞歴も関係していて、かつかなりの数の映画を観てきたのではないか、とも思った。
ここで言うケレン味とは、「見せ方を工夫することで、一切の余分な説明を排して何かを観客に理解させる」演出法を指す。例えば、特撮ヒーローが必殺技を決めるシーンを「物理法則とか科学的説明とかは一切すっ飛ばして、なんか凄そうに見える『画』」で演出するといった具合の話だ。 一時期流行った「トンデモ本」の内容は、概してこの種のケレン味あふれた演出内容を「荒唐無稽と問答無用に捉えた上で、演出を優先してすっ飛ばした、或いは誤魔化した内容」を白日の下にさらしたものと言って良い様に思う。「いい大人」が「納得づく」でやったことを「いい大人」が「納得づく」でいじるという、構造自体は面白いが中身には当然ながら意味がない。
が、ケレン味あふれる演出が常にトンデモかと言うと当然そうではない。ここでの「ケレン味あふれる演出」の一つの効能は、「一瞬で視聴者に作り手側が伝えたいことを理解させる」ことにある。映画というのは、実質1時間半~2時間で物語の最初から終わりまでを最低限語らなければならないし、その時間内で視聴者をドキドキさせたり感動させたりと大変だ。となれば、ここぞと言うところで「一瞬で視聴者に何かを理解してもらい、それまでの映画の展開で心に積った疑問など一切のもやもやしたものを解消する」という大技を決めることができれば、映画全体が締まったものとできる。
本作では物語の転換点に複数の小さなケレンを仕込み、謎解きのそのまさに直前に最大のケレンを仕掛け、そのケレンを生かしつつ物語を終焉に導く。映画の最初と最後は途中のケレンを一切排しても理解できる。作品が語る物語は、映画の最初と最後の間に挟まれた「一人の少年の成長のための通過儀礼」とでも位置づけられる内容だ。本作におけるケレンの数々はすべて映画、作品自体に奉仕している。娯楽作品で有る以上様々な要素を盛り込まなければならないが、上映時間には制限がある。故に「多くて3カット、セリフ多くて3つ、音楽一曲」で具体化した「画」で視聴者を納得させるケレンは、上映時間と娯楽要素と物語を全て過不足無く成立させるための技術、ひとつの武器なのである。今川氏の映画鑑賞歴が気になったのは、このような映画製作における一種のツボみたいなものが本作にはある、と感じたからであろう。映画の教科書は映画なのだ。
最初の楽曲が流れ出してから10秒程度で確信した通り、音楽のクレジットは伊福部昭氏であった。ただし新作ではなく、氏の既存の作品からチョイスしてきたものの様だ。 ゴジラ映画などの関係もあって伊福部氏の楽曲は勇壮なものの方が良く知られているが、陰鬱ではないもののメランコリックな曲調の楽曲も多い。本作では特に後者にあたる楽曲のチョイスにまず唸らされるとともに、弦の音の処理、或いは録音方法に明確に意図的なものを感じた。そもそもヴァイオリンなどの弦楽器は弓の凹凸で弦を弾いているので、弦からの音はノイズとして弾かれた瞬間の音を含み、かつそれに続く弦振動由来の音よりも大きな音となることがある。本作の楽曲での弦楽器の音では件のノイズが明らかに抑えられており、「微かに聞こえる弦の音」が実現されている。ノイズを含む音では、ノイズレベルに合わせて弦の音の音量を下げるとノイズしか聞こえなくなってしまう。「微かに聞こえる弦の音」が実現は、使用した伊福部氏の楽曲の魅力を引き出すことはあっても損ねるものではない。正直、OSTが欲しくなった。
鉄人28号自体をある程度は知っているなら絶対お勧め、極めて映画的な一本だ。