沈才淋氏の「大研究!中国共産党」(角川SSC新書, 2013/3)読了。一気に読める語り口はお勧め。ただ、二点ほど気になったところがあったので触れておこう。
一点目は「バナナ族」のくだりと中共の現状とのギャップだ。
「バナナ族」とは、欧米からの帰国子女や欧米で高等教育を受けたエリート集団を指す。見かけは中国人だが思考方法は欧米人という事を、外見は黄色(アジア系)だが中身は白い(欧米系)バナナに例えているとのことだ。
現在の習近平総書記体制においても、バナナ族は要所要所に配置されている。が、この一年程の中共の対外政策には、ほとんど「欧米的」な思想が感じられないというのが実感だ。沈氏は経済、技術開発分野へのバナナ族の登用について特に触れているが、軍事も含む外交分野ではどうなのだろうか。この期に及んで韓国の「反日」に肩入れしたり、日米の軍艦船に挑発的な行動をとったりする様は合理的、戦略的思考が感じられない。中共は良くも悪くももっとえげつなくはなかったか、大局的視点から政策を進めてこなかったか。
二点目は、第8章「中国の尖閣諸島問題に対する本音」の冒頭において、日中の衝突を「2種類のナショナリズムのぶつかり合い」と断じていること。
「ナショナリズム」という言葉はマスコミなどで余りに安易に使われるため、実態として意味が曖昧となっている。故に(古いエントリで触れているように)、本ブログでは「ナショナリズム」という言葉は基本的に使わないとにしている。個人的に引っかかった点は、ぶつかる日本側のナショナリズムを「国粋的な、日本という国家と不可分なナショナリズム」ではなく、「長引く不景気により衰退期のナショナリズム」としている点である。そもそも「ナショナリズム」という言葉が曖昧なところにきて、たたみかけるように国家観とは全くリンクしない曖昧な「何か」を取ってつけたように持ってきた、という感がぬぐえない。
もちろん、尖閣諸島の領有権問題が日中関係正常化時に「棚上げ事項」となった歴史的事実は把握している。「将来の知恵で解決」≒「中国が十分に軍事力を獲得したら軍事的に解決」とか一般的な日本人なら考えもしない、という点は話を単純化するために意図的に無視している点は察して欲しい。
私見を述べさせて頂くなら、沈氏の呼ぶ「何か」は日本人の気質に根付くものに過ぎず、仰々しく「ナショナリズム」と呼ぶべきものでも、不景気とも関係ない。単に「嘘が嫌い、嘘つきが嫌い」、「曲がったことが大嫌い、筋が通らないことが大嫌い」、加えて「力を背景に嘘や曲がったことを通そうとする主体を軽蔑する」という文化的価値観である。文化的価値観に基づく国民感情のベクトルの一致とうねりの形成は「ナショナリズム」と呼べなくもないが、そうであっても不景気とは関係ない。ましてや、「国内の不景気」は現在のグローバル化した経済環境においては、自国民にとっても単なるローカルな話に過ぎない。確かに自営業の方々は大変だが。
狂乱地価、バブルの崩壊は確かに日本に経済的にダメージを与えたが、同時に「ポストバブル時代」においては日本経済の「等身大の力の認識」の獲得に一役かったと思っている。従って「長引く不景気」は織り込み済み、明確な前提であり、それ故に「衰退期」などという状況なぞ受け入れない。
一般的な日本人の気質として、「座して死を待つのみ」なんてまっぴらご免なのである。「無駄なあがき」と言われようが、あがくのである。それでも前を向いて、上を目指すのである。あらゆる「道(どう)」と同様に、極めれば極めるほどさらに先があることを明確に知るのである。ゴールは無いし、「衰退期」が避けられないと悟ればそれを前提として新たな道を求めるのである。
それも皆で、力を合わせて。日本の「平等感」には欧米的なそれに較べると多少歪んだところがあるが、「読み書きそろばん」は皆が一緒に先に進む上での基盤なのだ。
故に、「うで蛙状態」を受け入れているように見える他国の有様を「皆が」訝しく思う。
繰り返しになるけれど、本書は一読をお勧めする。日本外部からの視点、それを自らに新たに視座として「追加」できれば、それだけ自分が強くなる筈だ。