新作劇場版とやらもやっぱり駄目っぽい、監督も監督自身も変わんねぇのな、な雰囲気濃厚。
「ヤマトができるのはとにかく楽しかった。自分が楽しいと思っていると、作品にもそれが出てくるんだなと思った」としみじみと語る。そこ、駄目だったところその1。あなたが何処を楽しんでいるかはおそらく半分ぐらいは分かっているつもりだ。しかし、全体として見たとき、あなたが楽しんでいるだろう辺りは全く物語の成立性に寄与していなかった。ただの食い散らかしになっていなかったか。
「(13年の)テレビ版から今作に入った方には特に見ていただきたい。本当に違いますから。意図したわけではないんですが、劇場上映版は全7章がいい形でそこ、駄目だったところその2。章毎にトーンが違うのは言われなくたって分かる。問題は、先のシリーズでは、全体として見たときに「章毎にトーンが違う」ことが全く物語の成立性に寄与していなかったじゃないか、ということ。ただ違うだけだったじゃないか、というより、本来ガチガチかつ針に糸を通すような繊細な構成が求められる部分に限って、はぐらかしたり、抒情的な描写で誤魔化したりしてたよね。
まとまった。章ごとにアプローチ、切り口が違っていて、章ごとに味わいも違う。まとめて見るには非常に見やすくなっている。もちろん計算はしたんですが、
ここまでカチッとはまるとは思っていなかった」と自信をのぞかせる。
故に、劇場版で全体として纏め切れれば拍手も讃辞も惜しまない。ただ、やろうと思っても難しいこのようなことにどれだけ自覚的に取り組もうとしているのかは甚だ疑問だ。
「劇場版は自分たちがこうしたかったというものがピュアな形で出ているので、そういう部分も含めて見てもらいたいですね」と語る。ここは驚きポイント。「ピュアな形ではない」先のシリーズはどう位置付ければ良いのよ。「ピュアな形」ってあんた、より食い散らかしを先鋭化するつもりなのか。せめて「よりピュアな形」と言って欲しかった。
「実はヤマト自体をモデリングし直しています。劇場用にもう少し緻密にやろうということで、細かい部分で直しを入れたり、ディテールを足していたりするので、そういうところも見どころではあると思いますね」と明かした。だからぁ、そこじゃぁないんだってば。「できるのが分かっていること」だけやってちゃ見てる側は尚更面白くもなんともないし、それじゃぁ作品は何時まで経っても終わらせられない。プロフェッショナルってのは「終わらせられる」力量のある人のことだ。何時までアマチュア意識が抜けないのか。
「『天命かな。これはやらないといけない』と。あえて“火中のクリ”を拾う心境だった」と当時を振り返る。さすがにこれには同意と言うか、感情移入はできる。が、「天命」とは不可分な「覚悟」ってぇのはただやりゃぁ示せるってもんじゃぁない。
え、覚悟なんて無い?
空耳だと思うけど、それじゃぁこいつに手をつけちゃいけねぇし、自ら「天命じゃない」って言ってるようなもんだねぇ。「天命」は「覚悟」のある人間にしか下されないよ、普通。